第51回散策の会報告

明石町に学校発祥地をたずねる

令和4年5月28日(土)

今回訪れた中央区明石町は明治2年に外国人の居留地となった所です。ただ外国航路を持つ横浜・神戸などに比べると外国商人の評価は低く、商館よりも教師・宣教師・医師など知識階級の私邸が多く、その結果ミッションスクールや教会が多く誕生しました。一方で横浜には貿易商が住む商館が多くありました。この頃、汽笛一声を残し新橋―横浜間を汽車が往復するようになったのは、こうした人達の交流も大きな理由だったのです。

訪ねた旧跡はいずれも聖路加国際大学・聖路加国際病院(正式な読み方は「せいるか」St. Lukes)の足元に存在しています。このような狭い場所に、その後幾多の俊英を輩出した多くの名門校が産声を上げたのはたいへん珍しいことではないでしょうか。

50回を経て新たなリスタートへ(モットスマイルヲクダサイ)


☆芥川龍之介生誕の地(明石町10)
この辺は乳牛の牧場だった所で、そこの支配人で牛乳やバターを外国人に販売していた店の長男として、明治25年に生まれました。名前は辰年辰月辰日の生まれに因んで付けられました。ただここに居たのは生後7か月までで、母が精神に異常をきたしたために両国の母の実家に引き取られていきます。

☆浅野内匠頭屋敷跡(明石町10)
赤穂藩(兵庫県)浅野家5万3千石の上屋敷のあった所です。内匠頭はここで生まれたようです。死後に江戸屋敷は幕府に取り上げられ浅野家は断絶し、その後は出羽新庄藩、ついで若狭小浜藩へと引き継がれます。刃傷事件の約2年後、吉良邸討ち入り後に泉岳寺へ向かう途中、赤穂浪士たちは(すでに浅野家ではない)この屋敷前を通ったといわれています。

『蘭学事始』の地(明石町11)
ここは中津藩(大分県)奥平家の中屋敷のあった所で、安永3年(1774年)に藩医の前野良沢が若狭小浜藩の杉田玄白らと『ターヘル・アナトミア』(解體新書)を翻訳した場所です。右の赤い御影石には女性の人体図と「解體新書」の文字、左の黒い御影石には「蘭学の泉はここに」と刻まれています。

☆学校発祥の地
この辺は「築地居留地」といい、明治期に宣教師たちにより数々の学校が開校された場所です。明治以前創立の慶應義塾以外はみんなミッション系の学校で、10校のそれぞれに洗練された形の石碑が建っていました。
・女子学院(明石町10)
明治3年に設立された「A六番女学校」に始まります。なお「A六番」はここ築地居留地の地番です。碑は大きな自然石でした。
・慶應義塾(明石町11)
『蘭学事始』と同じ中津藩の中屋敷で安政5年(1858年)に23歳の福沢諭吉が開いた蘭学の「福沢塾」に由来しています。慶應4年(1868年)には芝新銭座(港区浜松町1丁目)に移転し、年号に因み「慶應義塾」としました。碑は本のページを見開いた形で、かの有名な言葉が刻まれています。
・立教学院(明石町10)
明治7年に「立教学校」という名の私塾で、生徒数わずか5名でスタート。立教大学は大正7年に池袋へ移転するまではここにありました。つやつやと輝く馬蹄形の黒色の石碑でした。
・立教女学院(明石町10)
明治10年に湯島で「立教女学校」が設立されましたが、明治15年に当地へ移転してきました。ピンク色の石碑に当時の校舎の写真がはめ込まれています。
・暁星学園(明石町7)
明治21年にこの地の聖堂(教会)で開校しました。石碑の上部には分厚い本が開かれ、中に「あなたがたは地の塩 世の光である」と書かれています。
・関東学院(明石町1)
明治28年に開校された「東京中学院」が源流です。
・雙葉学園(明石町1-6)
明治8年開校の「築地語学校」が源です。二葉葵の葉をデザインしたかわいらしい石碑です。
・青山学院(明石町6-25)
青学の礎となった「海岸女学校」が明治10年に開校した場所です。縦長の碑に「青山学院記念の地」と書かれていました。
・女子聖学院(明石町6-24)
明治38年、教師3名・生徒10名で始まったそうです。四角錘の上に校章の入った四角の石が乗っている石碑です。
・明治学院(明石町7-16)
明治10年「東京一致神学校」が開校しました。オーソドックスな四角の黒御影石の碑です。

☆聖路加ガーデン(明石町8-1)
さて、これまでは落とし物を探すように地べたばかり見てきたので、今度は視角を変えようと、近くにある聖路加ガーデンのオフィス棟(47階)とレジデンス棟(38階)をつなぐ連絡ブリッジ(28階)に上りました。東京タワーとはまた違うウォーターフロントのビル街が見下ろせました。

☆佃大橋

江戸時代の「佃の渡し」の場所に、昭和39年の東京オリンピックに合わせて架けられた橋です。橋の長さは476m。佃島に渡り、佃煮御三家と呼ばれる店で名物を買う時間を設けました。100gで500~700円位でそれを2種類くらい、老人所帯には適量でした。

☆住吉神社(佃1-1-14)
海上安全・渡航安全の神様です。鳥居の陶製の扁額や、彫刻が優れた水盤舎は中央区の有形文化財に指定されています。江戸時代の初期、家康の命により摂津国佃村から江戸に移り住んだ漁夫33人と神職が、この地を埋め立てて故郷を偲んで佃島と名付けました。その後佃村の田蓑神社の分霊をここに祀ったのが始まりといわれています。付近にはまだまだ下町の風情が残っていました。

陶製の扁額は明治15年製、有栖川宮幟仁親王の筆


散策の会も50回を超えて新しいフェーズに入りました。そこで第1回の「築地・月島・佃を歩く」(2010年9月30日)を振り返る意味で、あの時のコースの中から一か所この神社を選んで再び参拝してみました。オリジナルメンバーで今回も参加いただいたのは國友・栗原の両氏でした。深い散策愛に敬意を表します。

【散策後の懇親会】

新型コロナウイルス感染防止のため、今回も行いませんでした。

【参加者】

大河原・大河原夫人・大島・梶川・木本・國友・栗原・佐藤・福田・福田夫人・松村(11名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)

第21回美術館を巡る会
大英博物館 北斎-国内の肉筆画の名品とともに

美術館を巡る会は、新型コロナウイルス感染症の影響で活動を休止しておりましたが、このたびサントリー美術館で開催中の大英博物館 北斎―国内の肉筆画の名品とともに―の招待券を入手しましたので、小平稲門会会員の皆さまにご案内します。

大英博物館 北斎

・日時:2022年6月6日(月)10時30分~(サントリー美術館は月曜日開館です)
・会場:サントリー美術館 港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階
・集合:サントリー美術館入口 (チケットをお渡しします)
・参加人数:10名様限定・先着順・無料
・スケジュール:①鑑賞 10時30分~12時、②ランチ(希望者のみ)12時~
・申込み先:若林覚 090-2498-1512 satowaka3(at)gmail.com 【(at)を@に置き換えてください】
*相当混雑が予想されます。各自随意に入場いただき、出口で若林が出迎えます。

(以 上)

第51回散策の会のお知らせ

第51回散策の会のテーマは明石町に学校発祥地をたずねるです。

1.日時・集合場所
令和4年5月28日(土)午後1時30分

東京メトロ日比谷線・築地駅 3番b出口の地上に集合

2.経路
築地駅→芥川龍之介生誕の地→浅野内匠頭屋敷跡→蘭学事始の地→学校発祥の地(10か所)→聖路加ガーデン→佃大橋→住吉神社→月島駅(解散)


3.参考情報
(1)歩数は約6,000歩。

(2)トイレは途中の公衆トイレ、聖路加ガーデンにある。
(3)解散後の懇親会は行わない。

参加の申し込みは5月26日(木)までに、佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスの保持をお願いいたします。

印刷はこちらから。

(以 上)

第50回散策の会報告

懐かしの東京タワー

令和4年3月23日(水)

「散策の会」の活動が50回に達しました。この間に延べ792人の方に参加いただきました。本当にありがとうございました。と同時にどちら様もおめでとうございます。

栄えある50回目の記念の旅はどこにするか?  いくつもの案を挙げ悩みましたが、結局、松村世話役が提案した東京タワーに決めました。完成から64年、どなたも1度は昇ったことがあるでしょう。でもその後、数十年はご無沙汰という人がほとんどではないかと思います。かくいう私は43年ぶりです。こういう機会がなければなかなかその気になれなし、天下を睥睨し民の竃の賑わいを見れば、気宇壮大な気分になってきっと若返るのでは…。そんなこんなで今回は東京タワー見物を核にして行いました。さらに正月の「港七福神めぐり」でスルーした1寺(弁財天)がすぐ近くにあるので、そこへもご利益をいただきに参拝してきました。

これからも続く「散策の会」は、50回の経験を生かし更なる“高みに引き上げる”べくがんばるつもりでおりますので、皆様の一層のご参加をお待ちしております。

少数精鋭の50回記念


☆芝丸山古墳
(港区芝公園4-8)
都立の芝公園は増上寺を取り囲むように広大な地域を占めていて、今回訪れた古墳・ホテル・もみじ谷の3つはこの公園内に存在します。

古墳は芝公園駅を出るとすぐの所にありました。5世紀後半に築造された前方後円墳で全長125mの都内最大級のものでしたが、いまはかなり削られてしまいそれと分からぬ姿です。でも梅や桜の木が数多くある公園になっていて、墳丘の上まで登れます。墳頂にはかつて二代将軍秀忠と正室お江の方のお霊屋があったとかで、また中ほどには江戸初期に建立された「丸山随身稲荷神社」があり、パワースポットとしても知られています。なお、隣の増上寺には2013年3月にこの会で訪れています。

祠は小さいけどパワースポット

そろりそろり 降りる方がコワイ

☆プリンス芝公園(芝公園4-8-1)
ホテル「ザ・プリンスパークタワー東京」の2階にある屋外庭園です。丸い芝生広場から見る東京タワーはさえぎるものがなく、その全景は見る者を圧倒します。

☆宝珠院(弁財天)(港区芝公園4-8-55)
港七福神の一つで、真っ白なお顔にカラフルな衣装の弁天さまです。三井寺を開山した円珍が9世紀半ばに彫ったといわれています。お寺は東京タワーの足下にある増上寺の塔頭で、近年建て替えたと思われる斬新なデザインの堂宇が目を引きます。他に江戸前期の作で高さ2mもの閻魔大王像や、蛇・蛙・なめくじの「三すくみ」石像もありました。三すくみとは「蛇は蛙を食べ、蛙はなめくじを丸飲みにし、なめくじはその毒で蛇を溶かす」というものです。つまり三つの物が互いに得意な相手と苦手な相手を持ち、それで三者とも身動きがとれなくなる状態のことです。お馴染みなのはグー・チョキ・パーです。

白塗りの弁天さま

来世でお世話になりたくないな

☆芝公園もみじ谷(芝公園4-10-17)
幽谷を想わせる(オーバーか)自然石を組み合わせた岩場、高さ10mの高低差を利用した滝など人工の渓谷です。一帯は名の通りのイチョウやケヤキ・クスノキなどが鬱蒼と繁るはずですが、今は乾燥した木々と常緑樹に包まれていました。

本来なら滝が流れているはずだが


☆東京タワー
(芝公園4-2-8)(入場料1200円)
昭和33年竣工、高さ333mと3並びで覚えた方も多いのではないでしょうか。来塔者はこれまで1億8千万人を超えたそうです。スカイツリーが建って高さ日本一の座は明け渡しましたが、もはやレトロといってもいい東京タワーの人気(コロナ禍前の年間入場者数約250万人)はまだまだ落ちていません。これまで土曜日催行という散策の慣例を、今回あえて平日にしたのは3蜜を避けようとの配慮からですが、予想どおり入場者はパラパラ程度で、ソーシャルディスタンスを十分にとれました。

150m部分にある「メインデッキ」展望台に上りましたが、そこから望む虎ノ門や汐留、赤坂や六本木方面は、平成になってから再開発による高層ビル化が進み、すっかり様変わりしていました。
NHK「ニュースウォッチ9」の気象情報のバックに写る東京タワーは、さまざまなキャンペーンの度に纏う光を変化させ、その意義を気づかせてくれます。その存在感は観光塔以外にも大きなものがあります。

リニューアルでフロアーの一部を硬質ガラスにして、真下がのぞける「ルックダウンウインドウ」ができました。タワーの脚を通して見える地上に、高所恐怖症の私にとっては尻がムズムズする恐怖を味わいました。

東京タワーは元早大教授の内藤多仲の作品です。彼は“塔博士”といわれ、さっぽろテレビ塔・名古屋テレビ塔・通天閣など代表的な塔の設計や、大隈記念講堂の構造設計を手がけました。新宿区にある彼の邸宅は「早稲田大学内藤多仲博士記念館」(非公開)として早大の手によって保存・管理されています。

『すっかり変わったなぁ』

恐怖のシースルー床

東京タワーからぶらぶらと歩いて5分、大江戸線赤羽橋駅に到着し、50回を寿ぐ散策はわずか2時間10分で終わりました。20日に東京は桜の開花宣言、「まんえん防止等重点措置」が解除になったのが21日と喜んだのもつかの間、22日は氷雨のあと降雪、そしてこの23日は曇りで最高気温が11度とまた冬の気温。参加者がわずか10名というのもあり『めでたさも中くらいなりおらが旅』でした。

【散策後の懇親会】
やはり今回も新型コロナウイルス感染防止のため、行いませんでした。

【参加者】
荒木・伊藤(徹)・大河原・大河原夫人・梶川・栗原・佐藤・瀧川・滝沢・松村(10人)

(文=佐藤(俊) 写真=荒木・松村・佐藤)

第50回散策の会のお知らせ

第50回散策の会は「懐かしの東京タワー」訪問です。

1.日時・集合場所
令和4年3月23日(水)午後1時30分
都営地下鉄 三田線 芝公園駅 A4出口の地上 集合

2.経路
芝公園駅→芝丸山古墳→プリンス芝公園→宝珠院→芝公園もみじ谷→東京タワー
→大江戸線 赤羽橋駅(解散)


3.参考情報
(1)歩数は約4,500歩。階段の上り下りが数カ所ある。

(2)トイレは芝公園もみじ谷・東京タワーにある。
(3)東京タワーでは入場料1,200円が必要。
(4)三田線・大江戸線は都のシルバーパスが使える。
(5)解散後の懇親会は行わない。

参加の申し込みは3月21日までに、佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスの保持をお願いいたします。

印刷はこちらから。


(以 上)

第49回散策の会報告

港七福神めぐり

令和4年1月8日(土)

正月恒例の「七福神めぐり」は今年で11回目を数えました。
今回は麻布十番駅から六本木駅までの散策ということで、土地柄ゆえ社寺のほとんどが高層ビルに囲まれていました。大都会の途絶えることのない再開発の中で、それでもその立ち位置を変えることなく現在まで存続し得たことは、まさしく神仏の御加護でしょう。

「港七福神めぐり」は昭和8年に発足し、戦中に中断、昭和41年に復活したもので、実数は「宝船」を加えて八福神あります。社寺はあちこちに散らばっているので、すべてめぐるとかなりの距離になります。それに決った参拝ルートもありません。そこで来たる3月に予定の「懐かしの東京タワー」の散策の際に、宝珠院(弁財天)を参拝することとし、少し離れた熊野神社(恵比寿)と久国神社(布袋)を割愛することで省力化を図りました。

開運招福を願う人たち


☆宝船
 十番稲荷神社(港区麻布十番1-4-6) 
ここは麻布十番駅のすぐ横にありました。メインは賑やかに七福神が乗った「宝船」の石像。それに大火の折に池に住む蛙が水を出し猛火を防いだとかで、消火・防火・火傷のお守りの「蛙」。これがまた“若返る”というので女性に人気があるそうです。他にも旅行・入院から無事“帰る”のお札などなど“手を変える、品を変える”で商売熱心でしたが、わが仲間たちは誰も“買わず”に帰ったようです。

ここの狛犬は麻布十番出身の音丸が昭和12年に奉納したものだそうです。音丸は2020年のNHKの朝ドラ「エール」にも登場し、古関裕而の最初のヒット曲「船頭可愛や」を吹き込んだ歌手で、劇中では下駄屋の娘、実生活では下駄屋の女房でした。その他、見にくい位置でしたが、先代の鳥居を奉納した同じ麻布十番出身の喜劇俳優榎本健一(エノケン)の名を刻んだ銅板もありました。

その昔、世話役の松村さんがこの近くに住んでいたことがあったそうで、通り道にある老舗の豆屋や鯛焼き屋の紹介があり、幾人かがお土産を買いに入りました。

最初に七福神をまとめて参拝

那覇のシーサーはマスクだけど、ここはしめ縄


☆大黒天
 大法寺(元麻布1-1-10)
大黒天像は伝教大師(最澄)が刻んだものと伝えられています。大黒天の小槌を持ち、弁才天の髪、毘沙門天の鎧をつけた「三神具足の大黒」といわれています。これは大黒天の福寿と弁財天の円満、毘沙門天の除災の3つを表しているそうです。木彫の素朴なお姿のはずですが、残念なことに秘仏のため公開されていませんでした。その代わりに江戸期の作とある3体の大黒天が愛嬌を振りまいておられました。

1月8日ともなると参拝客は少ない


☆毘沙門天 麻布氷川神社(元麻布1-4-23)
「一本松坂」をゆるゆると登った、かつてのお屋敷地だったらしい静かな住宅街にありました。太田道灌が勧請したそうです。でもどうして毘沙門天(仏像)が神社に祀られているのでしょう? よく分かりません。それに肝心の毘沙門天がどこに安置されているのか分からずじまいでした。
神社の後ろには上部の方が太いビアグラスのような珍しい形の「元麻布ヒルズフォレストタワー」が建っていて、神社と奇妙なコントラストを見せてくれていました。ここの最上階の29階と28階はメゾネットタイプで、家賃は月額460万円。カルロス・ゴーンが住んでいたという噂があるようです。

日本的アンバランスな風景


☆寿老神 櫻田神社(西麻布3-2-17)
寿老神は正面脇のガラス戸の中にしょんぼりと祀られていました。この神社は源頼朝の命によって創建されたと伝えられていて、江戸初期までは櫻田門外にありました。そこには乃木将軍や新撰組の沖田総司が初宮参りをしたそうです。そんなことで昔はこの辺を麻布櫻田町といっていました。ビルの谷間に押しつぶされそうな姿で建ち、すぐ向いに「六本木ヒルズ」が大きくそびえています。ここは「老人」でなく「老神」でした。

ところで余談ですが「振袖火事」(1657年)の名の由来となった、振袖の持ち主の梅野ちゃんの家はこの近くにありました。ここから出火元といわれる本郷丸山本妙寺までは直線距離でも往復約17㎞。今日の散策の距離の約6倍です。江戸人の健脚にぶりには驚嘆します。

たたずまいは大都会の宿命


☆福禄寿 天祖神社(六本木7-7-7)
竜が灯明を上げに毎夜ここへ品川沖から通ったという故事から、竜土神明宮ともいわれます。「東京ミッドタウン」のすぐ近くにあり、神社があるために隣のビルが「へ」の字に曲げられて建てられてもいます。住所表示から「六本木のラッキーセブン」といわれているとか。福禄寿は境内の小さな満福稲荷に納められていました。でも僧形で八頭身のスリムな立像で、従来の福禄寿のイメージからあまりにもかけ離れていて、つい係のお嬢さんに『あれが福禄寿?』と尋ねてしまいました。

ここから地下鉄六本木駅はすぐそこ。ここでひとまず解散した我等は人々の群れの中に吸い込まれ、5,800歩の旅は終わりました。

年が明けた途端に新型コロナの感染が急速に拡大し、それに比例するように散策のキャンセルも増え続け、結局歴代最少となる9人で歩いてきました。さまざまな「福」をGETしたので、福の力でなんとかコロナに感染しないように…と願いながら。

福禄寿といえば三頭身だけどなァ~

なにとぞたくさんのご利益を

【散策後の懇親会】
誠に残念ながら、今回も新型コロナウイルス感染防止のため中止しました。

【参加者】
市川・大河原・大河原夫人・大島・栗原・小林・佐藤(俊)・滝沢・松村 (9名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村)

第49回散策の会のお知らせ

第49回散策の会は「港七福神めぐり」です。

1.日時・集合場所
令和4年1月8日(土) 13時30分
都営地下鉄大江戸線 麻布十番駅 7番出口の地上 集合

2.経路
麻布十番駅→十番稲荷神社(宝船)→大法寺(大黒天)→麻布氷川神社(毘沙門天)
→櫻田神社(寿老神)→天祖神社(福禄寿)→六本木駅(解散)

3.参考情報
(1)歩行数は約6千歩。

(2)トイレは行程中にはないので、事前にお済ませください。
(3)今回は懇親会を行いません。
(4)都営地下鉄は都のシルバーパスが使えます。

4.申し込み
1月7日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。

 t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスの保持をお願いいたします。

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(以 上)

第48回散策の会報告

荻窪のレガシーをめぐる

令和3年11月13日(土)

憎っくき「新型コロナウイルス」。こ奴のせいで散策は自粛に追い込まれ、1年10か月がなすすべもなく打ち過ぎて行きました。この度催行の許可も得られ、ようやく皆さんの笑顔に接する機会が再来しました。そしてこの日、巣ごもりからの脱出を目指す17名が集まりました。

ところで、これまでに都内23区のうち22区をめぐり、未踏区の掉尾を飾ったのは意外にも近くの杉並区でした。そこで今回は杉並区が資金をかけ整備・活用したレガシーとしての庭園を中心に見ることにしました。

マスクをはずして懐かしい笑顔をご披露


☆明治天皇荻窪御小休所跡
(杉並区荻窪4-30-16)

荻窪駅からわずか3分の所にあります。明治天皇はどうやら外出(行幸)好きだったようで、あちこちにずいぶんと「聖蹟」や「お手植えの松」なんてのがありますが、ここもその一つです。明治16年4月、天皇が飯能で行われた近衛師団の演習の視察に向かわれた際、休憩で立ち寄られた名主の中田家の「離れ」があった場所です。天皇はその後も昭憲皇太后と小金井へ観桜にお出かけの時も利用されました。当時の長屋門や離れ(小休所)が移築・復元されて残っています。

『みなさんお久しぶりで~す 足は弱っていませんかぁ』


☆西郊ロッヂング(荻窪3-38-9)
銅板葺きの緑色のドーム屋根が帽子のように乗っかったベージュ色のレトロな建物です。昭和6年に本館が建てられ、13年に新館を増築し、当時はすべて洋間で賄い付きの高級下宿だったそうです。現在は本館が旅館営業で、宿泊料が7千円前後と格安なので受験生などに利用されているようです。新館は賃貸アパートになっています。ここは国の登録有形文化財です。

今年90歳の高級下宿屋


☆大田黒公園
(荻窪3-33-12)

門からは御影石を敷いた70mにも及ぶ道が奥へと導き、両側にはわずかに黄ばむ樹齢100年を超えるイチョウ並木が伸びています。ここは音楽評論家であり、NHKのラジオ番組『話の泉』のレギュラーメンバーだった大田黒元雄の自宅があった場所です。跡地の大部分を杉並区が整備し回遊式日本庭園としました。池には錦鯉が悠々と泳ぎ、広い芝生の周りにはアカマツ・ケヤキなどが大きくそびえ、斜めに差し込む陽の光が竹林に色を添えています。昭和8年に建てられた仕事場はいま記念館(登録有形文化財)となって残されていますが、当時としては珍しいベンガラ色の洋館造りで、中には愛用のピアノや蓄音機が展示されていました。荻窪駅から10分ほどの地にこんなに立派な庭園があるとは驚きです。

小春日和に包まれた公園への  アプローチ

水面に錦が

足の疲れを目から癒す

☆近衛文麿旧邸(荻窪2-43-36)
元首相近衛文麿の別邸の一部を杉並区が買い取り、「荻外荘(てきがいそう)公園」として整備しました。ここには空襲から免れた木造平屋建てと庭園が残っています。近衛の本邸は下落合にありましたが、昭和12年にここを購入してからはすっかり気に入って、本邸に帰ることはなかったそうです。したがって大東亜戦争中の重要会議はここで開かれました。「A級戦犯」に決定し、巣鴨拘置所に出頭する直前に服毒自殺(昭和20年12月16日 54歳)したのもこの場所です。ただ残念ながら内部の見学は許可されていませんでした。ここは国の史跡に指定されていますが、近年の修復と思われるアーバン色のアルミサッシやベランダはちょっと興が削がれます。旧邸の下の芝生広場は小さな子供たちの遊び場とママ友たちのおしゃべり場になっていました。

『近衛さんは3回総理になりました。大隈さんは2回』


☆角川庭園
(荻窪3-14-22)

俳人で角川書店の創立者である角川源義(げんよし)の自宅を杉並区が整備し「幻戯山房(げんぎさんぼう)~すぎなみ詩歌館~」として公開しています。内部には杉並区のさまざまな名所が写真で展示されていました。ここは昭和30年に建てられた近代数寄屋造りで、障子や雨戸などの建具がすべて壁に引き込まれて、部屋と庭が一体化されるよう工夫されています。モダン住宅の先駆けとしてここも国の登録有形文化財です。庭には松尾芭蕉にちなんだ“芭蕉”や荻窪の地名に由来する“荻”が植えられているほか、四季を通じてさまざまな花が楽しめます。

しばしKADOKAWAに浸る

庭には秋の草花も


☆善福寺川緑地(成田西4)
この辺は善福寺川が大きく蛇行していて、武蔵野の面影を残す樹木の下には大小さまざまな緑地が点在しています。善福寺川を渡り五日市街道に出て関東バスの五日市街道営業所前で解散。やがて来た吉祥寺駅行きのバスは運よくがら空きで、みなさん疲れた体をシートに沈めることができました。
なお、善福寺川は善福寺池を源として、地下鉄丸ノ内線の中野富士見町駅付近で神田川に合流する、杉並区内だけを流れる長さ約10kmの短い川です。

これまで『ステイホーム!』『外出自粛!』と叫ばれて忠実に従ってきましたが、気が付けばコロナ太りの体に変形し、そのうえすっかり足が萎えていて、私としては先達が務まるかどうか心配が先に立つ散策でした。

『え!なになに? なにがあるの?』 ⇒⇒ 鴨


【散策後の懇親会】
誠に残念ながら、今回は新型コロナウイルス感染防止のため中止しました。

【参加者】
荒木・市川(小林の友人)・大島・梶川・栗原・古林・小林(弘)・佐藤・篠原・篠原夫人・末次・瀧川・滝沢・野村・早川・松村・山本 (17名)

(文=佐藤(俊) 写真=荒木・松村)

第48回散策の会のお知らせ

第48回散策の会は「荻窪のレガシーをめぐる」です。

1.日時・集合場所
令和3年11月13日(土)、13時30分、JR荻窪駅 東改札前に集合

2.経路
荻窪駅→明治天皇荻窪御小休所跡→西郊ロッヂング→大田黒公園→近衛文麿旧邸→角川庭園→善福寺川緑地(解散)→バスで吉祥寺駅


3.参考情報
(1)歩行数は約8千歩

(2)トイレは公園・庭園にある

4.申し込み
11月11日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。

 t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977


なお、今回は以下の点にご留意ください。
・散策後の懇親会は行わない。
・当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスを保持すること。
・今後コロナの感染再拡大によっては世話役の判断で催行を中止することがある。

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(以 上)

続報 最終回はピアノとサックスのデュオで !
カラオケの会主催「石井道彌 & Jazz Talk」

同好会「カラオケの会」が主催したンライン開催による第2弾「石井道彌 & Jazz Talk」は、小平稲門会が誇るレジェンドジャズピアニスト・石井道彌さんを講師に迎え、7月12日から9月13日までの第2・第4月曜日に計5回実施しました(「小平稲門会ニュース」2021年9月20日号で既報)。

その後、講師の石井さんからメッセージとして「Zoomミーティングでジャズを楽しむ」(スクロールして画面の下部をご覧ください)をいただきましたので、、「続報」としてお届けします。

ジャズピアノ奏者の石井道彌さん

最終回は石井さんが友人のサックス奏者・坂上多津夫さん(小平市在住)を迎え、ピアノとサックスのデュオで、息の合ったジャズ演奏を披露してくれました。演奏曲目は14曲で、坂上さんは、曲目に応じてソプラノ、アルト、Cメロディの3種類のサキソフォンを使い分け、素晴らしい音色を奏でてくれました。
オンラインではありましたが、参加者全員が堪能した、シリーズ最終回にふさわしいジャズのライブ演奏でした。(文・画像=二又祐一)

石井さんと坂上さんによる、息の合ったデュオ

「1923年製のサックスです」と説明する坂上さん

 

 

オンラインでのライブ演奏会に参加したメンバー


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Zoomミーティングでジャズを楽しむ
石井道彌(1952文)


はじめに、この企画について終始ご尽力頂いた小平稲門会の松村純夫さん、二又祐一さん、伊藤 徹さんに厚くお礼申し上げます。

新型コロナウイルス感染拡大以来、「出るな・集まるな・喋るな」が続いた今年の春、「不自由な毎日の憂さ晴らしに良い手立てはないか」と、小平稲門会の友人からお声がかかりました。「私のピアノでリモート会合を開く」ことを思いつき、関係者4人でZoomミーティングを重ねた結果、「カラオケの会」主催で、「カラOKの会」と「Jazz Talk」が実現することになりました。


いざ始めてみますと、発信も受信もパソコン画面だけがたよりで、伴奏者には歌い手の顔が見えず、特に歌い手と伴奏者の呼吸合わせが難しかったのですが、今後はピアノの譜面台にパソコンを設置すれば、この問題は解決できると思います。何より嬉しかったのは、顔を合わせる機会が失われた小平稲門会の皆さんと一緒に歌ったり、話したり、乾杯ができたことです。 コロナ禍の結果、テレワークが普及し、参加者が一堂に会さなくても、誰でも自宅から参加できるZoomミーティングは、これからもいろいろなことに活用できると思います。


なお、この企画実現のための、関係者によるZoomミーティングは、3月13日、4月7・25日、5月27日、6月26日、7月9日の計6回行いました。

【関連情報】
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