★5月18日、会員17名は丸の内線本郷三丁目駅に集合。絶好の初夏日和の中ゆったりと散策を開始しました。先ず本郷三丁目の交差点にある「かねやす」ですが、「本郷も かねやすまでは江戸の内」というパネルが表示されていました。ここは、現在小間物店ですが、江戸時代は歯科医兼歯磨き粉販売店でした。1730年の明暦大火をきっかけに、江戸城からここまでは幕府により茅葺屋根が禁止されたため、ここが境目という意味合いから生まれた川柳であるといわれます。
★続いて「金魚坂」です。ここは300年余りの歴史を持つ金魚の養殖・卸業者ですが、極めて多種類の金魚を扱っているのに驚きました。喫茶店・食堂等も併営し、この辺では珍しい休息の場になっているようでした。
★それから「菊坂」を下りました。このあたりは古来菊畑が広がり、栽培する人が多く住んでいたところから名づけられたようです。現在は庶民的な商店が密集していました。
★次に「樋口一葉旧居跡」です。ここは菊坂に平行した菊坂下道から、極めて狭い路地を入ったところにあります。一葉がここに転居してきたのは明治23年、18歳のときでした。父親が前年に死亡し、一葉は母と妹を抱えて、戸主としての責任を負っていました。この地には2年余り居住しましたが、旧居跡には現在小さい住宅が密集しており、当時のものとしては手押しポンプの井戸があるのみです。勿論その当時はつるべ井戸であったと思われます。なんとも侘しい感じの場所です。一葉は、このあと吉原近くの竜泉寺町に転居して雑貨店を開業しましたが、間もなく閉店しています。
★続いて、菊坂に面した「旧伊勢屋質店」です。一葉は、生活に窮して頻繁に利用したようです。1860年に開業し、昭和57年に廃業していますが、土蔵は当時のままです。
★ここからしばらく歩いて、白山通り沿いの「一葉終焉地」です。ここは現在ビル用地となっており、ビルの前に記念碑と解説札があるのみで、全く昔のものは残っていません。明治27年、一葉は竜泉寺町からここに移住し、「たけくらべ」「にごりえ」等の名作を発表しました。一葉の作家生活の中では、最も充実していた時期といえましょう。しかし、明治29年、肺結核のため24歳で死去しました。ここは区の史跡になっています。
★ここから菊坂の途中まで戻り、左に入りますと「本郷菊富士ホテル跡」があります。明治30年の創業ですが、昭和20年の空襲で焼失していまいました。多くの文学者・学者・芸術家等が止宿し、数々のエピソードを残したといわれます。主な者に、石川淳・宇野浩二・宇野千代・尾崎士郎・坂口安吾・谷崎潤一郎・正宗白鳥・竹久夢二・三木清等がいます。
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谷崎潤一郎 |
宇野千代 |
(写真はwikipediaから転借) |
★また、近くに「赤心館跡」がありますが、ここは金田一京助の下宿先であり、石川啄木が同居したといわれます。更に、この辺一帯は振袖火事の火元といわれる本妙寺の境内でしたが、現在寺は巣鴨付近に移転しています。
★近くに「旅館 鳳明館」があります。明治30年頃の建築で、戦災にも遭わず大変歴史の感じられる旅館です。有名人が宿泊してきたといわれます。現在は、修学旅行の生徒も利用しているようです。ここは国の有形文化財に指定されています。
★ここから「落第横丁」といわれる小路に入りますと、「滝の家」という蕎麦屋があり、店頭に志村会員原作・主演の芝居のポスターが掲示してあり、志村さんとここの主人とはいろいろ縁があることが分かり、とても驚きました。
★落第横丁を抜けると本郷通りに出て、正面が東大正門です。更に右折して言問通りをしばらく行きますと「弥生式土器発掘ゆかりの地」です。明治17年、根津の谷に面した貝塚から縄文式とは異なる赤焼きの壷が発見され、向ヶ丘遺跡といわれましたが、都市化の中で所在地がはっきりしなくなりました。その後、昭和49年に、弥生二丁目で向ヶ丘遺跡と類似する土器が発見され、弥生二丁目遺跡とされたのがこの場所です。しかし、単に記念碑があるのみです。
★続いて、すぐそばの「弥生美術館・竹久夢二美術館」に行きました。可愛らしいしゃれた美術館で、ともに弁護士・鹿野琢見によって設立されたもので、弥生は1984年、竹久は1990年の開設といわれます。所蔵品は、弥生が挿絵家の高畠華宵を中心に27,000点、竹久が3,300点といわれます。しかし、時間の都合で見学は中止し、とても残念でした。
★美術館を出たところが「暗闇坂」です。もともと昼間でも暗い鬱蒼たる樹木で覆われていたようですが、現在はこのような地ではありません。なお、同名の坂が都内に何箇所もあるようです。
★しばらく行くと「無縁坂」です。坂の途中にある無縁寺(現在は講安寺)が名称の由来とされています。なお、「さだ まさし」の歌謡曲にも取り上げられています。
★いよいよ最終目的地の「旧岩崎邸庭園」です。旧岩崎邸は、明治29年コンドルの設計により、三菱創設者・岩崎家本邸として建設されました。洋館・和館・ビリヤード場の三棟が現存しています。繊細なデザインと巧緻を極めた建築と調度は本当に驚くばかりです。広大な庭園も和洋併置式であり、大名庭園も踏襲しています。全体が国指定重要文化財で、ゆったりと観てまわりましたが大変感動的でした。
★これで今回の散策は終了し、解散となりました。その後、希望者のみで懇親会を実施しました。上野仲通りの「半兵ヱ」ですが、料理とサービスはやや粗末ながら、昭和ロマンに満ちた独特の店舗で、盛り上がりました。
★今回の散策は、明治からの文化財が中心となりましたが、樋口一葉にかかわる場所や、東大に近い地域のため文学者・学者にかかわる旧跡、更に美術館等、本郷一帯の広い地区を制覇し、ややきつい行程でしたが、皆元気に楽しく散策しました。いつも通り山本さんの解説は冴え、佐藤俊雄さんのユニークな資料も好評でした。今後も楽しい散策を企画したいと思います。
(報告:滝沢公夫 写真: 荒木彌榮子・国友康邦・山本浩)
[参加者] 荒木彌榮子・伊藤 徹・小川浩史・梶川允・梶川夫人・国友康邦・栗原政博・小林秀雄夫人・志村智雄・鈴木昭助・滝沢公夫・土井洪二・野村吉宏・堀田耕也・堀田夫人・山本浩・横田康平
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