いなほ随想
特  集

仏塔巡り歩る記



滝沢公夫(30法)


<第2集>


連載第13回

[仏塔巡りの楽しみ]


[茨城県編]

★今回から茨城県に入る。新しい仏塔も多いが、古塔を中心に紹介したい。

◆最古で美しい名塔[小山寺(富谷観音)・三重塔(国指定重文)](西茨城郡岩瀬町富谷)


★ここはJR岩瀬駅からかなり山に入るので、タクシーを利用するほうが良い。石材業者の密集している山の中腹にある。参道の急な石段を登ると立派な仁王門があり、素晴らしい本堂の前を左手に行くと仏塔に至る。最も奥に位置している。

小山寺・参道

★仏塔は室町時代の建立で、三重塔としては関東以北で最古と言われる。本当に美しく、バランスの取れた名塔だ。屋根は杉板葺きで、反りの具合も良く、相輪も堂々としている。あたりは自然公園となっていて、雰囲気は最高で、よくこのような山中に名塔があるものよと感動で一杯だ。この三重塔は、旧国宝で現在は国指定重要文化財となっている。

小山寺・三重塔

★寺は奈良時代、行基菩薩の開基になるもので、本物の古刹といえよう。古来、開運の寺として、多くの庶民の信仰を集めてきたのも大いに肯ける。素晴らしい感慨を胸に下山した。


◆椎の群生地の仏塔[薬王院(椎尾薬師)・三重塔(県指定重文)](真壁郡真壁町南椎尾)

★この仏塔は小山寺近くにあり、大変不便なのでタクシーを利用するほうが良い。全山を覆う椎の巨木の中、急な石段を登ると仁王門に達する。仏塔は本堂左手の一番奥に、大きく美しく鎮座していた。江戸時代中期の建立で、この時代の特徴である龍等数々の彫刻により素晴らしいものとなっている。高さは25メートルほど、銅板葺きで、周囲の椎の林と良くマッチしている。庭園や池も配置されている。

三重塔の初層の門
薬王院・三重塔

薬王院は平安時代初期の開基で、由緒ある古刹だ。病気平癒を祈願する参詣者は常に多い。交通は不便ながら、わざわざ参詣する甲斐のある寺だ。爽やかでほのぼのとした気分で帰途についた。


◆装飾の素晴らしい仏塔[願成寺(板橋不動)・三重塔(県指定重文)](筑波郡伊奈町板橋1370)


★JR取手駅から谷田部行きバスで不動尊前下車、すぐだ。素晴らしい楼門を入ると、右側に仏塔がある。一目見て驚くのは、仏塔全体が華麗な彫刻で満たされている点だ。一部だけでなく、外部構造物全部が彫刻で埋まっているという感じ。

願成寺・山門

★江戸時代中期の建立で、この時代の建築様式が過剰に表現されている。高さは25メートル程度で、案外大きく堂々たるものだ。寺は平安時代初期の開基で、この地では不動信仰のメッカとなっているようだ。ちなみに北関東36不動尊霊場の結願寺となっている。

願成寺・三重塔
三重塔の軒下の装飾

★それにしても、特徴ある仏塔だ。立ち去り難い思いで帰途についた。


連載第14回

[仏塔巡りの楽しみ]

[茨城県編]続き


◆坂東33観音霊場24番[楽法寺(雨引観音)・多宝塔(県指定重文)](真壁郡大和村本木1)

★JR岩瀬駅からタクシーで行く。ここは筑波連峰の端の中腹にあり、便利は悪い。長い石段を息を切らせて登って行くと、仁王門に達する。境内は広大で、華麗な各種の堂塔に眼を奪われる。仏塔は一番奥の中央にあり、高さが25メートルと大塔に匹敵する豪壮さだ。

楽法寺(雨引観音)・多宝塔

★江戸時代後期の建立ながら、派手さはなく、彫刻等も抑えられている。本体の木組みは、なかなか工夫が凝らされているようだ。相輪も多層塔並みの立派なもの。

★この寺は、飛鳥時代の開基で、その後平安時代に、天皇が降雨祈願をしたところ雨が降り、雨引山としたという。その後度々の火災で復旧を重ねたが、鎌倉、室町、江戸の各幕府の支援を得て、堂々たる古寺として発展したものらしい。現在も坂東33観音霊場として、多くの信者を集めている。

★楽法寺の仏塔は威容を誇っており、わざわざ山道を登って参詣する甲斐があるというものだ。


◆修理の終わった古塔[来迎院・多宝塔(県指定重文)](龍ヶ崎市馴馬町2362)


★関東鉄道龍ヶ崎駅から徒歩20分くらいのところにある。境内は殺風景で、とても文化財がある寺のようには見えない。仏塔は境内のすぐ右手にあり、私が行った時は、各所がぼろぼろで今にも崩れそうであった。高さは12メートルと比較的小型で、本体の構造は一応整っている。室町時代、江戸崎城主により建立されたもので、歴史は十分だ。寺は平安時代の開基と言われるが、詳細は不明。

来迎院・多宝塔(改修前の姿)

★その後、平成13年に仏塔全体の改修工事が行われ、現在では屋根、本体、相輪が美しく蘇り、素晴らしい仏塔になったとのことだ。残念ながら私は行ってないが、出来れば再訪したい古塔のひとつである。

★以上で茨城県を終わり、栃木・群馬県に移りたいが、ここで紹介できなかった仏塔の一覧を掲げておきたい。

[茨城県の仏塔](既に取り上げたものを除く)

<五重塔・三重塔・多宝塔・宝塔>

寺    名 所  在  地
1.法鷲院・五重塔  多賀郡十王町友部
2.鳳台院・五重塔  笠間市箱田2416
3.村松虚空蔵堂・三重塔  那珂郡東海村村松8

4.護国寺・三重塔  

東茨城郡大洗町磯浜

5.村松虚空蔵堂・多宝塔 那珂郡東海村村松8
6.法円寺・多宝塔  筑波郡伊奈町長渡呂新田43
7.神崎寺・多宝塔

水戸市天王町8−17

8.久昌寺義公廟・宝塔     常陸太田市新宿町239



連載第15回

[仏塔巡りの楽しみ]

[栃木県編]

◆観光客のひしめく仏塔[日光東照宮・五重塔(国指定重文)](栃木県日光市山内2301)


★日光山内は、常時観光客や参詣者、特に団体客で賑わっている。この中央の広場に仏塔が鎮座している。表門の外にあるため、入場料1,250円を必要としない点は大助かりだ。

神橋

★仏塔はもともと江戸時代初期の建立であったが、火災のため江戸後期に再建されたものという。そのため、各部分の極彩色の装飾は入念で、彫刻もある。ただ、本体は全体に細長く、屋根の逓減も少ない。そのため、仏塔の形は余り良いとは言えないだろう。相輪も小さめだ。

日光東照宮・五重塔
五重塔初層の軒下

★もともと仏塔は地震や台風に強いが、この仏塔は大きな心柱が四層から釣り下がり、礎石の上で浮いており、更に周囲に竹製のバネが付けられているという。そのため、特に耐震、耐風性能に優れたものになっているようだ。

★日光東照宮は、江戸初期、家康の霊を祀るため創建されたが、三代・家光の時に改築され、これが現在に残っているものだ。日光山内の文化財は数限りないが、これらは、所謂二社一寺といわれる東照宮、二荒山神社、輪王寺によって共同管理されている。

★山内に見所は数多く、近くに国指定重文の四本龍寺・三重塔等もあり、ゆっくりと一日過ごしたい所だ。




◆甲冑武者のような仏塔[西明寺・三重塔(国指定重文)](栃木県芳賀郡益子町益子50)


★益子駅から、当地特産の益子焼の窯元や物産店を眺めながらしばらく行くと、益子の町を見下ろす山の中腹に至る。ここから石段を登って行くと、巨大な楼門に突き当たる。この手前の左手に仏塔がある。

西明寺・三重塔

★仏塔は銅板葺きで、軒の出が深く、勾配が急。また軒先が跳ね上がっている。大変特色のある仏塔で、重く堅苦しい感じだ。武者が鎧・兜を着て立っているようだ。西明寺の仏塔は室町時代の建立で、全体に和様、唐様が折衷されているといわれる。本体の細かい点は良く工夫されているようだ。高さは約20メートル。

★寺は奈良時代、行基菩薩の開基といわれ、この地方の古刹だ。坂東33観音霊場20番として、多くの信仰を集め、益子焼巡りと兼ねて訪れる人も多い。境内は、国指定重文となっている楼門をはじめとして文化財の宝庫となっている。それにしても、仏塔が楼門の外にあるのは異例で、これも仏塔を寺のシンボルとして、最も目立つ所に建てた例と言えよう。益子焼巡りと併せ、一日ゆったりと過ごしたい所だ。




◆彫刻が素晴らしい[高勝寺・三重塔(県指定重文)](栃木県下都賀郡岩舟町静3)

★両毛線岩舟駅から徒歩20分ばかり、急な石段600段を登って行くと、急に大きな蛇が飛び出してきて、思わず悲鳴とともに逃げ腰になったら、蛇は藪の中に姿を消して一段落となった思い出がある。石段を登りきると大展望となる。頂上は余り広くない境内となっていて、本堂等若干の建築物はあるが大したものは無い。その中で、仏塔は左側奥に鎮座し、大変目立つ。

長い石段 高勝寺・三重塔
三重塔初層の華麗な彫刻

★高勝寺の三重塔は朱塗りで美しく、本体のいたるところに立体的な彫刻が施されている。江戸時代後期の建立で、時代の特色が良く現れている美塔だ。

★寺は奈良時代の開基で、途中盛衰を繰り返しながらも、徳川幕府の支援もあって当地随一の霊場となったようだ。石段から振り返りながら、仏塔をあとにした。
 
 

連載第16回

[仏塔巡りの楽しみ]

[栃木県編]続き

◆木造の多宝塔で日本最大[鑁阿(ばんな)寺・多宝塔(県指定重文)](栃木県足利市家富町2200)

★JR足利駅または東武足利市駅からほど近く、街の中心に位置している。土塁と堀を越える情緒ある太鼓橋を渡ると、広大な境内に足を踏み入れる。街中の市民憩いの場だ。

鑁阿寺の仏塔は、本堂の左手の最も目立つ場所にある。銅板葺きで、本体にはところどころに彫刻もみられ、相輪は本格的だ。高さ20メートル余り、一辺7メートルと大変大型で、木造の多宝塔では日本最大といわれる。

鑁阿寺・多宝塔

★江戸時代の元禄年間に再建された仏塔だが、これは五代将軍綱吉の母、桂昌院が祖先の供養のためにしたものという。また、寺は平安時代、足利義兼の開基で、以降足利時代も通して、足利氏の氏寺として安定した基盤を維持して来たとのことだ。

本堂 足利学校・校門

★広大な境内には、本堂、鐘楼等の国指定重文のほか、山門、太鼓橋等の県指定重文もあり、関東屈指の古刹のひとつだ。また、隣地には、日本最古の学校「足利学校」もあり、一日十分楽しむことが出来る。



[群馬県編]


◆榛名湖近くの神社にある仏塔[榛名神社・三重塔](群馬県群馬郡榛名町榛名山849)


★榛名湖畔の土産物店の付近から鳥居と山門を潜ると、まさに鬱蒼とした杉の大森林に入る。神仏習合のこの参道をうねうねとしばらく行くと、木立の間から仏塔が顔を見せてくる。仏塔は狭い敷地に一杯に建っているが、比較的小さく、高さは15メートル程度。屋根は銅板葺きで、本体の一部には僅かな彫刻が見られる。相輪は簡単だ。もともと江戸初期の建立とみられ、明治2年に再建されたもののようだ。

榛名神社・三重塔

★参道の奥には立派な彫刻のある本殿があり、境内の巨木や奇岩と相俟って、榛名山信仰の力強さが感じられる。榛名神社は奈良時代以前の創建で、上野国六の宮として尊崇されたという。明治時代には県社に指定されている。境内に居ると、本当に心が洗われるようだ。

榛名神社・参道 榛名湖

★榛名神社を後にし、近くの榛名湖や伊香保温泉で楽しみながら俗塵に戻った。

★以上で栃木・群馬県編を終わるが、紹介出来なかった仏塔を次に掲げておく。


[栃木県・群馬県の仏塔](既に取り上げたものを除く)

<五重塔・三重塔・二重塔・多宝塔・宝塔>
寺社名 所在地
1.四本龍寺・三重塔  

栃木県日光市山内2383

2.長泉寺・三重塔  

栃木県那須郡小川町白久

3.栗原邸・五重塔  

群馬県新田郡尾島町出塚482

4.柳沢寺・五重塔    群馬県北群馬郡榛東村山小田2535
5.水沢寺・二重塔  群馬県北群馬郡伊香保町水沢214
6.泉蔵寺・多宝塔

群馬県前橋市小屋原町893

7.光泉寺・宝塔 

群馬県吾妻郡草津町446



連載第17回

[仏塔巡りの楽しみ]

[甲信越編]

◆「心頭滅却すれば――」で名高い[恵林寺・三重塔](山梨県塩山市小屋敷2280)

★JR塩山駅からバスに乗車、恵林寺で下車する。四脚門から入ると、境内は良く手入れが行き届き、大変気持ちが良い。

★仏塔は本堂の左手にあり、初層が大きいが、全体としては小さくまとまっている。ただ、本体各面とも白壁となっているのが、やや奇異な感じを受ける。軒下の組物は単純な一手先となっている。昭和48年の建立で新しいが、全体が木造である点は好感が持てる。

恵林寺・三重塔

★恵林寺は、鎌倉時代に夢窓国師によって開基され、以降著名な名僧に受け継がれてきた。特に武田信玄の頃には大変な帰依を受け、大いに発展した。ところが、信玄亡きあと信長によって焼き討ちされ、時の快川和尚は全僧侶とともに山門楼上で焼殺されたという。和尚の最後の言葉「心頭滅却すれば火も自ずと涼し」は今も有名だ。

恵林寺・四脚門

★その後、家康によって再建され、現在まで甲斐の名刹として隆盛を誇っている。庭園も枯山水、池泉回遊式となっていて、大変見事なものだ。ここは常時混雑するが、歴史を偲び堂塔・庭園を鑑賞するには本当に素晴らしい寺で、仏塔もこれに花を添えていると言えよう




◆花の美しい里の新しい仏塔[定林寺・五重塔](山梨県東八代郡八代町南原747)

★甲府駅からバスに乗車、八代四つ角で下車するとすぐだ。近くに町役場もあり、この地区の中心地となっている。ここ一帯は桃や桜等の花の里となっており、四季それぞれに観光客は多いようだ。境内に入ると、信者が奉仕で丁寧に清掃や草花の手入れに精を出しており、しばらく気軽に話しをする。本当にほのぼのとする人達だ。

定林寺・山門

★仏塔は入って左手にあり、各層は適当な逓減で、全体の形は比較的安定している。鉄骨造りながら木造仕上げとなっている。特徴としては、江戸時代に徳川家の祈願寺となったため、唐戸に葵の紋章が付けられている点だ。昭和55年に日蓮聖人ご遠忌を記念して建立された、新しい仏塔である。

定林寺・五重塔

★定林寺は、鎌倉時代の日蓮聖人の開基によるものと言われ、当地の古刹だ。山門は町指定重文となっており、境内の樹木は天然記念物だという。桃源郷にこのような寺と仏塔があることは、素晴らしい。




◆「見返りの塔」として有名[大法寺・三重塔(国宝)](長野県小県郡青木村当郷2052)

★上田駅からバスで当郷下車、すぐだ。三重塔のあたり一面、緩やかな丘になっており、仏塔は中腹になんとも美しい姿でたたずんでいる。

★初層が大きくなっており、安定性がある。装飾等は一切なく、素朴で美しい形態だ。「見返りの塔」と一般的に称される理由が、良く分かる気がする。立ち去りがたく何回も振り返って見る、とは良く言ったものだ。

大法寺・三重塔 大法寺・三重塔を望む

★大法寺の仏塔は鎌倉時代の建立で、国宝となっており、当地の誇るべき文化財だ。高さは18メートルばかりで、余り高くはない。見る方角によって色々な姿に変わって見え、写真家の格好の題材となっているようだ。

丘上から三重塔を望む

★大法寺は奈良時代、藤原鎌足の子である僧侶により開基されたという。信州の田舎である当地としては、稀に見る古刹と言えよう。寺には、重文である十一面観音像もあり、ゆっくり過ごすのが良い。何回も振り返りながら、仏塔を後にした。



連載第18回

[仏塔巡りの楽しみ]

[甲信越編続き]

◆唯一の木造八角仏塔[安楽寺・三重塔(国宝)](長野県上田市別所温泉1600)

★長野新幹線上田駅から上田電鉄に乗り換え、のんびりと田園風景を眺めながら30分ばかり、終点の別所温泉駅に着く。構内には、昔走っていた「ちんちん電車」も置かれており、情緒深い。ここは県内屈指の温泉地であり、また「信州の鎌倉」といわれるほど文化財の多い場所だ。

★安楽寺の仏塔は、駅から10分程度のところにある。山門を入り本堂の左側を進むと、やや丘になったところの墓地の中に悠然と建っている。一見して、「国宝シリーズ」の切手の図案に取り上げられていることを思い出す。

安楽寺・三重塔

★とにかく異様な八角の仏塔だ。柿葺きの屋根の反りが強く、軒裏の垂木は扇のように広がっている。これを唐様と言うそうだ。また、初層の屋根の下に更に屋根があり、一寸みると四重塔のようにもみえるが、これは裳階(もこし)と言って、初層を守るための下屋のような構造だ。高さは20メートル弱で、相輪は極めて巨大に見える。

三重塔の初層・裳階部分

★建立は室町時代初期のようで、国宝に指定されている。また寺は、鎌倉時代の開基で臨済宗であったが、その後同じ禅宗ながら曹洞宗に変わっている。

★この地は、本当に温泉も仏閣等の文化財も優れており、年間通して観光客は多い。ゆったりと一日歩き回るには最適だ。



◆「未完の塔」といわれる[前山寺・三重塔(国指定重文)](長野県上田市前山1721)

★別所温泉からぶらぶら歩いても行けるが、タクシーを利用する方がいい。山門を潜ると左手に茅葺の本堂があり、この前を真っ直ぐに行き石段を上がると仏塔に突き当たる。

前山寺・三重塔 山を背にした三重塔

★実に変わった仏塔で、二層・三層には扉も窓もなく、また回縁も高欄もない。明らかに未完成のものとみられるが、これには、寺の大工がこれ以上細工をすると却って美しさが失われると、わざわざ未完にしたとの言い伝えもある。ただ、総体的に安定感があり、美しい仏塔だ。

★室町時代の建立で、国指定重文になっており、旧法では国宝になっていたとのことだ。高さは約20メートル。

★前山寺は奈良時代の開基で、その後数々の高僧により発展が図られて来たようだ。秋は境内の銀杏が特に美しく、その他の季節も、本堂で「くるみ餅」を戴きながら仏塔を見上げるひとときは格別だ。山門を出ると、「信濃デッサン館」があり、ゆったりと半日を過ごすことが出来る。



◆仏塔の現存している国分寺[信濃国分寺・三重塔(国指定重文)](長野県上田市国分1051)

★上田駅からバスで国分寺下車、すぐだ。国道からだらだら坂を行くと、山門もなく、いきなり境内に入る。仏塔は本堂の右手にあり、大変落ち着いて好感が持てる。銅板葺きの屋根は反りがやや強く、軒の出もやや深い。相輪はやや小さい。室町時代中期の建立で、国指定重文となっている。旧法では国宝だったとのことだ。

信濃国分寺・三重塔

★信濃寺は聖武天皇時代の開基で、平安時代に現在地に移転したものという。本堂は薬師堂ともいわれ、毎年1月8日の縁日には大変な人出となる。そのため、寺は八日堂とも呼ばれている。

信濃国分寺・本堂(八日堂)

★寺の近くに創建当時の寺跡がみつかり、史跡公園として整備されてきている。これらも見ながら、ぶらぶらするのも良いだろう。それにしても、国分寺で仏塔が現存しているのは、ほかに備中、豊前、飛騨、越後のみであり、この意味でもこの寺は貴重だ。
  



連載第19回

[仏塔巡りの楽しみ]

[甲信越編]続き


◆当地総社の仏塔[新海三社神社・三重塔(国指定重文)](長野県南佐久郡臼田町田口宮沢2394)

★小海線竜岡城駅から徒歩30分ばかりのところにあり、できれば自動車で行くほうが良い。途中、国の史跡である竜岡城址があるが、これは函館の五稜郭と並んで、ただ二つの洋式桔梗型の城だ。しばらくここで佇んでから進む。

★更に少し行くと、左側に神社の参道があり、自然に境内に導かれる。広大な境内は鬱蒼たる森林になっており、古い多くの社殿が散在している。

新海三社神社・三重塔

★仏塔は右手の一番奥の高台にあり、安定したバランスを保っている。塗り物は無く、桧皮葺で、高さは20メートル足らずのようだ。国指定重文で、旧法では国宝であったとのことだ。社務所には人影が無く、パンフレットだけが置いてある。

新海三社神社・三重塔

★この三重塔は、室町時代に神宮寺の中に建立され、明治の廃仏毀釈の際にも廃棄を免れたものという。また寺は、古代から佐久郡の総社として地元の尊崇を受けてきたものらしい。このような不便な地に素晴らしい文化財があり、脈々と信仰が受け継がれていることに深く感動した。



◆信濃33観音霊場結願寺[高山寺・三重塔(県指定重文)](長野県上水内郡小川村稲丘7119)

★長野からバスを乗り継いでも行けるが、出来れば自動車で行く方が良い。長野オリンピックの際に建設されたオリンピック道路から入って行く。間もなく仁王門に到達、ここで自動販売機にて参拝券を買う。このような辺鄙なところに自動販売機とは恐れ入った。

★仁王門から坂を登ると、今度は鐘楼門がある。とても珍しいことだ。やっと境内に出ると右手に仏塔がある。全体が素木で、やや荒れているように見える。高さは17メートルばかりとのことだが、初層の回縁がかなり小さい。また、屋根の大きさに比して、本体の軸が上層で極端に逓減しているので、何となく安定感に欠ける。

高山寺・三重塔

★仏塔は、鎌倉時代、頼朝により建立され、江戸時代初期に再建されたもののようだ。現在、県指定重文となっているが、指定は昭和60年と比較的新しい。

高山寺・三重塔

★高山寺は奈良時代の開基で歴史があり、本尊も三如来の三尊形式となっており、信濃33観音霊場の結願寺として多くの信者を集めているようだ。アクセスの不便な場所ではあるが、拝観できた充足感を胸に帰途についた。



◆塩の道の神社にある仏塔[若(にゃく一王子(いちおうじ神社・三重塔(県指定重文)](長野県大町市俵町2097)


★信濃大町は、新潟から長野へ塩を運ぶ「塩の道」の宿駅であったところで、古くから開けた地区だ。若一王子神社の仏塔は、大町駅から30分くらいのところにあり、タクシーを利用したほうが良い。

若一王子神社・三重塔

★老樹の生い茂った参道を行くと、すぐ右手に三重塔が聳えている。屋根の逓減は理想的で、大変安定感がある。高さは20メートルばかり、均整のとれた仏塔だ。★特徴的なのは、軒下の組物の下、扉や壁の上の部分に、人身獣面の十二支の彫刻があることで、このような例は殆ど無いようだ。

軒下の人身獣面・十二支の彫刻

★江戸時代後期の建立で、県指定重文となっている。また、神社は創建が古代に遡り、途中熊野から若一王子を勧請して現在の名称となったようだ。本殿は室町時代の建立で、国指定重文となっており、荘厳なものである。その他、十一面観音を本尊とする観音堂は、市指定重文となっており、仁科33観音霊場1番として地元の厚い信仰に支えられている。

★兎に角独特な神仏習合の神社の仏塔だ。
    


連載第20回

[仏塔巡りの楽しみ]

[甲信越編]続き

◆南信濃唯一の古塔[光前寺・三重塔(県指定重文)](長野県駒ヶ根市赤穂29)

★飯田線駒ヶ根駅からバスで光前寺前下車、すぐのところだ。参道は鬱蒼たる古木に覆われており、両脇の石垣の上には有名な「光り苔」が群生していて美しい。

光り苔

★境内は広大で、いかにも古刹の雰囲気だ。仏塔は一番奥の左手のやや高台にあり、大木の中に佇む姿は、なんとも安定していて美しい。高さは17メートルばかり、質素ながら若干の彫刻もある。室町時代の建立で、その後火災により江戸時代後期に再建されたものという。県の指定重文となっている。

光前寺・三重塔

★光前寺は平安時代初期の開基で、歴代勇将の帰依により発展し、特に徳川家からの支援は大したものであったようだ。しかしその間、信長の侵入があって堂塔は焼失し、当初のものとしては国指定重文の弁天堂のみとなっている。

茶室より庭園を望む

★庭園も見事で、枯山水と裏山を、お茶と菓子で眺めるひとときは最高だ。国の名勝となっているのも肯ける。半日をゆったり過ごしたい古刹だと思う。



◆諏訪氏の菩提寺[温泉寺・多宝塔](長野県諏訪市湯の脇1−21)

★諏訪駅から10分程度のところにある。この地域は古代から開けていたが、室町末期の高島城の構築が転機となっているようだ。急な坂を登って行くと、立派な白い塀を巡らした寺に着く。素晴らしい庭園に驚く。

★多宝塔は本堂の裏側の高台に鎮座しており、新しいながら安定感がある。昭和54年の建立とのことだ。世界平和と各種安全祈願のための仏塔だという。この中には、弘法大師の建立になる鉄塔が安置されているようで、これは市指定文化財となっている。

温泉寺・多宝塔

温泉寺は、江戸時代初期、諏訪藩主が菩提寺として建てたものという。仏塔の奥には、諏訪氏歴代の墓石が並んでおり、傍には、本当かどうか分からないが、和泉式部の墓といわれる五輪塔もある。

★境内には、由緒のある本堂や山門、それに県指定重文の梵鐘もあり、ゆっくりと楽しみたいものだ。

★これで一応甲信越編を終わり、東北・北海道編に移りたいが、ここで紹介出来なかった仏塔の一覧を記しておきたい。

[甲信越の仏塔一覧](既に取り上げたものを除く)

<五重塔・三重塔・二重塔・多宝塔・小塔>

[山梨県]

     寺         名        所    在    地  
1.新倉山・五重塔       富士吉田市新倉3620
2.長禅寺・五重塔、三重塔 甲府市愛宕町208
3.久遠寺・五重塔、多宝塔 南巨摩郡身延町身延3567
4.円通寺・三重塔  都留市中央3−5−1
5.妙善寺・多宝塔   中巨摩郡白根町飯野3427

[長野県]

   寺    社    名         所    在    地    
1.真楽寺・三重塔    北佐久郡御代田町塩野142
2.貞祥寺・三重塔 佐久市前山1380
3.善光寺・三重塔、多宝塔 長野市元善町491
4.蟹澤邸・三重塔  伊那市手良澤岡952
5.照光寺・二重塔   岡谷市本町2−6−43
6.天正寺・三重小塔  大町市北原町4729
7.諏訪大社下社・五重小塔  諏訪市中洲宮山1
8.遠照寺・多宝小塔  伊那市山室2010

[新潟県]

    寺     社     名         所     在     地    
1.酒呑童子神社・五重塔 西蒲原郡分水町国上8721
2.妙宣寺・ 五重塔  佐渡市真野町阿佛房
3.乙宝寺・三重塔   北蒲原郡中条町乙1112
4.越後国分寺・三重塔  上越市五智3−20−21
5.妙光寺・三重塔    西蒲原郡巻町角田浜
6.本成寺・二重塔   三条市西本成寺1−1−20
7.長谷寺・多宝塔    佐渡市畑野町長谷13


次回[東北・北海道編]からは、右のアイコンをクリックしてご覧ください。 第3集(連載21回〜

♪BGM:Chopin[Nocturne 2]arranged by Pian♪
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