いなほ随想

第一集



印の付いた投稿は、「小平稲門会報(第19号)」(08年9月30日発行)から転載しました。


鉄道趣味と私
(その2)「青春18きっぷ」


遠藤雅司(31法)        *(その1)は、右のスクロール・バーを下にスクロールしてご覧下さい。


★正月、春休み、夏休みの期間に年3回発売される「青春18きっぷ」は、最近JRが大きなポスターで宣伝しているので、知っている人や実際に利用した人も多いと思います。スタート時は学生向けに売る出した経緯から「青春18きっぷ」の名前がのこっていますが、年齢制限なしに誰でも使える“格安きっぷ”です。

10年ほど前、JR全線踏破に挑戦していた私も「青春18きっぷ」をよく利用させてもらいました。JRの普通と快速列車が1日乗り放題で2,300円ですから格安です。ただ、1セットが5日分(11,500円)になっているので、無駄でも5日分購入しなければなりません。

★この「青春18きっぷ」は、1人で使い切っても、同行する仲間やグループで分けてもいいので、使い勝手のよさも魅力です。ただし、途中で特急に乗ると、特急券と運賃を取られますので注意して下さい。


★桃の満開の時期、武蔵小金井ー八王子ー交付ー身延ー沼津ー御殿場ー東京ー武蔵小金井と周り、車窓から日本一の桃源郷や桜、富士山を楽しんで来ました。四季の小海線の高原列車の旅も「青春18きっぷ」で満喫しました。このコースでは、甲府と小渕沢の美味しい駅弁も楽しみでした。

京都東山 兼六公園 北アルプス立山連峰

1日目 東京23:10(ムーンライトながら)→大垣6:55→同7:00→米原7:34→同7:35→京都着8:54(京都見物1泊)
2日目 京都6:22→敦賀9:50→同9:53→金沢12:25(金沢見物1泊)
3日目 金沢7:53→泊9:51→同10:31→直江津11:37→同11:54→長野13:29(長野見物)→同14:01→小渕沢
17:02→同17:34→甲府18:19→同18:29→高尾20:07

★写真は、私が「青春18きっぷ」を3枚使い、京都、金沢、信州を3日間旅してきたときのものです。

京都では1日使えるので東山まで足を延ばし、ゆっくり見学。金沢では兼六公園を訪れた後、金沢の「アメ横」と言われる近江町市場に出かけ、地産の甘エビを買い込み、ホテルで味覚を堪能しました。信州に向かう北陸線の車窓からは、北アルプスの立山連峰を眺めながら、金沢の有名な「お酒付き駅弁」を楽しみました。


★最近の列車は、ほとんど電車になりましたので、1日に日帰りできる距離がすごく伸びました。例えば東海道線では、東京駅7:24で出発して、名古屋13:57着。約3時間後の16:43発の電車に乗れば、東京駅22:43に帰れます。

★T日におよそ150kmほど乗れば元が取れる計算になります。東京ー小田原を往復すればOK、片道ならさらに遠くに行けます。遠くに行く例を調べてみますと、「青春18きっぷ」ファンなら誰でも承知の、東京発23:09の「ムーンライトながら」を上手く利用すると、九州の熊本まで行けます。ただし、日付変更直前の小田原まで別途購入(1,450円)する必要があります。でも、鉄道好きの“鉄ちゃん”は、これがまた楽しいのです。

★「青春18きっぷ」をご紹介しましたが、JRの割引きっぷはたくさん発売されています。時刻表に詳しく載っていますので、研究すると面白いと思います。

★列車の旅では、移り行く車窓を楽しみながら、ゆっくりと駅弁を食べられます。お酒を飲んでも咎められることもありません。各鉄道会社の観光列車などでは、指定された座席のほかにラウンジスペースが設けられています。座り疲れたら、そこで気分転換もできます。

★列車の旅を楽しんでいる他の客や、普通列車なら地元の人と一期一会の会話も楽しめます。列車の旅の魅力は、それだけではない。新幹線、普通列車、寝台列車、設備や雰囲気がそれぞれ違う。列車の旅に取りつかれる人が増えてきました。それに応えて、JRでは熟年夫婦向きに贅沢旅行ができるものや、反対に若者の向きの格安旅行のできる「青春18きっぷ」も用意しているわけです。70代、80代が「青春18きっぷ」で旅をするなんて、粋だと思いませんか。(投稿:09.1.27.)



ラジオと野球




鳥井 守幸(帝京平成大学教授 29法)

★TBSラジオの番組「大沢悠里のゆうゆうワイド」の「鳥井守幸の朝の事件簿」(火曜日、午前9時〜9時15分)を受け持って、今年(09年)4月で24年目に入る。タイトル通り、最近起きた犯罪など社会的な出来事を取り上げる内容だが、趣味の野球関係に触れることが多く、周囲から別名「朝の野球簿」とも呼ばれている。

★ラジオはテレビに比べると、波及力、影響力の少ないメディアと言われるが、反面、受け手個人への情報到達力に優れているといわれるだけ、聴取者の反応は敏感だ。昨シーズンから西武ドームでは、4回裏が終わるころに、われわれ世代には懐かしい「野球小僧」の歌を流している。灰田勝彦の歌とは異なったバージョンだが、そのメロディーは中高年にとって青春時代を甦らせてくれる。

★ある日の番組でこの「野球小僧」の話を取り上げると、早速、多くの共感を示す反応のメッセージが届き、国分寺在住の同世代の男性からは「ご存じかも知れませんが…」と「野球小僧」の全歌詞が届けられ、その後も野球論をやるたびに、ご意見をいただいている。

★昨季の西武ライオンズは、クラシック・シリーズと銘打って前身、西鉄時代のユニフォームを着用、稲尾、中西、豊田ら“野武士集団”の全盛期(昭和30年代)の映像を球場のオーロラビジョンで流し、トークショーなど数々のイベントを開催して、ファンを楽しませてくれた。

★福岡育ち、永年の西鉄ライオンズファンであり、新聞記者になってもいくどか取材対象とした思い出の多い球団だった。この企画、若いファンにとっても新鮮で、プロ野球の“原点”を見出したようだ。むろん、このこともラジオで取り上げさせてもらった。昨季、西部ドーム球場を中心に、プロ野球観戦は24試合に及んだ。やはり、ナマ観戦に何よりの喜びがある。(投稿:09.1.19.)


世界遺産に魅せられて


佐藤 俊雄(33教)


いま齢73歳。日本人男性の平均寿命は79歳。となるとあと6年しか生きられない、と気づいた時、残された時間に何をするかを考えた。そして世界遺産をもっと見て回ろうという気になった。大学時代に考古学専攻だったせいか、歴史遺産にことのほか興味があるせいかもしれない。

現在ある世界遺産の数は878。そのうちここ20年間で84か所見てきたが、まだ1割にも満たない。一昨年は2泊3日のエーゲ海クルーズを含むギリシャ10日間の旅で世界遺産は5か所、それにフランスへ10日間の観光で8か所、昨年はカナダで2か所という具合だ。語学がからきしダメなので、ごく普通の団体パック旅行を愛用している。それにまだ勤めているので休暇もなかなかとれない。

アンコール・トム(カンボジア)2005.2. トンガリロ国立公園(ニュージーランド)05.12.
アルル(フランス)2007.5. アクロポリス(ギリシャ)2007.9.

ヨーロッパ行きは約12時間、エコノミークラスのフライトは老いの身にはつらい。またこれまで時差ボケとは無縁だったのが、昨今はしっかりボケるようになった。

★世界遺産人気bPのペルーのマチュピチュを、頭と足腰が意のままのうちになんとしても訪れたいものだと念じているが、機内食連続3食のブロイラー生活を思うとなかなかふんぎりがつかない。(投稿:09.1.16.)





鉄道趣味と私(その1)「乗り鉄」





遠藤雅司(31法)
ドイツICE特急食堂車で
くつろぐ筆者(05年2月)

★昨年(2008年)喜寿を迎えた私ですが、本屋に入ると、鉄道コーナーに自然と足が向く始末です。
08年5月には、長野県の大糸線沿線に3泊で写真撮影、7月には名鉄の名車パノラマカーの「さよなら運転」乗車のため、やはり3泊で、東京ー豊橋(泊)−名古屋(泊)ー諏訪(泊)ー東京と一回りして来ました。しかし、公判は、これらの無理が祟ったのか、腰痛で寝込み、実際に後期高齢者になったことを実感しました。

★一口に鉄道ファンと言っても、模型、実車、写真、旅行(乗り鉄)、きっぷ収集など多種多様です。これだけ幅広く奥の深い趣味は他にないかも知れません。

★10年前の2000年に「トレイング2000」ポイントキャンペーンがJR東日本より発表されました。このルールは、2年間にJR東日本72戦の全線区を踏破するとポイントが貯まり、記念品がもらえるというものです。会社の増収のためです。

★わたしは、それよりも早く、勝手にJR東日本だけでなく、JR全線区の踏破を終えていました。これには、全国をよく旅行していた私でも、5年かかりました。

★幹線はよく乗りますが、支線、盲腸線は、なかなか乗るチャンスがありません。それに乗るため時刻表を見て計画を立てます。乗る目的の線より、そこまで行く運賃の方が当然高いことになります。馬鹿げたことです。好きでないとできないことです。

★盲腸線にもいろいろあります。
 ◆列車の走るのが朝と夕方だけの線
  ☆山陽線の兵庫から出ている和田岬線。ドッグに勤める人の通勤列車です。
   新幹線で新大阪に行きホテルに泊まり、朝食前に乗りに出かけたことをいまもよく覚えています。

 ◆幹線なのに1日に5往復の列車しか走らない区間があります。
  ☆上越線の越後湯沢ー水上間。直江津から湯檜曽温泉に行くので、途中下車して2時間待たされた覚えが
   あります。お陰で駅にある「酒風呂」に入ることができて、いい思い出になりました。

★日本のJR線は走破したので、1994年からヨーロッパの鉄道に乗りに出掛けるようになりました。現在までに7回出かけました。ヨーロッパの鉄道にも、日本にない面白いサービスがあります。次の機会に書きたいと思います。(投稿:09.1.14.)


遊びをせんとや



竹内吉夫(49商)


★「アメリカではガスを止められてしまった家庭が急増しているそうだ。われわれが体験したことのない時代がやってくるぞ」。そんな話を証券マンのS君から聞かされたのは
08年の夏の初め頃だったろうか。それから「人類総貧民化プログラム」のスイッチが入ったことを実感させられるまで、さして時間はかからなかった。

★大変な時代になった。これからどんどん貧困が進むだろう。でも、怖いのは貧困そのものというよりも貧困が引き起こす人心の荒廃ではないのか。そんなことをしきりに考え始めた秋、では自分はこの時代をどう生きるのかと自問してみた。

★胸を張って歩こう。大きな声で元気よく話そう。笑顔を忘れずに…。そのとき、突然思い出したのがこの歌である。「遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけん。遊ぶ子供の声聞けば、わが身さへこそ動(ゆる)がるれ」。(『梁塵秘抄』巻第二 四句神歌 雑 359

★「世の中は苦しいこと、辛いことに満ちているけれども、私たちは本来、遊ぶために、戯れるために生まれてきたのではなかったろうか。遊ぶ子供の声を聞くと、そのことを思い出させられて、私の身体さえも感動にうちふるえてしまう」。そんなふうに読めないだろうか? いや、そういうふうに読みたいよ。かく思い至った晩秋、この歌をコピーしては会う人ごとに配って歩いた。

12月の初め、件のS君と飲んだ。彼にこの歌を見せると詩吟の師範でもあるS君、「竹内、これなあ…」と言ったかと思うと突然、「アソビを〜せんとや〜うまれけむ〜」と即興で朗々と吟じてみせた。あっけにとられるスナックの客たちににこりと笑いかけ、何やら決意を固めた様子のS君。こいつ、時代にひとつも押しつぶされていない。豪傑だなと思った。(投稿:09.1.13.)


稲門会あれこれ
  



小川浩史(35法)
★早稲田を出たのは1960年だったので、49回目の正月を小平で迎えたことになる。稲門会と名の付く会合には、クラス仲間で結成した鈍行会と言う会合が50年以上続いている。鈍行の由来は、「帰省時以外急行列車で旅行してはならない」と言う会 則であったが、その後の交通事情の変遷で、精神だけ生きている。

★現役時代は銀行勤務(三井信託銀行)であったが、海外勤務時を含め、各取引企業、団体の稲門の諸先輩、後輩との交流もあり、楽しい一時であった。ロンドンでは残念乍ら急逝された住友の若き宿沢氏(元専務)も一緒であった。政経ではなくラグビー部出身と言うのが彼の口ぐせであった。

★最近、昔、同じ銀行で過ごした同年代中心の稲酔会が毎月開かれているが、邦銀の1960年代の全盛時代を過して、幸いであったと言う話にどうしてもなる。まさか米銀が昨今のようになるとは信じられない感じである。金融工学の遅れが邦銀に幸いしたが、日本は金融資本主義ではなく、産業資本主義で活路を求めるべきである。金融でユダヤ資本に勝つのは、並大抵なことではない。

★夏の間は信州たてしなで週末を過すことが多いが、最近はゴルフより農作業仲間との交流が結構多く、仲間には女性ヴァイオリニストとか最高裁判事とか多士済々である。稲門の仲間も多く、時々たてしな三井の森の稲門会をテラスで飲みながら開催している。地元の茅野市長も稲門の一員であり、茅野の稲門会とも、いずれ滞在期間が長くなれば交流したいと考えている。

★小平稲門会の諸行事には欠席がちであるが、いずれ第2の職場を卒業したら、諸行事に参加したいと思っております。今日(09年1月10日)は、大学ラグビー日本一を見届けてから一筆しております。快勝、大変うれしい。(投稿:09.1.10.



小稲記



高木武二(27理工)
★あるテレビ会社の大御所が、「面白くなけりゃテレビじゃない!」といった。この説でいうと「面白くなけりゃ新聞じゃない!」「面白くなけりゃ雑誌じゃない!」となる。その通り、面白くなければ誰も見ない、読まない。読まれなければ編集する甲斐がない。

★「面白い」という言葉にはいろいろな意味がある。バカ騒ぎのバラエティー番組だから面白い?タメになる情報だから面白い?身近な話題だから面白い?身近な人が書いているから面白い?

★さて、これで小平稲門会会報を評すると「面白くなけりゃ会報じゃない!」 とうことになる。私は第3号辺りからこの会報作りに参加させてもらい、引退の第18号まで関わってきたが、果たしてこの期待に応えられたかどうかは怪しい。

★たかが4ページ(記念号は8ページだが)されど4ページである。会報だから会の情報を提供するのは当たり前だが、それだけでは面白くない。限られた地域の限られた有志の会報だからやはり「身近な人に身近な話題」を提供してもらうのが有難い。

★振り返ると、

●パリ・ブローニュの森の早慶戦:故岡山隆氏(21政経)のコラム。1983年のこと。20α対19で早大逆転勝利した(第8号)。

●川柳づくりの極意:坂本重喜氏(雅号・木咲胡桃44商)の講演録。所属している「番傘川柳本社」の同人であり続けるためには、毎月3句以上採用されないといけない。そのため入院中も血を吐きながら投句を続けたという(第9号)。

●フクちゃん、さざえさん、鉄腕アトムの記念漫画はがき:磯野昭彦氏(36理工)が早大切手研究会の50周年記念事業で横山隆一画伯に協力願ってフクちゃんをキャラクターとして成功させたお話。同時に長谷川町子氏、手塚治虫氏によるはがきも紹介された(第11号)。

●稲門祭大当たりでタイ旅行:小林秀雄氏(37商 現小平市議会議長)は平成15年の稲門祭の抽選で見事F賞タイ・バンコック旅行に当選し、思いがけない旧婚旅行をされた(第15号)。「こんないいことがあるから、どうぞ稲門祭にご参加下さい」と小林氏の弁。

● 将棋を楽しく、広げよう:村上征徳氏(35政経)は日本将棋連盟の小平支部長で、将棋道場、市民将棋大会などで活躍している(17号)。

●女子高生を引率してヒマラヤ登頂:高橋清隆氏(39文)は立川女子高校の山岳部員を指導して1978年にヒマラヤ・ゴーキョピークの登頂を成功させた。女子高生としては世界初の快挙であった(講演録 第4号)。  

●1959年に箱根駅伝を走る:片芝年信氏(36法 転居前会員)は東京箱根間往復大学駅伝競走の走者であった。いまなお後輩ランナー達と箱根の同じホテルに宿泊し応援している(第13号)。因みに早大競走部は昨年(2008年)は往路優勝・総合2位と追い上げた。

●三連休生みの親:故太田勝氏(34文)は祝日三連休化推進会議で活躍し、実現への道筋をつけた。小平市議会の内閣総理大臣宛の「祝日法の改正を求める意見書」の採択にも尽力した(第9号)。敬老の日、成人の日、体育の日などのフレキシブルな運用や海の日の制定などにより、今や三連休・四連休は当たり前のようになった。因みに2009年は5月と9月に5連休がある。
 
等々とある。小平稲門会の会員は多士済々で、本業以外でも話題は尽きない。会報と08年12月から立ち上がったホームページ「小平稲門会」が「面白い」相互啓発の場となることを祈っている。(投稿:08.12.27.)



振り返れば60年


横田 康平(30政経)
★小平稲門会の設立20周年を迎えて、一方ならぬご尽力をいただいた故岡田憲樹初代会長、2代会長の西村弘顧問をはじめ多くの役員の方々に心から敬意と感謝の意を表したい。私も創設以来の会員ではあるが、長らく会費を払うだけの会員で通し、やっと最近になっていろいろな方々とのコミュニケーションを楽しんでいる。二十年という歳月は、決して短くはないが、いつのまにか後期高齢者の仲間入りをしてしまったという感じもある。20年に触発された訳ではないが、すこし話をさせていただく。

★私は昭和18年、太平洋戦争が始まって2年後、山口県下関市で旧制中学に入学。1年と2年では、人手不足の農家に勤労奉仕、泊り込んで田植え、麦刈り、稲刈りを経験し、3年生の昭和20年4月から軍需工場へ学徒動員。その年の8月、終戦の玉音放送を工場で聞いた。敗戦による精神的ダメージは極めて大きいものであった。
青春残影:第2早稲田高等学院時代
(筆者は後列右1948.12.9.大隈庭園にて)
★当時は極度の食糧難、物資不足に加えて連日の空襲で、夜半に退避することがしばしば、という悲惨な日常であった。戦後の混乱のなか、それでも昭和23年、第二高等学院(当時は第一と第二があり第一は理工系、第二は文科系)に入学することができた。17歳、丁度60年前になる。戦後間もなくであり、交通事情も非常に悪くて、東京〜下関間の往復には苦労したものである。切符の購入、座席の確保に度々徹夜した。所要時間は36時間余、今では想像できない状況であった。

★いずれにしても多くの人々が戦中戦後それぞれ幾多の辛酸をなめたのである。このようにわれわれ昭和1ケタ生まれが昔を語る時、少々熱がこもるのである。次の警句がそれを説明してくれるように思う。
「人間、幸福な現在から不幸な過去を振り返ることほど幸福なことはない。」 
「不幸な現在から幸福な過去を振り返ることほど不幸なことは無い。」
 
★この国の将来は必ずしも楽観を許すものではないように思われる。次の世代の人々が、不幸な状況からよき時代を振り返ることのないよう切に祈っている。

小平市の誇り東京都薬用植物園が
存続で揺れています!



松谷富彦(
36
文)
60年の歴史を持ち、四季の草花で市民の憩いの場にもなっている東京都薬用植物園(小平市中島町)が、廃園の危機にあることをご存知でしょうか。

東京都は、06年の「行政見直し」で「ケシ・アサなど一部の研究を除き、薬用植物園の役割は終わった」として、「(廃園を含む)抜本的な見直し」を打ち出したのです。これを知った小平市民有志が「廃園反対」の署名運動を展開、都は「民間への一部業務委託をしながら、09年度中に民営化の方向で結論を出す」と回答してきました。

しかし、都のこれまでの事前打診では、採算性の点で薬用植物園の運営を引き受ける事業者、団体はなく、このままでは“立ち枯れ廃園”が心配されています。

東西に細長い小平市の西端にある薬用植物園は、面積三万一千三百九十八uの敷地に、約千七百種の薬用植物を収集、植栽し、薬効、毒性などの研究、植物の識別、鑑定など東京都民の健康を守る薬事行政の重要な役目を担ってきました。

★園内の二重鉄柵で厳重に守られたケシ・アサ栽培区では、国指定の栽培機関六施設の一つとして、禁制植物ケシ、アサの栽培とケシから採取したモルヒネ原料の生アヘンの国への納品、鑑定、研修業務なども行なっています。

イッカンシュ(一貫種 日本種のケシ) アツミゲシ(渥美芥子 渥美半島で野生種を発見)
ケシ科ケシ属 ケシ科ケシ属
1年に3日間、各日30分だけ内部が開放される 一貫種(白花)とトルコ種(赤花)
ケシ科ケシ属 ケシ科ケシ属
一貫種(白花)とトルコ種(赤花) ケシ坊主に傷を付け、滲出液が固まると生アヘンに
ケシ科ケシ属 ケシ科ケシ属
トルコ種 トルコ種
ケシ科ケシ属 ケシ科ケシ属
二重鉄柵で保護されたケシ栽培区 花期の2週間だけ、内柵まで入れる

写真のケシは、いずれも栽培、売買、使用が「あへん法」で禁じられている阿片ケシ(ソミニフェルム種)です。国(厚生労働省)は、麻酔薬用、研究用の栽培施設として東京都薬用植物園など全国6か所の大学、研究施設を指定しています。

専門の薬草園としては、植栽数、敷地規模、研究実績ともに、国にヒケを取らない貴重な研究施設であることを薬学の専門家、研究者も認めています。

国際レベルの「緑の文化施設」が市域内にあることは、小平市民の誇りです。私は、市民団体「都薬用植物園を守る会」の一員として、一度縮小や業務停止をしたら、二度と復元できない文化財の「存続」を訴えています。小平稲門会や校友諸兄姉の力強い応援をお待ちしています。



「質実剛健」の国を旅して  


宮寺 賢一(42政経)

先頃、娘とスイスを旅した。早くに母を亡くした娘の苦労を犒うとともに、永世中立を堅持するこの国の生き方や人々の気概にも関心があったからである。

★雪を戴くアルプスの四千米級の険しい山容や氷河、咲き乱れる高山植物の可憐な美しさ、草原に点在する木造の家屋と、その軒を飾る赤いゼラニウムのコントラストに魅了された。ところで、便利さに慣れた旅人には、この豊かな自然と景観を損なうことなく暮らすのは、かなりの制約があると思えるのだが、この国の人々には、景観に溶け込みごく自然に質素で堅実な生活を送っているようにみえる。

★九州程の大きさの、食料自給率が三分の一程のこの国である。贅沢をせず、忠実で粘り強い国民性は、厳しい気候風土や地理的条件と種々の政治現象の下で培われてきたものなのだろう。

★さて、この国は言わずと知れた永世中立国である。徴兵制をとり、国全体が軍隊とも言われる。すべての国が地続きの欧州大陸で中立を保つ努力は一廉ではない。国を守る強力な軍隊が必要なのである。

★世界の金融の一大中心地となり、また数々の国際機関を擁し、国際会議の舞台になるのは、この国が永世中立国を堅持していることと無縁ではあるまい。また、産業の少ないこの国の人々は傭兵として出て行く。あのバチカンを守るのがスイス人であることは、忠実さと剛健さの証であり、その矜持でもあるのだ。

★国のカタチは様々であるが、その訳は国を訪ねて初めてわかるような気がする。娘には、これからも様々な国を旅し、それぞれの国への理解を深めていくことを願っている。

ところで、かつて日本も[質実剛健]を美徳とした国であったのだが、果たして今はどうであろう。それとまるで違う「軽佻浮薄」な国になってしまってはいないだろうか。


エイジ・シュートの達成


矢島久吉
(法26)

★平成20年5月2日(金)、ゴールデンウィークに入る直前なので、もう関越は混んでいるんだろうな、と思いながら所沢インターで乗ったところ案外すいていた。

★上信越道吉井インターで降りて十分程のサンコー72CCに着いたのは、七時半頃であった。サンコーのオープン競技には、月に2回ほど参加しているが、当日は曇天ではあったが無風の絶好のゴルフ日和。本当の競技は、前半の九ホールで決着、後半の9ホールで上がってくると成績は決まっている寸法。

★スタートは、西の吉井コースである。好きなコースではない。ボギーとパーが交互にでる状態だったが、NO6のロングで、バーディが取れたこと、NO9のドライバーショットがOBゾーンの立木にあたり、ラフに跳ね返ってきたこと、この2つが重なり前半39でホールアウト。後半は同じく西の観音コース、距離は短いがトリッキー、ドライバーを曲げるとすぐOBになる厭なコース。当日は偶々ショットが安定しておりOBを出すような心理状態ではなかった。ショートの2ホールだけが何れもボギーだったが、それ以外はすべてパーの38、トータルで77でエイジ・シュート達成である。

★昨年9月、80歳になったのを機に「傘寿バンザイ」を自費出版した際のあとがきに、今年の願望の1つとして、エイジ・シュートをやってみたいなあ、と書いたものだが、所詮、見果てぬ夢と諦めていたのに、斯くも早く実現するとは夢想だにしなかったことで、自分としても心から喜んでいる。もう2度とできないと思っておるが、挑戦の気概だけは忘れずに、今後もプレーに親しんでゆきたいと考えている。




緑に囲まれたわがまち「小平」



藤田 昌煕(38文)
★小平市民になって今年で四十年。当然、わが人生で一番ながく、今や「わがふるさと小平」と言ってもいいぐらいですが、じつは故郷(丹波・福知山)に実家があり、旧知の友も多く、いまだに郷里と小平を行ったり来たりしております。そこで、田舎と都会、双方の良さがよくわかります。
 
★というわけで、小平のいいところを挙げると、まず緑が多いこと。「えっ、この住宅で密集した小平が・・・?」
とびっくりされる方があるかも知れませんが、本当です。たとえば、玉川上水。私は毎朝、商大橋付近から中央公園まで散歩していますが、クヌギなど広葉樹に覆われた樹林は夏でも涼しく、ジョギングにも最適です。

★続いて、「野火止用水」、さらにサイクリング道路、小金井公園…と、外周2い
kmの緑の輪に囲まれた小平はじつに緑に恵まれていると言えます。

★次に、充実しているのが「図書館」。中央図書館もさることながら、地区館も充実しており、田舎からやって来た友人など「小平はええなぁ」と羨ましがります。
さらに、他のまちに比べ誇れるのがコンサートホール。狭くて音響の悪い厚生会館しかないわが郷里からみると、大・中・小ホールを要する「ルネこだいら」は羨ましいかぎりです。

★自分が住んでいるまちにはともすると不満が先に出、いいところは気がつかないものですが、田舎と都会双方を行き来する自分にはさいわい小平の良さがよくわかります。小平に住んで40年、このまちに感謝し、「稲門会」などを通じて少しでも恩返しできれば…と思う今日この頃です(と言うと恰好良すぎる?)。



学生時代の思い出



滝口幸一(平8文)
★私にとっての早稲田は、生涯の友を得、人生の指針を授かった場所です。今思い返すと、仲間とともに授業を抜け出して麻雀を打ちに出かけ、とても模範的な学生からは程遠かったのが当時の私でした。しかし、早稲田には門扉が無いことに象徴されるように、多少道を外れたことをしても、とやかく言われませんでした。おおらかな雰囲気があったからこそ、多種多様な人が集まり、一定の自制心も育まれたのだと思います。

★卒業論文は「清朝におけるモンゴル民族の服属過程について」というタイトルで、指導教官は吉田順一先生でした。勉学に対して厳しい先生でしたが、同級生が試験の解答に困り、「おいしいおかゆの作り方」を詳細に記したところ、「良」の評価をくださるなど、独特のユーモアのセンスも持ち合わせた方でした。4年生の9月、「先生、就職先が決まりました。」とご報告に伺うと、「滝口君、君の今の成績ではとても卒業できないよ。卒業論文を100ページ以上書きなさい。そうしたら許してあげる。」とおっしゃいます。懸命にがんばりましたが何しろ不勉強ゆえ、どうしても100ページに届きません。

★資料はモンゴル語を漢語に音訳したものが主で、読むだけでも大変です。結局、88ページの卒業論文を仕上げ、先生にお見せすると、「しょうがないなあ。」といいながらも何とか卒業を許してくれました。謝恩会にて、「滝口君、人間は生涯勉強をし続けなければならない。東洋史に限らず、勉強を続けていってほしい。」と私に言い聞かせてくれた吉田先生のはなむけの言葉を今も忘れられません。また、ロシア語の単位をとるにあたって世話になった影の尽力者は、私の生涯の伴侶となり、現在は単位ではなく、共に三人の子育てにあたっています。

★一昨年には当時所属していた「みのむし旅の会」のOB合宿を企画したところ、50名を越す方々にご参加いただきました。何年たっても早稲田の旗の下に集えることに幸せを感じています。



小さな稲門会




久保田節子(47文)
★卒業して36年。20年ほど前から年に一度は会いたいねと集まっていましたが、最近は友人達が順番に還暦を迎える年になり、還暦を祝う会と称して集まりの会をやっています。学生時代は「旅の会」というサークルで遊んでいましたので、その仲間たちです。

★何年ぶりかの再会でもすうっと学生時代に戻れるのは、とてもうれしいです。学生時代と同じ気持ちで遠慮なく話しができます。その仲間たちは、ほとんどが男性なのですが、男性・女性の区別なく接してくれます。まあわたしを女としてみていないのでしょうが…。たわいもない話で盛り上がり、ちょっといい気分になりますね。

★「旅の会」というのは、日本中を旅して歩こうというサークルです。入学したばかりの1年生の時に サークルの先輩たちの旅の話が面白くて、毎日のように部室に通ったものです。その後も馬場までおしゃべりしながら歩き、「白鳥」などの喫茶店で先輩の話の続きを聞いていました。そのため、喫茶店代でお小遣いがなくなって不自由しましたが。

★サークルではグループを作っての山登りも教えてもらいました。私も大きなザックを背負って北海道、山陰、九州などを旅するようになり、利尻富士、大山、会津磐梯山にも登りました。磐梯山に登った時には、初めはかなり元気でしたが、下り坂では、かなり疲れていたことも有ったのでしょう。膝ががくがくと鳴り出し、ザックの重みと、膝の震えで一歩も歩けなくなった事が、昨日のようです。

★先輩たちのような旅の面白い話のタネはあまりありませんでしたが、一人旅の自由と寂しさを体験してきました。

小平稲門会も 大先輩から後輩まで 年齢も随分と違う人たちが集まっても 学生の気持ちになって、すぐに仲間入りさせてくれます。早稲田のキャンパスに居たということだけで仲良くなれるのは、不思議なものです。同じキャンパスに居たことだけで、強い絆を感じてくれて心を開いて受け入れてもらえるそんな稲門会はすばらしい。

◆投稿規定:会員のみなさまが日ごろ感じたり、想うこと、主張、社会に問いかけたいこと、、随筆などを700〜800字程度にまとめてメールでお送り下さい。投稿の文章に付随した写真や執筆者の顔写真も添付していただければ、登載します。(管理人)
♪BGM:H.Work[大きな古時計]arrannged Myuu♪
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