反響メール特集
写楽の正体!

二代目大谷鬼次の奴江戸兵衛

どうやら阿州侯お抱え能役者、斎藤十郎兵衛で決まり!?

★“メール仕掛け人”藤田昌煕さんが、上野の国立博物館で開催中の特別展『写楽 役者は揃った。』(開催期間2011年5月1日〜6月12日)を観てきた感想をメル友に発信しました。

★カリカチュアの精神横溢の斬新な役者の大首絵を引っ提げて寛政6年(1794年)突如浮世絵業界に登場、そして10カ月の間に145点余りの錦絵(多色刷り浮世絵)を残し、忽然と業界から姿を絶った浮世絵師、写楽(東洲斎 写楽)の正体は?

★長年、研究者、好事家、作家などが追究、あれこれ取り沙汰してきたのは、ご存じの通り。それが2008年、ギリシャの国立コルフ・アジア美術館収蔵の浮世絵コレクションの中の肉筆扇面画『四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪』が「写楽の真筆」と日本の研究者の学術調査で確認されたことから、阿州侯(阿波徳島藩の蜂須賀家)お抱え能役者、斎藤十郎兵衛説がいよいよ濃厚になってきました。 

肉筆扇面画『四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪』

★折も折、NHKスペシャル『浮世絵ミステリー 写楽?天才絵師の正体を追う〜』が放映され、同説を補強し、大きな反響を呼んでいます。実は私(ホームページ管理人、松谷)も、近世日本文学研究者で文化功労者の九州大学名誉教授、中野三敏博士(早稲田大学文学部卒)の著書『写楽 江戸人としての実像』(中公新書)で、能役者、斎藤十郎兵衛説に納得していたので、“藤田メール”のメル友の皆さんから寄せられる侃侃諤諤の「写楽をめぐる反響メール」を転載、紹介し、稲門諸兄姉の写楽への関心の盛り上がりの一助とさせていただくことにしました。(ホームページ管理人)


◆「写楽」を観てきました

★いま東京国立博物館で開催中の特別展「写楽」を観てきました。平日にも関わらず、おまけに激しい雨にも関わらず大勢の来場者でびっくり。「さすが、写楽!」…と、あらためて写楽の人気を再認識しましたが、考えてみると、今回の「写楽」展、彼が生涯(といっても絵を描いたのはたった10ヶ月ですが)に発表した146点の内142点もの作品が一堂に揃ったのですから、これは見逃せない、まさに”特別”展。平日、雨にかかわらず会場がいっぱいになったのも当然かも…。

★さて、今回の「写楽」展で目立ったのが、外国の美術館からの借り出しが多かったこと。「ギメ美術館」(パリ)、「メトロポリタン美術館」(ニューヨーク)、「ボストン美術館」(ボストン)ほか欧米諸国の主要美術館所蔵のものが沢山あり、幕末・明治初期、浮世絵がいかに大量に海外に流失したか…思いをあらたにしました。

★また、特別展と銘打っただけに、展示方法にも斬新な企画がみられました。まず、写楽の作品を初期・中期・晩期と三期に分けて展示されたこと。これにより写楽の作品の変化が良くわかりました。

★次に、写楽と同時期の歌川豊国や勝川春英の作品が並べて展示されたこと。同時期の役者、芝居場面の描き方の違いから、写楽の作品の特色がよくわかりました。また、写楽の同じ作品が並べられ、これにより刷られた時期、保存状態で作品の色合い、濃淡の違いが分かり、浮世絵の特色がよく分かりました。

二代目沢村淀五郎の
川つら法眼と坂東善次の
鬼の佐渡坊
八代目森田勘弥の
駕舁鶯の治郎作

◆写楽は誰?

★最大の関心は、「写楽は誰?」という昔からの謎解きですが、これについては、解答は出なかったものの、版元蔦屋との深いつながりを示す古文書ほか貴重な文献、作品が展示されており、興味深いものがありました。しかし、1794年(寛政六年)5月、豪華な雲母摺りの大判錦絵28枚を一度に出版、華やかに登場しながら、翌年正月、忽然と姿を消した東洲斎写楽。彼が誰だったか? どうして10ヶ月で突然消えてしまったか…謎は深まるばかりでした。

★最後に、今回写楽の作品をじっくり観る機会を得て強く感じたのは、「写楽の絵は俳句に通じるものがある」ということ。登場人物の一瞬の動きを切り取り、それを正確に捉える。余分なものを切り捨てデフォルメされた人物の表情やしぐさから、まるでその場に同席しているような緊迫感が伝わってくる。まさに俳句に求められているものとそっくり。いま俳句を勉強している自分にとってじつに参考になりました。

★以上、作品の数、ユニークな企画で、これまでにない充実した展示となり、”写楽ファン”はもとより、美術に関心のある人には見逃せない特別展「写楽」だったと思います。(特別展「写楽」は、6月12日まで東京 上野・「国立東京博物館」)    (藤田昌煕) 



◆「写楽」〜皆様からのメール

拙文「写楽展」をお送りしたところ、皆様から示唆に富んだ楽しい返信メールを頂戴しました。以下、ご高覧たまわればさいわいです。    (藤田昌煕) 



[反響メール]

◆「写楽」は、中国語で“セーラー”。そこでわが社は「写楽金筆」

この間、NHK総合テレビで「浮世絵ミステリー写楽〜天才絵師の正体を追う〜」を見たばかりでした。ギリシャのコルフ島で写楽の肉筆画発見を基にしたもので、「写楽は誰?」の答えに近づくものでした。

ところで、「写楽」は中国語で“セーラー”と発音。そこで、我がセーラー万年筆鰍フ台湾の子会社は「写楽金筆」です。     (寺坂 義弘)

◆貴重なレポート

貴重なレポート、ありがとうございました。     (桐山 勝)

◆写楽は、蕪村が江戸に出て身を偽っていた時の名前?

写楽はぜひ観に行きたい。写楽は、与謝蕪村が江戸に出て身を偽っていた時の名前じゃないか、という説が、昔むかし、新聞に載っていたことがあった。   (吉田 正信)

◆写楽、能役者の斉藤某が最大の本命?

先日、NHKで写楽の肉筆画を詳細に検証し筆線の比較などから蔦や説は完全に否定されたようです(これは残っている歌舞伎絵が蔦や死亡後の演目であった事で、確実です)。北斎・歌麿説も画線が違うということで、番組では能役者の斉藤某が最大の本命ということです。斉藤を逆にすると東洲斎になるし、彼が武士の身分で芸事をしていることは罪であった、ことなどを根拠にしていました。  (吉田 元)

◆私は、人混みの中、ゆっくり味わえない会場には行かない主義

あの阿鼻叫喚の「写楽展」に行ったのですか?  まさか、あの混雑の中へ分け入るとは思っていなかった。私は以前から公言しているように、阿鼻叫喚の人混みの中、ゆっくり味わえない会場には、どんな大変な催しものであっても行かない(生きた恐竜とか、火星人とかはなら別)主義です。

写楽の絵は、海外でも飾ってあり、この前、新聞でも特集していました。私にはあれで十分です。(Q・Z)

◆写楽の謎、少し秘密が明らかになりつつある?

「写楽展」、是非と思っていました。この前のNHKで「写楽とは?」とやっていましたので。少し秘密が明らかになりつつあるようですが…。    (鳥塚 憲一)

◆浮世絵は、現代の“浮世”に通じるパンチがある

「写楽」展、私も観たいと思いつつ、なかなか行けません。江戸の浮世絵は、現代の“浮世”に通じるパンチがあり、人気があるのでしょう。時の権力に風刺でチクリと反抗する見事なチカラ。市井の日常生活が舞台で庶民的な鋭い感覚。自然美をかくも大胆に独特な技法で画く斬新さ…。だからこそ、ミステリヤスに包まれているのでしょうか?(近世・江戸時代なのに?)

筆一本で権力者に対抗する“スカッと胸を突く爽快さ”に、江戸庶民は拍手喝采。今のマスコミ関係者にも見習って欲しいものです。    (山本 興一)

◆「写楽の絵は俳句に通ずる…」、納得です

「写楽展」を観ての感想、興味深く拝読させて頂きました。「写楽の絵は俳句に通ずる…」、納得です。「写楽展」に行きたくなりますが、出無精の私ゆえ、るか…どうでしょうか。         (木下 克子)

三代目佐野川市松の祇園町の白人おなよ
と市川冨衛門の蟹坂藤馬

◆「蔦屋重三郎展」を観ていますので、「写楽」については興味津々

「写楽」、ご苦労様。大変な混雑とは聞いていましたが…。観に行く予定ですが、同じ上野地区の西洋美術館で「レンブラント展」もやっており、悩ましいところです。

双方とも六月十二日がエンドですので、一日がかりの予定となります。昨年11月にサントリー美術館で開催された「蔦屋重三郎展」を観ていますので、「写楽」については興味津々ではあります。

日本の絵画は、西洋の美術に大きな影響を与えており、さらには国内で「写楽」とは…、「歌麿」とは…、という詮議が囂しい折、是非予定をこなしたいですね。
 
江戸のこの頃の蔦屋の役割は、クールJ のはしりだったと考えてのことです。「蔦屋展」では、当時の店構えや店内の状況が再現展示されていましたが、その雰囲気は現代の出版社、版元の雰囲気そのものでした。当月23日には、写楽の「三世市川高麗蔵の志賀大七」が展示され、慌てて観直しに行きましたが…。

なお、もう一つ観たいのが、江戸東京博物館で開催されている「五百羅漢展」。狩野一信の「五百羅漢図」が初お目見えです。法然八百年御忌で、増上寺秘蔵の大作、全100幅が一挙初公開とのことです。この先何年生きられたとしても、もう二度と観られないのでは・・・の思いです。これらの大作も全世界に風靡しているクールJ の、近代アートの芽では…と思ってのことです。    (M・K)

四代松本幸四郎の
肴屋五郎兵衛
三代坂東彦三郎の
鷲坂左内

◆中野三敏著『写楽 江戸人としての実像』(中公新書)を

NHKテレビの「写楽」を見ました。能役者 齊藤某を写楽とする見方を紹介しながら、齊藤十郎兵衛説を唱えてきた研究者 中野三敏博士(早稲田大学卒、九州大学名誉教授)を登場させなかった番組構成に首を傾げました。中野さんの齊藤=写楽説の理由を紹介すれば、より明解になったのに、と思います。『写楽 江戸人としての実像』(中野三敏著 中公新書)を一読されることをお勧めします。(松谷 富彦)

◆写楽の顔は、江戸の文化を代表するもの

写楽の顔は、江戸の文化を代表するものですね。私はニューヨークで美術館を回っている時に見ました。その時に、忠臣蔵の吉田忠左衛門の刀が一緒に並んで飾ってあったのを覚えております。でも、これは敗戦の時にぶんどられていった美術品と知って、とても悔しい思いでした。こういうものは日本に送り返してもらえないものでしょうか? 残念に感じます。     (近藤 恭通)

◆寛政6年5月から10ヶ月間に浮世絵師”写楽”に何が起こったのか?

写楽に関しては、先日、NHKでも「写楽は誰か?」の謎解きをやっていました。結果は、能役者が有力という推理でしたが…。但し、今回、写楽の作品142点を年代別に見て、私が一番不思議に思ったのは、初期(躍動)→中期(円熟)→晩期(平凡)…と絵が大きく変わること。一見、人間の成長に見合っているように見えますが、じつはこの間たった10ヶ月間。これほど短期間で同一人物の絵がこれだけ変わるのはじつに不可思議。さらに、晩期の絵には覇気がなく、写楽らしい大胆なデフォルメもありません。

寛政6年5月から10ヶ月間に浮世絵師”写楽”に何が起こったのか?  「写楽は誰か?」も大きな謎ですが、それ以上に「写楽の絵の変化」に大きな疑問を覚えました。    (藤田 昌熙)

☆11.5.19.までに藤田さんの元に届いた「写楽・反響メール」です。



◆写楽を軽軽に斎藤 某と決めつけるのはまずいと…

皆様のメールと貴兄の感想を拝見しますと、写楽を軽軽に斎藤 某と決めつけるのはまずいと思いました。もう一度平らかに考えていきたいと思います。    (鳥塚 憲一)

◆「愛情に対する反対の意味の言葉は、無関心」

一昨日、私は別の目的で上野に行きましたが、道々”写楽”のポスターは何か所かで見かけました。確か西武線の車内にもつり広告があった様に思います。

私はまったく見る目がありませんが、定年旅行でオランダとベルギーに行った際、ずいぶんたくさんの絵画を見ました。多くは宗教絵画でしたが、それとは別にフェルメールとレンブラントを見る事ができたのは収穫だったと思っています。

マザーテレサの言葉と理解していますが、「愛情に対する反対の意味の言葉は、無関心」だそうです。年齢を重ねるに従い面倒になり、興味の対象が少なくなりがちですが、何にでも好奇心を持つ事は素晴らしい事だと自分に言い聞かせています。今後ともよろしくご指導の程、お願い致します。    (真部)

◆特別展「写楽」、流石に東京ですね

特別展「写楽」、流石に東京ですね。地方と東京の差は、この種の展覧会の開催数の少なさと演劇の常設館の無いことです。道立美術館で、インカ文化の展覧会、故宮博物院、エルミタージュ美術館ガラス展などが開催され、都度観覧してはいます。

浮世絵が米国他に流失したのは、明治時代に欧米人に売却したのでしょうが、惜しいことですね。しかし話は変わりますが、大英博物館のロゼツタストーン、ツタンカーメーンの仮面など、当時の大英帝国の権勢で奪って来た品々も多いのではないのではないでしょうか(入場料がロハには感心しましたが…)。     (山本 眞彦) 

初代尾上松助の
松下酒造之進
三代目沢村宗十郎の
大岸蔵人

◆浮世絵は、外国で認められて初めて芸術作品になった

有り難うございました。「写楽展」、気にはなっていたのです。何時も後になって「しまった!」と臍を噛むのですが今回はお陰さまでそれが防げました。

日本の浮世絵は、外国で認められて初めて芸術作品になったので、国内に残ったのは主に「あぶなえ」として好事家の収集品だけではないかと思っていました。高校生の頃、叔父がなくなり遺品の整理をしていた時に、相当数の浮世絵が出てきましたが、それが全て「あぶなえ」でしたので、伯母が全部燃やしてしまいました。今になって、あのとき止めればよかった…と後悔しています。     (日吉 忠弘)

◆悪党も写楽にかかると魅力あり

「写楽は誰か?」は大きな謎ですが、今回「写楽展」を観て、それ以上に「写楽の絵の変化」に大きな疑問を覚えました。

   五月雨や写楽に並ぶ長き列    (昌)

    悪党も写楽にかかると魅力あり

   善と悪美と醜からめ写楽の絵

なお、5月20日、東京新聞の読者投稿欄「ミラー」に小生の投稿文「写楽展を観て」が掲載されました。下に添付させていただきます。    (藤田 昌熙)


「写楽」展 理解深まった

 東京国立博物館で開催中の特別展「写楽」を見てきた。平日の激しい雨にもかかわらず、大勢の来場者。あらためて写楽の人気を再認識したが、今回の「写楽」展、彼が生涯に(といっても絵を描いたのはたった十ヵ月だが)発表した146点の内142点もの作品が一堂に揃ったのだから、これは見逃せないといっぱいになったのはうなずける。

 展示で目立ったのは、外国の美術館からの貸し出しが多かったこと。「メトロポリタン美術館」(ニューヨーク)、「ボストン美術館」(ボストン)ほか欧米の主要美術館所蔵のものが多く、幕末・明治初期、浮世絵がいかに大量に海外に流出したか思い知らされた。

 展示方法にも斬新な企画が見られた。作品を初期・中期・晩期に分けた。これに作品の変化がよくわかった。次に、写楽と同時期の歌川豊国や勝川春英の作品も並べて展示された。同時期の役者、芝居場面の描き方の違いから、写楽の作品の特色が理解できた。

 最大の関心は、「写楽は誰?」の昔からの謎解きだが、解答は出なかったものの、版元蔦屋との深いつながりを示す古文書ほか貴重な文献などが展示され、興味深かった。しかし、1794年(寛政六年)5月、豪華な雲母摺りの大判錦絵28枚を一度に出版、華やかに登場しながら、翌年正月、忽然と姿を消した東洲斎写楽。彼が誰だったか?どうして10ヶ月で突然消えたのか…謎は深まるばかりだったが、、写楽ファンはもとより、美術に関心のある人にはたまらない特別展だった。


◆流石素晴らしい投稿です  

東京新聞、読みました。流石素晴らしい投稿です。     (鈴木 繁)

◆「写楽展を観て」掲載、おめでとうございます 

写楽についての巧みな句、皆様からのメールの紹介をありがとうございます。東京新聞への「写楽展を観て」掲載、おめでとうございます。    (大木 壯次)

◆写楽の個人展にとどまらず豊富な内容を盛り込んで、愉しい美術展

写楽展のメール頂き、丁度昨日銀座で同窓会があり、そのあと上野まで足を伸ばし写楽展見てきました。ご紹介有難う御座いました。

写楽といえば、ひところ流行った“正体探し”を思い出します。役者絵の作者として突然登場した後、10ヶ月ほどで消えた謎の絵師です。

じっくり作品を見て、工夫に工夫を重ねた美術展で、写楽の版画をほとんど全点、内外のコレクションから集めており、役者絵の歴史をたどたり、北斎、喜多川らの作品も展示し、写楽の個人展にとどまらず豊富な内容を盛り込んで、納得のいく愉しい美術展でした。

それにしても格調高い表現をめぐる謎の方が正体探しよりはるかに深いように思えます。(家村 卓介)

◆「写楽展」のとてもいい紹介に

我が家も東京新聞を取っていますので、すぐに、拝見、拝読いたしました。ほんとうによかったですね。「写楽展」のとてもいい紹介になっていたと思います。   (青山達三)

☆11.5.21.までに藤田さんの元に届いた「写楽・反響メール」です。



市川蝦蔵の竹村定之進 二代目坂東三津五郎の
石井源蔵

◆ここは素直に「写楽はすごい」と楽しむことに

「写楽展」は観に行きたいと思っております。写楽の謎にも興味が有りますが、ここは素直に「写楽はすごい」と楽しむことにしましょう。          (村尾 厚子) 

◆小平稲門会HPの「写楽の正体!」を拝見。充実していますね 

「小平稲門会」ホームページに掲載されている藤田さんの<反響メール特集>「写楽の正体!」を拝見しました。充実していますね。       (大木 壯次)

◆写楽=斎東十良兵衛について、テレビ東京の「美の巨人」で放映

東洲斎写楽=斎東十良兵衛について、先日、テレビ東京の番組「美の巨人」で放映していましたね。いつもの説ですが、興味深く見ました。      (鳥塚 憲一)

◆写楽の晩年の作品の質が落ちたのは、“集団体制”が壊れた?

テレビ東京の『美の巨人』 。あれはいい番組ですね。先日の「写楽」、私も見ました。なかなか説得力がありましたが、「写楽の晩年の作品の質が落ちたのは、集団体制が壊れた」説は、ちょっと?です。      (藤田 昌熙)

三代目市川高麗蔵の
亀屋忠兵衛と
初代中山富三郎の
新町のけいせい梅川
市川男女蔵の関取
雷鶴之助と二代目
大谷鬼次の浮世土平

◆私が写楽を最初に知ったのは、中学生時代

「小平稲門会」HPの『写楽の正体』は興味満載。私が写楽を最初に知ったのは、中学生時代でした。

多くの浮世絵が外国に散出したのは、日本の陶器の輸出の際の「包み紙」として流れ出たことによる説。当時、国内ではさほど価値あるものとは考えられておらず、せいぜい「あぶなえ」の域を出なかったものが、外国人が開けてびっくり、収集していった…と聞いていました。

27日より月末まで上海へ出掛けますが、帰国したら是非「写楽」を観に行ってまいります。写楽全146点の中142点を出展。さらに展示方法に工夫あり…といったところが見所ですね。ありがとうございました。      (佐藤 靖)

◆「写楽展」に関する皆様からのメール、興味深く…

今回の「写楽展」に関する皆様からのメール、興味深く見せていただきました。是非、期間中に東京国立博物館に行きたいと思っています。有難うございました。    (余田 彌生)

◆五月雨や 出足くじかれ 写楽展

毎日、大災害と原発の話題ばかり。美術の話題で盛り上がるのは、いいですね。木ノ葉画廊も「地球の未来を考える」テーマでアーチストたちはがんばっています。

    五月雨や 出足くじかれ 写楽展   (葉貴)                                                                               (葉満田 貴久子)

☆11.5.24.までに藤田さんの元に届いた「写楽・反響メール」です。



三代目瀬川菊之丞の
田辺文蔵女房おしづ
三代目佐野川市松の
白人おなよ

◆「小平稲門会」のHP『写楽の正体』、楽しく拝見

「小平稲門会」のHP『写楽の正体』、楽しく拝見しました。それにしても益々お元気にご活躍、後を追う輩としては脅威?です。豊かな人生は沢山の人との巡り会いですね。遅ればせながら肝に銘じています。     (小高 武甫)

◆海外流出。日本人に自国の事を評価しない国民性があるようで残念

写楽は、新しい絵が見つかったといって、センスに書かれた肉筆画を見に行きましたが、今回のは本格的な写楽展のようですね。作者が謎で、多くの名前が挙がっていますが、それぞれ、そうかもしれないと思わせるところが面白いと思います。

写楽は短期間に多くの作品を残しているのに、そのほとんどが外国に流出したのは、日本人に自国の事を評価しない国民性があるようで残念です。

「写楽展」、ぜひ見に行こうと思っています。     (道江 義頼)

◆「大谷鬼次の盗っ人・江戸兵衛」の錦絵

「写楽展」をご覧になったとのこと。歌舞伎役者「大谷鬼次の盗っ人・江戸兵衛」の錦絵は有名ですよね。ぼくもできるだけ行ってみようとおもいます。
 
お返しにこちらからも美術展を一つ。ご存知かもしれませんが、いま神戸市立博物館で開催中の大英博物館コレクション「古代ギリシャ展」。その後巡回し、7/5から9/25迄、上野の国立西洋美術館で開催されます。お奨めです。    (松永 庄平)

◆レンブラントと写楽を観て来ました

レンブラントと写楽を観て来ました。あいにくの雨でしたが、人で一杯…驚きました。列の後から前の人につづいて観ていたのではなかなか進まず、仕方なく人々の頭越しから観て来ました。

レンブラントは、観たかった「夜警」が無くてちょっと残念でした。写楽の方も人で一杯、あわただしく一回りしました。都内に居る友人と待ち合わせをして、駅の近くの中華レストランで食事をして帰ってきました。     (井田 智見)

☆11.5.30.までに藤田さんの元に届いた「写楽・反響メール」です。



初代市川男女蔵の奴一平 大谷徳次の奴袖助


◆いよいよ深まる写楽の謎

写楽について皆さんが思い思いのことを語っておられるのを興味深く読ませていただきました。

先週、私も写楽を観てきました。3つの時期に分けて展示してありましたが、私は、初期の迫力、構成力、訴求力の点で、最もひきつけられました。藤田様の書き文章は、極めて的確であると感じました。それぞれの時期で、絵を描いた人物が違うということでしょう。東洲斎写楽のサインは、ハンコで押したように共通しているのに、絵から伝わる感覚はかなり違うと思いました。蔦屋重三郎編集長が演出したのなら、人を替えて書かせたことも考えられそうです。絵師の生活が苦しいとしたら、アルバイトをしたとも考えられますね(笑)。

「しかし、肉筆画の発見によって写楽が持つ筆遣いが明白となった。この筆遣いは今までに提唱された幾多の有名絵師のいずれにも該当しなかった」ことから、「写楽は有名絵師の変名である」という説は否定された…とありました。それでもなお、同一人物説には疑問があります。極めて個人的な判定ですが、写楽の謎はまだあると、私も思います。     (道江 義頼)

◆やはり、一見に値しますね  

先週の火曜日(5月24日)に、夫婦で特別展「写楽」を観てきました。午前中は雨でしたが、かなりの人が来ていました。やはり、一見に値しますね。     (大木 壯次)

松本米三郎のけはい坂少将
実はしのぶ
中山富三郎の宮城野

◆「写楽展」、企画者の意図がよくわかり、力のこもった展覧会でした

「写楽展」に行ってまいりました。企画者の意図がよくわかり 力のこもった展覧会でした。あのように第一期から三・四期まで一堂に展示され、よく見ると、東洲斎のついている写楽とついていない写楽とは別人ではないかという説が出るのも、うなずけます。ただ写楽が現れるまでの展示がやや作為的な感じのところもありそうで、ちょっとこれでいいのかなあ…と思えるところがありました。18世紀末の浮世絵の流れは同時平行的に出てきているのではないか…とも思いました。

ところで、誰かこの展覧会のように真面目な浮世絵(除春画)について講義していただける方はおられませんか?(藤田さん、いかがですか) 楽しいテーマです。   (鳥塚 憲一)


☆11.6.5.までに藤田さんの元に届いた「写楽・反響メール」です。


二代目瀬川富三郎の
大岸蔵人の妻やどり木
二代目小佐川常世の
竹村定之進の妻桜木

 

◆私が行きました日はそれほどの混雑もなく、じっくり観て廻ることが…

「写楽」展、藤田さんからのメールに触発され、上野の杜に行ってまいりました。私が行きました日はそれほどの混雑もなく、じっくり観て廻ることが出来ました(音声ガイドを頼りに…)。

会場を出て、ユリノ木の花が重いほど咲き誇っているのを暫く見上げて、上野公園を後にしました。梅雨最中、どうぞご自愛の上お過ごし下さいませ。    (余田 彌生)

◆写楽は能役者齊藤十郎兵衛とする理由

写楽は能役者齊藤十郎兵衛とする理由を五七五で説明すると、こんなことでしょうか。

  大首を能面仕立てで描ききる

  睨み」こそ能面の眼に符号せり


  能面を知り尽くしてのカリカチュア

  写楽絵は能面技法のデフォルメなり


  造作のあら描かれて役者拒否


  蔦重は売れる似顔絵強要し

  10か月悲番が明けて本業に
嵐竜蔵の金貸石部金吉

阿州侯お抱え能役者、齊藤十郎兵衛は、無足と呼ばれる軽輩とは言え、れっきとした武士。身分制の江戸時代に“河原乞食”の歌舞伎役者のブロマイドである浮世絵描き渡世が公に許されなかったことは、明らか。しかし、芝居を観る側に身を置くことは、許された。
 
しかも、十郎兵衛は格式ある伝統芸術の能役者、つまり、プロの舞台の同業者であり、歌舞伎役者の演技にもプロの眼を持っていた。さらに芝居絵、浮世絵のプロヂューサー、蔦屋重三郎が声をかけるほどの絵画表現の腕も備えていた。
 
そして、さらにさらに仮面である能面の表現効果を熟知した舞台人となれば、強烈個性の写楽大首絵、デフォルメ役者絵の登場は、当然の流れ。俗の演劇である歌舞伎も顔の隈どり、見え、睨みなどの所作、化粧は、能の面に通ずるものがあり、自身が役者で絵心のある十郎兵衛にとって、人気歌舞伎役者たちの個性を活写した似顔絵=役者絵を描きあげることは、造作もないことだったはず。
 
様式美、所作に従って芝居を演ずる歌舞伎役者が、「睨み」=「目力(めじから)」で役柄と役者の個性を際立たせるのは、角度の変化で行う能面の眼の表現に通ずることを十郎兵衛は知り尽くし、似顔絵表現に最大限活用しているのは、ご案内の通り。あの特徴のある大首絵の馬面輪郭は、能面に繋がるのは説明するまでもない。
 
さらに、十郎兵衛=写楽は、役者の身体的特徴(美点だけでなく欠点も)を皺、目、鼻、口、耳、顔形の部分で容赦なく描き出す。描かれる側、役者たちにとっては、
人気商売に差し障る恐れがあり、ファンの客の方も、贔屓の役者のあらを誇張した似顔は迷惑至極となる流れ。大胆なデフォルメ、個性表現が理解され、評価されるようになるのは、浮世絵が絵画、美術品と認識されて後のことになる。
 
版元、蔦重にすれば、1枚でも多く売れての商売であり、役者が文句を付け、客が買ってくれない役者絵を契約絵師に描かれるのは、営業政策上も許されない。人気役者の身体的欠陥誇張の作品に注文を付け、今日的な鑑賞者の眼には「つまらない」、「生彩のない」作品を強要するようになる成り行き。
 
そんなこんなのうちに非番の1年が過ぎ、十郎兵衛=写楽は、本業の勤めに戻り、写楽はわずか10カ月で140点余りの作品を残して浮世絵業界から姿を消すに至る・・・と。これも一つの仮説であり、断定ではありませんが、ナゾと言われるものは、案外こうした平凡な事情が見えぬまま生まれてくるのではないかと、言いたかった次第です。     (松谷 富彦)
中島和田右衛門のぼうだら長左衛門
と中村此藏の船宿かな川やの権
二代目瀬川富三郎の大岸蔵人の
妻やどり木と中村万世の腰元若草

◆私にとって写楽はまだまだ謎ですが、逆にそこがまた魅力

すばらしい“写楽謎とき”、ありがとうございました。私も現在のところ「写楽=阿州侯お抱え能役者 齊藤十郎兵衛」説が最も有力、且つ説得力があると思います。但し、それでも疑問が残るのは、今回の「写楽展」で見る如く、写楽の作品が「初期」・「中期」・「晩期」で大きく変わってきていることです。その点に注目し、「写楽は一人ではなかった」、「写楽絵は“集団による制作”」…等とする説があります(テレビ東京『美の巨人』)。私は、“集団説”には組みしませんが、「では、たった10カ月でどうしてこれほど画風が変わったか?」と言われると、答は出ません。というわけで、私にとって写楽はまだまだ謎ですが、逆にそこがまた魅力ともいえます。      (藤田 昌熙)

 ☆11.6.9.までに藤田さんの元に届いた「写楽・反響メール」です。


三代目坂東彦三郎の帯屋長右衛門と
四代目岩井半四郎の信濃屋お半
四代目松本幸四郎の新口村孫右衛門
と中山富三郎の梅川

♪BGM:Chopin[Nocturne1]arranged by Pian♪
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