『梅が実るまで~津田梅子の生涯~』

今から40年前のこと。津田塾大学校舎・ハーツホン・ホールの屋根裏から数千を超える手紙が発見されたという。それらは津田梅子がアメリカの恩人や友人に当てて書いたもので、経緯は不明だがいつの時期にかアナ・ハーツホン(梅子の学校運営を支えた同志)の手に渡り、トランクに保管されたまま大戦の混乱で行方不明になっていたものだったのだ。

津田梅子


令和7年12月の劇団俳小アトリエ公演『梅が実るまで~津田梅子の生涯~』は、これらの手紙にインスパイアーされた脚本家・武末志朗氏の書き下ろし脚本によるもので、同氏の演出のもと、梅子ゆかりの小平に拠点を構える劇団俳小の精鋭メンバーが上演と取り組んだ。

小平稲門会・観劇の会からは、山本浩さんご夫妻(13日公演)、石井伸二さんと竹内(14日公演)の4名が参加した。花小金井の稽古場にしつらえられた客席は56。早々にソールドアウトになったとのことで、入ってゆくと満席であった。

一次資料としての手紙は、時代の空気を直接伝える生の声である。梅子が残した幾多の文(ふみ)から紡がれたストーリーは、梅子を巡る明治の女性群像、そして伊藤博文をはじめとする男性協力者たちの姿を生き生きと描き出す。そのうねりは、女性の地位向上、男女同権へと収斂する。
梅子が目指したのは、
「男性と協力して対等に力を発揮できる、自立した女性の育成」
だったのだ。

帰りの汽車

梅子からの手紙

終盤に至り、セリフの中でひとこと触れられる、
「防砂林」
というキーワード。
昭和2年、関東大震災で都内を追われた女子英学塾(津田塾の前身)が小平にキャンパスを構えるに当たり、真っ先に取り組んだことが防砂林の整備だったという。

筆者が小学生時代を過ごした昭和30年代の小平では、冬から春にかけ、武蔵野台地をゴーゴーと吹きすさぶ北風が、目も開けられないほどの土煙を舞い上がらせた。空は真っ暗。その上に、何やら黄色だか茶色だか朱色だかの丸いものがポツンと浮かんで見えるのだが、それが、要するに太陽なのだ。学校から家に帰り、鏡を見ると鼻の穴は真っ黒け。「防砂林」のひとことから、少年の日に嗅いだ乾いた土の匂い、口に入ってしまったその舌触り、耳の奥で鼓膜を相手に砂粒が奏でるマラカスみたいな音までもが思い出されるのだった。

しかし、である。小平が深刻な砂塵・強風災害に見舞われたと記録される昭和初期の風と土の暴力は、昭和30年代のそれとは比べようのないものだったろうと推測されるのだ。
そんな思いに浸っていると舞台の上では、
「『昨夜は嵐』。それが梅子の絶筆だった」
というエピソードが語られている。

英語で日記を綴っていた梅子が書いたその原文は、
“Storm last night.”。
「昨夜は嵐」。

いや、梅子先生。あなたの人生、本当は、
「昨夜も嵐」
ではなかったですか。

そしていよいよ終幕。梅子没して11年となる昭和15年。塾が創立40周年を迎えたのを記念して80歳の盟友アナ先生が行った静かな演説。それは過ぎ去った日々の全てを呑み込んでくれるもので、梅子は困難の後にきっと安らぎを迎えたのだろうと思わせてくれる、ハートウォーミングなものだった。あれ、良かったなあ。

(2025年12月24日、竹内吉夫)

ロック研究会12月度活動報告
▷Beatle Jam Live
▷第9回例会
▷オープンマイク

2025年を締めくくる12月のROCK研究会は、かつてない豪華3本立て企画で行いました。

【1】Beatle Jam LIVE
・開催日=12月6日(土)
・会 場=国分寺Rubber Soul
・参加者=樋口、広山(2名)

Beatle Jam のLIVEに行きました。
メンバーはそれぞれお仕事を持っていますが、時間を合わせて練習を重ねているビートルズのカバーバンドで、今回はルーフトップ・コンサート(アップル社の屋上で行われたゲリラライブ)を模して行われ、ギターの方は叔母さんからリスの毛皮のコートを借りてジョン・レノンになりきり、他のメンバーもビートルズに似たような衣装を古着屋でそろえて着ていました。この日はもう一組、The HoneyHush という、こちらもビートルズのカバーバンドが出演し、熟練の演奏を存分に楽しみました。

【2】第9回例会
・開催日=12月12日(金)
・会 場=国分寺Painkiller
・参加者=小川(日台稲門会)、小菅、樋口、広山、松村、山田(6名)

今回は当会員の山田さんのお友達の小川さん(日台稲門会=台湾との交流活動をしています)もご参加になり、それぞれの好きな曲を聞きながら四方山話に花が咲きました。一段と寒い季節になりましたが、会場はHOTな空気に包まれ、この会の一年の締めにふさわしい楽しいひとときになりました。

【3】オープンマイク
・開催日=12月13日(土)
・会 場=国分寺Rubber Soul
・参加者=瀧本ご夫妻とお友達3人、樋口、広山(7名)

この日は、当会員の瀧本さんが出演してクリスマスソングなど3曲を披露してくれました。瀧本さんはこの秋からアコースティックギターを始められ、数か月でのステージでしたが、瀧本さんのお友達も来場され、お知り合いの方のパーカッションのサポートもあり、ほのぼのと心温まる楽しいステージとなりました。

Beatle Jamのジョン役のメンバーは埼玉県坂戸市で農業を営んでいる校友(社会科学部卒)であり、また来場客の中にも何人か校友がおり、ROCKを通じて稲門の輪がさらに広がりました。また、広山さんが今月は3回とも出席してくださいました。この会はやはり広山さん抜きには語れません。
次回以降もROCK仲間が集まって楽しめる企画、会合を行っていきたいと思います。

(文=樋口昌典)

第99回ワイン研究会報告

開  催  日: 2025年12月19日(金) 15:00~17:00
開催場所: 永田珈琲店「こもれび」

永田珈琲店は小平駅近くのビルの一角にありますが、2階の「こもれび」に上がる階段が急で高齢者揃いのメンバーは結構しんどい思いをしています。建築科卒のK氏によると、建築計画上の推奨値では階段は、「蹴上×2+踏面=60cm」と規定されていますが、最近は腰や足の負担を考え、蹴上を低くする工法がとられている、とのこと。このビルは古いビルで残念ながら高齢者には優しくないらしい。K氏は話題が豊富で、いつも会が盛り上がります。

閑話休題、「こもれび」はすっかりクリスマス模様、いつもながら、店の素敵な装飾に感謝、感謝です。今回も参加者は9名、今回からワインは原則会で準備することとしました。
今回は事前にお知らせしたカナダ産ワインが入手できなかったので、フランス産の貴腐ワインを用意しました。デザートに合う、極甘のワインです。

3大貴腐ワインと呼ばれているのは、フランスのソーテルヌ、ハンガリーのトカイ、ドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼですが、今回準備したフランスのロワール地方の貴腐ワイン、フランス国内では高い評価を受けているワインです。ちなみに国産の貴腐ワインはサントリー産が1本5万円程度、貴腐菌が毎年発生するわけではなく、また一粒一粒貴腐の状態をみて手摘みのため、コストが高くなります。

入社して最初は地方でワインの営業に携わっていたW氏、50年以上前の話ですが「ワインが苦い」と苦情を受けたそうです。当時は甘いポートワインがワイン、と思われていた時代でした。

「貴腐ワインと言えば」と身を乗り出してきた長老のY氏。30年以上前に退職記念にいただいた貴腐ワインをまだ所有しているとのこと、コルクの状態に不安があるが、持参したい、とのことで期待大です。

今回はイタリアのスパークリングで乾杯、ギリシャの赤、イタリアのノベッロ(新酒)、チリの赤と進み、最後はデザートが出されたタイミングで貴腐ワイン、甘くなった口に永田珈琲の苦味がマッチして至高のひと時でした。
左から、ENOTRIA  赤 ギリシャ、Picardia 赤 チリ、CA’DI RAJO 白(スパークリング)イタリア、Novello 赤 イタリア、Petit Val  白(貴腐ワイン)フランス。 

来月は記念すべき100回目。企画を考えます。

【参加者(50音順、敬称略)】9
井垣、伊藤、上村、河崎(文責)、小菅、冨平、牟田、山本、若林

関東大学対抗戦・早明ラグビー観戦記

・日 時:2025年12月7日(日)午後2時
・関東大学ラグビー対抗戦:早稲田大学 VS 明治大学
・場 所:国立競技場

国立競技場への降車駅、千駄ヶ谷は人であふれかえっていました。しかも多くは紫紺の明治カラーの旗を持つ人やシャツをきた明治ファン、101回の伝統の一戦ですが、ともに5勝1敗で優勝をかけた一戦です。
国立競技場は3万9千人の入場者、秩父宮ラグビー場の3倍の入場者数です。我々の周りも明治ファンが多く、アウェーな雰囲気でした。

試合は、日本代表ヨーロッパ遠征から離脱し、早稲田に復帰した矢崎が加わり、早稲田の先発は15名全員が慶應戦と変更なし。一方の明治は5名を入れ替えて臨んでいました。
試合は前半17分、ラインアウトのアタックから矢崎が抜け出し、細かなステップでディフェンスを崩しトライ、野中のゴールも決まりました。スクラムでの優位もあり、大量得点での勝利を予感していましたが、そこは明治、スクラムに拘泥せず、モールで強みを見せ、31分トライ、ゴールも決まり、前半は10-10でした。

後半早々、再度矢崎がインゴールに駆け込みましたが、残念、オブストラクションでノートライ。後半5分、明治はペナルティのボールを深く蹴り込み、キャッチした早稲田・服部のキックをチャージしてトライ。明治は服部のキックルーティンを研究して、死角からチャージして成功させたとのこと。

その後、明治が1トライを挙げるも、逆転の範囲内で早稲田は野中の正確なペナルティゴール成功で6点差まで迫りました。しかし、ロスタイム、早稲田は明治のゴール前で痛恨のノックフォワード(以前のノックオン)、明治はスクラムでボールをキープして蹴り出しノーサイドとなってしまいました。
結果は、「早稲田19-25明治」。関東大学ラグビー対抗戦の優勝は明治、早稲田は3位となりました。


今回の早明戦、対戦前の予想では明治がフォワードで圧倒、とありましたが、スクラムは早稲田が強く、何回も明治の反則を誘っていました。しかし、バックス陣は早稲田のお株を奪うほど強力で何回もスピードに乗ったゲインを繰り返していました。周りの明治ファンから「これは早稲田の戦法だ」との声が上がっていました。

先発を変えなかった早稲田、5名を入れ替えた明治の分析が機能しなかった早稲田、これからの全国大学選手権に向けて修正が望まれます。

【観戦者(敬称略、50音順)】 河崎(文責)、佐藤、平澤

第3回読書の会 報告

◆開催日=2025年12月6日(土)
◆会 場=小平市 美園地域センター

【おことわり】回数について、今回は「第4回」目ですが、実際に書籍を課題にし始めたのは今回が3回目になりますので、回数が重複しますが今回を「第3回」とします。

「読書の会」第3回の会合を行いました。今回は中島敦さんの『名人伝』をもとに読後感想を語り合いました。

幼少期に両親の離婚、再婚、父の仕事のための転居などめまぐるしい生活環境の変化を経験した中島さんは大学卒業後横浜の女学校の教師となりますが、持病の喘息が進み、転地療養のため役人となりパラオで過ごしました。しかし病状が回復せず、帰国後、33歳で夭折します。

物語は、昔の中国・趙の国で弓の名人を志す一人の男が数々の修行を経た後、「不射の射」(弓を射なくても標的を射ることができる)という境地に達します。その男は修行から帰った後、40年ほどして世を去りますが、晩年には弓の名称や用途を全く忘れてしまうという逸話を残します。

名人と称されるようになった紀昌(主人公)について、「弓を射ないのに名人というのはどうしたものか」「名人とは周りの人が評価するものである」「『名人など、ほんとうはどこにもないのではないか』という問題提起とも考えられる」など、名人のあり方などにも踏み込んだ様々な意見が活発に交わされ、また、「物語の前半は仕事に打ち込み、夢を持って力一杯生きていく様子、後半は名声、野望の執着から離れ、自由に生きる定年後の第二の人生にあたると感じる。老後を平安な心持ちで暮らすべきであるということを示しているのではないか」と人の一生になぞらえたご感想もいただきました。

会の後半は、みなさんのご経験から「名人芸」と感じられたことをお伺いしました。高座に上がり、ひと言も発することなく客を笑わせた落語家や、宮大工さんの伝統的な素晴らしい技術の紹介、物知りになるには覚えようと思わないことが秘訣である、など興味深いお話を聞くことができ、100分が短く感じられました。

今回は総勢8名の参加となり、発足間もない同好会ですがみなさんに集まっていただける楽しい会として2025年を締めくくることができました。
次回の開催は2月下旬を予定しています。みなさんに喜んでいただけるようにアドバイスをたくさんいただき、充実した集いにしたいと思います。

(文=樋口昌典)

【参加者(敬称略)】
 荒井、川崎、小菅、樋口、比留間、広山、本田(校友)、松村、樋口。8名

第16回「石井道彌 & カラ・OK」を開催

第16回「石井道彌 & カラ・OK」を、2025年12月4日、吉祥寺「サウンズ・ラボ」にて開催しました。小平稲門会のレジェンドピアニスト石井道彌さんの伴奏で皆さんで楽しく歌う会で、今回は、女性4名を含む16名が参加しました。

まずはデュエット曲「居酒屋」を全員で歌ってスタート。その後皆さん得意の歌唱が始まりました。今回もジャズやポップスのスタンダードや映画の主題歌の他に、懐かしの歌謡曲や童謡と相変わらず幅広い選曲は、さすが小平稲門会のメンバーの幅広さを感じました。
また、あらかじめ楽譜を用意される方もおり、皆さんの歌唱にかける熱意をひしひしと感じました。合間には恒例の「ホワイトクリスマス」をはじめとするクリスマスソングで盛り上がり、本年お亡くなりになった大先輩の塩田智男さんを偲び、早稲田大学グリークラブゆかりの「遥かな友に」を全員で歌いました。
終盤には「サウンズ・ラボ」のオーナーご夫妻によるハープとギターの合奏による素晴らしい演奏に聞きほれました。そして最後に全員で「今日の日はさようなら」を歌って終わりと思いきや、本年も熱烈なリクエストに応え「都の西北」にて本年の歌い納めといたしました。
石井道彌さんはじめ、皆さんお年を感じさせないエネルギッシュな歌、演奏で、師走の一日を元気に楽しく終えることができました。来年も無事開催される事を祈りつつ皆さん家路につかれました。

(文=松村純夫)

【参加者(敬称略)】荒木彌榮子、石井道彌、伊藤徹、勝見亮助、河崎健治、佐藤俊雄、瀧本紀子、富澤七郎、長野多雄、生井博美子、比留間進、二又祐一、増田峰夫、松田幸子、松村純夫、山本浩。計16名

第66回 散策の会報告
お岩さんゆかりの寺社を訪ねて

令和7年11月28日(金)

最近、天候に恵まれないことが多い散策の会ですが、この日は嘘のような好天に恵まれ、7名の参加にて新宿御苑前駅に集合しました。今回は、お岩さんゆかりの寺社を含む、新宿一丁目から四谷三丁目までの旧跡を巡る旅で、いつも通り瀧川世話役のガイドの説明を受け出発しました。

恒例の事前レクチャーのあとはエッホエッホと


(1)三遊亭圓朝旧居跡
(新宿1-21)
ここは圓朝が明治21~28年まで住んでいた場所です。圓朝は東京落語界の名人といわれ、また怪談噺や人情噺に多くの傑作を創作しました。旧居跡は新宿区指定史跡に指定されており、花園公園内に旧居跡の碑が建っています。

昨年訪れた北斎通り(墨田区)からここへ引っ越した


(2) 四谷大木戸跡

甲州道中を往来する人々を監視する目的で造られました。間口二間半の木戸があり、番所を置いて検問しました。木戸は22時(四ツ)になると閉じられました。

大木戸の西に宿場・内藤新宿が開かれる


(3) 水番所跡
(内藤町87)
玉川上水はここから地下へ入り、石樋や木樋で四谷見附方面へ導かれました。この水番所ではゴミや死体などが地下に入らないように監視していました。
近くには玉川上水を拓いた玉川兄弟の功績をたたえた高さ4.6mほどの漢文で記された石碑「水道碑記」(すいどうのいしぶみのき)があります。

(4)多武峰(とおのみね)内藤神社(内藤町1-8)
今の新宿御苑に中屋敷があった信州高遠藩内藤家の屋敷神です。 境内には、内藤家の四谷屋敷拝領の伝承にかかわる石碑の「駿馬塚の碑」があります。また、ここは明治20年に、眞崎鉛筆製作所(現三菱鉛筆)が玉川上水の分水を利用した水車を動力にし鉛筆の製造を始めた所で、それにちなんだ「鉛筆の碑」もあります。

ひっそりした新宿のルーツの屋敷神


(5)斎藤茂吉終焉の地
(大京町22)
歌人・精神科医の斎藤茂吉が空襲で南青山の自宅を失った後、昭和25~28年を過ごした場所です。
「新宿の 大京町と いふとほり わが足よわり 住みつかむとす」(茂吉)

70歳で没し、墓は青山墓地に


(6)長善寺
(四谷4-4)
四谷で最も古い寺院。通称「笹寺」と呼ばれますが、それは二代将軍秀忠が鷹狩りで訪れた際、境内一面に熊笹が生い茂っていたからといわれています。横綱の始祖といわれる明石志賀之助が境内で江戸初めて(1624年)の勧進相撲をしたとして、記念の「四谷勧進角力始祖」の碑があります。曹洞宗。

江戸勧進相撲の発祥の地


(7)於岩稲荷田宮神社(左門町17)
鶴屋南北の「東海道四谷怪談」のモデルとなったお岩(田宮於岩)と縁のある神社。もとは同心田宮家の屋敷神でした。実在のお岩は養子の伊右衛門とは仲の良い夫婦で、家勢を再興したといわれることから、人々の信仰を集めました。
「東海道四谷怪談」は於岩が生きていた時代より200年後に作られた作品。境内には「田宮」の表札がかかった家があり、子孫がお住まいのようです。

寄進者には歌舞伎・新派の名優たちの名が


(8)陽運寺(左門町18)
ここにあったお岩の霊堂が戦災にあったため、栃木県沼和田から堂を移し再建しました。堂内にはお岩の立像があり、厄除け・縁事・芸事に霊験があると信仰を集めています。境内にはお岩ゆかりの井戸もあります。境内にはカフェや売店がありなかなかの商売熱心のよう。日蓮宗。

お岩さんとのゆかりがいまいち分からなかった


(9)消防博物館
(新宿区四谷3-10)(入場無料)
消防博物館は、正式には東京消防庁消防防災資料センターといい、江戸の消防に関する錦絵、瓦版、古文書、消火道具や明治時代から現在に至るまでの消防ポンプ、防火衣、消防活動資器材などの実物を中心に展示しています。まず、10Fの防災ラウンジに上り、新宿副都心や富士山を眺めた後、各階の展示場を巡りました。

5F屋外にあり操縦席に乗ることができる消防ヘリコプターが機械の不具合により展示中止となっていたのは残念でしたが、3Fではヘリコプターの操縦室を再現したシミュレーション飛行や、「なろうよ消防士コーナー」での消火の模擬体験(ある親子が長く占領しており、体験できませんでしたが・・・)など親子で楽しめるコーナーもありました。地下のB1には現在の様々な消防車が数多く展示されており、ベンツの消防車の前で記念撮影をしました。入場無料にしてはなかなか楽しめる施設でした。

今回のコースで好評だったのがここ消防博物館

終わりよければすべてよし・・・でした

個人的には、40年ほど前勤めていた事務所が新宿一丁目にあり、久々に懐かしさに浸ることができました。この近辺は大都会ですが、一歩脇に入ると静けさの中に江戸情緒を感じることができた散策でした。
その後、参加者全員でおなじみの「三平」で懇親会を実施しました。

【参加者(五十音順、敬称略)】
荒木、大河原、河崎、佐藤、瀧川、松村、山本

(文=松村、写真=佐藤・松村)