坂東三十三観音巡礼記

[その2]

滝沢公夫(30法)

坂東三十三箇所の一覧

山号 寺号 通称 本尊 宗派 所在地
12 華林山
かりんさん
慈恩寺
じおんじ
慈恩寺観音 千手観世音菩薩 天台宗 埼玉県さいたま市
13 金龍山
きんりゅうざん
浅草寺
せんそうじ
浅草観音 聖観世音菩薩 聖観音宗 東京都台東区
14 瑞応山
ずいおうさん
弘明寺
ぐみょうじ
弘明寺観音 十一面観世音菩薩 高野山真言宗 神奈川県横浜市
15 白岩山
しらいわさん
長谷寺
ちょうこくじ
白岩観音 十一面観世音菩薩 金峯山修験本宗 群馬県高崎市
16 五徳山
ごとくさん
水澤寺
みずさわでら
水澤観音 千手観世音菩薩 天台宗 群馬県渋川市
17 出流山
いずるさん
満願寺
まんがんじ
出流観音 千手観世音菩薩 真言宗智山派 栃木県栃木市
18 日光山
にっこうさん
中禅寺
ちゅうぜんじ
立木観音 千手観世音菩薩 天台宗 栃木県日光市
19 天開山
てんかいざん
大谷寺
おおやじ
大谷観音 千手観世音菩薩 天台宗 栃木県宇都宮市
20 獨鈷山
どっこさん
西明寺
さいみょうじ
益子観音 十一面観世音菩薩 真言宗豊山派 栃木県益子町
21 八溝山
やみぞさん
日輪寺
にちりんじ
八溝山観音 十一面観世音菩薩 天台宗 茨城県大子町
22 妙福山
みょうふくさん
佐竹寺
さたけじ
北向観音 十一面観世音菩薩 真言宗豊山派 茨城県常陸太田市

[第12番札所 慈恩寺]


十三重石塔で有名 [第十二番] 慈恩寺

(山号) 華林山 (宗派) 天台宗 (本尊) 千手観音

(所在地) 埼玉県岩槻市慈恩寺139

(巡礼歌) 慈恩寺へまゐるわが身もたのもしや うかぶ夏島をみるにつけても


★慈恩寺は、東武野田線の豊春駅から徒歩30分ほどのところにあります。広い境内に間口十間、奥行き九間という巨大な本堂です。この本堂は、天保十四年(1843)深乗上人により再建されたもので、坂東札所の中でも最も大規模なものの一つといえます。

慈恩寺本堂
坂東33観音寺HPから転借

★天長元年(824)慈覚大師・円仁が、日光で祈念してこの地を訪れますと、一夜で木が生い茂り花も咲いたので、千手観音を刻んで本尊としたといわれます。唐の長安にある大慈恩寺に似ていたため、慈恩寺と称しました。その後火災で本尊は焼失し、現在の本尊は江戸初期に天海僧正によって比叡山からもたらされたものだそうです。一時は六十あまりの宿坊があったといわれます。

★本堂から300メートルほどのところに、玄奘三蔵の遺骨を安置した十三重石塔があります。これは昭和十七年、中国で日本軍により発掘され、縁のあるこの寺に安置されていましたが、昭和二十五年有志により塔が建立されて納められたものです。やや高台にありますが、周辺の風景にマッチした素晴らしい塔だと思います。

★この寺は、すべて広大・静寂で、住職も巡礼者を座敷に招き入れて、親切に細かい説明をしてくれ、本当に心が温まります。


[第13番札所 浅草寺]


常時観光客で賑わう寺 [第十三番] 浅草寺

(山号) 金竜山 (宗派) 聖観音宗 (本尊) 聖観音

(所在地) 東京都台東区浅草2-3-1

(巡礼歌) ふかきとが今よりのちはよもあらじ 罪あさ草へいまる身なれば


★いよいよ東京に入りました。この地ほど幼時から頻繁に訪れているところはありません。戦前、千葉県松戸に住んでいた小学生時代、父親に連れられての芝居見物・浅草松屋での散髪・食事・隅田川花見等、本当に懐かしいところです。終戦間近かでは、上野駅ホームから見た焼け野原風景で、松屋だけがポツンと焼け残っていたことも鮮明に思い出されます。

★現在は、三社祭、鬼灯市、羽子板市、サンバカーニバル等各種行事が盛んで、つくばエクスプレスの開通もあって、一時の地盤沈下も解消され、外国人、若者をはじめ観光客の増加がみられるようです。

★地下鉄浅草駅からすぐ、風神・雷神のある雷門から入ります。仲見世の参道には各種商店が立ち並び、常時人波の絶えることはありません。本当に何でも安い庶民の町であり、その中心をなすのが観音様です。賑やかさに揉まれていますと、庶民信仰の力強さを感じます。

浅草寺雷門(雷神・左 風神・右) 浅草寺宝蔵門
浅草寺HPから転借

★阿吽の仁王が安置される宝蔵門を潜りますと、群集の詰め掛ける大香炉の煙の後ろに、間口34メートル、奥行き32メートルの堂々たる本堂が浮かびあがります。押されながら本堂の階段を登りますと、正面には金色に輝く須彌壇がみられます。階段上には、「施無畏」「十方来皆対面」「仏身円満無背相」の額、天井には川端竜子の「竜の図」、堂本印象の「天人の図」「散華の図」があり、庶民とともに歩んできた江戸最古の寺としての荘厳さとともに、現代的な息吹きも感じられます。

浅草寺本堂
浅草寺HPから転借

★浅草寺は、推古天皇の三十六年(628)、漁師の檜前浜成・竹成の兄弟が今の隅田川で網を下ろしていたところ、一体の聖観音が網にかかったため、何度も場所を変えて網を下ろしてもこの観音がかかるので、戸長の土師直中知にこのことを話したところ、功徳を授けてくれる尊像であることがわかり、観音像を安置したのがはじまりといわれます。

★この三人を祀ったのが三社権現(浅草神社)で、三社祭はここの祭りです。その後慈覚大師が来山して隆盛となり、源頼朝も帰依して造営を進め、更に徳川家の祈願所として次第に巨刹となりました。途中焼失と再建が繰り返されましたが、慶長二年(1649)に巨大な本堂となりました。しかし、戦災で焼失し、昭和三十三年に再建されたのが現在のものです。

三社権現(浅草神社)社殿
wikipediaから転借

★本堂の左手前には、五重塔が昭和四十八年に再建され、鉄筋コンクリート造りながら木造風の53メートルの堂々たるもので、境内の重要な建築物として、多くの巡礼者・観光客の関心を集めております。また、本堂左手奥の淡島堂宝塔も一見の価値があります。

伝法院(浅草寺本坊)と五重塔
浅草寺HPから転借

★なお、本坊である伝法院は、客殿・玄関・使者の間は安永六年(1777)の建築であり、また庭園は小堀遠州作といわれます。平素は入場できませんが、特定の日には開放されます。ここから見た五重塔は素晴らしく、池の眺めも最高です。ここが雑踏の浅草とは思われません。一見の価値があります。



[第14番札所 弘明寺]

駅近く商店街の寺 [第十四番] 弘明寺

(山号) 瑞応山 (宗派) 真言宗高野山派 (本尊) 十一面観音

(所在地) 横浜市南区弘明寺町267

(巡礼歌) ありがたや誓ひのうみをかたむけて そそぐめぐみにさむるほのやみ


★再び神奈川県に戻ります。弘明寺は、京浜急行弘明寺駅で下車、商店街を徒歩五分ほどのところにあります。仁王門を潜り、両側に石碑が並ぶ急な石段を登っていきますと、銅葺きの本堂に達します。

弘明寺本堂
弘明寺HPから転借

★戦災を免れた本堂は、寛徳元年(1044)光慧上人の建立で古色蒼然、薄暗い堂内には各種のお札が張り付いています。本尊は、欅造りの百八十センチの鉈彫りで、行基菩薩が彫刻して安置したものといわれます。内陣の壁には、金剛界・胎蔵界の曼荼羅が掲げられています。源頼朝以来、歴代武将の信仰が厚く、寺宝も保護されてきたようです。

聖天堂
弘明寺HPから転借

★最近では、聖天像とそれに関する秘宝にも関心が集まり、毎月三の日には、盛大な供養で拝観者がひしめきます。それにしても、駅に近い商店街の中に、このように庶民の篤い信仰心に支えられ、歴史を感じる寺が存在することは、本当に感動的です。


[第15番 長谷寺(白岩観音)]


不便な札所 [第十五番] 長谷寺(白岩観音)

(山号) 白岩山 (宗派) 天台宗寺門派 (本尊) 十一面観音

(所在地) 群馬県榛名町白岩448

(巡礼歌) たれも皆祈る心はしらいはの 初世の誓ひたのもしきかな


★ここから群馬県に入ります。長谷寺は、高崎線高崎駅から榛名行きバスに乗車、ドドメキ停下車、徒歩三十分というやや不便なところにあります。

★杉木立の中の仁王門を潜り、鐘楼の脇を行きますと、意外に堂々とした本堂が現れます。天正八年(1580)建立といわれる堂内は、さすがにそこはかとない霊気が漂い、安らかさも感じさせてくれます。

長谷寺本堂
坂東33観音HPから転借

★この寺は、聖武天皇の詔により、徳道上人が創建し、その後源義家・頼朝、新田義貞などによって堂宇の修理が行われましたが、永禄六年(1563)武田信玄の兵火によって焼失。山内大坊、世無道上人が再建したのが現在の本堂とのことです。

★本尊は、長谷寺系の二百三十センチの大像で、役の行者が柳の木に刻んだものという縁起があります。

★納経所は、道路を挟んだ別棟にあり、昔から農家が輪番で管理しているようです。札所としての整備は全く進んでいませんが、素朴な人々により、純粋に維持されているようでした。


[第16番札所 水沢寺(水沢観音)] 

堂塔が散在する観光寺院 [第十六番] 水沢寺(水沢観音)

(山号) 五徳山 (宗派) 天台宗 (本尊) 千手観音

(所在地) 群馬県伊香保町水沢214

(巡礼歌) たのみくる心も清き水沢の 深き願いを得るぞ嬉しき


★水沢寺は、高崎駅から伊香保行きのバスに乗車、水沢で下車しますが、できれば自家用車を利用するのが便利です。バス停から百段ばかりの石段を登っていきますと、華麗な仁王門に出ます。ここから更に少し登りますと、本堂、六角二重塔などがある広大な境内に出ます。

★大駐車場の前には新しい宝物殿があり、本堂の釈迦如来、寺務所、坂東札所のお砂踏み等が収容されて、かなり巨大な建物です。この付近には、各種の石碑が散在し、ゆったりと散策も楽しめます。

★本堂(観音堂)は極彩色の町指定文化財ですが、右手にある六角二重塔は六道輪廻思想を表現したもので、彫刻も素晴らしく、極めて珍しい様式を持つ県指定文化財です。この寺では最も優れた代表的な建築物であり、全国的にみても代表的な建物といえるでしょう。

水沢寺本堂(観音堂)
坂東33観音HPから転借

★寺の縁起によりますと、推古天皇の時代(600前後)、勅願により高麗の恵観僧正が開基したものですが、国司高野辺家成が娘の持仏により難を免れることができたため、堂宇を建立して本尊としたといわれます。歴代天皇の勅願寺として、また国司の菩提寺として大いに栄え、三十あまりの堂を有したこともありました。しかし、再三の火災で焼失し、大永年間(1521-27)に仮堂を建立、元禄・宝暦・天明年間(1688-1788)に改築したのが現在の本堂で、また、六角二重塔は元禄年間(1688-1703)の建立といわれます。

★大駐車場の前周辺には、「水沢の手打ちうどん」の店が立ち並び、多くの観光客・巡礼者をひきつけています。大変「こし」の強いうどんで、独特の食感と風味があります。伊香保温泉や榛名湖も近くにあり、ゆっくりと一日を過ごしたい寺です。


[第17番札所 満願寺(出流観音)]

石灰のある不便な地の巨刹 [第十七番] 満願寺(出流観音)

(山号) 出流山 (宗派) 真言宗智山派 (本尊) 千手観音

(所在地) 栃木県栃木市出流町288

(巡礼歌) ふるさとをはるばるここにたちいずる わがゆくすえはいずくなるらん

★ここから栃木県に入ります。満願寺は、両毛線栃木駅からバスで一時間ほどのところにあります。途中から、山も家も道路も一面に白い粉をかぶるようになり、石灰工場も見られて独特の雰囲気です。山の色が緑に変わると、バスの終点です。

★門を潜って境内に入り、少し行きますと薬師堂があり、左手の山腹には鉄筋五階建ての巨大な宿坊がそそり立っています。更に進みますと、奥の院から流れ出る清水の音が響き、八間四方の巨大な大御堂が現れます。

満願寺大御堂
坂東33観音HPから転借

★この大御堂は、応永年間(1394-1427)に足利義満が寄進し、寛保元年(1741)に焼失しましたが、道呆上人が明和元年(1764)再建したものといわれます。入母屋造り、唐破風つき、竜の彫刻で知られ、筑波山・興福寺とともに日本三御堂のひとつといわれて、徳川末期の代表建築のひとつです。この霊場を支える講組織の巨大さが、堂内の多くの納札で伺われます。

★本尊の千手観音は、弘仁十一年(820)弘法大師が彫刻・安置したものといわれ、神秘的な護摩の火は絶えることがありません。

★御堂の左手にある石造十三重塔のわきから、奥の院を目指します。かなり急な坂道なので、杖を借りました。聖天堂や鍾乳洞をすぎて少し登りますと、絶壁の山腹にある、舞台造りの奥の院鍾乳洞礼拝堂に出ます。流れ落ちる飛瀑を見ながら堂内に入りますと、鍾乳石でできた四メートルばかりの十一面観音があります。なんとも厳かなお姿で、ここまで苦労して登ってきた疲れも吹き飛んでしまいました。

★このような不便な地に、篤い信仰に支えられた素晴らしい寺があることを知り、充実した気分で下山することができました。



[第18番札所 中禅寺(立木観音)]

風光明媚な寺 [第十八番] 中禅寺(立木観音)

(山号) 補陀落山 (宗派) 天台宗 (本尊) 千手観音

(所在地) 栃木県日光市中禅寺歌ヶ浜2578

(巡礼歌) 中禅寺のぼりて拝むみずうみの うたの浜ぢにたつは白波


★東武日光線日光駅でバスに乗車、五十分ばかりで中禅寺湖畔に着きます。ここからの湖と男体山の山容は実に美しいです。ここから左手の道を湖に沿って、徒歩二十分ほどでこの寺に着きます。湖畔でも特に景観に優れた立地です。

中禅寺山門と中禅寺湖
wikipediaから転借

★山門前は大変広々としており、大駐車場や土産物店があります。山門から入りますと、正面に大黒天堂、左手に、総朱塗り銅葺きの観音堂があります。本尊の千手観音は、穏やかながら素朴な、五百四十センチの巨像です。当初立木に彫られたといいますが、素晴らしい仏だと思います。ここから、寺宝といわれる数々の品が展示されている宝物館を通り、土産物、縁起物を薦める僧侶の高い声を後にして、外に出ました。

中禅寺観音堂
坂東33観音HPから転借

★中禅寺は、下野国の勝道上人が男体山への登山を志し、延暦元年(782)大願を成就したため、二荒山神社を祀り、湖岸の桂の木に千手観音を刻んで、延暦三年(784)中禅寺を建てて本尊としたといわれます。

★しかし、明治三十五年の暴風雨で押し流され、大正二年に現在地に新築し、本尊を移遷したとのことです。山号の「補陀落」が「二荒」に転じ、更に「日光」になったといわれています。ここの本尊は素晴らしいですが、観光寺院と化してしまって、万事物を売りつけることに熱心で、不愉快な思いもします。外に出て、秀麗な男体山と美しい湖を眺めるのが最高です。



[第19番札所 大谷寺(大谷観音)]

大谷石の観音 [第十九番] 大谷寺(大谷観音)

(山号) 天開山 (宗派) 天台宗 (本尊) 千手観音

(所在地) 栃木県宇都宮市大谷1198

(巡礼歌) 名を聞くも恵み大谷の観世音 みちびき給へしるもしらぬも


★大谷寺は、宇都宮駅からバスに乗車して三十分ほど、大谷で下車して徒歩五分ほどのところにあります。途中、大谷石の家や塀等が目立ち、大谷石の産出地という雰囲気が高まってきます。

大谷寺山門
wikipediaより

★寺の前に、岩の崖に囲まれた巨大な平和観音があります。昭和二十六年、飛田朝次郎が永遠の平和を祈って彫刻したものといわれます。この前にあるトンネルを潜りますと、山門です。すぐに受付があり、便利なパンフレットをくれます。受付をすぎますと、岸壁に沿って木造の本堂があり、更に左手に鉄筋の脇堂があります。

本堂
坂東33観音HPより

★堂内に入りますと、弘法大師作という大谷石に浮き彫りした四百五十センチの千手観音が、灯明に照らし出されています。柔らかい大谷石のため、像容はかなり損じていますが、威光は失われていません。ここで、写真を撮っておこうとカメラを取り出したところ、スピーカーから「駄目だ」という厳しい声がかかり、仰天しました。防犯カメラで監視されているのがわかったのです.

★さて、本堂に続く脇堂には、釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊が並んでおり、本当に壮観です。昭和三十年代、現在のような鉄筋にする工事の際に、縄文時代の人骨等各種遺物が掘り出され、収蔵庫に展示されています。

★この寺は、江戸時代、慈眼大師の法弟・伝海が中興開山となり、その後日光輪王寺の末寺として、宇都宮城主奥平氏の帰依で広壮を極めましたが、たびたびの火災で寺宝はすべて焼失したといわれます。庫裏は文化十三年(1816)に輪王寺から移され、輪王寺宮も維新以前には度々立ち寄ったそうです。

★近くにある資料館では、大谷石掘り出し現場跡内部に入ることができます。内部は極めて広大で、音楽会等も開かれているようです。ただ、その後近くで崩落事故があって、要注意の場所となっています。ただ、巡礼者よりも観光客のほうが断然多く、みやげ物店やヘルスセンターへの人の流れは多い。

★総体的に、素晴らしい本尊を有し、その他の文化財も多い優れた札所だと思います。巡礼者への親切な対応があれば申し分ないでしょう。



[第20番札所 西明寺]


益子焼の里の観音 [第二十番] 西明寺

(山号) 独鈷山 (宗派) 真言宗豊山派 (本尊) 十一面観音

(所在地) 栃木県益子町益子4469

(巡礼歌) 西明寺ちかひをここにたづねれば つひのすみかは西とこそきけ


西明寺は、真岡鉄道益子駅下車、徒歩三十分ほどのところにあります。途中、焼物の店が立ち並び、益子焼の里へ来たことがひしひしと感じられます。寺のある高館山には、康平年間(1058-64)益子三郎行宗が築城した高館城があり、天正十七年(1571)までの五百年間、関東で最も堅固な城であったとのことです。

★山の中腹から石段を登って行きますと、明応元年(1492)建立の、重厚な茅葺による仁王門があります。そのすぐ左手には、天文六年(1537)建立の、銅板葺の優美な三重塔があります。いずれも室町時代の特徴を持ち、重要文化財に指定されています。三重塔は、屋根の勾配が急で、軒反りも強いですが、古塔の貫禄は十分であり、また、一番目立つ場所にあることに、塔のシンボル化の印象が強いです。

西明寺本堂
坂東33観音HPより

★右手には、正応四年(1291)再建の閻魔堂があります。正面の本堂は銅葺で、境内の最も高いところにあります。治承元年(1177)の創建、元禄十四年(1701)の増築で、堂内の厨子は重要文化財になっています。

★この寺は、天平九年(737)行基菩薩が十一面観音を刻んで安置したのが草創といわれます。のち唐僧恵林が入山し、充実に努めましたが兵火で焼失。宇都宮景房・北条時頼が修復に努め、益子寺を西明寺に改め、十八世紀にはほぼ現状となったようです。

★帰途、益子焼の窯元や共販センター等を見物して歩くのも、本当に楽しいです。一日かけてゆっくりと過ごしたい地だと思います。




[第21番札所 日輪寺]

四県の境界にある難所 [第二十一番] 日輪寺

(山号) 八溝山 (宗派) 天台宗 (本尊) 十一面観音

(所在地) 茨城県大子町上野宮真名板倉2134

(巡礼歌) 迷ふ身が今は八溝へ詣り来て 仏のひかり山もかがやく


★日輪寺は、坂東札所最大の難所です。「八溝知らずの偽坂東」ともいわれます。水郡線常陸大子駅からバスに乗車、蛇穴停下車徒歩二時間あまりです。最近は、舗装した自動車道路が寺の前まで通じており、自家用車またはタクシーならば比較的簡単に登ることができるようになりました。

★途中から視野が開け、次第に雄大な景観になります。本堂は、明治十三年に焼失し、その後鉄筋コンクリートで再建されたもので、この山奥にはふさわしくないような近代的な建築です。内部も特に見るべきものはなく、ややがっかりです。

日輪寺本堂
坂東33観音HPより

★この寺は、役の行者が開基し、大同二年(807)弘法大師が十一面観音を刻んで、本尊として再興したものといわれます。しばしば火災に遭いましたが、江戸時代には観音堂のほか諸堂が整っていたそうです。しかし、天保三年(1831)の水戸藩の廃仏により打撃を受け、その後の火災もあって往時の姿を失ったもののようです。

★本堂から二十分ほど歩きますと、八溝山の山頂に出ます。ここに八溝神社と新しい展望台があります。ここは四県の境界線に位置しますが、三百六十度の雄大な展望が楽しめます。苦労して登ってきた甲斐があったと実感するひと時です。ここに来た二度とも秋深い時期でしたが、眼下の紅葉や遠くの山々を眺めながら、長時間冷たい風に吹かれ、立ち尽くしていたのでした。



[第22番札所 佐竹寺]


豪壮雄大な寺 [第二十二番] 佐竹寺

(山号) 妙福山 (宗派) 真言宗豊山派 (本尊) 十一面観音

(所在地) 茨城県常陸太田市天神林町2404

(巡礼歌) ひとふしに千代をこめたる佐竹寺 かすみかくれに見ゆるむらまつ


★佐竹寺は、水郡線常陸太田駅からバスに乗車、天神で下車してすぐのところにあります。昭和十六年建立の仁王門から入りますと、茅葺の豪壮雄大な桃山様式の本堂が現れます。これは、天文十五年(1546)に十八代・佐竹義昭が、焼失した堂宇を再建したもので、内陣が瓦敷きの大変珍しい様式を持っており、国の重要文化財に指定されています。

佐竹寺本堂(国指定の重要文化財)
wikipediaより

★ここは、寛和元年(985)花山法皇の勅願により、元密上人が創建したといわれる古刹です。本尊の十一面観音は、聖徳太子の作だそうです。保延六年(1140)この本尊に帰依した常陸の国の豪族・佐竹氏の初代・佐竹昌義が、境内で奇竹を発見して感動し、佐竹氏に改姓した上寺領を寄進して、代々の祈願所と定めました。

★その後、戦国末期の天正十八年(1590)頃には、佐竹氏は戦国大名として、徳川・上杉・前田・島津氏と肩を並べる勢力となりましたが、慶長七年(1602)関が原合戦の責めを問われて、佐竹氏は秋田に国替えとなり、この寺も急速に衰微しました。江戸時代には再興したものの、明治以降再び荒廃し、昭和に入ってから現在の姿を整えたとのことです。

★境内にある老杉等の立木や池も、素晴らしい本堂と相俟って独特の雰囲気を盛り上げています。ゆっくりと、歴史と雰囲気を感じ取りたい寺だと思います。(つづく)

 

♪BGM:Chopin[Nocturn5]Arranged by Pian♪
表紙へ 坂東33観音
目 次
坂東33観音
1番〜11番
坂東33観音
23番〜33番