国分寺崖線をめぐる 2017年3月25日(土)
このコースには春うららがふさわしいと思い、3月下旬に企画しました。週初めの日の最高気温が19度なのでこの調子で!と祈ってはみたものの、週末は花冷えの11度。薄曇りの中“春の小川はさらさら流る・・・”文部省唱歌の心の原風景を求めて、国立市の近郊を歩いてみました。川幅1mほどの清らかな小川が岸辺に小さな花を添えて、コースの大半をつかず離れず寄り添うように流れていきます。
澄んだ水が流れ、少年が蟹を網で捕っていた
☆谷保天満宮 (谷保5209)
湯島・亀戸と並び関東三大天神一つと呼ばれ、創建は菅原道真が亡くなった903年、三男の道武が廟を建てたのが始まりといわれています。受験シーズンが終わり、御利益を与えたであろうおびただしい数の絵馬が下がっています。我等もさらなる学力アップを祈願し手を合わせました。ただ手遅れの感はありますが。
絵馬を奉納した子供達はみんな合格したかなあ
またここは、明治41年に有栖川宮威仁親王らが国産ガソリン車など11台で日本初の遠乗りを行い、この地で休憩したことから、交通安全祈願発祥の地ともいわれています。
右手看板だけで、レプリカ車も外出中でした
江戸時代、太田蜀山人が『神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん』と詠み、ここからありがたくない「野暮天」の語が生まれたという説もあります。
社名は「やぼ」(駅名・地名は「やほ」)。チャボが10羽近く足下をついばんでいました。
「やぼ」の「チャボ」チャボが10羽で「ヤボテン」?
☆城山(じょうやま) (谷保6003)
青柳段丘の高さ8mの台地の縁にある、鎌倉時代初期の三田氏といわれる居館跡で、土塁・空堀や方形の曲輪(くるわ)が残っています。ただ現在私有地で、立ち入ることは叶えられませんでした。
奥のヤブの所が居館跡
☆城山公園 (谷保5983)
城山の足下にあり、崖線の地形をそのまま生かした親水公園です。さまざまな木が生い茂り原始のハケの姿を今に伝える一方、木橋や広場があり子供達の絶好の遊び場となっています。ただ学校も春休みに入ったこの時期なのに子供の姿はく、その代わりにアメンボだけがすいすい泳ぎ回っていました。
城山公園の移築古民家、小平のふるさと村にそっくり
☆ハケ下散策路
ヤクルト中央研究所のすぐ脇を、崖から湧き出る水が小川となって流れ、その縁を歩きやすい散策路が続きます。川と歩道の間は野草園になっていて、さまざまな花の名札が立っていましたが、3月下旬では目につくのはハナニラ、ユキヤナギ、ハナダイコンくらいでした。この辺では崖のことを「ハケ」や「ママ」といいいます。
近代的なヤクルトの研究所の脇をハケからの水が流れる
☆くにたち郷土文化館(谷保6231) (入場無料)
大きなガラス張りの明るい建物で、国立の歴史や自然についての資料を展示してある学習の場です。展示物の「石棒」は近々国の重要文化財に指定されます。(佐賀市の大隈重信記念館も同じ時に登録有形文化財に指定。)
重要文化財の「石棒」のあるくにたち郷土文化館
☆ママ下湧水公園
その昔わさび田だったことがうなずけるほど、清らかな水が足下を流れて行きます。そして川上の行き止まりは小さな洞穴があり、水底から湧き出る水源地になっていました。
なおこの後、1月に国分寺市にオープンした東京都立多摩図書館を訪ねる予定でしたが、時間の都合で割愛しました。期待されていた方々にはお詫びいたします。
左手奥の崖から水が絶え間なく湧きだしている
☆散策後の懇親会
国分寺駅南口直前の「庄や」で行いました。脇には通い慣れたカラオケ店のネオンが招いています。献立はキャベツのぶつ切りサラダ・もつ煮込み・刺身の五点盛り・串カツ・鶏唐揚げ・ポテトフライ・茶そば、そしてこだわる人の多いプレミアム飲み放題の日本酒は高清水・浦霞・澤乃井の1升瓶が3本でした。実は幹事にとっては散策コースの策定よりも、懇親会場の選定の方がはるかに難儀なのです。幹事のリサーチ力不足(飲み回数不足?)のためご期待に添えない時もあり、その節はどうかご容赦をお願いいたします。
「庄や」で乾杯! 集合写真の代りです。ここに参加されなかった4人の皆さんごめんなさい。
でもスナップのどこかに写っていますよ
【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・大野・小川・小平・梶川・国友・栗原・小林夫人・佐藤(俊)・志村夫人・滝沢・竹内・土井・堀田・山本・横田、以上18名
(文=佐藤(俊)、写真=荒木・山本)