|
|
滝沢公夫(30法)
文・写真
|
[その5] |
[第二十三番 大円寺(ほうろく地蔵)]
|
珍しい「ほうろく地蔵」
(山号) 金龍山 (宗派) 曹洞宗 (本尊) 七観音
(所在地) 文京区向丘1-11-3
(巡礼歌) 逆縁も もらさで救う 観世音
わが身離れず 添いたもうなり
|
|
|
大円寺本堂 |
ほうろく地蔵 |
|
★この寺は、都営三田線白山駅から行きますが、第十一番のそばであり、地理的にかなり飛んでいます。寺門を入りますと、正面に「ほうろく」を被った地蔵尊がありますが、極めて珍しいものです。八百屋お七を供養することから始まり、人々を火事から護るためのものとなったらしいです。
★本堂には大きな七観音が安置されていますが、もともと高村光雲作のものであったのが、戦災で焼失し、戦後光雲の高弟により再興されたものといいます。二体を除き金色です。禅宗寺院に、このような七体の観音が祀られていることに、やや奇異な感もあります。
★街中としては比較的広大な境内で、子育て地蔵や著名人の墓もあり、ゆっくりできる寺です。
|
[第二十四番 梅窓院]
|
広大で高層建築のひしめく寺
(山号) 長青山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 泰平観音
(所在地) 港区南青山2-26-38
(巡礼歌) あこがれて 天みつそらを 眺むれば
心に見ゆる 慈悲の面影
|
|
梅窓院ビル |
|
★この寺は、東京地下鉄外苑前駅のすぐ前、青山通りに面しています。美しい山門から入りますと、広い庭園があり、都会の真ん中とは思えない環境です。札所本尊・泰平観音を安置する泰平観音堂はささやかなものですが、大正14年に建てられ、本尊・阿弥陀如来を安置する会館(本堂)は、鉄筋コンクリート造りの堂々たるものでした。
★ところが、それから20年ばかり経過した時点で再訪したところ、様相は一変し、境内の殆どの建物は取り壊されて、14階建てのマンションになっていました。山門は復元され、参道の両側には綺麗に竹林が配され、近代的ながら落ち着きのある雰囲気は取戻しつつあるようです。
★この寺は、寛永20年(1643)、尼崎城主・青山大蔵幸成が死去したため、子幸利が父を開基として、父の法号をとった寺を建立。増上寺・観智国師存応を招じて開山したといいます。戦災で会館を除きすべて焼失しましたが、昭和25年に泰平観音堂、41年に客殿・庫裏を再建しました。
★奥の広大な墓地には、十三代にわたる歴代当主等が葬られ、多くの墓碑・供養塔が並んで大変壮観です。備中守・幸敬のキリシタン灯篭を利用した墓石や岩谷天狗の墓等もあります。また、墓地中央には、平成7年に完成した「最勝宝塔」がありますが、入念な組み物と素晴らしい姿、更にコントラストのある色彩わ持ち、新しい塔としては風格があり、優れたものです。
★泰平観音(千手観音)は、鑑真和上が天平勝宝5年(753)に来朝の際、中国から招来した自然銅の観音で、当初聖武天皇に献上し、東大寺大仏殿に安置してあったのを、源頼義・義家兄弟に預けられ、更に伊達氏に伝えられたといいます。その後、青山家に嫁した伊達の姫が持参し、長らく青山氏の仏間にあったのを、梅窓院建立の際に寄進され、青山の観音として多くの人々に信仰されたものといいます。ビルに囲まれたこの地は、貴重な寺域となっています。
|
[第二十五番 魚藍寺(魚藍観音)]
|
珍しい本尊
(山号) 三田山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 魚藍観音
(所在地) 港区三田4-8-34
(巡礼歌) 身をわけて 救う乙女の 魚かごに
誓の海の 深きをぞ知る
|
|
魚籃寺本堂 |
|
★この寺は、都営浅草線の泉岳寺駅から魚藍坂を登ったところにあります。本堂は、入母屋造りなから、普通の民家風です。 本尊は本当に珍しいものですが、特定の開帳日にしか拝観できません。観音経に則り、竹籠に魚を入れて売り歩く、美しい乙女の姿で現生され、仏教信仰のない地方に仏教をひろめたというのが、この菩薩の縁起です。
★この観音が祀られるようになったのは、この寺の開山・称譽上人の師・法誉上人が、長崎で老婆から観音像を付与され、寛永7年(1630)三田の地に一宇を建立してお祀りしたといいます。その後、承応元年(1653)現在地に移っています。
★観音堂には、多くの仏像がごたごたと安置されています。飛び切り下手な字でご朱印を頂戴しました。
|
[第二十六番 済海寺]
|
本当に珍しい本尊
(山号) 周光山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 亀塚正観音
(所在地) 港区三田4-16-23
(巡礼歌) 昔より たつともしらぬ いまくまの
ほとけのちかひ あらたなりけり
|
|
済海寺本堂 |
|
★この寺は、第二十五番近くにあります。本堂は普通の小住宅風です。ところが、20年ばかり後に再訪したところ、素晴らしい鉄筋コンクリートの本堂になっていました。
★本尊は、亀に乗ったもので、本当に珍しいです。この寺は、江戸時代、亀塚の済海寺といわれ、亀塚は土岐家の下屋敷にありました。もと竹柴寺内にありましたが、江戸時代に土岐家に移り、明治になって華頂宮邸になりました。この竹柴寺の所在は不明ですが、法誉上人によって中興されたといいます。
★寺域の墓地には各種の石塔があり、また、ここは安政5年(1858)に、フランス公使の宿舎として使用されたといいます。
|
[第二十七番 道往寺]
|
二体の本尊
(山号) 来迎山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 聖観音・十一面観音
(所在地) 港区高輪2-16-13
(巡礼歌) かかるよに うまれあうみの あなうやと
おもはでたのめ 十ひえひとこえ
|
|
道往寺本堂 |
|
★この寺は、泉岳寺のそばにありますが、入口が全く分かりにくく、階段を登ると貧相な本堂があります。ところが、20年ばかりあとに再訪したところ、立派な鉄筋コンクリートの本堂になっていました。本尊は二体ありますが、拝観できません。
★ここは、江戸時代に、西方三十三カ所札所の一つとして信仰を集めた寺で、山門内に二つの観音堂があって、一つは斉藤氏彫刻の千手観音、もう一つは恵心僧都作の聖観音でした。従って、昔はかなりの大寺であったでしょう。
★今では、観音堂内の多くの仏像を拝観して、当時を偲ぶほかありません。なお、帰途には、赤穂浪士の墓のある泉岳寺を訪れたいものです。
|
[第二十八番 金地院]
|
徳川氏との深いつながり
(山号) 勝林山 (宗派) 臨済宗南禅寺派 (本尊) 聖観音
(所在地) 港区芝公園3-5-4
(巡礼歌) そのかみの 祇園精舎を 名におえる
寺のみほとけ おがむうれしさ
|
|
金地院 |
|
★この寺は、東京タワーのすぐそばにありますが、寺域は大変静寂です。入口に大きな石標があり、迷うことはありません。立派な本堂に上がり、じっくりと本尊を拝観できます。しかし、この本尊は戦災で焼失し、現在のものは新しい唐木白檀造りです。
★徳川家康は、慶長10年(1605)秀忠に将軍を譲って駿府に移り、一寺を建立して金地院と名付けました。その後、金地院は江戸城内に移され、更に元和2年(1616)、二代・秀忠が現在地に移したとのことです。
★したがって、徳川氏との深いつながりを持ち、将軍の祈願寺となっていました。徳川氏の各種文書も所蔵しているようです。なお、帰りには、東京タワーにも立ち寄りたいものです。
(続く)
|
♪BGM:Bach[Goldberg Variations no.15]by Mari Kumamoto♪ |
|
|
|
|
表紙へ |
|
江戸三十三観音
巡礼記目次 |
|
|