第30回散策の会 報告

調布飛行場近辺を歩く       2016年9月24日(土)

  昨年の夏まで、小平市の上空にもプロペラ音を響かせ小型機が飛来してくることが度々ありました。それを眺めながら、羽田や成田はおなじみでも、調布飛行場となると「いやァ~まだ」という人が多いのではないかと思い、このコースを作ってみました。
  ここ数日来降り続く秋雨、この日もスタート直前から降り始め、解散時に降り止むという意地悪な一日でした。

雨の武蔵野の森公園。これから先に何があるか誰も分かっていない

雨の武蔵野の森公園。これから先に何があるか誰も分かっていない

★武蔵野の森公園(府中調布三鷹の3市)
   多磨駅から少し歩くと「武蔵野の森公園」に到着します。この公園は調布飛行場によって南北に分けられていますが、今回の散策は北側のみに留めました。
   まずは広大な芝生の広場が目に入ります。この広場を横切ると、飛行場を一望できる小山や展望台があります。集合場所をスタートしてからまだ15分しか経てないので、参加者一同足取りもしっかりと展望台に登り、滑走路の先にある「味の素スタジアム」までの広い空間を目に焼き付けました。
  公園の片隅には「有蓋掩体壕」(ゆうがいえんたいごう)なるものが2基ありました。これは米軍機の爆撃から帝国陸軍の戦闘機を守るコンクリート製の屋根付格納庫です。平和への語り部として保存してある戦争遺跡です。1基の扉には格納された戦闘機「飛燕」の絵が描かれ、脇には「飛燕」が収まったブロンズ製の掩体壕の模型(1/10)もあります。小さな「飛燕」が巨大なB29に挑みかかったのが、この上空だったのです。

公園の片隅の有蓋掩体壕。時代に流されず残っていた

公園の片隅の有蓋掩体壕。時代に流されず残っていた

戦闘機「飛燕」の絵が描かれた1基

戦闘機「飛燕」の絵が描かれた1基


★調布飛行場展望デッキ(府中・調布・三鷹の3市)
    平成25年に運用開始した新ターミナルビルに入ってみました。800mの滑走路が1本という、地方空港に比べてもはるかに小ぶりで、むしろアットホームな雰囲気さえ感じます。新中央航空が運航する伊豆諸島への定期便の時刻表を見ると、8時過ぎから17時前までの間に26回の離着陸があります。この時も乗客らしき人が2人ほど待合室に座っていました。
    エレベーターで2階の展望デッキに昇ります。まもなく1機(19人乗り)が到着しました。扉が下に向かって開き、それがタラップとなります。17人ほどの乗客が係員の渡す傘を手に、雨の中に降りてきました。すぐに給油が始まり、続いて電源車が横付けなります。まもなく2人の客が搭乗し、飛行機はエプロンから誘導路を通り、滑走路の端に進みました。やや間があって爆音がひときわ高く響き、スタートしたと思うと滑走路の中程でテイクオフ。アッという間に視界から消え去りました。
 30分足らずの間、こんな情景をわれわれ一同展望室の窓ガラスに額をくっつけながら、やや興奮気味に眺めたものでした。飛行機や飛行場って、なぜか少年(?)達の心をワクワクさせるものですね。

タラップから乗客が降りてきます

タラップから乗客が降りてきます

2階の展望デッキから

2階の展望デッキから


 でも昨年7月、ここを飛び立ったパイパー機が離陸直後に民家に墜落し、3人の死者を出した悲惨な事故も頭をよぎります。それ以来、観光や訓練の飛行はここでは許可されていません。
 この飛行場は昭和16年に竣工し、戦時中は帝国陸軍が使用して帝都防空の拠点となり、戦後は米軍に接収されたが、昭和48年に全面返還されました。

子供に還って?みんな楽しそう

子供に還って?みんな楽しそう

★龍源寺(近藤勇の墓地) (三鷹市大沢6-3-11)
 武蔵野の森公園の北側の人見街道に沿ってあります。門前には樹齢300年といわれる大イチョウが2本そびえていました。寺の入り口に新選組局長の近藤勇の胸像が、墓域には墓と辞世の石碑が、それに養子の勇五郎の墓があります。
 
板橋の刑場で斬首された遺骸を勇五郎や門人達が夜陰に紛れて運び出し、この場所に埋葬したといわれています。ただ、近藤勇の墓は6カ所あるといわれ、当会でも訪れたことのあるJR板橋駅前、さらには京都市・岡崎市・会津若松市・米沢市にもあるそうです。

龍源寺の近藤勇の墓所

龍源寺の近藤勇の墓所

★近藤勇生家跡(調布市野水1-6-8)
 龍源寺から西に300mの場所にあるごく狭い土地です。
 ここは近藤勇が生まれた豪農・宮川家のあった所で、7,000㎡もの敷地があったそうですが、昭和18年に、滑走路の延長線上にあるという理由で取り壊されてしまいました。今は産湯をくんだ井戸があるのみです。

近藤勇生家跡。産湯の井戸

近藤勇生家跡。産湯の井戸

★天然理心流道場撥雲館(調布市野水1-7)
 近藤勇の養子勇五郎が明治9年に開いたそうで、最盛期には3,000人の門人がいたといわれています。
 この建物は昭和7年に建てられたもので、一時移転し、戦後に人見街道の拡幅により生家跡の真ん前の現在地に再度移築されました。建物はかなり傷み、廃屋状態です。

天然理心流道場撥雲館

天然理心流道場撥雲館

★散会後は希望者で恒例の懇親会
 無事に4キロを歩き切った有志を待っていたのは 武蔵境駅北口の「三代目鳥メロ武蔵境店」。
  まずはと生ビールの流れ込む様は、海綿の水を吸うが如し(チト表現が古いか?)。棒棒鶏サラダ・カツオのカルパッチョ・つくね串・ガリバタ鶏などの料理も好評で、加えて獺祭・真澄・白鶴などの日本酒も飲み放題で〆て3,500円。こうなると幹事は次回以降の会場探しに重い荷を背負う事になりました。

三代目鳥メロ武蔵境店で。美味しかったですね

三代目鳥メロ武蔵境店で。美味しかったですね

【参加者】
荒木・井垣・伊藤(徹)・小平・梶川・国友・小林(弘)・佐藤(俊)・志村・滝沢・竹内・土井・堀田・山本・横田・定村(国友の友人)・千葉(国友の友人)(17名)

 (文=佐藤(俊)、写真=荒木)

 

 

 

 

 

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