第46回散策の会報告

旧江戸川べりを歩く

令和元年11月16日(土)

ひとりひとりの秋、でもその秋を共有する機会がまた参りました。今回は江戸川区です。江戸川区といえば小平から見て東京都での対極の地に存在するというイメージがあります。それもそのはず、これまでの散策の中で、直線距離では小平から最も遠く(約40㎞)へ行くことになります。それに23区の内で、当会としてこれまで足を踏み入れていない空白区の一つです。そこで1度行ってみようかなという漠とした思いから企画してみました。なお、未踏区にはまだ足立区と杉並区が残っています。次回と次々回にはそこを訪れようと考えています。

先日、テレビで「人間には走れる時期と、歩ける時期と、歩けない時期がある」と言った人がいました。その時は事業経営について述べたのですが、私は文字どおりの意味で捉えました。我々には「走れる時期」はもはや過去のもの、いま与えられている「歩ける時期」を大いに利用したいものだと。そこで今回は原点に戻り愚直に歩くことに専念しました。小春日和の穏やかな午後、18人もの方々に参加していただきましたが、このコースはこれといった目玉もなく、魅力の乏しさは否めませんでした(策定した私の責任ですが)。ただ強がりをいえば、コースの大半が川辺だったことは「川」がない小平市民の目には救いでした。

秋空の下、川風に吹かれての川べりの散策は一番奥の地点まで・・・


☆古川親水公園(江戸川6丁目)
「古川」はもとの名を「舟堀川」と呼ばれていましたが、行徳産の塩を運ぶなど江戸へ向かう船便が増えたため、近くに新しい運河「新川」が掘削されました。そこでここは「古川」と名を変え、どぶ川となってしまいましたが、昭和49年に全長1,200 mもの日本初の親水公園に生まれ変わりました。

川幅2~3 mほどの小川で、子供が水遊びできるように底にきれいな石畳が敷かれた浅い流れの箇所、クスノキ・モチ・タモなどの木々やベンチが配置され憩いの場など、さまざまな配慮がなされています。都営地下鉄一之江駅から25分も歩いてたどり着きました。

水遊びも楽しい親水公園

まずは全行程の案内地図を見る

☆宇田川家長屋門(江戸川5-4)
江戸時代後期の茅葺き平屋の建物で、村役人の屋敷だった所です。両脇の武者窓と土台石から直接立っている柱が特徴です。手前には自然石に「行徳道」と刻まれた道標がありました。

江戸後期の役人の家の特徴をきく

両脇に武者窓のある長屋門の前で

☆熊野神社(江戸川5-7-6)
ここは江戸中期の創建で、芭蕉の「茶水くむ おくまんだしや 松の花」の句碑があります。「おくまん」とは熊野神社、「だし」とは堤防を守るため杭を並べることです。ここは川が大きく湾曲して流れが速く、たくさんの杭が打たれてあり、深い瀬となっていました。そのため水がきれいで美味しく、将軍家の茶の湯にも使われたそうです。イザナギノミコトを祀るので、舟人たちは航行してこの前を通る時、帆を下げて安全を祈ったといいます。

芭蕉の句碑(左下は「芭蕉」の名を拡大)

こじんまりとした熊野神社

☆旧江戸川べり(江戸川区・千葉県市川市)
熊野神社から瑞穂大橋と今井大橋を渡り、25分ほど歩くと市川市側の旧江戸川の土手に着きます。土手の上の遊歩道に上がり、さほど変化のない一本道を上流に向かって歩を進めていきます。目の下には秋晴れの空を映した薄茶色の水が、それと分からぬほどのスピードで流れています。杭の上には海鵜が羽根を休めています。川岸近くはウォーターフロントマンションが並び、またプレジャーボートがあちこちに数多く係留されていました。ここは淡水と海水が混じった汽水域が大部分を占め、シーバス(スズキ)やチヌ(クロダイ)が釣れるからです。

「瑞穂大橋」からの風景。 望遠で見ると夥しい数のプレジャーボートが・・・

まだ余裕の笑顔? 煙突の先まで歩くとは知らずに


旧江戸川は東京都と千葉県の境界を流れるかつての江戸川本流で、今は市川市の江戸川水閘門で江戸川から分岐し、東京ディズニーリゾートと葛西臨海公園の間で東京湾に注いでいます。大正8年に「江戸川放水路」が掘削され、さらに昭和18年に「江戸川水閘門」が建設された時にここは「江戸川」から「旧江戸川」と名称が変わります。さらに昭和35年には「江戸川放水路」が「江戸川」に呼称変更というややこしい経緯があります。

江戸時代には水運の動脈として、野田の醤油や行徳の塩、成田山への参拝客などを運ぶ船便の往来が盛んだったそうです。歩を進めるうちに地下鉄行徳駅に近づき、土手から降りました。

【散策後の懇親会】
東西線で17もの駅を過ぎ、ホームタウン高田馬場駅に到着。ここまで来るとやはりホッと一息、異国から帰国したという気持ちです。思えば今日は“流れ”づくしでした。最後はビールがのどに流れ落ちることを願い「土間土間 高田馬場店」の扉を開けます。「すきやき鍋」を突っつけば“笑わぬ男”などいろうはずもなく、“ワンチーム”で盛り上がりました。

帰り際、隣の席に10数人の学生グループが入って来ました。彼等がワセダの後輩と分かるや、我等の酔人が突然「紺碧の空」を大声で歌い始めます。やはり我々は生涯ワセダを卒業できないようですね。

【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・大河原・大河原夫人・大野・小川・梶川・國友・栗原・佐藤(俊)・佐野川(國友の友人)・滝沢・竹内・千葉・土井・松村・山本(18名)

(文=佐藤(俊)、写真=荒木)

第46回散策の会のお知らせ

散策の会の第46回例会は、「旧江戸川べりを歩く」です。

1.日時・集合場所

令和元年11月16日(土)午後1時30分
都営地下鉄新宿線・一之江駅 A2出口の地上に集合

2.経 路
一之江駅→古川親水公園→宇田川家長屋門→熊野神社→旧江戸川べり→東京メトロ東西線・行徳駅(解散)

3.参考情報
(1)歩行数は約1万歩
(2)都営地下鉄は都のシルバーパスが使える
(3)解散後、希望者で懇親会を行う(会費 4,000円程度)

4.申し込み
11月10日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977  または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)

第45回散策の会報告

早稲田のミュージアムをめぐる

令和元年9月28日(土)

背を伸ばし“ふり仰ぐ時計の塔”


いつも1万歩以上歩いていただいているので、今回は少し短く(約6千歩)・・・と選んだのがこのコースです。早稲田大学は既にある「坪内博士記念演劇博物館」や「會津八一記念博物館」に加え、3つ目に「早稲田大学歴史館」を、4つ目として「早稲田スポーツミュージアム」をと、続けざまに“ミュージアム”をオープンしました。今回は校友としてぜひ見ておきたいこの新しい2施設に加え、近傍にある「漱石山房記念館」も見学してきました。

あの頃“昂然と高張る胸”で“ふり仰ぐ時計の塔”は、50~60年後のいま、丸くなった背や曲がった腰を伸ばして見ても、すこしも変わらぬ姿でそこにあります。そしてその真下にはその間に大きく変貌した20名の方々の、それでも元気で母校愛に燃ゆる姿がありました。

我ら大隈さんの弟子! 不肖の弟子?(>_<)


☆早稲田大学歴史館(新宿区西早稲田1-6-1)
近年校舎が建て変わっていく早稲田の杜の中で、昔からのたたずまいを残す1号館の1階に平成30年3月に開設されました。中心にカフェテラスを配置し、その周りを回字形の展示エリアに設定し、大学の歴史に関するさまざまな資料を、デジタル媒体を活用して多様な切り口で展示しています。参加者のみなさんは“先哲の面影偲ぶ”心持ちで、“重ねきし歴史”をそれぞれじっくりとご覧になったようです。NHKの大河ドラマ『いだてん』の前半に毎回のように出てきた「天狗倶楽部」(武井壮が扮した早大生の押川春浪らのスポーツ団体)のユニフォームが、私個人としてはドラマのシーンと重なり印象深く目に入りました。また、大型スクリーンに投影されたキャンパスの空撮は、見慣れない角度からのものだけに思わず引き込まれてしまいます。

歴史館になった懐かしき1号館

ワセダベアに見守られて見学『未来の早大生』

「日本ロボット開発の父」加藤一郎教授のもとで開発『WABOT』

やっぱり大隈侯の周りに集まりました


☆漱石山房記念館(早稲田南町7)(入場料250円、ただし団体割引)
西早稲田キャンパスから出て今やコンビニに変わってしまった旧「三朝庵」の角を曲がり、早稲田通りに入ります。途中で「夏目漱石誕生之地」や、中山安兵衛(堀部安兵衛)が仇討ちの際、喉の渇きを癒すため大酒を飲んだという酒屋の前を通ります。この酒屋は今や「リカーショップ」との看板です。

夏目漱石誕生の地

さて、夏目漱石は引っ越し魔で生涯に16回も引っ越しましたが、明治40年から49歳で亡くなる大正5年までの9年間過ごした最後の家(漱石山房)の敷地に、この記念館は建てられました。漱石の生誕150年を記念して一昨年にオープンした新宿区立の施設です。漱石の生涯と数々の作品の紹介や、再現された書斎や客間などさまざまな資料が展示されています。漱石はこの書斎で「三四郎」「こころ」「道草」などを執筆したそうです。また裏には「漱石公園」があり、胸像や猫の墓があります。なお、漱石と早稲田の関係でいえば、彼は帝大生の身ながら、学資稼ぎのため明治25~28年に東京専門学校(早大の前身)の講師を務めていました。

こんな小さな机から珠玉の作品が生まれていきました

ところで今回みなさんをこの記念館にお連れしたのは、早大に近いこともありますが、実はここの名誉館長であり漱石の孫でもある女性(早大OG)が私と高校の同期生で、彼女に『ぜひ』と頼まれていたからです。ご足労をお掛けしました。

吾輩の墓? 猫塚である


☆早稲田スポーツミュージアム(戸山1-24-1)
記念会堂の跡地に建てられた「早稲田アリーナ」の3階に今年3月オープンしました。ここでは長い早稲田スポーツ史の中での栄光のシーンや、さまざまなエピソードを豊富な写真や映像等で展示しています。小平稲門会員だった故山中毅さんの「スポーツ功労賞」受賞の写真もありました。窓の下には「戸山の丘」(メインアリーナの屋上)の若木と芝生が9月の夕暮れの薄日を受けています。“栄光はみどりの風に”乗って、若きアスリート達にきっと届くことでしょう。ところでこの日はメインアリーナで、NHK主催の「ラグビーワールドカップ2019」の8Kスーパーハイビジョンによるパブリックビューイングが行われる日でした。それもV候補のアイルランド対われらがジャパンとなれば、赤白のジャージを着たファンが多く行き来する姿が目に入ります。「見たいなァ」という誘惑が袖を引き続けます。でもこの後の懇親会の会場をドタキャンするわけにもいかず、地下鉄早稲田駅に向かいました。

山中毅さんおめでとうございました!!


【散策後の懇親会】
前回に引き続き、また会場が高田馬場の「土間土間」になってしまいました。会場選択の過程で安全弁が働いたせいかもしれません。会場に到達した時はラグビー試合が佳境に入った頃。私といえばスマホのテレビ画面に目は釘付けで、何を飲み食いしたかはほとんど記憶にない状態でした。やがて日本の大金星が伝えられ、みなさん上機嫌で杯を重ねられ、そして「豪華海鮮ちゃんこ鍋」(?)がカラになり、お開きとなりました。記念すべき一夕でした。

【参加者】
荒井・荒木・伊藤(徹)・小川・国友・栗原・古林・佐藤(俊)・佐藤夫人・篠原・鈴木・滝沢・千葉・飛田・土井・中村・野村・松村・横田・山本(20名)

(文=佐藤(俊)、写真=荒木)

第45回散策の会のお知らせ

散策の会の第45回例会は、「早稲田のミュージアムをめぐる」です。

1.日時・集合場所
令和元年9月28日(土)午後2時00分
早大 大隈記念講堂前 集合

2.経 路
大隈記念講堂前→早稲田大学歴史館→早稲田スポーツミュージアム
→漱石山房記念館→東京メトロ東西線 早稲田駅(解散)

3.参考情報
(1)歩行数は約6千歩
(2)漱石山房記念館の入場料に300円が必要
(3)解散後、希望者で高田馬場にて懇親会を行う(会費 4,000円程度)

4.申し込み
9月22日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977  または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)

第44回散策の会 報告

白金めぐり

令和元年5月25日(土)

元号も「令和」と新しくなり、散策もまた気分を新たにスタートしようと思い、せめて聞こえや視覚だけでもリッチな場所をと「白金(しろかね)」を選んでみました(エッ? なんの関係もないじゃないか!)。これまで都の中心部を散策の対象にすると、郊外の時より参加者が多くなる傾向にあります。ということは、この会はシティーボーイの集まりなのでしょうか? 今日も集合場所の目黒駅には17人に集合していただきました。まずは7分ほど歩き、美術館の前庭でのオリエンテーションです。

大正浪漫の薫りの前で


☆東京都庭園美術館(港区白金台5-21-9)(65歳以上550円)
壁飾りから家具・照明器具などがアール・デコ様式で統一され、その優美な直線や曲線には目が奪われました。それもそのはず、ここは昭和8年に建てられた旧朝香宮邸で、その後吉田茂総理公邸、白金迎賓館を経て昭和58年からは美術館として一般に公開されている国の重要文化財です。庭園も「芝庭」と「日本庭園」「西洋庭園」と趣の異なる庭が3つあり、この日の企画展「キスリング展」も魅力的な絵画ばかりですので、自由時間として1時間を充てました。
なお、散策の会では平成23年10月に一度訪れていますが、その時は休館日だったため内部の見学はしていません。

☆自然教育園(白金台5-21-5)(65歳以上無料)
この日はまだ5月なのに厳しい真夏日。でも園内は新緑と深緑が映え、すがすがしい気分になりました。ここは庭園美術館を包み込むように拡がる広大な面積を誇っています。それも一般的な植物園や庭園と違い、手を入れない自然のままの武蔵野の森を残そうとしている貴重な緑地です。中は「路傍植物園」「水生植物園」「武蔵野植物園」などのブロックで構成されていて、国立科学博物館の付属施設です。

炎暑の中のオアシス


☆瑞聖寺(ずいしょうじ)(白金台3-21-19)
通り道にあったのでちょっと覗いてみました。江戸黄檗宗の最初の中心的な寺院だったそうで、ずっしりとした雄大なたたずまいの大雄宝殿や、階段下に見える通用門は国の重要文化財に指定されています。

屋根と裳階の曲線が見事


☆東大医科学研究所(白金台4-6-1)
付属の病院を持つ医学・生命科学の研究機関であり、基礎研究の成果を医療に直結させることを使命としています。研究は主として感染病やがんなどを対象として、前身は伝染病研究所(初代所長は新千円札の顔となる北里柴三郎)です。「白金」のイメージとはほど遠い古い外観を持つ建物が多く、本郷キャンパスに似た雰囲気や風格を持っています。今回は見学しませんでしたが、医科学の歴史的資料の保存と公開をする施設として「近代医科学記念館」があります。

ワセダよりちょっと頭が良い連中のいる場所


☆聖心女子学院(白金台4-11-1)
申し訳ないことに、校地を囲む塀のほんの一部を見るだけになってしまいました。実は下見の際、松村さんときついアップダウンを耐えながら、長い塀沿いに半周して正門まで行ってみました。そこからも校舎はまるで見えず、しかも予想どおり「部外者立入禁止」「見学お断り」の立て札。守衛に誰何される前に腰が引けて、構内には立ち入るのを諦めました。本番時に同じ難行を皆さんに強いることはできず、キャンパスの“塀のみチラッ”となった訳です。ゴメンナサイ。ここは明治41年創立の小・中・高一貫教育の私立女子校で、卒業生には上皇后美智子、高円宮妃久子、総理夫人安倍昭恵、作家の曾野綾子などがいます。良家の子女が多いようですから、もしかしたらみなさんの御家族にも・・・?? なお、大学のキャンパスがあるのは広尾で、ここにはありません。そういえば3月末の花見の席で「あこがれのマドンナが聖心だったなァ」と私に告白してくれた御仁がいました。“聖心は遠くにありて想うもの”ですか。青春のすてきな想い出をどうぞ大切に。

「みなさ~ん! ここが聖心です」「へぇ~?」


☆プラチナ通り(白金5・6丁目)
ぶらぶら歩きの道すがら通ってみました。ここは「外苑西通り」の一部を指しての名称です。シロガネーゼ・ファッションの発祥の地で、イチョウ並木沿いにブティックやカフェバーなどおしゃれな店が集まっています。無論“プラチナ”や“シロガネーゼ”は“白金”にかけた言葉です。『小平のシティーボーイ、シロガネーゼ発祥の地を行くの図』を狙ってみたのですが、如何だったでしょうか。ただ無念にも、小犬を連れたシロガネーゼに遭遇することはありませんでした。

☆恵比寿ガーデンプレイス(渋谷区恵比寿4-20)
サッポロビールの工場跡地を再開発し、平成6年に開業した複合施設です。デパート・レストラン・写真美術館・恵比寿麦酒記念館・映画館・オフィスビル・マンションなどがあるおしゃれな街です。今回は小休止をとっただけで「スカイウォーク」に乗り、恵比寿駅へと向かいました。

【散策後の懇親会】
1月に集まり散じた高田馬場の「土間土間」に、人は変わらず再び13人が集まり参じました。談笑の間に散策で消費したカロリーを上回る量の補給を終え、西武線や東西線へと散っていきました。その後、懲りない面々が花小金井のスナックに行ったとか、行かなかったとか。

「楽しかったね」「うんうん」


【参加者】
伊藤(徹)・大河原・大河原夫人・国友・栗原・小林(弘)・小山・佐藤(俊)・篠原夫人・志村・滝沢・田中・千葉・土井・野村・松村・村木 (17名)

(文=佐藤(俊) 写真=国友・佐藤(俊)・松村)

第44回散策の会のお知らせ

散策の会の第44回例会は、「白金めぐり」です。

1.日時・集合場所
令和元年5月25日(土)午後1時00分
JR目黒駅 中央改札口前 集合

2.経路
JR目黒駅→庭園美術館→自然教育園→瑞聖寺→東大医科学研究所
→聖心女子学院(塀のみ)→プラチナ通り→恵比寿ガーデンプレイス
→恵比寿駅(解散)

3.参考情報
(1)入場料:庭園美術館は、65歳以上550円(要 年齢証明書)
                        自然教育園は、65歳以上無料(要 年齢証明書)
(2
)歩行数は約1万歩
(3)解散後、希望者で高田馬場にて懇親会を行う(会費 4,000円程度)

4.申し込み
5月19日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977  または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)

第43回散策の会 報告

赤坂界隈をめぐる

平成31年3月16日(土)

昨年末に「日本レコード大賞」を受賞した「乃木坂46」をはじめ、ファッションやグルメなどが若者たちの心を捉え、華やかな夢を与える街が赤坂です。でも、そんな赤坂にも江戸から平成に続く数々の歴史の足跡があります。平成最後の今回はそんな中からピックアップして訪ねてみました。そしてその後、国会周辺へと足を延ばしました。その結果、暗殺や自害という数奇な運命をたどった3人の方の屋敷跡を歩くことになりました。
この日は「ニモクサロン」「ワイン研究会」と3日連続で同好会活動が続く日でしたが、それでも19人の方々に参加していただきました。

小平市選出の超党派議員御一行様です

☆旧乃木邸(港区赤坂8-11)
集合場所の乃木坂駅を出ると、隣はもう乃木公園です。
♪旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の 所はいずこ水師営♪
小学校低学年の頃、意味も分からず歌っていた記憶が蘇ります。(おまえは明治の生まれか?)。公園の一角に日露戦争の英雄・乃木希典大将の旧邸宅と馬小屋がありました。大将という名にしては質素な造りです。留学中に見たフランス連隊本部を参考にして自らが設計し、明治35年に建てられたそうです。明治天皇崩御の後、あとを追い夫妻はここで殉死しました。遺品などを展示する内部は命日に当たる9月13日に公開されますが、今回はガラス越しに少し見えました。馬小屋は煉瓦造りで母屋より立派に見えます。馬を大切に扱っていた気持ちがよく分かります。

8歳の辻占い売り今越清三郎少年(金箔業で成功)を励ます乃木希典銅像

このあと隣の乃木神社に参拝。神社が鎮座してからもうすぐ百年、時の流れが世の中を変え、さがっている絵馬は「乃木坂46」の活躍を祈願するものばかりでした。
☆高橋是清翁記念公園(赤坂7-3-39)
青山通りを挟み、目の前には宮邸が点在する広大な赤坂御用地が拡がります。両隣には変わったフォルムのカナダ大使館と、イサム・ノグチの屋内石庭がある草月会館が建っています。ここは大正から昭和にかけて総理大臣や大蔵大臣を歴任した高橋是清の邸宅があった場所です。彼は二・二六事件で青年将校によってここで命を奪われました。いまは樹木に囲まれ、池や石橋・石灯籠・石人が配置された日本庭園になっています。建物は小金井公園の「江戸東京たてもの園」に移築されました。

だるま宰相高橋是清の銅像の前で(ひそかに「どうしたらお金たまりますか?」)

☆豊川稲荷(元赤坂1-4-7)
愛知県豊川市にある豊川稲荷の東京別院です。大岡越前守が下屋敷(目白台)に祀った後、ここに移転したといわれています。江戸時代は大岡にあやかり立身出世や盗難・失せ物などに効験があると参拝者が多かったようです。いまは土地柄か芸能人の信仰が厚いそうです。境内には1か所七福神もありました。実はここは妙厳寺という曹洞宗の“寺院”です。お寺なのになぜ“稲荷”と名がつくのか? ・・・本尊の吒枳尼真天(だきにしんてん)が稲穂をかつぎ白狐に乗った天女で表現されるので、稲と狐のつながりで、“稲荷”と呼ばれるようになったそうです。

ところで、以前「カラオケの会」で、誰かが『別れても好きな人』を歌っていましたね。♪ちょぴり淋しい乃木坂 いつもの一ツ木通り♪と。そしたら♪別れたら次の人♪なんて茶々の合唱が入ったりして。こんな楽しい同好会もありますから、みなさん顔を出して見てはいかが?(閑話休題)さて、その一ツ木通りの入口を横目で見て、赤坂見附の交差点から車の騒音の中、国会方面へ向かいます。途中長い登りのだらだら坂道がありましたが、スイッチを入れ直してひと踏ん張り。

大岡越前にあやかって・・・いつも賑やかな稲荷です

☆憲政記念館(永田町1-1-1)(無料)
国会の組織や運営、憲政の歴史に関する資料を展示する施設です。昭和35年に開館した尾崎行雄を記念する会館が母体です。なかなか入場する機会もないので、今回訪れて数々の展示品を見て来ました。議場体験コーナーでは参加者一同、一世一代の顔を作り“選良”役者としての記念写真を撮って来ました。

「憲政の神様」「議会政治の父」尾崎行雄から「よう!」とご挨拶を・・・

☆国会前庭洋式庭園(永田町1-1-1)
憲政記念館の隣に地続きでこの庭園はあります。裏はお堀をはさんで皇居(つまり江戸城)。ここは加藤清正の屋敷の後、彦根藩主井伊直弼の上屋敷がありました。大老井伊直弼はここから江戸城に向かう途中、水戸藩士により暗殺されたのです(桜田門外の変)。ここは高台になっていて、目の先には警視庁、その前が桜田門です。また明治時代には参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)が置かれ、その名残の日本水準原点があります。園内は日米友好のしるしである桜やハナミズキの並木があり、早咲きの桜も咲いていました。

井伊直弼上屋敷の敷地。日本水準原点は東日本地震で変化したそうです

☆国会前庭和式庭園(永田町1-1-1)
洋式庭園と道路を挟み位置しています。テレビニュースで毎日見る国会議事堂が、目の前に高さ65mの威容で存在しています。それにしてもこんな場所に公園があったのかと思ってしまいます。明治時代にはジョサイヤ・コンドル設計の有栖川宮邸があり、そこは後に霞ヶ関離宮や昭和天皇の東宮御所になりました。現在は小川や池があるものの、ひと一人いない寂しい回遊式庭園です。

議事堂を見ながら洋式庭園から日本庭園へ向かいます


【散策後の懇親会】
国会議事堂前駅から地下鉄でホームグラウンドの新宿へ。向かった先は「いろはにほへと新宿東口店」です。「八海山」の一升瓶を真ん中にドーンと置き、メリカリの唐揚げや海老団子をほうばり、合鴨と九条ねぎのすき鍋を突っつきながら、わいわいがやがや。その賑やかさと笑いに、どんな話題だったのか私には聞き取れませんでした。それにしても、皆勤賞ものの滝沢・山本両長老が参加できなかったことは、ご本人としても残念なことだったでしょう。

難しいお勉強?をした後は、この幸せそうな笑顔です。滲みるなあ~~


【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・大河原・大河原夫人・大島・小川・小平・梶川・栗原・小林(弘)・佐藤(俊)・志村・竹内・田中・土井・野村・松村・横田(19名)

(文=佐藤(俊)、写真=荒木)

第43回散策の会のお知らせ

散策の会の第43回例会は、「赤坂界隈をめぐる」です。

1.日時・集合場所
平成31年3月16日(土)午後1時30分
東京メトロ千代田線 乃木坂駅 1番出口の地上 集合

2.経路
乃木坂駅→旧乃木邸→高橋是清翁記念公園→豊川稲荷→憲政記念館→国会前庭洋式庭園→国会前庭和式庭園→国会議事堂前駅(解散)

3.参考情報

(1)歩行数は約1万歩
(2)解散後、希望者で新宿にて懇親会を行う(会費3,500円程度)

4.申し込み
3月10日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977 または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)

第42回散策の会 報告

浅草名所(などころ)七福神めぐり

平成31年1月12日(土)

「開運招福」、正月恒例の七福神めぐりもはや9回目となります。福はどんなに多くいただいても『まんぷく』にはならないので、今年もたらふくいただきました。ただ、浅草名所七福神めぐりは本来9つの社寺で構成されていますが、今回は参加者の疲労を考慮して、やや離れている2社を割愛し7社寺回りを予定しました。なお、訪れなかった鷲神社(寿老人)と吉原神社(辨財天)は平成24年3月の「南千住・吉原巡り」で参拝しています。
この日東京では午前に初雪が観測され、冷え込みの厳しい一日でしたが、集合場所には18名の方々に集まっていただきました。

縁結びの今戸神社で集合写真(誰か期待している?)


☆寿老神 石浜神社(荒川区南千住3-28)
いきなり南千住駅から25分間という長丁場の歩きを耐え、ようやくたどり着きました。年齢1500年といわれる鹿を従えた木彫の質素なお姿です。ここでは寿老人でなく寿老と称しています。すぐ脇にはるかに大きい極彩色の大黒天が祀られていて、そちらへ目が行きますが、メインはあくまで寿老神です。御利益=延命・長寿。

私大きな顔をしていますが、主役は左の寿老神様と鹿でして・・・


☆布 袋 橋場寺不動院(台東区橋場2-14-19)
黒光りし、のけぞって笑う姿はまさに大人の風格が感じられます。普通なら大きな袋を持っているはずなのに、太鼓腹が袋の代わり(?)をしている珍しいお姿です・・・と書きましたが、実は松の内を過ぎたため布袋像は厨子の中に収まってしまい、お姿を見ることは叶いませんでした。本堂は江戸後期の建立で、数々の大火から免れた事から、火伏せの寺として信仰を集めています。御利益=病苦除け。
参拝の後、川縁の「隅田川テラス」を歩きます。浅草より上流のためか、屋形船はおろか船一艘の航行もなく、どんよりした雲を映す水面のみ眺める行進でした。

拝顔は叶わず、僕がモデルになろうか?との希望者は多数・・・(._.)


☆福禄寿 
今戸神社(今戸1-5-22)
白髪童顔の穏和な容姿で二頭身の今戸焼きです。ここは招き猫の発祥地とかで、福禄寿の隣に巨大な今戸焼きの招き猫が鎮座していました。また境内には良縁を望むおびただしい数の絵馬が括りつけられています。イザナギ・イザナミの夫婦神を祀ってあるからでしょう。独身人口が増加している昨今でも結婚志望は多いようで、これも婚活なんでしょうかね? 面白いのは絵馬の形で、「縁」と「円」をかけて真ん丸です。中の動物も馬でなく猫でした。参拝客は我々一行を除けば若い女性ばかり。御利益=家庭円満。

☆毘沙門天 待乳山聖天(まつちやましょうでん)(浅草7-4-1)
毘沙門天像は白色の木彫です。このお寺は隅田川に架かる言問橋と桜橋の間、隅田公園を望む10mの高台にありました。お寺の紋章は大根と巾着の組み合わせというユニークなもので、大根は心の毒を清め、巾着は金持ちになるそうです。でも二股大根では清めるどころか、心の毒をさらに増やすんじゃないかなァ? ねェご同役。駐車場には「さくらレール」という名のモノレール(定員4名)の乗り場があり、高い場所にある本堂に通じています。年長さんはこれを利用し、年中さんは階段を登りました。平成24年4月、ワセスポと共催で早慶レガッタを応援した際にも訪れています。浅草寺の支院で御利益=健康。

☆恵比寿 浅草神社(浅草2-3-1)
極彩色の木彫りの像のはずですが、拝顔できませんでした。この神社は浅草寺の右手にあり、浅草寺の守護神です。三社祭が初夏の風物詩としてなによりも有名で、きらびやかな神輿が3台展示されておりました。御利益=富財。

浅草神社の三社祭り神輿


☆大黒天 
浅草寺(浅草2-3-1)
口の中が異様に赤く、全身黒ずくめで米俵の上に座っておられます。本堂の北西に建つ影向堂(ようごうどう)の中に安置されていました。御利益=開運招福。

堂内撮影禁止…でも綺麗な弁天様が大挙してお出ましに


☆浅草文化観光センター展望テラス(雷門2-18-9)
雷門の直前にあり、木造の平屋を重ねたような奇妙な形の建物です。その8階の展望テラスに登ってみました。真下に見える仲見世の雑踏は渦をまく川の流れのように写ります。右手に伸びる銀色のスカイツリーの脇には金色のアサヒビールの社屋が並び立っています。この建物の設計者はあの新国立競技場を設計した隈研吾で、やはり木材を使った「和」を基調としています。

8階テラスから通り抜けた夕暮れの仲見世を見下ろす


さてここまでで1万歩。さすがに参加者の顔には色濃い疲労が滲んできました。散策は苦行を本意としないので、世話役からこの先の矢先稲荷神社(福禄寿)を割愛したい旨の提案を行います。『そだねー』の声多く、そこで今回は六福神だけに留め、目の前の浅草駅で解散しました。散策中幸いにも雨や雪に遭うこともなく、強風も吹かず、まずまずの半日でした。

【懇親会】
地下鉄を乗り継ぎホームタウンの高田馬場へ到着しました。会場は「土間土間 高田馬場店」。土間土間チェーンを利用するのは平成27年5月(巣鴨店)以来です。まずは今年1年の脚の健康を祈願して“乾杯”。海鮮鍋で暖まりながら、駅伝やラグビーの結果を慨嘆したり激励したりして、杯を重ねました。

【参加者】
荒木・伊藤(徹)大河原・大河原夫人・大島・栗原・小林・櫻井・佐藤(俊)・志村・志村夫人(野間)・鈴木・滝沢・竹内・田中・土井・福田夫人・松村 (18名)

(文=佐藤(俊)、写真=荒木)

 

第42回散策の会のお知らせ

散策の会の第42回例会は、「浅草名所(などころ)七福神めぐりです。

1.日時・集合場所
平成31年1月12日(土)午後1時30分 JR常磐線南千住駅 改札前(1か所)に集合

2.経 路
JR南千住駅→石浜神社→橋場寺不動院→今戸神社→待乳山聖天→浅草神社→浅草寺→浅草文化観光センター 展望テラス→矢先稲荷神社→東京メトロ銀座線・稲荷町駅(解散)

3.参考情報
(1)ここの七福神は9か所にあるが、今回は7か所だけめぐる
(2)歩行数は約1万3千歩(参加者の疲労程度で7つ目を割愛する場合あり)
(3)解散後、希望者で高田馬場にて懇親会を行う(会費4,000円程度)

4.申し込み
1月6日までに佐藤(俊)の下記あてにお願いいたします。
090-9149-8977 または t-sato(at)ion.ocn.ne.jp【 (at)を@に置き換えてください 】

なお、懇親会出席希望の方で前日以降のキャンセルは、飲食代3,500円を申し受けます。

(以 上)