★「厳冬期の穂高連峰の写真を河童橋から撮る」は、10年前にスノーシューを始めた時から私の夢だった。昨年(平成21年)、燕山荘のスノーシューイベントで北八ヶ岳の黒百合ヒュッテ2433mへ登ったとき、ガイドの榊さんから今年は上高地もやったと聞き、来年(同22年)は是非と考えていた。
★夏の上高地は新島々から1時間で上高地へ入ってしまうが、冬はそう簡単には行かない。先ず沢渡辺りで泊まって、翌朝釜トンネル入り口までタクシー、徒歩でトンネルを抜け、適当な処でスノーシューを履き、上高地へ向かうが、宿泊できる小屋は徳澤園の冬季小屋しかないから何が何でも歩き通さなければならない。
*スノーシュー(snowshoe):雪上歩行具。西洋かんじき。素材は主にプラスチックとジュラルミンが使われている。
★厳冬期の厳しい気象条件の中で釜トンネルから徳澤園まで13kmを無事に歩けるか不安がないではなかったが、ともあれ黒百合ヒュッテに同行した備藤、水澤両氏と共に1月30日〜2月2日の日程で上高地スノーシュートレッキングのツアーに参加することになった。
◆大荷物を背負った髭爺が何処へ?好奇の視線を後に上高地へ出発
★トレッキングのスタートは平成22年1月31日、沢渡第1駐車場8時30分集合だから前日の30日に沢渡のペンションに泊まることにして、おなじみの松本の蓬華でゆっくり昼食をとり、新島々からはバスもないのでタクシーで沢渡に向かうことにする。私は70Lのザックにマイスノーシューを入れて担いでいるので、髭の爺さんが大荷物を持って何処へ行くのか目立つらしく、何人かの人から声を掛けられた。
★今日はとにかく沢渡に着きさえすれば良いので、何時もバスで通り抜ける際、気になっていた建物「風穴の里」に寄ってみたが何のことはない、此処には風穴はなくこの近辺に点在しているとのこと、タクシーの運ちゃんに頼んで手近な風穴に案内してもらった。観光的な説明もなく、ただ薄暗くて涼しいので野菜の保存庫などに使われているようだ。
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風穴 |
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★この後、運ちゃんの勧めで梓川との落差が最もある鵬雲崎や奈川渡ダムのテプコ館も見学した。冬季は殆んど発電していないらしいがダム底に下りて見上げる高さ155mの堰堤は壮観だった。
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鵬雲崎 |
奈川渡ダム |
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◆雪の中で迎えてくれた人気のペンション・シルフレーで強行軍に備える
★雪の中に建つペンション・シルフレーは小振りながら瀟洒な建物で、手入れや飾りつけも行き届いている。 特に「中の湯」から引いている温泉は檜の縁取りの湯船の底に玉石が敷いてある凝りよう、食べるほうも中々だしこの時期此処まで来て生ビールを飲めるのが素晴らしい。後でツアーメンバーから聞いた話では、このペンションのファンは大変多く、毎年来る人も少なくないとのことだった。
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ペンション・シルフレー |
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★明けて1月31日、参加メンバーは10名(男4、女6)で結局全員ペンションシルフレーに集合、燕山荘から赤沼社長と榊さん、小山さんが出迎えてくれ、昨日乗ったアルピコタクシーで約10分、釜トンネルの入り口まで行く。
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釜トンネル1310m |
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◆いざ斜度11%、1310mの暗黒の釜トンネル越えて
★上高地は環境保護のため夏でも沢渡から先はバスかタクシーしか入れないが、冬はそれも釜トンネル入り口まで、ゲートを潜って暗黒のトンネルを歩いて抜けるしか上高地への道はない。私はこのトンネルを歩くのは2度目だが、斜度11%、緩やかにカーブした1310mは相当にきつい。 それでも2005年6月にこの新トンネルが完成して水漏れが全くなくなったから良いが、旧トンネル時代は天井から落ちた水が凍結して大変歩き辛らかったそうである。
★9時10分スタート、約30分でトンネルを登りきったが、スノーシュー装着の指示は出ないで、ツボ足のまま歩き続ける。大正池までに雪崩の危険箇所があるというのがその理由らしかった。
*ツボ足:スノーシューやカンジキなど雪上歩行具を付けずに登山靴や雪靴で歩行すること。
★歩き続けること1時間、大正池に近づいた頃、空が明るくなり眼前にどっしり構えた雪の焼岳が姿を現した。 周辺が凍結した大正池に焼岳が山容を映している。 先ず最初に来てよかったと実感した瞬間である。大正池ホテルの前でやっとスノーシュー装着、田代池を経て梓川左岸を河童橋へ向かう。雪は湿り気があって少し重い感じだが、今まで担いでいたシューを足に付けたので身が軽くなった。
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大正池に浮かぶ焼岳 |
大正池と穂高連峰 |
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雪の造形 |
田代池 |
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スノーシューを付け、梓川沿いに河童橋へ向かう |
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◆河童橋から冬季小屋、徳澤園へは、寒気の中を2時間がかり
★晴天は長くは続かず、河童橋での穂高連峰は頂上稜線が雲の中、橋の袂で少し遅い昼食をとったが座る所もなく慌しく立ち食い、日が翳ったせいか急速に冷えてきた。大正池から河童橋までの2時間は途中田代池などで時間を潰したからだが、明神池までは1時間10分と夏に遜色ない速度で歩くことが出来た。然し此処からはさすがに疲れが出始めたようで、遅れるメンバーにペースを合わせるため、徳澤園へは2時間と通常の倍近い時間がかかってしまった。
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河童橋から雪に煙る穂高連峰を望む |
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★徳澤園冬季小屋は徳澤園の左手に添うような形で建てられている。かつて、「山靴の音」の著者芳野満彦氏が若かりし頃、幾冬も小屋番を勤めた小屋である。水は天水を集める貴重なものだけに、飲み水以外の余裕はない。食料も小屋での用意は出来ないので、我等の食材は燕山荘のスタッフが予め運んでおいたものと今回榊さんがボッカしてくれたもので賄われる。
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徳澤園冬季小屋 |
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◆ツアー参加の女性の面々は、只物にあらず
★小屋に着いて少し落ち着いた処で赤沼さんから全員食堂への誘いがあり、ワインを飲みながら話を聞く。 その内自己紹介が始まって、同行のご婦人方から聞いた話には驚いた。 冬の上高地深く入ってみようと言う人達だから相当のものだろうとは思っていたが、殆んどの人がヒマラヤトレッキングでゴーキョピークかカラパタールへ行っているし、極め付きはマッターホルン登頂、南極大陸の最高峰ビンソンマシフ登頂、マッキンレーも挑戦したが登頂は出来なかったとは参りました。今日到着遅れの原因となった一人も、毎年エベレストビューホテルでお正月を過ごすというから只者ではない。
★榊さん、小山さんが作ってくれた餅入りカレーうどんを食べ終わった処で、小屋番の萩谷さんの勧めで徳澤の河原へ明神、前穂の夜景を見に行く。 山が迫っている為、月は未だ上がっていないが、梓川を挟んで薄明かりの中に明神岳、前穂高岳が浮かぶ幽玄な眺めに暫し寒さを忘れた。
◆背中に白ペンキで[冬でーす」と大書した変なヤッケを小屋番が貸してくれた
★2月1日、6時前、未だ月が樹間に懸かっているので外に出ようとしたら、萩谷さんが外はマイナス15度位になっているので其の儘では無理と変なヤッケを貸してくれた。背中に白いペンキで「冬でーす」と大きく書いてあるのは冬を楽しもうという遊び心か。
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樹間の月 |
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背中に「冬でーす」と書かれたヤッケを着た筆者 |
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★月も段々山へ向かって落ち、空が明るくなってきたので一人昨夜の徳澤へ行ってみた。梓川の上流には中山とその奥に大天井岳、対岸には左から明神岳、前穂高岳、屏風岩、下流には六百山と霞沢岳の頭が見える。この場所からこんなに山が見えるのは多分珍しい、特に大天井岳は滅多に見られないだろう。
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朝焼けの明神岳 |
徳澤園前から明神岳と前穂高岳を望む |
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◆大雪原に変身の梓川の河床を進む
★今日も何とか天気は保ちそうだ。チーズ、ハム、フランスパン、スープの朝食を済ませ、ゆっくり横尾に向けて出発する。通常徳澤から横尾へ行くには山裾に沿って歩くが、今日は夏にはとても考えられない梓川の河床を歩く。今の時期梓川の流れは極端に狭まり、河床は雪に覆われて大雪原になっている。我々はこの広々とした雪野原を思い思いに歩く。 ところどころにある化粧柳はもう健気に赤い新芽を吹いて美しい。
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梓川の河床の雪原を行く |
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★長壁沢と奥又白谷の間を遡上して横尾大橋から岸に上がって大休止、行動食をとる。横尾山荘も当然クローズしているが、別棟のトイレは冬季用に1個だけ使用可能で、スノーシューを付けたまま用を足すことが出来る。 このようなトイレは大正池や小梨平にもありご婦人方の救いになっていた。
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横尾大橋 |
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★この後、蝶が岳への道を少し登って槍ヶ岳を展望する案もあったが、この曇天では無理と諦め、徳沢へ戻ることにした。帰りも同様に河床を歩き始めたが、新村橋の手前辺りで強風が吹き、身体が冷えてきたので山裾の樹林帯へ避難する。山側へ異動してみると本来あるべき道は積雪の為埋もれていて、しかも雪が谷側に傾斜しているので歩き辛いことおびただしい。 夏と冬の違いは色々あるものだ。
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樹林帯を歩く |
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★昨日から雪中をかなりの距離歩いているが、今のところ大したダメージはない。明日の長い帰りを気を抜かずに歩き通したいと思う。
◆スタッフの心づくしの手料理に舌鼓を打つ
★夕食は鰤のカルパッチョと榊さんの実家山形の味、芋煮でこれも餅入り、飲み物はビールの後、徳沢園ワインで大いに盛り上がった。昨夜といい今夜といい疲れていても食欲の進むものを榊さんたちが用意してくれるのは真に嬉しい限りだ。 松本在住の今村さんが皆に回して下さった金柑の甘酢煮は大層気に入ってレシピを伺った。 帰ったら必ず自分で作ってみる心算だ。この小屋はそんなに立派な作りではないのに、夜9時に暖房が切れてもそんなに寒さを感じないのは一寸不思議な気がする。
★2月2日、5時半に目覚めたら粉雪が舞っている、今まで3日間全く降雪がなかったのが不思議な位で、これはあって当然というしかない。朝食は榊さんが昨夜の芋煮の出汁でおじやを作ってくれた、これが又やけに美味い、殆んどの人がお代わりして鍋を空にした。
★8時半出発、小屋の萩谷さんが見送ってくれる。昨夜も予約の電話が入っていたから、昔芳野さんが一人ぽっちで気が変になりそうといった様にはならないだろうが、鼠に引かれないようにと言って別れた。先頭は小山さん、榊さんは炊事道具などの撤収をして後から追いついてくる、まるでヒマラヤのシェルパのようだ。
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徳澤から帰途につく |
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★多少のアップダウンはあるものの帰りはやはり下りベースなので足取りは軽い、雪面に残された動物の足跡を見て名前を考えたりしたが、一本の線になっているものはカモシカの腹が擦れて出来た跡だった。帝国ホテルの赤屋根も雪でまだら模様、明神では橋を渡って明神池に寄る、夏は有料だが今は誰もいない。
◆強風で転倒、カメラを落として使用不能に
★池の雪景色を撮っていたら強い風にあふられて転倒、カメラを落としてしまった。 慌てて拾い雪を払ったが水気が入った様で電池がショート、使用不能とは情けない。然しこの後、カメラ無しで歩くのがこんなに楽なものかと感じたのは、負け惜しみだったかも知れない。雪はほぼ降り続き、時に強風を伴う、風除けのフードをしっかり被り手袋は3重にしているが、マイナス13度を下回ってくると指先が痺れて感覚がなくなってくる。
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池の撮影中に強風に煽られ、カメラを落下。よって画像はここまで |
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★小梨平に吹きさらしだが屋根だけはある建屋があり、そこでソイジョイなどの行動食でエネルギー補給をして又前進、河童橋まで来ると強烈に吹雪いてきた。体感温度はマイナス20度近くになっていたかもしれない。向かい風を押して大正池ホテルまで辿り着き、これから釜トンネルまでかなりの上りかと思ったが、そんなでもなく40分ばかりでトンネルに到着した。
◆上高地を3日間独占の贅沢を土産に帰途につく
★今回のトレッキングで出会った人は撮影の為、大正池付近まで入っていた4〜5名のみ、3日間まさしく上高地を独占していたとは何たる贅沢であったことか。此処でスノーシューを脱ぎトンネルに入ったが、今回私の大きな失敗の一つはヘッドランプの電池を確認せず、電池切れを起こしていたことだ。こうなるとランプを持つ人に誘導してもらうしかないが、光の位置が安定せずトンネルがカーブしている為、側壁に衝突してしまった。この後、中央線が薄く見えるのに気付き、このラインを照らしてもらうよう頼んで集中、何とか暗闇から開放された。
★車で沢渡のペンションシルフレーに戻り、あの素敵な温泉にゆっくりつかった後の生ビールの美味かったこと、あっという間に2杯が空になった。この後赤沼さんに松本まで送ってもらい、タイムリーに乗車できた特急あずさ32号で無事東京へ帰ったが、なんと昨日は東京でも雪だったとは知らなかった。 (2010.3.21.投稿)
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