いなほ随
マレーシア人留学生・林添喜の目
日本人が英語を苦手なわけ

林添喜(リンテンシー国際教養学部4年)

◆林添喜君(22歳)は、中国系三世のマレーシア人で、2007年に留学生として来日。1年間日本語学校で日本語を学んだ後、早稲田大学国際教養学部に入学、2012年10月現在4年生の現役学生です。

◆早稲田大学小平国際学生寮(小平市大沼町)の寮生として、通学していることから、2012年10月6日に「ルネこだいら」で開催された第24回小平稲門会総会に小平市内在住の現役学生として招いた留学生の一人です。

◆5年前に来日し林君は、教科書も無しに1、2年かじった程度の日本語を学び直すため、東京国際大学日本語学校で1年間がんばった後、早稲田大学国際教養学部に入学しました。同学部の授業はすべて英語で行われるため、「日本語を磨く機会が少ないのが悩み」と本人は言います。しかし、林君は、これからご紹介するように在日わずか5年に満たない期間に日本人も顔負けの文章力と表現力で表題の日本語の原稿を寄せてくれました。

◆林君は発展途上の国から同じアジアの先進国、日本へやって来たときは「日本のフツーの大学に入って、日本の一般の会社に就職、終身雇用で暮らしたい」という考えだったそうです。それが早稲田大学を受験し、入学したら「自分のさらなる可能性に気づき、だんだん野望が大きくなってきました。三国志の曹操のように」と。

◆母国マレ−シアと世界のために活躍する夢と希望が、この青年の胸に膨らんできたのでしょうか。明日に向かってひたむきに学び、日本を見つめている一人のマレーシア人留学生からの日本人へのアピール第1弾をお読みください。まずは林君の自己紹介の寄稿文からどうぞ。
                                             (ホームページ管理人:松谷富彦)


自己紹介をさせていただきます

◆来日して、早稲田大学に入学した動機

★マレーシアから日本に参りました国際教養学部の林添喜(リンテンシー)です。祖父の世代にマレーシアに移民した華僑です。父は行商人で、母は一般の会社員なので、最初は留学することができるとは思わなかったのです。日本に留学したら奨学金とアルバイトで学費と生活費が払えると何となくと聞いて、日本に参りました。学びたいリベラルアーツと名門校の早稲田大学なら、奨学金がいっぱいあるだろうと考え、早稲田大学国際教養学部に入学したのでした。

◆学校の経歴と学部の選択

★日本留学の1年目は東京国際大学付属日本語学校で過ごしました。早稲田大学の国際教養学部は英語で授業を行うので、私の日本語が主にこの日本語学校の先生たちのおかげで、鍛えていただきました。

★早稲田大学国際教養学部では、「科学の哲学と歴史」という科目に惹かれました。この科目を通じて、私が自分の持つ世界観を再考することができ、私に一番影響を与えて来た科目であると思います。哲学とは何か、今聞かれてもうまく答えられる自信は持っていません。しかし、この科目を勉強することを通じて、いろいろなことを再検討することができて、物事をもっとオープンに見る習慣を身につけることができたと思います。

◆学費と生活費

★発展途上国のマレーシアから来た私にとって、日本留学で一番きついところは学費と生活費でした。両親はその一部しか提供できないのに、私が無理やり日本に留学したこともあり、自分で学費と生活費を確保する責任と義務がありました。大学1年目はアルバイトはしていませんでしたが、奨学金を目指して、いい成績を取ろう努力しました。2年生になったら、学校から奨学金の推薦をいただきました。その奨学金は月25,000円で3年間もらえるものでした。

★お金を必要としている学生にとって金額はともかく、少しでも負担が減ることは有難いものです。しかし、この奨学金をもらったため、私はその後出てきた月120,000円と150,000円の奨学金が申し込めなくなりました。学部側の奨学課は申し込めると言ってくれましたが、大学の奨学課は「前の奨学金は学校からの推薦であり、取り消すことはできない」と言う回答でした。

★この経過から、さらにいい成績を取っても、奨学金の額は大きく変わらないと気づき、アルバイトをする必要が出きてきました。2年生の頃から弁当屋さんで働き始め、3年生になるときつい労働作業の仕事を減らすと同時に弁当屋、学校パソコン室、TA、翻訳の仕事と幅広く手がけ、4年生になると弁当屋をやめて、友人の会社、学校パソコン室、翻訳、早稲田国際寮のレジデンスアシスタント(RA)として働き、自分でカバーする学費と生活費の割合を段々増やしてきました。アルバイトの仕事が増えても、学校の成績はがんばることで前のままに保つことができました。そして、その成績に満足せずに、それ以上の勉強したいと強く思ってます。

第24回小平稲門会総会に招かれ、伊藤順藏会長(早大名誉教授)
と記念撮影をする留学生と日本人学生(左端:筆者の林添喜君

◆日本留学再考

★ここまで書いてきました経緯からすると、私の日本での留学生活はあまり面白いことがないように見えるかもしれません。日本に来て以来、埼玉と東京しか行かなかった。サークルにも入らず、学業の実績があるとも言えません。ただアルバイトの数が多いだけかも知れません。そんな経緯を見て、留学生、林添喜が苦労したなと思われるかもしれませんが、私は、自分の苦労を過大評価されるのはうれしくありません。

★なぜなら私には、早稲田大学という一番大事な勉強の場所、早大国際学生寮という住む場所、食事などがあります。アルバイトの量は学業を保つために、限界までは行っていません。また、日本の大学に入れた私はマレーシアから出られない友人、大学を卒業してない両親よりは何倍も幸せだと思うからす。

◆安定に拘らないこと

★日本に来てからの自分のやってきたことを振り返ると、2点改善できるところがあると思います。
一つ目は、安定に縛られてはいけない点です。最初アルバイトを探していた時に、結構探しにくく、やっと弁当屋さんのアルバイトを見つけました。仕事と収入を持続する安定を求めて、弁当屋を2年間続けてしてきましたが、それをやめて、再びアルバイトを探して見たら、自分はもっと多種類のアルバイトができたはずだと気づいたのです。

★もし安定した収入を求めた自分を少しでも疑って、少しでも積極的に違ったところにアルバイトを探せば、もっといろいろ有意義な体験ができるだろうと思います。つまり、私が安定を選んでいたことへの反省、安定した条件にに縛られてはいけないという警戒も、私の今後の人生に大いに使えるし、使って行きたいと思います。

★2つ目は、もっと勉強するべきだということです。アルバイトと学業を両立させる方針を取って来たものの、怠け心がどうしても出て、自分では気づかないままにアルバイトを言い訳にして、勉強に入れる力を減らしていたのです。勉強の大切さはいつも実感しながら、社会人になっても学ぶ努力を続けていこうと自分に言い聞かせています。

◆今後の目標

★何かの目標を設定し、努力を通じて、その目標に達するという「将来の目標」の立て方があります。しかし、恥ずかしながら、私はそういう風に行動して来ませんでした。この世の中に、一体何人の成功者が自分の納めた成功を最初から目標にしたのでしょうか。最初の目標と一致しない成功もいっぱいあるだろうと思います。また、普通の家庭から来た私は、一般的に言われている成功者たちのビジネスマン、科学者、社長、弁護士、学者などと会ったことはなく、彼らが何をしているかも、はっきり分かりません。たとえ日本に来て、会ったことがあっても、彼らがしていることも想像だけのものです。

★その未知の未来に分からない名詞をつけるより、自分の原則を守りながら、積極的に実力を貯めながら、生きて行けば、面白い人生になるだろうというスタンスを取っています。昔、三国志の曹操も、彼の野望は最初からそんなに大きいものではなく、段々に大きくなった、と言っています。明日のことでさえ分からない私は、むしろこういう違った可能性があると進んで行く姿勢で未知なる未来に向き合いたいと思います。目標の大切さを否定するのではなく、目標以外にも可能性があると自分は強調したいのです。
 

◆今の私

★今は大好きな勉強を幅広くしています。チェーンメーカーの会社で自転車に関係する新しい事業を任されて、 社内で自転車に詳しい人がいないため、自分で自転車についても勉強しています。本と雑誌だけでは足りないので、先週自分も一台ロードバイクを購入しました。今の自分にとって高い買い物かもしれないが、もっと効率よく自転車の関連知識が身につけられるため、購入して、自転車を楽しもうと決めました。

★学生寮の内外でも、後輩のサポートをし、特にお金や学業に困っている後輩たちに、できる範囲内で自分の経験を生かし、自分がもらえなかった指導で後輩たちをサポートしています。

以上が日本に来て4.年6か月間に体験した私の留学生活のあれこれです。(2012年10月10日 林添喜 記)



一人の留学生から見た、日本人の英語勉強
<英語が苦手、英会話が上達しない原因>

★マレー語、中国語、英語が日常生活の中で飛び交う多言語、多民族国家マレーシアから来た中国系マレーシア人留学生の私、林添喜が、来日して気付いた表題について書かせていただきます。大学の友人を含めて、英語を学んでいる日本人に申し上げたいことです。日本の英語教育の現状の中で、自分一人でできることに重きを置いて、書いてみます。

◆日本語だけ聞きながら育つことによる壁

★上記の環境の国から来た留学生の私の目に映った、日本人が英語を学ぶ時に不利なところを考えてみましょう。日本語は他の言語と比べて、発音の種類が少ないと思います。そのために、日本人の赤ちゃんが小さいころから日本語を聞く時に、多くの音(言葉)が混在することなく、日本語に使われている音だけに集中して来ました。これは赤ちゃんにとって、日本語の習得にはいいんですが、大きくなって外国語を習得したい時が来たら、逆に壁になってしまうと思います。しかし、これはもっと英語と接触することによって、取り戻せることです。

★だが、次の壁があります。それは、日本での暮らしの中での英語と接触する機会の少なさです。日本人は恵まれた日本という環境の中で、外国語が分からないままで不自由なしに生きて行けます。外国の小説や著作でも映画でも日本語で出された作品があふれています。つまり、海外の著作や映画など日本語に翻訳されて消費されることが多いですね。

◆字幕を見ながらでも原語に耳を馴染ませる

★私の母国マレーシアとの違いを一つ例に取ってみます。マレーシアでは、アメリカや中国から来ている映画は、その本来の言語で観賞しています。そこで、たとえ私達マレーシア人の英語が下手であっても、英語は普段から耳に馴染んでいるので聞き取ることができます。外国の映画などを見る時に、日本語字幕で本来の英語のせりふを聞きながら見るようになれば、それだけでも英語との接触が増えると思います。

★英語との接触の機会が増えれば、英語のセンスが鍛えられます。あまり日本人は気づいていないかもしれないが、外国人が日本語を学ぶ時と日本人が英語を学ぶ時の違いがとても面白いと思います。英語は大変自由な言語であり、ニュアンスなども、日本語ほど細かくはありません。だから、そんな英語をベースにした外国人が日本語を学ぶ時に、日本語の細かいニュアンスに気づかないか、気づきにくいのです。

小平稲門会総会で招待のお礼あいさつをする林添喜君

◆外国人は下手な日本語でも堂々と喋る

★日本人の基準からすると、決して上手だとは言えなくても、私をふくめた外国人はおじけずに堂々と日本語を話せるのです。その反面、ニュアンスなどに敏感で綺麗な日本語をベースにした日本人が英語を学ぼうとする時に、日本語が要求する高い基準に自分が縛られ、うまく話せなくなるのです。

★しかし、日本に居る間に下手な日本語でしゃべって来た外国人の私に対して、日本人はとても優しく、常に褒めてくださいました。もし、私が日本人であれば、絶対褒められない日本語だと思います。日本語を学ぼうとする外国人に対して、日本人は常に優しく、日本人に対する基準ではなく、外国人に対する基準で私の日本語を見てくれました。それなのに日本人が自分で英語を勉強する時に、どうして他人に対する優しさを自分に向けないのでしょうか。英語のできる外国人も、完璧な英語までは求めていないのではないでしょうか。これさえ分かってくれれば、自分に無理せず、適切な基準で自分の英語で会話ができるようになるはずです。

★もちろん言語を学ぶ時に、上級まで行ければ、行くほど良いのですが、最初の段階ではそこまで考えなくてもいいのです。コミュニケーションのツールの一部に過ぎない言語に縛られてはいけないのです。日常の生活の中で日本語だけで通用し、日本語以外の言葉が常時耳に入って来ない“日本語だけで済む恵まれた国”の他の言語習得の不利に気づいた上で、英語を学ぶことが大事だと私は思っています。

◆言語のセンスとは一体何か

★日本語や英語などそれぞれの言語のセンスとは一体何かというと、それは、その言語で物事を考えて、その言語で物事を見るということだと思います。生まれた国の環境からマレー語、中国語、英語など多言語ができる自分と周りの多言語のできる人を見て気づくのは、使っている言語を変えれば、性格も変わることです。それは、その言語のセンスを掴んでいて、自分の表現の仕方もその言語に合う表し方をしているから、性格が変わったように見えるのです。多言語のできる人が違った言語を使う友達と個別に話している時に、観察してみれば分かると思います。

★この言語のセンスを身に付けるには、英語の教科書だけを頼っていては足りないと考えます。その言語の歌、本、映画などをその言語で楽しむのが大事だと思います。特に読書を通じて、英語でものを考える人たちの思考回路が読めば読むほど段々頭に入って来て、英語で考えると英語で物事を見る脳の筋肉が身に付きます。私はマレーシアに居たころに、英語は勉強していましたが、誰にも話すことはありませんでした。しかし、英語の本は読んでいました。RPGゲームの英語もいっぱい読んでいました。

★その読むことの繰り返しは脳内でずっと続けていて、だから日本に来て、早稲田大学の英語だけを使う国際教養学部に入学し、英語で授業を受け、話さなければならなくなった時、なんとなく話せ、講義を理解できたのです。せっかく一つの言語を学ぶのであれば、その言語の著作なども吸収し、もっと多面的に物事が見られるようにすべきだと思います。

◆お勧めは音読すること

★日本に来て、日本語を勉強した時にも、日本語の教科書だけではなく、日本語の本も読んでいました。それも、音読で読んでいました。日本語学校に居たころ、日本人の友達がいなくて、一人で日本語を勉強したいから、音読をしました。音読の方法だと、脳内だけに対して刺激を与えているのではなく、自分の今まで英語の発音をしなかった舌の筋肉も活用し、耳も英語が聞けます。そうしたら脳に三重の刺激を与えているのではないでしょうか。もっと全面的に英語の練習ができるし、そうしてその三重の刺激によって脳が覚えるでしょう。

★音読の一番便利な点は、自分一人でできることです。英語の音読をするには何を読むかという質問には、それは、自分のレベルに合わせた英語の本とお答えします。私個人のお勧めは、英語のノンフィクションです。非常に専門的な学術書でない限りは、分かりやすく、内容もしっかりしているものが結構あるからです。


◆言葉を学ぶ上で一番大事なこと

★いろいろ書いてきましたが、英語(他の言語でも)の勉強は、会話だけではないと思います。よく「会話を教えない日本の英語教育がだめだ」と批判する声を聞きますが、私から見ると問題はそこだけではないと思います。英会話教育の不足だけを「英語の苦手な日本人」を生み出している原因としてしまうと、もっと深い問題が見失われてしまう恐れがあります。

★早稲田大学の友人は、大学に入るまで小中高の授業で日本語の作文を書かされたことも、書いたこともないと言います。また、英語教育を受けた日本人は、英文を読むことはできるが、会話のできない人が多い、と言われます。

この二つから私なりに問題点を考えてみたいと思います。私の母国マレーシアでは、小学校4年生から既に作文を書かされました。自国の教育にも批判したい点がいろいろありますが、少なくとも、考えを纏める練習という作文を書く授業はありました。ところが大学の友人と同じような学習経験をしてきた日本人が多いとしたら、考え力に直接に繋がる文章力と読解力は英語どころか、日本語もあまり鍛えられていないのではないでしょうか。

◆英会話教育の前に「物事を考える力」を付ける教育の優先を

★「会話を教えない日本の英語教育がだめだ」ということが強調され過ぎると、重要な点が隠れてしまう恐れがあります。話す前の前提である「物事を考える力」を付ける教育の方こそ優先すべきだと考えます。英会話だけに集中してしまうと、教育の優先順位が前後になってしまい、問題解決にならないと思うのです。

★チェン・メーカーの会社で働くようになって気づいたことですが、私のような外国人社員に会社が求めていること、必要としているのは、違った考え方、視点、意見なのだということが分かりました。日本にとってもそれは同じことだと早稲田大学も気づき、積極的に国際展開を始めています。そういう考え方、視点、意見などは英会話だけを学ぼうとする人には得にくいものでしょう。外国人たちを受け入れると同時に、日本人もその違ったものの価値に気づくための目が必要ではないでしょうか。

★英会話が上手になることだけに集中してしまい、それでOKでは、本当に物足りないと思います。私
は、英会話だけを強調する現状(日本社会)があまり好きではないため、いろいろ書いてしまいました。以上は、あくまでも私個人の意見と見方です。最後まで読んでいただき感謝いたします。(2012年10月 記)
(写真:松谷富彦撮影)

♪BGM:J.シュトラウスU[美しき碧きドナウ]arranged by Pian♪
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