◆来日して、早稲田大学に入学した動機
★マレーシアから日本に参りました国際教養学部の林添喜(リンテンシー)です。祖父の世代にマレーシアに移民した華僑です。父は行商人で、母は一般の会社員なので、最初は留学することができるとは思わなかったのです。日本に留学したら奨学金とアルバイトで学費と生活費が払えると何となくと聞いて、日本に参りました。学びたいリベラルアーツと名門校の早稲田大学なら、奨学金がいっぱいあるだろうと考え、早稲田大学国際教養学部に入学したのでした。
◆学校の経歴と学部の選択
★日本留学の1年目は東京国際大学付属日本語学校で過ごしました。早稲田大学の国際教養学部は英語で授業を行うので、私の日本語が主にこの日本語学校の先生たちのおかげで、鍛えていただきました。
★早稲田大学国際教養学部では、「科学の哲学と歴史」という科目に惹かれました。この科目を通じて、私が自分の持つ世界観を再考することができ、私に一番影響を与えて来た科目であると思います。哲学とは何か、今聞かれてもうまく答えられる自信は持っていません。しかし、この科目を勉強することを通じて、いろいろなことを再検討することができて、物事をもっとオープンに見る習慣を身につけることができたと思います。
◆学費と生活費
★発展途上国のマレーシアから来た私にとって、日本留学で一番きついところは学費と生活費でした。両親はその一部しか提供できないのに、私が無理やり日本に留学したこともあり、自分で学費と生活費を確保する責任と義務がありました。大学1年目はアルバイトはしていませんでしたが、奨学金を目指して、いい成績を取ろう努力しました。2年生になったら、学校から奨学金の推薦をいただきました。その奨学金は月25,000円で3年間もらえるものでした。
★お金を必要としている学生にとって金額はともかく、少しでも負担が減ることは有難いものです。しかし、この奨学金をもらったため、私はその後出てきた月120,000円と150,000円の奨学金が申し込めなくなりました。学部側の奨学課は申し込めると言ってくれましたが、大学の奨学課は「前の奨学金は学校からの推薦であり、取り消すことはできない」と言う回答でした。
★この経過から、さらにいい成績を取っても、奨学金の額は大きく変わらないと気づき、アルバイトをする必要が出きてきました。2年生の頃から弁当屋さんで働き始め、3年生になるときつい労働作業の仕事を減らすと同時に弁当屋、学校パソコン室、TA、翻訳の仕事と幅広く手がけ、4年生になると弁当屋をやめて、友人の会社、学校パソコン室、翻訳、早稲田国際寮のレジデンスアシスタント(RA)として働き、自分でカバーする学費と生活費の割合を段々増やしてきました。アルバイトの仕事が増えても、学校の成績はがんばることで前のままに保つことができました。そして、その成績に満足せずに、それ以上の勉強したいと強く思ってます。
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第24回小平稲門会総会に招かれ、伊藤順藏会長(早大名誉教授)
と記念撮影をする留学生と日本人学生(左端:筆者の林添喜君 |
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◆日本留学再考
★ここまで書いてきました経緯からすると、私の日本での留学生活はあまり面白いことがないように見えるかもしれません。日本に来て以来、埼玉と東京しか行かなかった。サークルにも入らず、学業の実績があるとも言えません。ただアルバイトの数が多いだけかも知れません。そんな経緯を見て、留学生、林添喜が苦労したなと思われるかもしれませんが、私は、自分の苦労を過大評価されるのはうれしくありません。
★なぜなら私には、早稲田大学という一番大事な勉強の場所、早大国際学生寮という住む場所、食事などがあります。アルバイトの量は学業を保つために、限界までは行っていません。また、日本の大学に入れた私はマレーシアから出られない友人、大学を卒業してない両親よりは何倍も幸せだと思うからす。
◆安定に拘らないこと
★日本に来てからの自分のやってきたことを振り返ると、2点改善できるところがあると思います。一つ目は、安定に縛られてはいけない点です。最初アルバイトを探していた時に、結構探しにくく、やっと弁当屋さんのアルバイトを見つけました。仕事と収入を持続する安定を求めて、弁当屋を2年間続けてしてきましたが、それをやめて、再びアルバイトを探して見たら、自分はもっと多種類のアルバイトができたはずだと気づいたのです。
★もし安定した収入を求めた自分を少しでも疑って、少しでも積極的に違ったところにアルバイトを探せば、もっといろいろ有意義な体験ができるだろうと思います。つまり、私が安定を選んでいたことへの反省、安定した条件にに縛られてはいけないという警戒も、私の今後の人生に大いに使えるし、使って行きたいと思います。
★2つ目は、もっと勉強するべきだということです。アルバイトと学業を両立させる方針を取って来たものの、怠け心がどうしても出て、自分では気づかないままにアルバイトを言い訳にして、勉強に入れる力を減らしていたのです。勉強の大切さはいつも実感しながら、社会人になっても学ぶ努力を続けていこうと自分に言い聞かせています。
◆今後の目標
★何かの目標を設定し、努力を通じて、その目標に達するという「将来の目標」の立て方があります。しかし、恥ずかしながら、私はそういう風に行動して来ませんでした。この世の中に、一体何人の成功者が自分の納めた成功を最初から目標にしたのでしょうか。最初の目標と一致しない成功もいっぱいあるだろうと思います。また、普通の家庭から来た私は、一般的に言われている成功者たちのビジネスマン、科学者、社長、弁護士、学者などと会ったことはなく、彼らが何をしているかも、はっきり分かりません。たとえ日本に来て、会ったことがあっても、彼らがしていることも想像だけのものです。
★その未知の未来に分からない名詞をつけるより、自分の原則を守りながら、積極的に実力を貯めながら、生きて行けば、面白い人生になるだろうというスタンスを取っています。昔、三国志の曹操も、彼の野望は最初からそんなに大きいものではなく、段々に大きくなった、と言っています。明日のことでさえ分からない私は、むしろこういう違った可能性があると進んで行く姿勢で未知なる未来に向き合いたいと思います。目標の大切さを否定するのではなく、目標以外にも可能性があると自分は強調したいのです。
◆今の私
★今は大好きな勉強を幅広くしています。チェーンメーカーの会社で自転車に関係する新しい事業を任されて、 社内で自転車に詳しい人がいないため、自分で自転車についても勉強しています。本と雑誌だけでは足りないので、先週自分も一台ロードバイクを購入しました。今の自分にとって高い買い物かもしれないが、もっと効率よく自転車の関連知識が身につけられるため、購入して、自転車を楽しもうと決めました。
★学生寮の内外でも、後輩のサポートをし、特にお金や学業に困っている後輩たちに、できる範囲内で自分の経験を生かし、自分がもらえなかった指導で後輩たちをサポートしています。
以上が日本に来て4.年6か月間に体験した私の留学生活のあれこれです。(2012年10月10日 林添喜 記)
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