第32回散策の会 報告

池上七福神めぐり                    平成29年1月9日(月)

 けましておめでとうございます。 
“思えば遠くへ来たもんだ”、小平からだと電車を乗り継ぐこと1時間20分。今回のコースは小平から遠い大田区・池上の七福神めぐりを主とし、それに道沿いにある日蓮宗の名刹本門寺を加えてみました。お正月恒例の「七福神めぐり」も回を重ねて7回目となります。今回訪ねた福の神は総じて小振りで、ちょっと物足りない感もします。しかし『福』をたっぷりとゲットして、今年も健康に過ごしたいものと念ずる人たち15人が成人の日に参集しました。

☆布袋 曽禅寺  (池上7-22-10)
 芭蕉扇を頭上にかかげ、こぼれんばかりの笑顔の30㎝ほどの小さな木像です。他に石組みがみごとな石庭や、大きな擬宝珠を乗せた京都・三条大橋の欄干橋柱がありました。
 他の六福神が本門寺の周辺に安置されているのに、この布袋様だけは駅の南にあるので、同じ道を引き返し20分ほど費やしました。お寺は昭和14年の創建で、巡った7つの寺院がすべて日蓮宗であるのに、ここは唯一の曹洞宗です。

いかにも福を与えてくれそうな布袋様

いかにも福を与えてくれそうな布袋様


☆毘沙門天 微妙庵(みみょうあん)  (池上3-38-23) 
 毘沙門天像はごく小さい木像だけど、迫力ある面構え。この像は品川沖で拾われたものといわれています。本堂左側に「イボとり観音」があります。

小粒でも威厳に満ちた毘沙門天

小粒でも威厳に満ちた毘沙門天


☆大黒天 馬頭観音堂 (池上3-20-4)
 30cmほどの木像。池上警察署の裏手の20段の石段を登るとあり、分かりづらい場所でした。
 幕末に新政府の本陣となった本門寺に忍び込み、捕らえられ斬首となった彰義隊士渡辺健造の墓のあった場所にこのお堂は建てられました。

大黒様が三体

大黒様が三体


☆弁才天 厳定院(ごんじょういん)  (池上2-10-12)
 石の祠に祀られていて、15cmほどの高さの天衣をひるがえした穏やかな顔立ちの弁天様でした。本門寺の子院。 

バタフライのような弁天様

バタフライのような弁天様


☆本門寺 (池上1-1-1)
 ここは千葉県小湊で誕生した日蓮上人が、61歳で入寂(1282年)した場所です。宝塔や五重塔は重要文化財で、五重塔は関東で一番古い(1607年)ものです。また、大堂の天井絵は川端龍子が手がけた途中で死去し、その後奥村土牛が眼を入れた「未完の龍」だそうです。10月のお会式法要には一日で30万人の参拝者で賑わいます。

五重塔の前で集合写真

五重塔の前で集合写真

重要文化財の宝塔

重要文化財の宝塔

賑わう境内

賑わう境内


☆樹老人 照栄院妙見堂  (池上1-31-11)
 ごく小さな石の祠に祀られているので、狭い格子からのぞき見しました。30cmほどの木像です。「寿老人」でなく「樹老人」の意味は…若い僧が妙見堂に籠もり断食の行を行っていました。ある日大樹の下に1人の老人が現れ、行の心得を教えました。数年後、僧が再び妙見堂を訪れると、あの木は大風で倒れており、彼はその木で老人の姿を彫らせ妙見堂に納めました…ということからだそうです。ただ、いまある像は後年の再刻です。
 日蓮の弟子・日朗により文保2年(1318)に創建された本門寺の子院です。ここにも「いぼとり地蔵」がありました。

暗く見えにくかった樹老人

暗く見えにくかった樹老人


☆恵比須 養源寺
  (池上1-31-1)
 米俵に座り右手に釣り竿を持ち、左手に鯛を抱えています。ここは本門寺の歴代住職の隠居所となっていました。また八代将軍吉宗の鷹狩りの際の御膳所でもあったそうです。本門寺の子院。

どっしりとした恵比寿様

どっしりとした恵比寿様


☆福禄寿 本成院  (池上1-35-3)
 右手に長い杖を持っている20㎝位の木像です。本門寺の子院。
 ここから駅に向かう新参道の角には明治8年(142年前)建築の萬屋酒店があります。
 江戸時代以来の町屋建築の様式をよく残しています。

ごくごく小さい福禄寿

ごくごく小さい福禄寿


☆散策後の懇親会
会場は新宿駅西口からほど近い「うおや一丁」。この店は「等々力渓谷巡り」や早慶戦の帰りにも利用した小平稲門会でおなじみの店です。料理はお正月らしい風情もなくやや寂しい感もしましたが、この会の主目的は“歩く”ことで、“飲む・食べる”はいわばおまけ。それに参加者の懐をも考えてのことゆえご容赦ください。

【参加者】
伊藤(徹)・小川・小平・国友・栗原・小山・末次・鈴木・滝沢・土井・堀田・松村・山本・井上(国友の友人)・千葉(国友の友人)(15名)

(文=滝沢(佐藤)、写真=山本)

 

 

第32回散策の会 のお知らせ

散策の会の第32回例会は、「池上七福神巡り」です。 

【日時・集合場所】
平成29年1月9日(月・成人の日)午後1時00分
東急池上線池上駅 改札(1か所)の前の広場に集合
【経 路
池上駅
曹禅寺(布袋尊)―微妙庵(毘沙門天)―馬頭観音堂(大黒天)―厳定院(弁財天)―本門寺―照栄院妙見堂(寿老人)―養源寺(恵比寿)―本成院(福禄寿)―池上駅(解散)
【参考情報】
(1)歩行距離は約5キロ。長い石段の昇降がある。

(2)トイレは本門寺にある。
【懇親会】
解散後、希望者のみで実施。4,000円程度。

「うおや一丁 新宿西口店」 050-5522-5439
【申し込み】
12月31日(土)までに、滝沢(042-345-0953)あてご連絡ください。

 

 


第31回散策の会 報告

大泉の白子川沿いの森を歩く   平成28年11月19日(土)

  練馬区の西部を流れる白子川沿いには、雑木林が生い茂る小さなお山が点在しています。練馬区はこれらを「憩いの森」と名付け、昭和50年から区民に開放しました。
   そこで今回の散策は、住宅地の中での雑木林をめぐり“紅葉狩り”を目論みました。ところが、あぁなんて不運。前日は快晴、翌日は20度近い小春日和だったのに、散策催行の日は前夜半から雨。幸いスタート直前にはあがったものの、曇天の肌寒い日でした。目的とした紅葉・黄葉こそありましたが、陽に映える鮮やかさは残念ながら空振りに終わりました。時期的にも少し早かったようです。
   石神井公園駅からバスに乗り「土支田八幡宮」で下車、寒い旅はここから始まりました。

★土支田八幡宮(土支田4-28-1)
   村内にあった八幡社・神明社・稲荷社を合祀して、明治7年に北野神社としたが、昭和22年に土支田八幡宮と改称しました。人っ子一人いない“村の鎮守様”というたたずまいですが、節分・初午・盆踊り・秋の例大祭ではかなりの人出で賑わうそうです。
 
スギ・ヒノキ・イチョウ・アオキと、練馬区の神社で一番樹木の多い境内を持っています。

故郷の鎮守様を思い出して

故郷の鎮守様を思い出して


★越後山(えちござん)の森緑地
(大泉町1-19)
  八幡様からだらだら坂を登り切った所にある、それほど大きくない雑木林です。イヌシデやコナラが多く、白子川を展望できるポイントでした。

いよいよ紅葉の林に入ります

いよいよ紅葉の林に入ります


★稲荷山憩いの森(土支田4-14)
 白子川右岸台地の傾斜地の雑木林で、スギ・イチョウ・カシなどがあります。春はコブシやサクラの花が咲き、今は数少ないけれど紅葉がきれいでした。
  区内の「憩いの森」の中では最も広く、山頂からは大泉1丁目の町並みが広がります。

雨に濡れた木の香りを楽しんで

雨に濡れた木の香りを楽しんで


★清水山憩いの森
(大泉町1-6)

    たどり着いてびっくり。周りはフェンスで囲まれて立入禁止状態で、中には大きな重機も入り整備工事中でした。
 ここは昭和50年に「憩いの森」の第一号に指定された所です。白子川の右岸台地の北斜面にあり、都内では貴重なカタクリの大群生地で、30万株の花が咲く3月には見物客で賑わいます。「東京名湧水57選」に選定されています。

工事中(下見の時は入れた?)

工事中(下見の時は入れた?)


★大泉富士(八坂神社)
(大泉町1-44)

 大型の富士塚で高さは12m、直径30m。「富士浅間神社」の額がかかる鳥居から見る塚は雄大さを感じます。麓から山頂までは秋葉神社・烏帽子岩・宝永山など40基ほどの石碑や石祠がびっしりと並び、また山頂には奥宮の石祠や駒ヶ嶽・剣ヶ峰などの石碑が立っています。 
 明治の初期に築かれたといわれていますが、文政5年(1822年)の石碑があることから、江戸時代に原型があったと考えられています。
 江戸時代には富士山信仰が盛んでしたが、この時代の登山は多額な費用の捻出や、長期の休暇の取得が困難で、町民や農民にとっては叶わぬ望みでした。そこでこのようなミニ富士を造り、疑似登山体験をしたのです。都内には50基ほど残っています。
 登山道は幅わずか30センチほどの狭さで、ジグザグ状に山頂へと伸びます。4人が登りましたが、雨で濡れた道をよくぞ滑落せずに下山されたものと、遭難者ゼロでホッと安堵しました。でも頂上では“お山の大将”気分で、優越感を味わえたドヤ顔の面々でした。

富士山頂上から下界をパチリ!

富士山頂上から下界をパチリ!

健脚達が頂上で手を振る

健脚達が頂上で手を振る

小学生に撮ってもらいました。「ハイチーズ!」だって(^-^)

小学生に撮ってもらいました。「ハイチーズ!」だって(^-^)


★もみじ公園
(大泉町3-23)

 白子川左岸の南向き台地にある広大な公園で、ドウダンツツジの鮮やかな赤がひときわ目立ちます。他にサクラ・アカマツ・イチョウ・ヤマモミジなどが植えられています。負け惜しみでなく、雨後の黄落も季節が感じられていいものでした。
  この地下には東京外環自動車道が走っています。

雨上がりの木々は色鮮やかです

雨上がりの木々は色鮮やかです


★散策後の懇親会
 寒さの夕暮れ時、のれんをくぐったのは大泉学園駅北口から2分ほどの「てしごとや ふくの鳥 大泉学園店」。居酒屋チェーン店にしては珍しく1階に店を構えています。入ってすぐの椅子にようやく腰を下ろせたところで「お疲れさん会」がスタート。
 ここには「越乃寒梅」「雪中梅」「峰乃白梅」がありました。かつて「越の三梅」といわれた越後の銘酒がいまや大衆酒場の飲み放題メニューに登場するとは、時代の変わり様を感じます。でも今回は「男山」の熱燗に人気があったようです。献立はキャベツのサラダ・鳥の唐揚げ・つくね串・鳥の水炊き・親子丼・甘みといったところでした。いつもの様にいつもの如くおしゃべりし尽くし、馴染みの薄い西武池袋線で帰宅へつきました。

頬も紅葉に染まって?

頬も紅葉に染まって?


【参加者】
荒木・伊藤(徹)・小川・国友・佐藤(俊)・篠原・末次・滝沢・堀田・山本・横田・定村(国友の友人)・千葉(国友の友人)(13名)

 (文=佐藤(俊)、写真=荒木)

 

 

 

第31回散策の会のお知らせ

散策の会の第31回例会は、「大泉の白子川沿いの森を歩く」です。 

【日時・集合場所】
2016(平成28)年11月19日(土)
13時30分 西武池袋線・石神井公園駅 中央口改札前に集合
【経 路
石神井公園駅北口―(西武バス成増駅南口行き、13時35分発に乗車、土支田八幡宮下車)―土支田八幡宮―越後山の森緑地―稲荷山憩いの森―清水山憩いの森―大泉富士(八坂神社)―もみじ山公園―(西武バス大泉学園駅北口行き)―大泉学園駅(解散)
【参考情報】
(1)歩行距離は約4km。登り降りが各所にある。
(2)トイレは、越後山・稲荷山・八坂神社・もみじ山にある。
【懇親会】
解散後、希望者のみで実施。会場は「てしごとや ふくの鳥 大泉学園店」(050-5796-8965)、会費4,000円程度。
【申し込み】
11月 12日(土)までに、滝沢(042-345-0953)あてお願いします。

 

第30回散策の会 報告

調布飛行場近辺を歩く       2016年9月24日(土)

  昨年の夏まで、小平市の上空にもプロペラ音を響かせ小型機が飛来してくることが度々ありました。それを眺めながら、羽田や成田はおなじみでも、調布飛行場となると「いやァ~まだ」という人が多いのではないかと思い、このコースを作ってみました。
  ここ数日来降り続く秋雨、この日もスタート直前から降り始め、解散時に降り止むという意地悪な一日でした。

雨の武蔵野の森公園。これから先に何があるか誰も分かっていない

雨の武蔵野の森公園。これから先に何があるか誰も分かっていない

★武蔵野の森公園(府中調布三鷹の3市)
   多磨駅から少し歩くと「武蔵野の森公園」に到着します。この公園は調布飛行場によって南北に分けられていますが、今回の散策は北側のみに留めました。
   まずは広大な芝生の広場が目に入ります。この広場を横切ると、飛行場を一望できる小山や展望台があります。集合場所をスタートしてからまだ15分しか経てないので、参加者一同足取りもしっかりと展望台に登り、滑走路の先にある「味の素スタジアム」までの広い空間を目に焼き付けました。
  公園の片隅には「有蓋掩体壕」(ゆうがいえんたいごう)なるものが2基ありました。これは米軍機の爆撃から帝国陸軍の戦闘機を守るコンクリート製の屋根付格納庫です。平和への語り部として保存してある戦争遺跡です。1基の扉には格納された戦闘機「飛燕」の絵が描かれ、脇には「飛燕」が収まったブロンズ製の掩体壕の模型(1/10)もあります。小さな「飛燕」が巨大なB29に挑みかかったのが、この上空だったのです。

公園の片隅の有蓋掩体壕。時代に流されず残っていた

公園の片隅の有蓋掩体壕。時代に流されず残っていた

戦闘機「飛燕」の絵が描かれた1基

戦闘機「飛燕」の絵が描かれた1基


★調布飛行場展望デッキ(府中・調布・三鷹の3市)
    平成25年に運用開始した新ターミナルビルに入ってみました。800mの滑走路が1本という、地方空港に比べてもはるかに小ぶりで、むしろアットホームな雰囲気さえ感じます。新中央航空が運航する伊豆諸島への定期便の時刻表を見ると、8時過ぎから17時前までの間に26回の離着陸があります。この時も乗客らしき人が2人ほど待合室に座っていました。
    エレベーターで2階の展望デッキに昇ります。まもなく1機(19人乗り)が到着しました。扉が下に向かって開き、それがタラップとなります。17人ほどの乗客が係員の渡す傘を手に、雨の中に降りてきました。すぐに給油が始まり、続いて電源車が横付けなります。まもなく2人の客が搭乗し、飛行機はエプロンから誘導路を通り、滑走路の端に進みました。やや間があって爆音がひときわ高く響き、スタートしたと思うと滑走路の中程でテイクオフ。アッという間に視界から消え去りました。
 30分足らずの間、こんな情景をわれわれ一同展望室の窓ガラスに額をくっつけながら、やや興奮気味に眺めたものでした。飛行機や飛行場って、なぜか少年(?)達の心をワクワクさせるものですね。

タラップから乗客が降りてきます

タラップから乗客が降りてきます

2階の展望デッキから

2階の展望デッキから


 でも昨年7月、ここを飛び立ったパイパー機が離陸直後に民家に墜落し、3人の死者を出した悲惨な事故も頭をよぎります。それ以来、観光や訓練の飛行はここでは許可されていません。
 この飛行場は昭和16年に竣工し、戦時中は帝国陸軍が使用して帝都防空の拠点となり、戦後は米軍に接収されたが、昭和48年に全面返還されました。

子供に還って?みんな楽しそう

子供に還って?みんな楽しそう

★龍源寺(近藤勇の墓地) (三鷹市大沢6-3-11)
 武蔵野の森公園の北側の人見街道に沿ってあります。門前には樹齢300年といわれる大イチョウが2本そびえていました。寺の入り口に新選組局長の近藤勇の胸像が、墓域には墓と辞世の石碑が、それに養子の勇五郎の墓があります。
 
板橋の刑場で斬首された遺骸を勇五郎や門人達が夜陰に紛れて運び出し、この場所に埋葬したといわれています。ただ、近藤勇の墓は6カ所あるといわれ、当会でも訪れたことのあるJR板橋駅前、さらには京都市・岡崎市・会津若松市・米沢市にもあるそうです。

龍源寺の近藤勇の墓所

龍源寺の近藤勇の墓所

★近藤勇生家跡(調布市野水1-6-8)
 龍源寺から西に300mの場所にあるごく狭い土地です。
 ここは近藤勇が生まれた豪農・宮川家のあった所で、7,000㎡もの敷地があったそうですが、昭和18年に、滑走路の延長線上にあるという理由で取り壊されてしまいました。今は産湯をくんだ井戸があるのみです。

近藤勇生家跡。産湯の井戸

近藤勇生家跡。産湯の井戸

★天然理心流道場撥雲館(調布市野水1-7)
 近藤勇の養子勇五郎が明治9年に開いたそうで、最盛期には3,000人の門人がいたといわれています。
 この建物は昭和7年に建てられたもので、一時移転し、戦後に人見街道の拡幅により生家跡の真ん前の現在地に再度移築されました。建物はかなり傷み、廃屋状態です。

天然理心流道場撥雲館

天然理心流道場撥雲館

★散会後は希望者で恒例の懇親会
 無事に4キロを歩き切った有志を待っていたのは 武蔵境駅北口の「三代目鳥メロ武蔵境店」。
  まずはと生ビールの流れ込む様は、海綿の水を吸うが如し(チト表現が古いか?)。棒棒鶏サラダ・カツオのカルパッチョ・つくね串・ガリバタ鶏などの料理も好評で、加えて獺祭・真澄・白鶴などの日本酒も飲み放題で〆て3,500円。こうなると幹事は次回以降の会場探しに重い荷を背負う事になりました。

三代目鳥メロ武蔵境店で。美味しかったですね

三代目鳥メロ武蔵境店で。美味しかったですね

【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・小平・梶川・国友・小林(弘)・佐藤(俊)・志村・滝沢・竹内・土井・堀田・山本・横田・定村(国友の友人)・千葉(国友の友人)(17名)

 (文=佐藤(俊)、写真=荒木)

 

 

 

 

 

第30回散策の会のお知らせ

散策の会の第30回例会は、「調布飛行場周辺を歩く」です 

【日時・集合場所】
2016年9月24日(土)
13時30分 西武多摩川線・多磨駅改札口(1か所のみ)集合
【経 路
多磨駅―武蔵野の森公園―調布飛行場―龍源寺(近藤勇の墓)―天然理心流道場―多磨霊園(有名人のみ)―多磨駅(解散)
【参考情報】
(1)歩行距離は5kmあまり、ほぼ平坦。
(2)トイレは、武蔵野の森公園・調布飛行場・多磨霊園にあります。
【懇親会】
解散後、16時30分から希望者のみで実施。会場は「三代目鳥メロ武蔵境店」、会費3,500円程度。
【申し込み】
9月17日(土)までに、滝沢(042-345-0953)あて。

 

第29回散策の会 報告

神田川沿いを歩く       2016年5月14日(土)

大隈講堂をバックに集合写真

大隈講堂をバックに集合写真

  今回の散策は、早稲田近くにありながら意外に行く機会のない、神田川の左岸に点在する若緑輝く庭園を訪れてみました。
  集合場所が勝手知ったる「馬場」となれば、みなさんの緊張感が多少ゆるむと思いきや、約束の10分前には全員集合という素晴らしさ。
  高田馬場駅の改札を出て道路を横切り、目の前のさかえ通りに入ります。大衆酒場が軒を連ねるのを横目で見て神田川を渡り、西武線の線路や新目白通りを越え、坂を登れば程なく「おとめ山公園」に到着します。

おとめ山公園(下落合2-10)
  学校や官舎に囲まれた、広さが大隈庭園よりやや大きい区立の公園です。
  「おとめ」はロマンチックな「乙女」ではなく、「お留」(立ち入り禁止)という意味です。ここは江戸時代には将軍家の御狩場で、庶民の密猟や立ち入りを禁止されていた場所なのです。太田道灌が鷹狩りに来たのはこの辺かも知れません。いま公園には数か所の湧水がみられ、ホタルが養殖されています。
  駅の近くにこんなに木の鬱蒼と生えている森があったのかと驚きの声も上がり、ことのほか好評な場所でした。

おとめ山公園の木陰で一休み

おとめ山公園の木陰で一休み

山吹の里(面影橋)(髙田1丁目)
  おとめ山公園から東へ約 1 ㎞、太田道灌が鷹狩りの帰りに雨に降られ、簑を借りようと貧しい農家の娘・紅皿(べにざら)に会ったのがこの辺といわれています。

七重八重  花は咲けども山吹の  実のひとつだに  なきぞ悲しき

  簑の代わりに、実のつかない山吹の一枝を差し出された道灌は、この時点ではその意味を解していませんでした。その後、これを恥じて歌の道に精進した道灌は、紅皿を江戸城に呼び、和歌の友にしたと伝えられています。

農家の娘に山吹をさし出された道灌 (新宿中央公園にある像)

農家の娘に山吹を差し出された道灌
(新宿中央公園にある像)

金乗院【こんじょういん】 (髙田2-12-39)
  面影橋を北上した所に、江戸五色不動のひとつである「目白不動」が祀られています。この不動尊は以前ここから 1 ㎞ほど離れた新長谷寺にあったものですが、新長谷寺が東京大空襲により焼失し、ここ金乗院に移されました。三代将軍家光により「目白不動」の名を賜り、これが「目白」「目白台」の名称の由来といわれています。
  不動尊の祀られている堂内は暗く、目が暗闇に慣れた後でもしかと拝顔できませんでした。
墓地には、由井正雪とともに慶安の変(幕府転覆事件)を起こした罪で処刑された丸橋忠弥の、小さく粗末な墓があります。

目白不動

目白不動

丸橋忠弥の墓前で

丸橋忠弥の墓前で

新江戸川公園(目白台1122)
  ここまで来ると、足がずっしりと重くなります。途端、待望のベンチが目に入りました。さすがに座わり込む面々も見受けられます。
  面影橋から川沿いに東へ約700 m、ここはかつて熊本・細川家下屋敷の庭園だった回遊式泉水公園です。目白台地を山に見立て、湧水を生かした大名屋敷の雰囲気をよく残しています。江戸レガシーがこのような形で今に残されているのは、うれしい限りです。それに緑の風が顔に心地よく当たります。

細川家下屋敷の回遊式泉水庭園

細川家下屋敷の回遊式泉水庭園

水神社【すいじんじゃ】(目白台1-1-9)
  胸突坂のすぐ脇の、2本の巨大な銀杏の木の奥に鎮座しています。江戸時代、この近くに神田上水の取水口である「関口大洗堰」があり、その水門の守護神でした。そのために、上水の恩恵にあずかる大名・商家・町人の参拝が絶えなかったそうです。
  言い伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立って、「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀つらば堰の守護神となり、村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたため、ここに水神を祀ったと伝えられています。

巨大な銀杏の木の奥の水神社

巨大な銀杏の木の奥の水神社

椿山荘庭園(関口2-10-8)
  明治時代に山縣有朋が購入し邸宅を建て、古来よりツバキが多く咲いていたことから「椿山荘」と命名しました。
  山縣有朋は大隈重信の政敵で、「椿山荘」の前に拡がる早稲田を眺め、「文明の発達も結構だが、早稲田田圃に毎日大学町が拡がるのにつれてその風情が無くなっていくのは閉口だ」と嘆いたそうです。
  戦後、藤田興業(現・藤田観光)により 1 万本余りの樹木が植えられ、現在のように整備されました。園内には小山の上に三重塔、路の脇には七福神が配置されていて、誰でも自由に散歩できるのはありがたいことです。園内ではこの日が「大安」ゆえ、大きな紙袋を下げた婚礼帰りの人達が目につきました。
  散策も終盤にかかり、時間に追われ始め、見学箇所や説明を端折らざるを得なくなったのは申し訳なく思います。

椿山荘滝の前で集合写真

椿山荘滝の前で集合写真


早稲田大学
  校舎の建て替えが進むキャンパスを改めて眺めて来ました。正門入り口は階段からスロープに変わっています。
 
政治経済学術院では古い校舎が一部保存され、それを包み込むような形で新校舎が建てられています。我らがOB達はあの頃なかったエスカレーターに乗り、「へ~ェ」「ほ~ゥ」と浦島太郎の心境だったようです。

右側旧校舎を包み込んで新校舎

右側旧校舎を包み込んで新校舎

散会後は希望者で恒例の懇親会
  場所はおなじみの「石庫門」。バイト不足のせいか、飲み物や料理がなかなか出てこないという不満もあったようです。それにコース料理も学生相手のせいか量的に多く、もったいなかった気がします。でも3,500円で飲み放題ですから、まぁ好しとすべきでしょう。

石庫門で懇親会

石庫門で懇親会

【参加者】
荒木・井垣・梶川・国友・栗原・小山・佐藤(俊)・末次・鈴木・滝沢・竹内・野村・馬場・堀田・山本・横田・定村(国友の友人)・千葉(国友の友人) (18名)

【報告: 佐藤(俊)、写真: 国友・荒木】

 

第29回散策の会のお知らせ

散策の会の第29回例会は、「神田川沿いを歩く」です。 

【日時・集合場所】
2016年5月14日(土) 午後1時30分
JR高田馬場駅 早稲田口改札前に集合

【経 路
高田馬場 駅⇒ おとめ山公園 ⇒ 山吹の里(面影橋) ⇒ 金乗院  (目白不動・江戸三十三観音札所14番) ⇒ 新江戸川公園 ⇒ 水神社 ⇒ 椿山荘庭園(三重塔) ⇒ 早稲田大学 ⇒ 高田馬場駅(解散)

【参考情報】
(1)歩行距離は約5km。途中、かなり登り下り坂があります。
(2)お手洗いは、おとめ山公園、新江戸川公園等にあります。

【懇親会】
解散後、希望者のみ。高田馬場・石庫門(050-5799-1866)にて。費用は約3,500円。
当日のキャンセルは、料理代を申し受けます。

【申し込み先】
5月12日(木)までに、滝沢(042-345-0953)あてに連絡。

 

第28回散策の会 報告

第28回散策の会は2016年3月26日、「日本橋川界隈巡り」を行いました。今回の散策は、江戸橋から永代橋まで歩いてみました。ただ、このコースには遺構がほとんどなく、大都会の真ん中をただひたすら歩くだけの2 時間になってしまいました。それでも「こういう機会がないとなかなか来ることがなく良かった」という声も聞かれました。
報告の詳細は☞ 散策の会_201603 。

第27回散策の会 報告

第27回散策の会は2016年1月9日、「小石川七福神巡り」を行いました。散策の会の「七福神巡り」も今回で6回目。思えば、残り少ない貴重な人生をお持ちの方ばかりの中で、この5年間に参加者がお一人も欠けることなく続けることができたのも、七福神のご利益かも知れません。
報告の詳細は☞ 散策の会_201601 。