◆漢拏山(ハンラサン)登頂への旅
★朝鮮半島には意外に高い山がない。遥かに小さい面積の台湾に富士山より高い山が二つもあり(玉山、雪山)、名前の付いた3000m峰だけで200以上ある方が驚くべきことかもしれないが、何と朝鮮半島には3000m峰が一つもない。
★朝鮮半島の最高峰は中国吉林省と北朝鮮両江道が接する国境の山、白頭山(ペクトウサン)で標高は2744mである。更に韓国の最高峰は朝鮮半島にはなく、済州島の漢拏山(ハンラサン)1955mで、しかもこれが白頭山に次ぐ第2位とは一寸信じ難い。
★朝鮮半島の別称を「三千里」というのは白頭山から漢拏山までの距離を示す言葉らしい。済州島は朝鮮半島南岸から130km南にある火山島で、韓国最大の島であり、360の小火山を伴って中心に存在するのが漢拏山である。
◆興味のきっかけは韓国ドラマ「チャングムの誓い」の一場面から
★さて、私が漢拏山に興味を持った切っ掛けは、韓国の国民的ドラマで、韓国の「おしん」といわれ圧倒的な視聴率を保った「チャングム(大長今)の誓い」を見てからである。16世紀、朝鮮王朝11代中宗の時代に、宮廷女官チャングムが冤罪により流刑囚として済州島に送られるが、医女として再起しようとする彼女が真水を求めて山の中腹へ登る場面がある。
★チャングムは病人のために薬草を煎じようとするが、火山島で真水の少ない済州島では一部の支配階級の人間以外の真水使用は禁じられている。 かといって塩水を使うわけには行かず、湧き水を求めて山に登るのである。 この真水問題は後に多くの人達の協力を得て雨水濾過装置を造ることによって解決するが、この場合の彼女が登った山は、島自体が火山島である済州島にあっては漢拏山以外には考えられない。
◆韓国の最高峰まで成田から2時間20分の魅力
★韓国の最高峰が成田から僅か2時間20分の所にあるというのも魅力的だし、ハンラサン、城山日出峰、拒文岳溶岩洞窟を合わせて、2007年韓国初の世界自然遺産に登録されたことも素晴らしい。ハンラサンは標高800m以上が自然保護区になっているが、これは済州島が1万年以上前に朝鮮半島から切り離された為に動植物の固有種が多く残ったことや、亜熱帯、温帯、寒帯の植物が垂直分布するというユニークな植物相を持っているからでもある。
★3年位前から漢拏山に登ってみたいと思うようになり、韓国通のIさんが済州島へ行くと聞いて登山の可能性について調べて貰うよう頼んだが、確実に頂上を踏めるかどうかは判然としなかった。ハンラサンは自然保護の見地から長年にわたって入山が規制され、登頂できない状況が続いたが近年可なり緩和されてきたとは聞いていた。一時は環境保全に名を借りた国防上の理由からではないかと思ったりしたものだが、これは行ってみて登山道の整備状況や植生保護の状況などから環境保護には随分力を入れていることがよくわかった。
◆2007年4月、漢拏山へ出発
★漢拏山への登山が実現したのは2007年4月、さくらの季節である。済州島に着いて驚いたのはあちこちでデコポンを売っていたことだが、韓国で柑橘類が出来るのは東洋のハワイと云われるこの島だけだと後で知った(高知県と同緯度)。
★規制が緩和されているとはいえ、漢拏山(ハンラサン)登頂コースは城板岳(ソンパナク)コースと観音寺(クァヌムサ)コースの2つのみ。他に登山コースとして御里牧(オリモク)コースと霊室(ヨンシル)コースがあるが、この2コースの終点は1700mのウイッセオルムまでで、登頂することは出来ない。又、日没2時間前から日の出2時間前までの入山禁止、頂上は14時前に退去下山しなければならない等事細かに登山規制が取り決められている。
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城板岳コース登山口 |
コース案内板 |
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◆城板岳コースを登る
★我々一行10名は城板岳コースを登ることにして、750m地点の公園管理事務所に集結。入山料は@3000ウオン(だいぶ高くなった様だが@400円位)、出発前ストレッチをしていると韓国の若者たちの集団があちこちで気勢を挙げていた。
★この山は非常に大きな山容をしているので、急な上りは殆んどないがアプローチが長い。始めは潅木林の中を緩やかに登る。1時間一寸歩いて簡易トイレのあるサラ待避所、この辺りが約1000mだ。渓谷はあっても多穴玄武岩溶岩が排水してしまうので流水はない、と思っていたら岩間から水が流れ出ているではないか。チャングムはきっと此処に水を汲みに来たのに違いないと思い込むことにした。
◆ツツジ畑退避所に
★11時少し前に「つつじ畑待避所(チンダルレパツ )」1550mに着く。 此処は立派な石造りの建物があってカップラーメンやコーヒーなどを売っているし、おそらくあと1月もすればあたりをつつじが彩って見事な景色になることだろう。此処を出ると遥か彼方にどっしりと構えた巨大な山塊を望むことが出来る。
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チンダルレパツ待避所 |
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★溶岩の上を歩き、やがて傾斜が急になると木道の階段になるが、見上げるとこの木道は何と延々頂上まで続いているではないか。これを一気にと言うわけには行かず所々で立ち休みをしながら登るが、韓国の若者たちはキムチパワーでガンガン登っていく。登山のルールやマナーの点では些か問題はあるが、なにせこの馬力には恐れ入った。
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頂上への木道 |
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◆ハンラサン山頂に立つ
★12時59分ハンラサン山頂1950m到着、頂上周辺も木道、木柵でしっかりガードされている。頂上には25000年以上前に形成された火口湖「白鹿潭(ペンノクタム)」があり周囲1.7km、深さ108m、湖面は凍結、火口壁には雪が残っていた。
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頂上付近 |
頂上の賑わい |
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★13時20分(リミットは14時なので)頂上を出発、観音寺コースを下る。 距離は城板岳コースの9.6kmに比べて8.7kmと短いが、登山口は620mと城板岳より130m下まで下りるので斜度はそれだけ厳しくなる。然し景観は屏風岩、三角峰、御里牧の稜線など変化に富んでいて楽しめる。
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観音寺コース下り |
荒々しい岩肌 |
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★このコースは北斜面になるので木道を歩いている間は良かったが、やがて地面を歩くようになると斜度が急な上に残雪があったり、凍結したり、抉れたりしている為歩き難い事おびただしい。何度か転倒の末、竜鎮閣(ヨンジンカク)待避所に着いた時にはほっとした。
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ヨンジンカク待避所 |
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◆耽羅(タンラ)渓谷へ
★此処からは道路状況も良くなり、正面にピラミダルな三角峰1695mが見えてくると長い耽羅(タンラ)渓谷が始まる。3時間かけて下りきって観音寺公園管理所に17時30分到着。上り5時間下り4時間、さすがに疲れました。耽羅(タンラ)というのは3世紀頃から独立国だったこの島の古い名前で、済州という呼び名は高麗の直轄領となった1214年以降のことである。その後、元の直轄の時代には馬産地(今でも牧場が残っている)となり、李氏朝鮮の時代後期にはチャングムの話にあったように流刑地として200人以上の政治犯、知識人が送り込まれていた。
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三角峰1695m |
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◆済州島4・3事件の残した深い傷跡
★現在の済州道は韓国唯一の特別自治道であるが、韓国には歴史的に済州島差別があり、それは今も少ないながら残っているといわれる。15世紀初めまで続いた耽羅王国は小国なるが故に苦難の歴史を辿ったが、済州島となってから最も深い傷跡を残した悲惨な事件は、1948年4月3日に起こった済州島4・3事件である。
★第2次世界大戦終了時、米ソの勢力争いから朝鮮半島は38度線で南北に分断されることになったが、済州島民が南北統一を求めてこれに反発抗議した為に韓国軍と右翼青年によって6万人が虐殺され村の70%が焼き尽くされた。この時、海路日本へ脱出して在日となった人も数多いと聞いている。
◆島の守り神トルハルバン
★後段に来て辛い話になってしまったが、済州島には昔から「三多、三無」という言葉があり、この島で多いものは石、風、女、無いものは泥棒、乞食、大門を意味している。多は理解できるが、無は狭く肥沃な土地がないこの島ではお互いに助け合い、格差がなく同じような生活をすることらしい。それを裏付けるように、島民の性格は半島人の激しさとは対照的に穏やかと言われている。
★町を歩くと素朴な石像にお目にかかることがある。これは「トルハルバン(石のお爺さん)」という島の守り神でシャーマニズムの要素も含んでいるらしいが、ユーモラスでおっとりとした感じはこの島の性格そのもののようでもある。それにしても一日快晴に恵まれて、かねてより気にかかっていた漢拏山登頂を果たせたのはラッキイだったし、気分も快晴だった。
◆マッコリで乾杯
★夕食には新鮮な魚介類を肴に、にごり酒マッコリで乾杯、翌朝夜明け前に代表的な噴火口の城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)180mに登ってその名のとおり水平線から上がる日の出を見た。朝食は食いしん坊にとっては垂涎の名物あわび粥、そのあと民族村やチャングム、オールイン、太王四神記(建設中)のロケ地等を見学してから帰国、なかなか印象的な旅だった。
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城山日出峰の日の出 |
日出峰より俯瞰 |
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城山日出峰と牧場 |
菜の花盛り |
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頂上火口湖ペンノクタム |
頂上1950mにて |
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