序 文 |
★小平稲門会の同好会「稲酔会」(09年2月例会)でしたたかに飲んだ勢いで大言壮語(当人は記憶が定かならず)したばかりに、思いもかけず当ホームページに慣れない文章を“連載”で書くハメになりました。当夜、同席されていた山口勝幹事長が小生の酔言を後日、ホームページの松谷富彦編集長の耳に入れられたのが、小生にとっては運のつき。
★どうやら幹事長も編集長も、小生の酔言妄語に少々懲らしめの意味も含めて放言の責任を取れ、との連載下命と察する次第。とあれば古い話で大変恐縮ですが、稲酔会の諸兄にご迷惑をおかけしたお詫びに筆を起こさせていただきます。
★1975年くらいから1990年ごろの間、私は信託銀行の現役時代に企業年金の海外運用や日系企業の海外投融資に関する業務を担当していました。表題に関わる海外ゴルフ場の買収話などにも若干関係したので、その時代の芝生の上で繰り広げられた面白話を回想、披露させていただこうと思います。
★1980年代前半は、邦銀の海外でのプレゼンスが最高に達し、地銀までも海外進出ラッシュでしたが、迎える欧米側からBIS規制をはじめとして、なんとか日本の銀行勢による海外投融資の拡大を阻止しようとする動きが活発になった時期でした。昨今、欧米の商業銀行、投資銀行が、サブプライム・ローンも契機の一つですが、倒産あるいは危機に見舞われているのを見るにつけ、当時の海外金融筋の行動は、邦銀叩きそのものだったのではないかと思います。
★1990年代からのいわゆる“失われた10年”で、日本は外資の“ハゲタカ・ファンド”などに荒らされましたが、“100年に一度の危機”とかの昨今、日本政府、邦銀などに資本増強の救済を求めて来ている姿を見ると、日本人は人が良いと思うと同時にユダヤ系、アングロサクソン系を中心とする欧米の金融筋の自己中心至上主義を見せつけられている感じがします。
★もっとも、日本の金融機関は、複雑な金融証券化ビジネス(デリバティブ)分野に出遅れたのが、幸いした面もあります。硬い前置きになりましたが、そうした背景をテークノートしながら、私が海外各地でプレーしたり、見聞したゴルフ・コースや人模様をお読みください。
|
|
|