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        | 坂東三十三観音巡礼記
 
 ―東日本大震災の犠牲者鎮魂の祈りを込めて―
 
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        | [その1]
 
 滝沢公夫(30法)
 
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        | 東日本大震災の犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、被災者の皆様に心からお見舞いを申し上げます。
 
 私が日本百観音巡礼を思い立ち、それぞれ最低2回づつ回り終えてから既に10年あまりになりますが、このたびの東日本大震災による犠牲者を追悼し、被災者をお見舞いし激励したい思いから、前回の西国巡礼に引き続き、急に筆を執った次第です。大震災当日の私は、「帰宅難民」となり、都心の避難所で一泊する経験をしました。(2011.4.22.記)
 
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 [はじめに]
 
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        | ★坂東の札所が成立したのは、西国の札所の成立後300年前後、鎌倉時代の中期頃のようで、関東各地の豪族が有力な寺院を推挙したものといわれます。 ★坂東の札所の順路は、鎌倉を出発して、相模、武蔵、上野、下野、常陸、上総、下総、安房という時計回りになっていますが、次第に信仰から逸脱して遊興気分の旅も多くなり、大衆化による門前町も形成されていったようです。 ★静かな霊地で観音菩薩に対面し合掌していますと、不安、怒り、憎しみ等の気持ちは和らぎ、明日からの別世界が開けてくるような、明るく力強い気分になります。 ★ところで、巡礼の目的は人それぞれに異なるでしょう。私はどちらかといいますと、当初、信仰よりも、仏教美術の探求や俳句の題材を得るのが主眼でしたが、巡礼によって得られたものは、精神面をはじめとして、計り知れないほど大きなものであったと思います。総じて、明日への希望と感謝の念が沸き起こる、前向きの旅でした。 | 
      
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        | [坂東三十三箇所の一覧 ] 
 
          
            
              | 番 | 山号 | 寺号 | 通称 | 本尊 | 宗派 | 所在地 |  
              | 1 | 大蔵山 だいぞうざん
 | 杉本寺 すぎもとでら
 | 杉本観音 | 十一面観世音菩薩 | 天台宗 | 神奈川県鎌倉市 |  
              | 2 | 海雲山 かいうんざん
 | 岩殿寺 がんでんじ
 | 岩殿観音 | 十一面観世音菩薩 | 曹洞宗 | 神奈川県逗子市 |  
              | 3 | 祇園山 ぎおんさん
 | 安養院 あんよういん
 | 田代観音 | 千手観世音菩薩 | 浄土宗 | 神奈川県鎌倉市 |  
              | 4 | 海光山 かいこうざん
 | 長谷寺 はせでら
 | 長谷観音 | 十一面観世音菩薩 | 単立 | 神奈川県鎌倉市 |  
              | 5 | 飯泉山 いいずみさん
 | 勝福寺 しょうふくじ
 | 飯泉観音 | 十一面観世音菩薩 | 真言宗 東寺派
 | 神奈川県小田原市 |  
              | 6 | 飯上山 いいかみさん
 | 長谷寺 はせでら
 | 飯山観音 | 十一面観世音菩薩 | 高野山 真言宗
 | 神奈川県厚木市 |  
              | 7 | 金目山 かなめさん
 | 光明時 こうみょうじ
 | 金目観音 | 聖観世音菩薩 | 天台宗 | 神奈川県平塚市 |  
              | 8 | 妙法山 みょうほうさん
 | 星谷寺 しょうこくじ
 | 星の谷観音 | 聖観世音菩薩 | 真言宗 大覚寺派
 | 神奈川県座間市 |  
              | 9 | 都畿山 ときさん
 | 慈光寺 じこうじ
 |  | 十一面千手千眼 観世音菩薩
 | 天台宗 | 埼玉県比企郡 ときがわ町
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              | 10 | 巌殿山 いわどのさん
 | 正法寺 しょうほうじ
 | 巌殿観音 | 千手観世音菩薩 | 真言宗 智山派
 | 埼玉県東松山市 |  
              | 11 | 岩殿山 いわどのさん
 | 安楽寺 あんらくじ
 | 吉見観音 | 聖観世音菩薩 | 真言宗 智山派
 | 埼玉県吉見町 |  | 
      
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 [第1番札所 杉本寺]
 
 
 
          
            
              | 発願の寺 [第一番] 杉本寺 (山号) 大蔵山 (宗派) 天台宗 (本尊) 十一面観音 (所在地) 神奈川県鎌倉市二階堂903 (巡礼歌) 頼みあるしるべなりけり杉本の 誓ひは末の世にもかはらじ |  | 
      
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 ★横須賀線の鎌倉駅に降り立つたびに、やさしい緑の山に囲まれ、美しい海に面した歴史の町に胸のときめきを感じます。由緒ある寺院が点在し、そぞろ歩くほどに深い情緒を覚える町です。 ★杉本寺は、駅から歩いても20分ほど、バスは金沢八景行きに乗り、「杉本観音」で下車し、すぐ前にあります。わたしの両親の墓が、すぐそばの鎌倉霊園にあるため、頻繁に訪れています。 ★急な石段を少し登りますと仁王門があり、ここから更に石段を登りますが、本道は苔が生しているため通行禁止となっており、並行した石段を登ることになります。両側には「十一面観音」の奉納旗が連なり、一番札所の雰囲気に満ちています。やがて右手に鐘楼、正面に本堂が現れます。 | 
      
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              | 仁王門 |  
          
            
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              | 吽形仁王像 | 阿形仁王像 |  | 
      
        | ★この寺は、天平六年(734)行基菩薩の創建といわれます。本堂は延宝五年(1677)の再建ですが、本格的な茅葺で、古刹の風格は十分です。内部も一面に絵馬や千社札が貼られ、昔からの盛況が偲ばれます。
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              | 延宝5(1677)年に再建された茅葺屋根の本堂 (神奈川県指定文化財)
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              | 坂東33観音寺HPから転借 |  | 
      
        | ★本尊は、仁寿元年(851)慈覚大師が刻んだ十一面観音(重文)、天平六年(734)行基菩薩が刻んだ十一面観音(重文)、寛和二年(955)恵心僧都が刻んだ十一面観音(市文)の三体があります。
 ★本堂は、文治五年(1189)に焼失しましたが、本尊は自ら杉の大木に避難し無事であったことから、杉本観音といわれるようになったとのことです.堂内には、前住職・慈海師が刻んだ新十一面観音や地蔵菩薩立像(市文)も安置されており、しみじみとした雰囲気に包まれます。 ★境内は閑寂で、全体が杉林に囲まれていますが、一部に眺望の開けた場所もあり、また、苔むした五輪塔は、建武中興の際、三浦氏一族である斯波家長の家臣を祀ったものといわれ、歴史を感じさせてくれるのです。大して広くない寺域ですが、これから三十三カ所を巡るのだ、という意気込みを与えてくれる寺です。 ★なお、この寺の面する金沢街道は、自動車の通行が多くやや危険な感もありますが、街道筋には、竹林で有名な報国寺、鎌倉五山第五位の浄明寺、頬焼き阿弥陀の光触寺、梅の明王院、朝比奈切通し等見所がとても多く、できれば一日ゆっくりと散策したいものです。 | 
      
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        | [第2番札所 岩殿寺]
 
 
 
          
            
              | 眺望絶佳の寺 [第二番] 岩殿寺 (山号) 海雲山 (宗派) 
曹洞宗 (本尊) 十一面観音 (所在地) 神奈川県逗子市久木5-7-11 (巡礼歌) 立寄って天の窟戸を押し開き 仏を頼む身こそたのしき |  | 
      
        | ★岩殿寺は、横須賀線逗子駅から徒歩20分ほどのところにあり、順路は説明し難いですが、要所には案内板が設置されています。狭い道の突き当たりに総門があり、ここを入り急な石段を登り詰めますと本堂に達します。
 ★大和・長谷寺の開山である徳道上人が、絶景のこの地を訪れて開基したものといわれますが、その後、行基菩薩が訪れて十一面観音を刻み、岩窟が殿堂のようであったので岩殿寺と号しました。 ★本堂は、江戸時代に現在のような荘厳なものに再建したもので、札所としての風格を備えています。過去には、源頼朝も常時参詣したとのことです。本堂の後ろには奥の院があって、行基菩薩が刻んだ十一面観音が安置されています。 | 
      
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              | 本堂 | 観音堂 |  
              |  | 坂東33観音寺HPから転借 |  | 
      
        | ★また、境内に泉鏡花が寄進した瓢箪池があり、ここからは逗子の海も展望できます。泉鏡花には、ここを舞台にした「春昼」等の作品があります。
 ★境内には、ほかに神社も祀られており、山道を登ると山頂に達し、眺望は極めて雄大です。逗子の町や海は一望のもとです。ここには正教観音(十一面観音)が大空に向かうように安置されています。しばらく展望をほしいままにして、充実した気分でゆっくりと下山したのでした。
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        | [第3番札所 安養院 (田代寺)]
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              | つつじで有名な寺 [第三番] 安養院(田代寺) (山号) 祇園山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 千手観音 (所在地) 神奈川県鎌倉市大町3-1-22 (巡礼歌) 枯木にも花咲くちかひ田代寺 世をのぶ綱の跡ぞ久しき |  | 
      
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 ★安養院は、鎌倉駅から徒歩25分、バスならば名越経由逗子行きで名越下車すぐのところです。春のつつじで有名な寺です。 ★つつじに囲まれた境内に入ると、子安地蔵を祀った地蔵堂があり、そばに槙の大木もあって独特の雰囲気が感じられます。天保十六年に建てられた本堂は関東大震災で全壊し、現在のものは昭和三年に建てられた立派なものです。正面に阿弥陀如来、その奥に千手観音が安置されています。 | 
      
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              | 山門 |  
              | wikipediaから転借 |  | 
      
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 ★嘉禄元年(1225)、北条政子が頼朝の菩提を弔うために、長谷の笹目谷に寺を建立し、願行上人を開祖として長楽寺としました。その年、政子が亡くなってこの寺に埋葬され、更に北条泰時が堂宇を整備し、政子の法名をとって安養院としました。 ★その後、正慶二年(1333)に焼失し、現在地に移転、再興しました。更に延宝八年(1680)再び全焼し再建しましたが、この時末寺である比企谷の田代観音堂を境内に移設しました。このように火災と再建を繰り返してきた寺ですが、女性の強い支持があったために再建されたものといわれます。 | 
      
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              | 本堂 |  | 
      
        | ★本堂の裏手には、尊観上人の宝夾印塔(重文)とともに、小さな政子の塔があり、ありし日の政子の面影を偲ばせてくれます。また、本堂内には、田代信綱の守り本尊を胎内に持つ千手観音が安置され、縁結びの仏としても信仰されています。
 ★この寺の近くには、足利三代の菩提寺である別願寺、苔で名高い妙法寺、牡丹餅の常楽寺、日蓮の安国論寺、長勝寺等があり、材木座海岸近くの大寺・光明寺等と併せて、ゆったりした一日の散歩コースといえましょう。 | 
      
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        | [第4番札所 長谷寺]
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              | 巨大な観音様 [第四番] 長谷寺 (山号) 海光山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 十一面観音 (所在地) 神奈川県鎌倉市長谷3-11-2 (巡礼歌) 長谷寺へ詣りて沖を眺むれば 由井のみぎわに立つは白波 |  | 
      
        | ★長谷寺は、江ノ電長谷駅から徒歩10分、観光客でごった返す通りを左に入ったところにあります。ここは、高山樗牛、国木田独歩、久米正雄等のゆかりの寺でもあります。
 ★石段の両側には水子地蔵が密集し、坂を登りきりますと素晴らしい展望です。江ノ島、相模湾が一望のもとにあり、しばらくうっとりと眺めます。 | 
      
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              | 山門 |  
              | 長谷寺HPから転借 |  | 
      
        | ★本堂は関東大震災で倒壊し、現在は鉄筋の堂々たるものです。本尊は、高さ9メートルあまりの巨大な十一面観音で、しばらく威圧されて声も出ません。多くの人々が無言で上を見上げて感動の面持ちです。
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              | 本堂 |  
              | 長谷寺HPから転借 |  | 
      
        | ★長谷寺は、養老五年(721)徳道上人が、大和の長谷寺山中の楠で二体の十一面観音を刻ませ、一体は大和長谷寺に安置、一体は海に流したところ、天平八年(736)三浦半島に漂着、藤原房前が現在地に移して徳道上人を開山としたといわれます。
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              | 十一面観音像 |  
              | 長谷寺HPから転借 |  | 
      
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 ★しかし、実際に信仰の対象となったのは、大仏が安座した建長四年(1252)頃からのようです。足利尊氏、義満による修飾や多くの信者による板碑の製作もあり、特に徳治三年(1308)の銘のある巨大な板碑(市文)は貴重です。 ★民衆から、これほどの篤い信仰を集めている寺は珍しく、実際、それだけの素晴らしい文化財と独特の雰囲気を持っていると思います。近くには大仏(高徳院)や海棠で有名な光則寺もあり、骨董屋等をひやかしながら、一日ゆっくり散策するのに適しています。 | 
      
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        | [第5番札所 勝福寺(飯泉観音)]
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              | 二宮金次郎が通った寺 [第五番] 勝福寺(飯泉観音) 
 (山号) 飯泉山 (宗派) 古義真言宗 (本尊) 十一面観音
 
 (所在地) 神奈川県小田原市飯泉1161
 
 (巡礼歌) かなはねばたすけたまへと祈る身の 船に宝をつむはいいづみ
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        | ★小田原駅からバスで10分ほど、酒匂川を渡って間もなくこの寺に着きます。銅葺きの大きな仁王門を入りますと、境内はかなり広大です。本堂は萱葺きで、昭和40年代に解体修理したとのことですが、銀杏の木に覆われて雰囲気は大変良いものがあります。
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              | 仁王門 | 本堂 |  
              |  | 坂東33観音寺HPから転借 |  | 
      
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 ★勝福寺は、天平勝宝五年(753)、鑑真が十一面観音を孝謙天皇に献上し、その後天皇から下賜された道鏡が下野国に観音像を安置し、更に現在地に移転したもののようです。当初飯泉寺と称しましたが、応永年間(1427)勝福寺の勅号を得ました。 ★二宮金次郎はこの寺に真剣に通ったそうです。住職は大変親切で、いろいろと巡礼のアドバイスをしてくれます。特にみどころはない寺ですが、ほのぼのとした雰囲気に包まれています。 | 
      
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        | [第6番札所 長谷寺(飯山観音)]
 
 
 
          
            
              | 温泉地にある寺 [第六番]  長谷寺(飯山観音) 
 (山号) 飯上山 (宗派) 高野山真言宗 (本尊) 十一面観音
 
 (所在地) 神奈川県厚木市飯山5605
 
 (巡礼歌) 飯山寺建ち初めしよりつきせぬは いりあひ響く松風の音
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        | ★小田急線本厚木駅から東丹沢方面へのバスで30分ほど、飯山温泉、七沢温泉、広沢寺温泉等の散在する鄙びた温泉街に入ります。ここは厚木の奥座敷であるだけでなく、東京の奥座敷としても賑わっています私は厚木に勤務したことがあり、この地を訪れたことは数限りありません。春の桜、秋の紅葉をはじめ、四季それぞれに素晴らしい自然条件を具備している中にこの寺があります。
 ★飯山観音バス停の前の赤い橋を渡り、静かな林と流れに沿って坂を登っていきますと石段になり、ここを登ると仁王門があります。建久年間(1190前後)源頼朝が造営したものといわれます。ここを入りますと急に森閑としていて、温泉地とは思われない霊場の雰囲気に包まれます。更に石段を登りますと鐘楼があり、嘉吉2年(1442)清原国光が鋳造した梵鐘が青光りして収まっています。正面の本堂は、松、杉、椎等の大木にお覆われ、あたりは静寂そのものです。 | 
      
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              | 仁王門 |  | 
      
        | ★本堂は、建仁年中(1200頃)に領主の飯山氏が建て、その後頼朝が建久2,年に改装しましたが、嘉吉2年に炎上し直ちに再建されたものといわれ、既に五百年を経た風格を感じます。本尊は像高二メートル近く、神亀2年(725)行基菩薩が大和長谷寺の仏材に刻んだものといわれます。
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              | 本堂 |  
              | 坂東33観音寺HPから転借 |  | 
      
        | ★この寺は縁結びの観音としても名高く、毎年4月8日の本尊開帳日は大変な混雑となります。田螺がここの名物ですが、最近は全く採れず、他から持ち込んでいるようです。後ろの山に登りますと視界は雄大、丹沢山系の一部であることが納得させられます。それにしても、春の花見の舞台として素晴らしかった思い出が強烈です。
 
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        | [第7番札所 光明寺(金目観音)]
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              | 安産の観音 [第七番]  光明寺(金目観音) (山号) 金目山 (宗派) 天台宗 (本尊) 聖観音 (所在地) 神奈川県平塚市南金目896 (巡礼歌) なにごともいまはかなひの観世音 二世無安楽と誰か祈らむ |  | 
      
        | ★小田急線秦野駅から平塚行きのバスに乗車、秦野街道の金目停留所で下車して金目川のほとりを行きますと、この寺の表示が出て、すぐそばに仁王門があります。ここを入りますと境内は意外に広く、整然としています。正面の本堂は、明応年間(1500頃)に建立されましたが、以後一度も火災に遭わず、外装は手入れされていますが、内部は古色蒼然としています。
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              | 仁王門 | 本同 |  
              |  | 坂東33観音寺HPから転借 |  | 
      
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 ★本尊は21センチの聖観音ですが、大宝二年(702)道儀上人が磯から現れたこの像を持ってこの地に安置し、その後天平年間に行基菩薩が180センチの聖観音を刻んで、この中に収めたといわれます。また、本尊前立ちの観音は、明応年間(1490頃)のものといわれます。 ★頼朝は、この観音への信仰が篤く、治承年間(1180頃)に堂塔を修築するとともに寺領を寄進し、将軍代々の祈願所としました。北条政子も安産祈願のためここを訪れており、今も安産の観音として多くの信者を集めています。 ★堂内を始め周辺一帯は極めて良く整備、清掃されており、住職の並々ならぬ姿勢を感じました。あくまで明るい清潔な札所でした。
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        | [第8番札所 星谷寺(星の谷観音)]
 
 
 
          
            
              | 七不思議のある寺 [第八番] 星谷寺 (山号) 妙法山 (宗派) 真言宗大覚寺派 (本尊) 聖観音 (所在地) 神奈川県座間市入谷3-3583 (巡礼歌) 障りなす迷ひの雲をふき払ひ 月もろともに拝む星の谷 |  | 
      
        | ★小田急線の座間駅で下車し、線路に沿って10分ほどの突き当たりにこの寺はあります。仁王門跡から境内に入りますと、大木に覆われて薄暗い雰囲気です。
 ★星谷寺は、行基菩薩がこの地を訪れるとすでに小堂があったので、自ら聖観音を刻み、新しい本堂を建てて本尊として安置したものといわれます。その後火災に見舞われましたが、本尊は自ら飛び上がって木にひっかかり、住職の理源が現在地に本堂を再建したものということです。 ★今の本堂は、屋根にトタンをかぶせていますが、如何にも古く、向拝には竜の彫刻と扁額が掲げられています。堂内には、ビンズル尊や出開帳用の観音と薬師が安置されていますが、本尊は午年の十月十八日に開扉されるのみです。 | 
      
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              | 本堂 |  
              | 坂東33観音寺HPから転借 |  | 
      
        | ★この寺には七不思議と称するものがあり、撞座ひとつの鐘、咲き分けの椿、観音草という薬草、楠の化石、昼でも星が写る星の井戸、不断開花の桜等が古代から伝承されています。現在では大して不思議にも感じられませんが、このような伝承は何時までも保存してほしいと思います。ただ、この寺は総じて何か陰気な感が深く、住職の対応も不親切でした。
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        | [第9番札所 慈光寺]
 
 
 
          
            
              |        国宝や文化財の多い寺 [第九番] 慈光寺         (山号) 都幾山 (宗派) 天台宗 (本尊) 千手観音         (所在地) 埼玉県都幾川村西平386         (巡礼歌) 聞くからに大慈大悲のじこうでら 誓いも共に深きいわどの |  | 
      
        | ★いよいよこれから埼玉県に入ります。慈光寺は、八高線の明覚駅からバスで20分ばかりの西平で下車、ここから山道を30分ばかり登ったところにあります。現在は舗装道路が山頂まで通じ、車でも楽に登れるようになりました。
 ★道端には、秩父青石を用いた弘安・嘉暦・文和年間(1278-1355)の青石塔婆(県文)が9基並んでいます。ここから更に登りますと、鎌倉時代の遺風が漂う釈迦堂の前に出ます。左手には梵鐘(重文)、右手には開山堂(宝塔)(重文)があります。 ★慈光寺は、天武天皇二年(673)釈慈訓、同九年役小角、更に鑑真の高弟である釈道忠により開かれたものといわれます。鎌倉時代には頼朝から手厚い保護を受け、大寺院として栄えましたが、室町時代には厳しい試練を受け、江戸時代になってやっと安定したようです。 ★さきの開山堂(宝塔)は室町時代のもので、様式は極めて珍しく、更にこれを覆う慶長年間の鞘堂も珍しいものです。また、この先の右側には、樹齢千年余りの、慈覚大師手植えの多羅葉樹(天然記念物)があり、独特の雰囲気が漂ってきます。 | 
      
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              | 観音堂 |  
              | 坂東33観音寺HPから転借 |  | 
      
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 ★ここから更に二百メートルばかり登りますと、観音堂があります。茅葺の御堂には二メートル余りの千手観音が安置されていますが、眼の光が異様で、やや威厳を感じます。静かな堂内でしばらくくつろぎます。眼下には登ってきた曲がりくねった道が望まれ、ここが如何に不便な場所であるかが分かります。 ★やや狭い境内には宝物館があり、法華経一品経は国宝に指定されていますが、これは日本三大装飾経のひとつとなっています。県内での国宝は、ほかには県立博物館の太刀とさきたま古墳群の出土品だけであり、この山中の寺にこのような国宝があることを知る人は少なく、大変残念です。 | 
      
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        | [第10番札所 正法寺(岩殿観音)]
 
          
            
              | 岩窟にある寺 [第十番] 正法寺(岩殿観音) (山号) 巌殿山 (宗派) 真言宗智山派 (本尊) 千手観音 (所在地) 埼玉県東松山市岩殿1229 (巡礼歌) 後の世の道を比企見の観世音 この世を共に助けたまへや |  | 
      
        | ★正法寺は、東武東上線高坂駅からバスに乗車、大東文化大学で下車して徒歩5分ほどのところにあります。岩のトンネルを潜りますと境内に出ます。古木に覆われたこじんまりとした寺ですが、静寂な雰囲気は素晴らしいものがあります。本堂は半ば岩に覆われた小規模なものですが、良く清掃されています。 
          
            
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                    | 正法寺本堂 |  
                    | 坂東33観音寺HPから転借 |  |  ★養老二年(718)沙門逸海が千手観音を岩窟に安置し、かたわらに庵を結んだのがこの寺の始まりといわれます。その後、延暦年間(800頃)に、近くの山に悪竜が住んで住民に害を加えたので、たまたま立ち寄った坂上田村麻呂が、岩殿の千手観音に祈願したところ、一矢で射倒すことができたといいます。今でも、この地区では田村麻呂に感謝する行事が残っているとのことです。 ★田村麻呂は、その後更に桓武天皇から諸堂建立を命じられ、一時はこの寺も六十の堂塔を有しましたが、天文年間(1500頃)の戦火で灰燼に帰しました。以後、天正二年(1572)住職の栄俊が再興して、更に徳川家康からも寺領を賜りましたが、寛永年間と明治時代に焼失し、現在の本堂は明治の再建です。 ★小規模ですが、歴史を秘めた落ち着いた雰囲気、それに岩窟の中の寺という奇観が心を打つ寺でした。 | 
      
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        | [第11番札所 安楽寺(吉見観音)]
 
          
            
              | 風格ある三重塔 [第十一番] 安楽寺(吉見観音) (山号) 岩殿山 (宗派) 真言宗智山派 (本尊) 聖観音 (所在地) 埼玉県吉見町御所374 (巡礼歌) 吉見よと天の岩戸を押し開き 大慈大悲の誓ひたのもし |  | 
      
        | ★安楽寺は、東武東上線東松山駅からバスに乗車、20分ばかりの中新井下車、徒歩5分ほどのところにあります。県文の三重塔が見えてくると間もなく、茶店の前に急な石段があり、そこを登っていきますと町文の仁王門があります。これを潜りますと、前方に堂々とした本堂が現れます。本堂の前には、忠霊塔や銅鋳の観音等もあり、落ち着いた霊場の雰囲気が漂っているのです。
 
 
 
          
            
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                    | 安楽寺本堂 |  
                    | 坂東33観音寺HPから転借 |  |  ★この寺は、行基菩薩が聖観音を彫刻して岩窟に納め、その後坂上田村麻呂が奥州征伐の際拝したところ、観音は光り輝き、諸堂を建立して岩戸山と名づけたといわれます。更に、源範頼が稚児僧として居留し、やがてここの領主となってからは所領を寄進し、本堂と三重塔を建立しました。しかし、天文年間の兵火で焼失し、現在の本堂は寛文元年(1661)の再建です。 ★本堂内陣の柱には極彩色が施され、欄間には左甚五郎作といわれる虎の彫刻があります。素晴らしい本堂です。また、本堂右手にある三重塔は、明暦二年(1656)僧呆鏡の再建したもので、装飾等はありませんが、朱塗りでどっしりしています。県文第一号というにふさわしい、風格を備えた塔だと思います。 ★毎年六月十八日は本尊の開帳日で、早朝から人波に埋まるそうです。門前の団子の旨さもありますが、多くの巡礼者に心の安らぎを与えていることが納得させられます。 
  [その2]第12番札所慈恩寺からは右のアイコンをクリックしてご覧下さい。     
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