[第六番 清水観音堂(寛永寺)]
京都の清水寺に模した寺
(山号) 東叡山 (宗派) 天台宗 (本尊) 千手観音
(所在地) 台東区上野公園1-29
(巡礼歌) 松風や 音羽の滝は清水の
むすぶ心は 涼しかるらん
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清水観音堂本堂 |
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★この寺は、寛永寺の境内であった上野公園の中あり、幕末の上野の戦いで唯一戦火を免れた貴重な建物で、重要文化財に指定されています。京都の清水寺が、恵心僧都作の千手観音を天海僧正に贈ったことで、寛永8年(1631)現在の東京文化会館裏の擂鉢山に、京都の清水寺に模した舞台づくりの堂が建立され、その後元禄11年(1698)に現在地に移設されたものといいます。
★近くにある徳川家康を祀る東照宮は、寛永4年に作られていますが、この東照宮も上野の戦火から逃れ、昔のままで現在に伝えています。五重塔が有名です。寛永寺という格式の高い寺の中に、このような庶民のお参りできる観音堂があることは、天海僧正の見識かもしれません。
★観音堂周辺には史跡・伝承が多く、堂の前の縁に出ますと、弁天堂・水上動物園等の眺望が素晴らしいです。お堂の左側の子育て観音への信仰も、大変なものです。このような庶民的な札所らしい札所があることは、本当に有難いことです。座敷に上がってご朱印を戴く気分も最高です。
[第七番 心城院(湯島聖天)]
ひっそりと物陰にある寺
(山号) 柳井堂 (宗派) 天台宗 (本尊) 十一面観音
(所在地) 文京区湯島3―32―4
(巡礼歌) 柳の井の 水清く梅の香かぐわし
湯島のみほとけ
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心城院(湯島聖天) |
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★この寺は、地下鉄湯島駅近く、湯島天神の男坂の下にあります。本当に気づかずに通り過ぎてしまうような小さな寺です。もと宝珠弁財天堂と称し、湯島天神の一堂宇でしたが、元禄7年(1694)別当宥海僧正によって、歓喜天を祀ったのが始まりといわれます。
★明治の神仏分離により、湯島天神から分離したものです。元禄以来、大震災や戦災からも免れたのですが、昭和44年に改築されたといいます。また、この狭い境内に「柳の井」という井戸があり、この井戸が関東大震災の時に大いに役立ったということです。湯島天神とともに、ゆっくりとしたい寺です。
[第八番 清林寺(花陽院)]
寺町の中の清浄な寺
(山号) 東梅山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 聖観音
(所在地) 文京区向丘2-35-3
(巡礼歌) 苦身なるも 心一途に蓬莱の
彼の名問えば声聞の声
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清林寺(花陽院) |
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★この寺は、都営三田線白山駅から行きます。本郷通りから団子坂に入りますと、寺がきわめて多く、間違い易いです。左側に大きな碑があるのを目標にすれば良いです。
★文明15年(1483)観誉祐崇上人により開山されたといいます。大永2年(1522)に焼失し、慶安元年(1648)現在地に再建されたものです。本尊は、玄関の外のガラスケースの中にあり、誰でも自由に拝観できます。小ぶりながら素晴らしい聖観音です。いずれにしても、喧噪の大通り近くに、このような清浄な寺域があることに感動しました。
[第九番 帝泉寺(夢現地蔵)]
三重県から迎えた本尊
(山号) 東光山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 十一面観音
(所在地) 文京区本駒込1-7-12
(巡礼歌) 春の日は 東光山にかがやきて
駒込の里に 晴るるうす雲
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帝泉寺(夢現地蔵) |
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★この寺は、第8番からほど近く、本郷通りに出て右に行けば左側にあり、ささやかな本尊を拝観できます。江戸札所当初の本尊が戦災で焼失したため、三重県鈴鹿市の悟真寺からお迎えしたものといいます。
★本堂の前には、石造りの六阿弥陀塔と十三重塔があり、来歴は分かりませんが、極めて珍しく貴重なものです。この寺では、僧侶の対応が親切で、納経をお願いしたらお供物を頂戴しました。
[第十番 淨心寺]
合併の経験のある寺
(山号) 湯涛山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 十一面観音
(所在地) 文京区向丘2-17-4
(巡礼歌) たのめただ 枯れたる木にも 自から
実りの花や さくら観世音
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浄心寺 |
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★この寺は、第九番からすぐのところにあります。参道には石仏等もあり、境内は広大。本堂は広い階段を登ったところにあり、鉄筋コンクリートの堂々たるものです。江戸時代の前身の寺・正念寺は、慶長3年(1598)三譽上人の開山によるもので、本尊は聖徳太子作という十一面観音であったといいます。しかし、戦災で焼失したため淨心寺に合併し、昭和新選江戸札所に選定されたとのことです。
★本尊は、昭和38年に故阿井先生により像立されたもので、4メートルの大像です。本堂には、ほかにも阿弥陀如来と勢至菩薩が安置されています。一方、この寺は、海外旅行を企画・集客・実施をする等、大変行動派です。
[第十一番 円乗寺]
八百屋お七ゆかりの寺
(山号) 南縁山 (宗派) 天台宗 (本尊) 聖観音
(所在地) 文京区白山1-34-6
(巡礼歌) 観音のおしえのままに 導かれ
ただ円かれと 船に乗るらん
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円乗寺
八百屋お七の墓 |
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★この寺は、都営三田線白山駅近くの五叉路から小路を入ったところにありますが、やや分かりにくいです。小路の奥に小さなお堂があります。ここは八百屋お七ゆかりの寺で、参道にはお七の墓やお七地蔵もあります。お七および相手の吉三ゆかりの場所は、他に目黒・深川・大森等があるようですが、これもお七の心根に打たれた江戸っ子の心意気でしょう。
★お七が自宅に放火したのは、天和2年(1682)12月28日といわれますが、これは明暦大火の10年後です。お七が難を避けた先は、手習いを学んだ吉祥寺であったといいます。お七が捕えられ火炙りの刑に処せられたのは、鈴ヶ森または小塚原といわれ、明確でないです。吉三の素性についても、各種伝説があり明確ではありませんが、小堀左門という侍のようです。
★刑死したお七を引き取り葬ったのが、ここ円乗寺の乗詮和尚といいますが、これは吉三のお家騒動の際に、この和尚が関わった因縁によるもののようです。いずれにしても、この話は江戸中で大評判になり、歌舞伎にも取り上げられても大当たりしたといいます。お七の墓には今でも参詣する人が多いようで、きれいに掃き清められ、水に濡れています。納経はお堂の高い窓で受けてくれます。兎に角しみじみと考えさせられる寺でした。
[第十二番 伝通院寿経寺]
学問寺の伝統
(山号) 無量山 (宗派) 浄土宗 (本尊) 無量観音
(所在地) 文京区小石川3―14-6
(巡礼歌) ありがたや まことの道をふむ人は
じひのあみだが すくうとうとさ
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伝通院寿教寺 |
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★この寺は、都営地下鉄春日駅から坂を登って行くとありますが、バスを利用すれば伝通院前下車、すぐのところです。新しい山門を入り、大きな石段を少し登りますと、正面に堂々たる本堂が現れます。札所本尊は、鐘楼脇の庵の中に安置されていますが、新しく造立された、白木の素晴らしいものです。
★応永22年(1415)に了誉上人が小庵を結び、無量山寿経寺と名付けたものといいます。また、慶長7年(1602)徳川家康の母が逝去してこの寺に葬られ、法名から伝通院と称されるようになりました。以降徳川氏の菩提寺となっていましたが、享保年間の火災ですべての堂塔を失いました。しかし、徳川氏の援護で、文政4年(1821)にはほぼ昔通りに復したとのことです。
★明治初年の廃仏や戦災により、江戸時代の面影を残す建造物は皆無となっていますが、学問寺としての伝統は息づいており、淑徳女学園もここの創立です。300年ばかり前、イタリア人神父、ジョセフ・キイヤラは、布教のため来日しましたが、キリシタン禁制のために浄土宗に改宗させられ、岡本三衛門と称しましたが、この人の供養碑が境内にあります。如何に苦労して布教したかが偲ばれます。境内には、その他石造りの観音や徳川時代の墓碑もあって、しみじみと歴史を思い起こさせてくれる素晴らしい寺です。 (続く)
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