いなほ随想特集
藤田昌煕のメール交流
時論・対論

「武蔵国分寺創建の歴史的背景と史料館見学〜」
 
  早大社会学昭和34年入学同期「59MEETING」12月例会(2010.12.2.)リポート

藤田昌煕(38文)


・日 時:2011年4月8日(金)午後3時〜午後7時30分

・集合場所: JR「国分寺駅」改札口(午後3時)

・散策コース: 午後3時30分〜4時45分 「史跡めぐりと資料館見学」 

          午後5時〜7時30分     天麩羅屋「天松」にて会食とリポート

          午後7時30分            現地解散

・テーマ:「武蔵国分寺創建の歴史的背景と史料館見学〜」

・講 師:高橋幸雄 氏

・リポートまとめ:藤田昌熙



★4月例会を「国分寺」で開催…これを決めた時、まさかこんな大震災が起こるとは想定外。「3・11東日
本大震災」からほぼ1カ月経ったとはいえ、復興はまだ緒についたばかり。その上、福島原発事故の回復
の目途がつかない状況下にあって、例会を「予定どおり開催していいものか?」「中止すべきか?」…大い
に迷いましたが、今回の世話役高橋幸雄氏の「国分寺跡資料館は開館しています」、「天麩羅屋も店を開
けてくれます」…の力強い言葉に励まされ、「よし、やろう! こういう時こそ世の中の“自粛ムード”を吹き
飛ばそう!」と実施を決定。タイミングよく東電の「計画停電」も中止となり、出席者も日を追って増え最終
9名に。


武蔵国分寺楼門 国分寺本堂
                                                         (写真提供:松谷富彦)

★さて、当日、午後3時、「国分寺」駅に顔をそろえた面々。高橋夫妻の先導で、早速、「武蔵国分寺跡公
園」へ。ボランティア・ガイドさんの案内で、発掘された国分寺跡に立ち、懇切丁寧な説明に“天平時代”に
想いを馳せ、「資料館」では出土品の数々に感嘆しきり。2時間に及ぶ充実した勉強会となりました。


仁王門 国分寺薬師堂
                                                              (写真提供:松谷富彦)

資料館前で(撮影:藤田昌煕)

★“古代史への旅”を終えた後、次なるオプションは、天麩羅屋「天松」での講義と会食。何しろ喉はカラ
カラ。まずは生ビールで乾杯。続いて続々と出てくる料理に舌鼓。聞けば、今晩にそなえて店長が早朝、
築地に出掛けたという。魚介類が新鮮で旨い上、季節を先取りした山菜、筍料理が嬉しい会食でした。


★「こうなると、もう講義はいいだろう。資料館でたっぷり勉強したことだし」と思いきや「いや、やります」
と高橋氏。盃を置き、やおら封筒から資料を取り出す。

★「まさか…」という困惑と、「待ってました!」という期待が交錯する中始まった講義。

というわけで、以下、高橋幸雄氏の講義「国分寺創建の歴史的背景と武蔵国分寺」。その中で興味深
かった点を幾つか挙げると…

◆国分寺造営の背景

★国分寺の造営は、西暦741年(天平13年)、聖武天皇の勅命により全国68国で造営された。主たる
目的は、「仏教の世界を国土に広め、浄土化しようとした」とあるが、要するに全国制覇を計っていた大
和朝廷が、「仏教という新しい手段を使って中央の勢力圏を拡げる。その手段として各地に国分寺の造
営を要請した」ということらしい。

◆何故、今の地に「武蔵国分寺」が…

★さて、国分寺が造成された全国68カ国の内、今回の「武蔵の国」はどういう位置にあったか。じつは
当時(奈良時代)、武蔵の国は、今の東京西部から埼玉南部、神奈川北部からなる19郡(後に21郡か
らなり、「陸奥の国」に次ぐ大国だったという。国府は多摩郡(現在の「府中市」)に設置され、東山道に
より、人々が集まりやすい場所として今の国分寺の地が選ばれたらしい。

◆その後、国分寺が衰退した理由

★但し、国分寺造営推進といっても、当時、仏教はまだ上層部のもので、一般庶民に浸透していなかっ
たので、国分寺は人々の信仰の対象には成りえなかった。その上、建設にかかる膨大な費用・労役の
大半が地元負担とあっては、地方は大迷惑(このあたり、少ない地方交付金で、地方の負担が大きい
現代の中央と地方の関係と似ている?)。その後、各地の国分寺が衰退・消滅していったのも道理とい
えよう。

◆武蔵国分寺が存続した理由

★ところが、各地の国分寺が短期間で消滅していったにも関わらず、「武蔵国分寺」だけはその後も消
え失せず、西暦1333年、新田義貞と北条泰家の戦いで焼失するまで約600年間も存続した。これは
何故か?未だ解明されていないが、有力な説に民間に広まった“薬師信仰”が挙げられている。事実、
全国の国分寺跡には、その後薬師堂が建てられ、現存しているものも多いらしい。

◆「武蔵国分寺跡」の発掘調査の経緯と特色

★大正11年、内務省が国の史跡に指定。昭和31年、石田茂作博士を委員長とする日本考古学会によ
る発掘調査。昭和39年〜41年、滝口宏早大教授を団長とする調査団による発掘調査を経て、平成元
年からは地元国分寺市による発掘調査が続けられている。興味深いのは、こういう地味な調査を地方自
治体が主体的に行い、発掘調査が市民にも公開されていることで、高橋氏など第1回からずっと参加し
ているという。出土品は「資料館」に収め公開されています。今回都合が悪く出席出来なかった方も、機
会を見つけて是非一度見学してみて下さい。


大学マーケットの現状と大学の有り方 
   早大社会学昭和34年入学同期「59MEETING」12月例会(2010.12.2.)リポート

藤田昌煕(38文)

◆岡本久暢氏(文教大学・広報室長)の「最近の大学事情」と題する講演を聴いた59MEETING会員の田代勝彦さん
の報告(要約)です。内容は、大学の増加と受験生の減少、大学格差の増大、大学淘汰の時代等など。時宜を得た関
心テーマなので当欄を借りてご紹介し、皆さまからのご意見メールも搭載させていただきます。(藤田)

◆いまや大学は巨大なマーケット

★大学(4年制)はこの17年間で250校増え、今や国・公・私立併せ773校(2009年現在)。巨大なマーケットであり、その規模は5兆円。これは食品業界と同規模。

◆大学「全入時代」の到来

★かつて“狭き門”といわれた大学であるが、今や志望校にこだわらなければ誰でも大学に入れる時代になった。その背景には、「少子化」と「大学の増加」がある。過去20年間に18歳人口は40%減少したのに、この間大学の数は何と50%増加。

◆大学淘汰の時代

★需給バランスが崩れ、私大の50%強で「定員割れ」、40%弱が赤字になっており、大学間の格差が拡がっている。伝統校、有名校には受験生が殺到するが、新興校、偏差値50%以下の大学は生き残りに必死の状態である。

◆大学の対応策

★このため現在、各大学は積極的に広告・PR活動を展開。その規模は年間1000億円市場。各大学は競って新聞・雑誌・テレビで広告し、インターネット(大学ホームページ)を活用する一方、「オープンキャンパス」や「進学相談会」などイベントを展開、センター試験利用の入試やAO入試の設置・拡大、奨学金制度の充実などの施策を強化している。

◆田代さんの報告を聞いて

★以上の報告が田代さんから行われれたが、大学の増加、「少子化」による18歳人口の減少に伴う大学間の競争の激化については皆それなりに認識しているとはいえ、「今や誰でも大学に入れる(志望校さえ云々しなければ)」「入学定員割れの私大が50%」「赤字の私大が40%」「今や大学淘汰の時代」と聞くと、その深刻さに愕然とせざるを得ない。

★「一体どうしてこんなことに・・・」「むやみに大学を増やしすぎたのでは」「少子化の流れはわかっていたことではないか」と皆さんから戸惑い、疑問の発言が続出したが、事は明白、いま大学が抱えている状況は我われの認識を超えている。

★では、どうすればいいか。田代氏曰く、「大学も、いろいろ対策は講じています。いま言った各種広告・PRの強化をはじめ、インターネット(大学ホームページ)やオープンキャンパス、進学相談会等など」但し、これらは大学間の競争であって、少子化で若者が減少しつつある今、本質的な解決策とはならない。そこで皆さんから出てきたのが、受験生対策とは別次元の諸方策の必要性。

★「大学は今や若者だけのものではない。中高年を対象にしたエクステンションを充実すべきではないか」「グローバル時代。これからはもっと留学生に門戸を拡げればいい」どちらもすでに各大学で実施されてはいるが、その規模はまだまだ小さい。さいわい母校早稲田大学では、他大学に先行してエクステンション講座を充実させており、留学生の受け入れでもトップクラスにある。各大学で力を入れるようになれば、たしかに大学は定員割れなどといった苦境から脱し、活性化し、再生も可能かもしれない。

★ここでまた別次元の提言があった。
「大学の定員割れが問題というが、そもそも大学が増えすぎたことが問題」「大学の淘汰はいいことではないか」たしかにそういう考え方もある。そこから、「大学に何を期待するか」に論点が移っていった。「大学全入時代はいいが、卒業はもっと厳しくしたほうがいい」「そう、勉強しない学生、成績の悪い学生に安易に単位を与えるべきではない」

★と厳しい発言が出た。しかし、よく考えてみると、私など決してよく勉強したとはいえない。仲間の中には、教授の自宅に一升瓶を持参し、「きみは私を酒で買収しようとするのか!」と叱られた者もいたと聞く。授業をさぼるのはよくないが、授業に出たくなる魅力的な講義ももっと増えて欲しい。「理想的な大学の有り方」をいうのは難しいが、まずはこうして皆で語り合うことが重要。それを確認した「12月例会」でした。

講義(報告)頂いた田代勝彦氏に感謝!
議論に参加頂いた諸兄姉に感謝!

[反響メール]

◆現状では、大学淘汰やむなし

★「大学問題」は、「2007年問題」として10年余り前から憂慮されていたことだった。端的にいえば、理念を建前や手段で済ませるだけの、場当たり的で、官僚の利権拡張だけは忘れない文部行政に責任がある。

★戦後、旧制の高等教育機関が新制の大学になったとき、旧制大学に比べて学力低下が歎かれたが、低年齢化ゆえ仕方がない面もあった。しかし、その後、いわば2段階の大学急増に加えて、少子化による全入同然時代の到来によって、学生の学力はガタガタに落ちてきている。大学間格差が生じるのは当然。

★学生数を確保するため、学力がなくても受かる多様な入試を年中おこない、学生に迎合すべく、カリキュラムも就職をも見据えたようにしつつ、入学後は、学力のない学生に無記名で授業を評価させ、その結果を教員に配布し、授業改善の参考にしろ、というような“評価ごっこ”を全国の大学でやっている。

★文科省は、助成金などを手段として官僚の天下り先の大学を増やし、評価ごっこをさせ、半期15回、年間30回の授業をやるように指導し、大学管理を強めている。それでいて「2007年問題」への対応は、しているようには見えない。大学や高等教育についての巨視的、遠望的な対応など、全然していない。

★そもそも理念なんて持ち合わせていないのではないか(経営が危なっかしい大学は、天下りの候補先では?)。小・中・高の授業内容の低下もあって、基礎学力が身についていない。まして、大学の授業など理解できない学生が多いようだ。20年も昔の話だが、学級崩壊でまともでない高校の生徒たちが、就職も決まらないので、誘われている大学に行く、という状態だ、とそこの教員が歎いていた。今はもっと深刻。

★学生の学力低下は、大学の授業内容の低下を余儀なくさせ、本来の大学らしい授業ができない。大学という看板を変えたほうがいい大学が多くなっていると思う。微視的には、大学淘汰やむなし、という意見です。(M・Y)

◆一昔前、新設大学が“駅弁大学”と揶揄された時代がありましたが…

★12月例会報告。大学定員割れ、赤字大学の増加等、興味深く読ませて貰いました。少子化の時代、大学数の多いことは当然ながら、入学者定員の減少をもたらすことは理の当然です。一昔前、各地の新設大学が“駅弁大学”と揶揄された時代がありましたが、むべなるかなです。

★しかし、今や大学は学問の府ではなく、大学3年から就職活動に専念せざるを得ない時代の要請も無視できません。小生なども余り大学で勉強したという実感はありせんが、それなりの会社(あくまでもそれなりです)に入社し、定年を迎え、今貴兄とメールのやりとりをしている。この幸せさは、大学卒業のメリットでは…。(山本 眞彦) 

◆現在大学の現場にいるので、興味深く読ませていただきました

★「大学問題」についての皆さんの議論。現在大学の現場にいるので、興味深く読ませていただきました。(濱口 晴彦) 

◆大学は職業訓練校ではない

★大学の存在は、大学に何が求められているかをまず考えるべきだと思います。最近の大学の状況は、まるで就職のための予備校。学問を追求していく向学心から発して学んでいく姿が無い。本来、社会や企業の実技・ノウハウは会社に入ってから訓練養成をすればよいのであって、大学では物の考え方や発想能力、創造力などが養われていくべきだと思います。

★即戦力などというけれど 実社会で大学の知識がどれだけ通用するのでしょうか? すぐさま役立つなんてありえません。むしろ、大学の成績だけでなく、そこでいろんな優秀な仲間 教授と触れ合って感化される環境にいたことが大事。やりたい学問を思い切り学べる環境を大事にしたいもの。

★そのための下地として、高校時代はあまり文科系・理科系などと分けずに,、広く全学科を学ばせたい。そのためには、大学進学志向者は全員「センター試験を受ける」ようにようすればいい。英・国・数・社会・理科全科目がそれなりのレベルに達してから受験資格を与えるといい。「大学へのエスカレートを廃止」すれば、受験体制は大いに変化する。幼稚園から受験するなど無くなるでしょう。

★ちなみに、大学で学んだジャンルで働いているひとは全体の3割程度といわれています。例えば、サッチャー元英首相の専攻は化学だったそうで、なにも政治学や法学出身者だけが政治家ではない。大学は職業訓練校ではない。(近藤 恭通)

◆人間は何とカネに弱いものなのか…

★我が家に隣接して東京理科大学があります。ご多分にもれず、当校も大学淘汰の時代対応に大童の状況です。地元神楽坂周辺、九段下、下町地区等々の土地投機に走っており、神楽坂メイン通りには現在、賃貸ビルを建設中です。

★まさか教員養成が主要任務の物理学校が土地漁りに奔走、金儲けに地元住民を捲き込むとは想定外でした。なんでもありのご時勢ですが、「学校」がかような行動に走るのは如何なものか。人間は金に何とカネに弱いものなのか…考えさせられます。(山本興一)
 
                                
◆大学と空港とハコモノは増えすぎたということでしょうか?

★大学と言えば、小生の年代の大学進学率は23%ほどだそうです。もちろん、大学の数も今よりはるかに少ない時代でした。いまや、大学と空港とハコモノは増えすぎたということでしょうか? 小学校の廃校は当たり前のご時世になりましたが、増えすぎた大学は今後どうなるか、心配です。(望月 俊樹)

◆日本が元気になる明るい未来を期待したいもの

★少子化の進む中、大学の定員割れ、赤字経営など、日本はこれから一体どうなるのでしょう?我が家の近所は休日になると若いカップル、家族連れで大変な賑わいですが、乳母車の中にはワンちゃんが…。幼児を連れている人達よりワンちゃん連れているカップルの多いこと。昔とは様変わりです。時代の変化で致しかたないとはいえ、淋しい気が致します。そのうち又、少子化にも歯止めが出来、日本が元気になる明るい未来を期待したいものです。 (板尾 由美子)

◆地域にある大学がこれから力を入れて行くべき3項目

★少子高齢化している日本社会にとって、大学が増え過ぎてしまったことは明らかです。今後、淘汰されていくのは当然の成り行きでしょう。私の住む川越市内にも4つの大学があり、市民の生涯学習を進めるという観点から、市と地元大学が協力する形の連携講座が毎年頻繁に開かれています(参加者数はまあまあの状態)。

★ある地元大学の理事長・学長は、「地域から求められる大学にしたい」と語っていました。地域にある大学がこれから力を入れて行くべき項目は、以下の3つではないかと思います(学術研究については大学院に重点を置く)。 

@地域(自治体、企業、市民などを含む=以下同様=)が望む人材を育て、供給する。
A地域と協力し、市民の生涯学習に貢献する。
B地域の活性化に具体的な提案、実行面を含めて積極的に協力する。  (大木 壯次)

 ◆大学は高等教育機関であることを肝に銘じて

★大学をマーケットとして捉えると5兆円の市場…とは! 初めて知りました。そもそも私はこれまで、”大学は教育機関”という認識しかもっていませんでした。今回の田代氏のレポートで、“大学といえども市場原理に支配されている存在”であることを再認識しました。財政的裏付けがなければ教育活動が行えないことは明白で、大学にとって収益を上げることが死活問題なのは当然だといえます。そこで各大学が生き残りをかけて、あの手この手の企業努力をしていることが、よくわかりました。

★ しかし、大学は、第一義的には、高等教育機関であることを、各大学は肝に銘じて活動してほしいと思います。日本の大学は、国際的にはあまり評価されていないとも聞きます。日本人のノーベル賞受賞者の何人かは、外国の大学での研究成果が受賞の対象になっているのが現実です。日本の大学も、研究・教育の内容で競い合い、我が国の学術水準の向上に貢献してもらいたいと思います。その結果、淘汰されて消滅する大学が出ても、やむを得ないと思います。(津村 和宏) 

◆やはり、大学本来の伝統と、教授陣の充実以外ない

★少子化により、大学定員割れに悩む大学が多いとのことですが、何処も対策に悩む所でしょうね。留学生の増加なども対策の一つでしょうが、限定的でしょうね。

★やはり、大学本来の伝統と、教授陣の充実以外ないでしょう。教授も皆が皆、ノーベル賞を受賞するのは困難でしょうから、やはりテレビ、新聞等の露出度の多寡に拠るのでしょうかね。今の若者は、我々(?)以上に活字の研究論文などは読まないのですから。 (山本 眞彦)


◆重要なのは、「何所で学んだかではなく、何を学んだか」

★「大学論」、興味津々で読ませていただきました。じつは小生、大学入試では人には言えぬ苦労をしました。二浪もしてやっと入れたのは二流校。東大・京大・早稲田・慶応などの一流校に対するコンプレックスは大変なもので、この歳になっても消えません。但し、このコンプレックスが大学に関する私の考えを形成しました。

★それは「何所で学んだかではなく、何を学んだか」です。入学後は本当によく勉学しました。ある授業では、受講生が私一人、教授と一対一で授業を進めたこともありました。四年間ほぼ皆勤で授業を受けました。三年間で卒業に必要な単位を取り、残りの一年間は福知山に帰り、週一回だけゼミに出席しました。この一年は主に人間修業に充てましたね。

★就職に際し二流校以下の卒業生が困るのは、大企業への窓口が非常に狭いということ。でも、大学でしっかり知識・知恵・人間性を磨いている限りは何の問題もありません。最近の大企業は、大学のランクに枠をはめずに募集しますので、私どもの時に比べれば二流・三流校であってもチャンスは沢山あります(大企業礼賛をいっているのではありません。中小にも立派な会社がたくさんありますので、自分を生かすためにはそのような選択もしてほしいのですが)。

★会社は、屁のツッパリにもならない大学卒の資格より、専門的な技術を持った人を必要としています。雨後のタケノコのように乱立された大学が少子化の中で生き残るには、いかなる特色を持つか(差別化)、いかに学生に学ばせるか(学問だけでなく人間形成)の工夫が要ります。今のままでは、新設大学(大学卒業証書発行大学になり下がっている)の半数以上はつぶれるでしょう。 (冨士原 坦)
               
                                    



ちぎり絵にもみじもありて秋深し

藤田昌煕(38文)

安達太良山(wikipediaから転借)

 
ホームページ管理人様

秋も深まってまいりました。 お変わりございませんか。

実は、小生、先月、安達太良山登山の時、宿泊した「岳温泉」の宿で「俳句コンクール」をやっており、
一句投函したところ、昨日、宿から封書が届きました。何と、小生の句が選考の結果、栄えある「優秀賞」に選ばれたとの知らせでした。

入賞句は、「智恵子記念館」で詠んだ
 

    
ちぎり絵にもみじもありて秋深し (昌煕)

高村光太郎と結婚したころ
の智恵子(28歳)

ちなみに「優秀賞」は数多くの応募作品の中から5点選ばれたとのことで、入賞句は宿のロビーに飾ら
れるそうです。
但し、この栄誉を素直に評価しない者も…。女房曰く、「たんなる宿のPRじゃないの。また来てもらうための…」ああ、汝、何たる心貧しい者よ!

 たしかに宿のPRの一面はありますが、ちょっと嬉しい出来事でしたので、ご報告させていただきます。
 朝夕冷え込んでまいりました。風邪などひかれませんよう、ご自愛下さい。

                                                         
 2010年11月21日
                                                            藤田昌煕

(管理人注:福島県二本松市に清酒「花霞」の造り酒屋であった高村智恵子の生家が再現され、裏庭に「智恵子記念
館」がある。 記念館には智恵子が描いた油絵や紙絵が展示されている。)

♪   ♪   ♪   ♪   ♪

[反響メール]

◆俳句コンクールに入選。なんだか私まで嬉しくなりました。

 長岡京市の従姉の所へ行って、光明寺、金蔵寺の紅葉狩に出かけました。
 さて、このたびは岳温泉での俳句コンクールに入選、おめでとうございます。なんだか私まで嬉しくなりました。
今後の励みになります。どうか頑張って下さい。(上野 美也子)


◆ほんとに良い句。場面が目に浮かんできます。

 「岳温泉」での句、優秀賞とのこと、おめでとうございます。

 ちぎり絵にもみじもありて秋深し

 ほんとに良い句ですネ。場面が目に浮かんできます。(余田 弥生) 

◆山登りだけでも凄いことなのに、俳句まで…

 優秀賞受賞、おめでとうございます。山登りだけでも凄いことなのに、俳句の実力まで認めさせたとは、ただただ恐れ入ります。これからも貴兄の句に接し、勉強してまいりたいと思っております。(望月 俊樹)

◆素直に秋の季節を詠み込み、旅情をそそります。

 大変良い句です。素直に秋の季節を詠み込み、旅情をそそります。早速にでも岳温泉に行き、鑑賞したいところです。
 札幌は10月の初雪以来降雪が無く、定山渓の奥の札幌国際スキー場が11月21日(日)山頂の2コースがやっとオープンしました。札幌市内の手稲オリンピヤスキー場、藻岩山スキー場はオープンの目処が立ちません。藻岩山スキー場は我が家から、夜間照明が奇麗に見えるので、オープンがまちどうしいのですが…。(山本 眞彦)


◆褒められることは、やる気や更なる進歩に。

 褒められることは、やる気や更なる進歩に繋がりますから、素直に受け止めるべきですよね。何はともあれおめでとうございます。(冨士原 坦)

 ◆「山寺や家族とともに蝉時雨」

 秋を見事に詠んだ俳句、優秀作入賞、おめでとうございます。これからの作句に励みがでますね。
 亡き母のことを思い出しました。母と最後の遠出で山寺へ行った時、母が投句した作品が入賞し、その句を記入したこけしを頂きました。母は中村汀女先生の「風花」の同人でした。

「山寺や家族とともに蝉時雨」

 今も私のリビングに飾ってあります。親不幸の私は俳句をやらずに、詩をいたずらしていますが…。
 ゴッホ展、やっと行ってきました。なかなか見応えがありました。
 寒くなります、どうぞご自愛下さい。(保谷 裕子)

◆日ごろ句作に励んでおられる成果。

 「優秀賞」とは、やりましたね。藤田さんが日ごろ句作に励んでおられる成果でしょう。おめでとうございます。私もいい句だと思います。(森田 亘)

◆素晴らしい出来事です。

 素晴らしい出来事です。誰が何と言っても気にしないで下さい。
 奥様ご同伴で是非お出掛け下さい。(日吉 忠弘)

◆ずっと俳句をやっていらっしゃることから来る力。

 「岳温泉」での俳句コンクールの「優秀賞」ご入賞、おめでとうございます。
 やはり、ずっと俳句をやっていらっしゃることから来る力。素晴らしいこと だと思います。寒くなりました、ご自愛ください。(青山 達三)

◆「賞をもらったときは素直に喜べ!」

 ある方から言われました。「賞をもらったときは素直に喜べ!」と。
 優秀賞、おめでとうございます。但し、奥様のご指摘もごもっともと思います。私も以前、尾道の商店街の懸賞(同商店街での飲食券)が当たったのですが、使用期限内に使える見込みのない場合は返却願いますと記載されていました。機会を見つけて意地になって行きましたが…。(花澤 周志)

◆愛の鞭があるほうが…

 俳句の事はよく解りませんが、入賞、立派です。奥さんの評価は手厳しいですね。しかし、愛の鞭があるほうが、励みになるのでは…とも思います。(山崎 晃)

◆素晴らしいじゃないですか!

 
素晴らしいじゃないですか! 優秀賞、おめでとうございます。これからも頑張って下さい。(井田 智見)

◆季語は「秋深し」でしょう。

 季語の重複とのご意見がありましたが、小生は重複とは思いません。ちぎり絵の紅葉は、季語としてはどうでしょうか?矢張り、眼前の「物」が季語と思います。したがって、季語は「秋深し」でしょう。(日吉 忠弘)

◆心豊な人生を送りたいもの。


 
入賞、おめでとうございます。「ちぎり絵にもみじもありて秋深し」、素晴らしい句だと思います(俳句を嗜まない小生が褒めても何の意味も無いかもしれませんが…)。それでもよいものはよいと思います。
 心豊な人生を送りたいものです。(青山 勇)

◆父(96歳)が、毎日、斎藤茂吉の句を楽しんでいます。

 俳句の入賞、おめでとうございます。お元気でご活躍なによりです。
 私は、プラトンの「国家」を読み進めている中で、プラトン哲学の数学的論理性を見出しました。
 俳句につきましては、父(96歳)が、毎日、斎藤茂吉の句を楽しんでいます。口癖のように「さすが文化勲章受章者だ」と言っております。
 寒くなりました、ご健勝を祈念しております。(寺西 弘文)


◆「季重なりではない」

  「岳温泉俳句コンクール」で優秀賞を受賞された藤田さんの佳句、

 ちぎり絵にもみじもありて秋深し

について、ご友人の何人かの方々から、<句の中に秋の季語の「もみじ」 と「秋」が並び、(俳句ではタブーの)季重なりの句>との指摘メールが寄せ られているようですが、その批判には少々勘違いがあるように思われます。

 掲句の場合、「もみじ」は季語として使われているのではなく、「もみじが描かれたちぎり絵」(の作品)を作者が見て、その感応から「いまは晩秋」と季語を入れて作句されたものと拝見し、小平稲門会のホームページに搭載させていただきました。そして、念のため私が師事しております師匠(春耕俳句会同人)に正した ところ、「季重なりではない」と私の見解と同じ回答がありました。
 
 「素直ないい句。<ちぎり絵に>を<ちぎり絵の>とすると、句がさらに ふくらむ」 との講評もお伝えします。ちなみに春耕俳句会の主宰者は、俳人協会会長 ・棚山波朗氏で、師匠は多摩地区の3つの句会の指導を任されている俳人 です。 (松谷 富彦)


松谷様

「季重なりではない」とのご教示、ありがとうございました。じつは私も同じ見解で、季語は「秋深し」。「もみじ」は“襖絵の中の桜”同様、季語ではないと思っておりました。ご師匠様にまでご確認いただき、ありがとうございました。

ところで今回は、自慢にもならない拙句をご披露しただけでも恥ずかしいのに、皆さんから続々と“入賞祝い”のメールを頂戴し、恐縮しております。これも小平稲門会のホームページでご紹介いただいたお陰です。ありがとうございました。(藤田昌煕)



◆優秀賞、おめでとう!

 優秀賞、おめでとう!選ばれるということは、注目を浴びることで、なかなか名誉なこと。大いに胸を張ってください。その割引券で再訪し、二本松で見損なった「菊人形」を観たら?(まだ間に合うのでは。券の有効期間によっては、来年の楽しみにしてもいいかも知れません。(森 泰生)

◆投句の入選は、快挙でした。

 投句の入選は、快挙でした。不特定多数の応募から、顔見知り句会の馴れ合いでない、選考を通過しての栄冠ですから、初の快挙と言っていいのでは…。

 純子夫人のいう趣旨の「旅館の商業主義の一環」ではありましょうが、とにかく選ばれた。当該の句は、言葉がきれい。深い意味はないいつもの句ですが、色が浮かぶ感じです。いつのものような白黒監視カメラで写した対象を右から左へ運んだというたぐいよりもいい感じです(但し、「もみじもありて」は「もみじがありて」の方がいいかと愚考しますが…)。

ところで、二本松市で貴兄が「菊人形展」にひどく固執していたわけが分かりました。「菊展」で菊の句を詠みたかったのですね。菊展なら分かりやすい。
 智恵子抄関係では、バックグラウンドがないと簡単には詠めない。そうだ、そうだったのか、と納得しました。またこんど菊展に行きましょう。いずれにしろ、投句の入選は快挙でした。(Q・Z)

◆四人旅に、素敵な思い出が加わりました。

 優秀賞、おめでとうございます。日頃の句作りの成果がすぐに出るのは、さすがですね。四人旅に素敵な思い出が加わりました。(竹内 敬康)

◆見たことをすぐ句にする、句にできるのがすばらしい。

 句は、やはり、たくさん作るうちにうまくなるのだと思います。賞も当然ではないかと…。見たことをすぐ句にする、句にできるのがすばらしいと思います。(E・S)

◆何気ない素直な気持ちで情景を詠まれた良い句。

 おめでとう!温泉宿で詠んだ俳句が受賞とは、うれしいことですね。
 何気ない素直な気持ちで情景を詠まれた良い句です。(山本 興一)

◆やっぱり、奥様が明晰でいらっしゃるのかなあ〜〜〜

 PCを開いたら、飛び込んできた嬉しいメール!「優秀賞」、受賞おめでとうございます。なんでも賞をいただけるのは嬉しいことですね。
 さっそく「岳温泉」へ行って写真を撮ってこなくてはいけませんね…??? 
 やっぱり、奥様の方が明晰でいらっしゃるかなあ〜〜〜(荒木 彌榮子)

◆入選、おめでとうございます。

 お元気で御活躍の様子、なによりです。
 いい句ですね。入選、おめでとうございます。さすがに見事なものですね。
短い時間でこんな秀句を詠まれるのですから…。益々御精進の程を。(吉井 良平)

◆「トロンボーン・クァルテット・ジパング」の演奏会に。

 おめでとうございます。さすが優秀賞に選ばれるだけあって、良い句だと思います。
 こちらは昨日、川越市内にある東邦音楽大学の音楽ホールで開かれた 「トロンボーン ・クァルテット・ジパング」の演奏会に行ってきました。NHK交響楽団をはじめ日本の代表的な交響楽団のトロンボーン奏者4人による編成で、聴きごたえのある演奏でした。
 今日は、先ほど池田勇太の優勝で終わった「ゴルフ・ダンロップフェニックス トーナメント」をテレビで観ていました。同大会中1日は雨が降ると言われているようですが、今回は1日も雨が降らず、恵まれていたようです。
 快い秋晴れが続いていますが、朝晩は冷えますので、お互いに風邪などひかないように気をつけましょう。(大木 壯次)

◆今日はほんとによい小春日和でしたね。

 やー、目出度い限りではないですか!たしかに悪くない!
 今日はほんとによい小春日和でしたね。日立研究所の園遊会もあって、息子一家と久しぶりにお庭を散歩したり、お弁当を食べたり、何年もあっていないご近所さんにあったり…楽しかったですよ。(小田切 三千代)

◆♪おめでとうございま〜す!

 ♪おめでとうございま〜す! 中々ありそうでないものです。日ごろの努力、勉強の結果です。お見事です。素直に喜びましょう!

 小生がその宿の経営者なら、入賞者を改めてご招待します! または、ご夫妻の宿泊無料優待券など贈呈します。それをやらないから奥様から厳しいご意見が…。(地球極楽とんぼ)

◆美しい紅葉の状景が目に浮かびます。

 俳句、優秀賞、おめでとうございます。美しい紅葉の状景が目に浮かびます。(成田 紀子)

◆もみじを楓にしたらどうでしょう?

 もみじを楓にしたらどうでしょう?もっとも、もみじ紅葉だから注目されたかも しれません。(森 泰生)

◆優秀賞、良かったですね。

 「ちぎり絵にもみじもありて秋深し」優秀賞、良かったですね。なかなか優秀賞などとれません。(大辻 一徳)

◆智恵子の「ちぎりえ」の中からふっと目に留まった赤の印象を…

 おめでとうございます。智恵子の「ちぎりえ」の数々の中からふっと目に
留まった赤の印象を素直にお読みになって、句のリズムもよろしいのではないか、と拝察します。何はともあれ、日々の研鑽のいたすところでしょう。おめでとうございました。
 23日より「小平中央公民館1Fギャラリー」で、教室の皆様の作品展。私も1点賛助出品します。(佐藤 靖)

◆見たことをすぐ句にする、句にできるのがすばらしい。

 句は、やはり、たくさん作るうちにうまくなるのだと思います。賞も当然ではないかと…。見たことをすぐ句にする、句にできるのがすばらしいと思います。(E・S)

◆安達太良山、良い山ですね。紅葉を見てみたいです。

 岳温泉の俳句、なかなかいいですね。安達太良山、良い山ですね。新緑の頃登りましたが、紅葉を見てみたいです。先日、社会学女子で行った奈川温泉、素晴らしかったですよ。上高地線で、奈川渡で乗り換えるのですが、紅葉が最高の時期でした。松茸づくしの食事も満足で、是非お勧めです。(蛭川 紀巳子)

◆野も、山も、そしてちぎり絵にも、秋一色ですね。

 流石ですねぇ。おめでとうございます。

ちぎり絵にもみじもありて秋深し

 野も山も、そしてちぎり絵にも、秋一色ですね。文句無しの「優秀賞」だと思います。 益々のご活躍をお祈りいたします。(安本 貴龍)

◆褒章記念に招かれた「温泉宿一泊付招待」

 受賞、オメデトウ! 但し、昨今、私は”安達太良山” に挑む元気も気概も失せていて、残念ながら受賞作拝見に出かけるのは失敬させて頂きます。
 ところで、実は私も同じような経験があります。或る日、新聞に”金沢に絵手紙を出そう”という企画が掲載され、早速、縦20a横80aの手漉き和紙のど真ん中に朱色に染まった越前蟹が精一杯長い脚を伸ばした絵を描き、応募したところ、「当選」。金沢市長をはじめ、お偉方の祝辞と褒章品が送られてきました。

 褒章記念に招かれた「温泉宿一泊付招待」は、期日迄に行けず断念しましたが、後日、愚妻と金沢に旅行。今は亡き知友であり兄とも慕っていた版画家の”佳風”(クリフトンカーフ)氏の金沢工房を訪問、旧交を温め、愚妻は能登岬まで船で足をのばして…の誠に楽しい一泊二日の旅となりました。(丹波屋彦兵衛/佐藤 英彦)

                     (紅葉・黄葉のカット写真:東京・奥多摩の日原で10.11.16.松谷富彦撮影)

♪BGM:Chopin[Nocturn5]arranged by Pian♪
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