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連 載 海外ゴルフ場面白話 ー芝生の上から世界経済を覗けばー |
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小川浩史(35法) |
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第6集 連載第10回 |
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[イギリス] |
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★ご存じの通りイギリスは、ゴルフの発祥地である。首都ロンドンで1980年〜83年の3年間勤務した。その時代、3つの大きなエポックがあった。第1は保守党が労働党から政権を奪取して、鉄腕サッチャー女史が登場。見事に金融ビッグバンを成し遂げ、シティの復権、経済の活性化を果たしたことである。 ★サッチャー女史で思い出すのは、サッカーの欧州選手権の決勝戦(カップ・ファイナルと言う)がベルギーでイングランド対イタリー戦が行われた時、自国のフリーガンの騒動でイタリー側に死傷者が出るや即刻スポーツ大臣を罷免したことである。何事も即断、実行力のある政治家であった。 ★第2は、アルゼンチンとの間でフォークランド戦争が行われたことである。当時、イギリス王室からは、皇太子の弟君が海軍の軍人として出動、母のエリザベス女王が大変心配されたことを思い出す。しかし、日本の戦争中の雰囲気と違い、軍隊が戦闘に出動しているのに、戦時体制が取られるでもなく、一般市民は普通の生活をしていた。 ★要するにイギリス国民にしてみれば、、軍隊は、こうした事態が起きたときのために国民の税金で支えているのであり、当然の義務と職務を履行しているという感覚であり、日本人とは違うなあ、と思ったものである。 ★第3は、チャールズ皇太子とダイアナ妃の婚礼があったことである。ダイアナ妃は、貴族の出身だが、結婚するまでは保育園の先生をしていて、一般庶民に人気があった。盛大な結婚パレードを家族とともにテレビで食い入るように見ていたことを思い出す。おしい女性を失ったものである。 ★ゴルフ場は、ロンドン郊外に多数あり、、数え切れないほどプレーしたが、一番の思い出はスコットランド・エジンバラ郊外のセントアンドリュース・オールドコースである。たまたま帰国後、大利根C.Cの開場記念杯で優勝し、会報に載った記事が当時の状況を一番表現できているので、ここに転載する。
<セントアンドリュース・ゴルフコースは、かの有名なオールドコースの他、ニューコース(NEW)、エデンコース(EDEN)、ジュビリーコース(Jubilee)から成り立っている。 なかでもオールドコースは、全世界のゴルファーが誰しも一度は訪れたいと願ういわばゴルフのメッカである。いつからセントアンドリュースでゴルフがはじまったか不詳だが、おそらく1550年代からと言われている。オールドコースは、元来羊の放牧場であり、あの数々のバンカーは羊の風よけ場として使われていたところに砂を入れてできたとも言われている。
スコットランドのゴルフシーズンは比較的短く、その中でベストシーズンは6月だ。しかしながらこの6月とて気候は大変変わり易く、日中風雨のち晴、のち風雨といったこともあるため、セーター・雨具は必携品である。 またオールドコースはパブリックコースであり、日本では考えられないことだが、日曜日はクローズし、セントアンドリュース町民の公園となる。コースの中を犬を連れて散歩する光景も見られる。いかにベストシーズンの日曜日であっても、ガツガツとゴルフをしなくてもとのスコティッシュピープルの余裕だろうか。 日曜日がクローズのため、ベストシーズンの6月週末土曜日のオールドコースのコンペ予約は、各国ゴルファーが殺到するため至難の業となる。時にはプレー後レターで、1年先の予約を申し込むといった具合だ。日本人ビジターは大変多いようだが、パブリックコースゆえに日本人に独占させるわけにはいかないようである。 ときには苦肉の策として青目(例えばMr.スミス)で登録し、実際には黒目(日本人)といった勇敢な登場の仕方もあるようだ。 しかしながら夏場の日照時間は長く、早朝より夜10時半くらいまでプレーが可能なため、最終スタート夜8時でもOKで、一日の利用者はかなりの数にのぼるものと思われる。
さて、フィー(Fee)の方だが、キャディフィーの方が、グリーンフィーより高くつく。1980年当時で、オールドコースのグリーンフィーは、平日5.5ポンド。土曜日は6.5ポンド(当時円換算:約1540円)だったが、キャディフィーには8〜10ポンド位渡した記憶がある。 イギリスのゴルフ場は、セルフカートが一般的でキャディーなしだが、セントアンドリュースはキャディ付きだ。アップアンドダウンが激しく、丘越え、ヒース越えも多いため、ティグランドからフェアウェイが見えないホールが多く、また無数のフェアウェイバンカーのため、キャディなしではコースを廻れない状態なのである。キャディフィーがグリーンフィーより高い背景も、何となくこの辺にあるような気がする。 年老いたキャディが2バックを背負い、且つティグランドから見えない場所でも的確に球の位置を把握する熟練度はさすがだ。老練キャディともなれば2〜3ホールでプレーヤーの技能を見定めた後は、プレーヤーの技能程度により、「Aさんは右側より。Bさんは真ん中より攻めなさい」といった具合に、フェアウェイバンカーの位置、飛距離などを勘案しながら、各プレーヤーに方向のアドバイスをすることも間々ある。 オールドコースの各ホールには、全て固有名詞がついており、例えばNo,9はEND(エンド)、No,1はBobby Jones(ボビージョーンズ)、No,18はTom Morris(トムモリス)といった具合だ。またバンカーにも種々の名前がついている。 以上、思いつくままあれこれ述べさせていただいたが、機会があれば再びセントアンドリュースに挑戦してみたいと思っている。> ★われわれのゴルフ仲間は、ロンドンの邦銀支店の次長会の面々だったが、、帰国後、いまでも新年会とか春秋のゴルフ・コンペの交流が続いている。 ★支店長会の方は、以前、ポンド・ショックのときに日銀、大蔵も含めてスコットランドにゴルフに行き、ロンドンを留守にしていたため問題となり、以後遠出ゴルフは遠慮していた経験がある。最近は復活したようであるが。 ★ところでセントアンドリュースのオールドコースは、毎年1回行っていたので、3回コースに出たことになる。天候、その他、コースコンデションにもよるが、一番良かったのは1982年6月の42:50の92であった。いまでは信じられないスコアである。
★オールドコースのホテルの売店の記念品は、日本人に買い占められてしまう。しかし、すぐには補充しないのである。大量生産して売上を伸ばすという発想は、スコットランド人にはない。かつて、日本の商社マンが、ウィスキーかなにか量産を働きかけたが、断られたという話を聞いたことがある。 ★ロンドン近郊には数多くのゴルフ場があり、休日の午前中はメンバーがプレーし、午後はビジターに開放するのが一般的である。 ★当地での秋から冬にかけてのゴルフは、悲惨である。フェアウェイは枯葉だらけ、ラフは深く、ロストボールになることが多々ある。ボールをたくさん持っていないと、ボール切れとなることがある。小生も一度経験があり、後続の人から借りたことがある。 ★一番困るのは、日本からのお客の随伴をする折、セルフで回るのが普通なので、特にスコアに自信のある人ほど「フェアウェイでロストするなんて」とご機嫌斜めになられるケースである。 ★ロンドン在勤時に何度かジ・オープン(全英オープン・ゴルフ)に出かけたが、当番コースの順番は決まっており、いわゆるリンク・コースで開催されることが多い。イギリス南部のドーバーに近いところにあるサンドウィッチG.Cリンクスで青木、尾崎が出場したときに尾崎について回ったことがある。
★尾崎軍団は、20名位で少人数であったが、尾崎夫人は元気いっぱいの人で「青木さんは早朝スタートで風がなくて付いている。尾崎は風の強いときのプレーで付いていない」などとぼやいていた。なお、サンドウィッチは、それこそサンドウィッチ発祥の地である。 ★私は当初、ロンドン南部のサリー州に住んでいたが、周囲はゴルフ場だらけだった。近所のカディントンG.Cというところで同じグループ企業の定例コンペがあったとき、着任早々のM金属の若い社員がホールインワンした。そのとき幹事だったのでゴルフ・クラブにどうしたらいいか相談したところ、「当クラブは感知しないが、ロンドン市内で記念品を買える証明書を出すので、そこで買ってくれ」との返事であった。 ★それから当時のM銀行のK社長が来英時にテンプルというゴルフ場で自銀行のコンペに参加、ホールインワンしたときの話である。日本の損保のホールインワンの対象は、国内だけで、海外プレーは対象外だったが、どうしたことか当時のT海上火災の所長が「適用されます」と言ってしまったらしい。お陰でT海上火災は、社長の帰国後、記念品を出したり、大変だったようだ。
★K社長は酒の好きな方と聞いていたので、コンペの前日、当方からも何かめずらしいウィスキーをと考え、三越のロンドン支店長に相談、「ダンヒル」という銘柄がめずらしくていいだろうと言うことになり、問屋まで買いに行ってM銀行支店に持参した。 ★そして、ホールインワン。M銀から「K社長は昨夜、信託銀からもらったウィスキーを飲んでよかったので、ホールインワンできたとおっしゃっていた」という話があり、M銀支店次長から仕入れ先を聞かれたものである。いまではダンヒル・ウィスキーは日本でも見かけるが、当時は未知のウィスキーだった。なお、ダンヒル社とは、関係ないとか。 ★イギリス在勤中の3年間のゴルフのプレー回数を数えてみたら117回(年平均39回)であった。もったいない話だが、夜10時〜11時まで連日勤務する行員が多かったので、ゴルフと言うと逃げ回る人が多かった。 ★ロンドン暮らし中は、家内も他の邦銀の奥様方のお誘いでゴルフをやっていたが、帰国後はゴルフ代が高いとか、子供の教育で忙しいとか理由をつけてやめてしまった。家内のゴルフ用具は、たまたまカジノで勝ったときのお金で買った記憶がある。
★そのカジノ・クラブは、日本大使館の近くにあるクロックフォードという会員制の高級クラブで、ジェフリー・アーチャーの小説『百万ドルを取り返せ』に出てくるクラブである。帰国後、ロンドンに出張したとき、立ち寄ってみたが、「貴兄の顔は存じているが、退会しているので、メンバー同伴でないと入場はできません」と断られてしまった。 ★ゴルフの方のメンバーもR.C.A(イギリス自動車クラブ)というロンドン市内にホテル施設(プールやレストランなどもあった)を併せ持つ便利なコースが、住まいの近くにあったので、家内と二人でメンバーになっていた。こちらも帰国と同時に退会した。
★かつてR.C.Aのゴルフクラブのパブに家内と一緒に入ったら、カウンターに並んで飲んでいたイギリス男性諸氏たちから「パブの入り口を見たか」と声がかかり、何事かと振り返ると「ゼントルマン・オンリー」と書いてあった。「イギリスの女性なら断るが、日本の女性なら歓迎するよ」とのジョークももらったが、はずかしい思いをした。 ★レディは土足のパブではなく、「クラブの階上にあるレストランでどうぞ」とのことで、ゴルフ場のパブは、どうやらイギリス男性の憂さ晴らしの場所のようである。 ★R.C.Aゴルフクラブでの思い出を二つ。このゴルフ場のスタートと受付場所は、スタート・ホールの横にある小屋で受付のおじさんにプレー代を支払い、当着順にスタートする仕組みだった。夕方になると、小屋のおじさんもいなくなり、よく無料でスタートしたものである。 ★あるとき、当時小学校3年生の次男と二人で回ったとき、グリーン周辺のスプリンクラーから突然水が勢いよく出始めて驚いたこともあった。その時刻、当然ゴルファーはいないという前提での散水作業である。小学生の息子には、フェアウェイもティーアップして打たせていた。
★これがイギリスの田舎に行くと、イギリスが香港を支配していたことからか、東洋人はすべて中国人に見えるらしい。そして、中華料理。いまでは日本料理店も多くなって来ているが、かつては特に地方では中華料理店だけが存在していたので、現地の人には東洋人は全て中国人に見えたのだろう。 ★最後にイギリス現地でのゴルフ接待の話を書き留めさせていただく。日本企業あるいは日本人の間のゴルフは盛んだったが、青目(白人)との接待ゴルフはほとんどなかった。 ★欧米人のサラリーマンの週末は、専ら庭木や芝生の管理に追われているようで、日本人のような週末ゴルフは、あまり盛んではないようである。イギリス人たちからは、「週末によくぞゴルフなんかをする時間があるものだ」という目で見られていた。 ★社宅として借りた家には、テニス・コート2面くらい取れる広い芝生の庭があったが、週末の夕方ゴルフから帰って、芝刈りでもしようものなら、近所の家々からすぐにクレームがついた。庭で楽しい食事とか、コヒータイムに、大きな音を出して芝刈りとは何事か、という訳である。 ★さりとて平日の日中に家内に芝刈りでもさせようものなら、「日本人は女性に芝刈りまでさせる」と見られ、対応に大変苦労したのである。 ★シティで外国の金融機関の人たちとの昼食や夜食の機会や夜のパーティーは、結構多かったが、食事中やパーティーで、日本人のようにゴルフが話題になることは、ほとんどなかった。イギリス人だと、ゴルフの話題はOKであるが、ドイツ人のようにサッカー中心の国の金融機関の連中との会話でゴルフを話題にすると変な顔をされた。 ★イギリスの上流社会では、クリケットが盛んだが、ルールが複雑で、いまでも分からないところが多い。会食時に話かけられると、コース料理のときは特に食が進まず苦労したが、先方にルールを説明させ、その間に急いで料理を口に入れたものである。こちらはほんとにルールを知らないので、相手の一生懸命の説明にも罪悪感はなかった。 ★イギリス人のサラリーマンは、退社後は一目散で帰宅するのが普通であり、日本人のように帰りに一杯などということはないようである。交通ストでホテル宿泊ができるとなると、彼らは奥さんからの開放感からか大喜び。そんな連中をよくウエストエンドにある日系のナイトクラブに案内したものである。 ★シティのトップ金融マンは、ジョークの好きな人が多く、いろいろな形での夜のディナーの席で、早く退席したいときには、一言ジョークを発して去る習性があり、これを受けるこちらとしては、大変苦労した。まさか日本の落語の落ちが相手に通じるはずもなく、会席での英語のジョークには参った。 ★いまG20が終わったところであるが、イギリス首相のゆっくりとしたスピーチの方が、オバマ大統領の米語より、懐かしく親しみがあり、かつ聴取しやすいのである。 *「イギリス」編の執筆の打ち合わせの際、私が英国駐在中のエピソードとして、同国の人間味のある社会保障制度のことを管理人の松谷氏にお話したところ、「日本の年金行政の杜撰さとは、雲泥の差の話。[いなほ随想]に別稿でぜひ書いてほしい」とのお勧めをいただきました。我が国の年金制度を考える上で、少しでもお役に立てるなら、と「いなほ随想」(第2集)に「イギリス公務員の公僕精神と大らかな社会保障制度〜ロンドン駐在3年の私にも年金をくれる懐の深さ〜」のタイトルで登載させていただきました。お読みいただければ、幸いです。(アンダーラインの文字をクリックするとページが開きます。)
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♪BGM:Chopin[Nocturne5]arranged by Pian♪ |
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