第70回ざる研「更科堀井・立川店」報告

1.日 時: 2019年10月21日(月)11時50分 JR立川駅東改札集合
2.場 所: 立川市曙町2-5-1 伊勢丹立川店8F 「総本家更科堀井・立川店」電話042-540-8273不定休
3.参加者:荒井、荒木、伊藤徹、大河原夫妻、小川、河崎、木本、國友、篠原夫妻、末次、鈴木、百々、滝沢、野村、福田静代、松村、山本(19名、3回目だが毎回19名)
4.費 用:¥94,500÷19=¥4,974 @¥5,000×19=¥95,000-¥94,500=¥500は貯留
5.経過:今回は70回の節目にも当たり、作成した冊子「小平稲門会ざる研の歩み」をご披露しお買い上げいただいてから乾杯、当然この冊子の話題でにぎやかなスタートになった。

出来立てホヤホヤの冊子も一緒にかんぱ~い!!

毎回このバンケットルームのお世話は明るい笑顔でキビキビシタ堀井の女店員さん達だが、この冊子の当店紹介欄の写真に主任大塚さんの姿があり大変喜ばれた。
前菜の盛り皿、玉子焼き、板わさ、そば豆腐、鴨みそが出たところで会津の銘酒名倉山これは前回欠席を残念がっていた会津出身滝沢さんのこよなく愛するお酒、銘の入った徳利ぐい飲みで味わいも一入、料理は豚の返し煮へと進む。
返しは醤油に砂糖、味醂を加えたもので、これを煮て1週間から10日程寝かしたものに鰹節などのダシを加えて蕎麦汁となるのでそば屋の料理の味は之に尽きると言ってよい。
蓋物のそばがききのこあんかけ、わざわざ小振りに仕立てて貰った小海老三つ葉のかき揚げの頃には宮崎の蕎麦焼酎雲海のそば湯割り、これには南高梅とわさびが添えてある。
最後は朱枠の簀の子に盛られた純白の更科そば、非常に美味しく感じたので何処の蕎麦か尋ねたら、思いもかけなかったアメリカ産とのこと、帰って直ぐ調べました。
年間日本国内蕎麦総需要は約13万トン、内国内産は3万トン弱、ほぼ8割が輸入品、中でも内蒙古中心の中国は8万トン、次いでワシントン州中心のアメリカが1万トン、カナダ3千トンの他、ロシア、オーストラリア、ミャンマーで、国産そば粉を使えないそば店、乾麺、茹麺は全て中国産と思って間違いない。
この理由は平均的な処で国産そば粉は「1 kg 900円」に対し、外国産は「1 kg 400円」という大きな価格差、つまり国産を使わないのではなく、使えないという事情があった。
最後に衝撃的なことを知らされたが、寛政元年に始まる歴史の重みは変わらない。その由緒ある名前を背に写真を撮って解散となった。

「小平稲門会ざる研ご一同様」 嬉しい歓迎シールです!

6.お知らせ:本日お披露目した【小平稲門会 ざる蕎麦研究会 通称「ざる研」の歩み】は訪問そば店の情報写真、蕎麦についての知識、随想など豊富な内容で保存版としての価値があるものと思っております。つきましては部数に限りはありますが、未だ余部がありますのでご要望がありましたらお早めに担当にお申しつけ下さい、一部850円です。
7.その他:次回のざる研は「神楽坂・芳とも庵」、つなぎ大豆粉の津軽蕎麦です。
11月19日(火)11時45分、地下鉄東西線1番出口集合、予算@¥4,500程度。
参加申し込みは11月14日(木)までに世話人山本浩(電話042-473-7617)へご連絡下さい。

(文:山本 写真:荒木)

第71回名曲を聴く会の報告

開催日: 令和元年10月25日(金)午後1時より
場 所: 国分寺駅北口 「でんえん」
曲 目: 次のとおり。

パガニーニ ヴァイオリン協奏曲第1

ヴァイオリン ジノ・フランチェスカッティ
指揮  オーマンディ

フィラデルフィア管弦楽団
ヴァイオリンの魔神といわれたパガニーニのこの名曲をフランチェスカッティは音色、テクニック共素晴らしく見事に演奏している。
オーマンディのバックも見事である。

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
ピアノ ヴァン・クライバーン
指揮 コンドラシン
シカゴ交響楽団
米国の新進ピアニストのクライバーンがチャイコフィスキー国際コンクールで優勝し、この曲を一躍有名とした。

●本日の参加者: 荒木、志村、山本、小川、以上4名

【次回開催予定】
・開催日: 11月29日(金)午後1時より
             (今回に限り第4週ではなく、第5週に開催)
・場 所: 国分寺駅北口「でんえん」
・曲 目: べートーヴェン 交響曲第3番(英雄)
                カラヤン指揮  フィルハーモニー管弦楽団

(文:小川、写真:荒木)

第24回映画鑑賞会のご案内

第24回映画鑑賞会を下記の通り開催致します。皆様の参加をお待ち致します。

■鑑    賞   日 : 2019年11月25日(月)
■映画の題目 :「決算忠臣蔵」
・原  作:山本博文(東大・歴史学者)
・監  督:中村義洋
・キャスト:堤真一・岡村隆史・妻夫木聰・桂文珍・竹内結子・石原さとみ・寺内康文・西川きよし・他

《映画のあらすじ》
この映画は毎年マスコミが年末近くなると「武士の美談」として取り上げる「忠臣蔵」を題材にして笑って泣ける作品。
松の廊下事件から約2年の間、限られた予算の中で赤穂浪士たちが生活費や家賃、赤穂から江戸までの旅費の節約、武具の手当てなどをして仇討を成し遂げた様を画いている。

原作は江戸時代研究の第一人者と云われる東大教授・山本博文「忠臣蔵の決算書(新潮社)」。大石内蔵助が実際に遺した決算書(=預置候金銀請払帳)を基に、討ち入り計画の実像を記した話題作。討ち入りに必要な予算は、当時のお金で約7百両(現在の価値で約9,500万円)とされる。

■上  映  館:新宿ピカデリー(シニア料金¥1,200、一般料金¥1,900)
■集  合  場  所:新宿ピカデリーチケット売り場前
■集合時間と上映時間:
・映画館の上映時間が未定のため公表され次第《11月21日(木)の予定》、参加者に改めてメールまたは電話でお伝え致します。
・上映開始時間は午後1時~午後3時くらいの時間帯を選ぶつもりです。
・上映時間は約90分です。
■参加申し込み:11月20日(水)までに、鈴木昭助あてにお申し込みをお願い致します。。
・携帯電話: 080-6519-8720
・ E-mail: syouchan(at)k5.dion.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
*申し訳ありませんが、チケット予約をする関係で11月22日以降のキャンセルは¥1,200のキャンセル料金を頂きます。
■懇  親  会: 鑑賞後に懇親会を予定しています(予算約¥2,500/人)。参加、不参加は映画鑑賞申し込み時に合わせて申し出お願い致します。

(記 2019.10.25 鈴木)

栂池自然園の紅葉

小平市写真連盟 会員
國友康邦(38商)

2019年10月7-8日、小平市写真連盟の撮影会で、白馬連峰を間近に望む長野県北安曇郡の栂池自然園に紅葉の撮影に行ってきました。
ここには数度行っていますが、今秋の天気は、1日目は霧で周囲の山は見えず。2日目は朝から雨です。カッパを着て撮影に出かけました。
晴天もよいですが、今回は曇り、雨の日に撮影するというよい機会に恵まれました。

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第31回小平稲門会通常総会のご案内(リチャレンジ)

小平稲門会会員の皆様へ

小平稲門会会長 栗原政博

台風19号の影響で中止となった「第31回通常総会」の善後策を検討してきましたが、下記の内容にて再設定いたしました。
皆様には事情ご理解いただきご参加くださるよう、よろしくお願い申し上げます。

1.日時:11月20日(水)13:30~(受付開始 13:15)
2.会場:小平市民文化会館(ルネこだいら)レセプションホール(地下1階)
3.内容:第1
部 総会(13:30~14:15)
                第2部    懇親パーティー(14:30~16:30)
4.会費:6,000円(年会費3,000円、懇親会費3,000円)

(以 上)

第72回ざる研「御清水庵清恵」のご案内

年末ならではの福井のセイコ蟹を楽しみ、越前そばをたぐるご案内です。

1.日時:2019年12月16日(月)13時10分、日本橋三越ライオン前集合
2.場所:中央区日本橋室町1-8-2日本橋末広ビル「御清水庵清恵」電話050-5797-0915
3.費用:@¥6,000
4.参加申し込み:12月12日(木)までに世話人・山本浩(電話042-473-7617)へご連絡下さい

(以 上)

縦 走 路

山本 浩(昭29・政経)

私の山との出会いは学生時代、友人から東京の一番高い所へ行こうと誘われたことに始まる。

昭和25年、20歳の私は山の何たるかを考えることもなく、学生服学帽の姿で三峰神社から白岩山を越えて雲取山を目指した。着いた山小屋はロッグ造り、むき出しの丸太の記憶が残っている。
翌朝2,017 mの山頂から奥秩父の金峰、甲武信、国師等の山並みを望んで、何時か必ずあの山々に登ってみたいと思った。

昭和25年、雲取山山頂。後方に富士山


その後、体育の単位をとるために富士山に登る機会があったが、5合目迄車で行ける今と違って歩き始めはふじアザミの大きな花が目についた馬返しから、1合目、2合目と刻んで5合目で泊まり。翌朝暗いうちに出発して、その鮮やかさに感激したご来光は8合目。しっかり注意されていたゆっくり歩きを心掛け3,776 mの頂上に立った時、吸い込まれそうな濃紺の空に星の瞬きを見た。
下りは金剛杖を股に挟んで雪渓をグリセード、続いて草鞋をグルグル足に巻き付け脛まで潜る須走を豪快に駆け下りた。

日本一の富士登山の後、また友人から「おい、日本で2番目に高い所は何処か知ってるか?」と云われて3人で白根三山を目指すことになったが、この縦走こそが山の厳しさ、恐ろしさと共に醍醐味もしっかり与えてくれて、後年の私の山歩きに深く根を下ろすものとなった。

現在、北岳登山は甲府からバスで野呂川の奥、広河原から登るのが一般的だが、昭和26年当時、バスは御勅使川の芦安まで、此処から歩き始めて夜叉人峠を越え野呂川、荒川の合流点にあった無人の荒川小屋が最初の泊まり(今行程の山小屋は全て無人、しかも誰にも出会わなかった)。装備は毛布に飯盒と米、若干の嗜好品が全て、毎回火をおこすのが一番大変だった。
此処から登り始めたのが池山吊り尾根(登る人が少なく今の地図では点線表示)、折悪しく雨になって急登が続く。霧の中に浮かぶピークをクリヤしたと思ったらその上に又ピーク、嫌になる程これを繰り返す。風にそよぐ幽玄な「さるおがせ」なる植物もこの時初めて見た。

悪戦苦闘、へとへとになって北岳頂上下の石室に着いた時、もう周りはすっかり暗くなっていた。
何はさておき、火をおこすために薪を集めてこなければならないが、ヘッドランプを照らして暗い雨の中、薪を探すのは容易なことではなかった

北岳頂上下石室の前で

今にして思えば一体どうやって火をおこすことが出来たのか不思議な気がしてならない。
外は風雨が激しく、風音が高い。そのうち外で誰かが「おーい、おーい」と呼んでいるような気がして、外でランプを振り回すが反応は全くない。ひょっとしてこれは高山病の幻聴だったかもしれない。

十分な休養が採れたわけではないが、我等は進むしかない。幸い翌朝雨は上がって朝食後、北岳頂上3,193 mをきわめ三千メートルの稜線を縦走し始めた。
最初の目標、間ノ岳3,189.5 mは何処が頂上とも分からない茫洋とした大山塊、その為霧など悪天候の際の遭難事故が多いとされている。今日の我らにその心配はなかったが、パーティの仲間に異変が発生した。

3人のうちの1人の歩速が上がらない、そのうちぱったり止まる。どうしたと声を掛けても返事がない。目は虚ろ、これは間違いなく高山病にやられたと気付いたが、その時我等が助けを求め得る人力も手段も全くない。やはり我等が前に進むしかないので彼のリュックを担いでやり、前進を促す。
初めのうちは何とか歩いてくれていたが、それもだんだん難しくなってきた。
こうなれば心を鬼にして歩かせるしかない、「歩け!」と怒鳴り、突き飛ばして無理やり歩かせた。

間ノ岳、農鳥岳3,025.9 mの頂上を楽しむ余裕はなく大門沢の下りに入ってヤレヤレ、何とか明るいうちに大門沢小屋に転がり込んだ。
彼にエネルギー補給をして元気になってもらおうと食事を勧めるが全て吐いてしまって喉に通らない。その時私が所持していた米軍(進駐軍)のドロップス状緊急食糧(エマージェンシーレイション)だけやっと受け付けてくれたのは全く幸運だった。
早川沿いに下って高度が下がる毎に、彼の状態は徐々に快方に向かった。
山を下りて人里で初めて泊ったのは西山温泉、男女混浴の温泉だったがそんなことよりともかく人がいてくれることが大きな安らぎだった。
翌日南アルプス街道を下って富士川へ出たのだが、うろ覚えながら馬車鉄道に乗ったような気がする。富士川の駅ホームですっかり元気になった彼に「山では手荒なことをしてすまなかった」と詫びを言ったら、何と彼は全く何も覚えていないと言うのだ。そんな馬鹿なと思ったが、正にこの時は高山病の恐ろしさをまともに突き付けられた瞬間だった。

学友に山形の農家出身者がいて、冬休みの誘いで初めてスキーを体験することになった。
当時のスキーはイタヤの単板、竹のストック、皮ひもの締め具と素朴な道具だったが、彼の家の裏山で暗くなるまで滑ってズボンの裏が破れるまで尻もちをついた。

翌日は蔵王の樹氷を見に出かけ、地蔵岳の頂上に登り、お前は歩いて降りろという友人の言葉に逆らってスキーで滑降、当然のことながら、こけつまろびつ、樹氷の間の狭いコースで倒れていると後から来る上級者は私の上を飛び越えていく。やがて最大の難所、懺悔坂に差し掛かる。坂を前に暫し考えたが無駄なこと、真っ直ぐ滑るしか出来ないので飛び降りるがごとく直滑降、滑るというより転がり落ちて身体じゅう雪玉だらけ、よくもまあ怪我しなかったものだ。

蔵王の樹氷をバックに

スキーは結局ものにならず、冬山を歩き景色を楽しむスノーシューに転向してしまった。
学生時代が終わり社会人となった最初の勤務が九州の三池だったので、休日を利用して阿蘇や久住に登ったが、やはり一番印象に残るのは高千穂の峰から噴火直後で未だ道を火山灰が覆っていた新燃岳(本当は入山禁止だった)、韓国岳を縦走して林田温泉に下りた山行だ。火口を見ながらの歩きは月面のクレーターを真近に見るようだった。

在職中は時間の余裕がないので半ば本格的に山に登りだしたのは会社勤めを終えてからで、退職して直ぐに老け込んだりしたくないし、何とか体力をキープしたいからでもあった。


縦走で最も想い出深いのは剣・立山縦走で一行6名(真に残念ながら4名は既に故人となった)、室堂から雷鳥沢の雪渓を左に別山乗越2,750 mへ上って薄暗い空におどろおどろしくも猛々しく聳え立つ剣岳に正対した時、果たしてこんな山に登れるのだろうか、これは正しく魔の山だと思った。
前進基地は佐伯さんの剣沢小屋、食事が良いので評判、翌朝5時発、一服剣へ登って一旦武蔵のコルへ下り難所の前剣の門、平蔵の頭、コルからカニノタテバイ、頂上2,998 mへと夢中で登った。
下りもカニノヨコバイなど気を許せない。剣沢小屋で昼食休憩、別山乗越から別山山頂2,874 mを越えて内蔵助山荘泊まり。翌朝も早立ちで真砂岳2,860 mを越えて富士ノ折立2,999 mへ登るが、いきなり叩き付ける豪雨とともに真近の雷、3,000 m近い稜線では遮るものは何もない。「山本さん、どうしますか」の声に「逃げる先は大汝避難小屋」と走り出した。
何とか小屋へ転がり込んだが、一人腹の調子が悪く用を足してから追いついたので「丁度、水洗便所になってよかったのでは」は悪い冗談だった。
雨が小降りになってから雄山3,003 mを経由して室堂に下りたが、此の水洗便所の君が百名山を達成した時、一番大変だった山は何処と聞いたら、ためらわずこの時の剣・立山縦走を上げた。九州天草出身の快男児だったがもう会うことは出来ない。

槍ヶ岳は好きな山で槍沢、東鎌尾根、西鎌尾根と4度登ったし、戸隠の高妻山は一不動五地蔵八観音と上り下りを繰り返し、行きが上りで帰りが下りとも言えない不思議な山だった。
70歳の記念となった北穂・涸沢・奥穂・前穂や太郎平・黒部五郎・双六・笠、荒川三山・赤石岳、雲ノ平、水晶岳、鷲羽岳等随分多くの縦走路を歩いた。
73歳の塩見岳で日本の3,000 m峰21座を完登したが、10年前二度目の奥穂高以来3,000 m峰を訪れることが無くなってしまった。

気分としては登れないのではなく、登らないだけだと思いたいのだが、最近の平衡感覚や歩速の低下は逃げきれない現実だ。
然し、翻って考えればこの年にして未だ歩ける、幾らでも自然を楽しめるとポジティブに考えればまだまだ過去の人になることはない。
これからも身の丈に合った楽しさを求めて生きたいと願っています。

(2019.07.30)

ワイナリーツアー(10月18日)中止のお知らせ

1018金)に予定のワイン研究会・第6回ワイナリーツア甲府・サドヤワイナリー見学ほか)は台風19号による中央自動車道の八王子―大月間不通のため、中止となりました。
なお、11月例会は今年のボジョレヌーボー解禁日の翌日1122金)に実施します。

(以 上)

小平稲門会第31回通常総会 中止のお知らせ

小平稲門会会員の皆様へ

小平稲門会会長 栗原政博

10月12日(土)の小平稲門会第31回通常総会の当日に超大型台風19号が関東地方を直撃する見込みです。
雨、風共に非常に激しくなるとの予報ですので、参加者の方の安全も考慮し、小平稲門会第31回通常総会は今回中止とさせていただきます。

皆様には多々ご迷惑をおかけしますが、ご了解・ご協力よろしくお願いもうしあげます。

(以 上)

第46回散策の会のお知らせ

散策の会の第46回例会は、「旧江戸川べりを歩く」です。

1.日時・集合場所

令和元年11月16日(土)午後1時30分
都営地下鉄新宿線・一之江駅 A2出口の地上に集合

2.経 路
一之江駅→古川親水公園→宇田川家長屋門→熊野神社→旧江戸川べり→東京メトロ東西線・行徳駅(解散)

3.参考情報
(1)歩行数は約1万歩
(2)都営地下鉄は都のシルバーパスが使える
(3)解散後、希望者で懇親会を行う(会費 4,000円程度)

4.申し込み
11月10日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977  または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)