第59回散策の会
「新宿山ノ手七福神めぐり」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和6年1月6日(土)午後1時
都営地下鉄大江戸線 牛込柳町駅 西口の地上に集合

2.経路
牛込柳町駅→経王寺→厳嶋神社→法善寺→永福寺→稲荷鬼王神社
→西武新宿駅

3.参考情報
(1)歩数は約7千歩。

(2)都営地下鉄はシルバーパスが使える。
(3)解散後、希望者のみで懇親会を予定。

参加の申し込みは1月4日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
または
090-9149-8977
(以 上)

第58回散策の会報告
駒場界隈をめぐる

令和5年11月8日(水)

前日の東京都心は最高気温が27.5度と、11月の観測史上最高を100年ぶりに更新しました。散策当日は立冬でしたが、それでも平年よりかなり高い21.6度と秋晴れの一日でした。

東大駒場キャンパスから駒場公園一帯は、江戸時代には笹が一面に生えていた将軍家の鷹狩場で、「駒場野」と呼ばれていました。その後、明治政府は明治11年にこの原野を利用して「駒場農学校」を開校し、先進国の農業技術を積極的に導入した農業の教育・研究機関としました。後の東大・筑波大・農工大の農学部の前身です。そのためこの一帯は「近代農法発祥の地」とも呼ばれています。

つかの間の王侯気分


☆ケルネル田圃(駒場野公園内)(目黒区駒場2-19-70)
明治政府は明治14年ドイツから農芸化学の教師としてオスカル・ケルネルを招きました。
彼は土壌や肥料の研究に力を注ぎ、11年間も在日しました。ここが彼の手掛けた我が国初の試験田です。今は近所の筑波大学駒場中学・高校の生徒の手によって田植え・稲刈りが行われ、収穫された米は卒業式や入学式に赤飯にして生徒達に提供されています。下見の時に首を垂れていた稲穂はもうすっかり刈り取られ、10体以上あった案山子も姿を消していました。


☆日本民藝館(駒場4-3-33)【入場料1,200円】
展示品には題名以外の解説文はなく、これは「知識を持つ前に、まず無心に物と向き合うように」という開設者柳宗悦(やなぎむねよし)の信条に基づくものだそうです。じっと眺めていると確かに対象物からの語りかけが聞こえてきたような気がしました。ここは日常雑器など無名の工人たちの作品の中に“美”を見出し、これを世の中に紹介しようとする「民藝運動」の場です。柳宗悦が収集した工芸品を展示していて、昭和11年に自宅の隣に開館しました。玄関は大谷石、床は黒光りする板張りで、2階は白壁の温かみのある建物でした。今回は特別展「西洋工芸の美」の方が常設展より広い展示面積を占めている珍しい展示でした。

また運よくこの日は柳宗悦の邸宅だった西館も公開されていたので、しっかり鑑賞してきました。ここは宗悦が72歳で没するまで生活の拠点とした所です。両館とも都の有形文化財に指定されています。

なおNHK「趣味の園芸」のレギュラーで小平市在住だった園芸研究家の柳宗民は宗悦の三男です。また、宗悦夫妻の墓は小平霊園にあります。

どんなものがあるのかな?

柳氏邸宅の長屋門.。背後は東大の生産技術研究所など


☆旧前田家本邸の洋館と和館(駒場公園内)(駒場4-3-55)【無料】
前田家16代当主の前田利為(としなり)侯爵が昭和4年に建築した邸宅で、国の重要文化財です。地上2階、地下1階で、化粧レンガ張り、イギリスのカントリーハウス風の意匠でまとめられています。隣には2階建ての和館もありました。完成当時は個人の邸宅としては東洋一といわれ、使用人が100人以上いたそうです。本郷にあった加賀百万石前田藩の上屋敷跡(1万坪)がその後東京帝国大学の校地拡張のため、ここ駒場の4万坪の土地と等価交換されたのです。その後持主は変わり、戦後は連合国軍最高総司令官リッジウェイ大将の官邸になったこともありました。昭和39年に都が買収し、42年に都立駒場公園として生まれ変わりました。東大駒場キャンパスを左右に振り分ける形で存在しています。古き良き時代に生きたセレブの桁違いの生活ぶりをどう感じられましたか?

☆日本近代文学館(駒場公園内)(駒場4-3-55)【入場料300円】
ここは日本の近代文学に関する図書・原稿・書簡など120万件の資料が保管・展示されています。昭和38年に高見順・伊藤整・川端康成らが、文学資料の散逸を危ぶみ呼びかけた結果、1万5千人に及ぶ人々から資料が寄贈され、それを基に昭和42年に開館しました。
パソコンやメール機能を使い執筆している現代の小説家たちの原稿・書簡といった遺産は、今後どんな形で残されていくのでしょう? 原稿用紙を埋める字癖、修正、ペンの太さ、インクの色、校正の赤などが入り混じっての個性の面白さは、やがては消失していくのでしょうか。

☆東大駒場キャンパス(駒場3-8‐1)
元は駒場農学校の校地でしたが、昭和10年旧制第一高等学校の校地となり、戦後の学制改革により、新制大学の東大教養学部へ移行されました。早稲田同様古い校舎は少なくなってきて、高層の新校舎が目立ちます。でも大隈記念講堂しかり、安田講堂しかり、ここの旧一高本館もそう、やはり昔ながらの時計台は大学のシンボルにふさわしいですね。
なお、時計台は国の登録有形文化財です。(大隈記念講堂は重要文化財)

旧一高本館


今回の散策は駅から近かったせいか、施設内での見学も含めて歩数は約6,500歩といつもより少な目でした。

【散策後の懇親会】
♪ 嗚呼玉杯に花うけて…ではなく喉に泡うけて、ビアグラスという日常雑器の中にあふれる琥珀色に、ひとしおの美を感じるひと時でした。これにはどんな解説も不要です。会場は吉祥寺駅前の「戎ビアホール」。何人かの会員とは年に一度まみえる地下空間でした。

【参加者】
荒木・伊藤(徹)・大河原・大河原(眞)・梶川・梶川(公)・北橋・小林(弘)・佐藤(俊)・末次・瀧川・竹内・松村・山本・山本(裕) (15名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)

第58回散策の会
「駒場界隈をめぐる」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和5年11月8日(水)13時
京王井の頭線 駒場東大前駅 西口改札前 集合

2.経路
駒場東大前駅→ケルネル田圃→日本民藝館→旧前田家本邸→日本近代文学館→東大駒場キャンパス→駒場東大前駅(解散)

3.参考
(1)歩数は約7千歩。
(2)トイレは各館にある。
(3)入場料は日本民藝館が1,200円。日本近代文学館が300円。
(4)散策後の懇親会は行う予定。ただし会場と費用は未定。

参加の申し込みは11月6日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato@ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】
または
090-9149-8977
(以 上)

第57回散策の会報告
東久留米の湧水地をめぐる

令和5年9月22日(金)

市のホームページで“水と緑があふれる癒しの街 東久留米”というだけあって、そこには市民の自然環境保全に対する並々ならぬ熱意と取り組みがあると聞きます。今回はその水と緑の景観をこの目で確かめようと、隣町の東久留米市を訪れました。

(写真はクリックすると大きくなります)

歩く力が湧き出る人たち


☆竹林公園(東久留米市南沢1-7)

駅から15分、崖線沿いに生える2,000本の孟宗竹が圧巻です。林間の細道に誘導され歩み続けると、狭い空間が現れます。そこには湧き水が流れ、竹のカーテンが周りからの音を遮断して、6,000㎡の土地を静寂が包み込んでいます。ここは「新東京百景」および「東京の名湧水57選」の1つです。
ところで、覚えておいででしょうか?当会ではこれまでに「目黒不動尊」、「不動の滝」(赤塚)、「等々力渓谷・等々力不動尊」、「おとめ山公園」(下落合)、「清水山いこいの森」(大泉)、「常盤の清水」(谷保)、「ママ下湧水群」(国立)、「蒼浪泉園」(小金井)、「はけの森美術館」(小金井)と、「東京の名湧水57選」をこんなにも訪ねているのです。まるで汚れた人生の浄化を願うかのように。

まっすぐに生きたいものです 竹のように


☆落合川

数々湧水を集めて流れる川です。豊富な水草が水の力に引っ張られ横に長く揺らいでいる様子が、透き通った川底に見えます。川沿いの遊歩道からカワセミやハクセキレイ・オナガカモなどの野鳥、ホトケドジョウなどの魚が見られるそうですが、この日は逢うことがかないませんでした。
行きは左岸のサイクリングロードを往ってみました。ほとんど人に逢うこともない静かな路です。帰路はタイルが敷き詰められた右岸のジョギングコースを使いました。フタバやムク・クス・センダンなどの緑が道路わきを飾っています。

☆多聞寺(本町4-13-16)(真言宗智山派)
コースの途中にこのお寺があるので、ちょっと寄ってみました。鎌倉時代(1256年)の創建とされ、東久留米七福神の毘沙門天像も祀られています。山門は江戸末期(1852年)に村のケヤキを落合川経由で江戸に運び、彫師に獅子を彫らせたと伝えられる総ケヤキ造りの四脚門で、重厚な趣を感じます。市の指定文化財です。本堂は昭和50年に再建の鉄筋コンクリート造で、屋根の作り出す曲線が優美でした。

☆氷川神社(南沢3-5-8)
創建はいつの頃か定かではありませんが、古くから湧水の守護神として祀られてきました。訪ねる前はうら寂しい村の鎮守様かなと勝手にイメージしていましたが(失礼)、なかなかどうして立派なお社でした。境内の前後を川に囲まれた高台に位置していて、かつては鎮守の森がもっと深かったが、開発により減少したそうです。

小平の住人にもご利益を


☆南沢湧水群(南沢3-9)

平成20年に落合川と南沢湧水群は環境省によって「平成の名水百選」に東京で唯一選ばれました。この雑木林の中には湧水箇所が4か所あるそうで、「東京の名湧水57選」の一つです。とはいっても草が生い茂っていて、どこから水が湧き出てくるのか判然としませんでしたが。隣地には巨大な配水塔を持つ南沢浄水場があり、300mの深さから汲み上げる豊かな水は1日1万トンにも及び、東久留米市の水道の水源にもなっています。

回ったコースはご覧のとおり


前回は大森への遠出だったので、今回は近場で、水と親しむコースを歩いていただきました。川のない小平市に住む者としてはうらやましい風景でした。ただ、真夏日こそ免れたものの、ねっとりとした空気が肌にまとわりつき、雨雲に追いかけられていたので、いつもよりやや早足で回りました。幸い道中降られることはなく、7,400歩・1時間半の旅はつつがなく終わりました。

ところで、2020年のNHKの朝ドラ「エール」で山田耕筰役を演じている途中で、コロナのために亡くなった志村けんの出身校は(旧)都立久留米高校です。そしてここの校歌の作曲は「エール」の主人公だった古関裕而でした。そういえば「大阪(阪神)タイガースの歌」(六甲おろし)は井垣さんが、「長崎の鐘」は小川さんが、「栄冠は君に輝く」は伊藤(徹)さんや松尾さんがいつぞや熱く歌っていました。また稲門会員の多くは「紺碧の空」や「ひかる青雲」で若き血をたぎらせたはずです。以上、「東久留米ー古関裕而ー早稲田マン」の三題噺でした。御退屈さま。

【散策後の懇親会】
駅前の「庄や東久留米店」にて希望者10名で行いました。暑さと疲労ゆえ店に入るやいなや魂の叫び『チューナマ!』が飛び交います。その後はハイボールのジョッキーが乱立し、散策と同じ1時間半を費やしてしまいました。店を出たら外はひどい降り。目と鼻の先にある駅やバス停に飛び込むみなさんの姿を確認したところで、今回は幕。

【参加者】
大河原・大河原夫人・大島・梶川・河村(東久留米稲門会)・北橋・栗原・小山・佐藤(俊)・末次・瀧川・松村(12人)

(文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)

第57回散策の会
「東久留米の湧水地をめぐる」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和5年9月22日(金)13時30分
西武池袋線東久留米駅 改札前  集合

2.経路
東久留米駅→竹林公園→落合川→多聞寺→氷川神社→南沢湧水群→東久留米駅(解散)


3.参考情報
(1)歩数は約8千歩。

(2)トイレは各所にある。
(3)解散後、希望者のみで懇親会を実施の予定。。

参加の申し込みは9月20日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または
090-9149-8977
(以 上)

第56回散策の会報告
馬込文士村めぐり

令和5年5月20日(土)

大正後期から昭和初期にかけて、大森区馬込町を中心に多くの文士や芸術家が暮らしていました。その地域を指して「馬込文士村」といいます。尾﨑士郎や萩原朔太郎らが中心となって文士を誘い、その結果、川端康成・宇野千代・佐多稲子などそうそうたる顔ぶれが集まってきました。その数は57人に及んだそうです。彼らは文学談義に華を咲かせるなど、さまざまな交流を図ってきました。その一端でも垣間見ることができればと、今回の散策を企画してみました。
この日大森駅の改札口では待ち合わせの間に早慶戦観戦の話が出ました。そこからの連想で唐突ですが・・・慶応・明治~令和に至る年号の略号(K・M・T・S・H・R)が東京六大学のイニシャルと同じだと気付いた人がいました。「ウッソー“W”がないじゃないか!」と思われるでしょう。実は“S”を早大と読ませるのです。ちょっと苦しいかな!〈閑話休題〉

区の案内を見ると、文士らの旧宅跡を巡るには3・5・7時間の3コースがありましたが、“ヨタヘロ”までにはまだまだ間があるみなさんとはいえ、どれもきつすぎるようです。そこで「70歳で矩をこえず」(孔子)の教えに従い、身の丈に合うコースを考えてみました。なお訪れた記念館はすべて大田区立で入館料は無料でした。

【写真はクリックすると拡大します】

散策の会を組成する貴重な分子


☆文士たちのレリーフ
(大田区山王2-8-2)
大森駅前の通りを渡るとすぐに八景天祖神社があります。神社に向かう石段脇には、馬込文士村の住人43人の顔がびっしりと刻まれた群像レリーフがはめ込まれていました。キャラの濃い顔なら一目見て「あっこれは○○だ」とすぐ分かりますが、デスマスクのようにも見えて不気味さも感じます。他に当時の文化人らしく、麻雀卓を囲んだりダンスに興じたりする様子が表現されているレリーフもありました。

よくぞこんなに集まったものです

モガたちを横目に見て

大正ロマンを謳う

昭和モダンに踊る

☆馬込文士村資料展示室(大田区山王3-37-11)
文士村ゆかりの作家・芸術家たちの作品や写真が展示されていて、村の概略を掴むのに役に立つのでは・・・と思い立ち寄ってみました。

まずは学習して


☆龍子記念館
(中央4-2-1)
近代日本画壇の巨匠・川端龍子の文化勲章受章と喜寿を記念して建てられました。数々の迫力ある大作が並ぶ様は圧巻です。予想以上にすばらしかったという声も聞こえました。この建物は龍子自身の設計で、名前をもじってタツノオトシゴの形をしているといわれています。ただそういわれても外観だけでは分かりません。ドローン空撮の写真でもあればいいのですが。
ところで平成29年の散策「池上七福神めぐり」で、ここの近くの本門寺を訪れています。そこの大堂の天井に描かれていた「龍」は川端龍子の作品(未完)だったことをご記憶でしょうか? ご近所の縁ということでしょう。

内部は撮影禁止でした


さて、次の山王草堂記念館まで、下見の際には坂道の上りもあり早足でも35分ほどかかってしまいました。これではみなさんに文字通りのご足労をかけますので、本番では一部区間はバス利用に変更しました。

☆山王草堂記念館(山王1-41-21)
徳富蘇峰の旧宅の一部を保存し、蔵書・書簡・原稿・愛用品などを展示しています。地味ですが価値ある資料の数々です。周りをかなり広い庭が取り囲んでいます。
蘇峰はジャーナリスト・思想家・歴史家で、日本で最初の総合雑誌「國民之友」や「國民新聞」を創刊し、さらには100巻にも及ぶ「近世日本國民史」を刊行しました。彼はこの家を大正13年に建て、昭和18年に熱海に移るまでここで暮らしていました。

ガイドの説明で蘇峰を再認識


☆尾﨑士郎記念館
(大田区山王1-36-26)
あの「人生劇場」の作家で、早大の先輩でもある尾﨑崎士郎の家(客間・書斎・書庫・庭)を復元して平成20年に開館しました。家の中には入れず、家を一周する形で窓越しに見るという展示手法をとっています。客間の机の上にはお銚子と盃が置かれていて、酒をこよなく愛した人生を表現しているのでしょう。玄関には横綱審議委員会のメンバーだったせいか双葉山との写真や、どういう訳か長嶋を囲む家族の写真もありました。

こよなく酒を愛した尾﨑士郎

ガラス越しではこんな感じ

彼は大正12年に山王に住み始め、その後何回か現在の大田区内を転居しましたが、昭和29年にこの場所に落ち着き、亡くなるまでの10年間住み続けました。

ここでふと想い出したのが、平成31年の小平稲門会新春交歓会での、座布団帽子をかぶった嶋田さん(調布稲門会)の名調子「人生劇場(口上)」です。
『早稲田なりゃこそ 一目でわかる 辛い浮世も 楽しく生きる バカな奴だと笑わば笑え 人にゃいえない こころいき』。

この後、大森駅へ向かい解散しましたが、総歩数は8,300歩。道中でみなさんが“辛い坂道も楽しく歩く心意気”を発揮してくれ、世話役は助かりました。

【散策後の懇親会】
懇親会は訪れた先々でやった方がいいというご意見もあります。でも、飲み終わったあと長時間吊革につかまり揺られながら帰宅するのは、ご老体にとって危険でもあり酷なのではないかと思います。そこでつい新宿や高田馬場あるいは小平の店を選んでしまうのです。今回は新宿の「三平」という学生時代を思い出す懐かしい店にしました。広く明るい店内で好みのお酒やつまみを取り、疲れを癒す楽しいひと時を過ごしました。

【参加者】
伊藤(徹)・大島・北橋・國友・佐藤(俊)・末次・瀧川・竹内・松村・山本(10名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)

第56回散策の会
「馬込文士村めぐり」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和5年5月20日(土)13時30分
JR大森駅 中央改札口 集合

2.経路
大森駅→文士43人のレリーフ→馬込文士村資料展示室
(川端)龍子記念館→バス→山王草堂記念館(徳富蘇峰の旧宅)→尾崎士郎記念館→大森駅(解散)

3.参考
(1)歩数は約7千歩。
(2)坂道や歩道橋の昇降がある。
(3)バス代220円が必要。
(4)トイレは資料展示室・龍子記念館・山王草堂記念館・尾崎士郎記念館にある。
(5)各施設の入場は無料。
(6)散策後の懇親会は行う予定。ただし会場と費用は未定。

参加の申し込みは5月18日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または
090-9149-8977
(以 上)

第55回散策の会報告
青梅の名木と釜の淵をめぐる

令和5年4月1日(土)

ず~っと昔ワセダの学生だった頃、青梅から毎日通学してくる学友がいました。ずいぶん遠くから来るなぁと思っていましたが、今や朝の出勤時間帯(6時台)には東京駅行きが1時間に8本も出ていて、すっかり通勤圏内になっています。そんな青梅は駅の裏には雑木林の丘陵が連なり、前には清冽な多摩川が流れるという自然に恵まれたすばらしい環境です。このところ都会地の散策が続いたので、今回は西多摩の田園風景の中での~んびりしていただこうと企画してみました。

1994年から駅近くの青梅街道沿いには「駅馬車」「ティファニーで朝食を」や、小津作品の「晩春」など数々の名作映画の手描き看板が多く掲げられ、人々の目を引き付け、青梅の名物にもなっていました。ただ描き続けた最後の看板師が他界したことや、老朽化した看板が落下する危険から、2018年にすべて撤去され、24年の歴史は閉じられてしまいました。今回それらが見られなかったのは残念ですが、青梅駅の地下道の入り口に数枚残されていたのがせめてもの慰めでした。

(写真はクリックすると拡大します)

この樹齢に比べればまだまだお若い16人

☆梅岩寺の枝垂れ桜(青梅市仲町235)
ここには枝垂れ桜が2本ありますが、本堂前の木は樹齢150年といわれ、市の天然記念物に指定されています。またお寺は千年以上前に開山されたと伝えられています。

3月14日、東京のソメイヨシノは史上最速のスピードで開花してしまいました。ここの桜はエドヒガン系でソメイヨシノより開花時期が早い品種なので、『散ったかな』と半ば諦めながらも『なんとかもってくれ…』と祈る思いでこの地に着きました。ところがなんとなんと。咲きっぷりについては下手な説明は不要で、まずは写真をご覧ください。

☆旧稲葉家住宅
(森下町499)
青梅でも有数な豪商で、材木商や青梅縞(絹と綿を織り交ぜた織物、主に夜具地)の仲買問屋を営んでいました。入口から入ってすぐに広い土間があり、裏には3階建ての土蔵もあります。土蔵造りの母屋は18世紀後半に建てられたものと考えられ、都の有形民俗文化財に指定されています。

250年前の商店の帳場


☆金剛寺の青梅
(天ヶ瀬町1032)
ここは「将門誓いの梅」が有名です。秋になっても実が熟さず、青々としたままであることから、「青梅」の名の由来となったといわれています。千年以上前に平将門がこの地を訪れた時、馬の鞭として使っていた梅の枝を地に挿して『我が望み叶うなら根づくべし、その暁には必ず一寺建立奉るべし』と誓ったところ、この枝が見事な梅の木に成長したのだそうです。今のが何代目の木か知りませんが、もう老木でした。またここにも大きな枝垂れ桜があり、梅岩寺の姉妹樹といわれています。

「青梅」の名の由来となった梅の木

この樹と梅岩寺の桜は姉妹樹


☆釜の淵公園
(大柳町1392)
多摩川の流れが巾着状に膨らんでいる内側がこの公園です。上流(西側)の柳淵橋は鉄骨の吊り橋、下流(東側)の鮎美橋は斜張橋とそれぞれ特徴を持たせています。橋上から見える川の流れはあくまでも清く、広がる河原やそびえる崖などすばらしい景観です。ソメイヨシノが色を添える遊歩道も歩きやすく、良く整備された公園でした。

この吊り橋を渡り公園へ


☆青梅市立郷土博物館
(駒木町1‐684)
釜の淵公園の中にあり、青梅の歴史・文化・自然に関する資料を展示しています。中でも考古資料が充実していたように思います。ただこの手の施設はどこもそうですが、土曜の午後でも入場者はほとんどおらず貸切状態でした。
隣接の旧吉野家住宅(重要文化財)ものぞいてきました。19世紀初頭に建てられた一般的な農家で、煤で黒光りする内部は歴史の重みを感じます。

これが重要文化財の農家ですぞ


帰路、多摩川が形成した河岸段丘を登る際に、心臓破りの苦しみを味わったのは私だけだったようで、みなさんは苦もなくこなして青梅駅に到着。今回は約7千歩の散策でした。

【散策後の懇親会】
小平駅まで戻り、おなじみの「よっちゃん酒場」にて希望者10人で行いました。これまでの飲み放題定額制でなく、飲んだ総額を頭数で割るという方式を今回初めて採用してみました。こちらの方が安くあがったようで、今後はこのシステムで行きましょう。なにしろ3年ぶりの懇親会ゆえ、みなさん「花より団子」を待ちかねていたようです。

【参加者】
市川・伊藤・大河原・大河原夫人・大島・梶川・北橋・國友・小林・古林・小山・佐藤・瀧川・竹内・福田夫人・松村(16名)

(文=佐藤 写真=松村・國友・佐藤)

第55回散策の会
「青梅の名木と釜の淵をめぐる」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和5年4月1日(土)午後1時30分
JR青梅線・青梅駅 改札前集合

2.経 路
青梅駅→梅岩寺の枝垂れ桜→旧稲葉家住宅→金剛寺の青梅→釜の淵公園

→青梅市立郷土博物館→青梅駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約7,000歩。
(2)坂道の上り下りがある。
(3)トイレは途中と郷土博物館にある。
(4)訪れる施設はすべて無料。

参加の申し込みは3月30日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、マスクの着用は各自の判断に委ねます。
(以 上)

第54回散策の会報告
元祖山手七福神めぐり

令和5年1月7日(土)

明けましておめでとうございます。

昨年はコロナ禍の中にもかかわらず皆様のご理解を得て5回の「散策の会」が催行できました。多くの方々の参加をいただき、誠にありがとうございました。本年も引き続きご愛顧くださいますようお願い申し上げます。

今回の七福神は目黒駅を中心として左右にほぼ一直線にならび、無駄のないコースでした。それもそのはず、江戸時代からの目黒不動への参詣ルートに従って祀られていたからです。参拝の順序については、白金から目黒に向かうのは無病息災・長寿のご利益があり、逆の目黒から白金へのルートは商売繁盛だそうです。参加メンバーを見れば迷いなく前者のコースとなるでしょう。

ところで、なぜ”元祖“と付くかといえば、2つの訳があるようです。1つは谷中七福神と共に江戸最古の七福神であること。もう1つは「新宿山ノ手七福神」と紛らわしいので混同を避けるためです。ただ各寺院の御朱印は「江戸最初 山手七福神」となっています。

今年はきっと福に包まれる9人衆


☆毘沙門天 覚林寺(港区白金台1-1-47)日蓮宗 
白金高輪駅を出るといきなり日吉坂の上りにかかります。ただゆるい傾斜のうえ、わずか5分で到着ですので助かりました。ここは寺の名より「清正公(せいしょうこう)さま」の方が通用します。そういえばバス停も「清正公前」でした。この通称は加藤清正の位牌や像が祀られているからといわれています。毘沙門天像は境内の毘沙門堂に祀られていました。ただ扉は閉められたままで、暗くてよく拝顔できませんでした。この後さらに日吉坂を上り八芳園の前を通り、瑞聖寺まではとろとろと10分。

とにかく福をいただかなくちゃ

毘沙門天を見せない毘沙門堂

☆布袋 瑞聖寺(ずいしょうじ)(白金台3-3-19)黄檗宗                                                        
大雄宝殿にある布袋像は大きな木像で、片膝を立て眼光鋭く俗界を見下ろしていました。伸びやかな裳階(もこし)を持つ重要文化財の大雄宝殿(本堂)の建築様式と、あの隈研吾氏(国立競技場の設計者)の手になる庫裏のフォルムのコントラストは、さすがに見とれるほどの見事な眺めでした。ここは2019年5月の「白金めぐり」で一度訪れています。

ちなみに隈氏は小平市の中央公民館や福祉会館などを複合化する新しい建物の設計も担当していますし、早大特任教授でもあります。また花小金井駅近くの円成院(えんじょういん)も黄檗宗の寺院で、本堂の姿がよく似ていて、ここも見応えのある雄大な堂宇です。

この後プラチナ通りの入り口に驚安の殿堂ドン・キホーテ店を発見。ところがカラーサインがあの赤黄黒でなくプラチナ色(?)で統一されていました。白金という土地柄を考慮したのかな?それとも住民運動の結果?

水盤に映る美しくも雄大な大雄宝殿

七福神の撮影OKはここだけだった


☆福禄寿・寿老人 妙圓寺(白金台3-17-5)日蓮宗
2体の像はともに20cm前後の木造立像で、妙見堂に安置されていました。白金というイメージから程遠い小さな地味なお寺で、大通りから一歩入った落ち着いた環境の中にあります。

このあと東急目黒駅の脇を通り、かなり急な行人坂(ぎょうにんざか)を下り、大圓寺に向かいます。なお行人坂の名は、大圓寺を拠点とする修験者たちが往来したことによるといわれています。

こじんまりした妙見堂


☆大黒天 大圓寺(目黒区下目黒1-8-5)天台宗
「大黒天」は江戸城の裏鬼門(南西)を守護するために、薩摩藩主島津家から寄進されたものと伝えられ、顔は徳川家康がモデルという伝承があるそうで、金色に輝いています。また境内にある五百羅漢像(都有形文化財)が圧巻です。これはこの寺が火元だった明和の大火(行人坂火事・1772年)の犠牲者の供養のために造られたそうです。他に八百屋お七の恋人吉三(西運)の墓碑もありました。ここの本尊は国の重文に指定されている釈迦如来像(1193年作)で普段は秘仏ですが、運よく年末年始は開帳されていて、拝顔が叶いました。なお、ここは2011年10月の「目黒界隈を歩く」でも訪れています。

大黒様はどこだ?と探すふたり

一切の煩悩を払った修行僧たち


ここまでで約6千歩を費やしました。これ以上歩き、楽しみが苦痛に変わっては本末転倒なので、この後に続く弁財天(蟠龍寺)と恵比寿(瀧泉寺)は割愛して、今回は「五福神・四寺めぐり」としました。これでもご利益はたっぷりでしょう。

帰路に胸突き八丁の行人坂を死の行軍することは何としても避けたいと思っていた折、松村世話役が雅叙園内のエスカレーターを乗り継いで上がるという秘策を授けてくれました。わずかに遠回りでしたが息を切らすことなく目黒駅に到着することができて解散。快晴のもと12回目の「七福神めぐり」はかくして終了、トータル約7千2百歩の散策でした。

今回は新型コロナ第8波の真っただ中、さらには初雪や雨があるかもという予報、加えて翌8日は稲門会も参加する小平市の「新春歩け歩けのつどい」が控えているという、当会にとって参加者減のマイナス要因に囲まれてしまいました。それゆえ参加者が9名というのはやむを得ないところでしょう。

そのうえこの日は山手線外回りが渋谷駅の線路付け替えのため、大崎→池袋間が終日運休という厄日。帰路は目黒駅から地下鉄南北線経由で新宿や高田馬場までたどり着きました。

【散策後の懇親会】
新型コロナウイルス感染防止のため、今回も行いませんでした。

【参加者】
伊藤・大河原・大島・佐藤・鈴木・瀧川・竹内・福田夫人・松村(9名)

(文=佐藤(俊)、写真=松村・佐藤)