★京都という所は海から遠い盆地であるために古来魚の保存食に優れた食べ物が多い。特に京都の食べ物に詳しい訳ではないが「いずうの鯖寿司」「はれまのちりめん山椒」そして「松葉のにしんそば」などが直ぐに思い浮かんでくる。
★にしんそばは文久元年(1861年)創業の「松葉」の二代目松野与三吉が発案して(明治15年;1882年)南座の一角に店を構えたのが始まりとされている。
京都・南座の松葉総本店 |
★私とにしんそばの出会いは大学1年生の秋、たまたま水澤澄夫先生に京都のお寺を案内して頂いたことからそうなってしまった。
★水澤先生は私の従兄の遠縁にあたる方でその時が初対面、京都大学の美術の先生とは聞いていたが、当時既に著名な美術評論家で早くから柳宗悦の民芸運動に係わり、土門拳を室生寺に案内して有名な写真集大作「古寺巡礼」を作る切っ掛けとするなど日本美術会の中心的存在の方とは全く存じ上げなかった。
★水澤先生はバスやタクシーなどは一切使わず嵐山電車の本線と北野線で最寄駅へ行き、そこから歩いて幾つかのお寺を案内して下さった。後で思ったことだが先生は余程この嵐電がお気に召していたようだ。
★当時の私は格別にお寺や古美術に興味があったわけでもなく、この時回ったお寺や先生の説明も殆ど記憶に残っていないが、竜安寺の石庭を前にして多分これは禅の世界に違いないと思ったことや、あまり人の行かない寺に行ってみようと案内された大覚寺の障壁画と途中の嵯峨野の風景が印象的だった。
★お寺巡りを終わって四条へ戻り、都踊りなどの南座の脇にある松葉へ連れて行かれた。かけそばの上に身欠きにしんの片身が乗っているにしんそばなるものの話は聞いていたが、未だ食べたことはないと言うと先生は「君は三杯食べられるか?」若い時から麺類は大好物だったから「大丈夫です。」と胸を張った。
★その時先生が説明された何故三杯なのかはこうであった。「一杯目はにしんの臭いを感ずる、二杯目は臭いを感じなくなる、三杯目は美味いと思う、だから三杯だ。」
私は嗅覚に関しては余り鋭敏な方ではなかったからかもしれないが、先生の説明にさして納得することなく、たちまち三杯を平らげてしまった。
|
松葉のにしんそば |
|
★それ以来にしんそばを食べる機会は何度となくあってその都度このことを思い起こしたものだが、さすがに三杯はこの時だけ、もっとも一杯1200円の値段がついている現在ではとてもその気になれないだろう。
★その後、先生と親しく時間を過ごす機会は残念ながら無かったのだが、先生のご子息水澤周さんは昭和29年早大1文卒業、「青木周蔵」「岩倉使節団欧米回覧実記現代語訳」など多くの著書を残され、私と同年生まれ、学部は違っても同年次卒業のよしみもあって親しくして頂いていたのだが、5年前早々と鬼籍の人となってしまわれたのは残念の極みである。
★考えてみると、ご父君とにしんそばをめぐってこんな物語があったのに、彼にこの話をした覚えがないことが悔やまれる。(2013.7.28.記)
|