★今回から滋賀県に入るが、ここには素晴らしい仏塔が多く存在する。
[滋賀県編]
◆極彩色仏画のある仏塔[西明寺・三重塔(国宝)](滋賀県犬上郡甲良町池寺)
★近江鉄道尼子駅からバスで行くが、かなり不便な場所だ。石段の長い参道を行くと二天門があり、広大な境内に入ると右手に西明寺の三重塔が屹立している。あでやかで、軒の反りがやや強く、高さ20メートル余り、素晴らしいものだ。相輪の一部が欠けているが、保存状況は良い方だ。
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丘の上から西明寺・三重塔を望む |
三重塔(国宝) |
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★仏塔は鎌倉時代の建立で、国宝になっている。特色があるのは、仏塔内に各種の仏画が極彩色で描かれている点だ。本当に珍しい例で、また大変素晴らしい。
★西明寺は平安時代の開基で、以降盛衰があり、火災もあったが、主要な建造物は罹災を免れている。本堂は国宝であり、二天門や仏像多数も重文になっている。この寺は、金剛輪寺、百済寺と併せて「湖東三山」と言われており、巡り歩くのは誠にに楽しい。特に紅葉や新緑の季節がお勧めだ。観光バスによる観光客は常に多く、それだけ素晴らしさを持つ寺だと思う。
◆湖東三山のひとつ[金剛輪寺・三重塔(国指定重文)](滋賀県愛知郡秦荘町松尾寺874)
★近江鉄道豊郷駅からバスで行くが、ここも大変不便なところだ。参道を登りつめて仁王門を入ると、本堂の左手奥に金剛輪寺の三重塔か゜鎮座している。美しく整った仏塔だ。鎌倉時代の建立で、国指定重文になっている。高さ20メートル余り、最近の大掛かりな修理により、美しく蘇ったものという。
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金剛輪寺・三重塔 |
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★金剛輪寺は奈良時代の開基で、由緒深いものであるが、信長により火を放たれ、その後徳川氏が復興したものだ。古い堂塔は火災を免れている。本堂は国宝であり、その他重文も数多く存在する。
★この寺も、「湖東三山」のひとつとして、巡り歩く人は多い。情趣深い土地柄とともに、一日たっぷりと過ごしたいところだ。
◆西寺と呼ばれる国宝塔[常楽寺・三重塔(国宝)](滋賀県甲賀郡石部町西寺574)
★草津線の石部駅から1時間ばかり歩くことになり、かなり不便だ。仁王門から入り、季節の花々が咲き乱れる参道を行くと、常楽寺本堂の左側の高い場所に、三重塔が高々と建っている。
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常楽寺・三重塔 |
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★高さ23メートルほど、均整の取れた堂々たるものだ。室町時代の建立で、国宝に指定されている。内部には、彩色文様が描かれていて素晴らしい。
★常楽寺は奈良時代の開基で、一般的にこの寺を「西寺」と呼び、近くにある長寿寺を「東寺」と呼んでいて、道案内の看板等にもそのように書かれている。人里離れたこの地で、脈々と信仰が息づき、本堂と三重塔が国宝になっている等、文化財と自然に恵まれた貴重な寺だ。
◆信長が移築建立[ハ見寺・三重塔(国指定重文)](滋賀県蒲生郡安土町下豊浦6367)
★安土駅から徒歩30分ばかり、苔むした乱積みの石段を登ると、豪壮な仁王門に達する。さらに上っていくと、右側に本堂跡があり、その下の狭い場所にハ見寺・三重塔がひっそりと建っている。
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ハ見寺・本堂跡 |
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★やや間延びのした形で、なんとも古めかしく、寂しい感じだ。相輪は立派。室町時代の建立だが、信長が、前記の長寿寺から移築したものという。国指定重文となっている。
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ハ見寺・三重塔 |
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★ハ見寺は、信長が安土城を建立した時、一部を割いて開基したもので、当時は堂塔が建ち並び壮観であったが、江戸末期に仏塔と門を除いて焼失したという。仏塔の奥には広大な安土城跡があり、遠く信長の時代を思い起こしてくれる。しばらく感慨に耽りながら下山した。
◆808の石段の寺[長命寺・三重塔(国指定重文)](滋賀県近江八幡市長命寺町157)
★近江八幡駅からバスで30分ばかり、登り口に着く。ここから、急で曲がりくねった808の石段を登る。喘ぎながら、休みながら、なんとか頂上に着く。
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長命寺の長い石段 |
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★頂上は驚くほど広大で、各種の堂塔が散在していて壮観だ。山の上の仏都という感じ。長命寺・三重塔は、一番奥の一段高いところに屹立している。高さ25メートルほど、屋根の逓減は自然で、全体に良く均整がとれていて素晴らしい。くすんだ朱色の本体も好ましい。桃山時代の再建で、国指定重文となっている。昭和30年代に解体修理が行われたとのことだ。
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長命寺・三重塔 |
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★長命寺は聖徳太子の開基と伝えられ、その後盛衰が繰り返されたが、現在、西国33観音霊場の31番札所として、多くの信者を集めている。また、本堂、千手観音菩薩像等、重文も数多く保有する。
★寺を後にして長い石段を降る時には、次々と登ってくる巡礼者に声を掛けながら、素晴らしい仏塔や寺域を拝観できたという満ち足りた思いで一杯であった。
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