令和7年11月28日(金)
最近、天候に恵まれないことが多い散策の会ですが、この日は嘘のような好天に恵まれ、7名の参加にて新宿御苑前駅に集合しました。今回は、お岩さんゆかりの寺社を含む、新宿一丁目から四谷三丁目までの旧跡を巡る旅で、いつも通り瀧川世話役のガイドの説明を受け出発しました。

恒例の事前レクチャーのあとはエッホエッホと
(1)三遊亭圓朝旧居跡(新宿1-21)
ここは圓朝が明治21~28年まで住んでいた場所です。圓朝は東京落語界の名人といわれ、また怪談噺や人情噺に多くの傑作を創作しました。旧居跡は新宿区指定史跡に指定されており、花園公園内に旧居跡の碑が建っています。

昨年訪れた北斎通り(墨田区)からここへ引っ越した
(2) 四谷大木戸跡
甲州道中を往来する人々を監視する目的で造られました。間口二間半の木戸があり、番所を置いて検問しました。木戸は22時(四ツ)になると閉じられました。

大木戸の西に宿場・内藤新宿が開かれる
(3) 水番所跡(内藤町87)
玉川上水はここから地下へ入り、石樋や木樋で四谷見附方面へ導かれました。この水番所ではゴミや死体などが地下に入らないように監視していました。
近くには玉川上水を拓いた玉川兄弟の功績をたたえた高さ4.6mほどの漢文で記された石碑「水道碑記」(すいどうのいしぶみのき)があります。
(4)多武峰(とおのみね)内藤神社(内藤町1-8)
今の新宿御苑に中屋敷があった信州高遠藩内藤家の屋敷神です。 境内には、内藤家の四谷屋敷拝領の伝承にかかわる石碑の「駿馬塚の碑」があります。また、ここは明治20年に、眞崎鉛筆製作所(現三菱鉛筆)が玉川上水の分水を利用した水車を動力にし鉛筆の製造を始めた所で、それにちなんだ「鉛筆の碑」もあります。

ひっそりした新宿のルーツの屋敷神
(5)斎藤藤茂吉終焉の地(大京町22)
歌人・精神科医の斎藤藤茂吉が空襲で南青山の自宅を失った後、昭和25~28年を過ごした場所です。
「新宿の 大京町と いふとほり わが足よわり 住みつかむとす」(茂吉)

70歳で没し、墓は青山墓地に
(6)長善寺(四谷4-4)
四谷で最も古い寺院。通称「笹寺」と呼ばれますが、それは二代将軍秀忠が鷹狩りで訪れた際、境内一面に熊笹が生い茂っていたからといわれています。横綱の始祖といわれる明石志賀之助が境内で江戸初めて(1624年)の勧進相撲をしたとして、記念の「四谷勧進角力始祖」の碑があります。曹洞宗。

江戸勧進相撲の発祥の地
(7)於岩稲荷田宮神社(左門町17)
鶴屋南北の「東海道四谷怪談」のモデルとなったお岩(田宮於岩)と縁のある神社。もとは同心田宮家の屋敷神でした。実在のお岩は養子の伊右衛門とは仲の良い夫婦で、家勢を再興したといわれることから、人々の信仰を集めました。
「東海道四谷怪談」は於岩が生きていた時代より200年後に作られた作品。境内には「田宮」の表札がかかった家があり、子孫がお住まいのようです。

寄進者には歌舞伎・新派の名優たちの名が
(8)陽運寺(左門町18)
ここにあったお岩の霊堂が戦災にあったため、栃木県沼和田から堂を移し再建しました。堂内にはお岩の立像があり、厄除け・縁事・芸事に霊験があると信仰を集めています。境内にはお岩ゆかりの井戸もあります。境内にはカフェや売店がありなかなかの商売熱心のよう。日蓮宗。

お岩さんとのゆかりがいまいち分からなかった
(9)消防博物館(新宿区四谷3-10)(入場無料)
消防博物館は、正式には東京消防庁消防防災資料センターといい、江戸の消防に関する錦絵、瓦版、古文書、消火道具や明治時代から現在に至るまでの消防ポンプ、防火衣、消防活動資器材などの実物を中心に展示しています。まず、10Fの防災ラウンジに上り、新宿副都心や富士山を眺めた後、各階の展示場を巡りました。
5F屋外にあり操縦席に乗ることができる消防ヘリコプターが機械の不具合により展示中止となっていたのは残念でしたが、3Fではヘリコプターの操縦室を再現したシミュレーション飛行や、「なろうよ消防士コーナー」での消火の模擬体験(ある親子が長く占領しており、体験できませんでしたが・・・)など親子で楽しめるコーナーもありました。地下のB1には現在の様々な消防車が数多く展示されており、ベンツの消防車の前で記念撮影をしました。入場無料にしてはなかなか楽しめる施設でした。

今回のコースで好評だったのがここ消防博物館

終わりよければすべてよし・・・でした
個人的には、40年ほど前勤めていた事務所が新宿一丁目にあり、久々に懐かしさに浸ることができました。この近辺は大都会ですが、一歩脇に入ると静けさの中に江戸情緒を感じることができた散策でした。
その後、参加者全員でおなじみの「三平」で懇親会を実施しました。
【参加者(五十音順、敬称略)】
荒木、大河原、河崎、佐藤、瀧川、松村、山本
(文=松村、写真=佐藤・松村)