★知人を通じて、習志野市の高齢者団体「雑学を学ぶ会」(会長・江口光彰氏)から、是非散策の企画・案内・解説をお願いしたい、との申し出でがあったのは、平成23年の夏頃でした。そこで、この会の運営状況を見学に訪れましたところ、女性が大半を占めていましたが、皆さんは大変に知識意欲があってまとまりも良く、これならば引き受けても良いという判断になりました。
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法華経寺本堂前で(後列右から6人目が筆者) |
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★先ず企画ですが、できるだけ皆さんの住居に近い場所を選定することにしました。そこで、市川市の「仏塔」と「万葉集の故地」を選定し、具体的な計画について会長さんや幹事さんと協議して実施することになりました。時期は秋、曜日は日曜ということで企画しました。
◆市川市の仏塔――中山法華経寺・五重塔
★2011年10月9日(日) 午前9時30分、会員24名(うち女性14名)は総武線下総中山駅に集合。ゆったりと散策を開始しました。先ず向かったのは、駅から参道を15分ほど歩いたところにある「中山法華経寺」です。この寺は、千葉県では成田不動に次ぐ大伽藍と広大な境内を持ちますが、日蓮宗の総本山であり、創建は日蓮没後の鎌倉時代に遡ります。
★先ず入り口にある「黒門」です。両側の柱部分に小さな切妻屋根がついている点が非常に珍しいです。江戸時代初期のものといわれます。
★次に、「赤門(山門)」です。大変豪壮なもので、これも江戸初期のものといわれます。ここからすぐそばに赤い橋がありますが、宝珠が通常の桃型と異なり、石榴になっています。これは、この寺に鬼子母神も祀られているためです。
★そして、いよいよ「五重塔」です。これは入り口正面に位置し、とても目立ちます。国指定重要文化財で、千葉県では珍しく貴重な文化財です。江戸時代初期(1622)の建築で、池上本門寺の五重塔と大変似ています。江戸時代の塔は、全般的に色彩が派手です。例えば成田山新勝寺の三重塔や日光東照宮の五重塔。しかし、ここの塔は装飾がなく、極めてシンプル。高さ30メートル。下層と上層の低減が少なく、ややのっぺりとしていますが大変堂々たるものといえます。いずれにしても、千葉県の仏塔としては随一のものといえるでしょう。
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五重塔 |
五重塔の前で説明する筆者 |
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★一同、塔を見上げ感嘆しながら、解説に対しても盛んに質問を発します。本当に皆さん熱心であり敬服しました。この寺は、文化財の保有は千葉県随一で、ほかにも国宝の「立正安国論」(非公開)や国指定重要文化財の「法華堂」や「四脚門」、多くの古文書があります。
★なお、千葉県の仏塔としては次のものがあります。成田山三重塔(重文)・丸山町の石堂寺多宝塔(重文)・芝山町の芝山仁王尊三重塔(県文)・館山市の光明寺多宝塔(県文)・松戸市の本土寺五重塔・柏市の布施弁天三重塔・船橋市の光明寺多宝塔・天津小湊町の誕生寺宝塔・富津市の仏母寺宝塔。
◆万葉集の故地――葛飾の真間
★続いて、京成中山駅から市川真間駅まで京成電車に乗り、万葉集の故地である「葛飾の真間」に向かいました。市川真間駅からしばらく行きますと、小さい川を渡り、向こうには小高い台地が迫ってきます。変哲のない住宅地ですが、なんとなく万葉の息吹きが感じられるところです。
★このあたりは、崖を意味する真間といわれ、台地の上は下総国の国府があったところで、重要な位置を占めていたといわれます。万葉集の編纂された奈良時代には、台地の下は海の渚になっていたようですが、現在では想像もできません。
★下総国の歌で万葉集に採録されているのは、防人の歌を除くとここ「葛飾の真間」だけです。万葉集に取り上げられているのは,奈良時代以前からの伝承によるものと思われます。ストーリーは、「当地の絶世の美女が多数の男性から求愛され、誰をも選ぶことができずに、真間の入り江に身を投げてしまった」というもの。人々はその心根を哀れに思い、亡骸を厚く葬って霊堂を建てたもののようです。
★当地に沢山ある歌碑のうち、特に重要と思われるものをあげてみます。
(当地入り口にあるもの)
「葛飾の真間の入り江にうちなびく 玉藻刈りけむ手古奈し思ほゆ」
(継橋―赤い小さい橋にあるもの)
「足の音せず行かむ駒もが葛飾の 真間の継橋やまず通はむ」
(手古奈霊堂―手古奈を祀ったお堂にあるもの)
「吾も見つ人にも告げむ葛飾の 真間の手古奈が奥津城処」
(亀井院―手古奈が水を汲んでいたところにあるもの)
「勝鹿の真間の井見れば立ちならし 水汲ましけむ手古奈し思ほゆ」
★この地は既に開発も進み、一寸みるとなんということもないようですが、万葉集を知ることにより、そこはかとない雰囲気も感受される場所です。地元の人もなんとか昔の雰囲気を残すように努力しているようです。
◆終わりに
★これで今回の散策は終了しましたが、歩行距離は程よい程度で、皆さん本当に元気に楽しく歩きました。全員高齢者ですが、足は丈夫な人ばかりでした。途中の数々の雑談や、仏塔と万葉集にまつわる話も楽しいものでした。
★最後にやや遅い昼食兼懇談会を実施しましたが、ここでも何かと話題は沸騰し、本当に盛り上がりました。次回の話まで飛び出し、できれば平成24年中に、今度は希望の多い都内を企画したいと思っています。この「雑学を学ぶ会」が、更に発展・充実していくことを心から祈るばかりです。
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