第62回散策の会
隅田川七福神巡り

1.日時・集合場所
令和7年1月7日(火)13時30分
東武スカイツリー線東向島駅改札口前 集合

2.経路
東向島駅→百花園(福禄寿)→白髭神社(寿老神)→
長命寺(弁財天)→弘福寺(布袋)→三囲神社(恵比寿、大黒天)→とうきょうスカイツリー駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約七千歩。
(2)解散後、希望者のみで懇親会を行う。
(3)少雨決行の予定です

4.申込み先
1月5日(日)までに、松村純夫までお申し込みください。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

*尚、11月2日(土)に開催予定でした「旧日光街道を歩く」は荒天のため中止になりました。改めて来年に延期開催させていただきます。

(以 上)

第62回散策の会
「旧日光街道を歩く」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和6年11月2日(土)13時30分
JR北千住駅北改札口前 集合

2.経路
JR北千住駅→横山家住宅→安養院→勝専寺→足立市場→
奥の細道矢立初めの地→石洞美術館→京成千住大橋駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約7千歩。
(2)解散後、希望者のみで懇親会を行う。
(3)少雨決行の予定です。

4.申込み先
10月31日(木)までに、松村純夫までお申し込みください。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
電話:090-6482-5288
(以 上)

第61回散策の会報告
夢の島をぶらぶらと

2024年9月27日(金)

またもや雨(大雨?)の天気予報もあり、欠席される方もある中、雨何するものぞ!と集まった精鋭7名が新木場駅に集合しました。願力が通じたのか雨は小雨となり、夢の島の散策が始まりました。夢の島は、1938年に飛行場建設のため埋め立てが始まりましたが工事は中止となり、戦後の高度成長期のゴミの急増に対応するためゴミの最終処分場となりました。その後、悪臭やハエの大量発生など公害問題が世間をにぎわせましたが1967年にゴミの埋め立てが終了し、1978年には「東京都立夢の島公園」が開園し、現在に至っています。

まずは駅頭で瀧川世話役よりガイダンスを

☆第五福竜丸展示館
1954年に太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被爆した木造マグロ漁船「第五福竜丸」および付属品や関係資料を展示しています。被爆した第五福竜丸は乗務員23人全員が被爆し、当時日本でも大きなニュースとなり、反核運動が広がりました。第五福竜丸は除染後東京水産大学の練習船となりましたが、その後廃船となり、この近くの放置されていたものを東京都が買い取り1976年に展示館となりました。メンバーはそれぞれ熱心に見学し、いまさらながらに核の恐ろしさを実感しました。

被爆してからちょうど70年

ちょっぴり反核気分になって次に

☆東京夢の島マリーナ
1992年に設置され、係留能力は専用バースで660艘を誇る都内最大級のマリーナ。クルーズやフィッシングなどのアクティビティはもちろんレストランやドックラン、バーベキュー広場も併設する複合マリンレジャー施設となっています。ここをおとずれた頃は雨も止み、豪華なクルーザーが並ぶ景色をゆっくり楽しむことができました。

豪華クルーザーの持ち主はどんなセレブ?

少人数は又違う旅の味が


雨も止んでいざ熱帯植物園へ


☆夢の島熱帯植物館

1988年に開設され、約1,000種の熱帯植物を主に展示する植物園。隣接する新江東清掃工場の余熱を利用しており、中心施設は大温室で、ドームを3つ重ねたような特徴的な外観になっていました。庭園に展示されていた本物の巨大なかぼちゃが誠に印象的でした。

滝の裏にも入れます

日本のハロウィンはひと月も早く始まっていた


大雨予想は見事に外れ、大部分を傘無しで歩くことができました。雨予報のため、どの施設も人はまばらで、皆さんの熱心さからか、想定を上回る約6,000歩の快適な散策でした。

新木場駅で解散後は小平に戻り、おなじみの「よっちゃん酒場」で5名が参加し、懇親会を行いました。夢の島や当日の自民党総裁選挙の話題などを酒の肴に、楽しい酒宴となりました。

【参加者】(五十音順、敬称略)
大河原、栗原、佐藤、鈴木(昭)、瀧川、福田、松村(7名)

                         (文=松村、写真=佐藤、松村)

第61回散策の会
「夢の島をぶらぶらと」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和6年9月27日(金) 13時30分
東京メトロ有楽町線 新木場駅 改札口 集合

2.経路
新木場駅→第五福竜丸展示館→東京夢の島マリーナ→夢の島熱帯植物館→新木場駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約6千歩。

(2)トイレは、第五福竜丸展示館、夢の島熱帯植物館にある。
(3)解散後、希望者にて懇親会を行う予定。

4.豆知識
(1)第五福竜丸展示館(江東区夢の島2-1-1)

昭和29年、マーシャル諸島のビキニ環礁においてアメリカの水爆実験に遭遇し、被爆した漁船や関係資料を展示している。
・入館無料。
(2)東京夢の島マリーナ(夢の島3-2-1)

660隻ものクルーザーやヨットが係留可能なマリーナである。
(3)夢の島熱帯植物館(夢の島2-1-2)

大温室や食虫植物温室などがあり、熱帯雨林の植物がひしめき合っている。
・入館料250円
 *65歳以上120円(年齢確認できるものを持参)

参加申し込みは9月25日(水)までに松村純夫までお願いします。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
電話: 090-6482-5288
(以 上)

第60回散策の会報告
本所北斎通りを往く

令和6年5月27日(月)

佐藤前会長(現名誉顧問)から引き継いだ瀧川・松村コンビですが、予定していた3月の羽村堰散策が荒天のため、2度にわたる中止を余儀なくされました。心配された佐藤さんにお清めをしていただいた効果があったのか、今回も雨予想ながら、集合時には何とか曇り空。スタート地点の錦糸町駅近辺は昔からは想像できない程商業ビルが林立し、「プチ田舎」小平から来た面々には、まさに大都会でした。ここからスカイツリーを横に眺めながら、北斎ロードと呼ばれる道沿いに両国を目指しました。


大横川親水公園(墨田区石原4)
幅30~40m、長さ約1.8㎞の公園で、せせらぎや滝、釣り堀、水遊び場など5つのブロックで構成されています。昭和56年に上流から着工され平成9年に完成しました。
明暦の大火(1657)のあと、幕府が再開発の一環として低湿地の水抜きのため、このあたりにいくつかの掘割を掘削しましたが、この川もその1つです。平日のせいか、人影も少なく、子ガモに癒されながら、瀧川さんの初解説もゆっくり聞けました。

河竹黙阿弥終焉の地(亀沢2-11-11)
五世鶴屋南北に入門し歌舞伎脚本作家としてデビュー、その後「三人吉三」「髪結新三」など350件あまりの作品を書き上げました。明治14年に「黙阿弥」と名乗って隠居生活に入り、明治26年に当地に越してきて、同年77歳で没しました。早大教授だった河竹繁俊は黙阿弥の孫です。

ここが終焉の地!?


三遊亭円朝旧居跡(亀沢3-20)
落語中興の祖といわれ、人情噺の「芝浜」「文七元結」、怪談噺の「牡丹燈籠」「真景累ケ淵」など数々の名作の作者です。明治9年~明治20年の12年間をこの地で過ごし、新宿で62歳の生涯を閉じました。公園内に碑がありますが、隣にマンションのごみ集積場があり、ちょっと興ざめでした。

右下が解説板


野見宿彌神社(亀沢2-8-10)
明治18年に近くにあった高砂部屋の尽力で、相撲の神様といわれる野見宿彌をお祀りしました。昭和27年に日本相撲協会により歴代横綱の碑が建てられました。

赤は存命の横綱


江川太郎左衛門邸跡(亀沢1-3)
彼の家は伊豆・韮山の代官職で、代々江川太郎左衛門を名乗っていました。その中でも有名なのが江川英龍で、一般的に「江川太郎左衛門」といえばこの人を指します。幕末期に鋼製大砲鋳造用の反射炉を造ったり、品川沖にお台場(海上砲台)の造成もしました。
また、日本で初めてパンを焼いたのも彼だそうです。

葛飾北斎生誕の地(亀沢1-4)
江戸後期の浮世絵師。宝暦10(1760)年に生まれ、狩野・琳派・土佐絵・洋風画などの諸派を学びます。「北斎漫画」「富嶽三十六景」などの作品は海外にも知られ、「ジャポニズム」現象を引き起こしました。90年の生涯のうち93回の転居を重ねた引越し魔。作品は3万点を超えます。旅を好み信州・小布施には85歳の老体で訪れています。

旧安田庭園(横網1-12-1) 入場無料
元禄年間に造られた潮入式回遊庭園。園主は安田善次郎を最後に東京市に寄付され、現在は区立公園に。もとは足利藩主(後に丹後宮津藩主)本庄氏の下屋敷として造営されました。時節柄か来場者はほぼインバウンドでした。2011年の散策の会でも訪れています。

静かさの中に江戸文化に浸る


回向院(両国2-8-10)
明暦3(1657)年振袖火事による身元不明者を合葬、供養するため建立。江戸後期からは興行相撲の場所となり、旧国技館のできる明治42年まで続きました。また、境内には鼠小僧治郎吉の墓があり、長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んだったとの事。現在は墓石の前にお前立ちがあり、それを削るようになっています。やはり、2011年の散策の会で訪れています。

ダミーのご利益は?


隅田川テラス
隅田川の両岸に32㎞にわたり整備された散策路で、散歩・ジョギング・釣りなどが楽しめます。両国テラスの防潮堤には「隅田川テラスギャラリー」として、江戸から昭和の錦絵や大相撲の決まり手が展示されています。

集いし多彩なメンバー


新コンビの第1回の船出は、心配された雨も終わり頃にぱらついた程度にとどまり、
大相撲も終わり静けさを取り戻した両国まで、8,000歩強の散策を、無事終えることができました。

【散策後の懇親会】
両国駅で解散後は新宿に移動し、最近ではおなじみになった「三平」で7名が参加し、懇親会を行いました。ハッピーアワーの生ビールやハイボールに存分に喉を潤し、解散となりました。

【参加者】(五十音順、敬称略)
荒井、伊藤、梶川、梶川(公)、河崎、佐藤、瀧川、松村、山本(9名)

                         (文=松村、写真=佐藤、松村)

第60回散策の会
「本所北斎通りを往く」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和6年5月27日(月) 13時30分
JR総武線 錦糸町駅 北口改札前 集合

2.経路
錦糸町駅→大横川親水公園→河竹黙阿弥終焉の地→三遊亭圓朝旧居跡→野見宿禰神社→江川太郎左衛門邸跡→葛飾北斎生誕の地→旧安田庭園→隅田川テラス→回向院→両国駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約8千歩。ほぼ平坦。

(2)トイレは、旧安田庭園にあります。
(3)解散後、希望者のみで懇親会を実施予定。
(4)少雨決行の予定ですが、荒天等により中止する場合は事前に連絡させていただきます。


参加申し込みは5月25日(土)までに松村純夫までお願いいたします。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
電話: 090-6482-5288
(以 上)

第60回散策の会
「羽村堰の周辺をめぐる」は中止としました

【2024年4月7日】
4月9日(火)に再開催を予定しておりました散策の会は、当
日にかなりの量の降雨が予想され、さらに低気温が予報されていることから、やむを得ず再び中止に至る判断をさせて
いただきました。
楽しみにされていた皆様には誠に申し訳ありませんが、ご了解の程お願いいたします。尚、羽村堰散策につきましては、来年の同時期開催を考えております。

散策の会・松村純夫


【2024年3月28日】
開催日、集合時間、申込み締切日、経路が変更となりました。最新情報は、以下のとおりです。

1.日時・集合場所
令和6年4月9日(火)午後1時
JR青梅線 羽村駅改札口付近に集合

2.経路
羽村駅→根がらみ前水田→羽村市郷土博物館→旧下田家住宅→羽村下公園→羽村取水堰→玉川水神社→禅林寺→中里介山の墓→羽村駅 

3.参考情報
(1)歩行距離約7千歩。所々アップ・ダウンがある。

(2)トイレは羽村市郷土博物館、羽村堰下公園にある。
(3)当日は根がらみ前水田にてチューリップ祭りを開催期間中。 
(4)希望者のみで散策後に懇親会を行う。

参加の申し込みは4月7日(日)までに松村純夫までお願いします。
Email: b50dx(at)jcom.home.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
携 帯: 090-6482-5288
 

今回より、松村、瀧川の2名により会の運営をさせて頂きます。
(以 上)

第59回散策の会報告
新宿山ノ手七福神めぐり

令和6年1月6日(土)

あけましておめでとうございます。

「七福神めぐり」も今年で13回を数えました。一年の初めにさまざまな神から福を授かりたいということで新年恒例となっていますが、マンネリの感も拭い切れません。

今回の七福神の内、毘沙門天が祀られている善国寺(神楽坂)は平成26年の「神楽坂めぐり」で、布袋が安置されている太宗寺(新宿二丁目)は平成30年の「神宮外苑から新宿へ」の際にお参りしています。そのうえ距離的に離れていることもあり、この2寺を割愛し5社寺めぐりとしました。

「新宿山ノ手七福神めぐり」が始まったのは大正年間、あるいは昭和9年ともいわれ、比較的新しいようです。

「開運と招福間違いなし」の笑顔


大黒天 経王寺(きょうおうじ)(新宿区原町1‐14)日蓮宗
大黒天は高さ12㎝ほどの真っ黒な木像で、本堂右手の大黒天堂に祀られています。秘仏のため拝顔できないものと諦めていましたが、幸運にも厨子の扉が開かれていました。度重なる火災に遭っても焼失からまぬがれたため「火伏せ大黒」と呼ばれています。室町時代に作られたもので、新宿区の有形文化財です。

堂内は撮影禁止で残念

ここは集合場所の牛込柳町駅のすぐ隣にありましたが、次の神社までは少し遠く22分ほど費やしました。

弁財天 厳嶋神社(いつくしまじんじゃ)(余丁町8‐5) 
「抜弁天」(ぬけべんてん)という名の方が有名です。「境内が南北に通り抜けられる」あるいは「苦難を切り抜けられる」ことからその名がついたそうです。狭い境内には小さな池があり、大きな錦鯉が泳いでいます。そういえば弁天様は河の神様ですものね。小さな社には御簾が下げられていて、弁天様は拝めませんでした。

五代将軍綱吉の頃「生類憐みの令」により、この辺には2万5千坪もの野犬のための犬御用屋敷があり、4万匹以上の犬が収容されていたそうです。

寿老人 法善寺(新宿6-20-16)日蓮宗
寿老人は本堂右手の庫裏の奥に祀られています。高さ30㎝位でしょうか、距離があり暗くてよく見えませんでした。

これとは別に区指定の有形文化財である「七面明神像」があるそうです。唐風の衣裳に宝冠をかぶり、左手に火炎如意宝珠、右手に鍵を持つ像高30㎝の極彩色の像です。本堂に安置されていると言われましたが、小さな覗き窓からは探せませんでした。

なぜかここだけはひっそりと


福禄寿 永福寺(新宿7‐11‐2)曹洞宗
福禄寿は本堂向かいの小さな社に祀られていました。ただ、ここの福禄寿は像ではなく、江戸末期に植木師が善光寺参りの帰りに拾ったという石です。福禄寿によく似ているといわれていますが、見たところのっぺりした砲弾型でした。道に落ちていた石でも信仰の対象になるものなんですね。「鰯の頭も信心から」というバチ当たりの言葉が浮かびます。

他に新宿区の文化財に指定されている露座の地蔵菩薩像(1853年作)と大日如来像(1756年作)がありました。お地蔵さんというとよだれ掛けをした庶民的で親しみやすい仏というイメージがありますが、ここのは「半跏趺坐」(はんかふざ)という思惟のポーズをとっているので、ちょっと戸惑ってしまいます。それに曹洞宗の寺院になぜ大日如来像があるのでしょう?いろいろと不思議なお寺です。

これが福禄寿?

ここから12分ほどで最後の神社に到着です。

恵比寿 稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)(歌舞伎町2‐17‐5)
恵比寿は境内の小さな恵比寿神社に祀られていました。ここは江戸時代に稲荷と鬼王権現を合祀した全国唯一の珍しい神社です。この神社には豆腐を供え、病気が治るまで「豆腐断ち」し、授与された「撫で守り」で患部を撫でれば治るという珍しい信仰が残されています。特に湿疹・腫れ物に効能があるそうです。

境内には「力様」(りきさま)と呼ばれる、しゃがんだ鬼が頭の上に大きな水鉢を乗せたポーズのゴツゴツした石像がありました。これも区の指定文化財です。

また、高さ2mほどの富士塚があり、「西大久保の厄除け富士」と呼ばれています。なぜか道をはさんで五合目で左右に二分割してありました。

最後に昨今話題となっている場所を2か所案内するために、歌舞伎町の奥部に潜入してみました。まずはホストクラブが入るビルです。壁面にはホスト達の顔写真が数多く掲げられ、それに各自の年間売上高が表示されています。

このあと新宿コマ劇場跡にある話題の「トー横」へと行きます。ただ、広場横のライブ会場への入場や、グッズを買うための行列といった若い女性たちの大集団は見られましたが、「トー横キッズ」らしい子の姿を目にすることはありませんでした。松の内の午後3時、やはり締め出されたのでしょうか?


さて、佐藤(俊)はこれまで「散策の会」でのコースの企画・立案を足かけ11年間、会長職を8年間にわたり務めてきましたが、今回を最後としてその担当を退くことになりました。「老兵は死なずただ消え去るのみ」です。事故の発生もなく無事にここまで経過できたのも、皆様のご協力があったればこそと、深く感謝申し上げます。

今後は松村さんを会長、瀧川さんを世話役とするサステイナブルな新体制で臨んでまいります。これまでを超えるご支持とご参加をお願いする次第です。

【散策後の懇親会】
おなじみの新宿「三平」で13名が参加して行いました。お互いの開運と健康を念じ『カンパーイ』。16度という3月から4月を思わせる陽気の中での心地よい散策でした。

【参加者】
井垣・伊藤(徹)・大河原(忠)・大河原(眞)・大島・木本・栗原・小林(弘)・佐藤(俊)・鈴木・瀧川・間・福田(豊)・福田(静)・松村 (15名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)

第59回散策の会
「新宿山ノ手七福神めぐり」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和6年1月6日(土)午後1時
都営地下鉄大江戸線 牛込柳町駅 西口の地上に集合

2.経路
牛込柳町駅→経王寺→厳嶋神社→法善寺→永福寺→稲荷鬼王神社
→西武新宿駅

3.参考情報
(1)歩数は約7千歩。

(2)都営地下鉄はシルバーパスが使える。
(3)解散後、希望者のみで懇親会を予定。

参加の申し込みは1月4日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
または
090-9149-8977
(以 上)

第58回散策の会報告
駒場界隈をめぐる

令和5年11月8日(水)

前日の東京都心は最高気温が27.5度と、11月の観測史上最高を100年ぶりに更新しました。散策当日は立冬でしたが、それでも平年よりかなり高い21.6度と秋晴れの一日でした。

東大駒場キャンパスから駒場公園一帯は、江戸時代には笹が一面に生えていた将軍家の鷹狩場で、「駒場野」と呼ばれていました。その後、明治政府は明治11年にこの原野を利用して「駒場農学校」を開校し、先進国の農業技術を積極的に導入した農業の教育・研究機関としました。後の東大・筑波大・農工大の農学部の前身です。そのためこの一帯は「近代農法発祥の地」とも呼ばれています。

つかの間の王侯気分


☆ケルネル田圃(駒場野公園内)(目黒区駒場2-19-70)
明治政府は明治14年ドイツから農芸化学の教師としてオスカル・ケルネルを招きました。
彼は土壌や肥料の研究に力を注ぎ、11年間も在日しました。ここが彼の手掛けた我が国初の試験田です。今は近所の筑波大学駒場中学・高校の生徒の手によって田植え・稲刈りが行われ、収穫された米は卒業式や入学式に赤飯にして生徒達に提供されています。下見の時に首を垂れていた稲穂はもうすっかり刈り取られ、10体以上あった案山子も姿を消していました。


☆日本民藝館(駒場4-3-33)【入場料1,200円】
展示品には題名以外の解説文はなく、これは「知識を持つ前に、まず無心に物と向き合うように」という開設者柳宗悦(やなぎむねよし)の信条に基づくものだそうです。じっと眺めていると確かに対象物からの語りかけが聞こえてきたような気がしました。ここは日常雑器など無名の工人たちの作品の中に“美”を見出し、これを世の中に紹介しようとする「民藝運動」の場です。柳宗悦が収集した工芸品を展示していて、昭和11年に自宅の隣に開館しました。玄関は大谷石、床は黒光りする板張りで、2階は白壁の温かみのある建物でした。今回は特別展「西洋工芸の美」の方が常設展より広い展示面積を占めている珍しい展示でした。

また運よくこの日は柳宗悦の邸宅だった西館も公開されていたので、しっかり鑑賞してきました。ここは宗悦が72歳で没するまで生活の拠点とした所です。両館とも都の有形文化財に指定されています。

なおNHK「趣味の園芸」のレギュラーで小平市在住だった園芸研究家の柳宗民は宗悦の三男です。また、宗悦夫妻の墓は小平霊園にあります。

どんなものがあるのかな?

柳氏邸宅の長屋門.。背後は東大の生産技術研究所など


☆旧前田家本邸の洋館と和館(駒場公園内)(駒場4-3-55)【無料】
前田家16代当主の前田利為(としなり)侯爵が昭和4年に建築した邸宅で、国の重要文化財です。地上2階、地下1階で、化粧レンガ張り、イギリスのカントリーハウス風の意匠でまとめられています。隣には2階建ての和館もありました。完成当時は個人の邸宅としては東洋一といわれ、使用人が100人以上いたそうです。本郷にあった加賀百万石前田藩の上屋敷跡(1万坪)がその後東京帝国大学の校地拡張のため、ここ駒場の4万坪の土地と等価交換されたのです。その後持主は変わり、戦後は連合国軍最高総司令官リッジウェイ大将の官邸になったこともありました。昭和39年に都が買収し、42年に都立駒場公園として生まれ変わりました。東大駒場キャンパスを左右に振り分ける形で存在しています。古き良き時代に生きたセレブの桁違いの生活ぶりをどう感じられましたか?

☆日本近代文学館(駒場公園内)(駒場4-3-55)【入場料300円】
ここは日本の近代文学に関する図書・原稿・書簡など120万件の資料が保管・展示されています。昭和38年に高見順・伊藤整・川端康成らが、文学資料の散逸を危ぶみ呼びかけた結果、1万5千人に及ぶ人々から資料が寄贈され、それを基に昭和42年に開館しました。
パソコンやメール機能を使い執筆している現代の小説家たちの原稿・書簡といった遺産は、今後どんな形で残されていくのでしょう? 原稿用紙を埋める字癖、修正、ペンの太さ、インクの色、校正の赤などが入り混じっての個性の面白さは、やがては消失していくのでしょうか。

☆東大駒場キャンパス(駒場3-8‐1)
元は駒場農学校の校地でしたが、昭和10年旧制第一高等学校の校地となり、戦後の学制改革により、新制大学の東大教養学部へ移行されました。早稲田同様古い校舎は少なくなってきて、高層の新校舎が目立ちます。でも大隈記念講堂しかり、安田講堂しかり、ここの旧一高本館もそう、やはり昔ながらの時計台は大学のシンボルにふさわしいですね。
なお、時計台は国の登録有形文化財です。(大隈記念講堂は重要文化財)

旧一高本館


今回の散策は駅から近かったせいか、施設内での見学も含めて歩数は約6,500歩といつもより少な目でした。

【散策後の懇親会】
♪ 嗚呼玉杯に花うけて…ではなく喉に泡うけて、ビアグラスという日常雑器の中にあふれる琥珀色に、ひとしおの美を感じるひと時でした。これにはどんな解説も不要です。会場は吉祥寺駅前の「戎ビアホール」。何人かの会員とは年に一度まみえる地下空間でした。

【参加者】
荒木・伊藤(徹)・大河原・大河原(眞)・梶川・梶川(公)・北橋・小林(弘)・佐藤(俊)・末次・瀧川・竹内・松村・山本・山本(裕) (15名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)