早明優勝決定戦を制し春秋連覇を果たす!
2024年11月10日(日)、優勝のかかった大事な早慶戦第2戦応援に小平稲門会の4人が明治神宮野球場に駆け付けた。
早稲田はここまで勝ち点4のトップで早慶戦に1勝すれば優勝という圧倒的な力を見せてきた。第1戦は、ここまで6勝で負け無し・防御率トップのエース伊藤樹を立てて万全の構えで臨んだが、伊藤乱調で思いもよらぬ1対9の大敗。
第2戦は第2エースの宮城を立てて必勝の構え。早稲田は1回裏5番前田のタイムリーヒットで先制点を挙げたが、1塁ランナー印出が3塁コーチと接触するアクシデントもあり本塁憤死で1点止まり。
慶應は4回表の攻めで、内野安打・ワイルドピッチなど早稲田のミスにつけ込み、今季絶不調慶應本間主将にしぶとくタイムリーヒットを打たれ1対1の同点とされる。宮城は7回まで投げ3安打1失点という好投を続けるも、早大打線も沈黙し1対1の膠着状態が続いた。
8回に好投宮城からリリーフエースの安田に交代。慶應の攻撃は8番からの下位打線だったが、ヒット、バントの1死2塁のチャンスを作られ、次打者水鳥の完全に打ち取られた弱い打球は3塁前に転がり、1、3塁オールセーフという幸運なチャンスを与えた。後続はセオリー通りの犠打(外野フライ)で決勝点となる1点を献上した。
早稲田は8回裏1番尾瀬のヒットで無死1塁、絶好のチャンス。しかし、2番山縣はバントミスで2ストライクに追い込まれた後の強攻ヒッテイングの結果ダブルプレイとなりチャンスの芽は潰えた。
試合を通して、早稲田は打線の沈黙・チグハグな攻撃でチャンスをものにできなかった。一方、慶應には早稲田のミスに付け込まれ数少ないチャンスをものにされて、1点差の敗戦となった。
試合終了後は西新宿「北海道」で西東京・東村山両稲門会の皆様と合同残念会を行った。早慶戦前夜は、誰もが早稲田の2連勝を信じて、日曜日の懇親会は試合終了後即やるか表彰式終了後にやるかなど全員が夢物語を語っていたとか、あそこで「吉納が、印出が打っていれば…」とかのタラレバ話に花が咲き、優勝決定戦の必勝を誓って散会した。
早明優勝決定戦も観戦
小生は今季の早稲田優勝は間違い無いと思っていたので、結果を見届けるべく、火曜日の早明優勝決定戦の応援に出かけた。当日券の学生応援席は熱気がものすごく、試合中ずっと立ちっぱなし、声を出し続けということで、クタクタだった。
月曜日たった一日の休養日の間に慶應戦完敗の痛手を立て直せるか危惧したが、伊藤は完璧なピッチングを取り戻し、強打明治を相手に3安打散発の完封勝利。特にドラフト1位で5球団が競合した宗山をノーヒットに抑え込んだのが大きく、ピンチらしいピンチは全くなかった。打線も2桁安打で4点をもぎ取り4対0で明治に快勝しリーグ優勝を勝ち取った。対慶應の敗戦を一人で抱え込んだ形の印出主将も優勝決定戦では1ヒット3四球で何とか面目を施したというところで、試合後のインタビューも誇らしげに語っていた。
これで早稲田は48回目の最多優勝。9年ぶりのリーグ連覇を果たした。また、早稲田からは伊藤を含む5名がベストナインに選ばれた。この後の明治神宮大学野球大会では青山学院にリベンジを果たしてもらい、名実ともに日本ナンバー1になることを期待している。
(文・写真=大島二典)
《参加者》大島二典(1969理工、早慶・早明戦)、河崎健治(1971政経)、栗原政博(1964政経、早慶・早明戦)、佐藤俊雄(1958教育)