やあ、やあ!近隣稲門会との交流         (第8集)
[西東京稲門会・散策の会(2013年12月例会)高輪から芝へ]
報告&写真:小島恕雄 

★12月17日午後1時40分に品川駅をスタート、駅前の柘榴坂の緩やかな坂を登りきると左手にカトリック高輪教会があり、その一角に「江戸の大殉教」の碑が建っている。三代将軍・家光は外国人宣教師を含む50余人のキリシタンを、迫害政策により江戸市内を引き回したうえ、札の辻において火刑に処した。その殉教者たちを顕彰する碑である。

江戸の大殉教の碑

★道はここで右へ曲がり高輪台の上を北東へ進む。二本榎通りである。新高輪プリンスホテル、衆議院議員宿舎を過ぎると、高輪警察署の手前に高野山東京別院がある。境内に四国霊場八十八ヶ所の本尊と寺名を刻んだ石碑が建っている。

高野山東京別院 四国霊場八十八か所

★高輪警察前の十字路を右折すると桂坂の下りである。この坂は尾根道のようになっていて、道の左右は急な崖になっている。坂の途中で右折すると洞坂である。やや登ったあとは急峻な下り坂となる。車の通れない細い道で、奈落に降りてゆくような雰囲気がある。

★坂を下りきると東禅寺がある。臨済宗妙心寺派に属し、飫肥藩伊東家、仙台藩伊達家、岡山藩池田家の菩提寺である。幕末の安政6年(1859)、最初の英国公使館が置かれ、初代英国公使ラザフォード・オールコックが着任した。水戸藩士や松本藩士に襲われるという事件も起きている。寺域は当時より狭くなったが、都心とは思えない静寂さの中に本堂や三重塔が建ち、厳かな雰囲気を漂わせている。お坊さんの研修会があったのか(あるいは忘年会?)大勢のお坊さんが出てきた。

東禅寺山門 東禅寺三重塔

★二本榎通りに戻りしばらく歩くと東海大学高輪キャンパスである。その向かい、都営高輪1丁目アパートのあるあたりが細川家の下屋敷があったところで、吉良邸討ち入りを果たした大石内蔵助ら17人の赤穂浪士が預けられ、切腹をした場所である。東京都指定旧跡「大石良雄外十六人忠烈の跡」として保存されている。

★伊皿子交差点を右折すると広い伊皿子坂で、坂の途中に「幸福の科学」のギリシャ建築風の東京正心館がある。

★坂を下りきり右折すると泉岳寺である。浅野内匠頭を初め赤穂浪士48人(討ち入りをした47人と討ち入り前に自害した萱野重実の48人)の墓があり、12月14日の義士祭から3日しか経っていないので参拝する人も多く、たくさんの花や線香が供えられていた。

泉岳寺山門 大石義雄他16忠烈の跡 赤穂浪士の墓地


★再び二本榎通りに戻り、伊皿子交差点を右折して三田方面へ向かう。亀塚公園、最初のフランス公使館のあった済海寺を過ぎると聖坂の長い下りとなる。クエート大使館や普連土学園を過ぎるとやがて桜田通り(国道1号)に出る。道の向かい側は慶応大学三田キャンパスである。計画では正門から入りキャンパス内を散策しながら東門へ抜ける予定であったが、時間も遅くなってきたので、そのまま桜田通りを芝方面へ向かった。この辺りからは東京タワーが大きく見えている。スカイツリーが出来てやや影が薄くなったが、夕空の中に屹立する東京タワーはやはり美しい。

★赤羽橋から林夫妻と梶原夫妻は忘年会場へタクシーで行かれ、残った12人は芝公園の中を突っ切り、増上寺山門の前から大門近くの忘年会場へ向かった。

★ジャスト5時に忘年会場「地魚屋」に到着。既に日はとっぷりと暮れ、ネオン瞬く夜の東京に変わっていた。5時から7時半までの2時間半、参加者全員のスピーチあり、何人もの人が歌を歌い、大いに飲み、大いに食べ、大いに談笑して楽しいひとときを過ごした。

[参加者]石井(英)、石井(唯)、江澤、梶原(2)、金児、金子、小島(2)、竹下、林(2)、比留間(2)、安村、中村以上16名 


[西東京稲門会・散策の会(2013年9月例会)幸手宿から中田宿へ]
報告&写真:小島恕雄 

★9月24日、実施がはっきりしない空模様でもないのに、池袋駅に集まったのは竹下さんと私の二人だけ。久しぶりの二人旅となった。

★予定通り午前10時15分に幸手駅に到着。駅前に初代東武鉄道社長の根津嘉一郎(初代)の揮毫による「東武鐡道日光線開通記念碑」と書かれた大きな碑が立っている。東武日光線が全線開通したのは1929年(昭和4年)10月1日である。

★駅前の広い道を行くと間もなく旧日光街道と交差した。現在は県道岩槻幸手線である。昔の面影はほとんど残っていない。案内書には「旧本陣跡」という案内板が立っていると書いてあるが、それらしき物は見当たらなかった。道が大きく右へカーブする手前を左手に入ると聖福寺がある。将軍・家光が日光参拝の際に休息したという由緒ある寺であるが、予想外に小さな寺で、併設する幼稚園の園児たちが運動会のお遊戯の練習をしていた。若い女の先生が園児たちを叱る言葉がかなり激烈なのでびっくりした。

日光線開通の碑 聖福寺

★道がカーブする正面に正福寺がある。入口にある大きな石灯籠が目を引いたので入ってみた。鉄筋コンクリート造の本堂に入ると住職が机に向かって本を読んでいた。足を投げ出してかなり行儀は悪い。声をかけると暇だったのか色々な話をしてくれた。この住職は自治医科大学の教授を務めていた人で、この大学では医師国家試験の合格率が100%だったことを自慢げに話していた。70歳になってから仏門に入ったそうで、年齢は75,6歳と推測された。天寿(125歳)を全うするつもりで、これからも精進すると意気軒昂なところを見せていた。

★日光街道からそれて権現堂堤へ向かった。正福寺からおよそ30分ほどで堤の南端に着いた。この堤は利根川が氾濫した時に江戸を洪水から守るために作られたもので、長さが1.5kmほどである。今は土手の上には遊歩道があり、道の両側は桜並木になっている。春の桜のシーズンには大勢の花見客で賑わうという。この日は「曼珠沙華まつり」の最中で、土手の斜面に植えられた曼珠沙華が見事であった。花見の客も多く、そぞろ歩く人、大きな望遠レンズを構えて写真を撮る人たちで賑わっていた。

権現堂堤の遊歩道 曼珠沙華 白花曼珠沙華

★権現堂堤の北端で国道4号と合流するが、そこに明治天皇行幸の碑が立っている。丁度昼時だったので、とんかつ屋に入って昼食とした。

明治天皇行幸碑 白萩

★行幸橋を渡り、国道4号から左へそれて旧日光街道を歩く。国道4号とはほぼ並行している。ここからはのどかな農村風景が続き、ただひたすら歩く。朝のうちは寒いくらいであったが、気温がぐんぐん上がり、太陽がじりじりと照り付けて暑い。国道4号は高速道路のように地面から数メートルの高さにあり、大型トラックやダンプカーが唸りをあげて走っている。旧日光街道はその側道のように細々と続いている。 

★東北新幹線のガードを潜り、栗橋宿に入った。旧道は国道4号の下のトンネルを右へ左へと行き来している。ここで国道4号に沿って進むべきところを、間違えて125号の方へ進んでしまった。気が付いたときは国道4号からかなり遠いところまで来てしまって、暑さで疲れていたせいもあり、引き返す元気もなく、そのまま栗橋駅に向かった。栗橋関所跡を見学し、利根川橋を渡って中田宿まで行く予定であったが、これは次回のお楽しみということになった。

★栗橋駅前に静御前の墓がある。平泉にいる義経に会いに行く途中、この地で病に倒れたという。(カメラの電池が切れたので写真はない)栗橋発14時42分発、湘南新宿ライン逗子行きに乗車、15時38分に池袋に到着した。

[参加者] 小島、竹下  以上2名


[西東京稲門会・散策の会(2013年7月例会)浜離宮公園とビアホール]
報告:小島恕雄 写真:
石井唯夫

★7月23日、午後3時にJR池袋駅に集合。2時半頃から激しい雨が降り出し、電車が駅に停車しドアが開くと雨が吹き込んでくる程であったが、池袋に着いた頃は小降りとなり、薄日も差してきた。

★3時半頃、新橋駅に到着。汐留口を出て第一京浜を横断し、ゆりかもめの高架下を日テレタワーや資生堂を見ながら行くと、突き当りが電通本社ビル、隣がカレッタ汐留である。この辺は都心の中でも最も変貌を遂げた場所である。皆高いビルを見上げながら、その偉容に感心することしきりであった。

★電通本社ビルの地下通路を抜けて海岸通りに出た。ここは首都高速都心環状線の工事の最中で、くねくねと細い通路を回り道させられてようやく交差点を渡って浜離宮庭園についた。

★新橋駅を出た頃からポツポツと雨が降り始め、雷鳴も頻りに轟いていたが、我々が入場券を買って入園しようとしたとき、猛烈な雨が突然降りだした。雨は激しく屋根を叩き、樋から溢れた雨水が奔流となって流れ、稲妻が走った。新橋駅前の高層ビル群も低い雲に覆われて見えなくなった。我々は入場券売場の狭い軒下で雨宿りをして雨が上がるのを待った。

驟雨(公園内の軒先で) 園内の奔流(集水口へ集まる雨水)

★20分ほど待っていると雨もようやく小降りになってきた。傘をさして庭園に入っていったが、至る所に大きな水たまりができていて思うように歩けない。芳梅亭の近くまで行ったがその先へは行けず引き返してきた。結局2つの鴨場も潮入りの池も見ることができなかったが、雨上がりの庭の樹木の緑は一段と美しかった。また入口近くにある六代将軍家宣が庭園を改修した時に植えられたという「三百年の松」の見事さには感動した。

三百年松 園内のキバナコスモスと汐留の高層ビル街

★浜離宮庭園を出る頃には雨もすっかり上がって、かすかに夕闇が漂い始めていた。昭和通りを行き、晴海通りとの交差点の近くに新装なった歌舞伎座がある。劇場の部分は改装前と変わらないが、後ろに白い歌舞伎タワーが屹立している。我々は切符売場、お土産屋、食事処が並ぶ地下の木挽町広場でお土産を買ったり、椅子に腰かけて休息をした。

新装の歌舞伎座

★銀座7丁目にある「音楽ビアプラザ・ライオン」に入ったのは午後5時半頃であった。生ビール、ウィンナソーセージ、シーフードサラダ、ピザなどで喉を潤し、腹を満たし、大いに談笑した。

「音楽ビアプラザ・ライオン」で記念写真

★6時半からはソプラノ歌手2人、バリトン歌手、ピアニスト、フルーティストによるショウが始まった。「ローレライ」「初恋」「私のお父さん」などよく知っている歌を次々に歌い喝采を浴びた。司会のバリトン歌手が我々の席に来て、「このグループは何のグループですか?」と聞いたら、金子会長が「マサチュセッツ大学の校友会です」と答えたので、どっと笑い声が上がった。8時までショウを見て店を出た。皆さんかなり千鳥足でした。

[参加者]石井(唯)、梶原(2)、金子、小島(2)、竹下、比留間(2)、安村、臼井、中村  以上12名


[西東京稲門会・散策の会(2013年6月例会)八国山~北山公園菖蒲苑巡り]
報告:金子正男(西東京稲門会) 写真:松谷富彦(小平稲門会)

★6月18日、薄曇り、蒸し暑い。東村山駅に集合、午前9時半、参加者16名が揃ったところで同駅南口を出発。最初のポイント、徳蔵寺に立ち寄るが、重要文化財の「元弘の板碑」は、いかめしい保存館にあり、見ずじまい。

徳蔵寺「元弘板碑」保存館 徳蔵寺本堂 芝・増上寺から配られた石灯籠
ナツツバキ(夏椿)の蕾 アジサイ(紫陽花) テッセン(鉄線花)

★将陣場橋を渡り、久米川古戦場跡に到着。ここから間もなく標高100m弱の八国山緑地に入る。湿った土の木陰道を約1.5km歩く。うぐいす、こげらなどの野鳥の声を聴き、エゴノキの花を賞で、新田義貞が指揮を取った将軍塚を仰ぎながら森林浴散歩を続ける。

八国山の北山緑道入口 熊笹の道 将軍塚で小休憩
将軍塚 エゴノキの実 マユミの実
イチヤクソウ(一薬草) 尾根道を行く 尾根道を下る金子世話役

★40分ほどで緑地を下り西武鉄道西武園線の踏切を渡ると、北山公園菖蒲苑が広がる。山裾に沿って300mに細長く菖蒲田が続く。満開の花菖蒲には、株ごとに凝った名前が付けられている。平日ながら「菖蒲まつり」開催中で人でも多い。

西武園線の踏切を渡る 菖蒲苑へ ザリガニ、ニナガイ、アメンボ取りの子供たち
満開の花菖蒲 花菖蒲 菖蒲苑から八国山を望む
八国山を背に記念写真

★時間は間もなく正午。苑内の出店で焼きそば、缶ビールなどを仕入れて昼食開始。16人まとまって座れる席がなく、数グループに分散したのは、残念。

★帰路、近くの室町時代の国宝建造物、正福寺地蔵堂に寄る。屋根の反りがかっこいい。奥の本堂へ行く途中に堂々たる泰山木があり、①まだ固い蕾、②開花寸前の蕾、③満開の純白の大輪の花、④朽ちて茶色になった花を一樹で楽しむ。 参加した女性の1人が「私たちは②か③かしら」と呟くと、後ろにいた男性が即座に「④だな」と。男女共同参画に努めるわがワセダ精神に反する不用意発言の処分を考えたい。

ベニバナ(紅花) 国宝の正福寺地蔵堂 アジサイ(紫陽花)
タイサンボク(泰山木) タイサンボク タイサンボク

★さらに同寺から近い大善院不動尊に参拝。境内に入ると、溶岩の築山に不動明王を中心として36童子像が立つている。気が付くと、正福寺から大善院に来るうちに参加者の1人、比留間さんが夫人の手を逃れて一時行方不明に。例の泰山木の紳士がまたまた「夫婦ってそんなものだよ」。

ビワ(枇杷) ハス(蓮) ヒツジグサ(羊草・睡蓮)

★にぎやかに少し足取りは重くなったものの午後2時前、熱中症になることもなく全員無事に出発地点の東村山駅に到着。歩数12,400歩、約7kmの散策だった。この日初参加の差のさんの今後の散策の会での活躍を期待したい。

[参加者]
石井(英)、石井(唯)、江澤(2)、金子、金児、佐野、竹下、野本、比留間(2)、松尾(2)、松谷、臼井、中村 以上16名



[西東京稲門会・散策の会(2013年5月例会)皇居東御苑&周辺巡り]
報告:小島恕雄(西東京稲門会) 写真:松谷富彦(小平稲門会)・ 小島恕雄(

5月28日、天気は薄曇り、風も心地よい絶好の散策日和であった。翌29日には関東地方でも梅雨入りが発表されたので
実に絶妙のタイミングであった。


★西武池袋線と地下鉄有楽町線は相互乗り入れ・直通運転を行っているので、保谷駅で直通電車に乗車し、桜田門で下車するというルートを選びました。乗り換えがないので確かに楽でしたが、急行電車の待ち合わせなどが3回もあって結構時間がかかった。

★地下鉄の改札を出て、「皇居方面」という案内表示に従って地上に出ると桜田門の目の前である。桜田門は6月28日まで
改装工事中で通行できなかったので、祝田橋を渡って皇居外苑に入った。現役時代にこの付近で仕事をメンバーも多いが、久しぶりに来てみると丸の内側の景色が様変わりしているのに驚いたようである。しかし二重橋付近の風景は昔と変わらず、観光バスで訪れた観光客が次々に記念写真を撮っていた。変わったことは外国人の観光客が多いことで、特にアジア系の外国人が増えたようである。


皇居全体図(宮内庁HPから転借)
改修工事中の桜田門 皇居二重橋方面を望む 皇居正門
二重橋(鉄橋)を望む 坂下門 右奥が坂下門

★大手門から皇居東御苑に入った。大手門を入るとすぐ右手に三の丸尚蔵館があり、「旧高松宮家と伝来の品々」展が開催されていた。石垣の間を進むと同心番所、百人番所があり、さらに巨大な石垣を見ることができる。幕府が諸大名に命じて築かせた江戸城の石垣で、幕府の権威を誇示しているようである。しかし年月の経過とともに石垣にも損傷が生じ、何か所も新しい石に交換されている。中雀門跡を抜け、坂を登れば江戸城本丸である。

大手門(外側) 大手高麗門(内側) 同心番所
百人番所 大番所 巨大な石垣

★青々とした大芝生が広がっている。広大な空間に見えるが、当時は武士の屋敷や大奥が立ち並ぶ官庁街であったところである。大芝生を取り囲むように野草園、茶畑、バラ園、ツバキ園などがあり、忠臣蔵の発端となった松の廊下跡もある。

松の大廊下跡

★一番奥には天守台がある。天守閣は明暦の大火(1657年)で焼失したあとは再建されず、石垣だけが築きなおされた。ここに登ってみると神田方面から品川方面にかけて一望することができる。家康が入城したころは日比谷あたりまで海が広がっていたというが、そう思ってみると当時の風景が目に浮かぶようである。

天守台 シロバナハマナス(白花浜梨) シロバナハマナスの実

★天守台のすぐ下に、八枚の壁面に淡い色彩の絵が描かれ、テッセンの花弁をかたどった屋根が乗った、ちょっと風変わりな建物がある。これは桃華楽堂といい、香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦を祝って建設された音楽堂である。桃華楽堂の先の汐見坂という急な坂を下ると二の丸である。雑木林の間を抜けると二の丸庭園がある。サツキが満開である。

★池にはハスやアサザの花が咲き、最近東京では見られなくなったギンヤンマやシオカラトンボが飛び回っている。また菖蒲や紫陽花が咲き始めていた。ここでも季節は初夏から梅雨に移ろうとしていた。

アサザ(浅沙) ショウブ(菖蒲) 二の丸庭園

★大手門から出て東京駅へ向かった。丁度昼休みの時間なので多くのビジネスマンたちが食事や休憩のためにビルから出てきていた。

★東京駅は昨年丸の内駅舎の復元・改修工事が終わり、新たな観光名所として賑わっている。辰野金吾が明治時代の栄光を象徴する建造物として設計した洋風建築は、3つの王冠のような屋根を持ち、赤レンガと石の白の鮮やかなコントラストが印象的である。ドーム内から八角形の天井を見上げると十二支のレリーフが飾られている。

東京駅舎 丸の内北口の天井ドーム 東京駅中央口

★丸の内南口のすぐ前に旧東京中央郵便局の一部を保存して再生して「JPタワー」がある。保存された旧庁舎は「KITTE」という6階建ての商業施設である。入口を入ると5階まで吹き抜けとなった明るい空間が強烈な印象を与える。アトリウムは三角形をしていて、それを囲むようにファッション、雑貨、レストランなど全国から集まった98の名店が並んでいる。靴下専門店、ハンカチ専門店、日本手拭専門店、木製工芸品専門店など他所にはないような個性的な店が並んでいて、見て歩くだけでも楽しい。4階には当時の郵便局長室が再現されていて、その窓からは改装なった東京駅が手に取るように見ることができる。

JPビル 旧東京中央郵便局 旧東京中央郵便局改めKITTEのアトリウム

★解散後、私は「菜な」という店で京都のおばんざい料理を頂いた。大変おいしく、しかもお値段も手ごろであった。


[参加者]石井(英)、江澤(2)、金児、金子、小島(2)、竹下、野本、浜、安村、比留間夫人、臼井、松谷(小平稲門会) 以上14名 

[西東京稲門会・散策の会(2013年4月例会)わが町西東京]
報告&写真:小島恕雄(西東京散策の会幹事 39理工)

★4月23日、麗らかな春の日の午後、東伏見駅南口に林先生ご夫妻や杉中さんご夫妻など久しぶりに参加された方を含めて14名が集合した。そのうち6人が女性で大変華やかで賑やかであった。

★東伏見駅から3分ほどのところに氷川神社がある。社殿の左横に高さ22m、幹回り3.3mのクロマツの大木が立っているが、これが西東京市の木50選の12番である。

氷川神社のクロマツ

★早大の校舎やサッカーグランドの横を通り、石神井川を渡って坂を登ったところに下野谷遺跡公園がある。約5000年前の縄文時代の遺跡が出土したところで、広い原っぱの一隅に竪穴式住居が復元されている。すぐ下に水場となる石神井川があって、明るいひらけた台地になっているので、縄文人たちにとっては絶好の土地であったに違いない。

下野谷遺跡公園 石神井川沿いの遊歩道で見つけたアカメモチの花

★遺跡公園を出て坂を下ると東伏見小学校がある。林先生のお二人の御子息や我が家の二人の息子たちが通った学校である。その南の通用門の横に市の木50選の14番、メタセコイヤが立っている。真下から見上げるとメタセコイヤの特徴的な樹形が見えないが、少し離れてみると立派なメタセコイヤである。新芽が芽吹いたばかりでその若緑が美しい。

★小学校のすぐそばに東伏見稲荷神社がある。その神社の横に小さな東伏見公園があるが、ここに13番のケヤキがある。樹高25m、幹回り2.9mの大木で大きく枝を広げている。

東伏見稲荷神社

★東伏見稲荷神社の社殿の裏にアカマツなどの林があり、その中に赤い鳥居が並んだ参詣路がある。社殿左奥にあるアカマツは樹高25m、幹回り2.5mもあり、他のアカマツより抜きんでて高い。これが市の木50選の16番である。

★調布保谷線の青梅街道の東伏見交差点から保谷庁舎までの区間が4月21日に開通した。この新しい道路は東伏見稲荷神社の東側でトンネルに入り、西武新宿線を潜り抜けた後新青梅街道の手前で地上に出てくる。トンネルの上の部分は4月1日に開園したばかりの都立東伏見公園(先の東伏見公園とは異なる)の一部となっている。都立東伏見公園は以前「千駄山広場」と呼ばれていた場所を整備したもので、今後もっと拡張する予定になっている。

西東京東伏見トンネル
                 
★公園全体に芝が張られ、多くの樹木が植栽され、ベンチや四阿なども設置された。ここに市の木50選の15番・キンモクセイがあるので探したが、それらしい木を確認することはできなかった。(後日「千駄山住宅」バス停近くの入口から入ってすぐの所に立つ大きなキンモクセイを確認した)

★公園を出て西武新宿線を跨線橋で越えると富士街道、新青梅街道と交差する。ここからは片側2車線の自動車道の両側に歩行者用と自転車用に分けられた歩道が付いた広い道がまっすぐ北に向かって伸びている。道の両側には野菜畑や果樹園が広がり、所々には新しい家もあり、非常に明るいひらけた景色である。まだバスは走っていないが、すでに停留所が何か所かできている。こもれびホールの手前で保谷新道と斜めに交差し、200mほど行ったところで新道は終わり、その先は工事中である。

★この後保谷駅まで歩く予定であったが、予定を変更してこもれびホール一階のカフェ・ハナミズキでしばらく歓談して解散した。



[参加者]石井(英)、江澤、金児、小島(2)、杉中(2)、竹下、林(2)、野本 、比留間夫人、臼井、中村 以上14名 

[西東京稲門会・散策の会(2013年3月例会)多摩丘陵を歩く]
報告&写真:小島恕雄(西東京散策の会幹事 39理工)

★3月25日と27日は冷たい雨の降る寒々として日であったが、間に挟まれた26日だけは風は冷たいものの快晴に恵まれた。メンバーの中に晴れ男(または晴れ女)がいるらしい。

★例年より10日以上も早い桜の開花で、図らずも絶好の花見日和となった。車窓から眺める花も素晴らしい。特にモノレールでは眼下に桜の並木を眺めることができて格別である。また遠く西に目をやれば青空の中に真っ白な富士山が厳かに聳えている。『富士と桜』、まさに日本を象徴する風景である。

★10時に京王線・長沼駅をスタート。長沼小学校の横を通り、北野街道を横断すると田園が広がり、もうそこは長沼公園の入り口のひとつ「長沼口」である。ウグイスが美しい声で我々を歓迎してくれた。道端にはタンポポ、スミレなどの春の野草が咲いている。

スミレ(菫)
スミレ科スミレ属

★紫色の小さな花を見つけて、ある人が「これはオドリコソウだ」と言うと、別の人が「いや、それはホトケノザだ」と言う。そこへよく似た紫色の小さな花を持ってくる人がいて、よくよく見比べてみるが、「オドリコソウ」と「ホトケノザ」で意見が分かれて結論は出なかった。植物に詳しい松谷氏がいないのが残念であった。

★道はすぐに登りとなる。「霧降の道」と呼ばれる谷筋の道である。芽吹いたばかりの若葉の淡い緑が美しい。その中に辛夷の白い花、山桜の淡いピンクの花、椿の赤い花などが点在して、まさに春爛漫の風情である。野鳥たちも賑やかに囀り交わしている。

霧降の道

★ゆっくり歩いて30分ほど登ると尾根道に出た。「野猿の尾根道」である。東へ100mほど行くと展望園地がある。丘陵の北側に広がる八王子、府中などの街並みが手に取るように見える。銀色に輝く西武ドームの屋根も見えている。多摩市や町田市のある南側は尾根道の際まで畑や人家が迫ってきている。遠くには丹沢の山々や大山がはっきりと見えている。

★ボランティアで公園の掃除などをしている人がいろいろ説明してくれたので、公園入口で摘んできた花を見てもらったら、最初に見つけた花が「ヒメオドリコソウ」で、後で見つけた方が「ホトケノザ」だそうである。名前の由来なども説明してもらって全員納得することができた。ほかにも、「イヌシデ」の花の秘密なども教えてもらって大変興味深かった。

オドリコソウ(踊子草) ホトケノザ(仏の座)
シソ科オドリコソウ属 シソ科オドリコソウ属

★尾根道を西へ1kmほど行くと「野猿峠口」である。ここからは草地の広い谷・殿ヶ谷を見下ろすことができる。スキーのゲレンデのような斜面の所々にソメイヨシノが咲いている。この斜面を見下ろしながら弁当を食べて一息入れた。

野猿の尾根道から丹沢方面を望む
  
★殿ヶ谷の道を下って「長沼口」に戻ってきた。さらに数100mほど東へ行くと駐車場があり、その先に長泉寺尾根の登り口がある。かなり急な山道を5分ほど登ると、林の中の急な斜面にカタクリの淡い紫色の花が群生していた。

アオキ(青木)の赤い実 カタクリ(片栗)
ミズキ科アオキ属 ユイリ科カタクリ属
殿ヶ谷の桜 ユキヤナギ(雪柳)
バラ科サクラ属 バラ科シモツケ属

★長沼公園と平山城址公園を結ぶ野猿の尾根道は地主の意向で通り抜けることができず、いったん北野街道まで下りて登り返さなければならないということだったので、平山城址公園は次の機会に譲ることにして、平山城址公園駅から電車に乗って帰途についた。

★高幡不動駅近くの店でビールやコーヒーを飲んで疲れを癒し、店を出たら「近くの高幡不動に寄って行こう」ということになった。仁王門から入り不動堂にお参りしてから、五重塔、大師堂、聖天堂、大日堂と一回りした。どの建物も比較的新しく立派である。境内は広く、案内図には他にも多くの建物、句碑、銅像などの見所が紹介されている。もう一度ゆっくりと来てみたい寺である。

高幡不動の五重塔 境内の桜

[参加者] 石井(英)、梶原夫人、金子、金児、小島(2)、竹下、比留間夫人、中村、野本   以上10名 

[西東京稲門会・散策の会(2013年2月例会)狭山めぐり]
報告:小島恕雄(西東京散策の会幹事 39理工) 写真:松谷富彦(小平稲門会)&小島恕雄

散策当日の2月20日は、冷たい北風が吹き荒れた前日とは打って変わって、暖かい春の日差しに恵まれた散策日和となった。この陽気に誘われたのか、今回初参加の石井主計氏を含め15名が集まり、久しぶりに賑やかな例会となった。

★西武新宿線・入曽駅で下車し、しばらく車の往来の多い道を歩いてから右折すると、そこは茶畑の中の道で、視界を遮る大きな建物もなく青空が広がっていた。やがて鉄塔がやたら多いなと思っていると東電の変電所にでた。そこから見えたこんもりとした森が堀兼神社の森であった。

堀兼神社 社殿 「堀兼の井」

★鳥居をくぐり階段を登ると本殿があった。質素な小さな社であるが歴史の古さを感じさせる厳かな雰囲気があった。本殿の左手の雑木林の中に「堀兼の井」があった。堀兼の井は、直径7.2m、深さ1.9mのすり鉢型の井戸で、井戸の中央には石組みの井桁がある。七曲井と同様に、いわゆる「ほりかねの井」の一つと考えられている。

いかでかと 思ふ心は 堀かねの 井よりも猶ぞ 深さまされる(伊勢)

はるばると 思ひこそやれ 武蔵野の ほりかねの井に 野草あるてふ(紀貫之)

沁みてしる 人もありけん おのずから 堀兼の井の そこのこころを(西行)

いまやわれ 浅き心を わすれみす いつ堀兼の 井筒なるらん(慈円)

井はほりかねの井。玉の井。走井は逢坂なるがをかしきなり。(清少納言「枕草子」)

など和歌や文学作品に数多く登場することから、平安時代以前に掘られたものと考えられている。

★堀兼神社を後にして元来た道を戻り不老川に出た。一般には「フロウガワ」と呼んでいるが、常泉寺観音堂の説明板には「トシトラズガワ」と書いてある。この川は狭山丘陵から流れ出て、狭山市、川越市を流れて荒川に合流する。都会の川のようなブロックによる護岸がなく、草に覆われた土手には遊歩道が整備されていて絶好の散歩道である。菜の花、福寿草、椿などが咲き、マガモ、カルガモ、シラサギ、ゴイサギ、セキレイなどが遊んでいた。

不老川の川辺の菜の花 福寿草 仏の座
五井鷺 五井鷺 五井鷺
白鷺 軽鴨 犬ふぐり
途中で出合った農家の土蔵

★童謡「春の小川」を思い出しながら、暖かい日差しを浴びてのんびりと歩いてゆくと常泉寺観音堂に出た。観音堂の裏に七曲井がある。これも「ほりかねの井」の一つであるが、直径18~26m、底部直径5m、深さ11.5mもあり、非常に大型である。底には松材で組んだ井桁がある。堀兼の井よりよく整備されている。

常泉寺観音堂 七曲井

★昼食後は県道50号線を北に進み、西武線を越えて行くと立派な狭山市役所の建物が見えてきた。市役所を過ぎると左手に武蔵野三十三観音霊場の十六番札所・慈眼寺があり、さらにその先右手には狭山八幡神社がある。ここは新田義貞が鎌倉に攻め上るときに必勝を祈願した神社で、義貞の馬をつないだ「駒つなぎの松」があるが、今は根っこが残っているだけである。

慈眼寺山門 本堂 鐘楼
狭山八幡神社の社殿 奥社 「駒つなぎの松」

★間もなく国道16号線と出会い、入間川に沿うように左折すると「清水冠者源義高終焉の地」と大書した看板が立つ小さな神社に着いた。清水八幡宮である。木曽義仲の子・清水冠者源義高は6歳の時に人質として源頼朝のいる鎌倉に送られた。成人して頼朝の娘・大姫と結婚したが、父義仲が頼朝と不仲となり誅殺されると、義高も頼朝の嫌疑を受け、女装して奥州藤原氏を頼って逃げる途中、ここ入間川の八丁の渡しで頼朝の手勢によって殺害された。政子と大姫によってこの清水八幡宮が造営された。

入間川 清水八幡宮

★この辺りは自衛隊入間基地の近くなので、頻繁に離着陸する輸送機や戦闘機が頭上をかすめるように飛んでゆく。この爆音を一日中聞かされるのは大変だろう。入間基地の向かいに稲荷山公園がある。広々とした芝生の公園である。芝のふわふわとした感触を楽しみながら稲荷山公園駅へ向かった。

 稲荷山公園にて(臼井さん撮影)

[参加者]鮎沢、石井(英)、石井(主)、梶原(2)、金子、金児、小島、竹下、浜、比留間(2)、松谷、臼井、中村 以上15名 

[西東京稲門会・散策の会(2013年1月例会)武蔵野吉祥寺七福神めぐり]
報告&写真:小島恕雄(西東京散策の会幹事 39理工)

★中央線の高架化工事が終わり、武蔵境駅周辺も大きく変貌しつつある。その武蔵境駅南口から5分ほど歩くと杵築大社である。本殿の右に恵比寿様を祀った社がある。1月も下旬になるので七福神めぐりをする人も少なく境内は静かであった。境内の一角に富士塚があり、全員で富士登山をして頂上の浅間神社にもお参りをした。

武蔵境駅 杵築大社の鳥居 杵築大社・富士塚

★杵築大社を後にして、建築工事中の日本獣医生命科学大学の前を行くと武蔵境通りに突き当り左折した。この道は現在工事が行われている調布保谷線の一部である。すでに歩道や自転車道が完成している部分もあるが、完成はしばらく後になりそうである。ちなみに西東京市内の東伏見神社から北町までの部分はこの三月に完成予定である。

工事中の保谷・調布線

★東京都水道局境浄水場の所からグリーンパーク遊歩道に入った。この道は戦前の中島飛行機の引き込み線の跡地を遊歩道としたものである。細い道だが歩きやすい絶好の散歩道である。今はカンツバキが咲いていたが、四季折々に様々な花が咲く。

グリーンパーク遊歩道

★五日市街道に出てまもなく延命寺に着いた。ここには毘沙門天と寿老人が祭ってある。両方とも大きな石像で野外に立っている。

延命寺 毘沙門天 寿老人

★延命寺から大法禅寺までは武蔵野市の静かな住宅街を縫って歩く。途中に成蹊大学があり、有名なケヤキ並木は葉をすべて落として立木の列であった。

成蹊大学のケヤキ並木

★大法禅寺には福禄寿が祭ってある。ここも大きな石像であるが、それよりも目を引くのが門を入ってすぐ右手にある吉祥菩薩像である。

福禄寿

★大法禅寺から5分ほど歩いて五日市街道に出ると安養寺がある。青い毛糸の帽子をかぶり、白い涎掛けをした六地蔵が並ぶ参道の奥に山門がある。ここには布袋尊が大きな腹を揺すって笑って立っている。安養寺に隣接して五日市街道と吉祥寺通りの交差点の角に武蔵野八幡宮がある。いつもバスの車窓から眺めているが入るのは初めてである。繁華街にあるので表から見ると小さな神社に見えたが、入ってみると境内はかなり広く、本殿も立派である。大黒様は参道右手の小さな祠の中にひっそりと鎮座していた。

布袋尊 武蔵野八幡宮本殿

★武蔵野八幡宮のお参りを終わって出ようとしたら、鳥居のすぐ横に「神田御上水 井之頭瓣財天」と書かれた石塔があり、その横の小さな祠の中に弁天様が祭られていた。我々は井の頭公園の池の中の弁財天へ行くつもりでいたので、意表を突かれた感じであった。時間も丁度正午でお腹も空いてきたので、これで七福神めぐりを終わりにして昼食にしようとも考えたが、折角なので井の頭公園へ行くことにした。吉祥寺の繁華街を通り抜け、坂を下って井の頭公園に入るとそれまでの賑やかさが嘘のような静かさである。ボート場も冬の間は休みで、すべてのボートは繋がれていた。

井の頭弁財天

★井の頭弁財天にお参りして、七福神めぐりが終わったのは12時20分。武蔵境駅を出発してから2時間50分、約10㎞の散歩であった。井の頭公園に隣接するイタリアンレストランでおいしいランチを食べて解散した。

井の頭公園近くのレストランにて

[参加者] 鮎沢、梶原(2)、小島(2)、竹下、浜、臼井、中村   以上9名 

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