第49回散策の会報告

港七福神めぐり

令和4年1月8日(土)

正月恒例の「七福神めぐり」は今年で11回目を数えました。
今回は麻布十番駅から六本木駅までの散策ということで、土地柄ゆえ社寺のほとんどが高層ビルに囲まれていました。大都会の途絶えることのない再開発の中で、それでもその立ち位置を変えることなく現在まで存続し得たことは、まさしく神仏の御加護でしょう。

「港七福神めぐり」は昭和8年に発足し、戦中に中断、昭和41年に復活したもので、実数は「宝船」を加えて八福神あります。社寺はあちこちに散らばっているので、すべてめぐるとかなりの距離になります。それに決った参拝ルートもありません。そこで来たる3月に予定の「懐かしの東京タワー」の散策の際に、宝珠院(弁財天)を参拝することとし、少し離れた熊野神社(恵比寿)と久国神社(布袋)を割愛することで省力化を図りました。

開運招福を願う人たち


☆宝船
 十番稲荷神社(港区麻布十番1-4-6) 
ここは麻布十番駅のすぐ横にありました。メインは賑やかに七福神が乗った「宝船」の石像。それに大火の折に池に住む蛙が水を出し猛火を防いだとかで、消火・防火・火傷のお守りの「蛙」。これがまた“若返る”というので女性に人気があるそうです。他にも旅行・入院から無事“帰る”のお札などなど“手を変える、品を変える”で商売熱心でしたが、わが仲間たちは誰も“買わず”に帰ったようです。

ここの狛犬は麻布十番出身の音丸が昭和12年に奉納したものだそうです。音丸は2020年のNHKの朝ドラ「エール」にも登場し、古関裕而の最初のヒット曲「船頭可愛や」を吹き込んだ歌手で、劇中では下駄屋の娘、実生活では下駄屋の女房でした。その他、見にくい位置でしたが、先代の鳥居を奉納した同じ麻布十番出身の喜劇俳優榎本健一(エノケン)の名を刻んだ銅板もありました。

その昔、世話役の松村さんがこの近くに住んでいたことがあったそうで、通り道にある老舗の豆屋や鯛焼き屋の紹介があり、幾人かがお土産を買いに入りました。

最初に七福神をまとめて参拝

那覇のシーサーはマスクだけど、ここはしめ縄


☆大黒天
 大法寺(元麻布1-1-10)
大黒天像は伝教大師(最澄)が刻んだものと伝えられています。大黒天の小槌を持ち、弁才天の髪、毘沙門天の鎧をつけた「三神具足の大黒」といわれています。これは大黒天の福寿と弁財天の円満、毘沙門天の除災の3つを表しているそうです。木彫の素朴なお姿のはずですが、残念なことに秘仏のため公開されていませんでした。その代わりに江戸期の作とある3体の大黒天が愛嬌を振りまいておられました。

1月8日ともなると参拝客は少ない


☆毘沙門天 麻布氷川神社(元麻布1-4-23)
「一本松坂」をゆるゆると登った、かつてのお屋敷地だったらしい静かな住宅街にありました。太田道灌が勧請したそうです。でもどうして毘沙門天(仏像)が神社に祀られているのでしょう? よく分かりません。それに肝心の毘沙門天がどこに安置されているのか分からずじまいでした。
神社の後ろには上部の方が太いビアグラスのような珍しい形の「元麻布ヒルズフォレストタワー」が建っていて、神社と奇妙なコントラストを見せてくれていました。ここの最上階の29階と28階はメゾネットタイプで、家賃は月額460万円。カルロス・ゴーンが住んでいたという噂があるようです。

日本的アンバランスな風景


☆寿老神 櫻田神社(西麻布3-2-17)
寿老神は正面脇のガラス戸の中にしょんぼりと祀られていました。この神社は源頼朝の命によって創建されたと伝えられていて、江戸初期までは櫻田門外にありました。そこには乃木将軍や新撰組の沖田総司が初宮参りをしたそうです。そんなことで昔はこの辺を麻布櫻田町といっていました。ビルの谷間に押しつぶされそうな姿で建ち、すぐ向いに「六本木ヒルズ」が大きくそびえています。ここは「老人」でなく「老神」でした。

ところで余談ですが「振袖火事」(1657年)の名の由来となった、振袖の持ち主の梅野ちゃんの家はこの近くにありました。ここから出火元といわれる本郷丸山本妙寺までは直線距離でも往復約17㎞。今日の散策の距離の約6倍です。江戸人の健脚にぶりには驚嘆します。

たたずまいは大都会の宿命


☆福禄寿 天祖神社(六本木7-7-7)
竜が灯明を上げに毎夜ここへ品川沖から通ったという故事から、竜土神明宮ともいわれます。「東京ミッドタウン」のすぐ近くにあり、神社があるために隣のビルが「へ」の字に曲げられて建てられてもいます。住所表示から「六本木のラッキーセブン」といわれているとか。福禄寿は境内の小さな満福稲荷に納められていました。でも僧形で八頭身のスリムな立像で、従来の福禄寿のイメージからあまりにもかけ離れていて、つい係のお嬢さんに『あれが福禄寿?』と尋ねてしまいました。

ここから地下鉄六本木駅はすぐそこ。ここでひとまず解散した我等は人々の群れの中に吸い込まれ、5,800歩の旅は終わりました。

年が明けた途端に新型コロナの感染が急速に拡大し、それに比例するように散策のキャンセルも増え続け、結局歴代最少となる9人で歩いてきました。さまざまな「福」をGETしたので、福の力でなんとかコロナに感染しないように…と願いながら。

福禄寿といえば三頭身だけどなァ~

なにとぞたくさんのご利益を

【散策後の懇親会】
誠に残念ながら、今回も新型コロナウイルス感染防止のため中止しました。

【参加者】
市川・大河原・大河原夫人・大島・栗原・小林・佐藤(俊)・滝沢・松村 (9名)

(文=佐藤(俊) 写真=松村)

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