いなほ随想特集

私流[山の楽しみ方」
〜74歳のときの決意〜

2010.4.3.撮影
山本浩(29政経)
文・写真


★山の楽しみ方については書物やテレビなどメディアを通して多くの人達が紹介しているが、なるほどと感じる部分もあるし、違いを感じる部分もある。別に山に限らず、何をどう楽しむかは人様々で、どうでなければならないという決まりはないし、楽しみ方の押し付けをすることは全く意味のないことだと思う。

★要はその人が山とどう向き合っているかによって変わってくることで、どんな楽しみ方でも楽しいと感じることは全く自由である。従って、私が「山の楽しみ方」を述べるに当たって頭に「私の」を冠したのはそのような意味合いからとご理解いただきたい。唯、前置きが長くなって恐縮だが、私が若い頃に経験したことを一つ引き合いに出さしていただいて「楽しみ方」とは一体なんであるのかを考えてみたい。

月山から鳥海山を望む

◆社会人サッカーの選手・監督時代に得た教訓

★私は中学時代からアソシエーションフットボール、今で言うサッカーをやっていた。私は大して旨くもなかったし、眼鏡というハンデもあって大学ではやらなかったが、社会人になって再開、がむしゃらに走り回る数年を過ごした後、現役を引いて監督になった。 

★その時、メンバーにも恵まれたお蔭で今の日本リーグの前身である全日本実業団選手権に中国地区代表として出場することが出来た。勿論、これは色々ラッキーが後押ししてくれたからでもあったが、田舎の工場の実業団チームが此処まで上り詰めた裏にはメンバーの精神的葛藤が幾重にも重ねられたことに思いを致さずにはいられなかった。 

★昭和30年代、少数精鋭を旗印に急成長しつつある会社の現場は真に忙しい。部員の数も少なく、練習もままならない。特に纏まって組織的な練習が出来ないとあっては団体競技のサッカーで勝つことは望めない。ある時広島の中学生に10対0で負けたことがあった。

★さすがに皆落ち込んだが、私はこれから後、試合のあるたびに徹底的に泣き言を言ってもらうことにした。
その結果、はじめは、試合には負けてもしょうがない、皆でサッカーを楽しめさえすればいいと言う意見が大勢を占めた。然しそうは言っても負けるよりは勝つほうが楽しいに決まっている。同じレベルの相手に競り合って勝ったり、思いがけず格上のチームに勝てたりすると喜びは一入深いものがある。 

◆徹底的に泣き言を吐き出すと[自分が何をなすべきか」が見えてくる


★泣き言を言う時間はどんどん長くなってきて、激しく喧嘩になりそうなことも度々だったが、それと共に徐々にではあるがメンバーの一人一人が勝つために自分は何をしなければならないか、チームのために何が出来るのかを考えるようになり、チームとしての纏まりを実感できるようになってきた。 

★長く厳しい道程ではあったが中国地区大会で今まで一度も勝った事のない二つのチームを続けざまに破って優勝、全国大会出場権を獲得した。この時は彼等が今まで経験したことのない高い質の「サッカーをする楽しみ」を全身で感じた瞬間でもあった。高い質の楽しみ方を知り、高い質の喜びを経験することは、大げさな言い方かも知れないが生きていることの幸せに繋がる。しかも、それを得る過程の苦労、努力が大きければ大きいほどその喜びはしみじみと深く染み透って行くものだ。  


◆老けこむ要素は頭と身体の二つ―対策に登山を選択

★私がその気になって山に登ろうと思うようになったのは、四十数年の会社生活を終えて、何もしたくなければ何もしなくてもいい生活が出来るようになった時で、下手をすると直ぐに老け込んでよぼよぼになると脅かされたからでもある。老け込む要素には頭と身体があり、頭のほうは五百字詰めの日記を毎日必ず書く、しかも忘れた漢字は面倒がらずに辞書を引くことにして、身体のほうは肉体を鍛えるのではなく、どこまで持ちこたえられるかを試すために山に登る、つまり肉体と精神のパフォーマンステストとして登山を選んだ。  

500字詰の日記を毎日書く

★山には若い頃も結構登ってはいたが、殆どが誘われての登山で自分から山を決めて、計画して登るようなことはなかった。然し今度は自分のために登ろうと決めたわけだから計画から実施、後片付けに至るまで全部自分でやる。当然のことながら初めは単独行が多かった。私は今でも最も安全な登山は単独行だと思っている。 

★自分しか頼るものはないとなると真剣に調べ、準備し、実行に当たっては慎重に且つ集中を切らさないように、自分のペースを守りぬく。
自分の実力、体調などをきちんとわきまえていればこんなに安全なことはない。然しこの頃の私はどこまでやれるかテストする気構えだから、人に負けないスピードで歩こうとするし、とにもかくにも頂上を目指す。まさしくピ−クハンターそのものだった。

針の木大雪渓で筆者

★ハーハー息を切らしながらやっと頂上に辿り付いて、もう此処より高いところはないと実感する時、これはやはり山の楽しみの原点であり、他の楽しみは全て此処から派生するものに過ぎないと言えるかもしれない。より高い山、より難しい山を目指すのは喜びの質を更に高めたいからでもある。然し、いくら意欲があっても体力、能力、時間、費用などの制約から限りなくエスカレートするわけには行かない。 

◆国内3000m峰21座完登を機に楽しむ山歩きへ

★ラインホルト・メスナーのように世界の八千メートル峰14座を全て登りきるなどとは比べるべくもないが、昨年の夏に南アの塩見岳に登って日本の三千メートル峰21座を登り終えた時に、これからはひたすら頂上をのみ求めることは止めて、どうやって山を楽しむかを考えようという気になった。未だこれぞ私の「山の楽しみ方」といえるものが確立している訳ではないし、多分時の流れと共に変化していくとは思うが、山で歩けることの幸せは変わることなく大事に考えていきたいと思っている。

ラインホルト・メスナー
Wikipediaから転借
*ラインホルト・メスナー(1944〜):イタリアのドイツ語圏である南チロルのブレッサノーネ生まれの登山家、冒険家、作家、映画製作者。1986年に人類史上初の8000m峰全14座完全登頂(無酸素)を成し遂げた。
                                                     (Wikipediaより引用)

塩見岳(西峰3047m、東峰3052m)

★山は三度楽しめ、とよく言われる。つまり、登る前に調べ、準備する楽しみ、登ること其のものの楽しみ、登った後、思い出し振り返る楽しみがあるのだから、唯漫然と登るだけではもったいない、しっかり山を楽しみなさいよ、という教えである。事前の調査は勿論自分のためにやるのだが、グループ登山の機会が多くなるとお世話役として計画を作ることも増えてくる。グループとなると唯参考書丸写しではなく、経験の浅い人を頭において考えるなど、あれこれ場面を想定して計画しなければならないが、最近は参考資料も沢山あるので、少々苦労はしても旨く計画が出来た時には結構嬉しくなる。 

事前の準備では参考書にも目を通す

★携行品の準備は、下手に“くそ”が付くほうで、あの場合にはこれ、この場合にはあれと考えていると荷がどんどん増えてしまい、家内からは必要品を見分ける能力がないと言われ、バスやケーブルカーで唯一人超過料金を取られたりするのだが、やはりその場になって頭に思い描いた心配事が実現せず、全く使わずに持ち帰るものが一杯あってもやむを得ないと諦めている。 

携行品

◆山歩きではメモを取り、写真を撮る、そして出会いを大切に

★山に登るとき、特別皆と違うことはないが、日記を書く習慣があるためアクアノートという濡れても大丈夫な手帳に通過時間を主としてメモをとる。カメラは必ず持っていくから山の風景や花の写真を撮る。グループの中程にいると後の人に迷惑をかけるから殆ど後尾にいて写真を撮ってから皆の後を追いかける。従ってたまに撮る人物写真はどうしても後姿が多い。 

濡れても大丈夫なアクアノート 休憩時にメモを取る筆者

★名水百選ではなくても山の冷たい水は旨い、そんな水があるとその場で飲むだけでなく家に持ち帰り、お茶やコーヒーを入れる。これは唯一持ち帰れる山の自然だ。山小屋があると必ずバッジを買って帰り、机の前に貼り付けて楽しむ、数を数えたことはないが数百の単位になっているだろう。

山小屋で記念に買ったバッジ

★山行中、沢山の登山者との出会いがあるが、気持ちの良い人が多いし、この出会いは大切にしている。私はアドレス帳に「山の仲間」というファイルを作っているが、お蔭様で毎年このファイルには新しい顔ぶれが加わってくる。 下山直後はなんと言っても温泉とビール、汗を流して疲れた身体をゆっくり湯船に沈め、身も心も開放されて飲む生ビールは最高!! 気のおけない山仲間と語り合いながら飲んでいると時の経つのも忘れかねない。この至福の時あるがゆえに山の苦労も耐えられるのかもしれない。

仲間と♪いい湯だナ(苗場下山・赤湯で)

★帰宅して翌日一番の仕事は山での着衣の洗濯、靴の手入れ、その他携行品の始末、一段落してメモを見ながら日記の記入をし、撮った写真をカメラからDVDなどへシフトする。実はこれが中々の作業量、特に夏場四泊から五泊くらいの山行をしたり、日本の梅雨時、十日くらい海外の山を楽しんだりするとこの作業は一朝一夕には完結しない。 

★私は予習はあまり得意ではないし熱心でもないが、自分が実際に見たり体験したりして興味が湧くとかなりしつこく調べるし、その傾向は最近ますます強まってきている。従ってこの作業が完結するのに1ヶ月以上かかることも珍しくない。気に入った写真を絵葉書にして送ったり、特に海外の場合は日記から紀行文に仕上げたりする。こうなるとメモ、参考文献、写真、地図と首っぴき、くたびれる作業だが、何とか纏め上げると、悪い癖で直ぐ人に読んでもらいたくなる。一寸でも褒められると嬉しくなってうきうきしてくる。申し訳ないがこの被害を受けられた方はかなりおられるはずである。 

◆山を畏敬しつつ全身運動、精神活動の「登山」を楽しむ

★冒頭、山の楽しみ方は、山とどう向き合うかによると言ったが、古来山は山岳信仰の対象であったり、城、防塁など戦の拠点であったり、果実や茸、薬草などを育んでくれる母体であったり又有用な鉱物資源を産出する対象であったりした。更には山そのもの、山にある草木花などを偉大なもの、美しいものと感じて絵画、音楽などの芸術や文学を産む対象であったりもしている。つまるところ山との向き合い方は千差万別で限りはない。 

★今の私にとって山は、私に元気で生きていく力を与えてくれる大切なものだから、山に対して失礼な向き合い方はするまいと決めている。山は美しく静かで優しいときもあれば、厳しい猛々しさで襲い掛かってくるときもある。あらかじめ予想はしていても信じられない速さで全く違った姿を見せたりする。そんな時、やはり山はどんな山でも軽々しく考えたり、馬鹿にしてはいけないし、征服するなどと驕り昂ぶった気持ちを持ってはいけないとつくづく思う。

ミヤマオダマキ(深山苧環) オンタデ(御蓼)の奥の山容は涸沢槍
キンポウゲ科オダマキ属 タデ科オンタデ属

★医者で元日本山岳会長の斉藤惇生さんは、人は年をとると共に体力、心肺機能、運動能力、何れも1年で0.5〜1.0%低下する、つまり30歳の人が70歳になると良くて20%、悪ければ40%も体力が落ちると言っておられる。これは加齢すればするほど明らかで、私自身とみにバランスが悪くなっている実感がある。74歳を迎える私としてはこのあたりを十分自覚して、極力基礎体力の保持に努め、高年者が健康な生活を送るのに最も適切な全身運動であり精神活動である「登山」をじっくりと楽しみながら、何時までも続けたいと願っている。(2004年11月3日 記す)

 

♪BGM:T.Oesten[アルプスの夕映え]arranged by Reinmusik♪
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山岳紀行
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