◆停車中の電車の車内に血相変えて駆け込む駅員の姿を目撃
★5月の大連休が明けた翌7日(月)、私は久しぶりの勤務の後、帰宅する中央線の下り通勤快速に乗車していました。午後9時すぎ、電車が国分寺駅2番線ホームに入ったとき、ホーム反対側の1番線で通勤快速を遣り過ごすために停車していた電車の車内へ駅のガードマンさん1人と駅員さん2人がものすごい勢いで飛び込んでゆくのが見えました。
★その異常な緊迫ぶりに、私はひきよせられるようにして反対側の電車に走りより、車内を覗き込みました。目の前の床の上に大柄で肥った髪の長い女性(49歳)が、ザンバラ髪の状態で大の字に倒れていました。先ほど車内に飛び込んでいった3人が必死で女性の体を持ち上げ、ホームへ運び出そうとしていました。
◆心肺停止状態の女性の乗客の搬出
★男性3人掛かりですが、推定85キロのその女性は、容易に持ち上がりません。近くにいた男性2人も加勢したのですが、皆、手足ばかりを引っ張り挙げ、肝心の首が保持されていません。私があわててカバンを持ったままの手で頭部を確保し、何とかホームに寝かせることができました。
★女性がホームに搬出されると、通勤快速待ちをしていた停車中の電車はすぐにドアを閉じて発車。事故発生の際に車内にいた人はすべて立ち去ってしまいましたので、女性がどのような状況で転倒、意識を失ったのか、現場を目撃していた人はそこに誰もいません。駅員さんの1人が「救急車を手配する」と言いながら女性の首を左側に倒して走ってゆきました。首を横に向けたのは、もし嘔吐をした場合、気道に吐しゃ物が流れ込んで気道をふさぐことを防ぐための処置です。もう1人の駅員さんは「AED(自動体外式除細動器)を取りに行く」と言って走り出しました。
◆状況不明の中、ガードマンと2人で懸命の蘇生処置
★倒れたときの状況が分からないまま、私とガードマンさんがその場に残された格好になりました。私は職業柄(看護・医療の出版社の編集者)多少の心得はあり、救急の講習も過去に受けたことがありますが、情報がまったくないままで遭遇したこの事態には戸惑いを覚えました。そこでまずは良く観察をし、声かけに反応するかどうかとか、脈を見たり、呼吸を確かめたりしたのですが、脈は触れず、呼吸も確認できません。既に目は半開き、口から舌が少し飛び出ており、心肺停止状態と思われました。
★そのうち女性の両腕と顔にチアノーゼが現れ始め、みるみるうちに唇が青紫になり、一刻も早く心臓マッサージが必要でした。また、非常に太った体型のため左に向けられた首が胴体にめり込んでいて、すぐに気道確保をしないと危険でした。それでガードマンさんが心臓マッサージ(胸骨圧迫)をし、私が気道確保を試みました。
◆なんとか気道確保に成功したが、鼻と口から血のあぶく
★舌が少し飛び出ているので、やみくもにチンアップ(あご先を挙げる、チンリフトとも言う)するのは舌を歯で損傷することにつながり、もし出血した場合にはそれが気道に流入して気道をふさぐことになりかねません。下顎挙上法(両あごの角(えら)を両手で後ろから持ち上げる方法)でやってみようかとも思いましたが、やはり舌が出ており口腔内の様子も確認ができない状態であごに力をかけるのは得策ではないと判断し、女性の頭のてっぺんから後頭部にかけての髪の毛に自分の右手の指を絡ませるようにして握り、下方向にゆっくりと動かしました。頭部の全体が反り返り、気道が確保されました。そしてあご先ではなく両あごの角(えら)に左手の親指とその他の指を添え、なるべくゆっくりと持ち上げサポートしました。
★女性の唇に赤みがさしてきて、心なしか、体温が上がってくるのが私の両手に感じられるように思われました。そのとき口と鼻からあぶくが出てきました。あぶくには少し血が混じっています。急いで右側の床に置いてあったカバンからポケット・ティシュを二つ取り出し、いつの間にか現われて横に立っていた若い駅員さんに「早くあぶくをふき取って!」と指示、私も頭に添えていた右手をいったん離し、なるべく深いところからあぶくを掬い出すようにふき取りました。床には、ピンク色に染まったティシュの山が築かれました。
◆AEDは届いたが、操作できない駅員
★そこに駅員さんがAED(コンピューター によって心臓のリズムを調べ、 除細動(じょさいどう ※電気ショック)が必要かどうかを 判断する機械)を持ってきたのですが、使い方が分からずしきりに取り扱い説明書を読んでいました。私が代わろうかと思ったのですが気道確保も大切ですので、近くにいた2、3人の人たちに「誰かAEDの心得ある人はいませんか!」と叫びかけると「俺、わかりますけど」という若い男性が名乗り出てくれました。
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OMRON社製のAED(自動体外式除細動器) |
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◆AED(自動体外式除細動器)は2004年7月以降、医師・看護師・救急救命士以外の一般市民にも使用が認められるようになった。
◆AEDは救命処置のための医療機器で、これを設置したら管理者は、いつでも使用できるように、AEDのインジケーターや消耗品の有効期限などを日頃から点検することが重要である。また、職員にはAEDの使用方法を熟知しておくことが求められる。
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★若い男性は、手際よくAEDを女性の体に装着してくれました。救急に求められる、「周囲を巻き込むリーダーシップ」が功を奏した瞬間です。彼の操作で「AEDの必要はありません」というメッセージが流れました。AEDが心電図からそのように判断したのであれば、心臓は動き始めたのだろうと思いました。それでは引き続き気道確保と心臓マッサージを続けようということになり、救急隊がたどり着くまで続けました。
◆救急隊が到着、救護を引き継いで状況を説明
★ホームの床に女性を寝かせてから5、6分後に救急隊が到着しました。私は救護の引継ぎをし、最初からの状況を記録係の隊員に説明しました。そして女性がストレッチャーに乗せられてホームから駅の外へ向かいましたので、私も駅を出ました。
★国分寺の南口駅前では、停車した救急車の中で引き続き心臓マッサージと酸素吸入が行なわれていました。そこに30代の男性が2人近づいてゆくので、あれ、知り合いなのだろうか?と思ったのですが、話を聞いてみると「僕たちは医者です。必要なら搬送先の病院まで同乗しましょうか?」と申し出ていたのでした。救急隊にとっても「是非に」ということになり、先輩格の男性が乗り込み、後輩に「俺一人で大丈夫だよ。君は帰っていいよ」と言っていました。
◆医師が名乗り出て救急車に同乗、女性は救急病院へ
★救急隊員が後輩の男性に「同乗してくださった先生のお名前とご所属を教えてください」というと、彼は「ぼくらはそこいらのただの医者ですよ」と笑って答えました。「いえ、報告書にも必要ですし、先生のご判断やご意見も後日おうかがいしたいので、ぜひ教えてください」という隊員の言葉に、後輩は救急車に乗り込んだ先輩の名前と国立精神・神経医療研究センター(萩山)の医師であることを明かしました。そうか、あそこの病院の…。医師の強い使命感、ドラマ以上にドラマな一瞬でした。
◆病名は「くも膜下出血」だった
★帰宅してから1時間ほどして、私の携帯電話が鳴りました。消防署から「いま報告書を作っている最中ですが、詳細をもう一度聞かせてくれませんか」との問い合わせでした。最初からの経過を話し、「ところであの方はどちらに搬送されたのですか」と聞くと「公立昭和病院です。意識はまだありませんが、お蔭様で今は心臓が動いているとのことです。初めの処置が適切だったことと、ドクターに同乗していただいたことがなにより有難かったです」との言葉。病名は「くも膜下出血」と聞かされました。患者さんの早い回復を願うばかりでした。
★5月10日、再び国分寺消防署から電話がありました。「人命救助により表彰をさせていただきたい」とのこと。人命救助は実はこれまでにも何度かやってきたのですが、「表彰」をされるのは、今回が初めてです。表彰されるのは、私と、駅のガードマンさんと、同乗してくれた医師の3人とのことでした。
◆国分寺消防署で人命救助の表彰を受ける
★5月15日 東京消防庁・国分寺消防署で感謝状の贈呈式がありました。署長さんは国分寺に着任して以来、1日も早く「感謝状」を市民の方に手渡したい。そういう「善行」が市民の手によって為され、「感謝状贈呈式」ができればと思っていたそうです。その第1号が私だとのことでとても喜んでくれました。
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感謝状贈呈式 |
日下田稔国分寺消防署長と筆者 |
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記念品の豆半纏(天地18センチ、左右25センチ) |
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◆「地下鉄サリン事件」救援の恩人、日野原重明先生
★私が日本看護協会出版会の社員で、社長が日野原重明先生だと知ると署長さんはたいへん驚かれ、湾岸署にいたときに目の前の聖路加タワーを日々見上げていたこと、「地下鉄サリン事件」の時の感動などをお話になり、「日野原先生にご報告とお礼状をお送りします」と言ってくれました。消防関係者にしてみれば、サリン事件に見事なリーダーシップを示された日野原先生は、「大恩人」であり「神様」なのでしょう。
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日野原重明先生と筆者
(先生の100歳を祝う会 2012.1.16.椿山荘にて) |
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★5月16日 消防署から、日野原先生へのお礼状を聖路加国際病院あて本日投函いたしますとの連絡がありました。17日には先生の手元に届いたはずです。たいへんお喜びとのことで、うれしい限りです。(2012.5.18.記)
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