第56回散策の会報告
馬込文士村めぐり

令和5年5月20日(土)

大正後期から昭和初期にかけて、大森区馬込町を中心に多くの文士や芸術家が暮らしていました。その地域を指して「馬込文士村」といいます。尾﨑士郎や萩原朔太郎らが中心となって文士を誘い、その結果、川端康成・宇野千代・佐多稲子などそうそうたる顔ぶれが集まってきました。その数は57人に及んだそうです。彼らは文学談義に華を咲かせるなど、さまざまな交流を図ってきました。その一端でも垣間見ることができればと、今回の散策を企画してみました。
この日大森駅の改札口では待ち合わせの間に早慶戦観戦の話が出ました。そこからの連想で唐突ですが・・・慶応・明治~令和に至る年号の略号(K・M・T・S・H・R)が東京六大学のイニシャルと同じだと気付いた人がいました。「ウッソー“W”がないじゃないか!」と思われるでしょう。実は“S”を早大と読ませるのです。ちょっと苦しいかな!〈閑話休題〉

区の案内を見ると、文士らの旧宅跡を巡るには3・5・7時間の3コースがありましたが、“ヨタヘロ”までにはまだまだ間があるみなさんとはいえ、どれもきつすぎるようです。そこで「70歳で矩をこえず」(孔子)の教えに従い、身の丈に合うコースを考えてみました。なお訪れた記念館はすべて大田区立で入館料は無料でした。

【写真はクリックすると拡大します】

散策の会を組成する貴重な分子


☆文士たちのレリーフ
(大田区山王2-8-2)
大森駅前の通りを渡るとすぐに八景天祖神社があります。神社に向かう石段脇には、馬込文士村の住人43人の顔がびっしりと刻まれた群像レリーフがはめ込まれていました。キャラの濃い顔なら一目見て「あっこれは○○だ」とすぐ分かりますが、デスマスクのようにも見えて不気味さも感じます。他に当時の文化人らしく、麻雀卓を囲んだりダンスに興じたりする様子が表現されているレリーフもありました。

よくぞこんなに集まったものです

モガたちを横目に見て

大正ロマンを謳う

昭和モダンに踊る

☆馬込文士村資料展示室(大田区山王3-37-11)
文士村ゆかりの作家・芸術家たちの作品や写真が展示されていて、村の概略を掴むのに役に立つのでは・・・と思い立ち寄ってみました。

まずは学習して


☆龍子記念館
(中央4-2-1)
近代日本画壇の巨匠・川端龍子の文化勲章受章と喜寿を記念して建てられました。数々の迫力ある大作が並ぶ様は圧巻です。予想以上にすばらしかったという声も聞こえました。この建物は龍子自身の設計で、名前をもじってタツノオトシゴの形をしているといわれています。ただそういわれても外観だけでは分かりません。ドローン空撮の写真でもあればいいのですが。
ところで平成29年の散策「池上七福神めぐり」で、ここの近くの本門寺を訪れています。そこの大堂の天井に描かれていた「龍」は川端龍子の作品(未完)だったことをご記憶でしょうか? ご近所の縁ということでしょう。

内部は撮影禁止でした


さて、次の山王草堂記念館まで、下見の際には坂道の上りもあり早足でも35分ほどかかってしまいました。これではみなさんに文字通りのご足労をかけますので、本番では一部区間はバス利用に変更しました。

☆山王草堂記念館(山王1-41-21)
徳富蘇峰の旧宅の一部を保存し、蔵書・書簡・原稿・愛用品などを展示しています。地味ですが価値ある資料の数々です。周りをかなり広い庭が取り囲んでいます。
蘇峰はジャーナリスト・思想家・歴史家で、日本で最初の総合雑誌「國民之友」や「國民新聞」を創刊し、さらには100巻にも及ぶ「近世日本國民史」を刊行しました。彼はこの家を大正13年に建て、昭和18年に熱海に移るまでここで暮らしていました。

ガイドの説明で蘇峰を再認識


☆尾﨑士郎記念館
(大田区山王1-36-26)
あの「人生劇場」の作家で、早大の先輩でもある尾﨑崎士郎の家(客間・書斎・書庫・庭)を復元して平成20年に開館しました。家の中には入れず、家を一周する形で窓越しに見るという展示手法をとっています。客間の机の上にはお銚子と盃が置かれていて、酒をこよなく愛した人生を表現しているのでしょう。玄関には横綱審議委員会のメンバーだったせいか双葉山との写真や、どういう訳か長嶋を囲む家族の写真もありました。

こよなく酒を愛した尾﨑士郎

ガラス越しではこんな感じ

彼は大正12年に山王に住み始め、その後何回か現在の大田区内を転居しましたが、昭和29年にこの場所に落ち着き、亡くなるまでの10年間住み続けました。

ここでふと想い出したのが、平成31年の小平稲門会新春交歓会での、座布団帽子をかぶった嶋田さん(調布稲門会)の名調子「人生劇場(口上)」です。
『早稲田なりゃこそ 一目でわかる 辛い浮世も 楽しく生きる バカな奴だと笑わば笑え 人にゃいえない こころいき』。

この後、大森駅へ向かい解散しましたが、総歩数は8,300歩。道中でみなさんが“辛い坂道も楽しく歩く心意気”を発揮してくれ、世話役は助かりました。

【散策後の懇親会】
懇親会は訪れた先々でやった方がいいというご意見もあります。でも、飲み終わったあと長時間吊革につかまり揺られながら帰宅するのは、ご老体にとって危険でもあり酷なのではないかと思います。そこでつい新宿や高田馬場あるいは小平の店を選んでしまうのです。今回は新宿の「三平」という学生時代を思い出す懐かしい店にしました。広く明るい店内で好みのお酒やつまみを取り、疲れを癒す楽しいひと時を過ごしました。

【参加者】
伊藤(徹)・大島・北橋・國友・佐藤(俊)・末次・瀧川・竹内・松村・山本(10名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)

第56回散策の会
「馬込文士村めぐり」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和5年5月20日(土)13時30分
JR大森駅 中央改札口 集合

2.経路
大森駅→文士43人のレリーフ→馬込文士村資料展示室
(川端)龍子記念館→バス→山王草堂記念館(徳富蘇峰の旧宅)→尾崎士郎記念館→大森駅(解散)

3.参考
(1)歩数は約7千歩。
(2)坂道や歩道橋の昇降がある。
(3)バス代220円が必要。
(4)トイレは資料展示室・龍子記念館・山王草堂記念館・尾崎士郎記念館にある。
(5)各施設の入場は無料。
(6)散策後の懇親会は行う予定。ただし会場と費用は未定。

参加の申し込みは5月18日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または
090-9149-8977
(以 上)

第55回散策の会報告
青梅の名木と釜の淵をめぐる

令和5年4月1日(土)

ず~っと昔ワセダの学生だった頃、青梅から毎日通学してくる学友がいました。ずいぶん遠くから来るなぁと思っていましたが、今や朝の出勤時間帯(6時台)には東京駅行きが1時間に8本も出ていて、すっかり通勤圏内になっています。そんな青梅は駅の裏には雑木林の丘陵が連なり、前には清冽な多摩川が流れるという自然に恵まれたすばらしい環境です。このところ都会地の散策が続いたので、今回は西多摩の田園風景の中での~んびりしていただこうと企画してみました。

1994年から駅近くの青梅街道沿いには「駅馬車」「ティファニーで朝食を」や、小津作品の「晩春」など数々の名作映画の手描き看板が多く掲げられ、人々の目を引き付け、青梅の名物にもなっていました。ただ描き続けた最後の看板師が他界したことや、老朽化した看板が落下する危険から、2018年にすべて撤去され、24年の歴史は閉じられてしまいました。今回それらが見られなかったのは残念ですが、青梅駅の地下道の入り口に数枚残されていたのがせめてもの慰めでした。

(写真はクリックすると拡大します)

この樹齢に比べればまだまだお若い16人

☆梅岩寺の枝垂れ桜(青梅市仲町235)
ここには枝垂れ桜が2本ありますが、本堂前の木は樹齢150年といわれ、市の天然記念物に指定されています。またお寺は千年以上前に開山されたと伝えられています。

3月14日、東京のソメイヨシノは史上最速のスピードで開花してしまいました。ここの桜はエドヒガン系でソメイヨシノより開花時期が早い品種なので、『散ったかな』と半ば諦めながらも『なんとかもってくれ…』と祈る思いでこの地に着きました。ところがなんとなんと。咲きっぷりについては下手な説明は不要で、まずは写真をご覧ください。

☆旧稲葉家住宅
(森下町499)
青梅でも有数な豪商で、材木商や青梅縞(絹と綿を織り交ぜた織物、主に夜具地)の仲買問屋を営んでいました。入口から入ってすぐに広い土間があり、裏には3階建ての土蔵もあります。土蔵造りの母屋は18世紀後半に建てられたものと考えられ、都の有形民俗文化財に指定されています。

250年前の商店の帳場


☆金剛寺の青梅
(天ヶ瀬町1032)
ここは「将門誓いの梅」が有名です。秋になっても実が熟さず、青々としたままであることから、「青梅」の名の由来となったといわれています。千年以上前に平将門がこの地を訪れた時、馬の鞭として使っていた梅の枝を地に挿して『我が望み叶うなら根づくべし、その暁には必ず一寺建立奉るべし』と誓ったところ、この枝が見事な梅の木に成長したのだそうです。今のが何代目の木か知りませんが、もう老木でした。またここにも大きな枝垂れ桜があり、梅岩寺の姉妹樹といわれています。

「青梅」の名の由来となった梅の木

この樹と梅岩寺の桜は姉妹樹


☆釜の淵公園
(大柳町1392)
多摩川の流れが巾着状に膨らんでいる内側がこの公園です。上流(西側)の柳淵橋は鉄骨の吊り橋、下流(東側)の鮎美橋は斜張橋とそれぞれ特徴を持たせています。橋上から見える川の流れはあくまでも清く、広がる河原やそびえる崖などすばらしい景観です。ソメイヨシノが色を添える遊歩道も歩きやすく、良く整備された公園でした。

この吊り橋を渡り公園へ


☆青梅市立郷土博物館
(駒木町1‐684)
釜の淵公園の中にあり、青梅の歴史・文化・自然に関する資料を展示しています。中でも考古資料が充実していたように思います。ただこの手の施設はどこもそうですが、土曜の午後でも入場者はほとんどおらず貸切状態でした。
隣接の旧吉野家住宅(重要文化財)ものぞいてきました。19世紀初頭に建てられた一般的な農家で、煤で黒光りする内部は歴史の重みを感じます。

これが重要文化財の農家ですぞ


帰路、多摩川が形成した河岸段丘を登る際に、心臓破りの苦しみを味わったのは私だけだったようで、みなさんは苦もなくこなして青梅駅に到着。今回は約7千歩の散策でした。

【散策後の懇親会】
小平駅まで戻り、おなじみの「よっちゃん酒場」にて希望者10人で行いました。これまでの飲み放題定額制でなく、飲んだ総額を頭数で割るという方式を今回初めて採用してみました。こちらの方が安くあがったようで、今後はこのシステムで行きましょう。なにしろ3年ぶりの懇親会ゆえ、みなさん「花より団子」を待ちかねていたようです。

【参加者】
市川・伊藤・大河原・大河原夫人・大島・梶川・北橋・國友・小林・古林・小山・佐藤・瀧川・竹内・福田夫人・松村(16名)

(文=佐藤 写真=松村・國友・佐藤)

第55回散策の会
「青梅の名木と釜の淵をめぐる」のお知らせ

1.日時・集合場所
令和5年4月1日(土)午後1時30分
JR青梅線・青梅駅 改札前集合

2.経 路
青梅駅→梅岩寺の枝垂れ桜→旧稲葉家住宅→金剛寺の青梅→釜の淵公園

→青梅市立郷土博物館→青梅駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約7,000歩。
(2)坂道の上り下りがある。
(3)トイレは途中と郷土博物館にある。
(4)訪れる施設はすべて無料。

参加の申し込みは3月30日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、マスクの着用は各自の判断に委ねます。
(以 上)

第54回散策の会報告
元祖山手七福神めぐり

令和5年1月7日(土)

明けましておめでとうございます。

昨年はコロナ禍の中にもかかわらず皆様のご理解を得て5回の「散策の会」が催行できました。多くの方々の参加をいただき、誠にありがとうございました。本年も引き続きご愛顧くださいますようお願い申し上げます。

今回の七福神は目黒駅を中心として左右にほぼ一直線にならび、無駄のないコースでした。それもそのはず、江戸時代からの目黒不動への参詣ルートに従って祀られていたからです。参拝の順序については、白金から目黒に向かうのは無病息災・長寿のご利益があり、逆の目黒から白金へのルートは商売繁盛だそうです。参加メンバーを見れば迷いなく前者のコースとなるでしょう。

ところで、なぜ”元祖“と付くかといえば、2つの訳があるようです。1つは谷中七福神と共に江戸最古の七福神であること。もう1つは「新宿山ノ手七福神」と紛らわしいので混同を避けるためです。ただ各寺院の御朱印は「江戸最初 山手七福神」となっています。

今年はきっと福に包まれる9人衆


☆毘沙門天 覚林寺(港区白金台1-1-47)日蓮宗 
白金高輪駅を出るといきなり日吉坂の上りにかかります。ただゆるい傾斜のうえ、わずか5分で到着ですので助かりました。ここは寺の名より「清正公(せいしょうこう)さま」の方が通用します。そういえばバス停も「清正公前」でした。この通称は加藤清正の位牌や像が祀られているからといわれています。毘沙門天像は境内の毘沙門堂に祀られていました。ただ扉は閉められたままで、暗くてよく拝顔できませんでした。この後さらに日吉坂を上り八芳園の前を通り、瑞聖寺まではとろとろと10分。

とにかく福をいただかなくちゃ

毘沙門天を見せない毘沙門堂

☆布袋 瑞聖寺(ずいしょうじ)(白金台3-3-19)黄檗宗                                                        
大雄宝殿にある布袋像は大きな木像で、片膝を立て眼光鋭く俗界を見下ろしていました。伸びやかな裳階(もこし)を持つ重要文化財の大雄宝殿(本堂)の建築様式と、あの隈研吾氏(国立競技場の設計者)の手になる庫裏のフォルムのコントラストは、さすがに見とれるほどの見事な眺めでした。ここは2019年5月の「白金めぐり」で一度訪れています。

ちなみに隈氏は小平市の中央公民館や福祉会館などを複合化する新しい建物の設計も担当していますし、早大特任教授でもあります。また花小金井駅近くの円成院(えんじょういん)も黄檗宗の寺院で、本堂の姿がよく似ていて、ここも見応えのある雄大な堂宇です。

この後プラチナ通りの入り口に驚安の殿堂ドン・キホーテ店を発見。ところがカラーサインがあの赤黄黒でなくプラチナ色(?)で統一されていました。白金という土地柄を考慮したのかな?それとも住民運動の結果?

水盤に映る美しくも雄大な大雄宝殿

七福神の撮影OKはここだけだった


☆福禄寿・寿老人 妙圓寺(白金台3-17-5)日蓮宗
2体の像はともに20cm前後の木造立像で、妙見堂に安置されていました。白金というイメージから程遠い小さな地味なお寺で、大通りから一歩入った落ち着いた環境の中にあります。

このあと東急目黒駅の脇を通り、かなり急な行人坂(ぎょうにんざか)を下り、大圓寺に向かいます。なお行人坂の名は、大圓寺を拠点とする修験者たちが往来したことによるといわれています。

こじんまりした妙見堂


☆大黒天 大圓寺(目黒区下目黒1-8-5)天台宗
「大黒天」は江戸城の裏鬼門(南西)を守護するために、薩摩藩主島津家から寄進されたものと伝えられ、顔は徳川家康がモデルという伝承があるそうで、金色に輝いています。また境内にある五百羅漢像(都有形文化財)が圧巻です。これはこの寺が火元だった明和の大火(行人坂火事・1772年)の犠牲者の供養のために造られたそうです。他に八百屋お七の恋人吉三(西運)の墓碑もありました。ここの本尊は国の重文に指定されている釈迦如来像(1193年作)で普段は秘仏ですが、運よく年末年始は開帳されていて、拝顔が叶いました。なお、ここは2011年10月の「目黒界隈を歩く」でも訪れています。

大黒様はどこだ?と探すふたり

一切の煩悩を払った修行僧たち


ここまでで約6千歩を費やしました。これ以上歩き、楽しみが苦痛に変わっては本末転倒なので、この後に続く弁財天(蟠龍寺)と恵比寿(瀧泉寺)は割愛して、今回は「五福神・四寺めぐり」としました。これでもご利益はたっぷりでしょう。

帰路に胸突き八丁の行人坂を死の行軍することは何としても避けたいと思っていた折、松村世話役が雅叙園内のエスカレーターを乗り継いで上がるという秘策を授けてくれました。わずかに遠回りでしたが息を切らすことなく目黒駅に到着することができて解散。快晴のもと12回目の「七福神めぐり」はかくして終了、トータル約7千2百歩の散策でした。

今回は新型コロナ第8波の真っただ中、さらには初雪や雨があるかもという予報、加えて翌8日は稲門会も参加する小平市の「新春歩け歩けのつどい」が控えているという、当会にとって参加者減のマイナス要因に囲まれてしまいました。それゆえ参加者が9名というのはやむを得ないところでしょう。

そのうえこの日は山手線外回りが渋谷駅の線路付け替えのため、大崎→池袋間が終日運休という厄日。帰路は目黒駅から地下鉄南北線経由で新宿や高田馬場までたどり着きました。

【散策後の懇親会】
新型コロナウイルス感染防止のため、今回も行いませんでした。

【参加者】
伊藤・大河原・大島・佐藤・鈴木・瀧川・竹内・福田夫人・松村(9名)

(文=佐藤(俊)、写真=松村・佐藤)

第53回散策の会報告

清澄・白河界隈を歩く

令和4年11月26日

「回想法」というものをご存知でしょうか? 神社・仏閣や郷土博物館を訪れると昔を想い出して、脳が活性化するという心理療法の一つです。今回はみなさんの脳にぜひ若返ってもらいたくて、このような場所を訪ねてみました。
(写真はクリックすると拡大されます)

withコロナ時代でも元気な13人


☆深川江戸資料館
(白河1-3-28)(入場料400円)

空模様があやしいので、まずは屋内の「深川江戸資料館」を訪れました。
ここには江戸・深川の町並みがリアルに再現されていました。表通りの大店や路地裏の長屋にはそこの住人たちのさまざまな生活道具が展示されています。船宿の前の掘割には猪牙舟が繋がれ、八百屋の店先には冬野菜が並べられています。鰯雲の空はトワイライトから満月へと見事なグラデーションを見せながら移り変わっていきました。また物売りのかけ声や猫の鳴き声など心憎い演出が各所にみられ、ボランティアガイドの40分にわたる解説を聞きながら、しっかり江戸時代の生活空間にワープすることができました。

江戸・深川の町並みを再現

熱弁のボランティアガイド

船宿の船頭の長屋


☆霊巌寺
(白河1-3-32)

ここは江戸時代の初期に霊厳島に霊厳和尚が建てた寺が振袖火事(1657年)で焼失し、この地に再建されたものです。江戸六地蔵の一つである地蔵菩薩(高さ2.7m)や、江戸中期の老中松平定信の墓に手を合わせました。

なお六地蔵とは深川に住む地蔵坊正元という僧が広く寄進者を集めて、病気平癒を願って江戸の出入り口に造立したもので、水戸街道に置かれたのがここです。その他の品川の品川寺(東海道)、新宿の太宗寺(甲州街道)巣鴨の真性寺(旧中山道)の地蔵はすでに当会としては拝顔していて、残りで現存しているのは浅草の東禅寺(奥州街道)にあります。

『皆の衆 足元に気をつけての』


☆清澄公園
(江東区清澄2丁目、3丁目)(入場料65歳以上70円)

次は近くに広がる「清澄庭園」へ。こんな所にこんな素敵な公園が!と思うような場所です。ここは江戸時代には紀伊国屋文左衛門の屋敷だったといわれていますが、明治の初期に三菱の創業者の岩崎弥太郎が造成し、弟の弥之助が大改造した回遊式築山林泉庭園です。錦秋の時期を狙った甲斐があり、池面に映るイチョウやモミジが鮮やかな色彩を重ねていました。池の中には「磯渡り」という飛び石づたいに歩くルートもありましたが、なにせご高齢者集団、よろけてドボン!では洒落にもならないので、面白さを避けて安全な道を選択しました。当会でこれまでに見た大庭園はほとんど大名庭園でしたが、ここは旧古河庭園と共に明治の実業家の作った珍しいものです。それに全国各地から取り寄せた数多い奇岩珍石も見慣れぬものばかりでした。石が滝となり山となり川となる造形の妙は、興味ある人には必見でしょう。「東京都指定名勝」になっています。土曜のせいか入園者もほどほどありました。

黄・緑・赤そして雪吊りに囲まれて

石で流れと滝を造形

曇りだったのが残念


その後、隅田川近くを北上し相撲の「大鵬道場・大嶽部屋」(元十両大竜)の前を通ります。ここは九州場所を沸かした王鵬(大鵬の孫)が所属しています。いまは相撲部屋といってもごく普通のマンションで、看板がなければそれとは分かりません。

☆萬年橋(清澄3~常磐1)
小名木川に架かる鉄橋で昭和5年に建造されました。この橋のたもとが清洲橋のもっとも美しく見える角度とされています。江戸時代の木橋は、船の航行を妨げないようにと高く虹型に架けられていて、葛飾北斎の「富嶽三十六景」、歌川広重の「名所江戸百景」でも見られます。

橋を渡り、芭蕉の住み家(芭蕉庵)があったといわれる場所、いまの芭蕉稲荷神社を参拝しました。大正時代に台風による高潮でこの界隈が浸水し、水の引いた後、芭蕉が愛好したと思われる石蛙がここの土中から出土したことに由るようです。

「ふる池や 蛙飛こむ 水の音」


☆芭蕉庵史跡展望庭園
(常磐1‐1-3)

ここは小名木川が隅田川に注ぐ角地にあるごく狭い公園です。ここにある芭蕉の座像は午後5時になると、なぜか隅田川に向かって自動的に向きを変えるそうで、力を入れて押してみたら、確かにわずかに動きました。芭蕉に夜の暗い水面を眺めさせ、どういう意味があるのでしょう。月でも眺めさせたいのでしょうか?

芭蕉ってこんな顔なの?


このあと再び萬年橋から別の小路に入り、「高田川部屋」(元関脇安芸乃島)を眺め、清澄白河駅へ引き返しました。幸い雨には見舞われず、二時間半・約6
千歩の旅は無事終わりました。

ところで、近江商人の「三方よし」風にいえば、当会は「参加者よし」・「訪問先よし」・「世話役よし」(手前味噌)の関係にあります。とりわけ「訪問先よし」はレガシーを現在まで維持・管理されている関係者のさまざまなご努力があればこその結果です。心よりリスペクトを捧げます。そして「参加者よし」と「世話役よし」はウィンウィンです。

【散策後の懇親会】
新型コロナウイルス感染防止のため、今回も行いませんでした。

【参加者】
市川・伊藤・大河原・大河原夫人・梶川・國友・小林・古林・佐藤・竹内・松村・山本・山本夫人(13人)

                  (文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)

第54回散策の会のお知らせ

第54回散策の会のテーマは「元祖山手七福神めぐり」です。

1.日時・集合場所
令和5年1月7日(土)午後1時
東京メトロ南北線・都営三田線 白金高輪駅 1番出口の地上に集合

2.経 路
白金高輪駅→覚林寺(毘沙門天)→瑞聖寺(布袋)→妙円寺(福禄寿・寿老人)→大円寺(大黒天)→目黒駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約7,000歩、所々アップ・ダウンあり。

(2)トイレは目黒駅近辺と大円寺にある。
(3)都営地下鉄はシルバーパスが使える。
(4)解散後の懇親会は行わない。

参加の申し込みは1月5日(木)までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスの保持をお願いいたします。
(以 上)

第52回散策の会報告

 水元公園を歩く

令和4年10月1日(土)

10月初日とはいえまだまだ暑い日が続くだろうと予想して、水辺を求めてみました。今回は遠方の金町駅からバスの利用というのに加え、めぐる箇所もわずかに2か所だけというので、世話役としては参加人数の減少を危惧していました。ところが珍しく3組のご夫妻を含む15名様の参加を得ました。みなさんコロナの猛威を逃れ、気分の換気を求めたのでしょうか。

話は違いますが、散策の会も他の同好会と同様参加者が固定化しかかっています。ということは、回を重ねるごとに参加者の平均年齢がそのまま加齢していくことになります。早い話が、今回は会の創設時より12歳も年をとったということです。当然の成り行きとしてみなさん足腰も弱くなっていきます。そこで過去には1万2千~1万歩が大半でしたが、負担を減らそうとこの頃は7千~6千歩位に抑えたコースを組んでいます。今回は怪我などで足に不安を抱えている方が複数おられたので、約4千6百歩にまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

今年の9月は中旬以降の土曜日に3連休が続き、それぞれご予定が入っているのでは…と思い、9月を外してみました。結果オーライ!それまでの土曜日は2つの台風の襲来で雨天続きとなり、10月1日は大当たりの秋晴れに恵まれました。

はるばる遠くへ来たもんだ


☆南蔵院(葛飾区東水元2-28-25)
JR常磐線の金町駅からバスに揺られること約7分、「しばられ地蔵」で下車して3分、業平山東泉寺という天台宗のお寺に到着しました。ここは「しばられ地蔵」が有名です。盗難や失せ物の願掛けの際に縄で縛り、願が叶ったらほどくといいます。縄をかけられていない姿は、大晦日の23時過ぎの「縄解き供養」の時のわずかな時間だけです。それにしてもこれだけ幾重にもぐるぐる巻きにされた状態なのは、願が成就しない人が多いのかなァ…と思ったりして。でもスカスカなら観光対象としてのアピールに欠けるし…。脇では縄一本百円で販売していました。

地蔵のいわれについては「大岡裁き」が有名ですが、ここでは2016年の「小石川七福神めぐり」(林泉寺の項)で同様なものがあったので、その際の報告文に載せたものを再掲します。

「ある夏の盛り、呉服問屋の手代が反物を大八車に積んで、この地蔵の前で一休み。疲れからついうとうととしてしまう。ふと目を覚ますと反物がそっくり消えてしまっている。慌てて奉行所に駆け込んだ。時の奉行は大岡越前守、『目の前の盗人を見逃すとは地蔵も同罪』と、地蔵を荒縄でぐるぐる巻きにして江戸市中を引き回した。珍しい光景に野次馬もぞろぞろ後ろについて行き奉行所に入る。途端に門が閉められ、『白洲へ許可なく入るとは不届き至極。罰として反物一反を持参せよ』との命令。野次馬たちが持ち寄った反物を手代に調べさせたら、その中に盗品があり、犯人が検挙された。その後大岡越前守は地蔵の霊験に感謝し、堂を建立して盛大な縄解き供養を行ったとか。」

平安時代、歌人の在原業平が隅田川で舟遊びをしていた際に、舟が転覆して多くの人が亡くなりました。業平は死者を弔い、像を刻み、法華経を写経して塚に収めました(業平塚)。その塚の近くに業平天神社が建てられ、南北朝時代になるとその別当寺として当院が建てられたということです。元は業平橋の近く(墨田区吾妻町3丁目)にあったのですが、関東大震災に遭いこの地に移転してきました。

境内には参道を業平橋に、白砂を隅田川に、石を舟に見立てた造形が目を引きます。住職のご好意で一同本堂へ上り、ご本尊の釈迦如来像や天井画の由来の説明を受け、さらには奥書院や茶室の案内までしていただきました。そのため思いのほか多くの時間を過ごすことになってしまいました。その後、寺の裏に広がる水元公園へと歩を進めます。
(写真は、クリックすると拡大されます)

☆水元公園(水元公園3-2)
23区の中で最大級の規模を誇る水郷公園で、小金井公園の約1.2倍もの面積があります。

江戸時代に用水を確保するために古利根川を堰き止め「小合溜(こあいだめ)」という名の用水池を作り上げました。この大きく湾曲する水路に囲まれた土地を利用したのがこの広大な公園で、ここには「かわせみの里」「水生植物園」「バードサンクチュアリ」など数々の施設や広場がありますが、残念ながら距離の関係で見学を割愛いたしました。

公園内のあちこちに、高さ20mにもなるポプラ並木が点在しています。秋の陽を受けまだ緑色に輝いていました。また、生きている化石といわれる高さ20mのメタセコイアが、あちこちにそびえ立つ姿は圧巻でした。

この公園にはとりわけ桜や花菖蒲の季節には大勢の人々が訪れるそうですが、この日も久しぶりの晴天の休日ということで、広大な駐車場もほぼ満杯でした。


【散策後の懇親会】

新型コロナウイルス感染防止のため、今回も行いませんでした。

【参加者】
市川・伊藤・大河原・大河原夫人・大島・栗原・小林・古林・佐藤・瀧川・福田・福田夫人・松村・山本・山本夫人(15名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村・佐藤)

第53回散策の会のお知らせ

第53回散策の会のテーマは「清澄・白河界隈を歩く」です。

1.日時・集合場所
令和4年11月26日(土)午後1時
清澄白河駅(都営地下鉄大江戸線・東京メトロ半蔵門線) A3出口 地上に集合

2.経路
清澄白河駅→清澄庭園→霊厳寺→深川江戸資料館→芭蕉庵史跡展望庭園→清澄白河駅(解散)


3.参考情報
(1)歩数は約6,000歩。

(2)トイレは庭園・資料館にある。
(3)以下の入場料が必要である。
・清澄庭園 65歳以上70円
・深川江戸資料館 400円
(4)解散後の懇親会は行なわない。

参加の申し込みは11月24日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスの保持をお願いいたします。
(以 上)

第52回散策の会のお知らせ

第52回散策の会のテーマは「水元公園を歩く」です。

1.日時・集合場所
令和4年10月1日(土)午後1時30分
JR常磐線(東京メトロ千代田線)金町駅 改札口に集合

2.経路
金町駅→(バス)→南蔵院→水元公園→(バス)→金町駅(解散)

3.参考情報
(1)歩数は約7,000歩。
(2)トイレは南蔵院と公園内に数多くある。
(3)解散後の懇親会は行なわない。
(4)西日暮里で千代田線に乗り換え→金町が便利。
         常磐線の上野・日暮里からは北千住で千代田線に乗り換えが必要。

参加の申し込みは9月29日(木)までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
t-sato(at)ion.ocn.ne.jp 【 (at)を@に置き換えてください 】
または 090-9149-8977

なお、当日は各自で検温や体調チェックのうえ、マスクの着用およびソーシャルデスタンスの保持をお願いいたします。

(以 上)