そば随想

出雲そばの思い出

小川浩史(35法)


★私は山陰の商都、鳥取県米子市の出身である。高校を卒業するまで在住したが、祖父、父とも隣国、出雲の国の安来の出身で、当時は流通市場が末達の時代で、蕎麦といえば即ち出雲蕎麦しか食したことはなかった。

★我々の伯耆の国は隣国出雲の国、安来とは隣同士であるが、昔は安易に交流できず、言葉も全く異なり、出雲弁は東北訛りによく似た所謂、ズーズー弁である。元首相竹下登のあの発音である。しかし父、祖父とも安来の出身なので、出雲蕎麦の割子そばはよく食べたものである。

★米子市内尾高町に大黒屋という蕎麦屋があり、盆暮れに帰ると必ず立ち寄ったものである。そこは社交場であり、盆の寺町同様に、あれはどこそこの娘とか、そこでよく噂したものである。

大黒屋

★ものの本によれば、出雲地方では出雲大社等にお参りする時に、門前の蕎麦屋で蕎麦を食べるのが庶民の楽しみだったようである。松江城の松平治郷(不昧公)は当時高貴な人は蕎麦を食べないとされていたにも拘わらず、夜お忍びで屋台のそばを食べに出かけていたとのことである。茶人としてしても、茶懐石にそばを取り入れ、その地位向上に努めたということである。

[出雲市内の老舗そば店]
羽根屋 荒木屋 田中屋

★割子そばは三段の丸い漆器にそばを盛って出すもので、出雲そばで一番有名な食べ方である。丸い器は岩手のわんこそばの器に似ているが、わんこそばのようにひと口で食い飲みすることはない。出雲そばのだし汁は他と異なり、器に直接ぶっ掛けて食べる方式で、残った出汁は次の器に入れて出汁を追加して食べる。

出雲そば

★上京してから、銀行の勤めが日本橋だったので、近隣の室町砂場(そば粉の大吟醸で白い部分のそば粉を使用)とか利休庵とかに出入りし、また蓼科に永らく山荘を保有しているので、信州そばを食べることが多く、東京で出雲そばを食べる機会はあまりない。

★むしろ信州蕎麦で、長坂の翁(そば打ち名人、高橋さん)、蓼科のしもさか、松本の野麦とか鬼無里、戸隠方面のそばに慣れ、どうやら出雲そばはいにしえの懐かしいそばになったようである。                                          
                                          (13.7.31.記)

♪BGM:J.Pachelbel[Canon in D]arranged by Reinmusik♪


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