日吉台地下壕見学会に参加して

荒井 桂(1979商)

小平三田会(剣持庸一会長)主催の日吉台地下壕見学会が2025年5月24日(土)に行われ参加しました。日吉台地下壕は、太平洋戦争末期に帝国海軍が慶應義塾大学日吉キャンパスに掘った大地下壕です。

帝国海軍には連合艦隊司令長官は主力艦隊の先頭(旗艦)に立つという伝統がありましたが、1944年6月のマリアナ沖海戦の大敗で多くの艦艇が沈み、艦艇に余裕がなくなり海上にあれば撃沈される危険も考慮し、軍令部は連合艦隊司令部を地上に移すことにしました。
そこで①海軍省のある東京と横須賀軍港の中間にあって交通の便が良い、②学徒出陣と勤労動員で学生が激減した慶應義塾の堅固な校舎をそのまま使える、③キャンパスが広く地下壕が掘りやすい、④海抜40メートルの高台にあり無線の受信状態が良い、ということから1944年9月、連合艦隊司令部が海上の旗艦から地上の日吉に移ったのです。

翌年アメリカ軍の本土空襲が始まり、本土決戦に向け日吉は帝国海軍の全作戦部隊を統一指揮する最重要拠点になりました。

地下壕は堅牢な造りで中は自然換気が整い、息苦しいことはなく空気が冷んやりしていました。この日吉の司令部から1945年4月6日戦艦大和の出撃命令が発せられ、また特攻機敵艦突撃確認のモールス信号を受信していたことなど、この地下壕に集まった海軍の精鋭たちを悲惨な作戦遂行へと追い詰めたのは何だったのか、考えさせられます。

小平稲門会からの参加は私一人で、また初めての日吉キャンパスでしたが、小平三田会の皆さまに温かく迎えていただき貴重な時間を過ごすことが出来ました。

 

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