第49回散策の会報告

港七福神めぐり

令和4年1月8日(土)

正月恒例の「七福神めぐり」は今年で11回目を数えました。
今回は麻布十番駅から六本木駅までの散策ということで、土地柄ゆえ社寺のほとんどが高層ビルに囲まれていました。大都会の途絶えることのない再開発の中で、それでもその立ち位置を変えることなく現在まで存続し得たことは、まさしく神仏の御加護でしょう。

「港七福神めぐり」は昭和8年に発足し、戦中に中断、昭和41年に復活したもので、実数は「宝船」を加えて八福神あります。社寺はあちこちに散らばっているので、すべてめぐるとかなりの距離になります。それに決った参拝ルートもありません。そこで来たる3月に予定の「懐かしの東京タワー」の散策の際に、宝珠院(弁財天)を参拝することとし、少し離れた熊野神社(恵比寿)と久国神社(布袋)を割愛することで省力化を図りました。

開運招福を願う人たち


☆宝船
 十番稲荷神社(港区麻布十番1-4-6) 
ここは麻布十番駅のすぐ横にありました。メインは賑やかに七福神が乗った「宝船」の石像。それに大火の折に池に住む蛙が水を出し猛火を防いだとかで、消火・防火・火傷のお守りの「蛙」。これがまた“若返る”というので女性に人気があるそうです。他にも旅行・入院から無事“帰る”のお札などなど“手を変える、品を変える”で商売熱心でしたが、わが仲間たちは誰も“買わず”に帰ったようです。

ここの狛犬は麻布十番出身の音丸が昭和12年に奉納したものだそうです。音丸は2020年のNHKの朝ドラ「エール」にも登場し、古関裕而の最初のヒット曲「船頭可愛や」を吹き込んだ歌手で、劇中では下駄屋の娘、実生活では下駄屋の女房でした。その他、見にくい位置でしたが、先代の鳥居を奉納した同じ麻布十番出身の喜劇俳優榎本健一(エノケン)の名を刻んだ銅板もありました。

その昔、世話役の松村さんがこの近くに住んでいたことがあったそうで、通り道にある老舗の豆屋や鯛焼き屋の紹介があり、幾人かがお土産を買いに入りました。

最初に七福神をまとめて参拝

那覇のシーサーはマスクだけど、ここはしめ縄


☆大黒天
 大法寺(元麻布1-1-10)
大黒天像は伝教大師(最澄)が刻んだものと伝えられています。大黒天の小槌を持ち、弁才天の髪、毘沙門天の鎧をつけた「三神具足の大黒」といわれています。これは大黒天の福寿と弁財天の円満、毘沙門天の除災の3つを表しているそうです。木彫の素朴なお姿のはずですが、残念なことに秘仏のため公開されていませんでした。その代わりに江戸期の作とある3体の大黒天が愛嬌を振りまいておられました。

1月8日ともなると参拝客は少ない


☆毘沙門天 麻布氷川神社(元麻布1-4-23)
「一本松坂」をゆるゆると登った、かつてのお屋敷地だったらしい静かな住宅街にありました。太田道灌が勧請したそうです。でもどうして毘沙門天(仏像)が神社に祀られているのでしょう? よく分かりません。それに肝心の毘沙門天がどこに安置されているのか分からずじまいでした。
神社の後ろには上部の方が太いビアグラスのような珍しい形の「元麻布ヒルズフォレストタワー」が建っていて、神社と奇妙なコントラストを見せてくれていました。ここの最上階の29階と28階はメゾネットタイプで、家賃は月額460万円。カルロス・ゴーンが住んでいたという噂があるようです。

日本的アンバランスな風景


☆寿老神 櫻田神社(西麻布3-2-17)
寿老神は正面脇のガラス戸の中にしょんぼりと祀られていました。この神社は源頼朝の命によって創建されたと伝えられていて、江戸初期までは櫻田門外にありました。そこには乃木将軍や新撰組の沖田総司が初宮参りをしたそうです。そんなことで昔はこの辺を麻布櫻田町といっていました。ビルの谷間に押しつぶされそうな姿で建ち、すぐ向いに「六本木ヒルズ」が大きくそびえています。ここは「老人」でなく「老神」でした。

ところで余談ですが「振袖火事」(1657年)の名の由来となった、振袖の持ち主の梅野ちゃんの家はこの近くにありました。ここから出火元といわれる本郷丸山本妙寺までは直線距離でも往復約17㎞。今日の散策の距離の約6倍です。江戸人の健脚にぶりには驚嘆します。

たたずまいは大都会の宿命


☆福禄寿 天祖神社(六本木7-7-7)
竜が灯明を上げに毎夜ここへ品川沖から通ったという故事から、竜土神明宮ともいわれます。「東京ミッドタウン」のすぐ近くにあり、神社があるために隣のビルが「へ」の字に曲げられて建てられてもいます。住所表示から「六本木のラッキーセブン」といわれているとか。福禄寿は境内の小さな満福稲荷に納められていました。でも僧形で八頭身のスリムな立像で、従来の福禄寿のイメージからあまりにもかけ離れていて、つい係のお嬢さんに『あれが福禄寿?』と尋ねてしまいました。

ここから地下鉄六本木駅はすぐそこ。ここでひとまず解散した我等は人々の群れの中に吸い込まれ、5,800歩の旅は終わりました。

年が明けた途端に新型コロナの感染が急速に拡大し、それに比例するように散策のキャンセルも増え続け、結局歴代最少となる9人で歩いてきました。さまざまな「福」をGETしたので、福の力でなんとかコロナに感染しないように…と願いながら。

福禄寿といえば三頭身だけどなァ~

なにとぞたくさんのご利益を

【散策後の懇親会】
誠に残念ながら、今回も新型コロナウイルス感染防止のため中止しました。

【参加者】
市川・大河原・大河原夫人・大島・栗原・小林・佐藤(俊)・滝沢・松村 (9名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村)

第49回散策の会のお知らせ

第49回散策の会は「港七福神めぐり」です。

1.日時・集合場所
令和4年1月8日(土) 13時30分
都営地下鉄大江戸線 麻布十番駅 7番出口の地上 集合

2.経路
麻布十番駅→十番稲荷神社(宝船)→大法寺(大黒天)→麻布氷川神社(毘沙門天)
→櫻田神社(寿老神)→天祖神社(福禄寿)→六本木駅(解散)

3.参考情報
(1)歩行数は約6千歩。

(2)トイレは行程中にはないので、事前にお済ませください。
(3)今回は懇親会を行いません。
(4)都営地下鉄は都のシルバーパスが使えます。

4.申し込み
1月7日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。

 t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスの保持をお願いいたします。

印刷はこちらから。

(以 上)

第48回散策の会報告

荻窪のレガシーをめぐる

令和3年11月13日(土)

憎っくき「新型コロナウイルス」。こ奴のせいで散策は自粛に追い込まれ、1年10か月がなすすべもなく打ち過ぎて行きました。この度催行の許可も得られ、ようやく皆さんの笑顔に接する機会が再来しました。そしてこの日、巣ごもりからの脱出を目指す17名が集まりました。

ところで、これまでに都内23区のうち22区をめぐり、未踏区の掉尾を飾ったのは意外にも近くの杉並区でした。そこで今回は杉並区が資金をかけ整備・活用したレガシーとしての庭園を中心に見ることにしました。

マスクをはずして懐かしい笑顔をご披露


☆明治天皇荻窪御小休所跡
(杉並区荻窪4-30-16)

荻窪駅からわずか3分の所にあります。明治天皇はどうやら外出(行幸)好きだったようで、あちこちにずいぶんと「聖蹟」や「お手植えの松」なんてのがありますが、ここもその一つです。明治16年4月、天皇が飯能で行われた近衛師団の演習の視察に向かわれた際、休憩で立ち寄られた名主の中田家の「離れ」があった場所です。天皇はその後も昭憲皇太后と小金井へ観桜にお出かけの時も利用されました。当時の長屋門や離れ(小休所)が移築・復元されて残っています。

『みなさんお久しぶりで~す 足は弱っていませんかぁ』


☆西郊ロッヂング(荻窪3-38-9)
銅板葺きの緑色のドーム屋根が帽子のように乗っかったベージュ色のレトロな建物です。昭和6年に本館が建てられ、13年に新館を増築し、当時はすべて洋間で賄い付きの高級下宿だったそうです。現在は本館が旅館営業で、宿泊料が7千円前後と格安なので受験生などに利用されているようです。新館は賃貸アパートになっています。ここは国の登録有形文化財です。

今年90歳の高級下宿屋


☆大田黒公園
(荻窪3-33-12)

門からは御影石を敷いた70mにも及ぶ道が奥へと導き、両側にはわずかに黄ばむ樹齢100年を超えるイチョウ並木が伸びています。ここは音楽評論家であり、NHKのラジオ番組『話の泉』のレギュラーメンバーだった大田黒元雄の自宅があった場所です。跡地の大部分を杉並区が整備し回遊式日本庭園としました。池には錦鯉が悠々と泳ぎ、広い芝生の周りにはアカマツ・ケヤキなどが大きくそびえ、斜めに差し込む陽の光が竹林に色を添えています。昭和8年に建てられた仕事場はいま記念館(登録有形文化財)となって残されていますが、当時としては珍しいベンガラ色の洋館造りで、中には愛用のピアノや蓄音機が展示されていました。荻窪駅から10分ほどの地にこんなに立派な庭園があるとは驚きです。

小春日和に包まれた公園への  アプローチ

水面に錦が

足の疲れを目から癒す

☆近衛文麿旧邸(荻窪2-43-36)
元首相近衛文麿の別邸の一部を杉並区が買い取り、「荻外荘(てきがいそう)公園」として整備しました。ここには空襲から免れた木造平屋建てと庭園が残っています。近衛の本邸は下落合にありましたが、昭和12年にここを購入してからはすっかり気に入って、本邸に帰ることはなかったそうです。したがって大東亜戦争中の重要会議はここで開かれました。「A級戦犯」に決定し、巣鴨拘置所に出頭する直前に服毒自殺(昭和20年12月16日 54歳)したのもこの場所です。ただ残念ながら内部の見学は許可されていませんでした。ここは国の史跡に指定されていますが、近年の修復と思われるアーバン色のアルミサッシやベランダはちょっと興が削がれます。旧邸の下の芝生広場は小さな子供たちの遊び場とママ友たちのおしゃべり場になっていました。

『近衛さんは3回総理になりました。大隈さんは2回』


☆角川庭園
(荻窪3-14-22)

俳人で角川書店の創立者である角川源義(げんよし)の自宅を杉並区が整備し「幻戯山房(げんぎさんぼう)~すぎなみ詩歌館~」として公開しています。内部には杉並区のさまざまな名所が写真で展示されていました。ここは昭和30年に建てられた近代数寄屋造りで、障子や雨戸などの建具がすべて壁に引き込まれて、部屋と庭が一体化されるよう工夫されています。モダン住宅の先駆けとしてここも国の登録有形文化財です。庭には松尾芭蕉にちなんだ“芭蕉”や荻窪の地名に由来する“荻”が植えられているほか、四季を通じてさまざまな花が楽しめます。

しばしKADOKAWAに浸る

庭には秋の草花も


☆善福寺川緑地(成田西4)
この辺は善福寺川が大きく蛇行していて、武蔵野の面影を残す樹木の下には大小さまざまな緑地が点在しています。善福寺川を渡り五日市街道に出て関東バスの五日市街道営業所前で解散。やがて来た吉祥寺駅行きのバスは運よくがら空きで、みなさん疲れた体をシートに沈めることができました。
なお、善福寺川は善福寺池を源として、地下鉄丸ノ内線の中野富士見町駅付近で神田川に合流する、杉並区内だけを流れる長さ約10kmの短い川です。

これまで『ステイホーム!』『外出自粛!』と叫ばれて忠実に従ってきましたが、気が付けばコロナ太りの体に変形し、そのうえすっかり足が萎えていて、私としては先達が務まるかどうか心配が先に立つ散策でした。

『え!なになに? なにがあるの?』 ⇒⇒ 鴨


【散策後の懇親会】
誠に残念ながら、今回は新型コロナウイルス感染防止のため中止しました。

【参加者】
荒木・市川(小林の友人)・大島・梶川・栗原・古林・小林(弘)・佐藤・篠原・篠原夫人・末次・瀧川・滝沢・野村・早川・松村・山本 (17名)

(文=佐藤(俊) 写真=荒木・松村)

第48回散策の会のお知らせ

第48回散策の会は「荻窪のレガシーをめぐる」です。

1.日時・集合場所
令和3年11月13日(土)、13時30分、JR荻窪駅 東改札前に集合

2.経路
荻窪駅→明治天皇荻窪御小休所跡→西郊ロッヂング→大田黒公園→近衛文麿旧邸→角川庭園→善福寺川緑地(解散)→バスで吉祥寺駅


3.参考情報
(1)歩行数は約8千歩

(2)トイレは公園・庭園にある

4.申し込み
11月11日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。

 t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977


なお、今回は以下の点にご留意ください。
・散策後の懇親会は行わない。
・当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスを保持すること。
・今後コロナの感染再拡大によっては世話役の判断で催行を中止することがある。

印刷はこちらから。

(以 上)

第48回散策の会 【中止】

新型コロナウイルスによる感染症(COVID-19)の拡大に伴い、小平稲門会会員の健康面を考慮し、感染リスクを避けるため、第48回散策の会の開催を中止することにいたしました。
ご了承くださいますよう、お願いいたします。

(2020年2月29日)

**********

第48回散策の会は「荻窪から善福寺川緑地へ」です。

1.日時・集合場所
令和2年3月21日(土)午後1時30分
JR荻窪駅 東改札前に集合

2.経 路
荻窪駅→明治天皇荻窪御小休所跡→西郊ロッヂング→大田黒公園→近衛文麿旧邸→角川庭園→善福寺川緑地(解散)
関東バスの近傍のバス停より「吉祥寺駅」行に乗車(220円)

3.参考情報
(1)歩行数は約8千歩
(2)トイレは太田黒公園・角川庭園にある
(3)解散後、希望者のみで懇親会(吉祥寺にて)を行う(会費4,000円程度)

4.申し込み
3月15日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977  または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、料理代2,800円を申し受けます。

(以 上)

第47回散策の会報告

西新井大師と伊興七福神を詣でる

令和2年1月11日(土)

令和最初の正月、三連休の初日、遠いこの地に集まったのは毎日が連休の方々20名でした。今回は散策の会の「未踏区解消ツアー」第2弾として足立区を選び、西新井大師の参拝と近くの「伊興七福神めぐり」を企画しました。ただ疲労を考慮して、やや離れた所にある「布袋」(法受寺)は割愛しました。それに外見だけの布袋さまなら参加者の中にも居ましたので。そんなわけで見学場所がほぼ直線上に並び、効率的なコースとなりました。思えば数を重ねて10回目の「七福神めぐり」になります。みなさん足腰が丈夫なのは、きっとこれまでの御利益でしょう。

今年は「雨女・雨男の散策の会」なんて言わせませんよ !!


☆西新井大師(足立区西新井1-15-1)
これまでに利用したことのない東武大師線の大師駅に集合しました。この駅は無人駅で、そのうえ自動改札機もありません。料金処理は1つ手前の西新井駅で行うという、都内では希有な仕組みです。小平からこの地を訪れるにはさまざまなルートがあり、そのいずれも3~4回の乗り換えが必要というかなり高難度の場所です。それでもここは東京で明治神宮(316万人)、浅草寺(283万人)についで第3位の54万人の初詣客が押し寄せる一大スポットなのです。ですから元日から10日も過ぎているのにまだ多くの参拝客を見かけました。

西新井大師はお正月の装い

山門をくぐった先の広大な寺域の中に、見る者を圧倒する大伽藍がそびえ建っています。まずは本堂で参拝。そのあと露店の脇を抜け「塩地蔵」に頭を下げます。その横には都内では珍しい栄螺堂(さざえどう)である「三匝堂(さんそうどう)」があります。

塩地蔵さんへ何のお願い ? えっ、もっと綺麗に ?

さらに空海がもたらしたという井戸が大本堂の西側にあり、これが地名の「西新井」の由来とされています。
この寺は空海がこの地を通った際、悪疫に苦しむ人たちのために十一面観音像を彫り、寺を建立したのが始まりといわれています。「五智山遍照院總持寺」というのが正式な名です。川崎大師や観福寺大師堂(千葉県香取市)とともに「関東三大厄除け大師」の一つです。

☆恵比須 源正寺(伊興2-2-35)

西新井大師から25分。ここの恵比須さまは両手に釣り竿を持ち大笑いしていました。両手がふさがっているので鯛は足下に置いてあります。いや、もしかしたら釣り上げた瞬間なのかも知れません。

☆福禄寿・寿老人 福寿院(伊興2-18-18)
両像とも黒光りする立派な銅像です。脇には番外でもう一体大きな福禄寿の木像もありました。源正寺から10分ほど歩いたところで、併設の幼稚園の園庭を横切って入ります。

「君、少し目立ちすぎだよ !」(by主役の福禄寿&寿老人)


大黒天・毘沙門天・弁財天 実相院(伊興4-15-11)
ここは福寿院のすぐ向かいにありました。大黒天は全身黒ずくめで、目と口の中だけが白い、ちょっと不気味な感じです。毘沙門天はカラフルな立像で、邪鬼を踏んづけています…と書きましたが、この二天は展示期間が過ぎたとかで、残念ながら目にすることはできませんでした。疲れた足を引きずってここまで来たのに、私の最新情報の取得漏れで空振りをさせてしまいました。
またこのショックで、屋外にあったはずの「水かけ弁財天」の案内を失念してしまいました。重なる不手際をお詫びいたします。この弁財天は身の丈50cmほどの銅製で、大阪・法善寺の「水掛不動」のように柄杓が添えられています。そもそも弁財天は古代インドの河の神です。だから不忍池や井の頭池、銭洗い弁天や江ノ島と水に縁のある所に安置されています。でもここのように水を掛けるのは珍しいのではないでしょうか。
ところで、このお寺の本尊は聖観音菩薩像で、古くから「子育て観音」として地元の信仰を集めてきました。ただ12年に1度の開帳ですので、これも拝顔は叶いませんでした。ここは天平年間に行基により開山されたと伝えられる古い寺院で、「前九年の役」「後三年の役」(11世紀)で源頼義・義家父子が戦勝祈願をして寺領を寄進したといわれています。

佐藤散策会長の指の先、信徒会館には・・・(>_<)


☆舎人(とねり)公園(舎人公園1)
実相院から西にまっすぐ20分、小金井公園(80 ha)より少し狭いけど広大な公園(63 ha)が拡がっています。周囲に高い建物がないため、新年の空が一段と広く感じられました。公園は道路で東西に分けられていて、東側は大池や親水公園など自然と親しむスペース、西側は陸上競技場などスポーツ施設が占めています。今回は立ち枯れの草が浮かび、水鳥が泳ぐ大池の周りを少し歩いたあと、公園のど真ん中にある日暮里・舎人ライナー(自動運転)の「舎人公園駅」でひとまず解散しました。

黄昏どきの公園の片隅で・・・ほっと一息

「日暮里・舎人ライナー」の運転席から。あれっ? 線路がない!


【散策後の懇親会】
約8千歩を歩き終えた一同は西日暮里で山手線に乗換え、高田馬場に着きました。今回の会場は松村世話役がリサーチした「築地食堂源ちゃん高田馬場店」です。昨年暮れは若者達の間で「忘年会スルー」がトレンドになりつつあったようです。つまり飲み会が嫌われ始めたのです。でもここの元若者達はトレンドに関係なし。エビ・カニ・カキなどの入った「焼きアゴ塩だしの寄せ鍋」が好評でした。この日新装の国立競技場で行われたラグビー大学選手権決勝の早明戦で、下馬評を覆しワセダが勝利し、大学日本一になりました。このことも酒量を押し上げる要因となりました。
さて、「福」はたくさんGETして来ました。しかもこれだけ飲み食いできれば「無病息災」間違いなし・・・のはずです。今年も元気よく歩きましょう!

【参加者】

荒木・伊藤(徹)大河原・大河原夫人・大野・小川・國友・栗原・古林・小林(弘)・佐藤(俊)・末次・鈴木(昭)・滝沢・土井・中村・野村・福田夫人・松村・山本(20名)                                  

                        (文=佐藤(俊)、写真=荒木)

第47回散策の会のお知らせ

第47回散策の会は「西新井大師と伊興七福神を詣でる」です。

1.日時・集合場所
令和2年1月11日(土)、午後1時30分、東武大師線・大師前駅改札前に集合

2.経路
大師前駅→西新井大師→源正寺→福寿院→実相院→舎人公園→日暮里・舎人ライナー 舎人公園駅(解散)

3.参考情報
(1)交通は、高田馬場(東京メトロ東西線)→茅場町で日比谷線に乗換→西新井で東武大師線に乗換→大師駅(下車)【一例】

(2)歩行数は約8千歩
(3)帰路の日暮里・舎人ライナーは都のシルバーパスが使える
(4)解散後、希望者のみで懇親会(高田馬場にて)を行う(会費4,000円程度)

4.申し込み
1月5日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。

090-9149-8977  または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)



 

第46回散策の会報告

旧江戸川べりを歩く

令和元年11月16日(土)

ひとりひとりの秋、でもその秋を共有する機会がまた参りました。今回は江戸川区です。江戸川区といえば小平から見て東京都での対極の地に存在するというイメージがあります。それもそのはず、これまでの散策の中で、直線距離では小平から最も遠く(約40㎞)へ行くことになります。それに23区の内で、当会としてこれまで足を踏み入れていない空白区の一つです。そこで1度行ってみようかなという漠とした思いから企画してみました。なお、未踏区にはまだ足立区と杉並区が残っています。次回と次々回にはそこを訪れようと考えています。

先日、テレビで「人間には走れる時期と、歩ける時期と、歩けない時期がある」と言った人がいました。その時は事業経営について述べたのですが、私は文字どおりの意味で捉えました。我々には「走れる時期」はもはや過去のもの、いま与えられている「歩ける時期」を大いに利用したいものだと。そこで今回は原点に戻り愚直に歩くことに専念しました。小春日和の穏やかな午後、18人もの方々に参加していただきましたが、このコースはこれといった目玉もなく、魅力の乏しさは否めませんでした(策定した私の責任ですが)。ただ強がりをいえば、コースの大半が川辺だったことは「川」がない小平市民の目には救いでした。

秋空の下、川風に吹かれての川べりの散策は一番奥の地点まで・・・


☆古川親水公園(江戸川6丁目)
「古川」はもとの名を「舟堀川」と呼ばれていましたが、行徳産の塩を運ぶなど江戸へ向かう船便が増えたため、近くに新しい運河「新川」が掘削されました。そこでここは「古川」と名を変え、どぶ川となってしまいましたが、昭和49年に全長1,200 mもの日本初の親水公園に生まれ変わりました。

川幅2~3 mほどの小川で、子供が水遊びできるように底にきれいな石畳が敷かれた浅い流れの箇所、クスノキ・モチ・タモなどの木々やベンチが配置され憩いの場など、さまざまな配慮がなされています。都営地下鉄一之江駅から25分も歩いてたどり着きました。

水遊びも楽しい親水公園

まずは全行程の案内地図を見る

☆宇田川家長屋門(江戸川5-4)
江戸時代後期の茅葺き平屋の建物で、村役人の屋敷だった所です。両脇の武者窓と土台石から直接立っている柱が特徴です。手前には自然石に「行徳道」と刻まれた道標がありました。

江戸後期の役人の家の特徴をきく

両脇に武者窓のある長屋門の前で

☆熊野神社(江戸川5-7-6)
ここは江戸中期の創建で、芭蕉の「茶水くむ おくまんだしや 松の花」の句碑があります。「おくまん」とは熊野神社、「だし」とは堤防を守るため杭を並べることです。ここは川が大きく湾曲して流れが速く、たくさんの杭が打たれてあり、深い瀬となっていました。そのため水がきれいで美味しく、将軍家の茶の湯にも使われたそうです。イザナギノミコトを祀るので、舟人たちは航行してこの前を通る時、帆を下げて安全を祈ったといいます。

芭蕉の句碑(左下は「芭蕉」の名を拡大)

こじんまりとした熊野神社

☆旧江戸川べり(江戸川区・千葉県市川市)
熊野神社から瑞穂大橋と今井大橋を渡り、25分ほど歩くと市川市側の旧江戸川の土手に着きます。土手の上の遊歩道に上がり、さほど変化のない一本道を上流に向かって歩を進めていきます。目の下には秋晴れの空を映した薄茶色の水が、それと分からぬほどのスピードで流れています。杭の上には海鵜が羽根を休めています。川岸近くはウォーターフロントマンションが並び、またプレジャーボートがあちこちに数多く係留されていました。ここは淡水と海水が混じった汽水域が大部分を占め、シーバス(スズキ)やチヌ(クロダイ)が釣れるからです。

「瑞穂大橋」からの風景。 望遠で見ると夥しい数のプレジャーボートが・・・

まだ余裕の笑顔? 煙突の先まで歩くとは知らずに


旧江戸川は東京都と千葉県の境界を流れるかつての江戸川本流で、今は市川市の江戸川水閘門で江戸川から分岐し、東京ディズニーリゾートと葛西臨海公園の間で東京湾に注いでいます。大正8年に「江戸川放水路」が掘削され、さらに昭和18年に「江戸川水閘門」が建設された時にここは「江戸川」から「旧江戸川」と名称が変わります。さらに昭和35年には「江戸川放水路」が「江戸川」に呼称変更というややこしい経緯があります。

江戸時代には水運の動脈として、野田の醤油や行徳の塩、成田山への参拝客などを運ぶ船便の往来が盛んだったそうです。歩を進めるうちに地下鉄行徳駅に近づき、土手から降りました。

【散策後の懇親会】
東西線で17もの駅を過ぎ、ホームタウン高田馬場駅に到着。ここまで来るとやはりホッと一息、異国から帰国したという気持ちです。思えば今日は“流れ”づくしでした。最後はビールがのどに流れ落ちることを願い「土間土間 高田馬場店」の扉を開けます。「すきやき鍋」を突っつけば“笑わぬ男”などいろうはずもなく、“ワンチーム”で盛り上がりました。

帰り際、隣の席に10数人の学生グループが入って来ました。彼等がワセダの後輩と分かるや、我等の酔人が突然「紺碧の空」を大声で歌い始めます。やはり我々は生涯ワセダを卒業できないようですね。

【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・大河原・大河原夫人・大野・小川・梶川・國友・栗原・佐藤(俊)・佐野川(國友の友人)・滝沢・竹内・千葉・土井・松村・山本(18名)

(文=佐藤(俊)、写真=荒木)

第46回散策の会のお知らせ

散策の会の第46回例会は、「旧江戸川べりを歩く」です。

1.日時・集合場所

令和元年11月16日(土)午後1時30分
都営地下鉄新宿線・一之江駅 A2出口の地上に集合

2.経 路
一之江駅→古川親水公園→宇田川家長屋門→熊野神社→旧江戸川べり→東京メトロ東西線・行徳駅(解散)

3.参考情報
(1)歩行数は約1万歩
(2)都営地下鉄は都のシルバーパスが使える
(3)解散後、希望者で懇親会を行う(会費 4,000円程度)

4.申し込み
11月10日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977  または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)