★近年、映画のタイトルが原名そのものになってしまい嘆かわしく思っていたら、やはり、同じことを思っている人がいた。
★「文藝春秋」五月号で、演出家の鴨下信一氏がこう書いている。
<「外国映画のタイトルは、いまはほとんど原名そのままになってしまった。「アバター」とか「プレデダ―」とか、英和を調べて、もう一度日本語の辞書をひき直さないとよくわからない。
以前はこんなことはなかった。ソッけなくて、おまけにこちらに何の知識もない外国の人名、地名、歴史的事件だけの原題には巧みな「邦題」を付けた。」>
そして、鴨下氏はその例を挙げている。一部を列挙すると(ちなみに、カッコ内が原題)
・「巴里祭」 (「7月14日」)
・「望郷」 (「ぺぺ・ル・モコ」)
・「哀愁」 (「ウォータール―橋」)
・「旅情」 (「ヴェニスの夏の日」)
・「慕情」 (「Love is a Many Splendored Thing」) |
・「追想」 (「アナスタシア」)
・「黄昏」 (「キャリー」)
・「逢びき」(「Brief Encounter」)
・「虹を掴む男」(「ウォルター・ミティの秘密生活」)
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原題「7月14日」 |
原題「ペペ・ル・モコ」 |
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「慕情」 |
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原題「ヴェニスの夏の日」 |
原題「ウォータール―橋」 |
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★いずれも名作で、なつかしい映画だが、なんといっても「邦題」がすばらしい。これが「原題」どおりだったら、果たしてあれだけヒットしたかどうか…と思うぐらい。
★鴨下氏曰く、「だんだん日本語全体がドライになってきた」と。本当にそう思う。ことは外国映画の題名に限らない。最近のカタカナ英語の氾濫は凄まじい。特に、IT関連、ファッション関連用語は、今や日本語よりカタカナが主流である。
★「言葉がどんどん変るのは、その言語がまだ若いから」「日本語にはカタカナがあり、外国語はカタカナ表記することで、本来の日本語と区別されるから良い」…などという説があるが、これだけ外国語(カタカナ)が氾濫するのは、決して望ましいことではない。
★言葉は、その国の文化。行きすぎた外国語の直輸入は、その国の文化を弱めることに通じないか。ことは映画の題名ではすまないと思うが、如何?
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