◆双塔のひとつ[当麻寺・三重塔(東塔)(国宝)](北葛城郡当麻町当麻1263)
★当麻寺は、近鉄当麻寺駅からほど近く、15分程度で着く。古い町並みと田園風景の入り混じった道を行くと、前方にそこはかとない森が見えてきて、突き当たりに仁王門がある。
★仁王門を入ると、広大な境内には多数の堂宇が散在し、すぐ左手に東塔、更に奥には西塔が屹立している。東西の古い両塔が揃っているのは、大変珍しい例だ。
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当麻寺・三重塔(東塔) |
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★東塔は奈良時代前期の建立で、国宝に指定され、高さ23メートル、実に均整のとれた、素朴そのものの仏塔だ。竹やぶの中の一段高い場所にあり、遠くからも望むことが出来る。相輪の中の九輪が、通常九個なのに八個しかないのが特徴となっている。また、相輪の中の水煙が、魚の骨のようになっているのも面白い。
★当麻寺は、用明天皇の皇子の創建といわれ、その後各種の推移があって、天武天皇の時代に伽藍が整ったとのことだ。現在、真言宗と浄土宗の両宗に属する、珍しい寺院である。
★境内には、本堂等の国宝や、多くの重文があり、ゆっくりと見て回りたいものだ。このような歴史のある寺院は極めて貴重であり、特に二つの仏塔が揃っているのは稀有のことであるので、大切に保存して行かねばと思う。
◆双塔のもうひとつ[当麻寺・三重塔(西塔)(国宝)](東塔に同じ)
★東塔のすぐ奥に西塔が屹立している。高さは東塔とほぼ同じという。建立は東塔よりやや遅れ、奈良時代後期から平安時代前期らしい。相輪の九輪が八個である点は、東塔と同様だ。全体的に東塔と似ているが、やや美しい感じがある。国宝塔としての貫禄は十分だ。
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当麻寺・三重塔(西塔) |
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★当麻寺の境内から西方を見上げると、大阪府との境にある二上山を、美しく望むことが出来る。万葉集ゆかりの山で、昔から一度登ってみたかった山だ。だらだらと坂道を30分ばかり行くと、登山口になり、ここから1時間ほどの急坂を登ると頂上に出る。頂上には、大津皇子の墓所があり、謀殺された皇子を偲んで胸が熱くなる。万葉集の次の名歌は、伊勢の斉宮であった大来皇女が、弟・大津皇子を悼んで詠んだ絶唱で、本当に涙の出るほどのものだ。
うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を兄弟(いろせ)とわが見む (巻2−165)
★山を下り、古墳をみたりしながら当麻寺に戻り、更に古代相撲の発祥地・蹴速の碑を見ながら駅に向かった。途中、何回も当麻寺の両塔と二上山を振り返り、素晴らしい当麻の里に、熱い別れを告げたのであった。
◆国内で二番目の高さ[興福寺・五重塔(国宝)](奈良市登大路町48)
★興福寺は、近鉄奈良駅から15分ほど、広大な奈良公園の入口、広沢池の上にある。多くの鹿が屯する開放的な境内は、奈良公園と併せて散策に最適だ。数知れず来ているが雰囲気は素晴らしく、昔修学旅行で来た青春の頃をも思い起こさせる。東大寺や春日大社、新薬師寺等の名所もほど近い場所にある。
★興福寺の五重塔は、高さ50メートル、京都の東寺五重塔に次ぐ、我国二番目の高さを持つ。瓦葺きで、屋根の逓減も適正、実に堂々としていて、天空に突き刺さっている感じだ。
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興福寺・五重塔 |
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★五重塔は、室町時代に再建されたもので、国宝になっている。災害や兵火により度々炎上し、六回目に再建したものが残っているという。大変な歴史を秘めた仏塔だ。
★興福寺は、奈良時代に藤原氏がらみで開基され、幾多の変遷を経て、歴代天皇や藤原氏の援助で大寺になっていったようだ。しかし、明治維新の廃仏棄釈で荒れ果て、五重塔も50円で売却されそうになったとのことだ。その後寺と信者の努力で復興し、現在、西国33観音霊場9番札所として、信者や観光客の参詣は極めて多い。
★境内には文化財が極めて多く、国宝では東金堂、北円堂や宝物館の阿修羅像等の仏像があり、素晴らしい雰囲気の中で、ゆっくりと一日を過ごしたいものだ。
◆隠れた優秀塔[興福寺・三重塔(国宝)](五重塔に同じ)
★興福寺三重塔は、境内の南東の隅、一段低い場所に鎮座している。従って、人目につかず、多くの人は五重塔しか眼に入らず、三重塔の存在に気がつかない。実に繊細で優美な塔だけに、残念でならない。
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興福寺・三重塔 |
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★三重塔は、もともと鎌倉時代に建立されたが、焼失のため室町時代に再建されたもので、五重塔と同じく国宝になっている。三重塔としては、全国でも屈指のものといえよう。興福寺で、もっと周知を図って貰いたいと思う。
◆多角経営の寺院[霊山寺・三重塔(国指定重文)](奈良市中町3873)
★霊山寺へは、近鉄奈良線富雄駅からバスで行く。赤い橋を渡ると、大伽藍の風格を持つ境内に入る。境内には多くの堂宇が散在し、特に、国宝の本堂は堂々たるもので、圧倒される。
★更に驚くのは、広大な薔薇園があって、各種の花が咲き乱れていることと、大きなゴルフ練習場があって、球音が聞こえてくることだ。この寺はかなりの事業家が運営しているらしい。
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霊山寺・三重塔 |
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境内のばら園 |
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★霊山寺の三重塔は、左手の丘の上に鎮座している。高さ17メートルで、大変均整がとれていて美しい。室町時代の建立で、国指定重文となっている。内部は見られなかったが、一面に装飾されているそうだ。
★霊山寺は、奈良時代、行基菩薩の開基によるもので、その後、北条、豊臣、徳川等の各氏の帰依で隆盛となったものという。明治の廃仏棄釈で一時荒廃したが、次第に復興し、現在は西国薬師霊場2番になって、庶民の篤い信仰に支えられているようだ。私も何回も来ているが、独特の雰囲気は好ましく思う。
(続く)
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