いなほ随想
特   集

西国三十三観音巡礼記

滝沢公夫(30法)
文・写真

西国三十三観音霊場配置図(京都府内の15〜21番札所を除く)
wikipediaから転借


[第10番札所 三室戸寺]
三室戸寺
wikipediaより転借

木と花の寺 第十番[三室戸寺]
(山号)明星山  (宗派)本山修験宗 (本尊)千手観音
(所在地)京都府宇治市菟道滋賀谷21
(巡礼歌)夜もすがら月を三室戸わけゆけば 宇治の川瀬に立つは白波

★三室戸寺は、京阪宇治駅から、平等院と反対方向へ20分ほどのところにあります。平等院へは、大阪勤務当時何回か来たことがありましたが、三室戸寺へは初めてでした。一回目に来た時は、宇治橋が改修工事中で雑踏していましたが、二回目の時は立派に完成して、あたりの整備も進んでいました。

★宇治橋は、大化三年(642)奈良の元興寺の道登によって架けられたといわれますが、現在はコンクリートで、当時そっくりに造られています。宇治川の流れは速く美しく、平安当時貴族の行楽地となっていて、また、源氏物語の舞台となっているのも肯けるところです。

★平等院と反対方向へ少し進み、右折しますと、各種の樹木が美しく茂った地域に入り、また、一回目の時に栽培していた花菖蒲が、二回目の時には立派に花を咲かせていて、素晴らしい景観です。更に進み石段を登りますと、正面に堂々たる本堂が現れます。一帯は広々とした庭になっていて、気持ちが良かったです。

枯山水庭園
池泉回遊式庭園
写真はいずれも三室戸寺の案内パンフレットから転借

★この寺は、宝亀元年(770)、光仁天皇が、宇治川で千手観音を拾い上げ、これを離宮に安置して、奈良大安寺の行表禅師を迎え、御室戸の寺号を与えたのが始まりといわれます。その後、光仁、花山、白河の三帝の離宮となったため、三室戸寺と称されることになりました。従いまして、皇室との関係は深く、伽藍の整備も進められてきましたが、火災のため、現在の本堂は文化11年の再建です。

★寺域は全体にゆったりとしていて、しばらく寛ぐことができます。本堂は巨大なもので、寺格が感じられます。右手には三重塔があり、景観を整えています。建築物と樹木と花の見事な調和、それに宇治川の清流という取り合わせは最高です。合掌したあとは、長らく景観を眺め、しばらく雰囲気に浸っていました。





[第11番札所 上醍醐寺
上醍醐寺仁王門(西大門) 五重塔
wikipediaより転借 wikipediaより転借

秀吉の花見で有名 第十一番[上醍醐寺]
(山号)深雪山宗派)真言宗醍醐派 (本尊)准てい観音
(所在地)京都市伏見区醍醐町醍醐山1
(巡礼歌)逆縁ももらさで救ふ願なれば 准てい堂は頼母しきかな

★上醍醐寺は、四番の槙尾山よりも更に険しい急坂を登る難所です。当初五つの門跡がありましたが、足利氏により、山下の三宝院に主力が移ったようです。二百あまり持っていた伽藍は、文明二年(1470)の火災で五重塔だけが残りましたが、豊臣秀吉による復興で、当時の壮麗な雰囲気を味わうことができます。

金堂(国宝) 三宝院
wikipediaより転借

★五重塔や三宝院のある下醍醐から登り始めます。途中には丁の表示石が二十あり、これを見ていけば、残りの距離が分かり力づけられるのです。秀吉が醍醐の花見をした平らな場所や、小さな滝を見ながらゆっくりと進みます。

登山口 豊太閤花見跡

★一時間ほどで山上に着きました。ここには、傾斜を利用して多くの堂が散在しています。客殿、清滝堂拝殿、醍醐水清泉を通っていきますと、本尊の安置されている准てい)観音堂に着きました。汗を拭きながら合掌。達成感で一杯になりました。

准胝堂(08.8.24.焼失) 准胝堂(08.8.24.焼失)
wikipediaより転借

★更に上に進みますと、薬師堂、如意輪堂を経て開山堂に達します。ここが山頂になっており、景観は本当に素晴らしいです。ここで休憩し、下山開始。醍醐水を飲みながらゆっくりと下ります。二回目に来た時は、丁度桜の満開の時期でしたので、三宝院や五重塔付近で、ゆったりと花見を楽しみました。それにしても、国宝の五重塔は、バランスの良さでわが国の五指に入る素晴らしいもので、いつ見ても感動的です。

開山堂と如意輪堂(奥) 山上からの眺望
wikipediaより転借




[第12番札所 岩間寺

不便な山上の寺 第十二番[岩間寺]
(山号)岩間山 正法寺 (宗派)真言宗醍醐派 (本尊)千手観音
(所在地)大津市石山内畑町82
(巡礼歌)水上はいづくなるらん岩間寺 岸打つ波は松風の音
岩間寺入り口の案内板

★岩間寺は、上醍醐から山上の道を二時間ほどの徒歩で行くことができますが、私は京阪石山寺駅経由で訪れました。一回目の時は、丁度縁日の日で寺前までバスがありましたが、二回目の時は、石山寺駅から二時間ばかり歩く羽目になりました。次第に坂が急になり、汗が噴出してきます。そういえば、本尊は「汗かき観音」とも呼ばれているそうです。

★養老六年(722)、泰澄大師がここを霊地と定め、桂の木で刻んだ観音を安置したところ、落雷で焼けてしまったため、大師は雷を縛り上げ、災害を除去することを誓わせた、という伝説があるそうです。毎年四月十七日には雷神祭が開催されています。

岩間寺本堂

★本堂は寛永年間に修理したそうですが、西国としてはかなり貧弱で、一寸がっかりさせられました。寺域には句碑等もあり、極めて静寂な雰囲気です。しばらく休憩して、長い下山の道を歩きはじめました。





[第13番札所 石山寺
石山寺東大門

紫式部で有名 第十三番[石山寺]
(山号)石光山 (宗派)真言宗東寺派 (本尊)如意輪観音
(所在地)大津市石山寺1-1-1
(巡礼歌)後の世を願ふ心はかろくとも 仏の誓ひ重き石山

★石山寺は、現在ではツアーに取り込まれた観光寺院と化し、常時雑踏を極めています。過去何回も訪れ、細部まで知り尽くした感もあります。「石山寺縁起」によりますと、良弁僧正が聖武天皇の命により、東大寺の大仏に使う金を得るべく、この地に如意輪観音を安置したところ、陸奥の地で金が産出されたといわれています。良弁僧正がこの寺を建立したのは天平宝字五年(761)頃で、当時はかなり閑散とした土地であったとのことです。

★京阪電車石山寺駅から徒歩10分で、東大門に着きます。この門は、源頼朝が建久元年(1190)に再建したものといわれます。入るとすぐに硅灰岩が露出しており、早くも石山の風情です。

天然記念物の石山

★石段を登りますと、左手に国宝の本堂があります。舞台造りになっていて、大変豪壮。内部は幽邃で、本尊前立ちの如意輪観音が、親しみを込めて迎えてくれます。

石山寺本堂 本堂
wikipediaより転借

★本堂の右手に「源氏の間」があり、紫式部の人形が飾られています。源氏物語の構想を練った様子が偲ばれます。本堂から出て更に石段を登りますと、権現堂、経蔵を経て多宝塔に達します。この塔は、現存する最古の和様で、形の美しさはずば抜けています。さすがに国宝です。

紫式部像 多宝塔
wikipediaより転借

★この塔の先には、月見亭や芭蕉堂があり、しばらくたたずみ、あたりの雰囲気を味わいました。更に奥に進みますと、新しく造成された花壇や彫刻等が散在していますが、この寺には余りふさわしくないように思われます。





[第14番札所 三井寺(園城寺)
三井寺金堂(国宝) 金堂
wikipediaより転借

延暦寺に対抗した寺 第十四番[三井寺(園城寺)]
(山号)長等山 (宗派)天台寺門宗 (本尊)如意輪観音
(所在地)大津市園城寺町246
(巡礼歌)いで入るや波間の月を三井寺の 鐘のひびきにあくる湖

★三井寺は、京阪電車三井寺駅から徒歩10分ばかりのところにあり、過去にも何回か訪れました。山腹に諸堂が散在しているのを眺めながら、疎水に沿ったなだらかな道を登ると石段があり、この上に元禄二年(1689)再建の観音堂が現れます。

★智証大師が貞観五年(863)、如意輪観音を安置したのがこの寺の始まりといわれます。その後、後三条天皇が延久四年(1072)、山の奥に堂宇を建立して如意輪観音を本尊としましたが、不便なため文明十三年(1481)に現在地に移転したとのことです。

★観音堂に入りますと、珍しい絵馬に目を奪われます。観音堂再建の様子を描いたものです。更に、観月台からは琵琶湖の美しい風景が望め、大津の街も一望のもとにあり、また、比叡の山々も指呼のうちにあります。

観音堂からの眺望

★近江八景のひとつ、「三井の晩鐘」で有名な名鐘は、観音堂から五分ほどのところ、金堂脇にあります。寺域はかなり広大で、毘沙門堂、一切経蔵、三重塔などを拝観しながら進みますと、井戸に出ます。この井戸は、天智、天武、持統の各天皇の産湯に使われ、御井から三井に転じて、寺名になったといわれます。

三井の晩鐘

★また、天武天皇から園城寺の勅額を受けましたが、その後、延暦寺に対抗する寺門派を形成し、幾多の抗争、兵火を経ましたが、時々の為政者の庇護もあって、力強く生き延び、発展してきたものといえましょう。(続く)


♪BGM:Chopin[Nocturne2]arranged by Pian♪
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