第34回散策の会 報告

皇居東御苑をめぐる

平成29年5月14日(土)

12世紀の初頭、この地を開発して館を築いたのが江戸氏といわれています。室町時代に太田道灌が江戸城を築城し、戦国時代には小田原北条氏の支配下に置かれます。その後徳川家康が入城し、さらに徳川三代の手によって江戸城が完成しました。そして大政奉還後に宮城となります。
大手町駅に集合した老々男女15名は、そんな900年にも及ぶ歴史に思いを馳せながら、本降りの雨の中皇居の東の地区を回ってみました。ただ日本史上最大の城郭といわれる江戸城も、その後の火災・大震災・大空襲などで多くの遺産が失われてしまっています。

大手門で集合写真。江戸と現代のコラボ・・・

大手門で集合写真。江戸と現代のコラボ・・・

☆大手門(千代田区千代田1-1)
大手町という町名の由来にもなった江戸城の正門です。ここから諸大名は登城し三の丸に入りました。何度も火災や震災に遭い,現在のものは昭和42年に再建されたものです。

☆三の丸尚蔵館
皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類を収蔵・展示している施設で、平成5年に開館しました。訪れた時の企画展では円山応挙・司馬江漢・横山大観の風景画もありました。

三の丸尚蔵館の外は大雨でした

三の丸尚蔵館の外は大雨でした

☆同心番所
登城する大名達は大手三の門で駕籠を降ります。そのお供達を監視する与力や同心がここに詰めていました。

同心番所の前で解説

同心番所の前で解説

☆百人番所
長さ50mを超える建物で、江戸時代から残る数少ない遺構です。ここは本丸を警備する番人の最大の詰所で、将軍の親衛隊であり、鉄砲の扱いに慣れた1組当たり与力20人と同心100人で構成の4組{甲賀(こうか)組・伊賀(いが)組・根来(ねごろ)組・二十五騎組}が交代で詰め、24時間警護に当たっていました。

24時間眠らない?百人番所

24時間眠らない?百人番所

☆二の丸庭園
五月雨に濡れる美しい樹木に囲まれた一帯です。池にはコウホネやアサザが浮かび、錦鯉も泳いでいます。車の往来音も聞こえず、これが東京のど真ん中にあるとは思えない風景です。
かつて二の丸には将軍の跡継ぎや大御所(隠居した前将軍)などが居住する御殿がありました。現在ある庭園は九代将軍家重時代の図面をもとに、昭和43年に回遊式庭園として復元されたものです。雨の中訪れる日本人客は少なく、西洋人客が目に付くばかりです。

外国人ツアー客と一緒に

外国人ツアー客と一緒に

☆大番所
中之門の内側に設けられた本丸への最後の番所で、他の番所より位の高い与力・同心が守っていました。現在のものは再建されたものです。

☆富士見櫓
高さは約16mで、将軍がここから両国の花火や品川の海、富士山を眺めたそうです。「振袖火事」(1657年)で天守が焼失した後は、ここが天守の代わりとなりました。ただこの櫓も同じ時に焼けたので、現在のものは1659年に再建されたものです。

タイムスリップして江戸時代へ

タイムスリップして江戸時代へ

☆松の廊下跡
「忠臣蔵」で有名な「松の廊下」の跡です。「本丸御殿大広間」と「白書院」をつなぐ畳の廊下で、幅が2間、長さが26間の鉤型で、江戸城で二番目に長い廊下でした。襖戸に松と千鳥の絵が描かれていたのでこの名がつきました。ただ、いまは名を刻んだ石碑が1つあるのみです。

耳を澄ませば・・・「殿中で御座る!」

耳を澄ませば・・・「殿中で御座る!」

☆富士見多聞(ふじみたもん)
昨年の11月から内部公開を始めた建物です。多聞とは石垣の上に建てられた長屋型の櫓のことです。戦時はここから鉄砲や弓矢で狙撃し、平時には武器庫として使われました。江戸城には15の多聞がありましたが、現存するのはここだけです。

柱の間から狙撃隊の気分で・・・

柱の間から狙撃隊の気分で・・・

☆本丸跡
現在は広大な芝生と植え込みと、アスファルトの遊歩道があるのみです。
本丸御殿は表・中奥・大奥の三つに分けられていました。表は将軍が謁見する御殿や諸役人の執務部屋。中奥は将軍の執務室兼生活空間、大奥は将軍の正室・生母・子供の居室、奥女中が生活する空間でした。
本丸は5回火災に遭いその都度再建されてきましたが、明治に入る直前の火災後は資金が尽き再建されませんでした。

天守へ登城します

天守へ登城します

☆天守台
巨石を組み上げた見事な天守台を見るだけで、壮大な天守が頭に浮かびます。天守は徳川幕府の初期の頃に3回造営されました。二代将軍秀忠の時の天守は高さ58m(現在の大阪城は55m)の五層五階建で、屋根に金の鯱が置かれていました。「振袖火事」(1657年)で焼失し以後、すでに防衛の役目を終えたことと、大火での市中の復興に資金を使うべきとの考えから再建されませんでした。
坂道を登った上はベンチの他なにもない広場ですが、雨に煙る日本武道館や大手町のビル群が望めます。

☆桃華楽堂
音楽好きの香淳(こうじゅん)皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として,昭和41年に建設されました。屋根がテッセンの形を模した八面体で、モザイクの壁面が美しい音楽堂です。屋根の上には金色の雛人形が飾られていました。設計したのは演劇博物館や會津八一記念博物館(旧図書館)を設計した早大教授の今井兼次氏です。

右下写真は中央雛人形の拡大

右下写真は中央雛人形の拡大

☆北桔橋門(きたはねばしもん)
本丸の大奥から外部へ通じる門で、壕を深くし石垣は最も堅固にしてあります。橋は跳ね橋で、通行を遮断するため通常は上げられていました。

【散策後の懇親会】
竹橋駅から東西線で高田馬場駅へ移動し、駅前にある稲門ビルの「米家ル」(まいける)で行いました。日本酒通の滝沢会長がセレクトした「一ノ蔵」「八海山」「獺祭」を飲み放題種として、若鶏と野菜の塩鍋、本マグロの刺身や雲丹マヨの揚げじゃがなどで冷えてた体も温まるほどに、アカペラで歌い出す御仁も出始め、大いに盛り上がった一夕でした。

【参加者】
荒木・伊藤(徹)・栗原・佐藤(俊)・志村・滝沢・竹内・土井・野村・堀田・松村・山本・横田・定村・千葉(15名)

(文=佐藤(俊)、写真=荒木)



第34回散策の会 のお知らせ

散策の会の第34回例会は、「皇居東御苑を巡る」です。 

【日時・集合場所】
平成29年5月13日(土) 14時
東京メトロ大手町駅 C10出口地上に集合
【経 路
大手町駅―大手門―三の丸尚蔵館―同心番所百人番所―二の丸庭園―大番所―富士見櫓―松の廊下跡―富士見多聞―本丸跡―天守台―桃花楽堂―北詰橋門―竹橋駅(解散)
【参考情報】
(1)歩行距離は2.5キロ程度。登り下りが数か所。
(2)トイレは皇居の中に数か所。
(3)解散後、希望者で懇親会を実施。4,000円程度。

  「米家ル(まいける)」(高田馬場駅前・稲門ビル 03-6233-7881)

【申し込み】
5月11日(木)までに、滝沢(042-345-0953)あてにお願いします。

(以 上)

第33回散策の会 報告

国分寺崖線をめぐる          2017年3月25日(土)

このコースには春うららがふさわしいと思い、3月下旬に企画しました。週初めの日の最高気温が19度なのでこの調子で!と祈ってはみたものの、週末は花冷えの11度。薄曇りの中“春の小川はさらさら流る・・・”文部省唱歌の心の原風景を求めて、国立市の近郊を歩いてみました。川幅1mほどの清らかな小川が岸辺に小さな花を添えて、コースの大半をつかず離れず寄り添うように流れていきます。

澄んだ水が流れ、少年が蟹を網で捕っていた

澄んだ水が流れ、少年が蟹を網で捕っていた

☆谷保天満宮 (谷保5209)
湯島・亀戸と並び関東三大天神一つと呼ばれ、創建は菅原道真が亡くなった903年、三男の道武が廟を建てたのが始まりといわれています。受験シーズンが終わり、御利益を与えたであろうおびただしい数の絵馬が下がっています。我等もさらなる学力アップを祈願し手を合わせました。ただ手遅れの感はありますが。

絵馬を奉納した子供達はみんな合格したかなあ

絵馬を奉納した子供達はみんな合格したかなあ

またここは、明治41年に有栖川宮威仁親王らが国産ガソリン車など11台で日本初の遠乗りを行い、この地で休憩したことから、交通安全祈願発祥の地ともいわれています。

右手看板だけで、レプリカ車も外出中でした

右手看板だけで、レプリカ車も外出中でした

江戸時代、太田蜀山人が『神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん』と詠み、ここからありがたくない「野暮天」の語が生まれたという説もあります。
社名は「やぼ」(駅名・地名は「やほ」)。チャボが10羽近く足下をついばんでいました。

「やぼ」の「チャボ」チャボが10羽で「ヤボテン」?

「やぼ」の「チャボ」チャボが10羽で「ヤボテン」?

☆城山(じょうやま) (谷保6003)
青柳段丘の高さ8mの台地の縁にある、鎌倉時代初期の三田氏といわれる居館跡で、土塁・空堀や方形の曲輪(くるわ)が残っています。ただ現在私有地で、立ち入ることは叶えられませんでした。

奥のヤブの所が居館跡

奥のヤブの所が居館跡

☆城山公園  (谷保5983)
城山の足下にあり、崖線の地形をそのまま生かした親水公園です。さまざまな木が生い茂り原始のハケの姿を今に伝える一方、木橋や広場があり子供達の絶好の遊び場となっています。ただ学校も春休みに入ったこの時期なのに子供の姿はく、その代わりにアメンボだけがすいすい泳ぎ回っていました。

城山公園の移築古民家、小平のふるさと村にそっくり

城山公園の移築古民家、小平のふるさと村にそっくり

☆ハケ下散策路
ヤクルト中央研究所のすぐ脇を、崖から湧き出る水が小川となって流れ、その縁を歩きやすい散策路が続きます。川と歩道の間は野草園になっていて、さまざまな花の名札が立っていましたが、3月下旬では目につくのはハナニラ、ユキヤナギ、ハナダイコンくらいでした。この辺では崖のことを「ハケ」や「ママ」といいいます。

近代的なヤクルトの研究所の脇をハケからの水が流れる

近代的なヤクルトの研究所の脇をハケからの水が流れる

☆くにたち郷土文化館(谷保6231) (入場無料)
大きなガラス張りの明るい建物で、国立の歴史や自然についての資料を展示してある学習の場です。展示物の「石棒」は近々国の重要文化財に指定されます。(佐賀市の大隈重信記念館も同じ時に登録有形文化財に指定。)

重要文化財の「石棒」のあるくにたち郷土文化館

重要文化財の「石棒」のあるくにたち郷土文化館

☆ママ下湧水公園
その昔わさび田だったことがうなずけるほど、清らかな水が足下を流れて行きます。そして川上の行き止まりは小さな洞穴があり、水底から湧き出る水源地になっていました。
なおこの後、1月に国分寺市にオープンした東京都立多摩図書館を訪ねる予定でしたが、時間の都合で割愛しました。期待されていた方々にはお詫びいたします。

左手奥の崖から水が絶え間なく湧きだしている

左手奥の崖から水が絶え間なく湧きだしている

☆散策後の懇親会
国分寺駅南口直前の「庄や」で行いました。脇には通い慣れたカラオケ店のネオンが招いています。献立はキャベツのぶつ切りサラダ・もつ煮込み・刺身の五点盛り・串カツ・鶏唐揚げ・ポテトフライ・茶そば、そしてこだわる人の多いプレミアム飲み放題の日本酒は高清水・浦霞・澤乃井の1升瓶が3本でした。実は幹事にとっては散策コースの策定よりも、懇親会場の選定の方がはるかに難儀なのです。幹事のリサーチ力不足(飲み回数不足?)のためご期待に添えない時もあり、その節はどうかご容赦をお願いいたします。

「庄や」で乾杯! 集合写真の代りです。ここに参加されなかった4人の皆さんごめんなさい。 でもスナップのどこかに写っていますよ

「庄や」で乾杯! 集合写真の代りです。ここに参加されなかった4人の皆さんごめんなさい。
でもスナップのどこかに写っていますよ


【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・大野・小川・小平・梶川・国友・栗原・小林夫人・佐藤(俊)・志村夫人・滝沢・竹内・土井・堀田・山本・横田、以上18名

(文=佐藤(俊)、写真=荒木・山本)

                    

第33回散策の会 のお知らせ

経路が変更・追加となりました(赤字部分。平成29年3月6日)

散策の会の第33回例会は、「国分寺崖線を巡る」です。 

【日時・集合場所】
平成29年3月25日(土) 13時30分
JR南武線 谷保駅改札口(1か所のみ)前に集合
【経 路
谷保駅―谷保天満宮―城山―ハケ下散策路―くにたち郷土文化館―ママ下湧水公園―矢川駅立川駅西国分寺駅東京都立多摩図書館西国分寺駅(解散)
【参考情報】
(1)歩行距離は約4キロ。
(2)トイレは、谷保天満宮その他にある。

【懇親会】
解散後、希望者のみで実施。会費4,000円程度。
庄や 国分寺南口店」 電話042-321-4351

【申し込み】
3月18日(土)までに、滝沢(042-345-0953)あてご連絡ください。

 

第32回散策の会 報告

池上七福神めぐり                    平成29年1月9日(月)

 けましておめでとうございます。 
“思えば遠くへ来たもんだ”、小平からだと電車を乗り継ぐこと1時間20分。今回のコースは小平から遠い大田区・池上の七福神めぐりを主とし、それに道沿いにある日蓮宗の名刹本門寺を加えてみました。お正月恒例の「七福神めぐり」も回を重ねて7回目となります。今回訪ねた福の神は総じて小振りで、ちょっと物足りない感もします。しかし『福』をたっぷりとゲットして、今年も健康に過ごしたいものと念ずる人たち15人が成人の日に参集しました。

☆布袋 曽禅寺  (池上7-22-10)
 芭蕉扇を頭上にかかげ、こぼれんばかりの笑顔の30㎝ほどの小さな木像です。他に石組みがみごとな石庭や、大きな擬宝珠を乗せた京都・三条大橋の欄干橋柱がありました。
 他の六福神が本門寺の周辺に安置されているのに、この布袋様だけは駅の南にあるので、同じ道を引き返し20分ほど費やしました。お寺は昭和14年の創建で、巡った7つの寺院がすべて日蓮宗であるのに、ここは唯一の曹洞宗です。

いかにも福を与えてくれそうな布袋様

いかにも福を与えてくれそうな布袋様


☆毘沙門天 微妙庵(みみょうあん)  (池上3-38-23) 
 毘沙門天像はごく小さい木像だけど、迫力ある面構え。この像は品川沖で拾われたものといわれています。本堂左側に「イボとり観音」があります。

小粒でも威厳に満ちた毘沙門天

小粒でも威厳に満ちた毘沙門天


☆大黒天 馬頭観音堂 (池上3-20-4)
 30cmほどの木像。池上警察署の裏手の20段の石段を登るとあり、分かりづらい場所でした。
 幕末に新政府の本陣となった本門寺に忍び込み、捕らえられ斬首となった彰義隊士渡辺健造の墓のあった場所にこのお堂は建てられました。

大黒様が三体

大黒様が三体


☆弁才天 厳定院(ごんじょういん)  (池上2-10-12)
 石の祠に祀られていて、15cmほどの高さの天衣をひるがえした穏やかな顔立ちの弁天様でした。本門寺の子院。 

バタフライのような弁天様

バタフライのような弁天様


☆本門寺 (池上1-1-1)
 ここは千葉県小湊で誕生した日蓮上人が、61歳で入寂(1282年)した場所です。宝塔や五重塔は重要文化財で、五重塔は関東で一番古い(1607年)ものです。また、大堂の天井絵は川端龍子が手がけた途中で死去し、その後奥村土牛が眼を入れた「未完の龍」だそうです。10月のお会式法要には一日で30万人の参拝者で賑わいます。

五重塔の前で集合写真

五重塔の前で集合写真

重要文化財の宝塔

重要文化財の宝塔

賑わう境内

賑わう境内


☆樹老人 照栄院妙見堂  (池上1-31-11)
 ごく小さな石の祠に祀られているので、狭い格子からのぞき見しました。30cmほどの木像です。「寿老人」でなく「樹老人」の意味は…若い僧が妙見堂に籠もり断食の行を行っていました。ある日大樹の下に1人の老人が現れ、行の心得を教えました。数年後、僧が再び妙見堂を訪れると、あの木は大風で倒れており、彼はその木で老人の姿を彫らせ妙見堂に納めました…ということからだそうです。ただ、いまある像は後年の再刻です。
 日蓮の弟子・日朗により文保2年(1318)に創建された本門寺の子院です。ここにも「いぼとり地蔵」がありました。

暗く見えにくかった樹老人

暗く見えにくかった樹老人


☆恵比須 養源寺
  (池上1-31-1)
 米俵に座り右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えています。ここは本門寺の歴代住職の隠居所となっていました。また八代将軍吉宗の鷹狩りの際の御膳所でもあったそうです。本門寺の子院。

どっしりとした恵比寿様

どっしりとした恵比寿様


☆福禄寿 本成院  (池上1-35-3)
 右手に長い杖を持っている20㎝位の木像です。本門寺の子院。
 ここから駅に向かう新参道の角には明治8年(142年前)建築の萬屋酒店があります。
 江戸時代以来の町屋建築の様式をよく残しています。

ごくごく小さい福禄寿

ごくごく小さい福禄寿


☆散策後の懇親会
会場は新宿駅西口からほど近い「うおや一丁」。この店は「等々力渓谷巡り」や早慶戦の帰りにも利用した小平稲門会でおなじみの店です。料理はお正月らしい風情もなくやや寂しい感もしましたが、この会の主目的は“歩く”ことで、“飲む・食べる”はいわばおまけ。それに参加者の懐をも考えてのことゆえご容赦ください。

【参加者】
伊藤(徹)・小川・小平・国友・栗原・小山・末次・鈴木・滝沢・土井・堀田・松村・山本・井上(国友の友人)・千葉(国友の友人)(15名)

(文=滝沢(佐藤)、写真=山本)

 

 

第32回散策の会 のお知らせ

散策の会の第32回例会は、「池上七福神巡り」です。 

【日時・集合場所】
平成29年1月9日(月・成人の日)午後1時00分
東急池上線池上駅 改札(1か所)の前の広場に集合
【経 路
池上駅
曹禅寺(布袋尊)―微妙庵(毘沙門天)―馬頭観音堂(大黒天)―厳定院(弁財天)―本門寺―照栄院妙見堂(寿老人)―養源寺(恵比寿)―本成院(福禄寿)―池上駅(解散)
【参考情報】
(1)歩行距離は約5キロ。長い石段の昇降がある。

(2)トイレは本門寺にある。
【懇親会】
解散後、希望者のみで実施。4,000円程度。

「うおや一丁 新宿西口店」 050-5522-5439
【申し込み】
12月31日(土)までに、滝沢(042-345-0953)あてご連絡ください。

 

 


第31回散策の会 報告

大泉の白子川沿いの森を歩く   平成28年11月19日(土)

  練馬区の西部を流れる白子川沿いには、雑木林が生い茂る小さなお山が点在しています。練馬区はこれらを「憩いの森」と名付け、昭和50年から区民に開放しました。
   そこで今回の散策は、住宅地の中での雑木林をめぐり“紅葉狩り”を目論みました。ところが、あぁなんて不運。前日は快晴、翌日は20度近い小春日和だったのに、散策催行の日は前夜半から雨。幸いスタート直前にはあがったものの、曇天の肌寒い日でした。目的とした紅葉・黄葉こそありましたが、陽に映える鮮やかさは残念ながら空振りに終わりました。時期的にも少し早かったようです。
   石神井公園駅からバスに乗り「土支田八幡宮」で下車、寒い旅はここから始まりました。

★土支田八幡宮(土支田4-28-1)
   村内にあった八幡社・神明社・稲荷社を合祀して、明治7年に北野神社としたが、昭和22年に土支田八幡宮と改称しました。人っ子一人いない“村の鎮守様”というたたずまいですが、節分・初午・盆踊り・秋の例大祭ではかなりの人出で賑わうそうです。
 
スギ・ヒノキ・イチョウ・アオキと、練馬区の神社で一番樹木の多い境内を持っています。

故郷の鎮守様を思い出して

故郷の鎮守様を思い出して


★越後山(えちござん)の森緑地
(大泉町1-19)
  八幡様からだらだら坂を登り切った所にある、それほど大きくない雑木林です。イヌシデやコナラが多く、白子川を展望できるポイントでした。

いよいよ紅葉の林に入ります

いよいよ紅葉の林に入ります


★稲荷山憩いの森(土支田4-14)
 白子川右岸台地の傾斜地の雑木林で、スギ・イチョウ・カシなどがあります。春はコブシやサクラの花が咲き、今は数少ないけれど紅葉がきれいでした。
  区内の「憩いの森」の中では最も広く、山頂からは大泉1丁目の町並みが広がります。

雨に濡れた木の香りを楽しんで

雨に濡れた木の香りを楽しんで


★清水山憩いの森
(大泉町1-6)

    たどり着いてびっくり。周りはフェンスで囲まれて立入禁止状態で、中には大きな重機も入り整備工事中でした。
 ここは昭和50年に「憩いの森」の第一号に指定された所です。白子川の右岸台地の北斜面にあり、都内では貴重なカタクリの大群生地で、30万株の花が咲く3月には見物客で賑わいます。「東京名湧水57選」に選定されています。

工事中(下見の時は入れた?)

工事中(下見の時は入れた?)


★大泉富士(八坂神社)
(大泉町1-44)

 大型の富士塚で高さは12m、直径30m。「富士浅間神社」の額がかかる鳥居から見る塚は雄大さを感じます。麓から山頂までは秋葉神社・烏帽子岩・宝永山など40基ほどの石碑や石祠がびっしりと並び、また山頂には奥宮の石祠や駒ヶ嶽・剣ヶ峰などの石碑が立っています。 
 明治の初期に築かれたといわれていますが、文政5年(1822年)の石碑があることから、江戸時代に原型があったと考えられています。
 江戸時代には富士山信仰が盛んでしたが、この時代の登山は多額な費用の捻出や、長期の休暇の取得が困難で、町民や農民にとっては叶わぬ望みでした。そこでこのようなミニ富士を造り、疑似登山体験をしたのです。都内には50基ほど残っています。
 登山道は幅わずか30センチほどの狭さで、ジグザグ状に山頂へと伸びます。4人が登りましたが、雨で濡れた道をよくぞ滑落せずに下山されたものと、遭難者ゼロでホッと安堵しました。でも頂上では“お山の大将”気分で、優越感を味わえたドヤ顔の面々でした。

富士山頂上から下界をパチリ!

富士山頂上から下界をパチリ!

健脚達が頂上で手を振る

健脚達が頂上で手を振る

小学生に撮ってもらいました。「ハイチーズ!」だって(^-^)

小学生に撮ってもらいました。「ハイチーズ!」だって(^-^)


★もみじ公園
(大泉町3-23)

 白子川左岸の南向き台地にある広大な公園で、ドウダンツツジの鮮やかな赤がひときわ目立ちます。他にサクラ・アカマツ・イチョウ・ヤマモミジなどが植えられています。負け惜しみでなく、雨後の黄落も季節が感じられていいものでした。
  この地下には東京外環自動車道が走っています。

雨上がりの木々は色鮮やかです

雨上がりの木々は色鮮やかです


★散策後の懇親会
 寒さの夕暮れ時、のれんをくぐったのは大泉学園駅北口から2分ほどの「てしごとや ふくの鳥 大泉学園店」。居酒屋チェーン店にしては珍しく1階に店を構えています。入ってすぐの椅子にようやく腰を下ろせたところで「お疲れさん会」がスタート。
 ここには「越乃寒梅」「雪中梅」「峰乃白梅」がありました。かつて「越の三梅」といわれた越後の銘酒がいまや大衆酒場の飲み放題メニューに登場するとは、時代の変わり様を感じます。でも今回は「男山」の熱燗に人気があったようです。献立はキャベツのサラダ・鳥の唐揚げ・つくね串・鳥の水炊き・親子丼・甘みといったところでした。いつもの様にいつもの如くおしゃべりし尽くし、馴染みの薄い西武池袋線で帰宅へつきました。

頬も紅葉に染まって?

頬も紅葉に染まって?


【参加者】
荒木・伊藤(徹)・小川・国友・佐藤(俊)・篠原・末次・滝沢・堀田・山本・横田・定村(国友の友人)・千葉(国友の友人)(13名)

 (文=佐藤(俊)、写真=荒木)

 

 

 

第31回散策の会のお知らせ

散策の会の第31回例会は、「大泉の白子川沿いの森を歩く」です。 

【日時・集合場所】
2016(平成28)年11月19日(土)
13時30分 西武池袋線・石神井公園駅 中央口改札前に集合
【経 路
石神井公園駅北口―(西武バス成増駅南口行き、13時35分発に乗車、土支田八幡宮下車)―土支田八幡宮―越後山の森緑地―稲荷山憩いの森―清水山憩いの森―大泉富士(八坂神社)―もみじ山公園―(西武バス大泉学園駅北口行き)―大泉学園駅(解散)
【参考情報】
(1)歩行距離は約4km。登り降りが各所にある。
(2)トイレは、越後山・稲荷山・八坂神社・もみじ山にある。
【懇親会】
解散後、希望者のみで実施。会場は「てしごとや ふくの鳥 大泉学園店」(050-5796-8965)、会費4,000円程度。
【申し込み】
11月 12日(土)までに、滝沢(042-345-0953)あてお願いします。

 

第30回散策の会 報告

調布飛行場近辺を歩く       2016年9月24日(土)

  昨年の夏まで、小平市の上空にもプロペラ音を響かせ小型機が飛来してくることが度々ありました。それを眺めながら、羽田や成田はおなじみでも、調布飛行場となると「いやァ~まだ」という人が多いのではないかと思い、このコースを作ってみました。
  ここ数日来降り続く秋雨、この日もスタート直前から降り始め、解散時に降り止むという意地悪な一日でした。

雨の武蔵野の森公園。これから先に何があるか誰も分かっていない

雨の武蔵野の森公園。これから先に何があるか誰も分かっていない

★武蔵野の森公園(府中調布三鷹の3市)
   多磨駅から少し歩くと「武蔵野の森公園」に到着します。この公園は調布飛行場によって南北に分けられていますが、今回の散策は北側のみに留めました。
   まずは広大な芝生の広場が目に入ります。この広場を横切ると、飛行場を一望できる小山や展望台があります。集合場所をスタートしてからまだ15分しか経てないので、参加者一同足取りもしっかりと展望台に登り、滑走路の先にある「味の素スタジアム」までの広い空間を目に焼き付けました。
  公園の片隅には「有蓋掩体壕」(ゆうがいえんたいごう)なるものが2基ありました。これは米軍機の爆撃から帝国陸軍の戦闘機を守るコンクリート製の屋根付格納庫です。平和への語り部として保存してある戦争遺跡です。1基の扉には格納された戦闘機「飛燕」の絵が描かれ、脇には「飛燕」が収まったブロンズ製の掩体壕の模型(1/10)もあります。小さな「飛燕」が巨大なB29に挑みかかったのが、この上空だったのです。

公園の片隅の有蓋掩体壕。時代に流されず残っていた

公園の片隅の有蓋掩体壕。時代に流されず残っていた

戦闘機「飛燕」の絵が描かれた1基

戦闘機「飛燕」の絵が描かれた1基


★調布飛行場展望デッキ(府中・調布・三鷹の3市)
    平成25年に運用開始した新ターミナルビルに入ってみました。800mの滑走路が1本という、地方空港に比べてもはるかに小ぶりで、むしろアットホームな雰囲気さえ感じます。新中央航空が運航する伊豆諸島への定期便の時刻表を見ると、8時過ぎから17時前までの間に26回の離着陸があります。この時も乗客らしき人が2人ほど待合室に座っていました。
    エレベーターで2階の展望デッキに昇ります。まもなく1機(19人乗り)が到着しました。扉が下に向かって開き、それがタラップとなります。17人ほどの乗客が係員の渡す傘を手に、雨の中に降りてきました。すぐに給油が始まり、続いて電源車が横付けなります。まもなく2人の客が搭乗し、飛行機はエプロンから誘導路を通り、滑走路の端に進みました。やや間があって爆音がひときわ高く響き、スタートしたと思うと滑走路の中程でテイクオフ。アッという間に視界から消え去りました。
 30分足らずの間、こんな情景をわれわれ一同展望室の窓ガラスに額をくっつけながら、やや興奮気味に眺めたものでした。飛行機や飛行場って、なぜか少年(?)達の心をワクワクさせるものですね。

タラップから乗客が降りてきます

タラップから乗客が降りてきます

2階の展望デッキから

2階の展望デッキから


 でも昨年7月、ここを飛び立ったパイパー機が離陸直後に民家に墜落し、3人の死者を出した悲惨な事故も頭をよぎります。それ以来、観光や訓練の飛行はここでは許可されていません。
 この飛行場は昭和16年に竣工し、戦時中は帝国陸軍が使用して帝都防空の拠点となり、戦後は米軍に接収されたが、昭和48年に全面返還されました。

子供に還って?みんな楽しそう

子供に還って?みんな楽しそう

★龍源寺(近藤勇の墓地) (三鷹市大沢6-3-11)
 武蔵野の森公園の北側の人見街道に沿ってあります。門前には樹齢300年といわれる大イチョウが2本そびえていました。寺の入り口に新選組局長の近藤勇の胸像が、墓域には墓と辞世の石碑が、それに養子の勇五郎の墓があります。
 
板橋の刑場で斬首された遺骸を勇五郎や門人達が夜陰に紛れて運び出し、この場所に埋葬したといわれています。ただ、近藤勇の墓は6カ所あるといわれ、当会でも訪れたことのあるJR板橋駅前、さらには京都市・岡崎市・会津若松市・米沢市にもあるそうです。

龍源寺の近藤勇の墓所

龍源寺の近藤勇の墓所

★近藤勇生家跡(調布市野水1-6-8)
 龍源寺から西に300mの場所にあるごく狭い土地です。
 ここは近藤勇が生まれた豪農・宮川家のあった所で、7,000㎡もの敷地があったそうですが、昭和18年に、滑走路の延長線上にあるという理由で取り壊されてしまいました。今は産湯をくんだ井戸があるのみです。

近藤勇生家跡。産湯の井戸

近藤勇生家跡。産湯の井戸

★天然理心流道場撥雲館(調布市野水1-7)
 近藤勇の養子勇五郎が明治9年に開いたそうで、最盛期には3,000人の門人がいたといわれています。
 この建物は昭和7年に建てられたもので、一時移転し、戦後に人見街道の拡幅により生家跡の真ん前の現在地に再度移築されました。建物はかなり傷み、廃屋状態です。

天然理心流道場撥雲館

天然理心流道場撥雲館

★散会後は希望者で恒例の懇親会
 無事に4キロを歩き切った有志を待っていたのは 武蔵境駅北口の「三代目鳥メロ武蔵境店」。
  まずはと生ビールの流れ込む様は、海綿の水を吸うが如し(チト表現が古いか?)。棒棒鶏サラダ・カツオのカルパッチョ・つくね串・ガリバタ鶏などの料理も好評で、加えて獺祭・真澄・白鶴などの日本酒も飲み放題で〆て3,500円。こうなると幹事は次回以降の会場探しに重い荷を背負う事になりました。

三代目鳥メロ武蔵境店で。美味しかったですね

三代目鳥メロ武蔵境店で。美味しかったですね

【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・小平・梶川・国友・小林(弘)・佐藤(俊)・志村・滝沢・竹内・土井・堀田・山本・横田・定村(国友の友人)・千葉(国友の友人)(17名)

 (文=佐藤(俊)、写真=荒木)

 

 

 

 

 

第30回散策の会のお知らせ

散策の会の第30回例会は、「調布飛行場周辺を歩く」です 

【日時・集合場所】
2016年9月24日(土)
13時30分 西武多摩川線・多磨駅改札口(1か所のみ)集合
【経 路
多磨駅―武蔵野の森公園―調布飛行場―龍源寺(近藤勇の墓)―天然理心流道場―多磨霊園(有名人のみ)―多磨駅(解散)
【参考情報】
(1)歩行距離は5kmあまり、ほぼ平坦。
(2)トイレは、武蔵野の森公園・調布飛行場・多磨霊園にあります。
【懇親会】
解散後、16時30分から希望者のみで実施。会場は「三代目鳥メロ武蔵境店」、会費3,500円程度。
【申し込み】
9月17日(土)までに、滝沢(042-345-0953)あて。