第61回散策の会報告
夢の島をぶらぶらと

2024年9月27日(金)

またもや雨(大雨?)の天気予報もあり、欠席される方もある中、雨何するものぞ!と集まった精鋭7名が新木場駅に集合しました。願力が通じたのか雨は小雨となり、夢の島の散策が始まりました。夢の島は、1938年に飛行場建設のため埋め立てが始まりましたが工事は中止となり、戦後の高度成長期のゴミの急増に対応するためゴミの最終処分場となりました。その後、悪臭やハエの大量発生など公害問題が世間をにぎわせましたが1967年にゴミの埋め立てが終了し、1978年には「東京都立夢の島公園」が開園し、現在に至っています。

まずは駅頭で瀧川世話役よりガイダンスを

☆第五福竜丸展示館
1954年に太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被爆した木造マグロ漁船「第五福竜丸」および付属品や関係資料を展示しています。被爆した第五福竜丸は乗務員23人全員が被爆し、当時日本でも大きなニュースとなり、反核運動が広がりました。第五福竜丸は除染後東京水産大学の練習船となりましたが、その後廃船となり、この近くの放置されていたものを東京都が買い取り1976年に展示館となりました。メンバーはそれぞれ熱心に見学し、いまさらながらに核の恐ろしさを実感しました。

被爆してからちょうど70年

ちょっぴり反核気分になって次に

☆東京夢の島マリーナ
1992年に設置され、係留能力は専用バースで660艘を誇る都内最大級のマリーナ。クルーズやフィッシングなどのアクティビティはもちろんレストランやドックラン、バーベキュー広場も併設する複合マリンレジャー施設となっています。ここをおとずれた頃は雨も止み、豪華なクルーザーが並ぶ景色をゆっくり楽しむことができました。

豪華クルーザーの持ち主はどんなセレブ?

少人数は又違う旅の味が


雨も止んでいざ熱帯植物園へ


☆夢の島熱帯植物館

1988年に開設され、約1,000種の熱帯植物を主に展示する植物園。隣接する新江東清掃工場の余熱を利用しており、中心施設は大温室で、ドームを3つ重ねたような特徴的な外観になっていました。庭園に展示されていた本物の巨大なかぼちゃが誠に印象的でした。

滝の裏にも入れます

日本のハロウィンはひと月も早く始まっていた


大雨予想は見事に外れ、大部分を傘無しで歩くことができました。雨予報のため、どの施設も人はまばらで、皆さんの熱心さからか、想定を上回る約6,000歩の快適な散策でした。

新木場駅で解散後は小平に戻り、おなじみの「よっちゃん酒場」で5名が参加し、懇親会を行いました。夢の島や当日の自民党総裁選挙の話題などを酒の肴に、楽しい酒宴となりました。

【参加者】(五十音順、敬称略)
大河原、栗原、佐藤、鈴木(昭)、瀧川、福田、松村(7名)

                         (文=松村、写真=佐藤、松村)

田中総長招いて校友会東京三多摩支部大会開催

早稲田大学校友会の2024年度東京三多摩支部大会は多摩稲門会(尾ノ井光昭会長)と稲城稲門会(須永俊夫会長)の主幹により2024年8月31日(土)、田中愛治・早稲田大学総長(校友会会長)を招いて多摩市のLINK FORESTで開催されました。

田中愛治総長(中央)、松尾亜由美・校友会常任幹事(右隣り)と

尾ノ井支部長は、支部の活動目的として、①各稲門会の交流・親睦②早稲田大学の事業に対する支援③地域社会への貢献―の3点を挙げました。
田中総長は、「世界人類に貢献する人材を育てる早稲田~創立150周年記念事業への道筋」と題した講演を行いました。そのかなで、大隈重信侯の「一身一家、一国の為のみならず。進んで世界に貢献する抱負が無ければならぬ」の言葉を引用し、世界人類に貢献する大学を目指す、と語りました。

東京三多摩支部大会のフィナーレ

大会のフィナーレは、応援部員のリードのもと、早稲田大学マンドリン楽部の演奏で早稲田大学グリークラブが校歌「都の西北」を合唱しました。

【早稲田大学校友会東京三多摩支部】
多摩地区の稲門会は早稲田大学校友会東京都支部に属しながらも1979年に三多摩稲門会連合を組織し交流していたが、2003年に東京都支部が①東京都23区支部と②東京三多摩支部に2分された。現在、三多摩支部(26稲門会)は、次の3ブロックから成る。
◆西部ブロック=青梅、羽村、昭島、国立、立川、武蔵村山、東大和、福生、あきる野
◆東部ブロック=東久留米、東村山、清瀬、国分寺、小金井、小平、西東京、三鷹、武蔵野
◆南部ブロック=日野、八王子、多摩、稲城、府中、狛江、町田、調布

(文=二又祐一)

【小平稲門会からの出席者9名】
大島二典(1968理工)、勝見亮助(1970社学)、河崎健治(1971政経)、瀧川 清
(1974政経)、平澤 洋(1972政経)、二又祐一(1972商)、松村純夫(1976政経)、松本研二(1971商)、山口 勝(1966商 )