★昔、会社勤めをしていた頃、社員の福利施設として「山の家」を作ったことがある。場所の選定から設計、建設、と完成まで3年位かかったが、出来上がりは上々で社員の評判も中々良かった。
★先ず場所選びでは余り東京の近くでは気分転換にならないので、長野、草津、上田、菅平あたりの土地を物色し、結局長野善光寺から戸隠を通って野尻湖に通ずるバードラインに近い飯綱山(1971m)山麓の牧場跡地に決めて建設に取り掛かった。
★いきおい私の長野出張は頻繁になったが、このバードラインには戸隠中社の宿坊が営む「極意」や更に先には古民家作りの「大久保の茶屋」など蕎麦の名店が多くあって蕎麦好きの私を楽しませてくれた。大久保の茶屋は味の良さのみならず、ざるに漫然と盛ってあるのではなく、一口食べる分づつ分けて盛揃えてある心遣い(*)が嬉しかったし、極意は半生そばを送ってもらえるので、年越しそば用に何回か注文したことがある。
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古民家の大久保の茶屋 |
ざる蕎麦(*戸隠そばのボッチ盛り) |
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(上段の写真は戸隠神社HP・花壇の写真は大久保の茶屋HPから転借) |
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★然し、最も強く私の印象に残っているのは長野駅から長野電鉄の方に5分ばかり歩いたところにあった小さなそば屋で、信州十割蕎麦を食べるべく東京に帰る前には毎回のように立ち寄った。にも拘らず、この店の名前を思い出せず調べてみてもそれらしい店がない、40年近くも前のことなのでもう潰れてしまったのかもしれない。
★この店の入り口の引き戸にはお客に対する断り状が張り付けてある。
曰く、騒がしい人、待てない人、酔っ払い、煙草を吸う人、いずれもお断りである。
確かに蕎麦の釜入れから上げて締めるまでは客の注文があってから掛かるらしく、かなりの時間待たされる。
★何回か通って店の若い女性に生そばを売ってもらえないか聞いてみたら十割蕎麦はボロボロになるので全くダメ、ただし二八なら私の言うことを守って貰えるなら売ってあげますと言う。多分年のころは十七八の若い女性が自分の父親かそれ以上の親父に向かってハッキリものを言うあたりは真に長野県人らしい。
★先ず貴方は「ゆがくと煮るの違いが判りますか?」教えを乞うと「ゆがくは湯の中でそばが舞っている状態で、そばが鍋の底に着いてしまったらそれは煮るになります。多めの熱湯で1分~1分半ゆがいて冷水で締めてください。」「そばは箱の中に入れておきますから、水平に保って東京の家まで箱を傾けないように、帰ったら今晩中に食べてください。」
★私は女性の言い付けを守る約束をしてそばを持ち帰ったが、家でゆがいたそばにはさほど旨味は感じられなかったのは何故だろうか。
★私が親しくしている友人に長野県人は何人かいて、共通しているのは理屈っぽさだろう。学生時代に演説の訓練をしたければ長野へ行ってヤジリ倒されずに演説出来たら一人前と聞いたことがある。長野が教育県で筋を通すことを尊ぶ県民性ゆえであろうが、私は長野県人の理屈っぽさを思うとき何時もこのそば屋の女性が目に浮かぶ。(2013.5.5.記)
[戸隠そばのボッチ盛り]
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*戸隠ざる蕎麦のボッチ盛り、円形のざる、薬味の辛味大根(写真:wikipediaより転借) HP管理人 |
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◆長野県人の県民性、仰る通り!飯縄山は高校時代に何十回も登った懐かしい山
★山本 浩 様 長野とそばに関する記事、大変興味深く拝読しました。
★長野県人の県民性については、本当に仰るとおりだと思います。長野県人会でも長野高校の同期会でも、なかなか難しい面があります。私などは関西生まれでもあり、全く気質が異なっていると自覚しています。
★飯縄山については、高校時代、毎年夏から秋にかけて、冬に備えた薪を飯縄山頂から学校に運ぶ行事があり、本当に苦しい思いをしましたが、何十回もの登山が今では懐かしい感じです。
★更に、戸隠では、同級生が中社の神主をしていて、近くで蕎麦屋をも経営していましたので、何回も行っておりました。ただ、蕎麦屋はその後経営を失敗しましたので、現在は存在しません。
★いずれにしても、山本さんのご執筆、大変懐かしい思いで一杯です。今後とも大いにご活躍されるとともに、「ざる蕎麦研究会」の一層の発展をお祈りいたします。(2013.5.6.滝沢公夫)
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