年末ならではの福井のセイコ蟹を楽しみ、越前そばをたぐるご案内です。
1.日時:2019年12月16日(月)13時10分、日本橋三越ライオン前集合
2.場所:中央区日本橋室町1-8-2日本橋末広ビル「御清水庵清恵」電話050-5797-0915
3.費用:@¥6,000
4.参加申し込み:12月12日(木)までに世話人・山本浩(電話042-473-7617)へご連絡下さい
(以 上)
年末ならではの福井のセイコ蟹を楽しみ、越前そばをたぐるご案内です。
1.日時:2019年12月16日(月)13時10分、日本橋三越ライオン前集合
2.場所:中央区日本橋室町1-8-2日本橋末広ビル「御清水庵清恵」電話050-5797-0915
3.費用:@¥6,000
4.参加申し込み:12月12日(木)までに世話人・山本浩(電話042-473-7617)へご連絡下さい
(以 上)
山本 浩(昭29・政経)
私の山との出会いは学生時代、友人から東京の一番高い所へ行こうと誘われたことに始まる。
昭和25年、20歳の私は山の何たるかを考えることもなく、学生服学帽の姿で三峰神社から白岩山を越えて雲取山を目指した。着いた山小屋はロッグ造り、むき出しの丸太の記憶が残っている。
翌朝2,017 mの山頂から奥秩父の金峰、甲武信、国師等の山並みを望んで、何時か必ずあの山々に登ってみたいと思った。
その後、体育の単位をとるために富士山に登る機会があったが、5合目迄車で行ける今と違って歩き始めはふじアザミの大きな花が目についた馬返しから、1合目、2合目と刻んで5合目で泊まり。翌朝暗いうちに出発して、その鮮やかさに感激したご来光は8合目。しっかり注意されていたゆっくり歩きを心掛け3,776 mの頂上に立った時、吸い込まれそうな濃紺の空に星の瞬きを見た。
下りは金剛杖を股に挟んで雪渓をグリセード、続いて草鞋をグルグル足に巻き付け脛まで潜る須走を豪快に駆け下りた。
日本一の富士登山の後、また友人から「おい、日本で2番目に高い所は何処か知ってるか?」と云われて3人で白根三山を目指すことになったが、この縦走こそが山の厳しさ、恐ろしさと共に醍醐味もしっかり与えてくれて、後年の私の山歩きに深く根を下ろすものとなった。
現在、北岳登山は甲府からバスで野呂川の奥、広河原から登るのが一般的だが、昭和26年当時、バスは御勅使川の芦安まで、此処から歩き始めて夜叉人峠を越え野呂川、荒川の合流点にあった無人の荒川小屋が最初の泊まり(今行程の山小屋は全て無人、しかも誰にも出会わなかった)。装備は毛布に飯盒と米、若干の嗜好品が全て、毎回火をおこすのが一番大変だった。
此処から登り始めたのが池山吊り尾根(登る人が少なく今の地図では点線表示)、折悪しく雨になって急登が続く。霧の中に浮かぶピークをクリヤしたと思ったらその上に又ピーク、嫌になる程これを繰り返す。風にそよぐ幽玄な「さるおがせ」なる植物もこの時初めて見た。
悪戦苦闘、へとへとになって北岳頂上下の石室に着いた時、もう周りはすっかり暗くなっていた。
何はさておき、火をおこすために薪を集めてこなければならないが、ヘッドランプを照らして暗い雨の中、薪を探すのは容易なことではなかった。
今にして思えば一体どうやって火をおこすことが出来たのか不思議な気がしてならない。
外は風雨が激しく、風音が高い。そのうち外で誰かが「おーい、おーい」と呼んでいるような気がして、外でランプを振り回すが反応は全くない。ひょっとしてこれは高山病の幻聴だったかもしれない。
十分な休養が採れたわけではないが、我等は進むしかない。幸い翌朝雨は上がって朝食後、北岳頂上3,193 mをきわめ三千メートルの稜線を縦走し始めた。
最初の目標、間ノ岳3,189.5 mは何処が頂上とも分からない茫洋とした大山塊、その為霧など悪天候の際の遭難事故が多いとされている。今日の我らにその心配はなかったが、パーティの仲間に異変が発生した。
3人のうちの1人の歩速が上がらない、そのうちぱったり止まる。どうしたと声を掛けても返事がない。目は虚ろ、これは間違いなく高山病にやられたと気付いたが、その時我等が助けを求め得る人力も手段も全くない。やはり我等が前に進むしかないので彼のリュックを担いでやり、前進を促す。
初めのうちは何とか歩いてくれていたが、それもだんだん難しくなってきた。
こうなれば心を鬼にして歩かせるしかない、「歩け!」と怒鳴り、突き飛ばして無理やり歩かせた。
間ノ岳、農鳥岳3,025.9 mの頂上を楽しむ余裕はなく大門沢の下りに入ってヤレヤレ、何とか明るいうちに大門沢小屋に転がり込んだ。
彼にエネルギー補給をして元気になってもらおうと食事を勧めるが全て吐いてしまって喉に通らない。その時私が所持していた米軍(進駐軍)のドロップス状緊急食糧(エマージェンシーレイション)だけやっと受け付けてくれたのは全く幸運だった。
早川沿いに下って高度が下がる毎に、彼の状態は徐々に快方に向かった。
山を下りて人里で初めて泊ったのは西山温泉、男女混浴の温泉だったがそんなことよりともかく人がいてくれることが大きな安らぎだった。
翌日南アルプス街道を下って富士川へ出たのだが、うろ覚えながら馬車鉄道に乗ったような気がする。富士川の駅ホームですっかり元気になった彼に「山では手荒なことをしてすまなかった」と詫びを言ったら、何と彼は全く何も覚えていないと言うのだ。そんな馬鹿なと思ったが、正にこの時は高山病の恐ろしさをまともに突き付けられた瞬間だった。
学友に山形の農家出身者がいて、冬休みの誘いで初めてスキーを体験することになった。
当時のスキーはイタヤの単板、竹のストック、皮ひもの締め具と素朴な道具だったが、彼の家の裏山で暗くなるまで滑ってズボンの裏が破れるまで尻もちをついた。
翌日は蔵王の樹氷を見に出かけ、地蔵岳の頂上に登り、お前は歩いて降りろという友人の言葉に逆らってスキーで滑降、当然のことながら、こけつまろびつ、樹氷の間の狭いコースで倒れていると後から来る上級者は私の上を飛び越えていく。やがて最大の難所、懺悔坂に差し掛かる。坂を前に暫し考えたが無駄なこと、真っ直ぐ滑るしか出来ないので飛び降りるがごとく直滑降、滑るというより転がり落ちて身体じゅう雪玉だらけ、よくもまあ怪我しなかったものだ。
スキーは結局ものにならず、冬山を歩き景色を楽しむスノーシューに転向してしまった。
学生時代が終わり社会人となった最初の勤務が九州の三池だったので、休日を利用して阿蘇や久住に登ったが、やはり一番印象に残るのは高千穂の峰から噴火直後で未だ道を火山灰が覆っていた新燃岳(本当は入山禁止だった)、韓国岳を縦走して林田温泉に下りた山行だ。火口を見ながらの歩きは月面のクレーターを真近に見るようだった。
在職中は時間の余裕がないので半ば本格的に山に登りだしたのは会社勤めを終えてからで、退職して直ぐに老け込んだりしたくないし、何とか体力をキープしたいからでもあった。
縦走で最も想い出深いのは剣・立山縦走で一行6名(真に残念ながら4名は既に故人となった)、室堂から雷鳥沢の雪渓を左に別山乗越2,750 mへ上って薄暗い空におどろおどろしくも猛々しく聳え立つ剣岳に正対した時、果たしてこんな山に登れるのだろうか、これは正しく魔の山だと思った。
前進基地は佐伯さんの剣沢小屋、食事が良いので評判、翌朝5時発、一服剣へ登って一旦武蔵のコルへ下り難所の前剣の門、平蔵の頭、コルからカニノタテバイ、頂上2,998 mへと夢中で登った。
下りもカニノヨコバイなど気を許せない。剣沢小屋で昼食休憩、別山乗越から別山山頂2,874 mを越えて内蔵助山荘泊まり。翌朝も早立ちで真砂岳2,860 mを越えて富士ノ折立2,999 mへ登るが、いきなり叩き付ける豪雨とともに真近の雷、3,000 m近い稜線では遮るものは何もない。「山本さん、どうしますか」の声に「逃げる先は大汝避難小屋」と走り出した。
何とか小屋へ転がり込んだが、一人腹の調子が悪く用を足してから追いついたので「丁度、水洗便所になってよかったのでは」は悪い冗談だった。
雨が小降りになってから雄山3,003 mを経由して室堂に下りたが、此の水洗便所の君が百名山を達成した時、一番大変だった山は何処と聞いたら、ためらわずこの時の剣・立山縦走を上げた。九州天草出身の快男児だったがもう会うことは出来ない。
槍ヶ岳は好きな山で槍沢、東鎌尾根、西鎌尾根と4度登ったし、戸隠の高妻山は一不動五地蔵八観音と上り下りを繰り返し、行きが上りで帰りが下りとも言えない不思議な山だった。
70歳の記念となった北穂・涸沢・奥穂・前穂や太郎平・黒部五郎・双六・笠、荒川三山・赤石岳、雲ノ平、水晶岳、鷲羽岳等随分多くの縦走路を歩いた。
73歳の塩見岳で日本の3,000 m峰21座を完登したが、10年前二度目の奥穂高以来3,000 m峰を訪れることが無くなってしまった。
気分としては登れないのではなく、登らないだけだと思いたいのだが、最近の平衡感覚や歩速の低下は逃げきれない現実だ。
然し、翻って考えればこの年にして未だ歩ける、幾らでも自然を楽しめるとポジティブに考えればまだまだ過去の人になることはない。
これからも身の丈に合った楽しさを求めて生きたいと願っています。
(2019.07.30)
10月18日(金)に予定のワイン研究会・第6回ワイナリーツア
なお、11
(以 上)
小平稲門会会員の皆様へ
小平稲門会会長 栗原政博
10月12日(土)の小平稲門会第31回通常総会の当日に超大型台風19号が関東地方を直撃する見込みです。
雨、風共に非常に激しくなるとの予報ですので、参加者の方の安全も考慮し、小平稲門会第31回通常総会は今回中止とさせていただきます。
皆様には多々ご迷惑をおかけしますが、ご了解・ご協力よろしくお願いもうしあげます。
(以 上)
散策の会の第46回例会は、「旧江戸川べりを歩く」です。
1.日時・集合場所
令和元年11月16日(土)午後1時30分
都営地下鉄新宿線・一之江駅 A2出口の地上に集合
2.経 路
一之江駅→古川親水公園→宇田川家長屋門→熊野神社→旧江戸川べり→東京メトロ東西線・行徳駅(解散)
3.参考情報
(1)歩行数は約1万歩
(2)都営地下鉄は都のシルバーパスが使える
(3)解散後、希望者で懇親会を行う(会費 4,000円程度)
4.申し込み
11月10日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977 または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。
(以 上)
記念誌発刊にあたって
小平稲門会会長 栗原 政博
小平稲門会は、平成元年設立以来30年という大きな節目を迎えました。
これを祝い、平成30年4月のお花見の会から平成31年2月の新春交歓会迄の約1年間に亘り祝賀行事・イベントを盛大に展開し、楽しみました。
このような大きな節目を祝うことが出来ましたのは、この間に会運営に携わってこられた役員、各同好会の世話人、そして活動に参加し会を支えて頂いた会員の皆様方の熱意とご尽力のお蔭であります。加えて、早稲田大学並びに校友会本部、近隣稲門会の方々の常日頃からのあたたかいご指導ご鞭撻のお蔭でもあります。ここに、関係各位に改めまして心から感謝いたしますと共に厚く御礼申し上げます。
顧みますと、この30年は平らな道ばかりではなかったと思いますが、いつの時代にも、会員の皆様のご要望に対応しながら、小平稲門会の初心である、「明るく楽しい、何でも話し合える気楽な親睦団体」を実現すべく歩んで来た道であったろうと思います。
近時は、四季を通しての全体行事、多彩な17の同好会、ゲストティーチャーや市民の皆様と一緒に楽しむコンサート等の地域貢献活動、現役学生を諸行事に招待する取組み等活動の幅と深みを増しています。
かかる時に、設立30周年を記念し、後世にも足跡を残し未来のさらなる大きな節目のベースになればとの願いで小平稲門会初の記念誌を発刊いたしました。30年の歩みをストーリーとして取りまとめるとともに、多くの会員の皆様からのご寄稿を掲載し、平成の世に歩んだ小平稲門会の姿をしっかり残したいとの思いで編集いたしましたので、是非お目を通されますようお願い申し上げます。
これから日本が令和の時代に歩みを進めるのと時を同じくして、私達小平稲門会も更なる大きな節目に向かって新たな一歩を踏み出しております。
会員の高齢化が進む中、若手や女性を含めいかに会員を拡大していくか大きな課題を抱えていますが、叡智を絞り取り組み続けなければなりません。早稲田と小平のご縁でつながる気の置けない仲間の会として、日々の生活に彩りを添える存在であり続けたいと願い、役員一同、引き続き精いっぱいの努力を重ねてまいりますので、今後とも皆様のご支援とご鞭撻を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
******************************
『小平稲門会設立30周年記念誌』
■目 次
第Ⅰ部 30年のあゆみ
第Ⅱ部 30周年を祝う
第Ⅲ部 和を深める~同好会活動
第Ⅳ部 輪を広げる~地域貢献活動
第Ⅴ部 いなほ随想
資料
■仕様・体裁
判型=A 4判、製本=並製、ページ数=本文128ページ、印刷=4色
早稲田大学校友会の「稲門会」の社会貢献事業の一環として結婚相談を行うボランティア団体「いなほ会」が主催する「秋の婚活バーベキューパーティ」が、2019年11月16日(土)、11:30から都立小金井公園で開かれます。
■バーベキューパーティの参加申込書は、こちら。
早稲田のミュージアムをめぐる
令和元年9月28日(土)
いつも1万歩以上歩いていただいているので、今回は少し短く(約6千歩)・・・と選んだのがこのコースです。早稲田大学は既にある「坪内博士記念演劇博物館」や「會津八一記念博物館」に加え、3つ目に「早稲田大学歴史館」を、4つ目として「早稲田スポーツミュージアム」をと、続けざまに“ミュージアム”をオープンしました。今回は校友としてぜひ見ておきたいこの新しい2施設に加え、近傍にある「漱石山房記念館」も見学してきました。
あの頃“昂然と高張る胸”で“ふり仰ぐ時計の塔”は、50~60年後のいま、丸くなった背や曲がった腰を伸ばして見ても、すこしも変わらぬ姿でそこにあります。そしてその真下にはその間に大きく変貌した20名の方々の、それでも元気で母校愛に燃ゆる姿がありました。
☆早稲田大学歴史館(新宿区西早稲田1-6-1)
近年校舎が建て変わっていく早稲田の杜の中で、昔からのたたずまいを残す1号館の1階に平成30年3月に開設されました。中心にカフェテラスを配置し、その周りを回字形の展示エリアに設定し、大学の歴史に関するさまざまな資料を、デジタル媒体を活用して多様な切り口で展示しています。参加者のみなさんは“先哲の面影偲ぶ”心持ちで、“重ねきし歴史”をそれぞれじっくりとご覧になったようです。NHKの大河ドラマ『いだてん』の前半に毎回のように出てきた「天狗倶楽部」(武井壮が扮した早大生の押川春浪らのスポーツ団体)のユニフォームが、私個人としてはドラマのシーンと重なり印象深く目に入りました。また、大型スクリーンに投影されたキャンパスの空撮は、見慣れない角度からのものだけに思わず引き込まれてしまいます。
☆漱石山房記念館(早稲田南町7)(入場料250円、ただし団体割引)
西早稲田キャンパスから出て今やコンビニに変わってしまった旧「三朝庵」の角を曲がり、早稲田通りに入ります。途中で「夏目漱石誕生之地」や、中山安兵衛(堀部安兵衛)が仇討ちの際、喉の渇きを癒すため大酒を飲んだという酒屋の前を通ります。この酒屋は今や「リカーショップ」との看板です。
さて、夏目漱石は引っ越し魔で生涯に16回も引っ越しましたが、明治40年から49歳で亡くなる大正5年までの9年間過ごした最後の家(漱石山房)の敷地に、この記念館は建てられました。漱石の生誕150年を記念して一昨年にオープンした新宿区立の施設です。漱石の生涯と数々の作品の紹介や、再現された書斎や客間などさまざまな資料が展示されています。漱石はこの書斎で「三四郎」「こころ」「道草」などを執筆したそうです。また裏には「漱石公園」があり、胸像や猫の墓があります。なお、漱石と早稲田の関係でいえば、彼は帝大生の身ながら、学資稼ぎのため明治25~28年に東京専門学校(早大の前身)の講師を務めていました。
ところで今回みなさんをこの記念館にお連れしたのは、早大に近いこともありますが、実はここの名誉館長であり漱石の孫でもある女性(早大OG)が私と高校の同期生で、彼女に『ぜひ』と頼まれていたからです。ご足労をお掛けしました。
☆早稲田スポーツミュージアム(戸山1-24-1)
記念会堂の跡地に建てられた「早稲田アリーナ」の3階に今年3月オープンしました。ここでは長い早稲田スポーツ史の中での栄光のシーンや、さまざまなエピソードを豊富な写真や映像等で展示しています。小平稲門会員だった故山中毅さんの「スポーツ功労賞」受賞の写真もありました。窓の下には「戸山の丘」(メインアリーナの屋上)の若木と芝生が9月の夕暮れの薄日を受けています。“栄光はみどりの風に”乗って、若きアスリート達にきっと届くことでしょう。ところでこの日はメインアリーナで、NHK主催の「ラグビーワールドカップ2019」の8Kスーパーハイビジョンによるパブリックビューイングが行われる日でした。それもV候補のアイルランド対われらがジャパンとなれば、赤白のジャージを着たファンが多く行き来する姿が目に入ります。「見たいなァ」という誘惑が袖を引き続けます。でもこの後の懇親会の会場をドタキャンするわけにもいかず、地下鉄早稲田駅に向かいました。
【散策後の懇親会】
前回に引き続き、また会場が高田馬場の「土間土間」になってしまいました。会場選択の過程で安全弁が働いたせいかもしれません。会場に到達した時はラグビー試合が佳境に入った頃。私といえばスマホのテレビ画面に目は釘付けで、何を飲み食いしたかはほとんど記憶にない状態でした。やがて日本の大金星が伝えられ、みなさん上機嫌で杯を重ねられ、そして「豪華海鮮ちゃんこ鍋」(?)がカラになり、お開きとなりました。記念すべき一夕でした。
【参加者】
荒井・荒木・伊藤(徹)・小川・国友・栗原・古林・佐藤(俊)・佐藤夫人・篠原・鈴木・滝沢・千葉・飛田・土井・中村・野村・松村・横田・山本(20名)
(文=佐藤(俊)、写真=荒木)
開催日: 令和元年9月27日(金)午後1時より
場 所: 国分寺駅北口 「でんえん」
曲 目: ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン演奏 ダヴィット・オイストラフ
アンドレ・クリュイタンス指揮 フランス国立放送局管弦楽団
今回の会合で70回になり、2013年10月1日開催の第7回以来でこの名演奏を聴いた。
いつ聴いてもこの名盤は素晴らしく、満足した。
なお、長年お世話になっている「でんえん」を経営されている新井夫人もご高齢になられ、この会も年内はいつものように原則第4金曜日開催は約束頂いたが、明年以降はその都度確認の上開催の可否を決めることとなった。
但し11月22日(金)はワイン会に譲り、第5週の29日(金)に11月度は開催予定である。
また、本日席上で配布した小冊子(70回までの演奏曲目)は若干在庫がありますので、ご興味ある方は小川までご連絡ください。
●本日の出席者: 荒木、井垣、伊藤、栗原、志村、清水(国分寺)、滝沢、山本、木本、小川、以上10名。
【次回開催予定】
・開催日時:10月25日(金)午後1時より
・場 所: 国分寺駅北口 「でんえん」
・曲 目:チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
ピアノ演奏 ヴァン・クライバーン キリル・コンドラシ
アンドレ・クリュイタンス指揮 フランス国立管弦楽団
(文:小川、写真:荒木)
今回は、つなぎに大豆粉を使う津軽蕎麦のご案内です。
1.日 時: 2019年11月19日(火) 11時45分、地下鉄東西線神楽坂駅1番出口集合
2.場 所:新宿区納戸町10 「芳とも庵」(旧生粉打ち亭)
電話050-5868-2445 月定休
3.予 算:@¥4,500程度
4.参加申し込み:11月14日(木)までに世話人山本浩(電話042-473-7617)へご連絡下さい。
(以 上)