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散策の会 |
[第6回イチモク散策の会] (両国界隈を歩く 2011.11.19.) |
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★この日、イチモクサロン会員15名は両国駅に集合、生憎の激しい雨天の中、小止みになることを願いつつ散策を開始しました。 ★先ず、「船橋聖一生誕地」という石碑の前を通り、「旧安田庭園」へ。ここは、元禄4年(1691)足利藩主(後に丹後宮津藩主)本庄氏の下屋敷として造営され、その後安政年間に、隅田川の水を引き込んだ回遊式庭園に改造されたものです。小規模なものですが、なかなか趣きのある素晴らしい庭園でした。現在隅田川からの取水は停止されておりますが、設備はそのまま残っています。
★これで今回の散策を終わり、「芥川龍之介生育地」の看板の前を通って両国駅に戻りました。雨は依然として激しく降っていました。
(報告: 滝沢公夫、写真: |
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[第5回イチモク散策の会](目黒界隈を歩く 2011.10.1.) |
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★2011年10月1日、イチモクサロン会員18名はJR目黒駅に集合しました。今回の参加者数は今までの最高で、古刹の集まる目黒への関心の高さが窺える会となりました。好天のなか早速行動を開始。
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[第4回イチモク散策の会](谷中・根津・千駄木を歩く) |
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★2011年5月14日、イチモクサロン会員12名は、JR御茶ノ水駅に集合、好天に恵まれた中ゆったりと散策を開始しました。地下鉄新御茶ノ水駅から根津駅まで乗車し、先ず「根津神社」に参詣しました。
★次いで、すぐそばにある「大円寺」に行きました。ここには、浮世絵師・鈴木春信の碑と、彼が錦絵に描いたことによって、江戸三大美人のひとりといわれるようになった「笠森おせん」の碑があり、感慨深いものがありました。
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな 痰一斗糸瓜の水も間にあはず をととひの糸瓜の水も取らざりき
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[第3回イチモク散策の会](日本橋・人形町の七福神めぐり) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
★2011年1月22日、イチモクサロン会員10名は三越本店前に集合。寒中ながら好天に恵まれた中、本年の運気向上を願って七福神巡りを開始しました。多くがビル街の中にあり、土曜日のため人通りが殆どなく、静かな雰囲気に包まれていました。 ★一番目に訪れたのは、宝田恵比寿神社(恵比寿神)です。本当に可愛らしい神社でした。当初は、現在の皇居前にあった宝田村の鎮守だったとのことです。御神体が左甚五郎または運慶の作といわれているのは、一寸疑問に思いました。
★二番目は、椙森(すぎのもり)神社(恵比寿神)です。太田道灌が京都・伏見稲荷神社を勧請したものといわれます。ここは、江戸時代に富籤を発行したことで有名で、境内には富塚があります。比較的規模が大きい神社で、一同は本年の宝くじの当選を祈りました。
★三番目は、笠間稲荷神社(寿老人)です。江戸時代中期に茨城の笠間稲荷神社を勧請したものといわれ、たたずまいも似ているように思いました。
★四番目は、末広神社(毘沙門天)です。旧吉原遊郭がこの地にあって、産土神として信仰されていたとのことで、芸者組合の奉納石もあります。小さいながら趣き深い神社です。社殿改装の際に、めでたい扇が発見されたため、この社名がついたとのことです。
★ここで、甘酒屋が多い甘酒横丁を通りましたので、甘酒を楽しみながら休憩しました。程よい甘さが疲れを忘れさせてくれました。ここばかりは大変賑わっていました。
★五番目は、松島神社(大黒神)です。ビルの一階にあり、比較的大きいものの、趣きにはやや欠けるように感じられました。ここは、もともと入り江の小島であり、松が茂っていたことでこの名称になったようです。
★六番目は、水天宮(弁財天)です。ここは安産・子授け祈願が有名で、飛びぬけて大規模な神社です。参拝者も極めて多く、土産物屋も賑わっています。もともと福岡の久留米藩有馬家の屋敷神でしたが、江戸時代に分霊されたものということです。お孫ちゃんの為にと真剣に手を合わせている3人の姿が微笑ましかったです。
★七番目は、茶の木神社(布袋尊)です。もともと千葉・佐倉藩大老の堀田家の中屋敷に祀られた稲荷が祭神といわれ、周りを茶の木が取り囲んでいたためこの名がつき、火伏せの神として崇められてきました。本当に可愛らしい社殿でした。
★最終の八番目は、小網神社(福禄寿・弁財天)です。網師の翁を稲荷大神として勧請したものといいます。現在の社殿は昭和四年に造営されましたが、戦火も免れて、現在日本橋地区に残されている唯一の木造神社建築です。権現造りの素晴らしい社殿で、緑青が一面にふいた銅板葺きの屋根が実に美しく、歴史も感じられました。五角形の神楽殿も、大変珍しいものです。七福神巡りの最終の神社にふさわしく、印象深いものになりました。
★ここから懇親会場である「稲田屋日本橋店」に向かいました。高島屋のすぐそばにあり、小川浩史世話役の好意により、鳥取の海の幸や銘酒等が豊富に用意されていて、大変楽しく盛大なものになりました。社長さんも稲門であり、丁寧なご挨拶を戴き、恐縮しました。
★今回の日本橋・人形町七福神巡りは、わが国で最も歩く距離が短いといわれるものですが、ゆったり歩くには最適のものでした。神社の規模や雰囲気はそれぞれ異なっていて、変化を楽しむこともできました。また、歴史や下町の情緒を感じることも多かったです。それに最後の懇親会は素晴らしいものでした。今後も楽しい散策を企画したいものです。(報告・滝沢公夫、写真・荒木彌榮子) [参加者]荒木彌榮子、伊藤順蔵、栗原政博、佐藤俊雄、佐藤良三、滝沢公夫、土井洪二、野村吉宏、馬場正彦、横田康平 (茶色の名前は世話役) |
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[第2回イチモク散策の会](御茶の水・湯島界隈を歩く) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
★2010年11月26日、イチモクサロン会員12名は、JRお茶ノ水駅に集合、絶好の日和の中散策を開始しました。まず向かったのは、駅のそばにある「ニコライ堂」。ロシア人が建立したギリシャ正教の教会ですが、荘厳な造りと内部のイコン(聖像画)やステンドグラスに感動し、全員で蝋燭を捧げて拝礼しました。信者の人の心温まる説明も素晴らしかったです。歴史からみても、国の重要文化財に指定されているのは肯けるのでした。
★続いて、神田川に架かる「聖橋」を渡りました。ニコライ堂と湯島聖堂を結んでいるため、この名がついたとのことです。この辺は、駿河台と湯島台がつながっていて神田山といわれていましたが、江戸時代初期に江戸城防衛のために掘削されて神田川になったものと知り、歴史を秘めているのに驚きました。 ★聖橋を渡ると、「湯島聖堂」です。徳川5代将軍綱吉が孔子廟として建立したもので、その後幕府の昌平坂学問所や明治の文部省・高等師範・女子師範を経てきているだけに、境内は全体に学問の府としての雰囲気が漂っています。土曜・日曜のみ開かれる大成殿(孔子廟)が見られなかったのは残念でしたが、巨大な孔子像や、楷書の語源となった、中国から移入された珍しい楷の木に、感動しました。
★それから、すぐそばにある「天野屋」で名物の甘酒で休憩しました。江戸時代からの老舗ですが、地下の麹室で造った甘酒は格別の味で、一同満足しました。ただ、麹室の見学を断られたのは残念でした。
次は、「神田明神」に参拝しました。江戸総鎮守として、神田祭の壮大さは有名。平将門・大黒さま・恵比寿さまの三神が祀られており、さすがに巨大で、歴史も感じられる一方、庭園等の新しい取り組みも感じられました。ここから東京スカイツリーが遠望できたのも感動で、一同見とれていました。
★ここから急坂を一旦降りて登っていくと、「湯島天神」です。菅原道真を祀っているため、受験期の参拝者の殺到と、境内に300本ある梅の花が有名ですが、現在は菊花展が開かれていて、薄暗くなった中、静かに大いに楽しみました。
★湯島天神の急な男坂の石段を降ると「心城院」です。ここは江戸33観音・第7番札所で、「湯島聖天」ともいいます。明治の神仏分離で、湯島天神から独立したものです。本尊は十一面観音で、歓喜天も祀られています。境内の柳の井戸が、関東大震災の、時、住民の命を守ったといわれています。全体に、札所特有の暖かい雰囲気の感じられるお寺でした。
★これで本日の散策は終わり、小川浩史世話役のご好意による「湯島ホルモン 良ちゃん」で、盛大に打ち上げを行いました。数々のホルモン料理をつつきながら、大いに飲み、本日の成果を語り合うなど、大変盛り上がりました。
★今回の散策は、日常通りかかる都心の場所であっても、案外奥深いものや自然の景色や歴史を持っていることを認識させられました。特に、キリスト教・仏教・神道の関係施設を巡ったことは意義深いものであったと思います。そして、何より良かったのは、最後の「湯島ホルモン」での盛り上がりです。今後も楽しい散策が持続できればと思います。(報告・滝沢公夫、写真・国友康邦・荒木彌榮子) [参加者]参加者荒木彌榮子、伊藤順蔵、小川浩史、国友康邦、栗原政博、小山雄一、佐藤俊雄、佐藤良三、滝沢公夫、馬場正彦、山本浩、横田康平) |
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[第1回イチモク散策の会](築地・月島・佃を歩く) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
★続いて、隣接する築地場外市場を巡りましたが、多彩な食材が溢れており、凄い活気です。江戸時代初期、築地埋め立ての際建立されたという波除稲荷神社を参拝。巨大な二頭の獅子頭と珍しい枝垂れ銀杏が印象に残りました。
★晴海通りに出て、かちどき橋の資料館を見学。ここは昭和15年に勝鬨橋の変電所として建設されたもので、各種展示物やビデオを楽しみ、懐かしかったです。勝鬨橋は、昭和45年まで開閉しており、都電も走っていたところです。当時の信号も残されています。ここからの隅田川の展望は素晴らしく、全員しばらく見とれていました。
★橋を渡ると、明治20年に埋め立てられたという月島です。もんじゃストリートを行きますと、いたるところに路地裏があり、下町のほのぼのとした情緒を感じることができました。また、もんじゃ屋が70軒もあると聞いて、驚かされたのです。
★ここから大阪と関係の深い佃に入り、住吉神社を参拝しました。この神社は、江戸初期、徳川家康に招かれて来た摂津国佃(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師と同行した神職により、大阪佃の田蓑神社から分社したもの。鳥居にある扁額は、明治15年に製作された陶製の珍しいもので、区の文化財に指定されています。境内には神々しさが漲っていました。
★これで散策は終わり、もんじゃ屋で打ち上げをすることになり、路地裏もんじゃ「もん吉」で、もんじゃを楽しみました。とても味が良く、店員のきびきびとしたサービスと相俟って大好評でした。今回の散策は、雨天の中でしたが、全員元気にぶらり歩きを楽しみました。バラエティーに富んだ内容のため、楽しい雰囲気で行動できたと思います。特に「もんじゃ」は大変楽しく盛り上がりました。これからも楽しい散策を企画したいと思います。(報告・滝沢公夫、写真*印・国友康邦)
(参加者)荒木彌榮子、伊藤順蔵、小川浩史、国友康邦、栗原政博、小山雄一、滝沢公夫、矢野九州男、山本浩、横田康平(以上10名)
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♪BGM:Ripple[Gypsy]arranged by Ripple♪ | ||||||
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