第41回散策の会 報告

小金井界隈をめぐる

平成30年11月24日(土)

遠くへ行くばかりが能じゃない・・・というわけで、小平の庭先ともいえる小金井にある名所をめぐってみました。あまりにも近場ゆえ、案外訪れたことがないのではと思ったのです。知らない路地へ立ち入っても、やはりどこか地元感といったものが感じられる旅でした。今回は歩数を考慮して、中央線の南側に限定して歩いてみました。ただハケ(国分寺崖線)の上と下に目指す場所が散在しているために、昇り降りにそれなりのエネルギーを消費する結果となりました。

秒まで表示時計→「4分56秒前あと一人まだ来ない!」

ところで、「日本標準時」は兵庫県明石市ではなく、小金井市にある「情報通信研究機構」で作られているのをご存じですか? そのためかどうか、武蔵小金井駅の構内にあるデジタル時計はご丁寧にも秒単位まで表示されています。

犬養毅元首相直筆の門標の前で集合写真


☆滄浪泉園(そうろうせんえん)(貫井南町3-2-28)
(入場料50円)

師走も間近、水面に浮かぶ枯葉の寂寞感に、己の老境を重ね合わせた人もいたのでは・・・、そう、学生時代は滄い浪のような躍動感に満ちていたのに・・・、といった感傷を振り切り、園内を鑑賞してきました。頭上を被う樹木で昼なお薄暗い入口を入ると、整備された小径に沿って歩を進めます。ハケの登り降り、こんこんと湧く泉、武蔵野の面影を残す樹木を巧みに利用した回遊式庭園です。小径の脇には「鼻欠け地蔵」や水琴窟それに休み所もあり、歩みを止める仕掛けが組まれています。脇を通る新小金井街道の喧噪とは別世界の空間でした。ここは明治・大正期に三井銀行理事、外交官、代議士などを歴任した波多野承五郎氏の別荘の庭で、造られた当時は現在の3倍ほどの面積があったそうです。名前は犬養毅元首相が名付けたもので「波のように青い水をたたえた泉のある庭」という意味を持っていて、門標は彼の直筆です。東京都の「名湧水57選」の1つです。

ハケの登り降り、誰も転びませんでしたよ


☆黄金(こがね)の水(本町1-7)

江戸時代の六地蔵がある広場にこの井戸がありました。連雀通りから路地へ入った途端にあり、すっと通り過ぎてしまいそうな場所です。名前からの印象ではいかにも由緒ありそうな感じですが、実は12年前に商店街の地域振興策としてこの井戸は掘られたのです。モダンな四阿風な建物や敷地のデザインは、市内にある法政大学工学部と東京学芸大学が協力したのだとか。一杯だけなら無料ですが、それ以上は近くの文具店で500円を支払い、専用の水栓を購入しなければならないという仕組みになっています。小金井という地名の由来になった「ハケに沿って黄金に値する豊富な水が出る」ことにあやかって、「黄金の水」と命名したのだそうです。

確かに6体・六地蔵です! 左手に黄金の水があります


☆金蔵院(こんぞういん)(中町4-13-25)

小金井では最古のお寺で約450年前に開山されました。明治6年にはこの地に小金井で最初の小学校が設立され、大正時代には村役場も併設されました。樹齢400年といわれる境内のケヤキとムクノキは市の天然記念物に指定されています。ここは連雀通りからハケを下った所にありました。

紅葉の美しい金蔵院。この左手に立派なケヤキとムクノキ


☆小金井小次郎の追悼碑(中町4-11-3)
小次郎は幕末の頃、多摩一円に3千人位の子分を抱えていた武州小金井の大侠客でした。それだけに、白く高い石柱の周りには歴代の総長や各地の組長の名がずらりと刻まれ、この社会のヒエラルヒーがよく分かります。小金井村の名主の倅に生まれ、火消しの新門辰五郎とは兄弟分でした。禁止されていた勧進相撲を興行した罰で、三宅島に12年間の流罪となります。ただこの間、島の若者たちを指導して井戸を掘るなど、島の発展に尽くしたということで、小金井市と三宅村はいま姉妹都市となっています。寺の名は西念寺で金蔵院の斜め前にあります。

「親分! あっしら いまはカタギでござんす」会長の説明も熱を帯びて・・・


☆小金井神社(中町4-7-2)
林に囲まれ、静かな心の落ち着く空間です。社殿もアーバンなコンクリート造りのものではなく、百年を超える歴史の重みが感じられる木造です。13世紀の初頭、武蔵国開拓の時に天満宮として創建され、明治3年に小金井神社と改称された小金井の里の総鎮守社です。境内に小金井小次郎が奉納した狛犬がありました。また、使い古した石臼を塔のように積み重ねたオブジェもあります。

☆はけの森美術館(中町1-11-3)(入場料500円)
訪問した時には企画展「法隆寺金堂・敦煌莫高窟壁画模写」が開催されていました。これらは東京藝術大学生の修了制作の作品です。私ごとですが、敦煌には平成8年、99年と訪れました。ここで再びあの仏たちに逢え、懐かしさいっぱいでした。ここは主として中村研一の作品を収蔵してある市立の美術館です。中村研一は大正から昭和にかけて洋画壇の重鎮として活躍した画家で、日本芸術院会員でもありました。空襲で代々木のアトリエを焼失し、小金井に移り住み、終生この地で描き続けました。敷地内にある「美術の森緑地」もハケを利用した立派な庭です。暗くならない内にと美術館に入る前に眺めてきました。ここも「名湧水57選」の1つです。

暗くなる前に美術館裏手の夕暮れのお庭を拝見


【懇親会】
美術館から再びハケを登り、駅近くの居酒屋「はなの舞 武蔵小金井店」に向かいます。美術鑑賞に時間を割いたことで、いつもより30分遅く16時30分に開始しました。「八海山」の一升瓶を真ん中にド~ンと置き、ちゃんこ鍋を突っつきながらわいわい。かくして「散策の会」史上、自宅から最も近い今回の散策は無事終わりました。

10,000歩を歩いた後のビールは…みんなこの笑顔!

【参加者】
荒木・伊藤(徹)・大島・梶川・国友・栗原・小林・小山・佐藤(俊)・志村・鈴木・滝沢・土井・中村・野村・松村・山本・渡邊 (18名)

(文=佐藤(俊)、写真=荒木・国友)

 

第41回散策の会のお知らせ

散策の会の第41回例会は、「小金井界隈をめぐるです。

【日時・集合場所】
平成30年11月24日(土)午後1時30分
JR武蔵小金井駅 南口ロータリー 集合

【経路】
武蔵小金井駅→滄浪泉園→黄金の水→金蔵院→小金井小次郎の追悼碑→小金井神社
→はけの森美術館→武蔵小金井駅(解散)

【参考情報】
(1)歩行数は約9千歩、ハケの登り下りが数カ所ある。
(2)解散後、希望者で懇親会を行う(会費4,000円程度)。

【申し込み】
11月18日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977 または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で、3日前以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)



第40回散策の会 報告

福生の玉川上水と多摩川を歩く

平成30年9月29日(土)

このところ都会めぐりが続いたのと、この夏の猛暑続きに水が恋しくなったので、じゃあ水辺にしようとここを選びました。ところがこの日は沖縄に台風24号が襲来し、その影響で秋雨前線が刺激され、福生も午後から雨が降り続ける始末。そのうえ、これぞという目玉に欠け、公園々々の“ベタ”なコースでしたが、愚直に歩く道、おしゃべりしながらのブラブラ歩きの通り、それなりにお楽しみを見つけていただけましたでしょうか?

福生は「散策の会」では初めて訪れる方面ですし、しかも小平駅からだと新宿へ行くよりも近いので、帰宅時間を気にせず飲める・・・。そんなことからか15人の参加者に拝島駅に集まっていただき、コンコースでの集合写真のあと13時45分にスタート。

いざ! 雨の散策に出陣・・・。その前に駅のコンコースで記念撮影。ホッ!

☆水喰土(みずくらいど)公園(福生市熊川1359-1)
玉川上水を掘削の際、水を流したらこの辺で水が残らず地中に吸い込まれたことから、“水を喰う土”というこの名が付きました。つまりはこの辺の厚い砂利層が水を吸い込んでしまった失敗作業だったのです。そのために仕方なく北側へルート変更して、工事を完成させました。この公園内には当時の掘削の跡が保存されていて、階段で7メートルほど下ると堀底に降りられます。草ボウボウで、いわれなければそれと分からぬ存在ですが。
拝島駅から玉川上水沿いに「日光橋公園」という名の細長い緑地帯が600メートルほど続き、八高線をくぐり、この公園につながります。また、ここの北には広大な米軍の横田基地が拡がっています。

日光橋公園橋の下で説明。濡れないね!

雨の水喰土堀跡。水溜ってるよ?

ほたる公園(南田園3-9-1)
水喰土公園で玉川上水におさらばして西行し、青梅線や五日市線の踏切を渡り、奥多摩街道を約1キロ北上。東の玉川上水と西の多摩川が500メートルほどに接近した位置の中程にこの「ほたる公園」がありました。
拝島崖線上にある奥多摩街道からは、左手に多摩川を望み、その奥に今日は雨雲に阻まれて見えませんが、南多摩の山並みが連なっているはずです。しばらく歩き、20数段の階段で崖線を下りると楕円形の「福生ホタルドーム」が目に入ります。この辺では昭和30年代まではたくさんのゲンジボタルが生息していましたが、その後減少していくため、人工飼育する施設として昭和48年に設置されました。例年6月の「福生ほたる祭」では500匹のホタルが放たれ、大勢の人で賑わうそうです。

滑らないようにね。階段倒しに?

蛍の人工飼育施設ホタルドーム

☆多摩川中央公園(北田園1-45)
多摩川沿いにある南北700メートルもの長さを持つ広大な公園です。河川敷と一緒になって、どこまでが公園なのか区別がつきません。小雨に煙る緑一色の公園の中で、オオハルシャギク・キバナコスモス・ハギなどが咲く区画が彩りを添えています。ここは小川、花壇、BBQ場、野球場などがあるファミリー向けの施設です。公園からは木々が邪魔をして川はまったく見えません。多摩川に来て川を見ずに帰るのはなんとも心残りです。そこで雨を含む草むらの中の獣道のような細道を下り、水流の見える地点まで足を運びました。目の上には五日市線の鉄橋がそびえています。玉川上水の羽村取水堰はここから約4キロ上流にあります。
この公園の南端には大きな福生団地があり、その間を抜け次の公園に向かいました。

雨に濡れた花は可愛いいねえ~

カメラマン 決死の覚悟で多摩川を撮る

☆下の川緑地せせらぎ遊歩道公園(熊川2335-11)
中福生公園から福生南公園まで2キロほど続く長い遊歩道ですが、今回は途中から入り途中で抜けました。拝島崖線に沿い流れる小川はその名のごとくか細く、雨のせいかやや透明さを欠いています。下見の時に見たクリスタルのような輝きをぜひ見ていただきかったのに残念。

せせらぎ遊歩道公園。崖線からの流れは雨でも美しい


☆熊川神社(熊川660)

道中の崖線を昇ったところに熊川神社があり、参拝だけでもと寄ってみました。境内には不精者に好都合な「1か所七福神」の石像があちこちに立ち並んでいて、手を合わせたまま体をぐるりと180度回転してお参りしてきました。きっと来春の「七福神めぐり」までは福が持続するでしょう。神社の脇には熊川分水が豊富な水を運んでいました。

お参りよりもまず雨宿り! すみません「七福神さま」


【散策後の懇親会】

拝島駅近くにある「や台ずし拝島町」の暖簾をくぐりました。グレードは飲み放題のプレミアムコースで4,000円といういつもの相場。多くの店では〆は鍋の残り汁で作る玉子雑炊とか煮込みうどんが定番ですが、この店は寿司屋を名乗るだけあって、それが握り寿司なのには感心しました。そのほかにも鮎の串焼きなども出てきて、おおむね好評でした。
拝島駅で解散したほろ酔いでいつもより饒舌な一行は、19時前には西武線やJR線へと分かれて行きました。

今日の店は気に入った!<鮎の串焼き><にごり酒>・・・未だ出てなかった!

【参加者】
荒木・伊藤(徹)・大河原・大河原夫人・国友・小林・佐藤(俊)・篠原・滝沢・竹内・田中・千葉・松村・村木・山本(15名)

(文=佐藤(俊)、写真=荒木)

 

第40回散策の会のお知らせ

散策の会の第40回例会は、「福生の玉川上水と多摩川を歩くです。

【日時・集合場所】
平成30年9月29日(土)午後1時30分
西武拝島線・JR線 拝島駅 西武線改札前 集合

【経路】

拝島駅→水喰土公園→ほたる公園→多摩川中央公園→
下の川緑地せせらぎ遊歩道公園→熊川神社→拝島駅(解散)

【参考情報】
(1)歩行数は約1万歩
(2)解散後、希望者で懇親会を行う(会費 4,000円程度)

【申し込み】
9月23日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977またはt-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で、3日前以降のキャンセルは、飲食代3,000円を申し受けます。

(以 上)

第39回散策の会 報告

小平稲門会設立30周年記念イベント参加企画
神宮外苑から新宿へ

平成30年5月19日(土)

30周年記念行事は4月の花見のキック・オフで始まりました。そして同好会では「散策の会」が栄えあるトップバッターとして打席に立ちました。

“青春の時” 野球やラグビーに“理想の王座”を占めんと、神宮外苑へ通った人も多かったでしょう。卒業後も、夜な夜な新宿の街を“威力敵無き”と、ホームグラウンドのような顔をして飲み歩いた人も、きっといたことでしょう。今回はあの青春の血をたぎらせた地を巡ってみました。千駄ケ谷駅に集合した19人は雲間から見える“紺碧の空”の下、まるであの頃のように元気いっぱい歩き続けました。

千駄ヶ谷の富士塚(鳩森八幡神社)(渋谷区千駄ヶ谷1-1-24)
これまで3カ所の「お富士さん」に登山しましたが、ここは都内最古(18世紀後半)といわれている富士塚です。高さは6メートル、頂上には富士山の溶岩が積まれ、穿たれた穴の中に浅間神社の奥宮が祀られています。16人の方がアタックしましたが、今回も滑落がゼロでほっとしました。ついでに近所にある将棋会館もチラッと眺めてきました。藤井聡太七段人気につられたというところです。

この年で富士登山とは・・・ヨイコラ!

藤井君に会えるかなあ❤❤❤

☆新国立競技場新築現場(新宿区と渋谷区)
そこには外構がほとんどでき上がった巨大なスタジアムがありました。2年後の東京オリンピック・パラリンピック開催というものが肌で感じられる現場です。そして人生で4回もの日本でのオリンピックを経験できる平和のありがたさを思います。建築費は約1,490億円もの巨費で、来年11月に完成予定です。収容人員は68,000人。ちなみに前の競技場はちょうど60年前の完成でした。

オリンピックまで頑張るぞ! みんな急に元気が出てきました


☆聖徳記念絵画館(入場料500円)(新宿区霞ヶ丘町1-1)
神宮球場には行ってもここに足を運んだ人は少ないと思い、加えてみました。 明治天皇を中心に、明治時代の歴史的光景を厳密な考証にもとづき描かれた大判の80枚の絵画を展示しています。ひとつの時代のレガシーとして、見る者にさまざまな想いを起こさせます。建物は重要文化財に指定されています。

なお、絵画館前のイチョウ並木は、新宿御苑から採取された銀杏から育てられ、大正期に146本ここに植えられたものです。時が経ち今では秋になると東京名所の黄金のトンネルを造り出してくれます。実は青山口から絵画館前に近づくにしたがって実際に樹高を低くして遠近感を持たせています。遠近法の巧みな応用です。

風に乗って神宮球場から聞こえてくる応援歌に早-法戦の経過が気になったのも、やはり母校愛に満ちた面々だからでしょう。

30周年に相応しく、荘厳な建物の前で貫録満点の集合写真


☆新宿御苑(入場料200円)(新宿区内藤町11)
御苑の緑陰からの風に送られながら、千駄ヶ谷門から入り大木戸門へとほぼ南北に縦断する形で歩きました。そこにはバラ花壇の美しい「フランス式整形庭園」、ユリノキ・ケヤキなどの巨木や芝生の広がる「イギリス風景式庭園」などがあり、それぞれ独自の変化を楽むことができました。加えて代々木のビルがみごとな借景となっていて、まさに“東西古今の文化のうしほが一つに渦巻く”大庭園でした。
ここは江戸時代に高遠藩主内藤家が玉川上水を引いて造園したのが始まりです。明治39年にフランス人の造園家によって西洋風の庭園ができあがりました。戦前までは宮内省管轄の天皇家の庭園でしたが、昭和24年からは国民公園として一般に公開されています。

満開のバラの花束に囲まれて・・・30周年おめでとう!!


☆太宗寺(たいそうじ)(新宿区新宿2-9-2
さて、これからは先は新宿の喧噪に浸っていきます。ここは銅製の地蔵菩薩座像(江戸六地蔵の一つ)や都内最大の閻魔像、そして奪衣婆(だつえば)像、新宿山之手七福神の布袋像、塩かけ地蔵、切支丹灯籠、内藤家の墓所と、「新宿のミニ博物館」といわれるほど盛り沢山の見所があるお寺です。閻魔像や奪衣婆像は現代人が見るとややユーモラスな感じがしますが、江戸時代にはさぞ怖かったことでしょう。

江戸の人達・・・このお地蔵さんに何をお願いしたのかなあ

閻魔様は怖い!(左)。 奪衣婆はもっと怖い!


☆花園神社(新宿5-17-3)
新宿の街の守り神として有名で、大都会にある神社という雰囲気があります。神輿が繰り出す5月の例大祭や11月の酉の市は参拝客で大混雑します。境内には低い富士塚もあり、それには「芸能浅間神社」という鳥居が立っています。脇には芸能人の名が書かれた札がたくさんありました。祈願して人気アップすればギャラアップにつながりますから。

木立の先に花園神社拝殿。写真右手奥に「芸能浅間神社」があります


☆新宿ゴールデン街(歌舞伎町1)
2,000坪ほどの狭い区域に280軒もの飲食店が超過密に軒を並べているのは異様な風景です。戦後の闇市からスタートして、高度成長期からバブル期にかけて作家・ジャーナリスト・演出家・俳優などが集まることで知られました。2009年には「ミシュラン観光ガイド」で二つ星の評価を受け、今では外国人観光客が急増しています。このあたりで『ちょっと早稲田の学生さん 500円でいいわよ』なんて呼びかけられた遠い遠い記憶もありましたっけ。あの時もそうだったように、今回も中に入ることなく横目で見ながら通り過ぎるのみでした。

懇親会担当も、ここは脇目もふらずに通り過ぎます。また来よう?(^_-)


【散策後の懇親会】
新宿駅近くのビルの8階にある「青空(はるたか)」という居酒屋で行いました。12,000歩症候群への処方は、生ビールという特効薬が抜群の効果を発揮することを今更ながら認識しました。ただ料理や接遇・部屋等で、幹事としては店の選択に反省点が残りました。

【参加者】
荒木・伊藤(徹)・大島・国友・栗原・櫻井・定村・佐藤(俊)・篠原・鈴木・滝沢・竹内・千葉・土井・中村・野村・松村・村木・山本(19名)

 (文:佐藤(俊)、写真:荒木)

第38回散策の会 報告

浜離宮・芝離宮をめぐる

平成30年3月24日(土)

この日気象庁が都心の桜の満開宣言をしましたが、我が方の花見は再来週の予定です。そこで今日は大都会の中のオアシスを求めて、2つの旧離宮を中心に、道中にある施設を含む5カ所を歩いてみました。集合場所から解散地までの歩数は約9,200歩、移動路の騒音と庭園の静寂のサンドウィッチな散策でした。

☆旧新橋停車場跡(港区東新橋1-5-3)
♪♪ 汽笛一声新橋をはや我汽車は離れたり・・・ ♪♪    思わず「鉄道唱歌」が口を出そうになります。新橋駅から5分、再開発された汐留高層ビル群がひしめく足下にこの遺構はありました。明治5年に日本で最初の鉄道(新橋~横浜間)が敷かれた際、起点となった場所です。当時の駅舎が石張りで再現されていて、中では発掘された礎石やホームの一部など鉄道の発展の様子や、江戸時代からの汐留の歴史が、展示物やパネルで紹介されていました。

旧新橋停車場跡で。復元された線路(左)と起点「0」のモニュメント

☆カレッタ汐留の展望台(東新橋1-8-2)
これから訪ねる浜離宮をまずは地上200mの高さから眺めようと、電通本社が入るビルの46階にある展望スペースに昇りました。「○○と煙は高い所が好き・・・」。私はこの類なので、皆さんをご案内したくなったのです。『あれが勝鬨橋だぁー』『あれってフジテレビでしょ』と声が上がり、同類の方も多くおられるのがよ~く分かりました。話題の築地市場が真下に見え、その先には青空の下勝鬨橋やウォーターフロントのマンション群・倉庫群が広がっています。

カレッタ汐留の展望台から、今は開かずの勝鬨橋(左)と真下に見る築地市場

浜離宮はこんなに広いのか・・・歩ける?

☆浜離宮恩賜庭園(中央区浜離宮庭園1-1) (芝離宮との共通入場料 65歳以上200円)
交通量のはげしい道路を騒音に包まれながらしばらく行くと、「都心のオアシス」と呼ばれるこの庭園に着きます。

若いカップルに撮影依頼・・・それでみんな幸せの笑顔!

東京湾の海水を引き入れ、潮の干満による景色の変化を楽しむ「潮入の池」や、覗き窓から鴨を窺う「鴨場」、それにいくつかの茶屋も復元され、大名庭園のスケールの大きさは充分味わえます。ただ見学時間の見積もりが少なすぎ、一部分しかご覧いただけなかった方が多数だったようで、これが今後の反省点として残りました。
ここはアシやヨシの繁る将軍家の鷹狩り場でしたが、甲府藩の下屋敷となり、六代将軍家宣の頃、浜御殿として大幅な改修・整備がなされ、十一代家斉の時に今の潮入り回遊式築山泉水庭園になりました。現在は国の特別名勝・特別史跡に指定されています。庭園の周りを囲むようにそびえるガラス張りの高層ビルとのコントラストも、現代の借景といえましょう。

300年前に徳川家宣が植えた松(歴史の生き証人です)

☆竹芝ふ頭公園(港区海岸1-16)
昨年9月、伊豆七島への空路がある調布飛行場を訪ねたので、今回は航路のあるこのふ頭に来てみました。ここは伊豆諸島や小笠原諸島を結ぶ定期航路の玄関口です。1階広場には帆船「日本丸」のマストを模したモニュメントが高くそびえ、2階の半円形のプロムナードデッキ沿えには松並木があり、“海岸”という雰囲気を醸し出しています。レインボーブリッジを背景にちょうど客船がゆっくりと入港して来ました。デッキの下は切符売り場で、ちなみに伊豆大島までの運賃を比較してみると、航路は最速ジェット船(1時間45分)で7,210円、調布飛行場からの空路(25分)では11,800円です。

定期航路の玄関口

☆旧芝離宮恩賜庭園(海岸1-4-1)
高層ビル群や首都高に囲まれているせいか狭く感じられますが、立派な大名庭園です。庭園の大半は池で占められていて、中島には石で蓬莱山が組まれ、中国の西湖を模した堤もあります。入口近くの場所から全景が望める規模なので、浜離宮よりこちらの方が参加者には好評のようでした。老中で小田原藩主の大久保忠朝が四代将軍家綱から拝領した上屋敷に造った回遊式池泉庭園で、最も古い大名庭園として名勝に指定されています。

高層ビルに囲まれた夕暮れの大名庭園で・・・ほっこり


【散策後の懇親会】
浜松町のランドマークである世界貿易センタービルの地階にある「いろはにほへと浜松町店」で行いました。日本酒党が多いので、いつものようにお酒はプレミアムコースにランクアップ。飲み放題で3,100円という値段の割りにはお酒の種類や料理もまあまあで、『コストパーフォーマンスから見て上出来だァ』との声も揚りました。帰路は大江戸線の大門駅組、山手線でぐるりと高田馬場駅組、東京駅から中央線組とさまざまなルートで消えていきました。

3,100円で飲み放題!! 反省会部長の腕の見せどころ?(右端の腕)


【参加者】
荒木・伊藤(徹)・大河原・大島・梶川・国友・栗原・小林(弘)・小山・佐藤(俊)・滝沢・田中・土井・中村・野村・堀田・松村・村木・山本(19名)

(文:佐藤(俊)、写真:荒木)

 

第39回散策の会のお知らせ

小平稲門会設立30周年記念イベント参加企画

「神宮外苑から新宿へ」
~早稲田の原点、想い出深い神宮から新宿周辺の散策を~

【日時・集合場所】
平成30年5月19日(土)午後1時30分
JR千駄ケ谷駅改札口 集合


【経路】
千駄ケ谷駅→千駄ヶ谷の富士塚→新国立競技場新築現場→聖徳記念絵画館(入場料500円) →新宿御苑(入場料200円)→太宗寺→花園神社→新宿ゴールデン街→JR新宿駅(解散)

【懇親会】
新宿周辺。費用は5,000円程度(解散後、希望者で)。
なお、
懇親会出席希望の方で、前日・当日のキャンセルは、食事代を申し受けます。

【その他】
30周年を機に、東京六大学野球優勝時の提灯行列の想い出と重なります。
早稲田のホームグランドである新宿をメインに歩きます。早稲田までの歩行は参加者の疲労を考慮し延長しません。

(以 上)

第38回散策の会のお知らせ

散策の会の第38回例会は、「浜離宮・芝離宮をめぐるです。

【日時・集合場所】
平成30年3月24日(土)午後1時30分
JR新橋駅 銀座口前 集合

【経路】
JR新橋駅 → 旧新橋停車場跡 → カレッタ汐留の展望台 → 浜離宮恩賜庭園 → 竹芝ふ頭公園→ 旧芝離宮恩賜庭園 → JR浜松町駅(解散)

【参考情報】
(1)歩行数は約1万歩

(2)庭園共通入場料200円
(3)解散後、希望者で懇親会を行う。(会費 4,000円程度)

【申し込み】

 3月22日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977 または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp
*Emailで連絡する場合、(at)を@に変更してください。

なお、懇親会出席希望の方で、前日・当日のキャンセルは、飲食代4,000円を申し受けます。

(以 上)

 

第37回散策の会 報告

谷中七福神めぐり

平成30年1月9日(火)

七福神めぐりも今年ではや8回目になります。これまでの延べ50福神のご利益のおかげで元気な20名の方々が今回も参加していただきました。
「谷中七福神めぐり」は江戸市中で最も古い歴史を持っていて、神社がなくお寺ばかりの珍しいものです。ただめぐる距離が長く、約11,000歩は参加者の年齢(女性を除く推定平均年齢76歳)ではかなりきつかったように思われます。しかし快晴のうえ、桜の咲く頃の気温16度にもなったのは幸運でした。

さて何処の部位に貼ろうかなあ、頭はもう手遅れだし

さて何処の部位に貼ろうかなあ、頭はもう手遅れだし


☆福禄寿 東覚寺(北区田端2-7-3)
JR田端駅から7分ほどにある山門に入ると、真っ赤な異様な姿の仁王様が2体、目につきます。「赤紙仁王」と呼ばれる金剛力士です。体の悪い部分と同じ部位に赤紙を貼って祈願すれば、病気が治るという風習があるのです。病気が治癒した人が奉納する草鞋がたくさん脇にありました。裏の立派な日本庭園も拝見しました。さて、本日の主役の福禄寿は30cmほどの厨子に収まり、緑の衣を着た木造仏でした。真言宗豊山派。

小さな福禄寿ですがお賽銭箱は・・・

小さな福禄寿ですがお賽銭箱は・・・


☆恵比寿 青雲禅寺(荒川区西日暮里3-6-4)

ふっくらした恵比寿様は赤い衣装を着て、左手に鯛、右手に釣り竿を持ち、海中の岩に座っておられました。ここは江戸時代花見の場所として賑わったので「花見寺」と呼ばれています。なるほど境内に今は葉を落とした大きなしだれ桜の木が2本ありました。臨済宗妙心寺派。

釣り竿の先には海老が(ン?)

釣り竿の先には海老が(ン?)


☆布袋尊 修性院(しゅしょういん)(西日暮里3-7-12) 
このあたりは「ひぐらしの里」といわれたので、布袋も「ひぐらし布袋」と呼ばれています。木造で“どてぇ~”とした巨大な体躯の上に破顔一笑のお顔が乗っていました。布袋様はそもそも中国の唐の末期に実在したとされる人物で、生活用具を入れた大袋を背負い、あちこち徘徊していた悠々自適の乞食坊主だったといわれています。となればかなり痩せていたはずなのに、それが神格化されると、このように肥満体になるから不思議です。

お前さん、お賽銭は幾らじゃな?

お前さん、お賽銭は幾らじゃな?

お寺は谷中銀座の北側の静かな通りにあり、ピンク色の塀には19枚ものユーモラスな布袋様のイラストが描かれたタイル画がはめ込まれていたので、すぐに分かりました。ここもかつては数々の花が咲き「花見寺」と呼ばれていたそうです。日蓮宗。

布袋様の前で皆さん安心して?集合写真を撮りました

布袋様の前で皆さん安心して?集合写真を撮りました

この後、道中にあった経王寺にちょっと立ち寄りました。ここは上野戦争の際、彰義隊士が隠れたため新政府軍の攻撃を受けた所で、山門に数発の弾痕が残っています。一瞬150年前の銃声が聞こえたような気がしました。

歴史の弾痕の向こう側は平成最後の年

歴史の弾痕の向こう側は平成最後の年


☆毘沙門天 天王寺(台東区谷中7-14-8)
毘沙門天像は伝教大師作と伝えられています。このお寺は目黒不動・湯島天神と共に「江戸の三富」といわれ、寺を維持するために幕府から富くじ興行を許されていました。幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとなった五重塔は昭和32年に放火心中事件で焼失し、近くに塔址が残っています。なお、ここは平成23年5月の「谷・根・千めぐり」で訪れたことがあります。天台宗。

☆寿老人 長安寺(谷中5-2-22)
徳川家康が納めたものと伝えられている寿老人像は1mほどの木造の座像で、脇に1,500歳といわれる鹿を従えています。また、墓地の中程に狩野芳崖(日本画家)の墓がありました。臨済宗妙心寺派。

鹿でさえ1,500歳、寿老人に長寿を願って

鹿でさえ1,500歳、寿老人に長寿を願って


☆大黒天 護国院(台東区上野公園10-18)
ここの大黒天画像は徳川家光が贈ったものだそうです。その御前立として黒光りした穏和なお顔立ちの大黒様の立像がありました。本堂脇の庫裏の1階部分は昭和2年の建築で、国の登録有形文化財です。寛永寺の最初の子院で、天台宗。

家光寄贈の画像を従えて穏和な大黒天

家光寄贈の画像を従えて穏和な大黒天


☆弁才天 不忍池弁天堂(上野公園2-1)
森鷗外の旧宅跡を右にみて、左手の高台の「精養軒」を仰ぐ頃、疲労度はかなり増します。ようやく不忍池に到着。池の蓮は茎が折れ曲がり、寂寞とした冬枯れの様相を呈していましたが、島の中の弁天堂は人であふれかえっています。しかし弁天様は秘仏のため拝顔はできず、足どりが俄然重くなりました。見ることの叶わない弁才天は慈覚大師の作と伝えられ、八臂(八本腕)だそうです。そういえば井の頭池の弁天様も八臂でした。江戸時代、天海僧正が琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池に小島を造り、竹生島から弁才天を勧請して弁天堂を建てたといわれています。

夕日を浴びてカラ(?)元気溌剌笑顔の二十福神

夕日を浴びてカラ(?)元気溌剌笑顔の二十福神


【散策後の懇親会】

上野・アメ横のガード下にある「酒亭じゅらく上野店」で16時から行いました。11,000回足を動かした面々は椅子に張り付いたように動かず、酒のオーダーが速射砲のように放たれます。「じょっぱり(青森)」「車坂(山形)」「日高見(宮城)」を2時間飲んで、牛歩から千鳥足に変わった一同は上機嫌で上野駅に向かいました。

隅から隅までズイ~ッと「おめでとうさん」

隅から隅までズイ~ッと「おめでとうさん」


【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・大河原・大河原夫人・大島・小川・国友・栗原・小林(弘)・小山・佐藤(俊)・篠原・末次・鈴木・田中・野村・堀田・松村・山本(20名)

  (文:佐藤(俊)、写真:荒木)

 

第37回散策の会 のお知らせ

散策の会の第37回例会は、「谷中七福神めぐりです。

【日時・集合場所】

平成30年1月9日(火)午後1時00分
JR田端駅 北改札口前 集合

【経路】
JR田端駅→東覚寺(福禄寿)→青雲寺(恵比寿)→修性院(布袋尊)→天王寺(毘沙門天)
→長安寺(寿老人)→護国院(大黒天)→
不忍池弁天堂(弁才天)→JR上野駅(解散)

【参考情報】
(1)歩行数は約1万1千歩、 前回や前々回の約2倍弱
(2)解散後、希望者で懇親会を行う。(会費 4,000円程度)

【申し込み】
1月7日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977 またはt-sato(at)ion.ocn.ne.jp
*Emailで連絡する場合、(at)を@に変更してください。

なお、懇親会出席希望の方で、前日・当日のキャンセルは、食事代2,500円を申し受けます。

 (以 上)