いなほ随想特集

人類発祥の大地探訪記

                                             

滝沢公夫(30法)


(その1)

[はじめに]


◆青年海外協力隊員激励を目指して

★平成9年の8月、私は12日間にわたり、「青年海外協力隊・隊員を育てる会」の一員として。南部アフリカのザンビア、ジンバブエ、南アフリカの3カ国を訪問する機会を持ちました。その時の胸の熱くなるような感動が未だに心に深く残っているため、このたび敢えて筆を執った次第です。

★この探訪のきっかけとなったのは、甥二人が青年海外協力隊員として、それぞれガーナとザンビアに派遣されており、私も「協力隊を育てる会」に所属していたため、現地隊員の激励と視察に出向いたのでした。私は、丁度前職場の定年退職直後で、第三の職場の比較的閑職にありましたので、夫婦で参加することにしました。甥の両親である義弟夫婦が同行という、比較的恵まれた立場にありました。

★折悪しく、私は旅行の1カ月余り前に、突発性難聴のため日赤医療センターに入院し、旅行直前に退院したため、旅行参加が危ぶまれましたが、医師の許可により、辛うじて参加に踏み切ったのでした。ただ、免疫抑制剤による治療の傍ら、黄熱病等の感染症に対する免疫剤の注射という、全く相反する対応を余儀なくされ、困難な判断に迫られたのでした。しかし、結果として何事もなく帰国できたのは、本当に幸せであったと思います。

青年海外協力隊(JOCV):外務省所管の独立行政法人、国際協力機構(JICA)が実施している海外ボランティア派遣制度に基づく組織。隊員の募集年齢は、20~39歳。派遣国は約80ヶ国で、これまでに約3万人の隊員が派遣されている。

[出発]

◆心躍るひととき

★参加者は、ザンビア組12名、ジンバブエ組25名で、南アフリカのヨハネスブルクまでは同一行動でした。引率者は、「沖縄県協力隊を育てる会」の副会長と事務局長で、特に事務局長は、自らも隊員であった経験もあり、本当に行き届いた配慮をして戴いたことに、今も深く感謝しています。電気も水道もガスもないアフリカの大地で、地元民に密着して奮闘しているであろう甥を始め隊員のために、みつくろった土産物を一杯詰めたバッグを搭乗手続きで預け、いよいよ成田を離陸したのでした。本当に感慨深いものがありました。

★シンガポールまでは、シンガポール航空のジャンボ機で、スチュワーデスの民族色豊かな制服と心温まる接客に、大変満足することができました。参加者の中には、かなり酒が入り上機嫌な人もみられました。

[中継地シンガポール]

◆多くの民族の混在した活気あふれる街

★シンガポールでは、乗り換え時間を利用して、街に繰り出しました。自転車のサイドカーを利用して、主要な市街地、観光地を一巡したのですが、巨大なビルと寺院が混在した活気ある街で、中国人をはじめ多くの民族の集散地という感じです。露天の料理店で中華料理も楽しみました。また、ナイトサファリも楽しみましたが、これはあまりにも人工的で、これから行くアフリカとは全く異なるものであろうと思いました。

シンガポール市内のビル街 市街地 サイドカー自転車タクシー
市内の喫茶店 果物店 屋台で

★空港に戻ると、乗り換え客でごった返しており、なかには、日本の高校生の修学旅行の一団も屯していました。我々の頃にはろくに修学旅行などできなかったのに、と羨ましい気持ちもおこります。

[中継地ヨハネスブルク]

◆活気と危険の満ちた街

★シンガポールからは、南アフリカ航空で、一路南アフリカ共和国のヨハネスブルクに向かいました。広いインド洋を横断するため、窓から見下ろしても何も見えません。専ら機内の情景を眺めたり、テレビを見たりして、うつらうつらまどろんでいると、何時の間にかアフリカの黄色い大地が視界に入ってきました。大都会のビルが林立している風景が目に入るとともに着陸態勢に入り、無事にアフリカの大地を踏みしめたのでした。

★ヨハネスブルクは、欧州やアフリカ各地を結ぶ交通の要衝になっており、空港の雑踏は甚だしいものがあります。ただ、大変清潔で近代的な雰囲気に包まれていました。しかし、治安は極めて悪く、絶対に荷物を下に置いたり、目を離したりしないように注意を受けました。街は近代的な高層ビルが立ち並び、ビジネスの拠点となっていて、ここがアフリカとは信じられない雰囲気でした。勝手に出歩かないように注意を受け、
空港内の喫茶店で雰囲気を楽しみました。

[ザンビアの首都・ルサカ]

◆現地で盛大な歓迎を受ける

★ヨハネスブルクでザンビア組とジンバブエ組に別れ、帰路での再会を約して、いよいよザンビアに向けて出発。飛行機は南アフリカ航空でしたが大変小型で、一寸心配にもなりました。しかし、無事にザンビアの首都・ルサカに到着。協力隊員や国際協力事業団(当時)の人々の盛大な出迎えを受けました。甥も元気な黒い顔を見せてくれました。とうとうやってきた、という感動が全身を襲うのでした。入国手続きや荷物の受け取り等は、彼らがスムースに取り運んでくれたので本当に助かりました。

ヨハネスブルクの空港前 空港の喫茶店 南アフリカ航空の小型機に搭乗
(ヨハネスブルク→ルサカ)

★ただ、空港は国際空港としては極めて粗末で、トイレも垂れ流しの状態のため、これからの国内航空では相当の覚悟が必要であろうと思われました。周辺は草木の殆どない砂漠状態で、森林の退化、砂漠化の危機が早くも感じられるのでした。

[ルサカの街]

◆活気あふれる猥雑な首都

★到着当日は、長い旅の疲れを取るために宿泊場所である「パモジホテル」に直行。当地では5つ星ホテルで、設備はすべて旧式ですが、旧宗主国であるイギリスをはじめ外人が主要な客のため、アフリカとしてはかなり近代的な面も見受けられました。8階建てで、旧式ながらエレベーターも2基備えられています。

ルサカ空港に到着直前 ルサカ空港の周辺風景 空港から市内へ(ジャカランダの花が満開)
ルサカ滞在中の宿、パモジホテル ホテルからルサカの街を望む

★部屋のベランダに通じる鍵は壊れていましたが、洗面所の水は弱いものの辛うじて出て、まずまずの居心地です。早速蚊取り線香を沢山炊き、マラリアに備えることにしました。ベランダから、遮るもののない雄大な大地の景色を眺め、アフリカに来たのだという実感を新たにしました。ジャカランダの紫色の花があちこちに咲き誇り、本当に美しい。遠くに目を移すと、人口50万人の首都とはいっても高層ビルはほんのわずかで、殆ど茶色の平屋の住宅と立木が入り混じっている街です。

★一息入れてから、街に出かけてみました。ホテルの周辺は、小規模な建物ながら各種の中央官庁や外資の会社等が立ち並んでおり、日本ならば霞ヶ関や大手町といった立地のようであり、安心して写真も撮ることができました。しかし、道路は赤い砂に覆われている部分が多く、また、信号が無いので、道路を横断するには細心の注意を必要とします。

★繁華街に出るべくバス停で待っていると、行き先と経路を連呼しながらバスがやってきました。日本製のポンコツ車です。中に入ると満員で、ムッとする体臭で息が詰まる。車掌が早速運賃を請求しますが、汗だらけの手に剥き出しの札束を掴み、札は大変汚れていて臭かったです。ザンビアの通貨はクワッチャで、10クワッチャが約1円になるため、大量の札束が必要になります。一応すべての種類の紙幣を持ち帰りましたが、いまでも大変な臭気を発しています。

★バスは大変なスピードで悪路を突っ走り、交差点も早い者勝ちで無理やり突っ込み、かなりスリリングです。程なく街の中心部に到着し、散策に出ました。日本の戦後の闇市のような店が密集し、しきりに「日本人友達、いらっしゃい」の声があがります。うっかり相手になっていると大変なことになる、と甥に急かされ、今日は街の概要を把握しておくにとどめることにしました。

★兎に角大変な熱気と臭気です。写真は絶対に撮ってはならない、と注意を受けていましたので、カメラは懐深くしまい込みました。危険といわれる地区は避けて、一応中心部の概要は把握できました。日本製の車がやたらと目につき、「何々旅館」とか「何々商店」とか日本語で書かれたままの車も多くみられます。

★また、日本の援助に頼りきっている姿が見受けられ、道端でただぼんやりと座り込んでいる壮年の男がやたらにつきました。それにしても、交差点に信号がないため、車はわれ先にとぶつかりながら、無秩序に通行しているのには驚きます。首都にしてこの有様なので、地方ではどうであろうと思いやられました。

★再びバスに乗り、猛烈なスピードで行き過ぎてしまうところを辛うじて停車させ、やっとホテルで寛ぐことができたのです。それにしても、初日から大変なカルチャーショックで、疲れが噴出してきます。ほどなく夕刻となり、ベランダからの180度の夕景は美しく、見渡す限り赤茶けた街の向こうの地平線に大いなる太陽が沈みかかり、感動のうちに暗黒の夜を迎えたのです。

ホテルからの夕景

★夕食は自由行動となり、私たちはホテル近くのレストラン「ホリデーイン」にいくことにしました。小綺麗な店で、メニューも豊富。値段の割りに分量も多い。焼肉、ポテト、サラダ等をたっぷり食べていると、店内に日本語の一団が居ることを発見。行ってみると、彼らは協力事業団の関係者で、現地でやり甲斐をもって活躍しているようでした。女性もいます。時々この店で集まっているとのことで、色々の情報を交換しながら歓談し、大変楽しく収穫ある夜を過ごすことができました。それにしても、この国は赤道近くではありますが、標高1,000メートルあまりの高地にあるため、思ったよりもかなり涼しく、乾季でもあるため快適な気候でした。

[関係機関を訪問]

◆出先機関の真剣な活動を知る

★翌朝はかなり早く目覚め、ベランダから美しい夜明けの風景を楽しむことができました。ホテル周辺を散歩して、グリルでバイキングの朝食。料理の種類は少なく、特にアフリカめいたものもなく、日本人からすれば味もたいしたことはありませんでしたが、これは止むを得ないでしょう。今日は、一同で協力隊関係の機関を訪問することになり、一寸緊張が走りました。

(隊員の集会所)

★最初に、ザンビア国内の各任地で活動している隊員の集会所であるドミトリーを訪れました。数人の隊員が、各地隊員向けの連絡事項等の書類の印刷、整理、発送作業に追われています。狭い場所ながら活気があり、日常の活動が偲ばれました。部屋の隅には酒の空き瓶が転がっています。激励の言葉をかけて早々に辞することにしました。

(国際協力事業団事務所)(当時)

★次に訪れたのは、常に途上国の支援を行っている、協力隊のいわば上部機関です。隊員への絶大な支援態勢が覗えました。所長はじめ調整員数名による、国内事情、隊員の活動状況、問題点、課題、国内滞在中の注意事項等の細かな説明と質疑応答が行われました。

海外協力事業団ルサカ事務所前で(右から4人目筆者)

★事務所は、狭いながらも小綺麗な建物で、庭には各種の花が咲き乱れています。特に注意を受けたのは、マラリア対策でした。ワクチンの使用を薦められましたが、私の場合は高血圧のため、使用は中止となりました。その代わり、蚊対策が一段と必要になりました。玄関前で一同記念写真を撮り、格段の配慮を謝しながら辞しました。

(日本国ザンビア大使館)

★続いて日本国ザンビア大使館を訪問しました。塀の上には鉄条網が張り巡らされ、建物の窓にはすべて頑丈な鉄檻が取り付けられ、厳重な警戒ぶりが覗えました。玄関入口には、空港と同じような探知機を潜る設備もあります。庭には翩翻と日の丸が揺れています。広い会議室には、日本の焼き物等各種物産が陳列されています。まもなく大使が職員数名とともに現れ、我々にねぎらいの言葉を掛けてくれました。大変気さくな、上品な人柄の大使です。

日本国ザンビア大使館前で(左端が筆者)

★同国の概要、課題、協力隊員の活動状況等、懇切丁寧な説明を受けました。ザンビアは、人口約900万人、年間平均気温は最高で25度、6?10月が乾季であること、国民一人あたりのGDPは約4万円で、日本の100分の1程度と極めて低いこと、諸外国、特に日本からの援助が突出していること、協力隊員の赴任先の地域事情は極めて厳しく、電気、水道等の設備のないのが普通で、大変苦労しながら地域に密着していること等の話は、本当に重く受け止められました。また、政情は現在のところ、アフリカ諸国としては比較的落ち着いている方であるとのことでした。ただ、マラリア、エイズ、結核、栄養失調等により、国民の平均寿命は30才余りと短く、衛生意識の向上も急務のようでした。

ルサカ市内の中央官庁街

★一方、日本からの援助のため、日本人への親近感は強いものの、一方では自立心に欠けるようになってきており、街にごろごろしている労働力を、如何に活用して産業を振興させるかが最大の課題になっているとのことでした。この点は私も大いに共感を持ちました。日本の援助で、七輪の製造にも取り組んでいるようですが、一方では、炭を作るための森林伐採が沙漠化に拍車をかけるという皮肉な現象も生じているようです。

★大変親切な応対と説明に感謝しながら大使館をあとにしました。本当に充実した一日でした。この日は一旦ホテルに戻り、必要な荷物を纏めて、いよいよ自由行動の数日となり、一行それぞれ計画してある地へと分散しました。我々は、十分サファリを経験するため、サウスルアンガ国立公園のムフェを目指すことになったのです。  [続く]

ルサカからムフェに向かう小型機(ルサカ空港で)

人類発祥の大地探訪記

(その2)

[サウスルアングア国立公園]

◆サバンナの驚嘆体験

★ルサカ空港から軽飛行機に搭乗し、1時間あまりでムフェ空港に到着。まことに小さな空港で、まわりには土産物店が3軒ほどあるだけです。既に国立公園内の宿泊施設から、四輪駆動車が出迎えに来ていました。車は日本製のトヨタです。イギリス人の施設経営者が運転しており、一応の挨拶をして乗り込みました。物凄いスピードで黄色い大地を走ります。所々草葺きのマッシュハウスが点在しています。オープンカーのため、風圧で息をするのにも苦労する中、必死に写真を撮りまくりました。

ムフェ空港 空港カラサウスルアングア公園に向かう 沿道からマッシュハウスを望む

★40分ほどで国立公園の入り口に着き、一定の手続きを完了。更に、公園内を1時間ほど、サバンナの悪路を上がったり下ったり、また曲がったりしながら進みます。キリン、インパラ、ハイエナ、象等が徐々に周辺に現れ、ブッシュからライオンが現れるのではないかと次第に緊張します。

サウスルアングア国立公園入り口 インパラ(ウシ科インパラ属)
Wikipediaから転借

★無事に宿泊所に着き一安心。早速イギリス人の経営者が、同宿のイギリス人を紹介してくれて、しば
し歓談しました。従業員は7名ほどで、1人を除きすべて現地人です。皆本当に友好的で親切でした。

の宿泊所は「カインゴ・:キャンプ」といい、日本人が来たのは初めてだそうです。食堂兼集会室はすべ
て現地の木材を使用した野性味豊かな建物で、壁や窓等が一切ない吹き通しです。

公園内のカインゴ・キャンプ(従業員と記念写真) カインゴ・キャンプ内の集会場兼食堂

★また、宿泊者の部屋は、それぞれ一室づつ敷地内に点在し、現地人のマッシュハウスに似たものです。まさにサバンナのキャンプという雰囲気が十分。電気は一室ごとに太陽発電機により供給され、暗いながらも点灯します。水道は、キャンプ前の鰐が群生している大河からパイプで吸い上げ、濾過して使用します。顔を洗うくらいは大丈夫ですが、さすがに飲むことは差し控えることにしました。

★調理場も快く見学させてくれました。パンは、材料を地下の穴に埋め、上に鉄板を引き、その上に火を焚いて焼いています。種々の野菜を混ぜてサラダも作っています。ハイエナに咬まれて穴のあいた薬缶も見せてくれました。従業員は皆にこにこして、気軽に写真に応じてくれました。

★食事の準備ができると、アフリカ独特の太鼓連打で知らされます。それぞれ離れた棟から宿泊者が集合して、賑やかな食事となります。デザートやコーヒーもあります。いわば原始的生活と文明的生活の一部が融合しているようです。イギリス人の一人が、東京の原宿に仕事のために行ったことがある、と話しかけてきました。なかなか友好的です。食事の内容は貧弱ですが、アフリカでこのような食事ができるのは、感謝しなくてはなりません。

公園内の畑地(猿が1匹います) 自動車にも猿がちょこんと

★食後、ナイトサファリに出かけました。例の四輪駆動のオープンカーの前の席に、強力なライトを持ったスタッフが乗り込み、広大なサバンナにいよいよ出発。今まさに大きな赤い夕日が地平線に沈むところ。胸に沁みるような美しさです。一同深い歓声をあげるのみ。

サバンナの夕景を背に記念写真 日没寸前のサバンナ

★急速に暗闇がやってきて、満天の星。今までにこのように多くの星を見たことがありません。初めての南十字星も感動的に見ることができました。しばらく星に堪能してから移動開始。ライトの中に動物の眼が各所で光っています。インパラが一番多く、ハイエナ、キリン、象、それに河から上がってくる河馬の列が壮観です。

★突然、車の下でガリガリという音がして車が止まる。河馬の牙に当たったらしく、河馬は驚いてブッシュの中に逃げ込みました。
ライオンが現れないかとヒヤヒヤしていましたが、この晩は見ることがありませんでした。初日の疲れとカルチャーショックもあり、早くキャンプに帰ることにしました。

★小屋の部屋には蚊帳が吊られていましたが、蚊取り線香を沢山焚いて寝ることにしました。小屋の入り口は開けっ放し。窓は薄いカーテンだけのため、無用心で怖い。夜中に小屋の回りをガさゴソと歩く音がします。猛獣が入って来ないかと、音の遠ざかるまで耳を澄ましました。

★熟睡できないままに夜明けを迎え、小屋の前の大河を眺めます。なんとも雄大で平和。鰐と河馬が無数に棲息しているのが見られます。遠くでは象の群が水を飲みに現れている。一瞬大きな水しぶきが上がり、水に浮かんでいた白鷺が鰐に咥えられて水没。後には静寂が戻る。なんとも厳しい自然の掟です。

カインゴ・キャンプの宿泊棟

★朝食前に、火を熾す実演をして貰いました。若い女性は、火を熾せることが嫁入りの重大な条件になっているとのことです。棒切れの先を板にあてて両手で回転させ、次第に煙が出始めたところで、象の乾燥した糞にうまく着火させる方法であり、大変珍しいものです。糞が湿っているとなかなか着火しないようです。

火起こしの実演

★朝食後しばらくして、サファリに出かけました。双眼鏡を手に、例のオープンカーでブッシュの中を上り下りしながら進みます。突然、象の親子が車の前を横切りました。悠然としています。キリンの群があちこちに見られます。おびただしい数のインパラがおり、猛獣の餌としての役割を持たされているのです。河馬は、昼間には陸地に上がってきません。ハイエナが次々と集まってきて、獲物の動きを看視しています。まことに油断のならない動物です。ライオンが捕らえた餌さえ狙うといいます。

車の前を悠然と横切る象 キリン

★ライオンは夜行性で、昼間は殆どごろごろしています。したがって、あちこちの木陰などに姿が見られますが、比較的安全のようです。象やライオンの糞が散在しています。突然、雌の豹が孕んだ雌のインパラを咥えてやってきました。獲物は大変重いようで、時々休みながら、結局高い木の上まで担ぎあげたのです。豹の習性を目の前で観察することができたのは、貴重な経験でした。

食うか食われるか 獲物を待つハイエナ

★大草原の雄大な眺めの中でのサファリは、厳しい自然界の掟を知る一方、本当に心を洗われるようです。静寂さと高原の爽やかな風に包まれていると、俗世間の種々の出来事や嫌なことを忘れてしまいます。ただ、キリンが高い木の先まで枝を食べ、他の動物達も次々と草や木を食べるため、次第に森林はなくなり、砂漠化が急速に進行しているのが大変心配になりました。

沙漠化が進むサバンナ

★午後は、河沿いを、鰐と河馬を歩いて観察することを勧められましたが、午前のサファリで疲れてしまい、ゆっくりと、河に来る動物を小屋の前で眺めて過ごしました。

ワニとカバ

★夜は、昨夜と違う経路でナイトサファリに出かけました。森の中で、ライトを左右に動かしながら慎重に進みます。突然、動物のけたたましい悲鳴が響き渡ります。悲鳴の聞こえた方へ進んでいくと、ライオンが縞馬の首に噛み付き、倒したところ。縞馬の眼が弱く光ります。縞馬の動きが止まると、数匹のライオンが一斉に食いつき始めました。

★そのとき、車のすぐ前に雌のライオンが顔を出し、こちらを凝視しているではありませんか。一同ぞっとして息をひそめました。これほど時間が長く感じられたことはありません。しばらくして、悠然と縞馬の方に歩き出し、他のライオンの群れに混じって縞馬に食いつく光景がみられました。皆、ウーと唸りながら、必死に食っています。ここで、やっと当方がライオンの眼中になくなったので、写真を撮り始めることができました。みるみる縞馬は骨だらけになって行く。早めに現地を離れることになりました。それにしても、弱肉強食の現実を目のあたりにして、自然界の厳しさをあらためて認識したのです。

★翌日は、徒歩によるサファリを経験しました。猛獣に襲われる危険があるため、国立公園保安官が、銃を持って警護してくれました。砂漠化したブッシュを進んでいる時、ライオンが近くにいることを発見。保安官は銃に弾を込めて身構えます。我々も、なるべく音をたてないようにして、何とか通り過ぎることができました。大変なスリルでした。

ライオンを発見! 縞馬がライオンに食われていた

★雨季に河から出てきたのか、鰐の死骸も転がっています。ホロホロ鳥の美しい群れにも遭遇しました。滅多にみられない、丘と谷がミックスされたような風景の中を、一列になって進みます。同宿のイギリス人1人も加わって、楽しいハイキング気分です。河のほとりに出て小休止。象の群れが水浴びをしています。鰐の群れは眼だけが飛び出しています。ここでも、少し離れたところにライオンが寝ています。土の茶色と同色のため、一寸見分けがつきにくいです。しかし、やはりライオンの活動は、殆ど夜間であることが納得できました。

木陰にライオン(見えますか?)

★広大な国立公園内での3日間の貴重な経験を持って、再び首都ルサカに戻ることになりました。宿泊所経営者が、例のオープンカーでムフェ空港まで見送ってくれました。心のこもった数々の対応に深く感謝し、強く握手を交わして名残りを惜しみました。そして、紹介してくれたみやげ物店で土地の名産を買い求め、ルサカをめざして機上の人となったのです。生まれて初めての、驚くべき収穫を胸に秘めて。

ムフェ空港前

[再びルサカの街]

◆なにごとも「ポレポレ」

★再び「パモジホテル」に戻り、買い物のため街に出ました。最初の日に主な箇所は歩いていたので、凡その地理は頭に入っていて、行動はスムースです。露店で値引き交渉をして、アフリカ模様の布地を買いました。続いて、大きなみやげ物店に入りましたが、各種の被害もあるのか、窓はすべて鉄格子がはめられ、入り口には物々しいガードマンが立っています。

★品物の種類は意外に豊富です。特産の銅版の加工品を買い求めましたが、安直に値引きもしてくれました。スーパーマーケットにも入ってみました。やはり物々しい警戒です。物価は日本よりもかなり安いですが、このような店で買い物ができるのは、ほんの一部の者に過ぎないという話を聞き、やはり貧困の国という感を強くしました。

★汚いながら安心といわれる食堂に入り、玉蜀黍粉で作った「シマ」と鶏肉等のごった煮を注文。現地人と同じく手掴みで食べる。清潔ではないが、案外味は良く、比較的繁盛しているようでした。その後も、露店をひやかしたり、郵便局で鳥、花を主題にした切手を買ったりしましたが、従業員はすべてスローモーで、「ポレポレ(のんびり)」という感じ。日本人のせっかちさが反省させられました。

★夕食は、初日に入った「ホリデーイン」ですることにしました。何を注文しても量が多く、安い。この面では暮し易いのかとも思ってしまいますが、所得を考えるととんでもないことでしょう。ホテルでは、引率者である「沖縄協力隊を育てる会」の副会長および事務局長と一緒になりました。明日は、我々と同じくリビングストンへ飛ぶと言います。これからの旅を楽しみに眠りにつきました。(続く)



人類発祥の大地探訪記

(その3)

[リビングストン]

 ◆ザンビアの最南端、ジンバブエと接する観光地

★翌日、ルサカ空港を出発し、1時間ほどでリビングストン空港に着きました。がらんとした小規模な空港です。タクシーが全く居らず、夕闇も迫ってきたので心細くなっていたら、空港の人がタクシーを呼んでくれて、やっと宿泊所である「インターコンチネンタルホテル」に着きました。

リビングストン空港

★ゆったりとした、木立に囲まれた風情あるホテルです。サファリで一緒になったイギリス人とも同宿となり、再会を喜び合いました。ここは世界的な観光地ではありますが、その当時は未だ一般に知られておらず、落ち着いた静かな雰囲気で気持ちが良かったです。

★夕食はテラス風のレストランで、アフリカの民族芸能を堪能しながらの、楽しいひと時でした。飲み物も豊富に取り揃えてあり、バイキングの料理も種類が豊富で大変旨かったです。太鼓連打の音楽が、雰囲気を盛り上げてくれます。「協力隊を育てる会」の副会長と事務局長も一緒になって、お互いに写真を撮りあったりして大いに楽しみました。客室の設備も、ザンビアとしては格段に優れています。心地よい疲れで、すぐ眠りにつきました。

ホテルのショー ホテルのショー
夜明けのホテル

★翌朝は、薄暗いうちから起きだし、近くを散策。緑が豊富で良く手入れもされています。各種の鳥も来ています。従業員の対応も感じが良かったです。バイキングの朝食のあと、世界三大瀑布のひとつである「ビクトリアの滝」見物に出発しました。今日は、国境を越えてジンバブエまで足を伸ばす計画で、未知の世界に期待すること大です。ホテルの裏側から、滝につながる遊歩道をゆっくりと歩きます。ただ、この道を歩くのに料金を取られたのには驚きました。

[ビクトリアの滝]

◆世界3大瀑布のひとつにふさわしい迫力

★遥かに滝の音がすると思う間もなく、遂にビクトリアの滝の一部が見えてきました。大きな大地の割れ目から、物凄い水量が落下しています。乾季のため水量は少ないそうですが、それでも大した迫力です。轟音につられて移動して行くと、滝の形、水量、音もどんどん変化していきます。ザンビア側からの観光は、現在は僅かに行われていますが、その当時は全く行われておらず、誰ひとりとして会うことはありませんでした。滝の音のほかは静寂の世界です。滅多に経験できないルートである、としみじみ感じました。水煙が高く上がるため、虹も美しく出ていました。

ザンビア側からビクトリア滝を望む

[ジンバブエに入国]

 ◆さらに豪壮なビクトリアの滝

★しばらく歩くうちにザンビアとジンバブエの国境近くに達し、出入国管理事務所で入国手続きをして、ジンバブエに入国しました。鉄道の線路沿いの道を少し行くと、国境の表示が大きく出ています。更に行きますと、両国の境界の谷にさしかかります。谷にかかる橋の上から、バンジージャンプを楽しんでいる人がいました。下を見ると眼がくらみそうです。世の中には勇気のある人がいるものだと感心しました。

ザンビアとジンバブエ国境で 国境付近の鉄道

★並行した鉄道では、貨物列車がゆったりと通っています。両国とも、その当時は政情、治安ともに比較的安定していて、まことに平和な国境付近です。ジンバブエ側の滝の入り口近くで、通貨をジンバブエドルに両替し、いよいよ有料の滝見物公園に入りました。順路は良く整備されており、説明板も親切です。滝を見るポイントは幾つもあり、それぞれ名称がつけられています。

★総じて、ザンビア側よりも視野が広く、豪壮な風景です。滝の音も腹にこたえます。すべてのポイントを見てから、滝の発見者・リビングストンの銅像に達し、しばらく小休止。更に滝の下の方に下がって行くと、滝壺に達し、猛烈な水しぶきを浴びました。世界3大瀑布のひとつを体感した、貴重なひとときでした。

ジンバブエ側からビクトリア滝を望む リビングストン像

★滝をあとにして、ジンバブエの街に入りました。ザンビアよりもかなり生活水準は良く、物価も安い。スーパーにも入りましたが、ものものしい警戒はなく、生活物資も豊富です。みやげ物店では、特産の河馬、象、豹などの木製品、絵葉書、布地等をできるだけ多く買い求めました。USドルを使用できるのも便利でした。但し、現在は政情不安定で、国家財政も危機に瀕しているようです。

★切手を買うために郵便局を訪れましたが、入りきれないほどの人の群れで、しかも12時になったとして窓口を閉鎖されたので、買うのは諦めました。誰も文句を言いません。日本のサービスとは大違いです。街のビュッフェでありあわせの食事をしました。

★滝も街も見て、概ねこの国の実情を把握できましたので、タクシーをつかまえて、ザンビア側のホテルに戻ることにしました。途中、出入国管理事務所で例の通りの手続きをしましたが、案外スムースで、無事ホテルにたどり着くことができました。

[ヘリコプターに搭乗]

◆ビクトリアの滝の雄大な全体像に感動

★翌日は、上空から滝の全貌を眺めるため、ヘリコプターに搭乗しました。滝の周辺を1時間ほどかけて、丁寧に飛行してくれたのです。滝の幅は約1,800メートル、落差約110メートルです。滝になって落ちる前のザンベジ河の流れと、滝壺の大しぶきが全体的に眺められ、雄大な地形と構造が手に取るように理解できました。

ヘリコプターからビクトリア滝を俯瞰
ヘリコプターからビクトリア滝を俯瞰 滝の上に架かる虹

★滝壺の上には、美しい虹も現れています。なんとも云えない感動的な眺望です。滝は、大地の大きな裂け目となって目の下にあり、かなたの地平線がアフリカの広大さを実感させてくれました。時間を忘れているうちに、無事地上に戻りました。滝は、地上からだけでなく、空中からも見ることによって、更に理解が深まったのでした。

[ザンベジ河クルーズ]

◆楽しく感動的なひととき

★午後は、滝の水源であるザンベジ河のクルーズに甥の案内で出かけました。比較的大きな観光船に乗客は僅かです。大自然の雰囲気に浸り、ゆったりと時間が流れていきます。妻は、現地人家族に折り紙を教えています。皆真剣に折り方を試して喜んでいます。微笑ましいひとときの風景です。現地人の子供の素直な笑顔が大変印象的でした。

ザンベジ河クルーズ(海外協力隊員の甥と) 船上で乗客に折り紙を教える妻
ザンベジ河の日没

★次第に夕暮れが迫り、河に大きな夕日の影が輝き出しました。なんとも感動的な日没です。対岸に突然、犀が顔を出しました。犀は滅多に見られないとあって、皆歓声をあげたのです。その時、前方から賑やかな船が近づいてきました。ドンチャン騒ぎの観光船です。白人の若い女性が酔っ払って、こちらの船に向けて大きな尻を丸出しにしてみせるハプニングもありました。兎に角、楽しく感動的なクルージングでした。

[隊員の任地住民を訪問]

◆住民に信頼されている活躍を実感

★翌日は、一旦ルサカに戻り、甥が隊員として赴任しているカナカンタペ村を訪問しました。甥は、食用作物栽培技術を現地人に指導しており、砂漠化した原野で、如何にして玉蜀黍などの作物を栽培するか等、大変骨の折れる指導とのことでしたが、現地に行って、想像以上に大変な仕事であると実感しました。

★ルサカから物凄い悪路を1時間ほど揺られて行くと、甥の住んでいる住宅に着きました。比較的新しいコンクリート造りの一間だけの住宅ですが、水は遠くの河または井戸まで汲みに行かねばなりません。電気は最近開通したばかりですが、利用できるのは公共的な機関に限られるようです。

甥の任地、カナカンベ村 カナカンベの村民と

★近所の住民や公共機関の人々を紹介してもらいましたが、甥の普段からの地元密着で、皆大変友好的でした。学校からは、生徒達が、甥の名を呼びながら駆けつけてくれました。とても心温まる情景でした。それにしても、このような不便な土地で頑張っている甥の姿が、一層輝いて見えるのでした。

カタカンベ村の小学校で校舎から出てきた生徒に迎えられた

★続いて、ここから程ないところに在る、甥が農業を指導している民家を訪問し、全員から絶大な歓迎を受けたのです。勿論、水も電気もないマッシュハウスですが、当地としては比較的恵まれている一家とのことです。日本の秋葉原に行ったことがあるそうで、携帯ラジオを保有していました。

隊員の指導で井戸掘り作業 妻がここでも村民に折り紙指導

★ここで、飼っていた子山羊を絞めて、ご馳走に提供してくれたのです。子山羊の悲鳴が耳から離れませんでしたが、塩だけで調理した煮込みは、まあまあの味でした。玉蜀黍の粉で作る「シマ」と一緒に、手掴みで食べるのです。水が貴重なため、小さいボウル一杯の水を、全員に回して手を濯ぎます。これには一寸閉口しましたが、心のこもったご馳走であることを思い、楽しい雰囲気で食事を済ませました。

手づかみの食事風景

★万事行動が緩慢で、ポレポレという感じですが、日本人の性急さも反省させられました。妻は、ここでも折り紙を教えました。大人も子供も皆楽しそうに遊んだのです。しかし、長幼、男女、親子の序列は厳しく、かなり古い体質が感じられる一方、子どもたちの礼儀正しさと明るさには、本当に感心しました。また、水を得るべく井戸の工事が行われていましたが、本当にスローモーで、経済発展への援助も容易なものではないと思われたのです。

[報告・懇親会]                                                                

◆得難い経験等の発表

★以上で今回の視察・激励旅行の日程が終了し、再びルサカのホテルに戻りました。戻る途中、付近の住民がバスを止め、乗せてほしいと頼むので、街の近くまで乗せることにしました。交通機関がないため、このようなことは普通だそうです。

★ホテルで我々一団は再会し、それぞれの得難い経験等を楽しく語り合いました。懇親会には、隊員は勿論、国際協力事業団の人も参加し、盛大で楽しい会になりました。「育てる会」副会長の挨拶は、大変迫力があり楽しいものでした。76才の高齢で、ラフティングボートに挑戦した話は感動的でした。その他次々に経験談を発表し、楽しい中に名残りを惜しんだのです。明日はいよいよザンビアとお別れです。

[ルサカからヨハネスブルクへ]

◆アフリカの近代都市・ヨハネスブルク

★早朝、ロビーに全員集合。帰国までの予定、手続き等の説明を受けました。小型バスに乗り、ホテル従業員の見送りを受けて空港に向かいます。途中、しっかりとザンビアの風光を目の奥に焼き付けるように目を凝らします。

★空港では、買い忘れたみやげ物を更に買い足します。すると、偶然日本国ザンビア大使に会いました。東京で会議があるため、これから一時帰国するとのこと。先日のことで厚くお礼を述べて別れました。そして、甥をはじめ隊員たちに激励の言葉を述べていよいよ搭乗。空港の2階デッキで、隊員たちが必死に手を振っています。こちらも、見えなくなるまで手を振り続けました。あっという間に茶色の大地が下に見えます。カルチャーショックを受けたザンビアともお別れです。

★しばらくまどろむうちに、ヨハネスブルクに到着。往路で立ち寄っているため、空港の中は勝手がわかります。本日は、空港前の「ホリデーイン」への宿泊です。早速、南アフリカの通貨「ランド」に両替して買い物をしました。この空港でジンバブエ組と合流。互いに経験談を話したり、写真を撮りあったりして歓談しました。

★ホテルはなかなか立派なもので、窓からの夕景も感動的でした。ホテルの売店で、長さ90センチのキリンの彫り物を飼いましたが、大変良い出来で、今も玄関に飾ってあります。売店の白人は、東京から来たというと大変喜んで、あっさり値引きもしてくれました。

ヨハネスブルグの夕景 ヨハネスブルク空港で

★その夜は、治安の悪さからの危険を避けるため、皆で揃って街にでかけました。街は、ビルが林立した近代的なもので、ここがアフリカとは信じられないほどでした。揃って、日本人の経営する「だるま」という寿司屋に入り、久しぶりに日本食を楽しみました。感慨深い最後の晩です。

[ヨハネスブルクから成田へ]

◆感慨深い帰国

★翌朝、ついにアフリカを離れる日を迎え、感慨で一杯になりました。離陸すると間もなく海上に出て、アフリカとさらばです。旅行中のさまざまな体験を思い起こしながら、次第にまどろんできます。途中、シンガポールで、乗り換えのため空港に降り立ちました。往路の経験もあり、空港内の土地勘は十分で、かなりの待ち時間を買い物や見物で過ごすことができました。

★再び搭乗して一路成田へ。夕刻ついに無事成田に着陸しました。団員お互いに熱い挨拶を交わして、それぞれの感慨とみやげ物を手に、家路についたのでした。

[おわりに]

◆我が人生での得難い体験

★今回の旅行は、アフリカのほんの一部に限られたものではありますが、普通の旅行会社のツアーまたは個人企画では、とても企画、実施できない、大変貴重なものであったと思います。これも、青年海外協力隊を派遣している海外協力事業団(現在の海外協力機構)と、「協力隊を育てる会」による、積年の努力の賜物だと感じています。

★また、隊員本人はもとより、その家族の、協力隊活動への積極的な理解と協力は不可欠ですが、更に国民全体への啓蒙活動も一層求められると思います。そこで、この旅行の経験から学んだことや、今後の課題と思われることを若干記して、拙稿を終わります。

(1)  協力隊員は、既に途上国80か国に延べ3万人程度が派遣されてきておりますが、活動実態と実績が殆ど国民に知らされていません。この点、啓蒙のための広報活動が更に必要ではないかと思います。

(2) 隊員は、概ねかなり劣悪な環境のもとで、地域の人々に信頼されながら、その国の改善・発展のために、必死に活動している実態が理解できました。

(3) 隊員になる動機は、自分の人生経験を充実させるため、ボランティアのため、将来の飛躍に備えるため等、何であっても良いと思います。

(4) 隊員経験者の就職が困難といわれていることについては、企業経営者等に対し、隊員の活動実績を認識させるための格段の啓蒙が必要でしょう。

(5) 隊員受け入れ国の現状を見ますと、日本の援助を当然のこととして、自助努力に欠ける面もみられます。ブラブラしている労働力の有効活用を怠る国への援助は、再考する余地があると思われます。

(6) 途上国における隊員の活動状況と実績を実感して貰うために、場合によっては、視察・激励旅行への参加を一般の人々にも認めてはどうか、とも思います。

(7) 「協力隊を育てる会」の存在、活動状況を理解して貰うための広報活動を、更に充実させることが望まれます。

(8) 今回の旅行によって、協力隊および「育てる会」への理解は相当程度深まりました。数々の得難い経験を与えて戴いた関係各位に、深く感謝いたします。   [完]

♪BGM:Chopin[Ballade 1]arranged by Pian♪

表紙へ いなほ随想
目 次