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秩父34観音巡礼記
西国33・坂東33・秩父34の日本100観音詣りの結願達成 |
[その1]
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滝沢公夫(30法) |
[はじめに] |
★埼玉県を流れる荒川を遡っていきますと、やがて長瀞の渓谷風景となり、更に狭い秩父盆地に出ます。ここは、太古に地殻変動によって、海底から陸地に転じたところです。秩父は、崇神天皇の頃知知夫国として開かれ、後に秩父に改められ、武蔵国の一部になったといいます。
★慶雲五年(708)には、日本最初の銅貨・和銅開宝が作り出され、更に、山岳宗教や禅宗の影響もあって、勇壮な秩父武士が輩出、地域独特の文化が生まれ出たようです。
★西国札所は概ね平安時代、坂東札所は鎌倉時代に設けられたといわれますが、秩父札所はやや遅れて、室町時代中期頃と推定されます。当初は秩父も三十三カ所でしたが、以後一カ所追加され、日本百観音札所が成立しました。また、札所の順番も、江戸からの交通の都合から、大幅に変更されたようです。
★秩父は、本当に自然環境に恵まれた山紫水明の地であり、美しい景観や温かい人情に包まれて札所を巡ることにより、心が洗われ、物事を前向きに考えることができるようになったと思います。
★西国・坂東に比して規模はかなり小さいですが、俗化していない地での純朴な人々との接触が、心のふるさととして、多くの人を引き付けているのです。
(*西国33観音霊場、坂東33観音霊場、秩父34観音霊場を合わせて日本100観音と言い、その結願寺は秩父34番札所の水潜寺。結願したら長野の善光寺に参ることで満願となる。)
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[秩父三十四霊場の一覧]
番 |
山号 |
寺号 |
宗派 |
所在地 |
1 |
誦経山
ずきょうさん |
四萬部寺
しまぶじ |
曹洞宗 |
埼玉県秩父市 |
2 |
大棚山
おおたなさん |
真福寺
しんぷくじ |
曹洞宗 |
埼玉県秩父市 |
3 |
岩本山
いわもとさん |
常泉寺
じょうせんじ |
曹洞宗 |
埼玉県秩父市 |
4 |
高谷山
こうこくさん |
金昌寺
きんしょうじ |
曹洞宗 |
埼玉県秩父市 |
5 |
小川山
おがわさん |
語歌堂長興寺
ごかのどうちょうこうじ |
臨済宗南禅寺派 |
埼玉県横瀬町 |
6 |
向陽山
こうようざん |
卜雲寺
ぼくうんじ |
曹洞宗 |
埼玉県横瀬町 |
7 |
青苔山
せいたいざん |
法長寺
ほうちょうじ |
曹洞宗 |
埼玉県横瀬町 |
8 |
清泰山
せいたいさん |
西善寺
さいぜんじ |
臨済宗南禅寺派 |
埼玉県横瀬町 |
9 |
明星山
みょうじょうざん |
明智寺
あけちじ |
臨済宗南禅寺派 |
埼玉県横瀬町 |
10 |
万松山
ばんしょうざん |
大慈寺
だいじじ |
曹洞宗 |
埼玉県横瀬町 |
11 |
南石山
なんこくさん |
常楽寺
じょうらくじ |
曹洞宗 |
埼玉県秩父市 |
12 |
仏道山
ぶつどうざん |
野坂寺
のざかじ |
臨済宗南禅寺派 |
埼玉県秩父市 |
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[第1番札所 四万部寺(妙音寺)]
秩父発願の寺 [第一番] 四万部寺(妙音寺)
(山号) 経山 (宗派) 曹洞宗 (本尊) 聖観音
(所在地) 秩父市栃谷418
(巡礼歌) ありがたや一巻ならぬ法のはな 数は四万部の寺のいにしへ
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★いよいよ秩父の札所巡りが始まります。比較的狭い地域ではありますが、バスの便は悪く、自家用車を利用するか長距離を歩くことになります。四万部寺は、秩父鉄道の黒谷駅から徒歩四十分ほどのところにあります。やや道は分かりにくいですが、土地の人に聞けば親切に教えてくれます。
★途中、奈良時代に発見されたという銅の史跡があり、近くには秩父で最も古い和銅鉱泉があります。歴史を感じさせる地です。定峰川を渡りますと、この寺の門前に出ます。ここから、瓦葺、朱塗り、入母屋造りの本堂(県指定重文)が見えてきます。
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四万部寺本堂 |
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★本堂は、元禄十年(1697)建立、宝暦六年(1759)改修されたもので、中規模ながら落ち着いた古色に満ちた建物です。
★本尊の聖観音は、聖武天皇の頃(724-48)行基菩薩が刻んだものといわれ、永延二年(988)には、性空上人の弟子・幻通が四万部の経典を読み、経塚を築いたのが草創だそうです。江戸時代には、端山和尚の開基した妙音寺の管理下となり、合併されたものといわれています。
★納経を受け付ける庫裏と本堂の間には、風雅な施食堂があり、中央の八角の厨子の中には地蔵尊が安置されています。境内は比較的広く、明るい雰囲気で、これから巡る寺や道程への期待が高まります。あちこちに巡礼者が屯して、身支度を整えています。ここで納経帳や掛け軸を揃えて、次の札所に向かったのでした。
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[第2番札所 真福寺]
無住の寺 [第二番] 真福寺
(山号) 大棚山 (宗派) 曹洞宗 (本尊) 聖観音
(所在地) 秩父市山田3095
(巡礼歌) 廻り来て頼みをかけし大棚の 誓も深き谷川の水
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★真福寺は、第一番から徒歩四十分ばかり、高篠山の中腹にあり、途中からきつい山道になります。本堂は小さいながら禅宗様で、堂内の厨子に安置されている一木造りの本尊は室町時代のもので、その他にも二体の聖観音が安置されています。
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真福寺本堂 |
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★開基の大棚禅師は人々から慕われ、その名が山名になっています。今の本堂は明治三十年代に建てられたものですが,もとは壮麗なものであったようです。
★ここは無住の寺で、閑寂極まりなく、岩陰から地蔵が何体か見下ろしているだけです。納経は第三番とともに山下の光明寺で受けており、ここの本堂まで登ってくる人は少ないらしいです。なお、この寺は最後に札所として追加され、合計三十四カ所になりました。
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[第3番札所 常泉寺]
禅宗様の本堂 [第三番] 常泉寺
(山号) 岩本山 (宗派) 曹洞宗 (本尊) 聖観音
(所在地) 秩父市山田1392
(巡礼歌) 補陀洛は岩本寺と拝むべし 峰の松風ひびく滝津瀬
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★常泉寺は、二番から急坂を降り、天然記念物の金木犀の前を通って徒歩四十分のところにあります。道標に従って田圃の中を行きますと、本坊があります。弘化四年(1847)の火災で全焼し、安政五年(1858)に再建されたものですが、近づきますと案外規模は大きいです。
★ここから石段を登りますと、本堂があります。江戸末期、秩父神社境内に建てられたものを、明治三年(1870)に移築したものです。小さいながら向拝に工夫があり、素晴らしい禅宗様の建物です。
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常泉寺本堂 |
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★この寺の納経も、二番とあわせて光明寺で受けています。光明寺は、常泉寺から真福寺の方へ十五分ばかり戻る格好になります。ここは、文保二年(1318)に創建された名刹で、よく整備された明るい雰囲気の寺です。有難く二カ所分のご朱印を頂戴しました。
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[第4番札所 金昌寺(新木寺)]
子育観音で有名 [第四番] 金昌寺(新木寺)
(山号) 高谷山 (宗派) 曹洞宗 (本尊) 十一面観音
(所在地) 秩父市山田1803-2
(巡礼歌) あらたかに詣りて拝む観世音 二世安楽と誰も祈らん
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★金昌寺は、三番から徒歩二十分ほどのところにあります。途中には新木鉱泉があり、また近くにはね美山温泉や山田温泉があって、過去にはかなり繁盛した地のようです。
★高篠山が見えてきますと、すぐ茅葺の堂々たる仁王門があり、ここから入るとどこを見ても石仏ばかり、総数は千三百余りといいますから驚きです。独特の世界に迷い込んだような気持ちにさせられます。羅漢、観音、地蔵等さまざまな仏が仲良く並んでおり、県指定重文になっています。
★寛永元年(1624)住職・古仙登嶽が、寺門の隆盛と天災の犠牲者供養のために、千体の石仏安置を発願し、七年後に成就しましたが、その後も、関東各地、各階層の人々からの寄進が持続したとのことです。本当に態様は多彩で、ユーモアに満ちたものもあります。
★斜面を登って行きますと、中規模で古色蒼然たる本堂があります。本尊は、行基菩薩の作と伝えられますが、実際は室町時代のもののようです。この本尊が、荒木丹下という悪者を改心させたので、荒木寺とも称されるようになりました。
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金昌寺本堂 |
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★本堂の前に安置されている子育観音が、この寺を大変有名にしています。胸を拡げ、右手で乳房を掴み、これを幼児が銜え、幼児の左手は左の乳首を掴んでいます。本当に、優しい母親と無心な幼児の姿は胸を打ちます。キリストを抱いたマリアにも似ているので、マリア観音とも呼ばれますが、矢張り子育観音または慈母観音とみるべきものでしょう。
★起伏のある境内をゆっくりと巡り歩きますと、ほのぼのとした気持ちにさせられる貴重な寺だと思います。
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[第5番札所 長興寺(語歌堂)]
人形芝居の演じられる寺 [第五番] 長興寺(語歌堂)
(山号) 小川山 (宗派) 臨済宗 (本尊) 准胝観音
(所在地) 秩父郡横瀬町下郷6086
(巡礼歌) 父母の恵も深き語歌の堂 大慈大悲の誓たのもし
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★長興寺は、第四番から徒歩十五分くらいのところにあります。織姫神社の前を行って、左手の畑道に入りますと、前方に可愛らしい山門があり、この先に長興寺の本堂があります。ここでは、横瀬人形芝居が演じられ、現在納経所にもなっています。また、もとの道に戻り左折した右手には、仁王門と観音堂(語歌堂)がありますが、小さいながら江戸末期の建築で、古色に満ちています。
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長興寺本堂 |
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★伝説によりますと、長興寺は別の場所にありましたが、住職と親しい孫右衛門という者の篤い信仰により、長興寺を住職の家の場所に移転させて菩提寺とし、現在の長興寺はそれ以来のものといいます。
★観音堂(語歌堂)は、本間孫八という者の創立によるといわれ、孫八は慈覚大師の彫刻した准胝観音を安置していました。ある日、旅人が訪ねてきて和歌の奥義を論じましたが、翌日姿を消し、この旅人が聖徳太子の化身と分かって語歌堂と名付けたといいます。その後、語歌堂は長興寺に売り払われ、長興寺の境内にありましたが、享保五年(1720)現在の場所に移転したとのことです。
★横瀬人形芝居は、かなり歴史のある貴重な無形文化財ですが、人形座の結成されたのは安政年間のようで、現在の家元は長興寺の隣りに住んでいます。長興寺と語歌堂と人形芝居の歴史的関係は複雑で、大変分かりにくい寺なのです。
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[第6番札所 ト雲寺(荻ノ堂)]
静寂と美しい景色 [第六番] 卜雲寺(荻ノ堂)]
(山号) 向陽山 (宗派) 曹洞宗 (本尊) 聖観音
(所在地) 秩父郡横瀬町刈米1430
(巡礼歌) 初秋に風吹き結ぶ荻の堂 宿かりの世の夢ぞ覚めける
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★卜雲寺は、第五番札所から車ならば十分、徒歩で四十分のところにあります。できれば、小川に沿った昔の田んぼ道をのどかに辿るのが良いでしょう。素晴らしい景観の中に、民家風の可愛らしい本堂があります。多くの納札や、周囲の手入れの行き届いていることから、観音霊場の雰囲気は伝わってきます。あくまで静寂そのものです。
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卜雲寺 |
横瀬町HPから転借 |
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★本尊の聖観音は行基菩薩の作といわれ、当初は武甲山頂に安置されていましたが、その後とか池というところに安置されたところ、この地は荻が多く、ここを修行の地とした禅僧がご詠歌を聞いて悟り、ここに堂宇を建立して荻の堂と名づけ、更に、宝暦十年(1760)現在地に移転したとのことです。
★荻ノ堂と卜雲寺は現在一緒になっていますが、卜雲寺の開基は嶋田与左衛門(寛永七年没)といわれます。荻ノ堂縁起絵巻や清涼寺式釈迦如来等の寺宝があるそうです。
★狭い静かな境内にたたずんでいますと、山間の美しい景色に心が洗われるようです。
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[第7番札所 法長寺(牛伏堂)]
元秩父札所連合会長の寺 [第七番] 法長寺(牛伏堂)]
(山号) 青苔山 (宗派) 曹洞宗 (本尊) 十一面観音
(所在地) 秩父郡横瀬町刈米1508
(巡礼歌) 六堂を兼ねて巡りて拝むべし 又後の世を聞くも牛伏
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★法長寺は、第六番札所から徒歩七分という近い場所にあります。「青苔山」という扁額の掛かった古めかしい山門を入りますと、正面に間口十間、奥行き八間という堂々たる本堂があります。観音堂が天明二年(1782)に焼失し、以来本尊はここに安置されています。
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法長寺(牛伏堂) |
横瀬町HPから転借 |
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★寺伝によりますと、花園左衛門の家来が平将門に敗れ、この地で亡くなりましたが、妻が夢の中で、夫が牛の子になって苦しんでいることを知り、妻は出家して夫の苦しみを救ったといいます。このことからねここは牛伏と呼ばれるようになったそうです。一方、牧童の前に牛が現れて動かなくなり、草の中から観音像が見つかったのでこれを安置し、牛伏といわれるようになったとの説もあります。
★本尊は、行基菩薩の作と伝えられますが、実際は江戸時代のもののようです。本堂内陣の欄間には、四国・志度寺縁起の彫刻があり、また、天井には花鳥画があって優雅な堂内です。
★納経は庫裏で受けますが、ここの住職は、元秩父札所連合会長であったとのことで、巡礼者への配慮は行き届いています。
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[第8番札所 西善寺]
天然記念物の巨木のある寺 [第八番] 西善寺
(山号)青苔山 (宗派)臨済宗南禅寺派 (本尊)十一面観音
(所在地)秩父郡横瀬町根古屋598
(巡礼歌)ただたのめまことの時は西善寺 きたりむかへん弥陀の三尊
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★西善寺は、第七番から徒歩三十分ばかり、バスならば、秩父と正丸峠の間の根古屋下車、十分ばかりです。西武秩父線を渡りますと、前方に武甲山が迫ってきます。途中左手の急坂を登って行きますと、右手に簡素な門があり、ここを入りますと中規模、禅宗様の本堂があります。
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西善寺 |
横瀬町HPから転借 |
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★本堂は、文化七年(1810)に焼失し、弘化二年(1845)の再建と推定されます。堂前には、樹齢五百年といわれるコミネモミジの巨木があり、天然記念物に指定されています。
★本尊は恵心僧都の作といわれ、また、開山は臨済宗円福寺(秩父市田村)の竹印和尚(寛政五年没)といわれます。比較的ゆったりとした、閑寂な境内を持つ寺でした。
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[第9番札所 明智寺]
寂しい寺 [第九番] 明智寺
(山号)明星山 (宗派)臨済宗 (本尊)如意輪観音
(所在地)秩父郡横瀬町中郷2160
(巡礼歌)巡りきてその名を聞けば明智寺 心の月はくもらざるらん
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★明智寺は、第八番から徒歩三十分、バスならば、秩父方面へ横瀬農協下車、徒歩三分のところにあります。本堂は昭和十六年に焼失し、長年民家のような小規模な仮堂でしたが、平成2年に現在の観音堂に建てなおされました。境内に見るべきものはありませんが、裏手に三基の板碑があって、これはかなり古いもののようです。
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明智寺 |
横瀬町HPから転借 |
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★寺名の由来は、建久二年(1191)明智禅師が堂宇を建立し、恵心僧都が刻んだ如意輪観音を安置したところからきているとのことです。訪れる人は全く見当たらず、寂しい限りの寺でした。
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[第10番札所 大慈寺]
(山号)万松山 (宗派)曹洞宗 (本尊)聖観音
(所在地)秩父郡横瀬町十六区5151
(巡礼歌)ひたすらに頼みをかけよ大慈寺 六の巷の苦にかはるべし
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★大慈寺は、第九番から交通頻繁な国道を経由して徒歩三十分、バスならば秩父方面の坂永下車十分ほどのところにあります。やや台地になったところの石段を登りますと仁王門があり、ここを入りますと珍竹梅という珍木があります。
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大慈寺 |
横瀬町HPから転借 |
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★正面の本堂は、小規模ながら落ち着きがあります。本尊は、恵心僧都が刻んだといわれています。開山は延徳二年(1490)、東雄禅師によるとも、明応二年(1391)同禅師の再興か開祖かともいわれ、明瞭ではありません。厨子の前には、庶民的な子育観音像が安置されていて好ましいです。
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♪BGM:Chopin[Nocturne8]arranged by Pian♪ |
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表紙へ |
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心を癒す
古寺めぐり
目 次 |
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秩父34観音
その2 |
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