いなほ随想
特  集

仏塔巡り歩る記


滝沢公夫(30法)

<第7集>


連載第41回


★今回から、文化財全般でも仏塔でも大本命である、奈良県に入ります。


[奈良県編]

◆日本最古の五重塔[法隆寺・五重塔(国宝)](生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1)

★法隆寺は、関西本線法隆寺駅からバスで行くのが最も便利だ。昔は駅から五重塔が遥かに眺められ、心のときめきを覚えながら歩いていったことが数多いが、現在は住宅が建ち並び、全く展望は無くなってしまった。また、近鉄奈良駅からバスで行く方法もあるが、時間がかかり、料金も高いので止めた方が良い。一度この方法で行ったことがあるが、懲りてしまった。

★バスは参道を通り、南大門の前まで行く。南大門を入り、回廊から五重塔、金堂、講堂を眺め回す時の厳粛な感動は、何時行っても変わらない。五重塔が左側、金堂が右側に並んだ、いわゆる法隆寺方式は、特に印象的だ。このあたりは西院伽藍と言い、大変広大な面積の中に多くの堂宇が散在している。

法隆寺・五重塔 夕景の五重塔

★法隆寺の五重塔は、高さ31メートル、軒の反りは少なく、下層から上層への逓減は適正で、全体に安定感が十分だ。余りの荘厳さに、しばし時を忘れて立ちすくんでしまう。初層の下に裳階がついている点は大変な特徴だ。飛鳥時代の建立で、我国最古の五重塔として国宝に指定されている。

★初層の内陣には、四面ともに塑像があり、東面は菩薩の問答、西面は仏舎利の分配、南面は菩薩の説法、北面は釈迦の入滅となっており、大変興味深く貴重なものだ。

★境内には、国宝釈迦三尊像のある飛鳥時代の金堂、平安時代の講堂、国宝百済観音像や夢違観音像等のある、新しい大宝蔵院等が含まれる西院伽藍のほか、少し離れた場所に東院伽藍があり、国宝夢殿には秘仏救世観音が安置されており、特定の時期のみ公開される。境内の国宝・重文は2,300点に及び、これだけの文化財を保有する寺はほかに存在しない。

法隆寺・夢殿

★境内の南側には若草伽藍跡があり、近代の研究では、法隆寺はもと若草伽藍にあり、火災により現在地に移築したものとの説が有力となっている。いずれにしても、法隆寺は用明天皇が自らの病気平癒を願って請願し、その後推古天皇と聖徳太子が開基したものといわれており、その地域全体とともに世界文化遺産となっている。

★法隆寺は修学旅行の定番となっていて、私も昔経験があるが、見所が大変多く、拝観する文化財も膨大だ。境内から出て振り返ると、歴史を秘めた美しい五重塔が、見送ってくれる感じがしてくる。数々の見所を思い出し、遠い飛鳥時代を偲びながら、厳粛な気分でバスの人となった。


◆日本最古の三重塔[法起寺・三重塔(国宝)](生駒郡斑鳩町岡本1873)

★法隆寺から、如意輪観音の中宮寺、再建三重塔の法輪寺と回り、ゆったりと風物を楽しみながら斑鳩の里を歩いていくと、30分程度で法起寺に着く。昔来た時は、境内に自由に入れ、三重塔もかなり痛みがひどかったが、現在は、新しい西門から入ると拝観受付があって、いたるところに「撮影禁止」の看板が建ち並んでいる。なんでそのような規制が必要なのか、理解できない。

★三重塔は正面に鎮座している。高さ23メートルほど、綺麗に補修されて、素朴ながら見栄えがする。バランスも大変宜しい。飛鳥時代の建立で、国宝になっている。三重塔としては全国で最古の貴重なものだ。良く長年の風雪に耐えてきたものだと思う。法起寺の開基は、聖徳太子が死に臨んで、子の山背大兄王に開基を命じたことによるものという。その後、堂宇の整備や宗派の改変が行われてきたようだ。

法起寺・三重塔

★法起寺の三重塔は、法隆寺、法輪寺と並んで、飛鳥の三古塔といわれたが、法輪寺は火災による再建塔であり、本当に残念だ。しかし、ここ斑鳩の里を歩くことで、遠い飛鳥時代を偲び、しみじみとした気分にさせられる。


◆凍れる音楽と評された[薬師寺・三重塔(東塔)(国宝)](奈良市西ノ京町457)

★薬師寺は、近鉄橿原線の西ノ京駅で下車するとすぐのところにある。南門を入ると、正面に昭和51年に再建された金堂、左手に昭和56年に再建された西塔があり、右手に貫禄のある東塔が屹立している。

薬師寺・西塔 薬師寺・東塔

★東塔は、各層に裳階を持つため、一見すると六重塔のようだ。屋根は瓦葺きで、屋根と裳階が一定のリズムをもって軽やかでもある。全体に黒々としており、相当な歴史を感じさせる。高さ33メートル、奈良時代の建立で、本当に国宝に恥じない素晴らしい仏塔だ。古来、文学者も褒め称え、亀井勝一郎は「大和古寺風物誌」において、東塔が近づいてくる悦びを「ああ塔がみえる」と表現している。また、フェノロサは、「凍れる音楽」と形容している。

★薬師寺は、天武天皇により発願され、持統天皇、文武天皇の時代に完成、当時の大伽藍は我国随一を誇ったとのことだ。しかし、その後災害や兵火によって、東塔を除く殆ど総ての堂塔が灰燼に帰してしまった。

★それにしても、東塔は良く残ったものだ。最近は、境内の堂塔の再建は極めて活発で、金堂、西塔、講堂、回廊と続いている。観光客への対応も大変積極的で、ややがめつい、との評もあるが、姿勢は概ね評価してよいであろう。


◆将来が楽しみ[薬師寺・三重塔(西塔)](東塔に同じ)

★西塔は、東塔の西側に、双子のように近接して建っている。東塔の古色と西塔の黄金色という対比が大変面白い。もともとの西塔は、室町時代に焼失してから再建されなかった。それが昭和56年になって再建されたのは、前管長・高田好胤師と西岡常一棟梁の大変な熱意と研究によるものという。両氏に絶大な賛辞を送りたい。

薬師寺・西塔

高さは東塔よりも30センチほど高く、屋根の反りもややきつくしてある。これは、将来仏塔の重みで自然に縮むことを、精密に計算した結果だという。本当に頭の下がる思いだ。

O西側の線路越しの池から見た両塔は、格好の題材として、画家や写真家に好まれており、本当に惚れ惚れする風景だ。
                                                                                                                          (続く)



連載第42回


[奈良県編]続き1


◆双塔のひとつ[当麻寺・三重塔(東塔)(国宝)](北葛城郡当麻町当麻1263)

★当麻寺は、近鉄当麻寺駅からほど近く、15分程度で着く。古い町並みと田園風景の入り混じった道を行くと、前方にそこはかとない森が見えてきて、突き当たりに仁王門がある。

★仁王門を入ると、広大な境内には多数の堂宇が散在し、すぐ左手に東塔、更に奥には西塔が屹立している。東西の古い両塔が揃っているのは、大変珍しい例だ。

当麻寺・三重塔(東塔)

★東塔は奈良時代前期の建立で、国宝に指定され、高さ23メートル、実に均整のとれた、素朴そのものの仏塔だ。竹やぶの中の一段高い場所にあり、遠くからも望むことが出来る。相輪の中の九輪が、通常九個なのに八個しかないのが特徴となっている。また、相輪の中の水煙が、魚の骨のようになっているのも面白い。

★当麻寺は、用明天皇の皇子の創建といわれ、その後各種の推移があって、天武天皇の時代に伽藍が整ったとのことだ。現在、真言宗と浄土宗の両宗に属する、珍しい寺院である。

★境内には、本堂等の国宝や、多くの重文があり、ゆっくりと見て回りたいものだ。このような歴史のある寺院は極めて貴重であり、特に二つの仏塔が揃っているのは稀有のことであるので、大切に保存して行かねばと思う。


◆双塔のもうひとつ[当麻寺・三重塔(西塔)(国宝)](東塔に同じ)

★東塔のすぐ奥に西塔が屹立している。高さは東塔とほぼ同じという。建立は東塔よりやや遅れ、奈良時代後期から平安時代前期らしい。相輪の九輪が八個である点は、東塔と同様だ。全体的に東塔と似ているが、やや美しい感じがある。国宝塔としての貫禄は十分だ。

当麻寺・三重塔(西塔)

★当麻寺の境内から西方を見上げると、大阪府との境にある二上山を、美しく望むことが出来る。万葉集ゆかりの山で、昔から一度登ってみたかった山だ。だらだらと坂道を30分ばかり行くと、登山口になり、ここから1時間ほどの急坂を登ると頂上に出る。頂上には、大津皇子の墓所があり、謀殺された皇子を偲んで胸が熱くなる。万葉集の次の名歌は、伊勢の斉宮であった大来皇女が、弟・大津皇子を悼んで詠んだ絶唱で、本当に涙の出るほどのものだ。

 うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を兄弟(いろせ)とわが見む  (巻2−165)

★山を下り、古墳をみたりしながら当麻寺に戻り、更に古代相撲の発祥地・蹴速の碑を見ながら駅に向かった。途中、何回も当麻寺の両塔と二上山を振り返り、素晴らしい当麻の里に、熱い別れを告げたのであった。


◆国内で二番目の高さ[興福寺・五重塔(国宝)](奈良市登大路町48)

★興福寺は、近鉄奈良駅から15分ほど、広大な奈良公園の入口、広沢池の上にある。多くの鹿が屯する開放的な境内は、奈良公園と併せて散策に最適だ。数知れず来ているが雰囲気は素晴らしく、昔修学旅行で来た青春の頃をも思い起こさせる。東大寺や春日大社、新薬師寺等の名所もほど近い場所にある。

★興福寺の五重塔は、高さ50メートル、京都の東寺五重塔に次ぐ、我国二番目の高さを持つ。瓦葺きで、屋根の逓減も適正、実に堂々としていて、天空に突き刺さっている感じだ。

興福寺・五重塔

★五重塔は、室町時代に再建されたもので、国宝になっている。災害や兵火により度々炎上し、六回目に再建したものが残っているという。大変な歴史を秘めた仏塔だ。

★興福寺は、奈良時代に藤原氏がらみで開基され、幾多の変遷を経て、歴代天皇や藤原氏の援助で大寺になっていったようだ。しかし、明治維新の廃仏棄釈で荒れ果て、五重塔も50円で売却されそうになったとのことだ。その後寺と信者の努力で復興し、現在、西国33観音霊場9番札所として、信者や観光客の参詣は極めて多い。

★境内には文化財が極めて多く、国宝では東金堂、北円堂や宝物館の阿修羅像等の仏像があり、素晴らしい雰囲気の中で、ゆっくりと一日を過ごしたいものだ。


◆隠れた優秀塔[興福寺・三重塔(国宝)](五重塔に同じ)

★興福寺三重塔は、境内の南東の隅、一段低い場所に鎮座している。従って、人目につかず、多くの人は五重塔しか眼に入らず、三重塔の存在に気がつかない。実に繊細で優美な塔だけに、残念でならない。

興福寺・三重塔

★三重塔は、もともと鎌倉時代に建立されたが、焼失のため室町時代に再建されたもので、五重塔と同じく国宝になっている。三重塔としては、全国でも屈指のものといえよう。興福寺で、もっと周知を図って貰いたいと思う。


◆多角経営の寺院[霊山寺・三重塔(国指定重文)](奈良市中町3873)

★霊山寺へは、近鉄奈良線富雄駅からバスで行く。赤い橋を渡ると、大伽藍の風格を持つ境内に入る。境内には多くの堂宇が散在し、特に、国宝の本堂は堂々たるもので、圧倒される。

★更に驚くのは、広大な薔薇園があって、各種の花が咲き乱れていることと、大きなゴルフ練習場があって、球音が聞こえてくることだ。この寺はかなりの事業家が運営しているらしい。

霊山寺・三重塔
境内のばら園

★霊山寺の三重塔は、左手の丘の上に鎮座している。高さ17メートルで、大変均整がとれていて美しい。室町時代の建立で、国指定重文となっている。内部は見られなかったが、一面に装飾されているそうだ。

★霊山寺は、奈良時代、行基菩薩の開基によるもので、その後、北条、豊臣、徳川等の各氏の帰依で隆盛となったものという。明治の廃仏棄釈で一時荒廃したが、次第に復興し、現在は西国薬師霊場2番になって、庶民の篤い信仰に支えられているようだ。私も何回も来ているが、独特の雰囲気は好ましく思う。

                     (続く)




連載第43回

[奈良県編]続き2


◆我国最小の五重塔[室生寺・五重塔(国宝)](宇陀郡室生村室生78)

★室生寺は、近鉄室生口大野駅からバスに乗車、30分ばかりの山中にある。途中は渓谷沿いで、釣り客も多く見られ、のどかな雰囲気だ。太鼓橋を渡ると広大な境内に入るが、深山幽谷の感じが、何回来ても感動的である。「女人高野」と称されているが、高野山と異なって、女性にも入山を許していたことからという。

★境内は緩やかな丘陵になっていて、数多くの堂塔は総て石段で結ばれている。一番奥の石段下から見上げると、目指す五重塔が鎮座している。高さ16メートルで、日本一小さい五重塔だ。大変均整がとれていて、美しく可愛らしい。特徴としては、相輪の上方にある水煙の部分が、独特な天蓋状になっていることだ。

室生寺・五重塔(改修前のもの) 室生寺・五重塔(改修前のもの)

★大変残念なことは、平成10年9月の台風で大木が倒れ掛かり、各層の屋根が大破してしまったことである。幸い、平成12年10月には完全に修復がなされ、もと通りの素晴らしい仏塔になったとのことであるが、私は未だ確認に行っていない。一度ぜひ訪れたいと思う。

★室生寺五重塔は平安時代の建立で、国宝に指定されている。境内には金堂等の建築物や釈迦如来等の仏像が数多くあり、その多くが国宝または重文に指定されていて、ここは文化財の宝庫だ。私は、可愛らしい十一面観音が大好きである。

★この地は古代から水神の聖地となっており、近くには龍穴神社もある。室生寺は、奈良時代に興福寺の僧が、勅命により開基したものという。現在、西国薬師霊場8番になっていて、信者のほか観光客の参詣はひっきりなしだ。特に、紅葉と石楠花の季節は最高の人出となる。五重塔と文化財、それに豊かな自然と雰囲気、何回来ても心が慰められる寺である。


◆平野の中の仏塔[百済寺・三重塔(国指定重文)](北葛城郡広陵町百済1411)

★百済寺は、近鉄田原本町駅からバスで行くが、本数が少ないので、一回目に来たときは40分ばかり歩いてしまった。二回目のときは、短歌研究会の仲間と一緒だったので、ジャンボタクシーを使った。本当に不便な場所で、田畑の真ん中にぽつりとある。

★しかし、遥かから仏塔が近づいてくるアプローチは、心のときめく素晴らしいものだ。入口に大鳥居があり、一瞬神社に来たような感覚となる。境内に入ると、左側は春日神社、右側が百済寺になっていて、なんとなく納得させられる。百済寺の三重塔は、神社と寺の真ん中に鎮座している。大変均整がとれていて、美しい形だ。室町時代の建立で、国指定重文となっている。旧法では国宝だ。

百済寺・三重塔(遠景)
百済寺・三重塔

★百済寺は、舒明紀には、「・・・百済川のほとりを以て宮所とす・・・西の民は宮を造り、東の民は寺を造る・・・」とあって、神社と寺が造られたのはこの地であったろうと推定されるが、その後寺は移転して、大官大寺から大安寺となったとも言われ、そのへんの状況は明確でない。ただ、大変な歴史を持つ寺であることは確かだ。

★境内に、万葉集にある山部赤人の歌碑が、ひっそりと隠れている。

「百済野の萩の古枝に春待つと居りしうぐひす鳴きにけむかも」  (巻8−1431)

★いずれにしても、謎を秘めた寺の素晴らしい仏塔が、このような辺鄙な平地にあることに、大きな感慨を覚えた。


◆壷阪霊験記の[壷阪寺(南法華寺)・三重塔(国指定重文)](高市郡高取町壷阪3)

★壷阪寺へは近鉄壷阪駅からバスで行くが、本数が極めて少ないので、タクシーを利用した。壷阪寺は山の中腹のような丘陵地帯にあり、境内はかなりの段差があって、しかも広大だ。

★三重塔は、境内でも最も高い場所に屹立している。高さ23メートル、それこそ大空に突き刺さっているような立派さだ。均整も良い。室町時代に再建されたもので、国指定重文になっている。

壷阪寺[南法華寺)・三重塔

★壷阪寺は、奈良時代の開基といわれ、特に平安時代には大伽藍であったようだ。その後盛衰があったが、現在は西国33観音霊場6番札所になっていて、信者の参詣も多い。

★この寺を有名にしているのは、浄瑠璃「壷阪霊験記」のお里、沢市の純愛物語だ。境内には目薬の木があったり、本堂に杖があったり、目薬を売っていたりする。まさに霊験記さまだ。このほか、寺では印度との連携が深く、印度から来た大観音像も境内に屹立している。また、老人ホームも経営していて、本当に各方面に大活躍だ。樹木や美しい花々も各所に配置され、やや行き過ぎの面もあるが、素晴らしい別天地となっている。

                      (続く)




連載第44回

[奈良県編]続き3

★我が国唯一の十三重塔[談山神社・十三重塔(国指定重文)](桜井市多武峰319)

★談山神社は、近鉄桜井駅からバスで行くが、本数が比較的多いので、私は大阪在勤当時から何回か訪れ、そのたびに新しい感動を受けた。途中に国宝十一面観音のある聖林寺があり、そこを過ぎると次第に深山幽谷の雰囲気になって、多武峰に入って行く。

★大鳥居から境内に入ると、ここも深山の中だ。一番奥に十三重塔が屹立している。初層の屋根が大きく、その他の屋根は互いに接していて、軸部がない。なんとも珍しい仏塔だ。高さは16メートル、よく見るとなかなか美しい。相輪の上にある九輪が七個しかないのも特徴だ。談山神社・十三重塔は、かなり古いもののようだが、度々の焼失によって現在のものは室町時代に再建され、国指定重文になっている。

談山神社・十三重塔 談山神社・十三重塔

★談山神社は、藤原鎌足を祀ったものだが、もともと妙楽寺という寺であった。明治になって神社になったものという。また、鎌足と中大兄皇子が大化改新を談合したことから、社名になったそうだ。

★境内には、本殿等の建造物や多くの仏像があって、国宝または重文になっている。また、大杉や灯篭、石塔等もあって、見所は多い。紅葉の季節は最高の雰囲気であり、突然の驟雨も得難い経験だ。一日ゆったりと雰囲気に浸りたい神社である。


◆最古の厄除け霊場[松尾寺・三重塔](大和郡山市松尾山)

★松尾寺は、近鉄郡山駅からバスで行くが、本数が少ない上に、バス停から1時間ばかり急坂を登ることになるので、私は法隆寺から二時間ばかり歩いて登った。

★山門を入ると堂宇が散在し、一番奥の石段上の狭い場所に三重塔が鎮座している。朱色で、平凡な形ではあるが、安定性がみられる。高さは16メートルほど、明治21年に再建されたものだ。もともとはかなり古いもののようだ。

松尾寺・三重塔

★松尾寺は、天武天皇の皇子が、日本書紀の完成と厄除けを祈念して開基したもので、歴代皇室の後援を得た由緒ある寺だ。現在、日本最古の厄除け霊場と言われ、不便な地にも拘わらず参詣者はかなり多く、活気がある。境内には、重文の本堂をはじめとして多くの仏像があり、文化財の宝庫といえよう。苦労してやってきた甲斐があるというものだ。


◆花の寺として有名[長谷寺・五重塔](桜井市初瀬731)

★長谷寺は、近鉄長谷寺駅から、土産物店の並ぶ通りを20分ばかり行ったところにある。仁王門から長い回廊を登っていくと、素晴らしい重文の本堂に出る。ここから谷超えに五重塔が望める。本堂に向かって左側だ。

★長谷寺・五重塔は、高さ20メートルほど、小振りながら実に均整がとれていて、本当に美しい。朱や青で塗られている部分もある。古くは三重塔があったが、再建されることなく、昭和29年にこの五重塔が建立された。

長谷寺・五重塔

★長谷寺は、奈良時代、道明、徳道上人により開基された古刹で、現在西国33観音霊場8番札所になっている。従って、全国からの参詣者は後を絶たず、常に賑わっている。境内には、桜、牡丹、紫陽花、紅葉等が季節それぞれに美しく、「花の寺」として有名で、まことに情趣深いものがある。また、十一面観音等の重文の仏像や国宝の経巻等もあって、文化財の宝庫でもある。ゆっくりと雰囲気を味わいたい寺だ。


◆飛鳥路巡りの中心[岡寺(龍蓋寺)・三重塔](高市郡明日香村岡806)

★飛鳥路は、昔から貸し自転車や自家用車で何回も巡った、大変懐かしい場所だ。その中央部分にこの岡寺がある。バスならば近鉄橿原神宮駅から行く。貸し自転車屋も駅前にある。

緩い上り坂から仁王門に入ると、多くの堂宇が散在している。先ず感心するのは、季節それぞれの花々が豊富に咲き乱れていることだ。石楠花、躑躅、紫陽花更には紅葉と、いつも絶えることがない。

★岡寺の三重塔は、境内の右手奥、一寸離れた高い場所に屹立している。高さ15メートルほど、軒の出が深く、各層の逓減は少ないが、それなりに美しさがある。もともと古くから三重塔があったが、倒壊後は長年復興されなかった。それが、昭和61年になって、弘法大師記念として再建されたものという。もともとは本堂のそばにあったが、離れた場所への再建になったようだ。

岡寺・三重塔(寺のパンフレットから

★岡寺は、奈良時代、天智天皇が義淵僧正に下賜された場所に開基されたといい、大変な古刹だ。現在、西国33観音霊場7番札所になっていて、全国からの参詣者や観光客の参詣は大変多い。

★岡寺は龍蓋寺ともいうが、これは、出没する龍を蓋で閉じ込めた、という伝説に基づくものという。岡寺のある明日香村一帯は、飛鳥時代からの遺跡、仏像等多くのものがあり、大変貴重な場所だ。自転車または徒歩で、一日かけて存分に闊歩したい。

★写真を紛失したので、寺発行のパンフレットの写しで替えさせて戴く。

                      (続く)




連載第45回

[奈良県編]続き4


◆ポックリ往生の寺[吉田寺(きちでんじ)・多宝塔(国指定重文)](生駒郡斑鳩町小吉田1−1−23)

★吉田寺は、関西本線王子駅からバスに乗車、竜田神社で下車してすぐだ。小道から山門を入ると、意外に狭い境内となる。堂宇は僅かだ。しかし、狭い境内は老人であふれている。重文の本尊・阿弥陀如来の前で、懸命に念仏を唱えている。ここは、ポックリ寺として有名で、遠方からもバスを仕立ててやってくる。

吉田寺入り口

★住職の妻が、親切に案内し説明してくれる。多宝塔は、奈良県で珍しい重文となっている。室町時代の建立で、瓦葺き、軒下に若干の特徴はあるようだ。高さは12メートル、小さいが形は美しく、惚れ惚れとする。このままポックリ逝っても良い、と思ってしまう。

吉田寺・多宝塔

★吉田寺は、天智天皇の勅願により開基され、その後源信によって阿弥陀如来が安置されたものという。大変な古刹である。見るべき堂宇や仏像は少ないが、美しい多宝塔を振り返りながら寺を後にした。


◆上層を失った多宝塔[不退寺・多宝塔(下層)(国指定重文)](奈良市法蓮垣内町517)

★不退寺は近鉄西大寺駅または奈良駅からバスで行くが、私は東大寺転害門から、一条通りを一時間ばかり歩いて行った。ここは、所謂佐保路という歴史を秘めた場所の一部で、そこはかとない情趣を感じることができる。

★南門から境内に入ると、正面に本堂がある。その右手に池があり、その前に多宝塔が鎮座している。しかし、これは初層のみを残した宝形造りとなっていて、一寸見ると多宝塔とは気がつかない。不退寺・多宝塔は、もともと鎌倉時代の建立で、国指定重文になっている。しかし、幕末の地震で崩れて上層を失い、明治の再建、昭和の解体修理によって現在の形になったものという。なんとか上層部の復元が望まれる。

不退寺・多宝塔(初層)

★不退寺は、平城天皇の萱の御所を、孫の在原業平が寺にしたのが始まりと言われる。境内には、本堂、南門、聖観音立像等の重文があって、昔は南都15大寺の一つとして隆盛を誇ったようだ。また、連翹、杜若等の花々も多く、「花の寺」ともいわれている。多宝塔はやや残念だが、隠れた名寺院として恥じない風格を持っている。


◆久米仙人の伝説もある[久米寺・多宝塔(国指定重文)](橿原市久米町502)

★久米寺は、近鉄橿原神宮駅からすぐのところにある。境内に入ると、正面に本堂があり、左手に多宝塔が鎮座している。

久米寺・多宝塔

★久米寺・多宝塔は、高さ13メートルほど、美しい朱色で、均整もよく取れていて好ましい。江戸時代初期に京都の仁和寺から移築されたもので、国指定重文になっている。当初、もともと七重塔のあった跡に移築されたが、昭和60年に現在の場所に更に移築されたものという。境内にはめぼしい堂宇は無く、文化財も無いが、江戸時代に再三火災があったためらしい。その点は大変残念だ。

★久米寺は、推古天皇の時代、聖徳太子の弟・来目王子が開基した古刹で、その後空海が来たことにより、真言宗発祥の地といわれ、庶民の篤い信仰に支えられている。また、久米仙人が天空から落ちてきたという伝説もあるが、この点の真偽は不明ながら面白い。いずれにしても、便利な地にある古刹として、信者の参詣は大変多い。多宝塔の変遷にも感慨を覚える貴重な寺だ。

                             (続く)

★次回(連載第46回)から[第8集](最終集)に入ります。


♪BGM:[Nocturne1]arranged by Yuuki Aizawa♪
表紙へ 仏塔巡り
目 次
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