第63回散策の会報告
羽村堰周辺をめぐる

2025年4月8日(火)

昨年2度にわたる荒天中止に見舞われ、今年こそリベンジと意気込み、雨乞いが天に通じたか、文句のつけようのない晴天に恵まれました。今年は最近になく多い13名の参加者が羽村駅に集合しました。

今回も多彩なメンバーが揃いました


まずは、瀧川世話役の説明を受け、足取りも軽やかにいざ羽村堰方面に出発。

瀧川世話役の説明に熱心に耳を傾けるメンバーたち


多摩川の土手に到着すると、桜まつりは終わっていましたが、今年はまだ桜が満開。
満開の桜を眺めつつ、小平稲門会の小金井公園での花見の中止のうっぷんを晴らすことができました。花見で一杯というところですが、ここは「我慢我慢」。

春のうららの多摩川で


根がらみ前水田(羽村市羽加美4)
桜満開の多摩川沿いを上流に5分ほど歩くと、市内唯一の水田「根がらみ前水田」があり、そこには稲作の裏作として、約35万球のチューリップ球根が植栽されています。4月5日から15日までチューリップまつりが開催されており、訪れた8日は、地元の人によるとまだ5分咲き(見た目は2分咲き?)でしたが、「ならんだ あかしろきいろ」はチューリップの歌にふさわしい光景でした。

ここのチューリップは「チューリップオーナー制度」をとっており、企業、団体、個人がオーナーとなっています。そこに「羽村稲門会」の名前があり、早速我らが大島会長も個人オーナーになられました。

5分咲きのチューリップ畑を散策


玉川水神社(羽村市羽東3-8)
玉川上水羽村取水堰の真横に位置し、玉川上水が承応3年(1654年)徳川幕府により完成された際、水神宮としてこの地に建立されました。境内の隣には玉川上水羽村陣屋という玉川入水を管理していた役所の跡があります。

玉川水神社


羽村取水堰(左岸:羽村市羽東3丁目678
地先)
        (右岸:羽村市羽字玉川附741地先)
羽村市にある多摩川の堰。玉川上水の取水口(水源)で東京都水道局が管理しています。「固定堰」と「仮設堰」(投渡堰、なげわたしぜきと呼ばれる)を組み合わせて構成され、世界でもここだけとされます。玉川上水が流れる小平市民としては一度は訪れたいところですね。

投渡堰

玉川上水はここから流れ出します


羽村堰下公園(羽村市羽700) 
多摩川畔にあり、玉川上水を開削した玉川庄右衛門、清右衛門兄弟の像が建っています。公園は眺望に恵まれ、右手に上水の取水口が左前方に「筏場」の名残が眺められます。

玉川兄弟の像


羽村市郷土博物館(羽村74141)
常設展示の基本テーマは「多摩川とともに」。羽村と玉川上水の歴史、堰の仕組みが詳しく紹介されているほか、羽村出身の作家中里介山とその未完の大著「大菩薩峠」の資料が豊富。
江戸末期の一般的な農家の様子を今に伝える旧下田家住宅が屋外展示されており、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
入場無料。

旧下田家住宅


禅林寺(羽村市羽東3-16-23)
臨済宗建長寺派寺院で当地の島田氏の先祖の島田九郎衛門が開祖になり、春覚禅師を開山に迎えて文禄2年(1593年)に創建。作家中里介山の菩提寺と言われ、近くに介山のお墓があります。

中里介山の墓


中里介山のお墓を後に、羽村駅へと向かいました。ここまですでに1万歩越え。
今回の散策案内には7千歩と書いてあったことから、「詐欺だ、もう歩けない」と一部若手(?)からブーイングが出る始末。日頃の運動不足が露呈した模様。
その後、拝島駅にて解散。「花より団子よりお酒」の有志10名にて「庄や拝島店」にて懇親会を実施。日本酒に舌鼓を打ちすぎたメンバーはさらにカラオケに繰り出したのでありました。

【参加者】(五十音順、敬称略)
大河原(忠)、大河原(眞)、大島、梶川、河崎(健)、河崎(和)、栗原、佐藤、瀧川、竹内、広山、松村、山田(13名)

(文=松村、写真=佐藤、松村)

第63回散策の会
「羽村堰の周辺をめぐる」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和7年4月8日(火)13時30分
JR青梅線 羽村駅改札口付近に集合

2.経路
羽村駅→根がらみ前水田→玉川水神社・羽村陣屋跡→羽村取水堰→羽村堰下公園→羽村市郷土博物館・旧下田家住宅→禅林寺・中里介山の墓→羽村駅

3.参考j情報
(1) 歩行距離約7千歩。所々アップ・ダウンがあります。
(2)トイレは羽村市郷土博物館、羽村堰下公園にあります。
(3)当日は根がらみ前水田にてチューリップ祭りを開催期間中。
(4)希望者のみで散策後に懇親会を実施します。
(5)昨年中止となった為、再開催となります。

参加の申し込みは4月6日(日)までに松村純夫までお願いします。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

電話: 090-6482-5288

(以 上)

第62回散策の会報告
隅田川七福神めぐり

                             令和7年1月7日(火)

江戸時代の文化・文政期は町人文化が最も花開いた時代です。その文化元年(1804)に江戸・日本橋の骨董商の佐原鞠塢(きくう)が向島に別邸として「百花園」を造園しました。当時、大名庭園は多くありましたが、町人の作る大規模な庭園はたいへん珍しいものでした。ここには名だたる文人墨客が集まり歓談していました。ある時その席で、正月の楽しみに七福神めぐりのコースを作ってみようかという話が持ち上がりました。
早速近郊の神社仏閣を調べ、なんとか七福神の像を揃えて出来上がったのがこの「隅田川七福神めぐり」でした。その後途絶えてしまいましたが、明治32年に再開されました。

長命寺で長寿を祈る衆生たち(画像をクリックすると拡大されます)



福禄寿 百花園(墨田区東向島3-18-3)(65歳以上70円)
福禄寿堂に祀られてある像は佐原鞠塢の愛藏品で、二頭身の福々しいお顔です。
この庭園は「四季百花の乱れ咲く園」という意味で命名されましたが、今は冬、彩りの乏しい寂しさに支配されていました。国指定の名勝・史跡で都立庭園です。
なお、ここには平成29年の「向島百花園界隈めぐり」で訪れて秋の七草を愛でた所です。

なんともヘン顔

都内では珍しい雪吊り


寿老神 白髭神社(東向島3-5-2)
実は前述の相談の中で、近くに寿老人を祀ってある所が見つからなかったのです。そこで『白髭と名乗るからには御神体の白髭大明神は老人なんだろう…』という単純な発想でここを寿老人に設定したのです。さらに神社なので寿老人を寿老神に変えてしまいました。ですからここには「白髭大神」と刻まれた石碑があるだけで、像はありません。
このあと隅田川テラスへ降り、川の流れに沿いゆったりと長命寺へと10分ほど歩きます。

前・現稲門会長は何を祈る?

 

弁財天 長命寺(向島5-4-4)天台宗
ここの弁財天は琵琶湖・竹生島の弁財天の分身で、琵琶でなく武器を持っています。
寺号の由来は、三代将軍家光が鷹狩の折に急に腹痛を起こしたが、ここで休息し境内にあった井戸の水で薬を服用したら痛みが収まった。喜んだ家光は水を「長命水」と名付けた…ということらしいです。弁財天の本来はインド神話の水の神です。長命水という水との結び付けで祀られたのではないでしょうか。
門前にある江戸名物「長命寺桜もち」の店では、桜もち1つとお茶(500円)でしばしの休憩をとりました。また何人かの方が家へのお土産を購入されたようです。

愛くるしい顔で武器を持つ

散策史上初のティータイム


布袋 弘福寺(向島5-3-2)黄檗宗
布袋さまは金色に光り、こちらにふくよかなお腹とこぼれんばかりの笑顔を向けています。このお寺は「咳の爺婆尊」が有名で、風邪やインフルエンザ予防の御利益があるそうです。ここは平成24年に「向島界隈の社寺を巡る」で来訪しています。

メタボの人にはどんな功徳があるのかな?

黄檗宗は屋根のフォルムが実に美しい


恵比寿・大黒天 三囲(みめぐり)神社(向島2-5-17)
2神の木像は、古くは越後屋(三越)に祀られていたもので、店の大黒柱だった木を利用して彫られたもののようです。境内にある末社に祀られていましたが、中が真っ暗でお姿は見えませんでした。三囲が三井に通ずることから豪商三井が守護神として崇め、三越池袋店の入口にあったライオン像や三井邸にあった石造り三柱鳥居など変わったものもあります。
「三囲」という名前の由来は、改築の際出土した壺から白狐にまたがった神像が現れ、どこからともなく現れた白狐が神像の周りを3べん回って死んだ…というところから付けられたそうです。ここも平成24年の「向島界隈の社寺を巡る」で訪れました。

三越池袋店にあったライオン像

3本足の鳥居


前日からの久しぶりの雨も当日の午前には上がり、気温13度と温かさに恵まれた14回目の七福神めぐりでした。毘沙門天が祀られている多聞寺は少し離れている場所にあるため、今回は割愛しましたが、それでも東向島駅から押上駅(とうきょうスカイツリー駅)までの歩数は約9,600歩。多いわりには疲れの少なかったのも6福神たちのご加護でしょうか?

【散策後の懇親会】
いつもの「よっちゃん酒場」にて8名で行いました。“痛風”や“トランプ”…(後は酔いで忘れた)など話題は右往左往し、1時間半の2,500円でお開き。

【参加者】(五十音順、敬称略)
荒井・大河原(忠)・大河原(眞)・大島・瀧川・栗原・佐藤・竹内・広山・
福田(静)・山田(11名)

(文=佐藤、写真=佐藤・荒井)

第62回散策の会
隅田川七福神めぐり

1.日時・集合場所
令和7年1月7日(火)13時30分
東武スカイツリー線東向島駅改札口前 集合

2.経路
東向島駅→百花園(福禄寿)→白髭神社(寿老神)→
長命寺(弁財天)→弘福寺(布袋)→三囲神社(恵比寿、大黒天)→とうきょうスカイツリー駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約七千歩。
(2)解散後、希望者のみで懇親会を行う。
(3)少雨決行の予定です

4.申込み先
1月5日(日)までに、松村純夫までお申し込みください。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

*尚、11月2日(土)に開催予定でした「旧日光街道を歩く」は荒天のため中止になりました。改めて来年に延期開催させていただきます。

(以 上)

第62回散策の会
「旧日光街道を歩く」のお知らせ
➡中止となりました

1.日時・集合場所
令和6年11月2日(土)13時30分
JR北千住駅北改札口前 集合

2.経路
JR北千住駅→横山家住宅→安養院→勝専寺→足立市場→
奥の細道矢立初めの地→石洞美術館→京成千住大橋駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約7千歩。
(2)解散後、希望者のみで懇親会を行う。
(3)少雨決行の予定です。

4.申込み先
10月31日(木)までに、松村純夫までお申し込みください。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
電話:090-6482-5288
(以 上)

第61回散策の会報告
夢の島をぶらぶらと

2024年9月27日(金)

またもや雨(大雨?)の天気予報もあり、欠席される方もある中、雨何するものぞ!と集まった精鋭7名が新木場駅に集合しました。願力が通じたのか雨は小雨となり、夢の島の散策が始まりました。夢の島は、1938年に飛行場建設のため埋め立てが始まりましたが工事は中止となり、戦後の高度成長期のゴミの急増に対応するためゴミの最終処分場となりました。その後、悪臭やハエの大量発生など公害問題が世間をにぎわせましたが1967年にゴミの埋め立てが終了し、1978年には「東京都立夢の島公園」が開園し、現在に至っています。

まずは駅頭で瀧川世話役よりガイダンスを

☆第五福竜丸展示館
1954年に太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被爆した木造マグロ漁船「第五福竜丸」および付属品や関係資料を展示しています。被爆した第五福竜丸は乗務員23人全員が被爆し、当時日本でも大きなニュースとなり、反核運動が広がりました。第五福竜丸は除染後東京水産大学の練習船となりましたが、その後廃船となり、この近くの放置されていたものを東京都が買い取り1976年に展示館となりました。メンバーはそれぞれ熱心に見学し、いまさらながらに核の恐ろしさを実感しました。

被爆してからちょうど70年

ちょっぴり反核気分になって次に

☆東京夢の島マリーナ
1992年に設置され、係留能力は専用バースで660艘を誇る都内最大級のマリーナ。クルーズやフィッシングなどのアクティビティはもちろんレストランやドックラン、バーベキュー広場も併設する複合マリンレジャー施設となっています。ここをおとずれた頃は雨も止み、豪華なクルーザーが並ぶ景色をゆっくり楽しむことができました。

豪華クルーザーの持ち主はどんなセレブ?

少人数は又違う旅の味が


雨も止んでいざ熱帯植物園へ


☆夢の島熱帯植物館

1988年に開設され、約1,000種の熱帯植物を主に展示する植物園。隣接する新江東清掃工場の余熱を利用しており、中心施設は大温室で、ドームを3つ重ねたような特徴的な外観になっていました。庭園に展示されていた本物の巨大なかぼちゃが誠に印象的でした。

滝の裏にも入れます

日本のハロウィンはひと月も早く始まっていた


大雨予想は見事に外れ、大部分を傘無しで歩くことができました。雨予報のため、どの施設も人はまばらで、皆さんの熱心さからか、想定を上回る約6,000歩の快適な散策でした。

新木場駅で解散後は小平に戻り、おなじみの「よっちゃん酒場」で5名が参加し、懇親会を行いました。夢の島や当日の自民党総裁選挙の話題などを酒の肴に、楽しい酒宴となりました。

【参加者】(五十音順、敬称略)
大河原、栗原、佐藤、鈴木(昭)、瀧川、福田、松村(7名)

                         (文=松村、写真=佐藤、松村)

第61回散策の会
「夢の島をぶらぶらと」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和6年9月27日(金) 13時30分
東京メトロ有楽町線 新木場駅 改札口 集合

2.経路
新木場駅→第五福竜丸展示館→東京夢の島マリーナ→夢の島熱帯植物館→新木場駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約6千歩。

(2)トイレは、第五福竜丸展示館、夢の島熱帯植物館にある。
(3)解散後、希望者にて懇親会を行う予定。

4.豆知識
(1)第五福竜丸展示館(江東区夢の島2-1-1)

昭和29年、マーシャル諸島のビキニ環礁においてアメリカの水爆実験に遭遇し、被爆した漁船や関係資料を展示している。
・入館無料。
(2)東京夢の島マリーナ(夢の島3-2-1)

660隻ものクルーザーやヨットが係留可能なマリーナである。
(3)夢の島熱帯植物館(夢の島2-1-2)

大温室や食虫植物温室などがあり、熱帯雨林の植物がひしめき合っている。
・入館料250円
 *65歳以上120円(年齢確認できるものを持参)

参加申し込みは9月25日(水)までに松村純夫までお願いします。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
電話: 090-6482-5288
(以 上)

第60回散策の会報告
本所北斎通りを往く

令和6年5月27日(月)

佐藤前会長(現名誉顧問)から引き継いだ瀧川・松村コンビですが、予定していた3月の羽村堰散策が荒天のため、2度にわたる中止を余儀なくされました。心配された佐藤さんにお清めをしていただいた効果があったのか、今回も雨予想ながら、集合時には何とか曇り空。スタート地点の錦糸町駅近辺は昔からは想像できない程商業ビルが林立し、「プチ田舎」小平から来た面々には、まさに大都会でした。ここからスカイツリーを横に眺めながら、北斎ロードと呼ばれる道沿いに両国を目指しました。


大横川親水公園(墨田区石原4)
幅30~40m、長さ約1.8㎞の公園で、せせらぎや滝、釣り堀、水遊び場など5つのブロックで構成されています。昭和56年に上流から着工され平成9年に完成しました。
明暦の大火(1657)のあと、幕府が再開発の一環として低湿地の水抜きのため、このあたりにいくつかの掘割を掘削しましたが、この川もその1つです。平日のせいか、人影も少なく、子ガモに癒されながら、瀧川さんの初解説もゆっくり聞けました。

河竹黙阿弥終焉の地(亀沢2-11-11)
五世鶴屋南北に入門し歌舞伎脚本作家としてデビュー、その後「三人吉三」「髪結新三」など350件あまりの作品を書き上げました。明治14年に「黙阿弥」と名乗って隠居生活に入り、明治26年に当地に越してきて、同年77歳で没しました。早大教授だった河竹繁俊は黙阿弥の孫です。

ここが終焉の地!?


三遊亭円朝旧居跡(亀沢3-20)
落語中興の祖といわれ、人情噺の「芝浜」「文七元結」、怪談噺の「牡丹燈籠」「真景累ケ淵」など数々の名作の作者です。明治9年~明治20年の12年間をこの地で過ごし、新宿で62歳の生涯を閉じました。公園内に碑がありますが、隣にマンションのごみ集積場があり、ちょっと興ざめでした。

右下が解説板


野見宿彌神社(亀沢2-8-10)
明治18年に近くにあった高砂部屋の尽力で、相撲の神様といわれる野見宿彌をお祀りしました。昭和27年に日本相撲協会により歴代横綱の碑が建てられました。

赤は存命の横綱


江川太郎左衛門邸跡(亀沢1-3)
彼の家は伊豆・韮山の代官職で、代々江川太郎左衛門を名乗っていました。その中でも有名なのが江川英龍で、一般的に「江川太郎左衛門」といえばこの人を指します。幕末期に鋼製大砲鋳造用の反射炉を造ったり、品川沖にお台場(海上砲台)の造成もしました。
また、日本で初めてパンを焼いたのも彼だそうです。

葛飾北斎生誕の地(亀沢1-4)
江戸後期の浮世絵師。宝暦10(1760)年に生まれ、狩野・琳派・土佐絵・洋風画などの諸派を学びます。「北斎漫画」「富嶽三十六景」などの作品は海外にも知られ、「ジャポニズム」現象を引き起こしました。90年の生涯のうち93回の転居を重ねた引越し魔。作品は3万点を超えます。旅を好み信州・小布施には85歳の老体で訪れています。

旧安田庭園(横網1-12-1) 入場無料
元禄年間に造られた潮入式回遊庭園。園主は安田善次郎を最後に東京市に寄付され、現在は区立公園に。もとは足利藩主(後に丹後宮津藩主)本庄氏の下屋敷として造営されました。時節柄か来場者はほぼインバウンドでした。2011年の散策の会でも訪れています。

静かさの中に江戸文化に浸る


回向院(両国2-8-10)
明暦3(1657)年振袖火事による身元不明者を合葬、供養するため建立。江戸後期からは興行相撲の場所となり、旧国技館のできる明治42年まで続きました。また、境内には鼠小僧治郎吉の墓があり、長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んだったとの事。現在は墓石の前にお前立ちがあり、それを削るようになっています。やはり、2011年の散策の会で訪れています。

ダミーのご利益は?


隅田川テラス
隅田川の両岸に32㎞にわたり整備された散策路で、散歩・ジョギング・釣りなどが楽しめます。両国テラスの防潮堤には「隅田川テラスギャラリー」として、江戸から昭和の錦絵や大相撲の決まり手が展示されています。

集いし多彩なメンバー


新コンビの第1回の船出は、心配された雨も終わり頃にぱらついた程度にとどまり、
大相撲も終わり静けさを取り戻した両国まで、8,000歩強の散策を、無事終えることができました。

【散策後の懇親会】
両国駅で解散後は新宿に移動し、最近ではおなじみになった「三平」で7名が参加し、懇親会を行いました。ハッピーアワーの生ビールやハイボールに存分に喉を潤し、解散となりました。

【参加者】(五十音順、敬称略)
荒井、伊藤、梶川、梶川(公)、河崎、佐藤、瀧川、松村、山本(9名)

                         (文=松村、写真=佐藤、松村)

第60回散策の会
「本所北斎通りを往く」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和6年5月27日(月) 13時30分
JR総武線 錦糸町駅 北口改札前 集合

2.経路
錦糸町駅→大横川親水公園→河竹黙阿弥終焉の地→三遊亭圓朝旧居跡→野見宿禰神社→江川太郎左衛門邸跡→葛飾北斎生誕の地→旧安田庭園→隅田川テラス→回向院→両国駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約8千歩。ほぼ平坦。

(2)トイレは、旧安田庭園にあります。
(3)解散後、希望者のみで懇親会を実施予定。
(4)少雨決行の予定ですが、荒天等により中止する場合は事前に連絡させていただきます。


参加申し込みは5月25日(土)までに松村純夫までお願いいたします。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
電話: 090-6482-5288
(以 上)